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阿智村 岡庭一雄前村長の不正

 子供のころ、中央道が開くことに夢や希望がありました。今の子供たちや若者も同じようにリニア中央新幹線に想いを馳せているのではないかと思っています。
 先日、阿智村でリニア中央新幹線社会環境アセスメントの報告会がありました。報道機関もこの社会環境アセスメントの在り方や報告内容に関心を寄せており、高評価をする記載も見受けます。
果たして、そうでしょうか?
私は、リニア中央新幹線そのものに反対の表明をしている共産党の党員である岡庭一雄前村長が、共産党員である議員数名と、社会環境アセスメントの設置を目的として進めてきたことに対して疑問を持ちました。また、岡庭前村長が二名の議員と関わった村政時に於ける不正行為や補助金の不正受給を指摘して、平成28年4月20日、阿智村の議員の皆様に公開質問状を提出しました。
 公開質問状提出一週間後、議員の皆様の対応が何等ないため、質問状の末尾に記してある『私の質問に不明、及び不適切な文面がありましたら議会規定に従います。』に対して、『不明・不適切な文面がなかったことと判断します。これから公開を進めていきます。』との文面を再度議員の皆様にお渡しして公開を始めました。
 提出した公開質問状の全文を掲載します。このサイトをご覧いただけるみなさんが多くいられることに期待し、みなさんの意見や質問に対応できるよう、なるべく時系列に進めていきたいと思います。
 
                阿智村議会議員の皆様への公開質問状

 去る平成28年2月22日に行われた智里西地区村政懇談会に於いて、村長に質問をさせていただきました。村長及び課長からは即時返答いただきましたが、その内容に改めて疑義を申し立てます。

つきましては、議員の皆様には質問した内容とその返答を確認、精査いただくことに併せ、議会ではどのように審議され、承認されたのかをお聞きしたいと思います。

併せて、リニア社会環境アセスメント委員会会長岡庭一雄氏の、村長時に於ける不正を記した文章を理事者に提出しております。その事も精査していただき、議員の皆様の判断において、村民の皆さんに明らかにされるようお願いします。

公開質問内容

1.      リニア中央新幹線社会環境アセスメント委員会の設置及びその進め方について

2.      社会環境アセスメント委員会設置後行われた16歳以上からの村民アンケート調査について

3.      社会環境アセスメント委員会報告書受取による村長評価がありましたが、村長はどのように承認して受け止めたのか、について

4.      社会環境アセスメントを行った団体に支払われた費用について

5.      花桃街道整備事業の議会承認について

6.      本谷・園原財産区名称の任意団体に、270万以上の金額が地域振興補助金の名目で平成9年から毎年支払続けられている件について

7.      岡庭前村長・熊谷時雄前議員・熊谷操元議員の公金不正受給について

8.      平成19年3月議会に岡庭一雄前村長、水上宗光前参事、熊谷時雄前議員と鈴木建築設計事務所による『園原ビジターセンター建設工事』に於ける官製談合を告発した、阿智村議会議員の皆様への公開質問状の回答が未だ成されていない件について

平成28年4月18日 阿智村園原  熊谷章文

 

1. リニア中央新幹線社会環境アセスメント委員会の設置及びその進め方について
・村長への質問
 リニア中央新幹線に伴う社会環境アセスメントは飯伊では阿智村しか行っていません。その目的と実施に至ったプロセスを説明してください。
・村長回答
 清内路斜坑からの搬出土運搬車両が村内道路を通行する場合の環境調査、運搬車両の台数、時間帯、一般車両の交通量、昼神温泉への影響を懸念する温泉組合の意見、花桃祭り時の運搬車両の制限などを調査する必要があってのこと。
:再質問
 その様な調査内容であれば、JR側が当然事前調査されて村に報告書を上げているのではないか。
・村長回答
 それは有りますが、村独自の調査も必要と判断しました。
:再質問
 村独自の調査とは何か、今説明された以外にあるのでしょうか。
・課長及び村長回答
 その他に、運搬車両が村内を通る場合の村民感情も知る必要があってのこと。

2.      社会環境アセスメント委員会設置後行われた16歳以上からの村民アンケート調査について
・村長への質問
 各戸にアンケートが実施されましたが、その集計と内容が明らかにされていません。また、私は阿智村独自の社会環境アセスメントは不要と意見を述べています。私以外にもその様な回答が多かったと聞き及んでいますが、その上で実施した村長判断を聞かせてください。
・村長回答
 そう言われればアンケートの集計と報告は村民にしていません。近いうちにまとめて報告するようにしたいと思います。

3.      社会環境アセスメント委員会報告書受取による村長評価がありましたが、村長はどのように承認して受け止めたのか、について

4.      社会環境アセスメントを行った団体に支払われた費用について
・村長への質問
 報告書の提出は新聞記事で知りましたが、村長はどのような評価を成されたのでしょうか。併せて、環境アセスを行った団体に支払われた費用の明細を示してください。
・村長回答
 報告書はこれから報告書発表会などで説明を受け、村民の皆さんと意見交換をしていきます。団体に支払う費用は850万ですが、まだ支払っていません。

 以上が、村政懇談会での遣り取りです。

 阿智村社会環境アセスメント報告書を拝読すると、村長の返答どおり「搬出土運搬車両の村内道路通行に当たり、その問題点を取り上げ、対策を検討する必要がある。」と提言しており、環境保全については、何も成されていない。
本表題の目的も“リニアそれ自体の是非を問題とするのではなく、発生土の運搬が住民生活や観光産業へ及ぼす影響に特化し調査及び評価をする目的で設置されたものである”と、ハッキリ記してある。
 本来、“環境アセスメント”とは開発と環境保全を、共に実現していこう!とするものであり、開発の極一部(搬出土運搬車両)を切り取り、一時的な工事期間だけを問題視して行われるべきものではない。
住民生活はインフラや自然環境が基盤となっており、観光産業は多くの産業の一部でしかないのである。
 所謂、住民生活の調査報告は道路使用以外何も無く、観光産業のみを表題項目としているだけの報告書である。であれば、住民生活に於ける道路通行や観光産業のみの影響に特化し調査する!とすべきで、村民に誤解を与える、環境アセスメントが含まれる表題は使うべきものではない。また、環境アセスメントであれば、“評価”、は必要ない事であり、一部の団体が、“評価をする目的で設置、と宣言していることは、彼らが、“リニアそれ自体の是非を問題とするのではなく”、と、言いながらも彼らがリニアに対して意見を主張します!ということになる。

 リニア中央新幹線に対して偏った意見を持つ人たちが、“環境アセスメント”を表題にする委員会設置を目的としており、調査する内容以外に「村民感情も知る必要があった」となれば、村民アンケートの作成と進め方に意図が有った、と推察されます。また、16歳以上の村民からアンケート調査を行っているが、その内容も方法も社会環境アセスメント委員会設置後に実施されていることを鑑みれば、彼らの考え方でまとめられていることは明白である。それ故、村民の多くがその不自然さに気づき、今回の“社会環境アセスメント”は不要との意見が多かったのではないでしょうか。
 殆どの住民が、アンケートによって初めて社会環境アセスメント委員会が設置されていたことを知ったのではないでしょうか。また、そのアンケートに答えることでしか意見や考え方を伝えることが出来ないと思わせたことに併せ、そのアンケート結果ですら住民に知らされてこなかったことは、『後でやります』で片付けられることではないのではないか。
 そのような高額な費用を村長は精査して議会に諮ったと思われるが、報告の内容がそれに見合った費用対効果が有ったとして検証確認されなければ、住民監査請求も行われて然るべきとして、議員の皆さんには対応していただきたい。
 阿智村独自の“環境アセスメント”の必要性を村長に対し執拗に迫った人達がおり、その対応に苦慮していることは、村長の生の声で聞こえてきておりました。
共産党員以外の議員からの岡庭氏を非難する言葉は多くの住民が聞いてはいましたが、村長はリニア中央新幹線に伴う社会環境アセスメント設置案件を議会に諮り、議会も何なりと議決している。

 一部の偏った人達の要望を、なぜ村長が取り上げなければならなかったのか?
 大半の子供達や若者は、リニアに大きな夢や希望を抱いております。16歳からの若者の意見や考え方を聞くために、『感情を知る必要もあった』となれば、そのアンケートをまとめるに当たり作為を持って臨んだことは許されるべき事ではありません。また、環境アセスメントに取り組んでいるようなイメージ“、リニアそれ自体の是非を問題とするのではなくを、殊更強調した文面で理事者に提出し、その報告会を開催させて自分たちの考えを伝えるのは、住民を扇動する行為になるのではないか?

5.      花桃街道整備事業の議会承認について

 昨年春、部落総会に於いて月川旅館(村所有の宿泊施設)へ渡る仮橋が建設事務所の事業“花桃街道整備事業”で掛け替えが行われる、との話が地元議員からありました。
(この仮橋は、中央道恵那山トンネル工事に於ける土捨て場用として架けられたものであり、月川旅館が利便上使用しているが、集落の生活橋は200m下流に在る)
 村政懇談会では「自治会からの要望事業として橋の架け替えと道路整備を行います」との説明がありましたが、月川旅館への仮橋の掛け替えが自治会の要望事業となっていることは、智里西地区では誰も知りませんでした。
 村は何を持って自治会の要望事業としたのか?議会も地元要望事業であると確認され実施されることになったと思いますが、その根拠を回答願います。

 4年前の議会(当時岡庭一雄村長・熊谷時雄議長)に於いて、原議員から「月川旅館への仮橋の掛け替えが数年来要望されてきているが、花桃祭りで観光産業に好影響を与えているのだから全額補助として実施すべきではないか」と、提案されています。この経過によって議会承認され実施するのであれば、自治会の要望事業とするのは出来ないことではないか。また、国庫補助を受け易い内容によって事業名を後付けし、自治会の要望事業として申請を行ったのであれば、地区住民を蔑ろにした上で国庫補助金の不正受給を村と議会が行ったことになります。
 村の施設である月川旅館の『施設払い下げ』を拒み続けている委託管理会社の代表取締役が熊谷時雄である事と、彼が一昨年の自治会長であったことは、理事者も議会全議員も承知していることではないか?
 花桃街道整備事業の実施計画が負の三位一体で進められたこの事は、地方公共団体として行える事ではないのではないか?

6.      本谷・園原財産区名称の任意団体に、270万以上の金額が地域振興補助金の名目で平成9年から毎年支払続けられている件について

 本谷・園原財産区は財産区ではない任意団体である。その団体に平成9年から毎年270万以上の金額が地域振興補助金として村から支払われ続けております。
任意団体になぜその様な公金の支払いが行われているのでしょうか。
すでに、その団体の会計において875万円ものお金が紛失しており、公金の支出が19年も続いてきたのに村は一度もその団体の監査を行っておりません。議会も監査員の一人として毎年監査を行って承認されているものと思いますが、この拠出金をどのように監査されてきたか説明願います。
 併せて、岡庭一雄氏・熊谷時雄氏・村顧問弁護士が、当時この任意団体の組織化を行っています。このことについても明らかにしていただきたい。

7.      岡庭一雄前村長・熊谷時雄前議員・熊谷操元議員の公金不正受給について

 この三人は公人であった時に公金の不正受給を行い、それが今に続いてきております。この事を明らかにした文書は、平成28年3月25日に理事者に渡し面談をお願いしております。

8.      平成19年に岡庭一雄前村長、水上宗光前参事、熊谷時雄前議員と鈴木建築設計事務所による『園原ビジターセンター建設工事』に於ける官製談合を告発した、阿智村議会議員の皆様への公開質問状の回答が未だ成されていない件について

 平成19年の3月定例議会開催中に、『阿智村議会議員の皆様への公開質問状』を提出しております。当時の小笠原議長は私の質問内容を確認され、「議会に於いて諮る」とのことでありました。
 そのことについて、当時の議員の皆様からの返答を未だ受けておりません。また、その質問状の取扱が行われたかも確認出来ずに今日まで至っております。
(当日傍聴しておりましたが、議会終了となり傍聴者退出後議場側から施錠閉鎖されております)
 私は、その質問状の返答を持った上で刑事告訴を行うつもりでおりましたが、それも成り得ませんでした。既に、水上宗光前参事・熊谷時雄前議員、鈴木建築設計事務所の告訴時効は過ぎておりますが、当時の議員の皆様が私の公開質問状をどのように取り扱われたのかを調べていただき、今回改めて公開できるようお願いしたいと考えています。
(質問状の控えは有りますので、必要であれば提出いたします)

 平成17年、園原資料館の建設工事が始まりましたが、土工事に取りかかったところ古鏡が発見され急遽発掘調査(700万)が行われております。18年12月、発掘調査報告により村文化財委員会と東山道NPO法人代表羽場睦美氏の『貴重な遺構を保存する』との提言で資料館の建設が中止とされております。
 19年1月、阿智村ホームページにおいて、園原資料館建設計画と同内容・同規模・同予算・同建設場所の『仮称・園原ビジターセンター』の設計プロポーザル参加が掲示されました。そのプロポーザル審査委員長が東山道NPO法人代表羽場睦美氏であり、審査員の一人が熊谷時雄前議員でありました。
『仮称・園原ビジターセンター』の設計が鈴木建築設計事務所に決定したのを受け、その進め方に不正があるのではないか、と岡庭村長に面談を求めたところ、「顧問弁護士から『会うな』と言われている」との返答でありました。私は、「一村民として、発掘の調査報告と村文化財委員会の見解をお聞きしたい」として再度面会を求めたところ、「もう一度弁護士に聞く」、「不正が有るとした話は一切しないことが条件」と、念を押され面談した経過があります。
(村の顧問弁護士が岡庭氏個人の不正について対処する理由が分かりません)

 村長に面談を求めてから既に21日が経過しておりますが、未だ、何の連絡もありません。今回の件も、同じ顧問弁護士であれば同様な状況もあり得るのではないかと思い、皆様への質問となりました。

私の質問内容に不明、及び不適切な文面がありましたら議会規定に従います。
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 私は理想論を掲げる共産党を否定してはいませんでしたが、岡庭一雄氏が共産党員を辞めた形にして吉田博美(当時県議)のバックアップで村長選に立候補したことで、幻想であったことに気づきました。      平成28年5月18日

 熊谷時雄前議員と吉田博美の関係、岡庭一雄氏との関わり
 吉田博美が中島衛代議士秘書から県会議員に立候補する前年からであるが、熊谷時雄氏(当時は無職)の方から近づき、父親の残した遺産財力(金融業)でスポンサーになっており、西部6か村の後援会を取り仕切れるような立場であった。当時、熊谷時雄氏が左寄りだと知っていたのは私だけである。(このことは現村長に渡した文書に書いている)   この頃、信濃毎日新聞阿智担当記者と熊谷時雄氏の親交が始まる
 明和産業(清水社長伍和出身)阿智村製造工場誘致に於いて、『公害産業の元凶だ!』と反対の先鋒を切っていた岡庭一雄氏、村平職員でありながらのこの行動は、筋金入りの共産党として内外に知れ渡っている。
熊谷時雄氏とは昭和56,7年ころから疎通しており、二人の将来構想の始まりでもある。     平成28年5月25日

 平成の大合併、飯田下伊那は南信濃が飯田市に、浪合が阿智村に(浪合村長の飯田市熱望は周知のところであるが)、数年後、財政破綻で清内路が阿智村に(清内路若者の大半は飯田市)
 現体制に疑問がある・既得権益に辟易している阿智の住民は飯田市との合併を望んでいた。(清内路と同じように若者は飯田市である)
 一度手にした権力をとのことは、どの自治体の首長にも在るところであるが、共産党員である彼らの危機感は相当なものであったことは疑う余地もない。
 吉田博美は既に参議院議員、彼らとは必然的に距離感ができていたが、合併推進を図る自民党とは相まみえないもの、まして独裁ともいえる状況までに作り上げた阿智村を手放すわけはない。
そこで彼らのとった行動は、“地域愛”、飯田市千代地区を例に上げ、徹底した不平等を前面に押し出したのである。既得権益を受けている団体、土建業者、ついては議員まで左にならわせ、まったく今回のリニアと同じように作為でのアンケートから始めた彼らの得意な扇動作戦を実行したのである。
 熊谷時雄氏はそれだけでは収まらず、吉田博美を『地域愛が信条であった博美は参議院になったら西部6か村の自主性を捨てた!』と、自分から見限ったのだ!と方便し出したのである。
(残念なのは、このことに気づく議員や周辺村長が当時誰もいなかったこと。居たかも知れないが、遠巻きの傍観者)                                 平成28年5月26日

 岡庭一雄氏の村政は4期16年続いている。私(章設計)は今から10年前(岡庭村政3期目)に、民事裁判で阿智村を相手に損害賠償請求を起こしている。
三年にわたる裁判の結果は、当然『棄却』 
当時の村幹部職員と、それを聞き及んでいる人たちは「章が負けた。悪いのは章設計だ」、それも当然の結果である。
 町村会においても章設計悪の評判を周辺首長に知れ渡らせ、阿南学園の改修工事の設計落札においては、学園長に「章設計にはやらせるな」と、妨害されているが、それもまた当然のことである。
 今回の公開質問状では、“官製談合”、を指摘して告訴を云々した事を書いている。 なぜ、刑事告訴の官製談合の一件が民事訴訟になったのか?、また、身内からも反対されながら、負けると分かっている裁判をなぜしたのか?、は、法律や村顧問弁護士・建設業界、議員と彼らの関わりが明らかに成るにつれ、別段で書いていきます。(村長に渡した文書の中にも経過は書いてあります)    平成28年5月30日

 岡庭一雄氏と熊谷時雄氏の将来構想
 私が岡庭氏と知り合ったのは、授産所改築の設計担当(前事務所)で、彼が産業課係長の時である。 一切の打ち合わせが彼一人で行われ、機械設備の設計を飯田工業にやらせろ!と、言われたことには驚きました。
黒柳村長が仲人ということで、自身ではかなり強気で張り切っていました。
父典章(教育長当時)に黒柳村長が、「課長昇進を見送ってきたが、今回商工観光課長にしようと思うが、あれは何をやるか分からないから注意せよ」と言われております。
 その数年前、熊谷時雄氏の父親鷹治郎氏が阿智村に1,000万寄付をしておりました。鷹治郎氏の急逝により、そのお金の利用について熊谷時雄氏と村と話し合いが行われており、また、飯田放送局(TV)ロープウェイ昼神温泉架構計画にも絡めてかなりの要望を黒柳村長に突き付けております。(この一件で時雄氏の本質を黒柳村長は見抜いております)
 この時期には彼らの構想、『岡庭村長・時雄議員』、岡庭村政3期、スライドで熊谷時雄村長 が、出来上がっております。
 寄付金は老人伝承センター建設となり、その担当職員が水上宗光総務課係長(岡庭氏の無二の子分と聞き及んでいます。子分はもう一人いました。佐々木幸仁前副村長)         平成28年5月31日
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 それは、一睡もできなかったある朝に、唐突として、“彼らの始まり”、を知らされることになりました。
………「長野県下伊那郡阿智村の……熊谷典章教育長……飲酒運転で事故……」
朝6時、SBCのテレビニュース……ぼんやりした頭では夢のように聞こえてきた

 その日も仕事で飲んでいた。 玄関前の小さな明かりはいつものように点いていた
シャワーで軽く流した後に、すべての明かりを消してそっと布団に潜り込む ん? なんか変んだ 手探りした布団は冷えている トイレかな 時間がたつ 続いた午前様にとうとう・・・子供は寝ている 不安が増す

祖父 熊谷 清 (この文は、熊谷村長に届いている(議員の皆様にも)文書からの引き出し文である)
園原水道と委託管理者
 平成22年10月水道事故があり、園原部落では委託管理者の変更をしています。当時の管理者は田中義幸名になっていたようですが、監理者手当総額56.5万は義幸が受け取っていたわけではなく、義幸に振り込まれたお金を熊谷操に持参し、操が毎年受け取ってきていました。
(議員報酬以外は制限がある。議長になるまで受取していたが、内部で『まずい』となり、義幸に変更されている。この件は、熊谷義文(現議員)が部落会にて明らかにした)
 村からの事故処理報告は私になされ『塩素機故障によるもの。管理日誌は数年間記録なし』でした。管理が一切行われていない中で起きた事故であり、部落会で操に対し責任追及した上で田中友弘に交代させました。
(村も管理者の管理記録を数年間一度も確認しなかったことになります)
 昨年12月の部落会終了後、友弘から驚く話を聞かされました。「水道の管理、俺はやっていない。当時の部落会の翌日に義幸から電話があり「交代の話をするから来てほしい」との連絡で操の家に行ったら、「お前は東山道復興会管理の便所の管理をやれ、16万払う、水道の管理は孝志がやるのでお前は村に行かなくても良い」と言われたそうです。

 園原水道の経過
 中央道の恵那山予備トンネルが開通した年、上組と東組の共同水道がトンネル工事の影響で既に断水しておりました。   当時、祖父熊谷清(東組)は議員でした。この件での協力を村に仰ぎ、道路公団に対し『園原部落の要望は園原水道の施行であります』と、中組・下平を併せた部落全体の水道化をお願いしておりました。公団はその要望に応え、2千数百万の工事費用で園原水道は布設されました。
 その後、園原水道は村の管理水道となりましたが、村が全面布設していないため基本水道料金を徴収することができません。園原水道を別扱いできないため、徴収した水道代を部落に返還する特別な扱いとなりました。その水道料返金額(昭和47年ころから47.5万、63年には48.5万円、平成10年ころから56.5万)のうちで管理費を賄うとされました。
 熊谷操が議員になった時、その情報を得るや、部落で決めた園原水道管理者(熊谷千美)のところに行き「俺がやるから代わってくれ」と交代を申し入れ、その返還金額を毎年受け取ってきたのです。このことは『部落で決めた管理者は千美だ』と、何度か取り上げられましたが、操は都度出席せずにうやむやにされてきました。
 部落長(熊谷寛)副が私のとき火渡り行事の売上金の一部が紛失しました。金額は二人で確認しておりましたので、側に居た操が着服したのではないかと、後日、二人で操のところに行きその不始末を正しましたが、同席させた田中義幸の口から「自分が集金箱を管理していたがそんなことはしなかった」との返答で水掛け論になってしまいました。
部落長が操に「村から受け取っている水道返却金のうち管理者分を除いた金額は部落に戻せ」と伝えたところ、後日部落長宅へ義幸の奥さんから30万届きました。翌年の私が部落長のときは「返還金なのだから村から直接部落口座に振り込むようにしてください」と、伝えましたがJA園原支所に奥さんが持参し、困った支所長から電話がありやむを得ず受け取ったことがありました。翌年の部落長は熊谷和美(操の甥)、その旨申し送りましたがなぜか16.5万に減額されておりました。
 その年の監査は私と寛さんで会計が孝志(操の長男)、そのことを指摘しようとしましたが、和美の会計報告そのものがでたらめで監査になりませんでした。挙句の果て、大きな声を出して興奮し手が付けられません。やむを得ず、孝志に後日改めて監査するので連絡してくれと伝えたのですが、連絡なしで次年度が始まりました。 
 次年度の孝志が部落長のときの監査は私と和美でしたが、和美は欠席し私だけで監査しました。その時に操の不正を孝志に伝え、30万に戻すようにしたのですが、残念ながら変わっていませんでした。(孝志は辛かった。いまは孝志を信頼しています)
 水道事故が起きた時、この事故を持って管理者を交代させれば事を表沙汰にしなくても解決できると考え、田中友弘に返還金のあることを伝え交代することを部落で了解してもらったのです。

 平成28年3月2日、9日と村出納室と水道課に出向きこの件を質問し、村長にこの事を伝えるようお願いしました。水道課長は、村営水道化された当初までさかのぼって調査すると約束してくれました。
(部落会計に支払いが始まった時期と金額の詳細は課長に提出しております)
 操の着服金額はざっと計算しても1,300万ほどになりますが、村はこの事を明らかにし、園原部落へ戻していただきたい。
 水道課長からは操との管理契約書が示された。その管理契約書名に孝志の名前はなく、操の名前になっていた。
        平成22年契約 園原水道管理組合 代表熊谷操 管理費40万 保証金16.5
 存在しない組合名で契約が成されており、その契約書を作成した者もまた、村の職員である。  平成28年6月14日
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 黒柳村長の勇退を受け、山内助役が無投票でその責務をつないだ。
熊谷操氏は当時議長であり、その後継は自分が相応しいと黒柳村長の自宅を訪れて、“その後継に、少しでも近い言葉”を引き出そうとしたらしいが、「私は耳が遠い。汚れた言葉は聞こえてこないようにできている」と、野に居る父に言ったそうだ。                    平成28年6月15日

 黒柳村長四期目の始まりには、今期を集大成とすることを父は聞いていた。しかし、五期目までやらざるを得なかった。さすがに、ながい!と聞こえてきてもいた。
 岡庭たちがここを見逃すはずがない。熊谷操議長の動きは、とうにつかんでいる。そこで、議長を押さえさえすれば、岡庭の芽が浮上する。と、考えだしても不思議がない。
地元の熊谷操はすでに見切られているから心配ない。(操氏は妙に魅力がある人だ。私もファンの一人だった、舛添みたいでなかったら、と残念に思う) あとは、操の裏に居る上原前議長 彼の後援を、何とかするには 母方祖父の渋谷勲の功名を利用しようと考えだした。
 〇〇(母方おじ)に、上原氏が出向けるように仕向け、それがまんまと嵌まったのである。上原氏の帰りの言葉、「それほど評判が悪いとは思わなかった」おじの話です。        平成28年6月17日

 岡庭と時雄の次の謀略
 七と七日の法要を終え、父の兄弟とその家族が残ってくれた。 そこで知らない父をしった
 歩けない・話せない・笑えない難病で、式にもでられなかった母が、「あきやあ」と 笑顔をみせ 手すりにつかまりながらその、“和”にくわわった。 父の奇跡 かと涙がにじんだ    おじのはなしが始まった
「弟だから、兄貴を褒めるのはここしかないが・・・ 誰にでも好かれ、頭もよくて頭が低い なにをやるにも、人を先に出し控えている もめ事も相手を責めるのではなく、ことの始末だけを考えていた 自分の兄貴だけど頭が下がる 自分の誇りだった 」 「 阿智農協組合長の投票で圧倒したが、『自分はまだ若い』と、いくつか上の相手に譲って 」 

 農協を退職することになった父は、森林組合の下刈に精をだした。 巻き落とし、植樹し、下刈りをしてうちの山はすべて俺がやってきた。昔取った杵柄だ! 軽いもんだと始めたが、何日かはぜい肉を落とすのに精を出したようだ。
 二年め、動けるような体にもなっていたが、祖父のもとへ黒柳村長が訪ねてきた。「その節はお世話になりました。おかげで私も二期目も務めることができました。」と、原孝平村長からのバトンタッチの一期目に、祖父に助けてもらった礼に併せ、父を乞うてくれたらしい。                         平成28年6月21日

 教育長の、“命” を受けるには、まず教育委員に選任されなければならない。その後、教育委員の互選より選出されるのである。 ここでも、“父のお人好し” があったようだ。 当時の教育委員長は ちび熊 の愛称があった中学教員上がり。伍和選出の高坂さんと親交が強かったらしく、彼が決めてしまった。 村長の意向は、当然知っていてのことで、村長からの差し戻しに、「最初に聞いた(意志を)手を上げなかったので、実績のある高坂さんに決めたのだ」とね。

 鶴巻荘の改築阻止にも、信濃毎日新聞阿智担当記者が活躍した
 記者と時雄のつながりは吉田博美との出会いに(・・)書きしたが、新聞の力はすごいものだ。あっという間に、世間は『無駄な物』として流れていった。その頃の議員がまるでそう、熊谷操が議長だったことを思い起こせば判断できるでしょう。熊谷操は村長に成れなかった。それは、黒柳や典章のせい! しいては山内村長が前面の敵!
 議会が決めた鶴巻改築の中止!  ここで忘れてはならないのが、岡庭が一番恐れていたことだ
 智里農事組合の数億単位の負債! 岡庭や水上が、つくり上げた 偏った人達のために在る組織の崩壊が表に出ること
ここをつきとめていた議会の委員会の長が、田中治彦本谷財産区代表議員 3億までは突き止めた、だがしかし、岡庭の、“隠し” は巧妙だった。8億にはなりそうだ!?  これをまさに表に出そうといる矢先のことだった。      平成28年6月23日 

 国の補助金不正受給  熊谷操議長は彼等の謀略を知らなかったと思う
 彼等の野心は留まることがなかった。いや、積み重ねてきた不正が露呈しないようにするには と、言った方が正解かもしれない。 彼等の後押し共産党は、県庁にもいる。学校にも、農協にも、内にも外にもいっぱいいる。そして、彼等の先頭に立てそうな岡庭は、彼等のヒーローになりつつあった。
 (熊谷操議長にもその気(け)があった。それは、議会の中で唯一の協力者、金田博充共産党議員)
 現在の阿智村役場周辺施設 庁舎(桂設計)昭和46年頃  文化会館(鈴木設計)昭和51年頃 
阿智村保健センター(鈴木設計)に続けて、文化会館との間にコミュニティーセンターがあるが、その計画の立ち上げ主旨は、熊谷操議長の「議場が古い! 議場と議会事務局を新築せよ!」から、始まった。 議長から、彼等から、執拗な攻撃をうけてきた山内村長は、その無理な要望にも、議会議決されてはやらざるを得ない。
 議場の新築に合う補助金なんてない。どうしたかというと、岡庭が鈴木設計に図かせてある計画に沿って進めるしか方法がなくなっていた。  その計画図には、1階を議会事務局と議員会議室、2階から3階(傍聴席)にかけて吹き抜けとした、名前だけのコミュニティー会館が図かれていた。                平成28年6月24日

 三人寄れば文殊の悪知恵
 「出て行け!」熊谷操議長の大声が議場に響いた。 信濃毎日新聞阿智村担当記者が、時雄との約束時間より遅れて記者席に入ろうとした時である。
 慌て過ぎたのか、なめてかかっていたのか、その両方だと思うが  バタバタ ガチャン と、議長の言う通り建付けはガタがきていた。 議員全員が振り向いた時には、真っ赤な顔した記者が、“赤鬼” のような血相で踵(きびす)を返して飛び出る姿。                                  平成28年6月27日

 課長席にいる岡庭と見合わせた時雄
 ずいぶん打ち合わせとは違ってしまったが、彼(記者)の行動が早くなっただけ。
県を通り越し、国に直接告発した 勇気百倍! さすが正義の味方信毎! 「補助金不正受給だ!」
 翌日、スタンバイしていたヘリが予定のコースを飛ぶにはさして時間がかからない。テレビカメラが降り立ったかはともかくも、記者にもみくちゃにされながら、あやまる山内村長の姿が流れるSBCニュース 本当にかわいそうだった。                         平成28年6月28日
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 ( SBCニュース この場面 数年前あさ6時のニュースと同じような こんどはハッキリ見えてきた )

 そっと抜けて居間に降り電気をつけた。 車が気になり車庫をのぞく 車がない どこかに出かけている? 子供をおいてどこに? 急病か? 病院か? もう三時 母がどうかしたのか? たまらず母に電話する  呼び出し音が鳴ったかどうか 母の声が聞こえてきた

 「お父ちゃはどうだった? 生きているのか?」「・・・なに?何?」 「なによ!〇〇子は居らんのか?」母は動揺していた 事態が飲み込めるまでしばらくかかった 
近くのタバコ屋の先生(小林公民館長)が帰宅時、清内路分かされの工事中の支柱(その日の工事)に大破している軽トラックを見つけ、駈け寄ったら父だったらしい 清内路の父を知ってる人とともに、苦しがってる父を助け、救急車を呼んでくれたらしい その頃には数人が集まって、挟まっている父を救急隊は病院に
 携帯がないころ、小林先生は見届けたことを自宅に帰ってから母に電話をくれた 母はすぐに電話を入れたが、私はいない 「帰ったらすぐ病院に行くよう」 
 電話を切ると外に車のライト 飛び出て車庫まで誘導しながら お隣の迷惑も考えずあれこれ聞いた 
妻は、どの病院に行ったかも分からない 飯田病院でない では市立病院と電話で聞き 子供を寝かしつけてから駆け付けたと  父は手術中 看護婦に聞いても何もわからない 数時間くらいか やっとICUに戻った父に駈け寄ったが まだ麻酔が聞いているようで意識がない  それで もう帰っているころと自宅に戻ったらしい   母に電話を入れ、二人して寝ている父を確認してからの帰り道 もう、しらしらと夜が明けようとしていた

 ここで 不思議 なこと  山内村長は補助金の不正需給を行ったの?
 議場をコミュニティーセンターとすれば、確かに国庫補助金の不正受給に、“充当(あた)りそう” だよね。でも、信毎の記者が直接国に電話をかけても、告発したとしても、翌日に国が、『阿智村は不正受給にあたります』ってことにはならないよね? なのに!! 信毎はSBCと共に、『不正受給』としてテレビニュースで決めつけたよ!?
 これはまさしく信濃毎日新聞阿智担当記者の、“個人見解” と、“飯田支局の判断”
少なくても、検察でなくては出来ない決めつけを、信毎は出来るの? やるの? それが正義? これが報道の自由?
 岡庭や時雄は、“思い通り” であったろう。議長や議会も罪のなすり付けができたであろう。
見ていた、聞いた、みなさんも 『山内村長が悪いことをした』と、決めつけたでしょう。  ・・・これが、ルールとモラル感の混在です。                      平成28年7月1日

 ここでは 不思議 ではなくなったこと
 小林先生が父を助けようとしたが、ハンドルに挟まって出せない。至急救急車を呼ばなければと、清内路が近いからと呼んでくれた。
母は私がいないことで母方叔父(弟)と、父方叔父(義弟)に電話を掛けたらしい。義弟が駆け付けた時には警察がいた。警察が帰って義弟だけのところに母方叔父が着いたらしい。
 朝6時の SBCニュース  飲酒運転で事故?
 私も妻も? なにがなんだかわからない? ただ、ハッキリしてることは 父が責任を取らなければならない! ってことだけだ。 辞職願を書いて父に会った。「村長に迷惑をかけて申し訳ないと伝えてほしい・・」その足で黒柳村長に会った。「けがの状態はどうか、そうか・・あとのことは心配しないよう」
 病院に戻ると警官が二名、昨夜の確認に来たという「医者の許可がないので息子さんの署名で良いですよ」と、事故調書が見せられた。『自損事故』それ以外書いてない。「飲酒運転では?」 警察へは二人から電話が入っている、匿名と続いて信毎の記者からだという。どちらも飲酒と言ったから、自損事故なのにわざわざ再確認に来なければならないという。  「そういえば!?」と、妻が言った。私が病院に着いたとき、信濃毎日新聞の人がバタバタしてた。

 不正受給
 議場をコミュニティーセンターとして申請しても、コミュニティーセンターとして使用すれば何も問題がない。たとえ、そのような使い方を考えていても、議会に於いてそのことを議論するとは考えにくい。(当時の議事録を確認すれば分かること) な の に ?! 信毎の記者は怒り心頭で帰社し、直ぐに電話を入れ、事細かく聞いたかどうかは分からないが? 事細かく知っていたことになる。 不思議でしょう? 誰かとどこかで下打ち合わせをしていた! としか私は考えられないですが、みなさんはどうですか? 
 山内村長も議長もそして議会も、グレーゾーン程度とは思っていたかもしれないが、誰も補助金の不正受給になるとは考えてもいないでしょう!  『このことは補助金の不正受給には当たらない』 で、有るからしてコミュニティーセンターの名のままで継続することになったのである。  (公開質問状の花桃街道橋の架け替え不正受給は、時雄氏の不正を知っていて議会議決している。根本的に違う、議会の犯罪である)            平成28年7月5日

 テレビニュース・新聞の力
 テレビニュースや新聞記事は、全て事実の中でその事実が間違いなく報道される。社会もそのように受け止めている。
警察が介在されるニュースとなれば、それはまったく、“確かなこと” として受け入れられる。
 警察でも間違いはある。警察の間違いは往々として、仮説の中で生まれてしまう。しかし、それが間違いであれば修正される。 その間違いをそのままにしておくのが報道機関である。そこにはもはや 正義もなければ 真実もない。

 その日 父を見たのは小林先生だけ
 不思議な話である。事故現場に駆け付けた両叔父も、警察も、誰も父を見ていない。妻も、私も、眠っている父を見ただけ なのに、私自身もSBCニュースを見てそう思ってしまった。 妻が言った、新聞記者から「阿智教育長の家族ですか」と聞かれたと 
 その日のその不審な出来事が、明確になった日
 ずうっとわだかまっていた、いつかは聞かなければと思っていた。それは思いがけない時であった。
園原に水子地蔵がいきなり出来た、千躰地蔵だという。母方叔父はそれに反対していた。それはやっかみだったかも知れないが、阿智川の会長と熊谷時雄氏が信濃比叡の一環として進めていた。その工事で起きた落石事故で、その責任追及をした智里西開発組合総会の議長が母方叔父であり、その責任追及の結果、開発組合自体の存続が不要として解散されたのだが、その時、私の立場になった!として初めて二人が袂を分かった時である。
 こう聞いた、「おいさま、あの日の様子聞かせてもらえませんか?」『ああ、あの日は飲んでいてなあ息子に乗せていってもらったんだけど、お前の叔父にしか会っていないから何にも分からなかったよ』「そう、警察にも会っていなかったの?」『ああ、おらなんだぞ、居眠り運転だと言ってたな』「帰ってきて時雄に電話しなかった?酒を飲んでいたみたいだって言わなかった?」『電話したよ、12時過ぎてたしよく覚えていないよ』「・・・」『そういえば、朝早くに操から電話がきたよ』「操の電話は6時のSBCニュースの後?前?」『前さあ、5時ころだよ、何で知っているのか分からなかったが、いま考えると時雄が電話したんだなあ』                    平成28年7月7日

 墓穴を掘る
 コミュニティーセンターがコミュニティーセンターのまま進められることになった。設計事務所の選定から始める、“正規” なコンペ。何が正規か分からないが、兎に角始まった。 ちょうどそのころ、信濃毎日新聞の南信コーナー左上に、まさかの、“墓穴” 記事が載っていた。
 小さな村でも立派な議長! こんなような見出しだったかな? 熊谷操議長が歯の浮くような文面で紹介されていた。
何も知らなかった議長でも、時雄君や岡庭様に踊らされていたことに少し気づいたみたい。こうなれば、信毎の記者との仲直り、時雄君の音頭で握手して、これで目出度しめでたし♪♬ と、これからまだ章設計に間違ってもこの設計がいかないようにしなければ、そこまでは頼んだぞ!立派な議長様。                平成28年7月8日
 馬鹿な奴らであることか、三バカ大将ならいざ知らず、バカが四人も集まれば、一人は必ずこぼれることを

 コメント欄でおかしな事に気づいた方がおられました
 このサイトの全てを読んでいただいた方なら気づかれていたと思います。
さて、このおかしなコメントは、どなたの?どのコメント? でしょうか。     平成28年7月12日

 コメント欄にその方からの反論コメントがありました。
 投稿いただけるすべてのコメントを公開しております。その中で、あまりに現実感のない過去の出来事と、進行されている犯罪と思しき事、併せて、正しくなければならない行政に多くの疑問が生まれています。
そのような多くの矛盾を読んでいただいている多くの方が、何とかしたい!、他人ごとではない!、特に阿智村の人たちはこの事を知って立ち上がらなければ! と、思っていただけているのではないか。と、考えています。
 きっとそのような気持ちの中で、『なぜ?章設計のプライバシーが気になるのか?』の疑問であったと思います。本題から外れているようなコメントに感じられたのではないでしょうか。また、反論コメントにありましたように、現実感のない中での余りにひどい信濃毎日の報道、報道の自由を持っての人を陥れた行為、その事実を知った時の個々の中に生まれた闇の世界の恐ろしさ、一番正しくてはならない!とされている、行政・報道・法律 これが幻想に陥ってしまったのではないか、心の中にあるモラル感が社会に通用しないのでは?・・・のジレンマだと思います。              平成28年7月13日

 コメントにコメントが
 きづかない疑問と隠された疑惑 阿智村編のコーナーにその方からのコメントがもう一つありました。公開チェック漏れでしたすみません。

 コメントの多くに報道機関の姿勢が
 なので、リニア中央新幹線のコーナーに報道機関の報道の仕方、各社の違い、などを引き続き紹介していきます。

 岡庭一雄・熊谷操議長・熊谷時雄の執拗な攻撃
 阿智第三小学校改築
 父が教育長であるため最初から相談に乗っていただけであった。 ある日、飯田市松尾の宮下設計が事務所に訪ねてきた。「松下逸男先生から黒柳村長に話はつけている、当社と企業体を組んでほしい」 これもいきなりな話である。
はいはい、鈴木設計の伊藤さんは、「教育長さんの息子だから表ではまずい、当社が表で下請けで組んでくれ。その代り設計料は見合った額にするから」 まあ、これよりはいい話かな? なんて、私が思うはずがない。
 宮下さんには鈴木設計の話もして、「私は参加しません」と、低調にお断りをした。
 黒柳村長には聞いてはいたが  松下逸男の事
 伍和の産廃をごり押しで来る松下を、『そんなもの、村には必要ない』黒柳村長はキッパリと否定していた。あれこれ手を変え品を変えに辟易しているところに、またまた天の声!『阿智第三小学校、宮下設計を頼むよ!』
(宮下設計社長の親が開設した事務所、松下逸男と吉川建設のバックアップで大きくなったところ)平成28年7月17日

  阿智第三小学校改築工事
 宮下設計さんがまた来た。それも突然に! 今度はこう言った。「どうしても組んでほしい。私より周りの希望です。鈴木設計の動きは筒抜け、でもこのままでは鈴木設計に決まってしまう。」 ? どうして鈴木設計になるの?やる前から決まっているの? あることある(ない)事言い出した。その全ては伊藤さんの夜の営業についてだった。その時には宮下さんの夜の営業の事は知らなかった。続けてこうも言った。「渥美貞己議員から聞いたけど、鈴木の伊藤は南信土建の岡本社長を動かしている、あれは村長に対して力がある。だから章設計と組まなきゃ相手にならんぞ。と言われている」 あそうなの、渥美さんは原君を紹介してから阿智村の仕事は全て鈴木に決めていたけどね、どうして宮下さんを推薦するの?・・それは、・・口ごもった。  ここでまたまた嫌な匂いが  「分かりました。渥美さんを訪ねます。」 父の立場、少なくとも匂いの元は確認しなくては                       平成28年7月25日

 渥美貞己氏に会いに行った
 国道端のわかりやすいところにある。事務の娘の運転で国道に降ろしてもらった。(わかりやすいから目に付く)
待っていた! さすがは宮下さんだ。 来客専用でなく奥の部屋に通してくれた。
「熊谷教育長さんの息子さんだなあ、お父さんは清廉潔白な立派な教育長だ、だから信用がある。」いきなり持ち上げられた。(まあこれはお世辞ではなかったようで、父の再任の時、異例であったが議会で同じ言葉で推薦答弁をしたようだ。身の振り方に長けていたのかな。渋谷勲の政敵で黒柳村長も、『あれはいつか捕まるぞ』と父は聞いていたが)
 続いて本題を話し始めた。                          平成28年7月26日

 本題は思っていたとおり
 黒柳村長から聞いていたとおり、松下逸男県会議員の伍和産廃事業 阿智村窓口が渥美貞己議員だと自ら言った。
「松下がなあ、伍和の産廃をどうしても作らなきゃ!っていうんだよ。一番うるさい漁業組合は押さえた。まあ漁業組合長だから当然だがな。今までも県の予算をつけるには松下にかなりお世話になっているから黒柳さんも嫌とは言えないんだよ。それに松下が作るって言えば村民も文句を言える奴はいないしな。」 黙って聞いていた。
「共産党の小林がちいっと騒いでいるだけで、そんなものは目じゃない。東の保育所を作る時にな、松下が宮下設計を紹介してきたんだよ。だから村長に推薦したし、村長も宮下設計にしたんだ。」 そんなことは知っている。
「それから鈴木は顔を出さん、南進土建一本になったんだよ。」 金の切れ目が縁の切れ目でしょ。平成28年7月27日

 筋書きは読めた
 宮下設計さんに電話を入れた。「渥美さんに話を聞いてきました。協力しますが、うちは下請けでよいです。平面計画は当社にて行いますが、立面図と予定工事額設計書はお願いします。」
 こんな人たちに任せられない!というのが正直な気持ちだった。それに、父の立場を考えた。よそ事として放っておいた方が世間では落ち着く、だがしかし、こんな類の連中を黙って見過ごす方が父に申し訳ない。
 父に言われた。
「宮下設計と組んだ、と聞こえてきたが。」鈴木も宮下も組んでくれと言ってきたから・・・言い訳を言った。
「鈴木設計の伊藤さんが何度も営業で顔を出す。感じの良い人だけど。」・・・そう言えば、伊藤さんが来たときに、「お父さんはきれいな人だ。」と言っていたなあ・・・「どちらでもいいが下請けではだめだ、堂々と組め。村長は一番良いものしか選ばない人だ。良い案で頑張ればよい。」 父は父であった。           平成28年7月28日

 基本平面図はまとまった
 宮下設計の担当者は松田君、立面図をお願いしている。平面図が出来ないと進まないので迷惑をかけているが、心配しているのは工事費概算書、聞いたら社長の担当だという。
 その社長から電話が来た。ちょっと話があるのでと事務所まで来られた。どうも会社の中では話しづらいようだった。
「熊谷操議員に顔を出したい。」 え? そんなこと必要ないですよ。「いや、それも渥美さんから言われている。」
(そんな馬鹿な、渥美さんとは政敵、絶対にそんなことはない) そう、それであれば家は教えますよ。「いや、一緒に行ってもらわなければ。」私は行きませんよ。渥美さんに指示されたなら尚更です。「では、家の前までで良いですから。」・・・ん? 少し考えた。(これは夜の営業だ。なら、証拠を握ってやろう)       平成28年7月29日

 園原には関所がある
 その頃から言われていたようだ。私は勝間田建設の社長さんから聞いた。旭設計の葛岡さんといっしょに。
熊谷操議員のことである。勝間田さんは、自宅周りのヨウ壁工事のお金が踏み倒された!と憤慨していたが。
もう一人、高校の同級生、阿智工務店の社長。彼は上久堅から入り婿に。 南信土建の下原さんから、「あの人には持っていかないと、一緒に行こう」と言われていやいやながら行ったと聞いた。それを聞いた時、私は責めてしまった。彼は反省した、そして二度と行かないと、そんな彼はもういない。 そこに宮下設計さんが行くという。                          平成28年7月30日

 『 コミュニティーセンターの設計コンペ の始まり 』 は、気づかない疑問と隠された疑惑 阿智村編 に移動しました。引き続きご覧いただければと思います。

 熊谷操氏の自宅を訪ねた
 園原を訪れた方ならわかると思いますが、宮下設計さんとは月見堂(広拯院)の前の駐車場で待ち合わせた。そこで私の車に乗り換えて、そこから150m先の操宅に向かいました。
操氏には事前に電話を入れておきましたから予定より早く伺ってもどうという事はなかったようですが、ほんの少し、“違和感” が。 案内されたのは居間。
 勝手知ったる操氏の家、それはまだ私が小平さんにお世話になっている頃、25歳くらいであったか、「自宅を新築するので設計をしてほしい」と、操氏も渋谷勲の後継として議員に成れた!の思いは強く、また、処世術も。そして何より富士見台万岳荘での、腕枕、慕う操氏から設計してほしい!と言われたことのうれしさがあった。  平成28年8月2日

 宮下設計さんのあいさつの言葉  これに驚いた!!

 思いもよらない人
 「こんにちは、平野組合長から話があったと思いますが宮下設計です。」
「ああ、あんな強い人がついているんだから心配ないよ。」 
これにはおどろきました!! と同時に、パズルのようなもやもやしてきたものが解け出しているのを感じました。
 阿智村は若い村
 昭和31年、伍和・会地・智里の三か村合併 黒柳さんでたしか4代目かな。
合併当時から伍和と会地のしのぎ合い感覚、村長が代わり番こになるのもそんな感じ、伍和の原孝平村長から黒柳村長になったのもそんな かな、だけど、野心のある人はどこにでもいる。 平成28年8月3日

 両雄並び立たず
 だったかもしれないが、平野森林組合長は県林務課でも有名な組合長。県職から良い話は聞いたことはないし、剛腕強引な人で煙たがれていたことは間違いない。 その時代(天下り団体を相手にしていた時代)であればそれで良かったのだろう。 当時森林組合の理事と言えば村長レベルの人がその役を担うと感じていたが、一介の村会議員が理事になるということは、それだけで平野組合長との関係は推し量れる。
(それが80過ぎても森林組合理事を続けられる要因でしょう)
 宮下設計が平野森林組合長と親しいのは
これも松下逸男でしょう。宮下設計の先代が築き上げた人脈! あの頃の県会議員との癒着は当たり前だったみたい。
揺るぎないつながりであっても正しいことではない。だから、すべてを知り尽くしている黒柳村長は一線を画していたのだ。 そうであったから、一連の人脈では黒柳さんには太刀打ちできなかったから、『どうしても章設計が必要!』と、されたのです。                  平成28年8月4日

 それは二人の手法を思い起こせば分かる事
 黒柳さんは穏健派、誰の話も平等に聞く。毅然と穏やかに接するのは県に対しても職員に対しても同じこと。だから誰も敵にならない。そして何よりきれいな人。
 宮下設計の挨拶はそれだけ
 私の前で二人の関係を強調したかったのかも、後ろに松下逸男や、そして平野森林組合長までも付いている、だからイニシアチブは私だ! と強調したかったみたいである。

(平野森林組合長と宮下設計の関係は、飯伊森林組合となり双方とも人が代わった今でも続いている。宮下設計さんは森林組合員だったのだろうか? 私は今年度から飯伊森林組合の総代になった、園原財産区と横川財産区の代表総代。本谷財産区は本谷の人が総代、この事でも本谷と園原は別々の財産区と分かるはずだが?今もって分からない人たちがいる)                  平成28年8月5日

 忘れ物
 平野森林組合長と松下逸雄の話を5.6分は続けただろうか、「それではよろしくお願いします。」 ん?もう帰るのかな? 帰るようだ、何しに来たのか、と思うくらいでした。でも、失礼しますの挨拶をしたのだから帰ることなのだと帰りました。
 あ、ちょっと忘れ物を。
 車に乗って50mくらい下がったところで宮下さんが、「あ、ちょっと忘れ物しちゃった。」 え?何ですか?戻りましょうか?「いや、ここでいいです。鞄を・・」「ここで下してもらえれば、道は分かりますから。」と言うも間もなくドアを開けていた。                              平成28年8月6日

 30万×2
 忘れ物なんてしていない。バックミラーで見る後ろ姿で鞄はハッキリ見えていました。 「手土産は何にしたらよいかな?」と聞くので、私は案内するだけですから考えていませんが・・茶菓子でよいんでは
 持参したのは洋酒セット(かな)であった。そして、“その忘れ物” はのし袋! 洋酒セットと一緒に出せば分かってしまうと小細工してました。(そんなことは最初から分かっていました。だから証拠を掴むだけ)
 家に帰り5分ほど待って様子を見に月見堂の駐車場に行ってみた。 そこで新たな驚きに出会ってしまった。      平成28年8月7日

 ジャガー 🚙
 飯田の建築関係の人なら、ジャガー🚙と聞けばすぐに分かるでしょう。そうです、あの設計事務所の社長が乗っています。 そのジャガーが、月見堂の駐車場に駐車してあったのです。
 これはビックリするでしょう! 熊谷操氏の自宅は分かりやすい、誰にも聞かなくても来れたんですね。
ジャガーの社長さんが車を置いて歩いて上がっていけば、上から宮下設計さんが歩いて降りてくる。二人でどんな挨拶を交わしたのでしょうね。 これが当たり前の風景でした。 昼間でも夜の営業の話でした。    平成28年8月8日

 コンペの状況
 黒柳村長のやることはそつが無い。建設委員会だけでなく、学校・教育委員会での意見、庁舎内の意見、それを全て行ってから村長判断。庁舎内では岡庭一雄が、「この外観を見れば決まったようなもの!」と、鈴木設計の案を推薦している。高坂・水上の義理兄弟も鈴木。学校・教育委員会では三浦教育委員長が取りまとめ、「宮下・章の案は死角がない。子供たちを把握でき、また、普通教室を広く設けた中庭に面することで中央道からの騒音防止に優れている!」
これが決め手になったみたい。(優良学校表彰もここを評価されている)
 黒柳村長は即断した。
教育委員会で議会報告したその時に共産党の金田博充議員が、「教育長の息子がいる設計事務所に決めるとは不信が有る!最初から決めていたのではないか!」と、攻撃した。こんなことは無視されたが、同じ智里の石原富士夫議員が、「あんなことを平気で言うのが共産党だ、気にすることはない。」と言ったのに対し、熊谷操議員は原武平収入役に、「俺もそう思う」と告げたそうだ。 父は選定委員からは外れていたそうですが、議会での発言に責任を感じ、「章設計は下りろ。」と、私も、「ああそんなことは構わない、当社の案が採用されたことが一番だから。」 翌日に庁舎内で金田博充議員が岡庭一雄係長と話している席に出向き、「章設計は下りた。」と一言。金田博充議員は、「いや、そんなことは・・」と躊躇したようだ。 黒柳村長に、誤解を招いてしまい迷惑を掛けました。と、その旨を告げたら、「教育長、一番評価された案、一番良い案として私が決めたんだ。そんなチンピラ議員のいう事を気にする必要はない!」と言われたそうです。
 ここで気になる熊谷操議員、鈴木設計からも?なんだ。 30万×3なのか、30万×2+50なのか? 鈴木さんも白子さんも、投資先が見誤ったのかな ( ´艸`)(何人かにこれだけ投資すれば、回収も大変だろうなあ)
(共産党は受け取らなくても党員は個人感覚なんですよね、岡庭一雄さん。だからマークされるの!皆さん知っていたんですよ岡庭一雄さん)(鈴木設計の伊藤さんが内紛の中で追い出された後日、私は直接この話を聞いています)     平成28年8月9日

 ここからお知らせしてきました 阿智村議会議員がやるべきこと やらなくてはならないこと を書き始めます 

 平成28年4月20日、私は阿智村議会議員の皆様に公開質問状を提出しました。  まず最初に、なぜ阿智村議会にではなく阿智村議会議員の皆様 としたのか。 10年まえのも同じように、阿智村議会議員の皆様に公開質問状を提出しています。

 これには二つの理由があります。 ひとつは、岡庭村政に対して、またその取り巻き議員のお粗末さに嫌気がさしていた議員がいつの時代にも居たからです。その数人が、岡庭や議長の思惑にに左右されなく直接に返答されることを期待したからにほかありません。
 なのに、12年前はその回答を受けっとっては居ません。議会側は議員一人ひとり、返答をした議員の文書は送付しました。 ことになっており、水上宗光参事も、「質問状の返事はしたわけだ!」として強引に園原ビジターセンターの建設を進めています。
 今回は、誰ひとりその取り扱い自体も拒否し、あまつさえ、高坂議長は、『 対応する必要なし!』と、されています。
たしかに、質問状を取り扱わなくても自治法に違反するわけではありません。そんなことを私が言っているのではない! なんてことは、中学生でも分かるのではないでしょうか。
質問状の中身、その事が今回の目的のすべてであり、その内容を知った議員がその書かれていることをどのように判断するのか? 問われていること(議員がやらなければならない事)に気づくか気づかないか!?
 サイトを開いて公開質問状を見られる殆んどの方は、『これは不正である!これは犯罪に当たるのではないか!』と判断されています。そして、『なぜ、このような質問状が出されているのに議会は何もしないのだ?』と、疑問を持っています。                      平成28年8月10日

 10年前の公開質問状
                                         阿智村議会議員の皆様への公開質問状
 より良い阿智村を作るため皆様の日々の議会活動につきましては大変にご苦労さまであります。
 さて、村長に於いては平成15年から全村博物館構想を立て、様々な活動を行ってきています。その中で園原資料館建設工事を具現化され、2年前には付帯便所の建設に取りかかりましたことは議会側も承知してておるところと思います。
建設予定地が埋蔵文化区域ということで専門家による発掘調査が行われ、出土品・遺構等が発掘されたようでありますが、未だその報告書が住民に示されておりません。
園原に在籍する者にとり埋蔵文化の歴史の里が遺構として具現化された現実をみますと、その将来に大きな希望と、併せて歴史の証人としての重責を禁じ得ません。
 2月19日阿智村長宛てに要望書を提出させていただきました。(村長・議長に提出済み)それにともない2月27日に村長と話し合いをもっていただきましたところ、“議会では承知しており、公開にて議会判断を仰ぎたい” と申されました。要望内容に適したお答えとは思えず、苦慮考慮の上、議会側のみなさま方に次のような質問状を設定いたしました。どうか議員の皆様方のご判断ご回答を仰ぎたく宜しくお願いいたします。
 尚、この質問状は村長から、情報誌、村内TV、インターネット上での公開を希望されましたので、議員の皆様の回答もそのように公開をしていただきたくお願い申し上げます。
                      公開質問内容
1.要望書内容について議会側の判断
2.ビジターセンター建設事業と園原資料館報告書との関連性
3.経済活性化課長と議会産建委員長の地方自治法及び、地方公務員法の抵触
4.各質問内容は詳細質問をもっております、詳細質問にもお答えいただくようお願いします。

                               阿智村智里3643番地 熊谷章文

 一昨年、東山道NPO法人代表羽場氏が村長委託による園原資料館建設報告書を作成するにあたり、西地区・園原部落双方へ出むかれ「園原資料館建設報告書作成までの考え方」の説明を行っています。
その後、報告書は策定され村当局へ提出されたようでありますが、園原部落の人たちには報告書の説明や配布はされておりませんでした。(地区資料館建設準備委員会には、昨年の7月頃水上課長から配布されたようでありますが)
 昨年3月には、資料館から分離された便所が公衆便所として施工される話があり、急遽、地区資料館建設準備委員会に水上課長から設計図が出されました。建設業者入札前であるとのことで細部の説明はされませんでしたが、資料館への接続の仕方、資料館の便所であるとの位置付け等を話されました。(熊谷時雄議員同席)この時も報告書の掲示や説明はなく、報告書の一部と思われる2.3枚の資料館計画図面が掲示されております。その後、建設業者も決まり工事着工準備に入る中で、建設予定地が埋蔵文化保護区域内ということで発掘調査が行われております。半年あまりの発掘の結果、「遺構・出土品」として埋蔵文化が現実のものとされました。西公民館主催で貴重な文化遺跡の見学説明会なども開かれております。都度、発掘調査を行われた専門家の発言として、“貴重な文化遺構に建設をされてはならない!守って保存していくことが最良!”と、聞こえてきてもおりました。
 今年1月半ば園原部落会が行われたおり、水上課長が出席され“ビジターセンターを建設するためにプロポーザルを公募で行っている!建設場所は資料館建設予定地、遺構については記録で留める”との話がされました。部落としては寝耳に水!資料館はどうなったのか・公衆便所はどうするのか・ビジターセンターとはなんなのか?疑問を持たれた方が多数いました。地区建設委員会の事務局をしている人からも“先に建設委員会に話がないのはおかしいのでは!”との発言もあり、急遽対処しますとの事でした。又、“園原での要望事項はどの時点で取り組んでもらえるのか”の質問には“1月25日ころまでに設計業者が決まると思われるので対応できます”との返答でした。
そのおり、水上課長から1冊の報告書が部落会の中で回覧されています。ほとんどの人は目も通さず、初めて見た!とびっくりしていました。(羽場氏は新しく作成し、当日間に合うように30部、課長に届けた。と聞いておりますが)
 2月5日に部落会が行われた日にも水上課長が出席され、“設計業者が決まり、2月9日までに計画案が出来るようになっている”とのことでした。決定理由を質問した人に“独創的なアイデアが決定理由”と話されました。
羽場氏報告書の説明が部落になされていないから是非、羽場氏本人の報告説明を!と、お願いしたところ“昨年報告書を建設委員会に提出しているからその必要はなし”とのお答え。発掘調査の結果、遺構・出土品の取り扱いについても地元と話し合ってほしいと要望しましたが“教育委員会から記録で残すとの報告を受けている”でした。
 このような状態で、急遽、訳の分からない事業が進めれるのはなぜか?発掘された遺構・出土品調査報告書が提出されておらず、また、文化遺跡を地元や文化財の考え方も聞かないうちに課長が執行していくのはなぜなのか! 村長に遺跡保存要望書を提出する中で説明を求めたところ、“事業は決まっている、発掘調査報告書はできていないが園原はどこに建てても同じ事。課長の執行は村長責任であり、議長は今回の件を知っているので議会でそのジャッジをすればよいこと、思う存分におやりになれば”と言われました。

・東山道NPO法人羽場代表作成の園原資料館報告書を、羽場氏本人による説明を部落にさせなかったのはなぜか。(羽場氏からは「説明したかったけど、自分からは出来なかった。分かってほしい」と言われました。)
羽場氏の考え方を理解し、協力をしてきた当事者としてお聞きしたい。
・ビジターセンター建設事業は資料館報告書に基づいて計画されたと思われるが、園原資料館の報告書が提出されているのに、なぜ公募で新たに計画を求めたのか。
・公募プロポーザルで資料館報告書と同じプランが公衆便所を設計した章設計から提案されているが、なぜ他の提案に決めたのか。この時点で資料館報告書による施設ではなくなったと思うが、ビジターセンター建設はいつ、何をもって議会承認をされたのか。
・設計業者を決めるには他の方法もあると思われるが、なぜ公募プロポーザルにしたのか。(章設計外しのバッシングが役場内で公然と言われていた)水上課長は園原部落会で「遺構は記録で留める」と発言していますが、公募では『遺構を活用した提案』を求めている。その食い違いはなぜか。(遺構を活用した案は章設計だけである)
水上課長は1月9日火曜日公募の公募プロポーザルの仕方について、鈴木設計と役場内で事前に相談している。1月の園原部落会後、地区準備委員会を開いているが、その席で、「1社からは申し込みが有り、最終的には7社くらいにはなります」と発言しているが、その1社は鈴木設計ではないのか。(この話の時はまだ公募していない)
公募内容を聞きに行った他の設計業者に「参加してくれなければ困る」と発言しているが、その真意は。
・ビジターセンター公募案説明会は、参加事業者了解のもとビデオ撮影されています。鈴木設計に決まるまでの公開を求めます。
・プロポーザル公募要綱を見るとビジターセンター基本構想募集、提案は観光案内と喫茶スペース展示室になっている。
2月27日に村長に「資料館でなく観光案内所と営業施設ではないのか」とお聞きしたら、「営業施設である」と認め、「管理委託をすれば問題なし」と答えられた。営業施設委託管理であれば、その旨の進め方の話は議会にありましたでしょうか。地元には一度もその話はありませんでした。
・資料館建設候補地を選定するために、羽場代表は地質学者に依頼し現地を調査した結果『建設場所はふれあい館(門前や)の東側』と選定された。しかし、水上課長が「地主が難しくここでは駄目です」と言われたから次の候補地を仕方なく探した!と発言されたが、当該地の地主には何も話がなかった。
『ふれあい館東側土地は駄目だ!』と熊谷時雄議員が水上課長に進言したと聞いた。なぜ?駄目でなければいけなかったのか。
・発掘した候補地の地主が地区建設準備委員会の委員長だが、その経過で事前の話があったのではないか。
・資料館は文化財も含めた教育委員会の役割と考えるが、産建委員会が取り扱うのはなぜか。熊谷時雄議員が扱えるように資料館でなくビジターセンターとする必要があったのではないか。
熊谷時雄議員は産建委員長の立場でいつから関わっていたのか。ビジターセンタープロポーザル公募立案も水上課長と進めていたようだが、行政を一議員の裁量の中で進めることは越権していると思われるが。
・園原の資料館は数年前から村(村長)事業、全村博物館構想のなかで位置づけられてきていたが、園原の史跡文化の証明でもある今回の遺構を壊してまでも造るというビジターセンターは、全村博物館構想でその役割を果たしているのでしょうか。
全村博物館構想では『遺構そのものが資料館』ではないでしょうか。
 以上のような内容を持ってビジターセンターの建設の中止と、遺構保存を働きかけていきたいと考えています。
 併せて、水上宗光参事と熊谷時雄議員の関連について質問します。
・水上宗光参事と熊谷時雄議員が営利企業(ひるがみの森・他)で関連している関係を明らかにされたい。
・今回のビジターセンター建設事業執行者とビジターセンター建設事業議会側産建委員長の関連性で、地方自治法及び地方公務員法に抵触している上での村長説明と議会判断を仰ぎたい。
 地方自治法第6章 議会・組織・議員 第九十二条の二及び第四款 議会との関係。
 地方公務員法第6節 服務 第33条(信用失墜行為の禁止) 第34条(秘密を守る義務)第38条(営業企業等の従事制限) 他刑法

 10年前の公開質問状を読んで気づかれた方がおられるのではないでしょうか!
それは、今回の公開質問状の8番目、官製談合の指摘  官製談合と指摘している質問はないのでは? と思われたのではないでしょうか。
 具体的に、“ それを ” 指摘してはいません。それは、『 その指摘は私が行うことではない 』からであり、今回の質問もそうですが、質問していることの中に、『 不正や犯罪 』が有っても、それを私が指摘することではないからです。
 私はただ質問しているだけ! そしてその質問に、『 不正や犯罪と思しき事 』があれば、それは正しく議員の皆様が判断する事!そしてその査問を行う事! それが、『 議会議員の最低の務め!』 であるからです。平成28年8月12日

 市会議員でなくても
 『 何を言ってるんだ! 議員個人には調査権なんてないんだよ!』と、ほとんどの議員はこう言うでしょう。そして、調査権のない議員個人に対して質問状を提出しても我々はそれにこたえる必要はなし! とするでしょう。
 確かに議員個人に調査権はありません。でも、答える必要はなし!とした場合は、『 知ってしまった不正と犯罪と思しい事 』を見過ごす!事になってしまいます。それは議員としてできる事ではありません。同義的にもそう思うでしょうが、この事は法律で規定されています。その法律を知っている議員は、県会議員を含めて殆んどいらっしゃらないと思います。
 その無知なる所以(ゆえん)ゆえに議会が混乱してしまうこともありますが、その法律を持ち要らなくても対処して議員の職務を果たせる方法が有ります。               平成28年8月13日

 百条委員会
 舛添さんの前の猪瀬さんで取り沙汰されたから、聞いた方も知っている方も多いと思います。 地方自治で、首長や議員に疑惑や不正があった場合に設けられる地方自治法100条の規定を言います。
 私の公開質問状の全ては、不正と犯罪と思しき事を質問しています。それが例え、議会議員の皆様宛てであったとしても、阿智村の議員はその質問内容を確認する方法を取らなければなりません。 どなたか、良識と常識を持ち合わせた議員が、その百条委員会の設置を呼びかけ議会で採決すれば良いのです。 その事に、議長たる者は何ら意見を述べることは出来ません。万が一、それにあたる発言が有ったとしたら、それはもう議会制民主主義の破綻であり、議会の体をなさなくなった事と判断されます。
 仮に、百条委員会の設置に反対する議員が居たとするならば、それには村民が答えを出すべきでしょう。平成28年8月15日

 10年前の公開質問状
 この時は議会開催中でした。まあ、開催中だから提出したのですが。 みちくさコーナーで書いているが、この時の議長もお粗末でした。(まあ、歴代議長はこんな人ばかり) 議長には手順を踏んで質問内容を事前に説明してきましたが、議長裁量で判断出来ず、これもやむを得ずの行動でした。
(今回は高坂議長が共産党員で岡庭一雄と疎通している事は分かっていましたから、事務局へ直接提出しております)
 確か最後の議会開催日に合わせたと思います。副議長ともども議会事務局で朝8時に待っていてくれました。そして、『 議会で諮る!』と、ハッキリ返答してくれました。が、
(熊谷さん、公開質問状の取り扱いはどうしたらよいのか教えてください。と話されていた)      平成28年8月16日

 岡庭一雄のための阿智村議会
 阿智川の会長が、「岡庭は議会の中で自分に合わない議員は公然と恫喝している!そんな議会に質問状を出しても何の意味もないぞ!」との声が、顧問の口を通して聞こえてきた。
 そんな事は百も承知、私の目的は違うところにあった。
それは、『 発掘調査された “ 遺構 ” を守る事! そこで見つかった鏡は “ 三種の神器 ” ではないか、を証明する事! 』 でもこの事は、阿智村議会はもとより、文化財・教育委員会、そして智里西地区住民に至るまですべての人たちに 『 否定 』される事となっていく。          平成28年8月17日

 章設計がビジターセンターの設計を外された
 熊谷時雄議員と岡庭村長がそうさせた、彼等の作戦通り。そこには母方叔父も、そして水上宗光参事・佐々木幸仁参事・山口参事も、それだけではない、職員も、議員も、智里西地区民も、すべての関係者が、『章設計がビジターセンターの設計を外された』だから、文句を言っているだけ、ふざけたもんだ!
 顧問や身内でさえ、『そう取られるから何もやらない方が良い』
最初から四面楚歌であった。 誰も、何も分かっていない 園原の文化遺産・遺構がだめになるだけじゃない このまま進んでいけば大変な事になっていくということを                        平成28年8月18日

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 ここで10年前の質問状の内容を整理します。

1.要望内容について議会側の判断
 当初は、『園原資料館』として進められていた。その中で、便所棟を分離させ(羽場睦美氏の考え)『付帯便所』として設計業務を入札にかけた。談合をしない章設計が落札した。
 設計が完了して業者入札になった。原建設が落札した。 工事に入った。 土工事に取り掛かってすぐに、『 鏡 』が発見された。 文化財が騒いだ。(当然のこと) 建設予定地の発掘調査が行われた。(遺跡発掘専門教授) 数々の遺構が発掘された。 報告書が提出されたと同時に、教授・文化財も含めて遺構を保存することになった。
 水上宗光課長参事(執行権有り)から、「遺構を保存することに決まった!便所棟の工事も中止する。ついては便所棟の設計料だけは支払う」章設計は「遺構を保存することが大切、設計料は不要なのでその保存費用に充てていただきたい。」と返答する。                                平成28年8月19日

2.ビジターセンター建設事業と園原資料館報告書との関連性
 園原資料館は遺構を保存するとして中止されたのに、同じ場所に同じ内容の施設を工事名称を変えて建設する事への不信、それは単に熊谷時雄氏の章設計外しではないのか?
 遺構を保存するとした報告書が有り、章設計を含め原建設にまでその中止を知らしめているのに、『報告書は存在しない!文化財と教育委員会は何も見解はない!議会はビジターセンター建設を承知している!』とした村長発言に対しての議会議員の判断は?
 『遺構が保存出来るような提案を!』として公募しており、保存出来るような計画案を提出したのは章設計だけであるが、その案を否定し、鈴木設計の計画案が良しとした根拠を議会議員の皆様はどのように判断したのか。平成28年8月2日

3.経済活性化課長と議会産建委員長の地方自治法及び、地方公務員法の抵触
 経済活性化課長は水上宗光参事、議会産建委員長は熊谷時雄議員、二人は民間営業施設『ひるがみの森』の共同経営者であり、大株主の熊谷時雄氏はひるがみの森取締役専務理事、水上宗光参事は奥さんの名前で取締役となっている。
 阿智村は観光産業の目玉として昼神温泉へ多くの予算を投下してきているが、行政側で執行権を持っている水上参事と議会側で産建委員長として議決案件に影響を及ぼせる立場の議員が、ひるがみの森の共同経営者であることは、各法律に抵触しているのではないか?との質問。(これが新聞社で記事にできなかった一つ目の理由)    平成28年8月22日

4.各質問内容は詳細質問をもっております、詳細質問にもお答えいただくようお願いします。
 ここでは鈴木設計と事前に打ち合わせ、鈴木設計に決まるように熊谷時雄議員と水上宗光参事が画策してきたことを書いている。だが、それが官製談合となる事を議員はおろか、岡庭村長も誰も分かっていない。
 阿智村の鈴木設計の担当は伍和の原君、上原耕平を議員にと担いだ張本人。耕平が原君のために頑張るのは無理もないこと。(彼は頭が悪い、この件が官製談合になると説明しても理解できなく震えているだけだった)
 官製談合と理解できない人たちばかりだから、公開質問状を提出した私が困ってしまった。いわゆる、行く先が読めないのだ。(南信州、他の新聞社は当然それが理解できたから一切記事にしなかった)          平成28年8月23日

 何もいきなり公開質問状を提出したわけではない、それは順追って進めた
 仕組まれたビジターセンタープロポーザル案選定委員会で、鈴木設計に決定された!と、水上参事から連絡が有った時、「水上参事さん、これから伺いますけど居られますか?」と電話を入れている。水上参事は、「村長は居ないです。来てもらっても・・」 「いえいえ、参事さんが居られれば構いませんよ。」
 その時点でもう『園原資料館基本計画作成費用請求書』を作成していました。
役場の中で水上参事にその請求書を提出した。戸惑う水上参事に、「その支払いをお願いします。対応いただけなければ法的方法にて進めます。」                                    平成28年8月24日

 請求書提出は手段
 兎に角社会の常識と行政業務の正規な手続きによって進めなければならない。なぜなら、村長を始め議会もその正式なやり方から離脱しているからだ。(地方行政を知らないんだからどうしようもない)
議会が乗り出さなければならないよう、請求金額を議会承認が必要な300万以上とした。当然積算根拠はある。それに、一度は『要らない』と言った便所棟の設計料100万円を加えた。それも根拠はある、村が決めた『遺構を保存する!』が、破棄されたからだ。
 議長にも手を打った。
それは事前に議長に提出しました。議長の家を訪れ、岡庭村長の発言内容の確認書。          平成28年8月25日

 岡庭村長の発言内容
 請求書を提出した一番目の目的は、逃げまどっている岡庭村長と話すことであった。それは、『あの日の約束!』のこと。阿智川会長と熊谷操氏、それに福岡助役が未届け人として立ち会ったあの日の約束。
 岡庭一雄に面談を求めた。
役場に行っても居留守を使うほどの状態、仕方なしに自宅に電話を入れた土曜日のお昼。奥さんが出た、けげんそう
 請求書の件は存じていると思いますが、それは特に私が要求していることではない。話し合って解決の糸口を探らないと、このままいけば大変な事になっていく。
 岡庭村長は私が何を言いたいのかは分かっていた、当然であるが。
開口一番、「弁護士に会うな!と言われている。」 弁護士? 何をつまらんことをやっているんだ! 「そちらは請求書を一方的に出した業者、その上法的手段に出ると言っているじゃないか。」 請求書を出すことが私の目的じゃないってことを知っているじゃないか、園原資料館はお前が言い出したこと、それを時雄のいう事を聞いて、水上と一緒になって俺を外したんじゃないか!話し合わなければもっと多くの人を巻き込むことになるじゃないか!そんなことも分からんのか! 「分かった、もう一度弁護士に聞いてみる。」                      平成28年8月26日

 一村民として
 「なんと言おうと会うわけにはいかない。弁護士が、相手は業者だ、業者と会う必要がない。それも理不尽な請求書を出している業者だ、契約書も何もないのに支払う必要はない。」 そうまでして頑なに会わないとすることは、後ろめたさがある証拠。(岡庭一雄の次元の低さには呆れる)
 そんな事を言っているんじゃない!園原部落に何も話がないじゃないか!資料館を造ります!遺構が出たから中止します! それだけじゃないか! 発掘調査報告書も園原部落に見せるべきではないか、村民にも見せるべきではないか! それを聞きたいだけだ! 一村民として会ってくれ!と言ってるだけではないか!
 弁護士にもう一度聞いた。と電話がきた。「あくまで一村民としてだ、業者としての話は一切無しが条件だ。」 分かった。それでは出ていく。                    平成28年8月27日

 村長に会いに行った
 職員の目を気にしながら村長は後ろの応接に促した。 職員が同席した。岡庭?とか記憶がある。
村長の岡庭はふんぞり返って座っている。 岡庭がメモを取るようなしぐさを見せた。 おいお前! 何の真似だ! 何でお前がそこに居る! 岡庭はたじろいだ  村長岡庭が、「いい、そこに居れ。」 お前! お前がそこにいてこの話を記録するのなら、それなりの覚悟があるか。 少し凄んでやった。 もう眼が泳いでいる。
 岡庭村長から話し出した。
「何の用だな? 議長のとこへ何の話か知らんが行ったようじゃないか、ん!」 小笠原議長なんてこんなもの、議会側の小番頭になり果てている。会ったその日に岡庭村長にご注進しているのだ。
 (これでイニシアチブを取ったつもりなのかな?馬鹿な男、もう手の内を見せていることに気づかない)
続けて、「業者での話はしないぞ!あくまで一村民の話として聞くまでのこと、それはいいな。」

 遺構を保存すると決められて、園原資料館を中止にされた。なのに、同じ内容を持つ施設を、遺構を壊してまで建設する。ここにどのような根拠があるのですか?                           平成28年8月28日

 岡庭村長の対応と返答
 「そんなものは議会承認されているんだから何も問題ない。」
そんなことを聞いているんではありません。根拠を示してくださいと言っているんです! 専門の教授だかが発掘調査を700万もかけて行ったのですから、その調査報告書が提出されている分けでしょ、それを見せていただけませんか。
「そんなものは無い!」 無い分けないじゃないですか、園原でその調査報告書に基づいて現地見学会が開かれているじゃないですか。 「そんな物はお前に見せることじゃない。文化財がそれベシのやり方をしているんだ。」 それベシのやり方とは何ですか! 文化財の原孝雄さんに聞きますよ! (実はこの前に原委員長に手紙を書いている。『遺構を壊すとはどういうことか、調査報告書を掲示してください』と、しかし返事は何もない)       平成28年8月29日

9つのコーナーで展開していますので全てご覧いただければありがたいですが、特に、空模様のコーナーは直接的な原因の出来事を書き出しています。

 原孝雄文化財副委員長の名誉村民
 長く文化財委員長を務めており、園原の埋蔵文化・遺跡史跡にもかなりの熱意を持ってきた人です。岡庭一雄の暴挙を止められなかったため、私はこの人に好印象を持っていません。どころか、情けない人 と感じています。
 これほどの人が、まして700万もかけて遺構調査の指揮をとった人が、三種の神器といわれる鏡(そう考えていないお粗末さ)まで発掘された園原の遺構を『 壊す!』ことを了解するわけがない。 そこにはかなりの圧力と、三浦さんと原さんの確執にも似た感情を利用した岡庭一雄と熊谷時雄の思惑が存在していた。それに羽場睦美が加わり、完全に原孝雄副委員長を抑え込んだことは、私より文化財委員会、教育委員会が一番感じていることだと思います。
 岡庭一雄がとった、原孝雄名誉村民表彰 これが如何にもそのことを表しているように思えてなりません。平成28年8月30日

 岡庭村長の対応と返答その2
 「教育委員会で全部やってる! そんなことは問題じゃない、議会も承知してるんだしとやかく言われる事じゃない。
地元だって、羽場が説明してきているし園原の若い連中だってみんな了解してる。お前が一人文句を言ってるだけじゃないか、そんな個人のことを聞く必要がない。」
 議会や園原の若い連中が了解しているとか、羽場が説明したとか・・そもそも園原のことを何も知らない羽場が進めることではないのではないか。羽場の園原資料館報告書や計画書はどうなりましたか? 私は羽場の計画書通りの案で、それに遺構を保存できる計画図でプロポーザル提案をしたのですよ! 章設計の案だけでしょ!?全ての事をモーラしているのは! それを時雄が全面否定したんだから、何をしたか分かりますか? 羽場に村税で大金を払い作り上げさせた園原資料館の計画書! それを皆さん全員が反故にしたんですよ! そんなことが議会に通りますか? 村民はそんな事をしているとは知らないだけですよ!                              平成28年8月31日

 今度はソファの上で胡坐(あぐら)をかきだした。そして右手を背もたれに伸ばし、大きくふんぞり返った。

 好きなようにやれよ
 章設計を外すだけが目的で行われた茶番劇! そんなことは阿智川会長も熊谷操議員も、そして原建設の平沢社長だって知っている。
 あの日、福岡助役の仲介で四人で交わしたあの固い、『手の握り』は何だったのか? 『男と男の約束だ!』とまで言った、お前の言葉は何だ!嘘!ではないか!
 そう言われるのではないか? と思っていたと思う。 岡庭以外の三人だけが男の約束を守っていたのだから。
 ふんぞり返った岡庭が (共産党の弁護士が裏に付いているから強気)      平成28年9月1日

「何でもやれよ! 思う存分やればいいじゃないか! 訴訟でも何でも好きなようにやれよ!」   

 この言葉を聞いたとき、 ああ なんて情けない奴だ  これが阿智村の村長か・・
もう、何も話す気になれなかった・・ 黙って帰路についた
(私は相手を詰めるときは一人で行く、相手に迷惑をかけないようにの時は二人で行く 岡庭は岡庭を証人とした)    

 ここから始まった  ここから始めました
 翌朝、暗いうちに目が覚めた。 公開質問状を出そう! そう決めた
会社に来て作成してある質問状に目を通した。 
 岡庭は時雄のためにそうした。
岡庭は膀胱癌だか前立腺がんを患っている。数年後胸に小さな腫瘍が見つかったとして再入院していたとき見舞いに行った。 岡庭は、「時雄との関係をなあ、何とかしないとなあ・・」と言っていた。
 鶴巻荘で決めた園原資料館、のけ者にされた時雄はその恨みの矛先を私に向けてきていた。それは、『絶対に章設計にはやらせない!』 時雄に詰められればどうしようもない、それ程時雄との関係が強いのだ!     平成28年9月2日

 話では解決しないだろうと、その時すでに公開質問状は書き上げていた。 住民の権利の第一歩

 公開質問状の提出
 小笠原議長と増田副議長には事前に話を付けていた。扱い方も分からない正副議長に無理は言わなかった。それは、これからの流れが分っていたからである。
 指定したその日。
最終議会開催日、「明日朝8時に公開質問状を提出しますので、正副議長に連絡をお願いします。」と熊谷事務局長に電話を入れお願いしておいた。
 二人して緊張した面持ちで待っていてくれました。小笠原議長に質問状を手渡すと、「これはいつ見たら良いのか?どの様にやればよいのか?」なんて、副議長の顔を見ながら心細いお言葉・・・            平成28年9月3日

 それは議会終了後に行われた
 その時私は初めて議会を傍聴しました。事前にこのことを相談した人も居りました。南信州の若い記者は、私の顔を見ると出て行かれました。
 小笠原議長の顔は苦み走っていた。
傍聴席で正面に見る顔は議長の顔、まともに見えます。 時雄議員を始め、他の議員は私が傍聴席にいることに違和感を持ったような顔つきでした。
 しばらく我慢して聞いていたが。
なんともはや、こんな感じなんだ一般質問は? (私の見解ですので勝手な言い方ですが)智里東の共産党議員の一般質問 なんだこれは? 小学生でももっと話が出来るんではないの? そんな感じ           平成28年9月4日
 
 二人ばかしの後に公明党議員が立った
 正直聞いていられなかった、気持ちが悪くなった。(村内TVで放映されたから見た人もいると思います)
これは一般質問でない、岡庭村長の実績を例を上げ、「あの事業、これを考え実行した村長は大したもの!この事業、これも公害に当たるような内容なのに、それを全てまとめてあげたのは凄い!・・」 まあ、ざっとこんな感じ
 この公明党議員は。
聞いたところによると岡庭一雄の同級生だという、そういえば、発掘後の遺構を残すと林教育委員会事務局長(これも党員)が園原部落に上がってきたときに、彼も上がってきて同調していた。平成28年9月5日

 反吐が出そうになった
 まだそのたわ言が続くような 気が遠くなるような どんどんと濁っていく空気感 まるで先行きを表しているようだった 気持ちが悪くなった 廊下に出て思わず深呼吸した

 まるで岡庭一雄の演劇場
 議長正面左側に、『 村長 』の立札が有る。 そこで行われる議会は、岡庭一雄の舞台そのもであったであろう。
そして観覧者も、この公明党議員と同じように、その晴れ舞台を見入り、時には拍手喝采を浴びせていたことであろう。
 今日もその席に座って私を気にしている岡庭村長が居たが、議員連中もいつもと違う岡庭村長の様子にはさすがに気が付いたことであろう。                                                                平成28年9月6日

 このとき改めて決心しました。 『 私の次の行動 』               苦悩の始まり

 『 矛 盾 』
10年前、公務員の友は見抜いていた。「この質問状、これは新聞社では掲載できないよ」これは恐ろしい と言った。

あるところの役場職員である。 だが、阿智村の議員には解らなかった。 やはり資質なのか それとも岡庭に屈しているのか・・  突然死で亡くなった智里の職員も 事故で命を落とした熊谷哲も その要因を想像することはできた

 そこから数日苦しんだ  家族にはさとられないようにしてきたつもり・・・
心に決めつけ車に乗り込んだ 覚悟はしたがやはり心細い気があったのだとおもう 「どこに行くの?」子供が聞く
 北へ行こうと思う 飯田インターから高速で  変な頼みをつげた息子は息吹かんでいた     平成28年9月7日

 静かな空気の車内 「上郷の日産ディーラーお父さんが設計したの知ってるだろう、改装工事だったけど、それが松本日産本社で評価され駒ケ根の日産もやらせてもらえたんだ。」 自慢話をしながら、行き先をそれとなく北へ

「そしたらね、伊那の店舗も考えてくれとなって計画したんだけどね、まあ、伊那は設計したけど内装だけの改装になって、あの頃、車が売れないから無理もないけどなあ・・」「それもこれも、下農の先輩が飯田店長だったお陰なんだけどね、助けられてきたなあ色んな人に・・お父さん、こう見えても信用あるんだぞ・・」       平成28年9月8日

 相づちはあったかもしれないが
 うん、ここで降りてくれ・・料金所出たら左な それから・・ ・・      そこは 遠く離れた 正義の屋形

 ・・ちょっとここで待ち合わせしてるから・・一時間くらいはかかるかもしれない・が・・どこかへ行ってきても良いよ・・用事が済んだら電話入れるから・・・    ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・

・・・屋形から出て車を見た・・同じ場所に停まっている・・・時計を見た・・昼はとうに過ぎていた・・
・・なんだ、どっかに行って来なかったのか・・ 「うん、寝不足だったから寝てたよ。」   

・・お昼・・過ぎちゃったなあ・・何か食べに行くか・・「お父さん、美味いソースかつ丼の店知っているから行こうおごるから、そこ一番美味しいよ、いつも混んでるけどこの時間なら空いているかもしれない。」   平成28年9月9日

 わたしは私なりに 家族には気付かせないようにしてきたつもり
ソースカツ丼が好物の私がはじめて行く店だった   美味しかった  その日 初めて息子のまえで涙を見せた

 その時 息子はすべて分かっていた  だが
子供は純粋だ 「悪いことをした人が悪いんだから、警察は悪いことをした村長を捕まえればいいじゃん。なんでお父さんが・・」                                        平成28年9月10日

 その日の夕食 食卓を囲んでそう言われたとき  何も言えなかった  
「村長だって 時雄って人だって誰だって そんなことは当たり前じゃない そっちも捕まえてお父さんも捕まえるなら分かるけど 」 妻は「でも・・その人たちにも奥さんや 子供さんがいるでしょ・・お父さんがやってきた事は議会でも誰にも分かってもらえないし・・」  何も言えなくなった

 私は自分勝手なのか  残された解決はこのような方法しかないと決心したのだ が

そこからが大変となった                                      Next

 私は罪を犯しました
 官製談合  園原資料館の建設
水子地蔵設置を六地蔵に変更することの条件として 南信州新聞に掲載されることを私は止めるよう指示しました。
岡庭村長からの提案であっても その見返りと私自身が判断できていたにもかかわらず 私は園原資料館建設を受け入れました。 阿智川会長は原建設の会長も兼務しています 原建設が園原資料館の建設工事を請け負うことも承知していました。 園原部落に対して 事がうまく進むように熊谷操議員にお願いしました。
 私は このようなことは 犯罪に成るのではないか と 知っていました。          平成28年9月13日

 官製談合防止法  この法律は、あまりにも多い官製談合の予防措置として制定された。

 官製談合の構図
 執行権を持つ者(岡庭一雄)恩恵を受けるもの(章設計・原建設)見届け立会人(熊谷操議員・福岡助役)
ここには、熊谷時雄議員・水上宗光参事・鈴木設計は介在していない。

 私が考えていたこと
 岡庭一雄は個人としての犯罪となる(阿智村村長ではない) 熊谷操議員・福岡助役も共犯となる(これも個人)
章設計は会社がつぶれる(設計事務所は私だけ、測量事務所は名称を変えて継続できる)
 原建設、実はこれが一番の難問であった。                         平成28年9月15日

 ビジターセンターの設計は鈴木設計で滞りなく完了していた
 3月最終部落会、会計報告(私が監査員)のため役員と打ち合わせをしていた。そこに突然水上参事が現れた。図面を持っている、ビジターセンターの設計図だ。 まだ公開質問状の返事が来ていない。
 お前は何しに来た、今日は会計報告のある最後の部落会だ。無断で来るとは何事だ! 「部落長の許可を受けている、ビジターセンターの設計が出来たので説明に来た。」
 議会から公開質問状の返答がまだ来ていない。そこには建設を見直せ!と要望もしている。その返事が無いうちに設計が出来たからと説明するとは何事だ!
 その時点で部落のほとんどの人たちは集まっていた。
「議長が返答をした、返答を送付したと聞いている。公開質問状は何も議会が公開しなければならないもんじゃない、熊谷さんが自分でやることだ。」 送付した?何も送られて来てないよ。 「いや送られているわけだ、配達証明付きで送付したと議長から聞いている。」 何を言ってるんだ、配達証明付きで送付したなら受け取り証明が有るだろう、それを確認して言っているのか! 水上参事は返事に窮した。 (あまりにいい加減な事を言うので完全に切れてしまった)
 仮に議長がそう言ったからといって、どうしてお前が公開質問状に言及するのだ!そんな事が出来るかどうか、参事なのに分からんのか! 今日は会計報告のある最後の部落会だ、そんなものの説明を受けるための時間なんてない出て行ってくれ!                     平成28年9月16日

 部落長に確認した
 ほんの1時間前に電話が有ったという。(時雄氏が今日部落会だから行って話せと指示していた)
公開質問状を議会に提出し、議長副議長が事務局長同席のもとに、『議会で諮る』と受け取っていただいた。それが議会で取り扱いがされたかどうかも分からない状況であった。
 それを、『熊谷さんの公開質問状に議会で返答した。質問状の公開は議会では義務がない、熊谷さんが勝手にやることだ』と部落会の中で話された。
 部落会は混乱した。
それは水上参事と私の普通ではないやりとり。副部落長(孝志)が場を取り持つ、「章文さ、何が何だか分からない。もうみんな集まっているし、章文さから話をしてもらって水上さんにはその後で話を聞くという事で。」 確かに助け舟で有りました。                   平成28年9月17日

 議会に公開質問状を出した経過から
 話さなければならなかった。まだ何も話やまして郵送されたとの話も今ここで初めて聞いた。とのことも
こんな話し、部落の人たちにいきなり話しても分る筈はないが、一人だけ理解してくれた人がいました。
 その反対に、一人だけが声を出した。
例の公民館長(この時は無役)「議会に質問状を出すなんて何を考えているんだ。言いたい事があれば村長に堂々と言っていけばよいことじゃないか!そんなことで何で水上さんに帰れなんて言えるんだ。水上さん!いいで話してくれ、説明を聞くから。」                  平成28年9月18日

 水上参事のお粗末さ
 目の前しか見えてない、時雄氏に利用されている事すら分からない。 目の前も見えていないようだった。
どんな形であっても、仮に正当な方法でなかったとしても、議会に提出した質問状に関して理事者側が関与することはできない。たとえオフレコで有ったにしても、自身は執行権を持っている参事である。
 部落会の中で、その様な事を発言した。
生え抜きの職員としてあまりにも情けない、仮にも参事である。 これだけで訴える事が出来る、だからそうしました。
(行政業務に関してベテランであってもこのような事が通用する!と考えている。これが正しく思想団体の最たる判断、彼等の世界である。だから恐ろしい、園原の人たちに限らず、村がこう言っている、だからそれが正しいしそれで良い。と成ってしまっていた)              平成28年9月19日

 翌日の午前8時30分
 顧問(社長)を伴い役場に行きました。 用意した提訴文を読み上げるために
当然、岡庭村長に読み上げたうえに渡すつもりでした。 ですが不在でした。 最初に佐々木幸仁参事に突き付けました。 何も言いません、黙って見つめているだけです。 次に、山口総務課長兼参事にも同じように突き付けました。
何も言いません。 そして水上宗光参事、その横に岡庭係長が怪訝な顔して私を見上げる。
水上参事は座ったままでした。 そこで大きな声で提訴文を読み上げました。
 職員の殆どがその場面を注視しています。
何事が起ったのか? そんな感じでした。 水上参事の顔は見る見る青ざめ、私の顔を見上げている。 きびすを返しカウンターの外へ、そして職員の皆さんへ、『岡庭一雄と水上宗光は行政理事者の立場で不正を行いました。よって私はここに提訴します!あなたたちは岡庭村長の職員ではありません、阿智村の職員です。私は岡庭一雄・水上宗光の個人の不正を提訴します!』と、大声で言い放ちました。誰も私の目を見ようともしません。が、職員全員がしっかりと聞いていました。 社長の同行は、第三者としての証人です。                     平成28年9月20日

 私は提訴しようと考えていませんでした
 鈴木設計との官製談合はこれで成立しました。 彼等は官製談合と理解していない。 官製談合は刑事告訴
部落会でのことで水上参事を提訴するには、『 棄損 』 名誉棄損とか権利棄損 であり、民事訴訟 です。
 往々としてそういうもの。
悪い事をやるやからは、悪い事と知っていて行う、だから罪も大きいのだ。が、官製談合は一般的には、『悪い事、罪が重い』と判断されていない。場合によっては、『そういうものだ、悪い事ではない』と言う人もいるだろう、民間ではそれは営業の一つであり、社会的に通用しているからである。
 でも行政ではあり得ない事。
それが、熊谷時雄議員や岡庭一雄村長が分かっていない。それどころか、『章憎し』の時雄氏の感情で行政の理事者が自らその犯罪を犯してしまった。                               平成28年9月21日

 一番の難問 『原建設』
 章設計が、園原資料館の件で損害賠償請求をする事には意味がありました。 
園原資料館がビジターセンターへと名称変更しただけで有れば、そこには損害賠償請求は存在しません。 単純に、鈴木設計の案が良かったのだ! で終わりです。 と、なれば、章設計の官製談合は成立しないのです。
 水上参事が、全く違う施設としたことで。
水上宗光参事は、章設計排除の目的意識が強すぎて墓穴を掘ってしまったのです。 『資料館ではない!』
これを前面に出し、収蔵庫を平面計画から外し、単純に観光案内施設としました。この事が、章設計が計画した園原資料館とは別の施設として明確にされたのです。
 ですから、園原資料館の計画書が存在することを自ら認め、当社の請求に答えなければならない結果となり、当社はその計画の謀議(官製談合)を岡庭村長と実行した!と相成りました。 平成28年9月22日

 ここまででよかった ここまでにしておかなければならない
 ここでもう一度の認識をお願いします。
鶴巻荘で行われた謀議、ここでは岡庭一雄村長が(村長岡庭一雄ではない)園原資料館を建設すると公言し、設計は計画から章設計に依頼した。
章設計は、水子地蔵設置工事における落石事故の一件を新聞に掲載しないとの見返りでその依頼を引き受けた。
原建設の会長でもある阿智川の会長は、岡庭村長と同じように新聞への掲載中止を私に申し込んだ。それが実行された後、園原資料館の建築工事を請け負うよう岡庭村長から依頼された。
熊谷操議員は、その一部始終を同席し確認している。その上、門前やに園原資料館を併設せよとの岡庭村長の指示を受け了解している。                         平成28年9月23日

 ここまでであれば
 園原資料館の建設計画書までを実行したのは、岡庭一雄村長と章設計だけである。 原建設は工事受注もしていない。熊谷操議員は尚更関係ない。 園原資料館の計画図書だけが存在している。
 二人だけの犯罪です。
阿智川会長(原建設)も熊谷操議員も関係ない。 岡庭村長と私だけが捕まるだけだ。

 ビジターセンターの建設入札
 鈴木設計が設計しようが、熊谷時雄議員・水上宗光参事が鈴木設計と官製談合をしようが、園原資料館の計画図書には関与していない。
 しかし!
 阿智川の会長は、園原資料館が名称変更してビジターセンターに成った事は知っており、岡庭村長・熊谷時雄議員・水上宗光参事から、『名前を変えても、工事は原建設で』は約束事とされていた。        平成28年9月24日

 ビジターセンターの施工業者入札
 ビジターセンターの設計が鈴木設計で完了したと、設計内容はこれこれこうであります、何か問題があれば工事が始まっても対応します。と園原部落会で水上宗光参事が了解を得たという形が整えば、それはもう工事入札を行うという事。 そしてこの入札では、原建設が落札する事に成っている。
 原建設が落札すれば。
私は園原資料館の官製談合を告発しました、自らが行ったと。
だがしかし、原建設がビジターセンターの建設工事を落札してしまうと、阿智川の会長は園原資料館がビジターセンターに名称変更されている事を知っていて落札した事に成り、鶴巻荘での謀議に関与していた事が明らかとなって官製談合の共犯者として逮捕されてしまうのです。       平成28年9月25日

 それどころか
 阿智川の会長が逮捕されれば、原建設が潰れます

 『官製談合防止法』
 この法律をご存じな方は少ないでしょう。 
 あまりに多い官製談合を取り締まるためにできた法律です。 官製談合を行った業者は会社が潰れます。
会社を潰さないように摘発できないか?! と、考えられたのがこの法律です。
もうお分かりになったでしょう。 『告発を会社側からさせること』 告発者の保護が行えるよう整備された法律です。

 今回の場合、告発者を阿智川の会長 と決めていました。 官製談合防止法では告発者は一名一社だけの適用となると考えて然るべきでしょう。 ですから、私が自首したことは伏せて、『阿智川の会長に告発させる』と、したのです。                          平成28年9月26日

 もう一つの難しい問題
 阿智川・原建設の会長に限らず建設業界には、官製談合の認識が有りません。 官製談合?我々は談合などしていないよ! このレベルです。
官製談合 って何? この程度ですから犯罪との認識が薄いのです。 ですから業者間の談合と同じと錯覚してしまい、そんな事は設計事務所にとやかく言われる事は無い! と思ってしまうのです。
 ビジターセンターは落札しないでください。
原建設がビジターセンターを落札してしまうと、全てつながってしまいます。 そうなると、どんなに言い訳しても原建設が告発者とは成りえません。                               平成28年9月27日

 阿智川会長に電話を入れました
 会長・・今度の入札、ビジターセンターの入札だけど、とるんだよね? 「何のことだ?・・」
あのう・・とらない分けにはいかないですか。 「何を言っているんだ、そんな事はなあ・・前の続きだからやらなきゃしょうがないじゃないか。」 まあそういう風になっちゃうなあ・・そういっても園原資料館の附帯便所を契約着工したからとらざるを得ないと思うけど・・とらんように出来ないかな・・ 「そんな事はなあ、俺は関与していないから社長が判断しているよ。」
 その社長の事だけど。
附帯便所の入札前日岡庭村長のところへ行き、『予算が少ないからこれでは出来ん!』と言っているし、岡庭もそれじゃ困った分かった設計変更させるよ。と言って、私にその変更を指示したこと。 そんなことは出来ないと私が断ったから章設計を外した。この事は職員を始め建設業者だって知っているんだから、原建設が取ればその事が表に出るか分からないから心配しているんですよ。   平成28年9月29日

 談合なんかしてないよ
 「便所なんて中止になったんだから関係ないじゃないか。」 それが、関係してきちゃうんですよ! (これはいくら言ってもわかるはずがない、仕方ないので官製談合の話をしたが) 「談合なんかしない、原は出来る価格で頑張って入れるんだから・・」 いや、その談合じゃなくて・・(どう言っても分からない)
 あきらめてしまった。
仕方ない・・これ以上は説明しようがない。落とすだろう、原建設が落札してしまうだろう。
(この頃から議員の間でも、阿智川の会長と岡庭村長の関係があくど過ぎる!との話しが出ていました。いわゆる、皆さん知ってる既成事実、立派な官製談合)             平成28年9月30日

 原建設落札
 さあどうしよう・・・ もう一度、阿智川の会長と話すしかないだろう。 口頭では駄目だ、官製談合とはどういう犯罪なのか、鶴巻荘での謀議から始まり分るように文書にしなくては無理だろう。
 翌日電話を入れたが会長の足取りが掴めない、昼過ぎにやっと下條の温泉旅館(会長経営)にいる事が分った。
そこで待っているという、にべもなく出かけました。
 ゆっくりと無言で読んでくれました。 大まかには分ってくれました。が、なぜ犯罪に成るかは理解出来ないようでした。 そこでこう言われました。「何も悪いことはしていない、園原の、信濃比叡のためにやっていることだ。そのために500万寄付をしてある。村長に、『信濃比叡のために!』と言ってある。だからこの仕事はどうしてもやらなければしょうがない。」          平成28年10月2日

 またまた余分な話を聞かされた
 もうこれはどうしようもない。 会長、官製談合ってどういうことか分かりましたか? ・・・ そこではそれ以上の話しは出来なかった。
 帰りの車中で考えた。
・・官製談合の告発はもう出来ない、鶴巻荘の謀議園原資料館を止めても鈴木設計のビジターセンターは表に出ている・・
ビジターセンターが挙がったら、原建設は絶対に逃げられない。 その上業者間の談合まで明らかになってしまったら建設業界全体にまでその影響は及ぶかもしれない。
 岡庭・時雄・水上
この三人は何という事をしてしまったのだ。章設計憎し、章文憎しだけで、彼等は平気でこの様な事をするのか!
 共産党は恐ろしい!
今までわずかだが幻想は残っていた。が、今回のことで、『社会の敵』とハッキリ判断しました。平成28年10月3日

 どうしよう どうしたら良いか
 会長だけでなく関係者すべてに官製談合を分からせる必要がある。分からせた上で隠さなくてはならない。
まず議会だ! 議員の皆様に提出した公開質問状は官製談合と書き出していないが、官製談合そのものの背景を書いて三人の不正を指摘してある。 私が公開しなければそのままに成るだろうが、議会が、議員の一人でもそれに気づく人が居れば告発しないとも限らない。(そんな頭のある人は一人も居なかったが)
 小笠原議長に会わなければならない。
その翌日、副議長に連絡を取り議長を呼んでもらいました。午後二時くらいだったと思います。 それは副議長の家で、三人だけで話しました。                     平成28年10月4日

 何処まで分かってもらえたか
 この人たちに官製談合の事を話しても混乱するだけになってしまうのではないか。 そう思っていました。
ですから、そのような言葉は避けて、岡庭一雄氏が行ってきた事の一つ一つを具体的に説明し、議会がそれをどのように扱って承認してきたのかを問いただしました。
それに併せ、村長岡庭一雄としての不正行為・問題点、村長岡庭一雄と岡庭一雄村長との違いなどを説明し、岡庭氏個人の犯罪と思しきことも話しました。
 呆れてしまいました。
公開質問状では質問していませんが、岡庭一雄氏個人の過去の不正行為が有ります。その事は〇〇設計との贈収賄です。この事は、当時の課長クラスから上の方はみなさん知っています。万が一、そのような事が知れてしまったら、私は質問状を捜査機関に渡すか、告発しなければなりません。 平成28年10月5日

 責任逃れの言葉
 細かく話したつもりでしたが、それを受け止める度合いと理解する観点にすれ違いがありました。 二人は岡庭一雄氏が行ってきた事実や中身、その事の重大性を思慮するのではなく、その話しをどうやって避けようか?その事実からどのように逃げ出そうか?! の気持ちが強すぎました。
 二人の結論的な言葉。
「それは熊谷さんの方で、おやりに成ればよろしいんでは?」「警察に言ってもらって、悪い事をしたんなら警察が捕まえることなんだし?!」                     平成28年10月6日

 この言葉には切れましたねえ
 こんな言葉が出るとは想像もしていなかった。
(この人は何なんだろう? 議員? 阿智村の住民?) 呆然とした。私自身が混乱しました。
あなたたちは議員ではないですか!? 仮にも議長と副議長でしょ! それを何なんですか! 阿智村の村長ですよ!村長が・・  私が訴えればいい?!・・ 

 私が出した質問状 議長はその中身、書いてあること・・それが犯罪だと説明したじゃないですか! 議会じゃ扱えないことだと伝えたじゃないですか! だから議員宛てとしたんだと話したじゃないですか!     平成28年10月7日

 黙りこくってしまった
 私の話しが非日常的なのか はたまた意味不明なのか
確かに悪いことを知れば警察に言う事だろうが、(全く今回の質問状の議員対応と同じ)『そんな事、どうでもよい』のである。 だから『自分たちは村民の信認を受けた議員なのだ』なんて信念は持っていない。 それどころか、今まで如何に岡庭村長寄りで有ったか! の方が見え見えなのです。

 この人たちに話しても無駄だ
 『議長! 哲はどうして死んだのですか?!』 教えてください! 『議長! あなた達の対応が!あなたが哲を責めたことが・・哲の心の中に有ったのではないですか!』       平成28年10月8日

 父は 父典章は
 私の父は・・哲が死んだと聞いたとき・・最初の言葉、『哲を死なせてしまった』 こう言いました。
父のその言葉・・その意味・・あなたは分りますか!?・・父はそう言ったのですよ!!・・あなた達にその父の言った意味分りますかあ!!
 初めて人前で声をあげて泣きました。
なぜこんなに涙が出るのか・・何故こんなに悲しいのか・・分りませんでした

 議長・・小笠原さん 父の言葉・・いまやっと・ここで・・その意味が分りました 平成28年10月9日

 小笠原議長に限らず
 このような不正、犯罪と思しき事、今までに経験した事がないから戸惑ったのでしょうか? 議会議員は私が提出した公開質問状を調査してはいない。「岡庭村長が、『迷惑をかけて申し訳ない』と熊谷時雄議員を除く他の議員に陳謝した。」と、小笠原議長と副議長から話されただけである。
 岡庭村政時の議会は正しく言いなり議会であり、質問状の中身が不正だとか、犯罪に当たるのではないか?などと考えずに岡庭村長に合わせた解決を行う!とした姿勢が最初からあるだけでした。
 このような体たらくの議会であるから。
『不正・犯罪』を経験しなかったから戸惑ったのではなく、『不正や犯罪』と全く思っていない! のである。
それ故、『岡庭村長が陳謝した!』程度の事が、当時の議員にとっては見たこともない驚きであり、この事で当然私は納得するのでは!? と、思ったのであろう            平成28年10月10日

 正当な方法が通用しない
 『この事の恐ろしさ!』 行政も議会も、阿智村という地方公共団体では社会という形が存在していないのである。

 この様な事に直面したとき、一般の人たちはどう見るでしょう? そしてどう答えるのでしょう?

 殆どの人は関心が無く、それこそ風評の世界ではありませんか  関心がある人に至っては、それが権力よ! 何とかしたかったら村長に成るしかない! この様に言われる方が多いのではないでしょうか       平成28年10月11日

 官製談合は隠すしかない
 原建設が園原ビジターセンターを落札してしまった。 入札前に500万もの金額を信濃比叡のために、と限定して寄付をしている。 明らかな確信犯と成っているのではないか?
 公開質問状を公開しないようにしよう。
この時点で決めていました。『今回の質問状、無かった事にしよう』 報道機関もそこまでは記事にしていない。
 これで終わるのか?
これで終わらせよう そう考えたとき、『これで終わるのか?』と思いました。 私はこの件で自ら、『罪を犯しました』として正義の屋形に行っている。              平成28年10月12日

 もう二つの事
 証拠はすべて私が持っている。 議員のだれ一人、官製談合とは気づかない。 質問状が表に出なければ・・でも、岡庭村長には万が一の事を考え知らせねばならない・・でもどうやって・・

 岡庭村長の家に行こう
 役場に行って話す内容でないし、会ってくれ!と言っても二度と会わないだろう。 であれば家に行くしかない。
家に行っても話すことではないし、追い返されるだろう。            平成28年10月13日              

 そして手紙を書きました
 『官製談合の証拠』と『村を守ってください』 この二つを同封して向かいました。
たしか土曜日だったと思います。 車で木戸脇を飯田方面から向かっていくと、路地角の石積に孫を抱いて岡庭一雄が座っていました。
 近づいて行くにつれ、運転が私だと分かったようでした。 うつむいています、横を向いています。
車を止め、目の前で降りました。
 何ですか!?
孫の顔を見ているだけで視線を合わそうとはしません。 真ん前に立ったとき、「ああ・どうも・・」 おどおどし出しました。 黙って封書を差し出しました。 「なんですか・・」  平成28年10月14日

 それから五日後
 章設計に岡庭村長から電話が入りました。 顧問(当時社長)が電話を取ったところ、「岡庭だけど、熊谷章文さんはいるか?」 居りますよ代わりましょうか? 「いや、いい、そうじゃない あのなんだ・・仕事しているんだよな?普通か?」 はあ?普通?・・仕事してますがそれが何か? 「いや、いいんだ・・それじゃいいんだ・・」
 やはり・・こんな程度の男でした。
それが官製談合、それが犯罪だと理解出来ないらしい。 私がおかしいのではないか? 気がふれているのではないか? そこから始まった、いや、始めたようでした。 『章設計の熊谷章文は 気違いだ!』       平成28年10月15日

 もう一つの事
 官製談合は悪い事ではない! 行政や政治にとっては、そう取れるという事もあるかもしれないが、政治手法の一つでもある。 その様に簡単に考えておられる方が殆んどでした。
法治国家としてはどうでしょう。余りにも大きな金額であったり、告発があれば、それはもう法律でしか対処できません。 感情で何をどう考えても対応できる事ではありません。その上、直接関係のない社員や家族が被害を受ける事に成ります。 そうなった時、悪い事ではない! と力説されておられた方々はどうお思いになるのでしょうか?
 業者はそうなっても。
村長は個人が罰せられるだけです。村はつぶれません。 このこと不公平でしょう。普通、そう思われるのではないでしょうか。                           平成28年10月16日

 不公平でない事
 岡庭一雄氏に付きまとってきた噂、それは、『贈収賄』 さすがに村長に成ってからはそのような事一切なかったと思います。 それはもう、そのような、“ 生臭い ” 話しではなく、もう少しあか抜けたやり方が、“ 幾らでも ” 出来たからに他なりません。
 正義の味方は知っている。
官製談合を親告しなかったとしても、隠せることとして関係者に知らしめたにしても、はたしてそれで済むのでしょうか? 地方公共団体でのそのような悪事は、全て知られている! と考えて然るべきでしょう。   平成28年10月17日

 当事者に聞いてみた
 鈴木設計の前社長さんに会いました。
鈴木設計を辞めてから設計事務所を開設したと聞く、その傍ら他の事もやっているようだ。 そのほかの事をやっているお店に顔を出した。
 けげんそうな顔をした。
それも無理はない。この人のことは嫌いであったし、直接言いたいことを伝えて来ていたからだ。 設計事務所協会談合の取り仕切り役、嫌いでない方がおかしいということだ。     平成28年10月18日

 では後日に
 「ん、何だ、珍しいじゃないか。」 そうですね。 「なんだ?知ってて来たのか?」 ええ、少し話がしたいと思って。 「話し?なんだ、今忙しいから聞けないよ。」 いや、今でなくて良いんですが。 「まあちょっと待ってくれ。」 10分くらい店内をウロウロしてましたら、「なんの話だ。」と
 突然申し訳ないですね。
特に大した話しではないですが、社長を辞めたと聞きましたので、今までは鈴木設計の社長として対応してきたから嫌なことを言ってきましたが、そうでなくなったのであれば腹を割った話しが出来ると思い来てみました。平                               成28年10月20日

 家に行くか
 やり方が嫌な人、で人としては嫌な人ではない。(言い訳ですが) 
忙しそうなんで後日来ます。 「あ、待って、仕事を上げてから家に行く、家でも良いか?」ええ、構いません。「知っているよな?」知っていますよ。ついていきます。
 そして自宅に案内されました。
「何を聞きたいのよ、俺は話す事なんか何もないぞ、今まで俺の悪口を言ってやることに散々文句を言ってきたじゃないか!」 そうですね、あなたのやり方は常に批判してきました。談合をやっている人たちを良くは言えないでしょう。「いつもきれいごとを言うが、お前の言い分を聞いて調整してきたのは俺なんだ。」 そうなんですか、でももう、それをやらなくなって良かったじゃないですか。それより、いろいろ聞こえてきましたがどうして社長を辞めてしまったんですか?        平成28年10月21日

 堰を切ったように話し始めた
 全て今の社長O氏の策略だと言う。(以下、悪口は省く)
朝、いつものように出社したら社員が全員会議室にいて何事かと思った。 聞く間もなく、O氏が「株主総会を開催するので。」と言い席に付くよう促した。(従業員全員に株を持たせているとのこと)
 緊急動議。
『 I代表取締役の解任議案を提出します』といきなり始められた。『異議のある者は反対意見を・・無いようでありますので、議案採決を行います』 I氏以外全員の挙手により採決された。
「認めない!Oの独断によるこの様な強行採決は俺は認めない!」と席を立った。と話された。平成28年10月22日

 伏線
 どうしていきなりそうなったのですか?  「それは国税局だ!」
「社長として協力したが大変だった。会社はともかくも、一番調べられたのがOだ。 W商社からの金の流れが調査され、Oは1,000万近い追徴課税をされたようだ。 会社に入った国税局が、なんで個人にそんな追徴課税をしたのかは分らんが、その恨みが私に向ったんだ。」
 そんなことで解任は出来ないでしょう。
実は解任したとの話し、鈴木設計の会長Nさんから直接聞きました。 理由は話されなかったですが、全員一致で解任した。と、退職金を用意したが受け取らないって言ってましたがねえ。平成28年10月24日

 退職金どころか他の金も置いてきた
 辞めた人なんだから何でも話します。
「私はOと違い個人の私腹は肥やさない。そういう金はすべて営業のためにつくり出してきた。辞めた時、その金500万は机の上に置いてきた。あとはどうしたか知らんが、きっとOたちが山分したと思うよ。」
 ほんとに何でも話しました。
ですから意地悪く質問しましたよ。 ああ、そうやって営業してきたんですか、民間営業でそのようなお金は不要だからやはりね、町村営業で必要なお金だったんですね。
 そう言ったら、「・・う・・」 (たたみ掛けてやりました) 噂はかねがね聞こえておりましたが、宮下設計の宮下さんも名指しでIさんの事、刑事が聞きに来た!とまで言ってましたよ。 「それは宮下がやった事で・・」え、宮下がやった事?何をですか?宮下が刑事に密告したというのですか? 「いや、そうは言ってない。」                          平成28年10月26日

 では何ですか
 良いじゃないですか、辞めさせられたんだから何でも話して、それこそ、『爆弾発言』をしたらどうですか? 阿智村への夜の営業、全て知っていますよ。この際だから全部告発したらどうでしょう。 「阿智はH君が伍和出身だからH君がやってることだ。」 そうじゃないでしょう、H君が渥美議員の紹介で鈴木設計に入る時からの話しですよ。
そこからでしょう!? 夜の営業を始めたのは、そんな事、当時の三役から以降皆さん知っていますよ。H君はただの顔見知り営業しか出来ないし、そんな垢抜けた事やれるはずないでしょう。
 汚れ役。
あなたはそんな汚れ役を一手にやって来た。その陰でOさんは着々と私腹を肥やしてきた。そこで国税局に摘発されたからとあなたを社長から解任した。 そんなおぞましい話しなんだから、今さらきれいごとを言ってみたって始まらないでしょう。                    平成28年10月27日

 そんな度胸はこの人に無い
 宮下設計の話しも本当の事でしょう、私も目の当たりにしましたから。 鈴木・桂・宮下・白子、そのうち桂さんだけじゃないですか?そういうことをやらないのは。 なぜそんな事をしてきたのですか、鈴木さんと言えば飯田では大手、潰れかけていたのを再建したのは殆どあなたの営業でしょう。 それが、夜の営業で未だ続けていた。その証拠が500万だ!・・・刑事が来た・あそこがやっている・いやうちじゃない・・ 何てことで言い合っているんですか
 警察は知っていますよ!
社長を辞めさせられた!首になった!彼奴のような汚い奴はいない! なんて言ってるより、警察に言えばよいじゃないですか、『私は夜の営業をしました、それもこれも会社の為でした』と、警察はみんな知っていますよ、自首すれば罪に問われないかもしれませんよ!         平成28年10月28日

 国税局に入られたことも
 なぜ国税局に入られたのか? を考えないと。 飯田税務署でなく国税局が設計事務所に入る話しはあまり聞かない。 その辺、あなたには分っておらるんじゃないですか? 『個人口座を調べられた』 というのであればそこを確認する必要が有ったという事。『自分は何も無かった、Oは不審な金が有ったんだ!』 それらの話しは個人の事のように言われるがそうではないでしょう。
 ある大手の企業から鈴木設計に大きな金額が流れている! その金の、“使われ方” その流れが一番の問題なんでは?? 『その金の一部がOさんの個人口座に入っていた。Oさんとその企業が出資してサッシ加工販売会社を設立していた。その会社の製品を設計図に指定していないか。』 そう言うことではないですか?     平成28年10月30日

 それは一部であって
 Oさんへの金の流れは鈴木設計に流れている金の一部であって、その他の金の流れが問題なのではないですか? 数十年続けて来てあまりにも高額になっていたのではないですか?
 そのようなお金が何に使われているのか?
ある村の理事者にその一部が渡っていた! それで受注したと思われる設計物件が有る。 なんてことに成れば、それは贈収賄になりますよ。 贈収賄ならIさんとその理事者だけが捕まること。
 そんなことはしていない。
それはそうでしょう。やったとなれば踏んだり蹴ったりの話しですよね、鈴木設計はビクともしないんだから。
でも、官製談合となれば話しは違ってきますよ。                平成28年10月31日

 この人も官製談合がわからない
 どっぷりとつかり過ぎてしまっていた。この人にとっては、贈収賄も官製談合も同じ事なんだろう。 首になって悔しいけれど、警察には捕まりたくない。
 まあ、ある面正常なのかもしれない。悪い事と知りながら、会社の為と思えば許される との葛藤でしょうね。 民間ならこの程度で仕方ないですが、行政では絶対に考えられない事である。
 これでは持たない。
仮に調べられたとすれば、“この人は何でも話しちゃうだろうな” そう思いました。平成28年11月1日

 官製談合と贈収賄
・官製談合(園原資料館) : 岡庭村長・熊谷操議員・原建設・章設計
・官製談合(ビジターセンター): 岡庭一雄・水上宗光・熊谷時雄議員・鈴木設計・・・原建設
・贈収賄(?) : 岡庭一雄・鈴木設計社長I氏
 当時の私にはこの様に考えられました。
園原資料館の官製談合は、防止法において岡庭村長と章設計だけの犯罪として立証できる。
ビジターセンターの官製談合には原建設の直接関与はないが、鶴巻荘の謀議と500万の寄付でつながってしまう。
贈収賄で万が一の事があれば知っている人たちは当然と思うかもしれないが、私は関与出来ない。平成28年11月3日

 どうしたらよいか
 原建設がビジターセンターを落札したがために、動きが取れなくなりました。 何をどう考えても、一つの事で全てが露呈してしまう。
 私が黙っていれば済むのだろうか。
何も無かったことと成るのだろうか? たしかに、官製談合については何とかなるかもしれない。 でもどうなんだろう。 贈収賄は、“人の口” 捜査機関はそんなことでは推し測れない。
 贈収賄で有れば、たった二人のこと。
でもこれは私にとって正当な事ではない。これまでの章設計の行動を知っている住民は密告の風評となるだろうが、私はそんなものを気にしない。 一番気にするのは元鈴木設計のIさんだ。平成28年11月6日

 踏んだり蹴ったり
 まさしくその心境となるだろう。“会社のため” そう思っていたからこそ危ない橋もわたってきた。裏金つくりも当たり前のこととしての感覚だったのだろう。 それは確かに懐にも入れていたことだろう。
 でも、Oほど悪徳はないつもりだった。
追及する私にこう言いました。「そのような金は会社の飲み会とか旅行に使ってきた。なのにあいつは自分の口座に入れてきた、それも桁違いの金だ。口座の金なんてほんの一部、家を建てたり、W〇〇〇とサッシの会社を作ったり、潰れたけどな、それだって穴ふきはW。それがバレたからと俺を追い出しにかかった。みんな知らないけど、あんな恐ろしい奴はいない、悪徳な奴はおらんよ。」 平成28年11月8日

 でもそれで社長解任とはならないでしょう
 Oさんが、あなたが嫌いだからと言って解任動議なんてできないでしょう。社員株主全員が納得せざるを得ない、動議が出されたんじゃないですか?
 口を濁す。
私が思うのには、W〇〇〇商社に入った国税局がなぜ鈴木設計まで波及したのか? という点です。 確かに流れている金額が多いこともあるでしょう。でもそれだけではないと思います。
Iさんは、W商社からOさんへのリベート金を強調するが、それは申告漏れとして始末書と追徴課税されるだけのこと、飯田税務署の範囲でも十分ではないか。             平成28年11月10日

 Iさんは裁判に掛けると
 解任された当時、Iさんは「不当な解任だ!裁判をする」と言っていました。それが、私が会った時点では何も言わなかった。ただO氏の事を聞かせるだけ。
 Iさんは、「500万を社長机の中に置いてきた。」と繰り返し言っていた。 ここで疑問を持つ?
Iさんは、500万をとても気にしている? これはなぜなのか? その500万の事を国税局が知らぬはずがない。いや、もっと多くの、“過去の裏金”が有ったからこそ国税局が入ったのではないか?
 これは想像だが。
社長解任動議は、Iさんが行ってきた夜の営業、その事での会社存続が危惧されたのではないか。 こう考えるとつじつまが有ってくる。                       平成28年11月12日

 本来なら
 O氏はW〇〇〇から長年にわたり高額なお金を受け取っていた。それが国税局において明らかとされ、追徴課税を支払うことになった。
 ここで考えられること。
追徴課税の支払いは、O氏でなく鈴木設計ということです。 O氏がどのような不正の受け取りをしていても、それは鈴木設計の業務において発生している金額です。ですから、O氏はまず相当額を鈴木設計に戻さなくてはならない。
戻したうえで、鈴木設計が申告漏れとして再申請し追徴課税を支払うのです。
 O氏が辞めなければならない?
O氏は、会社に対して背任と横領の罪が発生します。 長年続けていたこともあり、通常の会社では刑事告訴をした上で懲戒解雇となるのではないでしょうか。             平成28年11月14日

 O氏がやったことは会社内部の問題
 O氏の事は他の役員が不問としているのですから、それほどの“力”があったのでしょう。 でも、I氏に対してはO氏の緊急動議の提案において解雇となっています。 解雇されたI氏も最終的に受け入れている。
 I氏がやって来たことは会社内部の問題ではない。
その残っている裏金500万円が示す通り、また、いろいろな噂が聞こえてきたような、『法律に抵触』するような事が懸念されたのではないでしょうか。
 法律に抵触するような事が露呈したとしても。
それを行ったのは社長であるI氏です。 鈴木設計は社会的信用に影響が出たにしても、会社の存続には関係ありません。(この騒動は市町村に聞こえていきました。が、そこに敏感に反応したのはO氏在所の松川町役場です。ちょうどその頃、生田の地域事業の設計コンペが開催されています。指名されなかった鈴木設計は、地元のR設計の裏ジョイントとなり、そのR設計の案が当選しています)平成28年12月16日

 踏んだり蹴ったり に戻ります
 社長の解任、裏金と夜の営業の責任も取らされ・・そのような状況であれば、“仕返し” をしてやろうと思っても、すべてが自身に返ってきてしまう。 そこに官製談合の話しをして、それはI氏個人でなく会社が行った犯罪となるんだよ! と、言ってみても所詮は詮無き事
 私も打つ手は無くなった。
官製談合云々ではない。I氏の夜の営業が露呈したとなれば、それはもはや阿智村の範囲ではなくなる かもしれない。それに、その責を負うのは鈴木設計ではなく I氏個人だ! 首になって 犯罪者になってしまったら それはもはや踏んだり蹴ったりどころではなく、人生が終わってしまうだろう。                平成28年11月18日

 私の行動が正しくないのか  私の行動は普通じゃないのか  私の行動に間違いが有るのか

 私自身が追いつめられてしまった
 悩みに悩んだ 答が出ない  だが確信している 阿智村の行政と議会がおかしいのだ  これは社会ではない 彼等の世界に巻き込まれているだけだ

 信じるものと信じられるもの
 正しいことをやる信念と、子供が見ているとの気持ちでありました。 『裁判に掛ける』 そう決心しました。                                  平成28年11月20日

 自問自答
 裁判なんて聞けばそれだけでびっくりする。 裁判なんて初めての事、何も経験は有りません。『訴える!』なんて事とは無縁であると思っていましたから。
 周りもそうでした。
社長も社員も、そして身内も、みんなそうでした。 ・・裁判なんてするべき事ではない・・阿智村を訴えたって相手は行政 絶対に勝てっこない・・会社には不利益になる・・世間は阿智村が正しいとする・・傷つくのは自分だけだ
 それは当たり前の事。
社長も社員も、そして身内も、みんな心配してくれる・・・自分に問いかけた  正しいことなのかと  平成28年11月22日

 正しいと思う事
 贈収賄は誰の目にも分り、風評として飛び回るでしょう。 設計業務に於いて不利益を被った会社も多くあったでしょう。私も幾度か目の当たりにしてきました。
 それだけでは何も解決されることがない出来事です。
逮捕され起訴されるのは村長であっても、“個人”です。社長であっても社長を辞めたにしても、“個人”、必要最小限の影響で済みます。 ・・それは良いことなのか 正しいことなのか・・
 そこに隠されている事。
ですが、その様な犯罪で踏んだり蹴ったりのI氏がそうなったとしたら・・幾らなんでも
個人的にはすでに同情する気持ちとなっていました。 それに、そこで解決されるのは最小限のこと、『隠されているおぞましい犯罪は何も解決されることはない』
 I氏を守る?!
正直そこまで考えていませんでした。 結果的にその様になったというべきことかもしれません。 平成28年11月24日

 誰も捕まらないようにしよう
 誰も捕まえさせないようにするにはどうしたら良いか・・

 官製談合と分らしめなければ
 官製談合という犯罪を行った! と認識させる。その上で告発も有るものとせねば成らない。 その様に彼等に分らせれば、今後このような不正は行わなくなるだろう。
 鈴木設計だけが気付いていない。
彼等は分っただろう。かりに分らなくても、裁判の中で理解していくだろう。 後は鈴木設計だけである。これは深く考えませんでした。犯罪であるとした内容を書き留めO社長に届けただけです。         平成28年11月26日

 戦々恐々
 静かになりました・・・
議長も副議長も、「あいつはもう終わっている」(これもどうかと思いますが) その終わっている岡庭村長も水上参事も、そして一番静かになったのは熊谷時雄でした。
 顧問弁護士に聞いたのでしょう。
『官製談合になるのか?それはどういう犯罪なのか?』と・・・ 初めてその犯罪が分かったと思います。
そこで章設計は動いている・・もう警察も動いているかもしれない・・  
 捕まるかもしれない 三人が三人とも その様に感じ 怯えていたと思います  平成28年11月28日    

 どのように逃れるか
 彼等が一番心配する事、それは警察に捕まること。 章設計の官製談合が不成立に成っていることなど気づくはずも有りません。ですから脅しが効くのでは!と考えたのです。
 告発するかもしれないぞ!
そう思わせるのを続ければ、彼等は少しでも不正をなくすかもしれない。不正や犯罪と成らないよう是正出来るかもしれない。そう考えました。
 それでも、どうしても許せない事が有りました。 それは、保存するとされた園原の遺構を壊してしまったことに併せ、『捕まっても良い』と言った岡庭一雄の一言です。      平成28年11月30日

 岡庭一雄は村長をやれる人間ではない
 その一言はきっかけです、その一言が私に一歩を踏み出させました。
官製談合でも贈収賄でも、岡庭一雄なら当たり前の感覚、時雄と同じで罪の意識は全くない。 そこに有る面巻き込まれているのが、鈴木設計のI元社長と水上宗光です。彼等二人には直接的な利害は有りませんからね。
 損害賠償請求の民事訴訟を起こすと決める!
結論はこれしか有りませんでした。これであれば官製談合や贈収賄が表に出ることは有りません。岡庭一雄と対峙することが出来、村長としての不適格を突きつけることが出来ます。 熊谷時雄を表に引きずり出すことは出来ませんが、I氏や水上にも直接的な影響は無いでしょう。      平成28年12月2日

 相当な覚悟を持たなければならない
 裁判と聞くだけでどなたもたじろぐのではないでしょうか。それも阿智村を相手取ってですから、どの様な聞こえ方をしたにしても、『なんて奴だ!村を訴えるなんて』『設計をもらえなかった腹いせだ!』少し事情を知っていても、『村を訴えたって勝てっこない!』『権力に立ち向かっても無理だよ』
 共産党員や岡庭一雄・熊谷時雄の取り巻き。
『あんな立派な村長を訴えるなんて!』『負けるに決まってる!』『あいつは自分のことばかし考えている!』
これらの声は地元からでしたが、何も気になりませんでした。
 家族が支えてくれる。
これが支え、これだけが支えでした。 それでも、勝てない裁判、勝とうとしないのに裁判を掛ける この事の理解は無理でした。ですから、『勝てるように』と願ってくれました。    平成28年12月4日

 民事裁判と決めたもう一つの理由
 一番の理由は、官製談合の恐ろしさや贈収賄で捕まらないようにとの事ですが、実は、いつかは官製談合で刑事告訴もあり得るのではないか!?と考えていました。
 時効という壁が有る。
このような犯罪は三年経てば時効となります。鈴木設計や原建設は三年経てば時効を迎えます。
 岡庭一雄・熊谷時雄・水上宗光はどうでしょうか?!
彼等は特別公務員と公務員です。 彼等の時効は、その職から離れて丸三年が必要です。
 いつかは訴えるかも知れない。
そう考えたとき、民事裁判を掛けることにより、『官製談合を行ったという事実認定』が間接的に出来るのではないか!? と、そしてそれは、民事裁判を進める中の調停という場において交渉条件にも成り得るのではないか!? とも思いました。                     平成28年12月6日

 彼等三人は時効についてどう考えたのか
 顧問弁護士から話されても、この時点では時効についてまでは考えが及ばなかったと思います。一番の恐怖は当然のごとく、『警察に捕まるかもしれない』
 顧問弁護士ですから。
官製談合は彼等個人の犯罪となりますから、顧問弁護士がそれに当たる事は出来ない。それでも民事裁判を掛けられる根底の事であるから当然違法としつつも話しあっている。(今聞けば、当然その様な事はないと言うでしょう)
 出方を待つしかない。
これが本音だったでしょう。民事か刑事提訴か、はたまた両方も有るものとしなければ 平成28年12月9日

 裁判所へ出向く
 初めてのことです、何からどう進めて良いか分りません。兎に角出向いてみよう、そして聞いてみよう。
2階に有る窓口は中に入ってのカウンター受付でした。 二人ほどが居ました。一人は廊下側で腰掛けており、順番を待っているのかな? もう一人はカウンター越しで何か話しています。
 聞き耳を立てながら、どのようにしたらよいか探ってみましたら、どうも書面にて概略を書き込み進めるようです。 目的に合わせた用紙を選択し、書き込んでみました。
 若い担当者に当たる。
他の人は少し年輩の人が対応していました。 ああ、この人が終わってから受け付けてもらおうと思い、待っていましたら若い方が気を利かせたように声をかけてくれました。 (こういう事は年輩の方が良い気がしていますので、少しね・・)                      平成28年12月11日

 やはり若い方は若い
 書き込んだ書類に目を通し、いくつか不備を指摘してくれました。そして、「これからの進め方はどうしますか?」
そう聞かれれば当然、「最終的にはこう考えています。」と言うより他にない。
 これから先は。
「専門にお願いしている方はおられますか?」と聞かれ、いやそう考えていません。と答えれば、「これから先は大変難しいことが多いので専門的な方、弁護士をお願いした方が良いと思います。」と指導されました。
 目的が違う。
そうは言えないので、「まだ、そこまでは考えていません。取りあえず前に進めるにはどうしたらよいですか?」と問えば、「では、このようにこの書面に書き込んで提出してください。この書面は裁判官に回りますので専門的な方にお願いした方がよいのでは?」と念を押されました。   平成28年12月13日

 訴状の提出
 若い方に弁護士に依頼する方がよろしいと言われると、そこは少し違うような。弁護士に依頼すれば私の目論見が達成できない。(調停で対峙すること)
 タイミングを見計らう。
訴状を書き終え裁判所に向かいました。廊下で様子をうかがうと若い方は留守のよう、少し慌てて訴状が出来ましたと受付へ、年配の方が相手をしてくれました。
 さすがに慣れています。
私の文面でも内容は的確に捉えていただき、つづり方と単語を修正され、とても親切に訴状を整えてくれました。
 これから先の進め方を聞いてみよう。
進め方を説明してくれました。そして何より重要な事、私が原告でない場合直接対峙は出来るのか? 平成28年12月15日 

 弁護士を使わない
 弁護士を使わない理由は裁判に勝とうとしている訳ではないとの事もありましたが、もう一つ、調停で対峙して『村長を辞めろ!』なんて、とんでもないことを伝える事がその目的だ! なんて、言える分けでもないし、相手にされる事はないと考えていたからです。
 調停には出席できます。
弁護士を使わない場合、原告自らがそれを行う事になるとの説明と、調停には、原告よりその訴状内容に直接関与したと、その事の直接被害者であれば出席出来ると説明を受けました。  平成28年12月17日

 訴状は二つ
 訴状は二つ作りました。一つは資料館計画書作成費用損害賠償請求、二つ目は毀損賠償請求です。園原の年度末最終部落会に何の相談もなく水上宗光参事が来て、まだ返答がきていない質問状の詳細をみんなの前で語ったからです。
 園原部落の人達は驚いた。
議会議員に提出した公開質問状の取扱について、何の関係もない行政参事が、「既に議会は返答した。公開は熊谷さんがやるべきことで議会がやる必要はないこと。」と、語ったからです。
 やむを得ず説明しました。
何も知らない部落の人達に、その内容と今日までの経過を説明せざるを得ませんでした。中には中傷的(私に対して)な発言もありました。
 こんなことを平気でいう参事とは?
公務員の前に共産党員で在ったからでしょう、熊谷時雄議員に指示されて、鈴木設計で設計したビジターセンターの説明に来たのです。 質問状により、議会でストップした状態でしたから焦っていたのでしょう。 時雄議員の、「返答はしたから今日の部落会に間に合わせよ!」との指示に従ったのでしょう。            平成28年12月19日
(共産党が揃うと何でもやっちゃいますね、部落の人達はそんな事とは知らないから黙って聞いちゃうんです。村が言っているのだからとね)

 訴状送付
 訴状送付は裁判所からになります。 いよいよ始まりました。
ハッキリとは覚えていませんが、たしか、訴状が届いてからその内容を確認した上で裁判所に返答があり、双方と裁判所とで日程を決めたと思います。
 裁判所の調停日は定期的。
初めての経験ですから場当たり的でした。この調停だけが開かれると思っていましたが、中に入ると数名が居て驚きました。
 原告側は原告者しか居りませんでした。
2,30分待たされたでしょうか、その間、その場に相応しくないようなおばあさんに近いおばさんが居り、気になっていました。 その方もきっと不安だったのでしょう。私に話しかけてきました。 「こんな事はしたくない、したくないけどこれしかもう方法が残っていないんです。」  平成28年12月21日

 ここでまた考えさせられた
 『誰もこんなことはしたくないのだ』 相手を恨んでるわけではないと、こうしなければ話しあえないんだ そういう事でした。 私はこんな気持ちなのだろうか・・私は何をしようとしているのか
 知らないうちに時は経っていました。
呼ばれました。このおばさんが私より前だと思っていましたから、少し慌ててしまいました。

 指定された部屋に入ると、そこには二人が机に沿って腰をかけていました。 向かって左が弁護士であろう、左は女性です。 弁護士であろうという方の顔を見ますとそれは中村弁護士でした。
 いやな予感がした。
調停員との机札に書いてありましたが、当然のごとく自己紹介はありません。私の名前の確認だけが成されました。
あ・・あ 中村弁護士か・・ いやな感じが   正直な気持ちです。     平成28年12月23日  
  
  

緊急速報                                 阿智村議会最終日速報

12月22日、阿智村議会最終日一般質問にて、新人の白沢議員・吉川議員、三期目の勝野議員が 私の公開質問状の取り扱いについて質問をしました。
良識と常識を持ち合わせた清廉な議員の行動において議会運営が正常されることになります。
岡庭一雄を党首とする阿智村共産党に支配されていた議会及び議会議員から、民主主義を取り戻す大きな前進になりました。
この事により、熊谷村長は阿智村行政の責任者として、法律に基づき執行するものでしょう。

告発                                              捜査機関

 調停が始まる
 二人の調停員の前に腰掛けました。 とても座り心地が悪いのは、背もたれのあるパイプ椅子のせいだったかもしれません。
 調停員の役割と自己紹介が恒例のごとく進められ、訴状についての読み上げがあり、その事実確認(私の思うところ)が成されました。
 意外と落ち着いていました。
中村弁護士に、「お会いしたのは三度目ですが・・」と、社交辞令を 目の悪い方ですから覚えているわけはなく、「そうですか?」と淡々との受け応えでしたが
 本題に入りました。 
「この内容をみますと、村長は章設計に設計の依頼をした、しかし、契約はされていない?という事になりますね。」 いきなりの直球です。 それもそうですね、調停ですからね。   平成28年12月25日

 支払うと言いますよ
 調停員は弁護士ですから訴訟案件になるかどうか?!の確認から始めるのでしょう。 ですから経験上、『契約書の有無』を再確認し、一般論として、『契約書が存在しない話し合いの難しさ』から始めたものと思います。
 調停員がこんな事では
簡単に言えば、『契約書が無いものは調停不成立!』になりますよ! と、冒頭から言われているようなものです。
 弁護士なんだから少しは頭を使いなさい。
調停員が訴訟案件を理解していない?! これは何たることなのか? 訴訟案件を読み取れば、契約書が無い理由が捜索出来るもの、中村弁護士は目が悪いのを理由に事前に目を通してなく、行き成り始めていることを自ら証明しているのである。
 たとえ初めての経験でも。
この様な調停の進め方は正常ではないと気づきました。 中村弁護士は手を抜いており、裁判所も、目の悪い弁護士を調停員にしているというのに、その事で何か調停自体に影響が出ないか?裁判所の在り方に通常でない事が起こらないか?との、危機管理が成立されていない事にも気づきました。平成28年12月28日

 ここにも正義(平等性)は存在しない
 裁判所であっても何も臆する事はありません。通常の機関業務を行っているだけでありますからね。違うのは、三権分立制度の司法を扱っているだけのこと、どこの業務と同じように慣例で行っているだけで有ります。
 世間は違うように見ているのでは?
司法を扱っている!とのことは、私たちの正義がそこに有る!との考えはたしかに持っていますでしょう。そこに間違いが有るなんて事は考えもしないでしょう。
 たしかに間違いはありません。
間違いはないにしても、それを扱っている人たちは、普通の人間です。生活のために、そこで働いています。この人たちはしっかり教育されてもいますでしょう。
 形式が全てです。
残念なのは、そう教育されているということです。形式通り、ロボットのように、それが正確を期す事になり、間違いが絶対起こらない事にもなります。
 果たしてどうでしょう、私はこの調停を経験することで、幾つかの疑問も併せ持ちました。 一つは、中村弁護士の目の悪いことでありました。他の疑問は、調停経過の中で書き出して行きたいと思います。     平成28年12月30日

 話し合いが前提
 調停とは解決に向けて話し合う事が前提です。 ここで訴訟の内容を整理します。
『園原資料館建設計画書作成費用350万円の請求』 契約書は存在しないが岡庭村長から直接依頼され実行し提出した。 これだけです。
 調停員の見解。
「契約書が存在しないのを理由として支払えないのではないか」 私の言い分、「口頭契約であっても実施し、受け取っているのであるから支払う義務が有る」
 ここまでは良い。
最初に疑問を感じたのはこのやり取りの後である。 調停員は続けざまにこう言いました。「相手は村です。行政業務に於いては契約が成されていなければ契約と見なされないですよ。」 ?? これには正直驚きました。平成29年1月1日

 私がおかしいのでしょうか
 この調停員の発言はまさしく弁護士の発言ではないのか?! 行政業務であろうが民間であろうが、契約書の有無は全く同じであり、行政だけが契約書の有無で判断しているわけではないと思うからである。
 法律に明記されているかどうかは知らないが、契約書が無ければ契約とは見なされないものなのか? 契約書があれば当初から争いはなく訴訟など起こしていない。契約書の有無で争っている分けではないからこそして調停に臨んでいるつもりであったからだ。
 調停の進め方なのか?
「契約が成されていないから訴えているんです。」だからその様に答えてしまった。 ・・少し間の悪い空気に・・
取り繕うような言葉が続きました。 「行政は契約書なくして業務を発注するという事は出来ないと思います。」
 少しうんざりした。
契約書云々で遣り取りするとは思わなかったし、何時までもイタチ返しをする気にもなれませんでした。平成29年1月3日

 気が短いのかも
 先が見えているから回りくどいことに感じてしまうのかも知れないが、調停の場で常識論を展開するとは思いませんでした。 中村弁護士の隣に座っている女性調停員の方(50代)が、たまりかねたように促しました。
 契約書が無くても仕事はした。
「今回の請求は成されており、その支払いが村では出来ないとの事でしょうか?」 これで良いんです。
 しかし又、怪訝な顔に。
はい、請求しております。それに、契約書の有無については村から何も言われておりません。資料館の計画図書はすでに成果品として村長自らが受け取っていますから。 「それでは、村はどうして支払わないのですか?」 さあそれは・・・「契約書が無いと村は支払えないのですよ。」またここで中村弁護士が話し出しました。   平成29年1月5日

 支払うと言いますよ
 中村弁護士は調停員としてではなく、弁護士として理解できないのである。このような調停は今まで経験しなったのであろう。 続けざまにこう言いました。「阿智村は顧問弁護士さんが見えています。これから話しを聞きますが、契約書が無い中では難しいと思います。」
 そうでしょうか。
顧問弁護士は下平さんでしょう。今回の訴訟については最初から無視されていました。岡庭村長に、私とは会うな!と言ったり、話を聞くな!と伝えたりしています。 私は話し合いに応じてくれないからこのように訴えることをしなければ成りませんでした。
 どうぞ何なりと聞いてみてください。
「支払います!」って、そう答えると思いますよ! 突き放すように言いました。 私が開き直ったとでも思ったのでしょう。「分かりました。それではこれから相手側の話しを聞きます。先ほどの部屋でお待ちください。」平成29年1月7日

 待ち時間は短かった
 中村弁護士の怪訝な顔つきは変わることはなかったが、調停は相手が有ることで相手が答えることには変わりない。調停員としては、内容に限らずそれべしに進める事しか出来ないことである。
 おばさんはいなかった。
先ほどの待合室に戻ってみたところおばさんはもう居ませんでしたが、新たな男の人が一人椅子に腰かけていました。 この人も原告なのか、この人はもう話しは済んで私と同じように待合室に戻ってきたのかな?
 そんな事を思いながら、ああきっとこの人が私より先に呼ばれるんだろうな・・ 
 10分も経っていない・・誰かがドアを開けた。 そして、「熊谷さん、先ほどの部屋にどうぞ。」 え!私? こんなに早く? 少し戸惑いました。 早い、早いと思う・・どうしたのか・・最初から否定されたのか? そうかもしれない、何と言っても相手は顧問弁護士だ、私の考えとは違うだろう、部屋に入れば顧問弁護士が居るんだろう・・そんな思いが駆け巡った。          平成29年1月9日

 同じ光景
 僅かな時間、ほんの数十秒であったがいろいろ考えてしまった。初めての経験です、想像するにもしようがない、それでも考えてしまう。
 ドアは開けられた。
わざわざドアまで開けてくれました。(事務官?か、そういえば最初から中に居たような) 其処には先ほどと同じ光景が、座っていた椅子がそのまま置いてありました。
 光景は同じで在ったが。
もう済んだのかな? 相手は同じようにこの椅子に座ったのかな? そんな他愛も無いことが頭に浮かぶ
 中村弁護士の顔つきが?
弁護士ではありませんね、ここでは調停員です。 先ほどと全く違う顔、少し驚いたような顔つきになっており、そしてその口から放たれたのは・・・「支払うと言いました!」      平成29年1月11日

 私の顔を見続ける
 よほど驚いたんでしょうか、中村調停員の視線を感じていました。 「いやあ・・支払うと言いました・・・」 この言葉を聞いた時、戸惑いました。 正直困りました。
 裁判に成らない。
園原資料館の基本計画設計料の未払い請求訴訟は、その支払いを求めていることではなく裁判にかける事によって、“官製談合”の事実を認定することにその目的が私にはあったからで、ここで支払われてはその目的が果たせないことになります。
 どうしよう?
その不安は、それに続く言葉によって打ち消されていきます。 「支払うと言いましたが・・・」 平成29年1月13日

 どうしようもない
 中村調停員の顔つきは全く変わっていました。驚きもあるんでしょうが、照れの方が強かったのかな
支払うと言いましたが・・「・・契約書が無いので請求金額の確定が出来ない・・」 黙って聞いていましたが、内心ホッとしました。 思い通りです。
 頭の中を駆け巡る。
わずかな時間であってもいろんな事が駆け巡った。(良し、間違いなく彼等は官製談合を認識している、当初から支払いを急いだ理由もそこにあるのでは?との事もこれでハッキリした)
 話しを続けていた。
中村調停員は続け様この様に付け加えました。「・・確定出来ないから裁判所でそれを決めてほしい・・」 (ん?それは? 何を言っているんだろう) 裁判所で章設計の請求支払いを決めてほしい?       平成29年1月15日

 何を言っているのか
 初めての調停で驚くことはないんだろうが、中村調停員の話し方に驚きました。 中村調停員本人が驚いて困惑しているのです。 契約書が無いのに支払うと言い、裁判所で支払金額の確定をしてくださいと言われ、行政側の弁護士が淡々と進める事に、驚き、躊躇しているのです。
 何を偉そうに弁護士が。
中村弁護士は過去私に対して否定的な言動をとっている、(本人は覚えていないだろうが)弁護士は法律の事を何でも知っている!との感じが強すぎる人である。 その人が、この様である。
 こんなものなのか!?
下平弁護士も中村弁護士も、弁護士はこの程度の職業なんだ  そう思うと、なぜか虚しくなりました。 同時に、「こんなんで大丈夫かな?」とも感じました。             平成29年1月17日

 聞いたことが有る
 「・・裁判所でそんなことは・・我々は話を聞くだけであって設計費の請求金額の確定をして下さいと言われても・・」 村はどのように言われたのでしょう?設計費を支払うと言ったんですよね!? 「え、え 支払う準備はあると、但し請求書には請求金額の根拠が示されておらず、請求金額が妥当と判断できないと、だから、裁判所で請求金額が妥当と判断して下さいと・・」 で、どうなんです? 「判断するようにと言われても我々は建築のことは知らないんであって・・これを判断するとなれば裁判官に話をして・・調停でこの様な事は・・」
 何も問題ないのでは?
村が支払うと言っているんですから、調停員の皆さんが、「請求金額は妥当である」と判断すれば良いことなんじゃないですか?!違うんですか?!出来ないんですか?! たたみ掛けてやりました。        平成29年1月19日

 この様なときのやり方は知っている
 返す言葉が無いようでした。調停員を困らすことが目的じゃないから言い過ぎたかなと気にしましたが、何のための調停員なんだよ! 弁護士どうしなのにこんなやり取りもできないのか? と、不安になりました。
 このような時の助け船は。
実はこうなるものとして想定していました。 専門家に相談する制度があるという事を事前に調べて知っておりました。
 困っているのですから簡単でした。
調停員の方は建築関係の事は何もご存知ないのですから、知っている人、建築設計業務を行っている人に聞けばよろしいんじゃないですか!?
 それは分かっていますと言わんばかしに、「いや、ですから私たちは専門家でありませんから根拠をと言われましても分かりませんから専門家に相談するようにと、しかし、これから誰にどのようにするのかとか、そういう進め方になるけどそれを双方が了解するとか、いろいろと話し合っていかないと・・」           平成29年1月21日

 これも想定済
 建築業務関係の訴訟ごとに相談を受ける人は誰なのか知っていました。名前は明かせませんがある設計事務所の人でした。 ですから、全て私の考えていた通りの展開です。 でも、このまま支払う方向で行っては調停をする本当の目的からはズレてしまいますから、予定通りも方向を変えていかねば成りません。
 当然支払えないとのことも想定していた。
同じ事です。 契約書が無いから支払えない! と言われれば、同じように建築業務関係の専門の人をお願いしますと言うつもりでした。
 混乱させなきゃ。
調停だからとして纏めるつもりはありません。それはどなたも同じ思いだと思いますよ、「そうじゃない!」って互いが言い合うのが調停ですからね。
 少し違うのは・・どの様な返答であってもそこが焦点でないことです。      平成29年1月23日

 本音を切り出す
 中村調停員は取り乱していました。それは無理もありません、私が全くの素人(こういう事に)と踏んでいつものように義務的に進めていたんですからね。 それが次々と目まぐるしく展開が代わり、これから話そうと思っていても私に見透かされていましたからね。
 お手上げ状態にさせてから。
岡庭村長は来ていますか? 「職員の方、参事ですかその方が全て分かるからと、それと顧問弁護士さんです。」
 相手は払うと言っている、根拠は専門家が算定すればよい、でもそれを進めてくれない、私はどうしたら良いのでしょう!! 声を張り上げ詰めに詰めておいてから、本題を口にしました。

「阿智村長岡庭一雄は官製談合という犯罪を行いました。この損害賠償の請求こそがその犯罪の証拠です。」
この言葉で一瞬静まり返りました・・
「官製談合を行ったと岡庭村長も顧問弁護士も認識しています。その犯罪を確定されないため、この請求を支払わなければならないのです。」                      平成29年1月25日

 ビックリ仰天であんぐり
 この男は突然何を言い出すのか? そう思ったことでしょう。 無理もありません、損害賠償請求不履行にて調停をしているんですからね。
 立て続けに言い切りました。
岡庭一雄村長と水上宗光参事、熊谷時雄議員、鈴木設計と原建設 これらが行った官製談合です。(原建設といった時の中村弁護士の顔が気になりました。前回市の弁護士相談では「阿智川の会長の顧問弁護士である」と、追い返されていますからね)
 中村弁護士から出た一言!
「あ、あ ここは・・官製談合の話しは・・我々は調停員だから・・」 しどろもどろでした。
それは分かっています。分かっているから調停をしているんです。         平成29年1月27日

 警察は知っている
 この官製談合の話しをしないと、村が何故「支払います!」と言うのかが理解出来ないと思います。 四者がどの様にこの犯罪に関与し、その起点は何だったのかを話しました。
 村長は認めている。
仰る通り、契約書のない業務費用を支払う事は難しいと思います。それも請求先が阿智村と言う行政団体ですからね。 でも支払うと言っている! それは何故でしょう?
 園原資料館の建設事業を岡庭村長が提案し、それを阿智川会長の原建設と章設計の私の前で、「章設計にさん設計してください。」、「原建設は施工をして下さい。」と、指示されました。それも酒席接待されながら。
 何故?そんな事を言い出したのか?
阿智村園原に、ホテル阿智川会長と熊谷操議員、熊谷時雄議員が園原部落の人たちに何の相談報告もなく進める千体地蔵(水子地蔵)設置工事に於いて落石事故があり、それが新聞に掲載されることになると岡庭村長自らが水子地蔵を寄付まがいの行為で設置していることが明るみに出るため、「それだけは阿智川会長のために止めてくれ」と懇願され、やむなく新聞掲載を止めたことによる岡庭村長のお礼なんです。」   平成29年1月29日

 聡明な女性調停員
 官製談合を行った事は既に警察に話しています。警察は捜査に入っているかもしれません。 これから先の事は私には分かりませんが、このままでは大変な事になってしまいます。
 顧問弁護士の関与
官製談合を成立させるためには、園原資料館の計画作成業務の未払いが前提でなければ成りません。 支払ってもらうと計画業務終了となり方付けられてしまいます。 ですから顧問弁護士は、端から「支払いなさい」としているのです。 顧問弁護士はこの大変な犯罪を知っており、それを無かった事にしようとしています。
 阿智村の顧問弁護士です。
行政が犯罪を犯す事はありませんから、顧問弁護士は民事としての立場でしか在りません。しかし、下平弁護士は顧問弁護士の立場を離れ、党員仲間としてこれに当たっています。 この事自体が犯罪ではありませんか? 平成29年1月31日

 対応しきれない調停員
 民事の調停員では刑事訴訟案件は扱えないですし弁護士であっても経験も無いでしょうから困らせたら前に進まないので、結論を伝えました。

 岡庭一雄は村長を辞任せよ!  辞任すればこの訴訟を取り下げる.

 またもやびっくりしたようです。 そうですよね、官製談合に続き村長をやめろ! なんて言い出す原告なんですからね。 でも、女性調停員は、「その様なお話をするために原告が社長さんなのに熊谷さんが調停に出て来られたんですね。」 はい、そうです。(裁判は原告本人、調停は原則原告ですが訴状内容に実際関与した者であれば出廷できます) この方は、横におる中村弁護士より聡明な方だと感じました。                平成29年2月2日

 相手に伝える
 女性調停員の言う通り、「村長を辞めろ!」 これが私の目的でした。この事を伝えることは裁判では出来ません。 調停で有れば私が出廷できます。ですから私はこのような回りくどい事をしてきたのです。
 たじたじして収拾がつかない中村調停員
「いや・・調停ですから・・訴状によっての事でなければ・・」 失礼になるが、目の悪い人は調停員になるべきでない。たとえ弁護士で有ったにしてもだ。 私の表情が読み取れないのですから、調停員としてその役割を果たせないのである。 この書き込みの冒頭でも書いたが、裁判所は平等な対応が出来るような状況であるべきではないか。

 私の調停目的はその一言です。「村長を辞めろ!」それだけを伝えてください。 それが成されなければ、官製談合の中で警察に告訴します。それに併せ、下平弁護士も官製談合と知ってその隠匿の行為に当たるようなことを顧問弁護士の立場で行った事は犯罪ですので訴えます。      平成29年2月4日

 それは恐喝になる
 私は至って冷静でしたが、中村調停員にはとんでもない発言と感じたのでしょう。民事の、それも契約不履行の調停の場でもって、官製談合だの弁護士も不正をしているだのと発言しているのですから思わず出てしまったのでしょう。
 言っておいて、即打ち消す。
「ここでその様な発言をして訴えると言うのは恐喝・・あ、あ、それはいいか・・でもその様な事を・・犯罪だとか・・相手に伝える事は出来ない、案件は契約不履行だから・・」
 そんな事は関係ありません。
私の発言が脅しであるならその様に訴えていただいて結構です。 ただ、皆さんに迷惑掛けるわけにも行きませんから私の返答として相手に伝えていただければ結構です。         平成29年2月6日

 ですが・・
 阿智村の言う通り、裁判所が当社請求額の根拠となる見積書の確定を行っていただければ、それはそれで結構ですが。 如何でしょう?相手の要求に応えてその事を進めることは出来ますか?
 裁判官が決めること。
「調停は双方の話を聞く最初の場、その場において裁判所に要求が出されると言うことはありません。」(中村弁護士、こんなにスラスラ言えませんでしたよ) 続いてこうも言われました。「阿智村が要求するのであれば今回の調停としてでなく別段で裁判所に求めることですが、先ずこの様な事例は無いので、いずれにしても裁判官が決めることです。」
 では私はどうしたらよろしいのでしょう。
阿智村は支払う! と言っているんですよ、調停の場でハッキリと言っているんですよ。その条件は裁判所に振られ、裁判所はそれが出来ない難しいなんて言われれば、 いったい私はどうしたらよいのですか!!    平成29年2月8日

 冗談じゃ無い
 皆さんもそう思っていただけると思いますが、こんな不条理はないでしょう。中村弁護士をやり込めても意味ありませんが、正直な気持ちでありました。
 さあ、これからが本番!(これで準備は整いました)
何も返答できない調停員に向かってお願いをしました。 相手に伝えてください。『村長を辞めろ!』 それであれば請求の一切を取り下げます。なければ警察に刑事事件として告訴します。 村長辞任期間に制限は要求しませんが、その旨の了承は1か月以内とします。
 調停員の返答は
「伝えますがその条件の可否についてまでは対応できません。」 それは当然だと思います。伝えてくれるだけで構いません。 「分かりました。先ほどのところでお待ちください。」   平成29年2月10日

 調停不成立
 この室に戻るのは三回目、そこには誰もいなかった。 あのおばさんはさっきも居なかった、どうなったのだろうか? 調停は成立したのだろうか? そんな余分な事が気になった。 呼ばれるまでは少し時間は有るだろうと、興奮している気持ちを落ち着かせようと深い呼吸をしてみたが、動悸は治まらない。
 ゆっくり考えよう。
顧問弁護士はどうするのだろう? 契約不履行の調停ではなくなった、この事は何も影響しないのか? 調停員は伝える事しか出来ない、相手もこの様な要求に答えないだろうし応える事も出来ない そうであればどの様に成っていくんだろう?
 経験のない不安を感じた
自分がやっていることは正しいのか こんなこと世間ではないのだろうか 自分の頭がおかしいのか

 走馬灯のようにいろんな思いが駆け巡っていたその時  ドアが開いた      平成29年2月12日

 青色の光景
 それは青白い空気感でありました  迎えに来るにも入室するにもドアは勝手に開く  調停補助員が気遣う調停室の出入り
 調停員の前に初老の男性がだらしなく座っている 肩が落ち、背筋が伸びていない  その男の斜め横には水上宗光参事がはすかいに座っている  目が泳いでいる     そうか この青白さは二人の顔色か

 初老の男は下平顧問弁護士
案内されるまま下平弁護士の横に座りました。 中村調停員から、「熊谷さんの言われることは伝えました。」「それに関しては熊谷さんに伝える返答がありませんでした。」「裁判官に双方の考えと内容を伝えてきますが、よろしいでしょうか。何か言うべきことはありますか?」  有りません。と答えました。 下平顧問弁護士に向かい、「よろしいですか?」と再度確認されてから出て行きました。                     平成29年2月14日

 裁判官入室
 長く感じた待つ時間  実際長くありました。 〈この様な人達と同じ空間にいたくない〉その様な思いがいっそうつのり、空気が汚れている感じさえしました。 息苦しい・・パニック症候群なのか鼓動が激しい・・
 左手首シャツをそっと押し上げ腕時計を何度も見る ながい・・20分は経った・・その時ドアが開きました。

 その日は暑い夏の日
 長野地方裁判所飯田支部、もう何度目になるだろう やっと今日を迎えた安堵感は真夏の暑ささえ気にならなかった。
 玄関前に車を停めました。
まだ早い、相手は来ているだろうかと周辺を見回す、阿智村と書かれたADバンはない。 少し早いが中に入ることにしました。 ドアを閉め、ロックをして振り返ると  その時かなり変わった風体をした者がこちらに向かって歩いてきます ? 誰だろう?                平成29年2月16日

 見慣れない姿
 一見、滑稽にも見えました。 日差しを遮るとは思えないカンカン帽を軽く頭にのせ、甚平なのか七分袖なのか、ズボンは短く足首が丸見えだ、そして極めつけは下駄履きである。
 裁判所にこの様な格好で来る者は?
都会の弁護士に聞いたことが有る、「裁判官は人間ではない」 ドキッとするような言葉だが、言い得て妙である。 裁判官の頭の中は空っぽ、何も無いからこそ判断が出来るということである。 弁護士はあらゆる法律に基づき原告被告の言い分を証拠で持って空っぽ裁判官に伝えるのが仕事。 双方の言い分を法律の秤にかけて強制的に判断するのが裁判官である。

 ドアが開き、悠然と入ってきた人はカンカン帽その人でありました。  おもむろに真ん中の椅子に腰をかけ、背筋を伸ばしている姿をみると・・人は見掛けによるものだ  そんな気持ちに成りました。      平成29年2月18日

 裁判官の一声
 テレビを見ているのと違い、現実は間の持てないものですね、それはこちらに関係なくまったくあっさりと進められました。
 ・・・「・・・」・・・
正直な話し、何を言っていたのか記憶にありません。 後で想像するに、「不成立」 な言葉であったような。
 立ち上がる裁判官
唖然としていました。 え?これで終わり? そんな感じでボーッとしていましたら、調停補助員がドアを開けました。
 退廷する裁判官
調停室は小さな個室でした。ドアを開けると右側に机が二つ並んでおり、調停員が二人その椅子に座っています。机の前に原告被告の座る椅子を置いてある。
 裁判官が入室したときは、裁判官だけが二つの机の一つに座り、調停員二人と補助員が後ろの椅子に座る。 裁判官の前には私と下平弁護士、その横に水上宗光参事が座っている。
裁判官は一言言って立ち上がり、補助員がさっさとドアを開ける。裁判官はドアに向かって歩く・かに・平成29年2月20日

 裁判官が立ち止まる
 余りにあっさりでしたから拍子抜けしていたのか、ぼんやりとした夢のような光景でありました。 「退廷」裁判官が帰っていく・・補助員の案内のままに一歩二歩と歩き出す・・     ん?  立って頭を下げ見送る私の前で歩様が止まる・・  確かに私の真ん前に立っている   そっと顔を上げると  私の顔を見てほほえんだ  そして 左から右へ 左から右へとゆっくり二度手のひらを動かしていました
 「どうぞ」 手を動かしながらそう言いました  え! いや、え! 「どうぞ」 私を先へと促している
 いいのか? 悪いのか? 私はためらいながら廊下に出ました。 帰っていいのか? いいんだよな・・裁判官より先に出たけど私が出たわけじゃ・・ 振り返る・・裁判官が続いて出てきた  頭を下げる・・またほほえんだ

この2,3日後、もう一度裁判所を尋ねました。そして確認しました。これからどうしたらよいかと  平成29年2月22日

 阿智村役場に行く
 私の相談に乗って、手取り足取り訴状のチェックまでしていただいた方が裁判書記官の方でありました。 一般的にこれからどの様に対応したら良いのですか? 「調停がどの様に終わったのか、ですが、原告は被告に要求されていますから、被告が原告の要求に応えるか応えないかでよろしいのかと。」 具体的には? 「応えない場合に原告は応えないものとして、裁判に進むかどうかを判断することになります。」 分かりました。
 私の要求は村長を辞めろ!
村長を辞めなければ訴えましょう。単純なことで有ります。 確かに、辞めれば全て終わるし、岡庭一人が格好つけられること。 辞めなければ、刑事に捕まらせないよう民事裁判に掛ければ良い事である。
 そんな中、どうしても阿智村役場に行かなければ成らない用事が出来ました。 正直、顔出したくなく、一月余りが過ぎていた頃です。                       平成29年2月24日

 役場前で会った係長
 職員で有ればこの係長が誰であるか分りますが、読んでいただく方には分からないと思いますので簡単に紹介します。
 今は課長です。
当時からそうでしたが、一風変わった感じに見えると思います。 それは、彼が何者にも臆すことなく、淡々と行政業務を遂行する姿にあるかと思います。 ハッキリ自身の考えも言いますし、情報も隠すことなく発信しています。
今もその姿勢が変わりなく、時によっては反感を買う事も有ったでしょう。
 彼にはある程度話していました。
当時の私の行動に理解を示していた一人でしたから、ある程度は話していました。 そんな彼と玄関前でバッタリと出会いました。
 自然に柱陰に寄る。
こそこそしていた分けではないですが、二人とも自然にそうなりました。 話す事は当然その事、『村長を辞めろ!』 知っているか? 「知っています。いま、弁護士も村長も時雄議員も一緒に内緒話をしています。」 今? 「今応接室で・・」                     平成29年2月26日

 おかしな話し
 下平弁護士と岡庭一雄村長、それに熊谷時雄議員、水上宗光参事が庁舎内応接室で話し合っているという。 まさに官製談合を認め、調停において原告から要求された、「村長を辞めろ」について話し合っている最中だという。
 おかしな話である。
官製談合、村長辞めろ などは、個人的な事柄です。 なぜその場に、下平阿智村顧問弁護士が居るのでしょう?
なぜ、阿智村に対する訴訟事項のことでなく、個人の犯罪のことで話し合っているのでしょう。
 これは共産党会議です。
この場に、佐々木幸仁参事、山口参事(現副村長)は加わっていたのでしょうか? のぞき見れば、二人とも自分の机で業務していました。
 そうなの、それは良かったな
顧問弁護士とその様な話で相談すること自体が犯罪だけど、知っているのかなあ? 共産党の連中は法を無視しているから、何でも有りなんだ。 感心しました。
ところでどうなんだ? 「辞めるようですよ!」 声が弾んでいました。 そうか、それは良かったな これからは良い村になるな 頑張ってくれよな  「はい!」           平成29年2月28日

(一言追加:画像を変更しました。阿智村は今、赤黒い霞から、日本一の星空のように変わり始めています)

 信じていなかった
 辞めるだろうか? どう考えても辞めるはずが無い。「辞めないようにするにはどうしたらよいか?」と、話し合っているんだから、辞めるはずが無いのである。 そして何より章文は、“官製談合で警察に告訴しない” と、彼等は不安ながらもしっかり確認できていたからです。
 その理由は下平弁護士から教えられていた。
「官製談合の起因は園原資料館の建設に在り」 馬鹿でも在るまい、官製談合は章設計自らが行っているではないか!それが今回の起因なのだから、仮に警察に言っても章設計も捕まることになる。(共産党の見事なまでの浅知恵)
 民事裁判の方が大変だ。
「章文は警察に言わないとして、今後どう動くのだろうか?」、「此処までの事を一人でやっているとは思えん。誰か着いているだろう、そう考えて対処した方が良い。」(ねえ、悪い人達の作戦は悪い事の積み重ねですね)
 具体的には?
調停は不成立となっているのだから、相手の出方次第だ。これから考えられる事は・・・平成29年3月2日

 顧問弁護士の出来る事
 しっちゃかメッチャか なんてもんじゃないでしょう。 官製談合というとんでもない犯罪を行って、それを直接指摘しても開き直り、調停の場で明らかにされてもまだ隠そうとする。 その上共産党の顧問弁護士と逃げ延びる方法を模索する。

 村民の皆様!
あなた方が村長に選んだ岡庭一雄という人間が、あなた方が選出した議会議員に守られて、あなた方の血税で私腹を肥やし、その上不正どころか多くの犯罪を積み重ね、それに唯一戦っている章設計を攻撃する

 知らなかったとは言わせない!
村民代表の岡庭一雄、議会議員全員、阿智村役場職員全員、皆さん全てを知っていて全てを隠し、章設計を、熊谷章文を、そして家族までをも非難する       私はこのような村はもう 要りません       平成29年3月4日

 裁判に掛ける
 阿智村役場で係長と出会い、その様な話しを聞いたその日、私が運転する車の行き先は裁判所でした。 何も迷う事はありませんでした。
 裁判書記官に会う。
心が目一杯でした。 苦しい 息が詰まる 冷静になれ 落ち着け ・・体が思うように動いてくれません
こんな苦しい気持ちは経験したことがありません・・・行きたくない もっと遠くに・・
 めまいがした
車を止め、深く深呼吸しました。 未だ動悸が激しい  ドアが重い 降り立つ  暑い? やけに黄色い だんだんとかすむ あぁ これがめまいなのか  ・・・ 静かになった
 奮い立つ
両足を踏ん張りました。 何を意気地がない、これからじゃないか 強い気持ちを持って前に進むんだ 平成29年3月6日

 提訴理由を提出
 淡々と進めていただけでしたから不安はありませんでした。そして弁護士も不要、個人弁護で行きます!としました。
 此処で問題が!
私が法廷に立てない! この事は当初から分かっていましたが、調停で終わるかも知れないとして僅かな希望の中で社長(現顧問)を説得していませんでした。
 法廷の弁護士は社長しかなれない
原告は章設計社長、原告本人の弁護ですから弁護士不要は原告が法廷に立つことです。 反対を受けていましたから説得するには困難なことでありました。
 社長を辞める!
「裁判したって勝てっこない!」「阿智村を訴えれば他の町村からも指名が外される!」「下条伊藤村長にも迷惑を掛ける!」、この様にとりつく暇もありませんでした。それは当然のことでしょう、社長なんですから会社第一に考えるのは当たり前で、行政を相手に裁判しても、「絶対に勝てっこない! 冗談じゃ無い、社長を辞める!」                          平成29年3月8日

 四面楚歌
 社長は従兄弟です。 私は一人っ子ですから兄弟のように育った間柄、年は二つ下ですので私に逆らったことはありませんでした。 無理も有りません、何をどの様にしても通常の神経の持ち主であれば、他人でもそう言うでしょう。
 裁判に勝つつもりは無い
裁判をやって勝とうとは考えていないし、勝てるわけでも無い

 『岡庭村長ではなく、村長岡庭が行った事である。』
この事を理解することが一番必要な事で、この事を議会議員は当然の事ですが、職員も、阿智村住民もしっかりと理解しなければなりません。

 岡庭一雄という人間が行った法律に抵触するような事! それが法律で裁かれることとなった場合は、岡庭一雄個人ではなく、『 阿智村長 』 なのです!

 結果論で言いますと、裁判では強制的に判決が下されることになりますが、万が一、阿智村長が敗訴すると阿智村が負けたこととなります。
 阿智村が負けたらどうなるでしょう!? 阿智村は存続できますか? 日本国は、その出先機関である地方公共団体が日本国の法律に違反したとなったら  どのような判断をされるのでしょう          平成29年3月10日

 勝ってしまう!
 村を訴えたって勝てっこない! 行政を相手にして勝てるわけがない! 章設計は何を考えているんだ!? 章文は気が狂っている?! この様な声は、外にも内にも既に出ておりました。
 法律は最低限のことしか制定されておりません。
民事裁判と刑事裁判の違いを明確に判断されておられる方は、私の考えはお分かりだったと思います。 善良な国民は、法律も常識で持って対応し、自身の判断で答を簡単に出してしまうでしょう。
 民事裁判ではその様な常識で進められることは無く、法律の秤に置いて強制的に結果が出ます。その秤においては、行政であろうが首長であろうが、ただの被告で有ります。

 私が訴えなくてはならない事は、刑事告訴で有りました。
刑事告訴であれば、罪のない多くの人がその犠牲となってしまいます。それはどうしても出来ない、それに、岡庭や時雄を許してしまえば、多くの人を巻き込んだまま続けられ、いつかそれは誰の手にも負えない大きな犯罪と成ってしまう。                         平成29年3月12日

 揺ぎ無い気持ち
 身内でも親しい人でも私に近づけなかったと思います。 形相からしてもきっとそうであったでしょう。
社長を説き伏せました。 彼の考えなんてどうでも良い、そんなものに構ってはおられませんでした。
 何を言っても、誰に話しても、分かってくれる人は誰一人居ませんでした。
苦しい・・つらい・・ 眠れない・・ 母は病院、父は在宅介護 何も考えられない状況でした。 孤独感に苛まされていましたが、ただ、私にはこれから先がハッキリ見えておりました。 「阿智村を守る」    平成29年3月14日

 行政が在れば、村が在れば、間違いはきっと修正される  その時が来るまで、私は一番の悪者でいよう

 平成19年7月26日 長野県地方裁判所飯田支部  訴状提出   請負代金等請求事件 人権復権請求事件

 裁判の行方
 1.岡庭一雄を警察に捕まえさせない  2.裁判には負けること  3.裁判記録を残すこと
私の目的は、この三つでした。 バカな話しでしょ、あり得ない考えですよね、でも、よく考えて下さい。
 1.岡庭一雄が贈収賄で捕まったら、それだけで終わっちゃうじゃないですか。
 2.裁判で勝つと阿智村は上告します。高裁では国の預かりとなり、場合においては阿智村は無くなります。
 3.裁判記録があれば、官製談合の証拠となります。(岡庭の時効は村長を辞めて3年)
 三つの目的では裁判ができない事
裁判に成るか?! が一番のことでありました。 訴状自体が裁判に掛けられるもの(内容)であるかを認めてもらえなければ即棄却となります。 これが一番難しかったです。
弁護士が作成しなければ素人では無理なことです。その上、猛反対している社長を弁護士とするんですからね。
 社長に練習させる
初めてのことを初めて行おうとするのですから、私も含め練習しなければ成りません。 裁判の練習なんて出来ませんよね、ですから練習でなく、実際に裁判をやることから始めました。              平成29年3月16日

 一つ目の裁判
 ネットオークションによる裁判をしました。 これは当然私的な裁判です。 相手は岩手県でしたので、飯田裁判所で裁判が出来るかどうか(出来なければ岩手まで行くことになります) そしてこれも当然ですが、弁護士は使わないこと。 訴訟内容は、「購入した物がその状態に無かった」 でした。
 淡々と進む
一般的には調停から進め調停段階で結論が出る事が多いですが、私の目的は「裁判に掛ける事」でしたので、調停無し!裁判にかけます! で始めました。 訴状ももう慣れていましたので、誤字脱字程度のチェックにて提訴できました。また、弁護士を使わず!も、どうということ無く、そして、飯田裁判所にて裁判が出来る事にもなりました。
訴訟内容を双方が争うのですから、裁判と言っても淡々と進みます。
 そして和解勧告へ
民事裁判ですから、原告の主張から始まり被告の答弁書の受け答え、それらが文書にてやり取りされます。 二回目に置いて早、和解勧告が出ました。 それは一般的に受け入れることが多いようです。
 和解条件は被告側から
後日、相手弁護士から連絡が有り、「和解金○十万円」が掲示されました。     平成29年3月18日

 和解しない
 和解勧告で和解金が示されたのですから、勝ち負けで言えば勝った事に成るのかな。 しかし、和解金を受ける事が目的ではありませんから、前に進めよううと考えました。 「申し訳ありません、私は現品の返還と、それに掛かった費用を請求しています。判決を受けたいと思います。」
 捨て台詞(せりふ)
「裁判官の和解勧告にて話しをしてるのに、判決であればそれはそれで構わない。そちらが弁護士なら和解しているよ」 相手の弁護士の言葉です。
 判決
 一月くらいでありましたか、判決の言い渡し連絡が来ました。 特に出席は求められませんでしたが出かけました。 緊張している私の前で、淡々と判決は言い渡されました。 当然の結果というべきか、判決は棄却で有りました。 この裁判で多くのことを学び、裁判の流れが分りました。 平成29年3月20日

 何をおもう
 訴状作成から裁判へ、準備書面のやり取りを経れば双方の雰囲気は分かってくる、そして和解勧告が始められる、勧告を拒否すれば判決と進められる
 私は分かったが
社長は何も分かっていない、それどころか今にも辞めそうな状況にある。父方叔父も気に掛けてくれたが社長側の考えである。 でもそんなことに構ってはおられない、社長にも裁判を経験させる。
 第一設計を訴える!
一つ、平谷村庁舎設計料未払い請求事件
 建築工事実施設計料(着前250万見積提出)請求金額の1/3(78万円の入金)
二つ、下条村文化ホール設計監理料未払い請求事件
 契約金額の6/10第一設計  4/10章設計の内、450万円未払い
平谷村庁舎については下請けであり契約を交わしていない、当初から諦めている物件。
下条村文化ホールは、「監理をやっていない」との理由、「監理はうちでやる」第一設計の申し入れである。
当社の言い分は、契約の4/10として契約を取り交わしている。(これは取れますと弁護士の助言有り)平成29年3月22日

 勝つつもりはない裁判
 社長に最初から「この裁判も勝つつもりはない」なんて言えば、完全にプッツンでしょう、ですから弁護士の助言を入れたのです。 訴状を作り、「平谷庁舎は下請けだから無理かも知れないが、文化ホールは聞いての通り勝てるかも知れない」 そう言って、負けても良いからと、訴訟相手が長野だけど飯田で裁判できるからと、結果より経験をしてくれと、後は裁判所に出向けば良いだけだと説明しました。
 取り組んでくれました。
第一設計は当然顧問弁護士が立ちました。 緊張しながらも取り組んでみて段々と分かってきたのだと思います。 二三回の準備書面のやり取りを見ていると、平谷庁舎は無理だろうが文化ホールは勝てるだろうと思いました。 双方の準備書面でのやり取りが終わり判決となりました。

 判決結果 『棄却』 理由 「時効」 “相撲に勝って勝負に負けた” とでも言いましょうか、とても良い結果だったと思います。社長も勝てない原因がハッキリし、もしかしたら? やりようによっては? 阿智村長の裁判も勝てるかも知れない!? その様に考えてくれるようになりました。                 平成29年3月24日

 本格的に取り組む
 当社は設計事務所で有ります。そして、測量事務所で有ります。その上、当然のことながら民間企業です。 私は、建築士で有りますから建築士法を基に置いて対応しています。社長は建築士であり測量士であり、そして元国家公務員経験者でありました。 その資格責任と過去の公務員としての経験が、社長自身の判断に難しさが有ることを現しておりました。 しかし、裁判という最終極限を経験することにより、自身では何も答えを出せない社会が有ることを経験する良い機会となることを、私ともども認識しておりました。

 弁護士には何が必要か
 まず、弁護士って何だろうか?と考えました。司法試験を取り、検事に成るか弁護士に成るか、その選択から始まりますが、狭き検事の世界より、金に成る弁護士を選択しています。
 背中に背負うものが違う
検事は、「事実を事実として証明すること」ここには感情は当然ですが、正義も存在していません。 絶対的な事実を証明するだけで有ります。そしてそれを行える場所は刑事裁判でしょう。平成29年3月26日

 緊急告知  明日3月27日、阿智村で臨時議会が開かれます。議題は、「月川旅館他の指定管理者解除」であります。 熊谷村長は、リフレッシュモデル事業における指定管理者施設「月川旅館」「パークランド」の契約更新時期が迫る中で、施設管理者契約を継続することを困難として解除を決めました。 高坂議長他議員三名はそれに反発し、「議会で採決をせよ」として臨時議会が行われます。(村内テレビ中継も有ります)

 この様な緊急事態になぜなったかは、このサイトをご覧いただいている方はお分かりだとは思いますが、私はまだ月川旅館の立ち上がりと経過を書き出しておりません。
 本日、『気づかない疑問・・阿智村』のコーナーに “事実” だけを書き出しますので、それをご覧いただいた上で臨時議会の推移を見守ってください。

 民事裁判は弁護士と弁護士
 刑事裁判と大きく違うのは、争うことが “お金” であるということです。 それを真ん中におき、どちらが+か-かを争うだけです。 簡単な話しではないですか。 何もそこに正義を持ち込む必要は在りませんし、存在もしていません。
 弁護士不要
私が裁判に掛けるとした理由は前にも説明した通りのこと、ですから、お金が欲しいわけではありませんから「勝つも負けるも」ないのです。 裁判をして、“ことの事実” が証明されていれば良いだけなんです。
 弁護士は商売
「そんな裁判をして何の意味があるんだ?」と疑問を持たれるのは当然でしょう。また、裁判すればお金が掛かるのに、負けるのが分かっていて裁判するのは正気の沙汰じゃないとも思われるでしょう。 当時もその様に言われました。だから、内にも外にも受け入れてもらえませんでした。 内には、「金が掛かるから弁護士は使わない」「負けるとは限らない」とし、「阿智村は顧問弁護士費用も大変ですね」と、切り返したのです。       平成29年3月28日

 裁判の行方
 裁判に掛けたのは二件、私が弁護士役を行えるために「毀損事件」園原部落総会に於ける水上宗光参事の公開質問状の取扱について です。 なぜこんな裁判をしたかというと、公開質問状自体が今回と同じように隠されてしまったからに他有りませんが、公開質問状の存在を知らしめること意外に目的がありました。
 隠した目的
それは調停時の下平弁護士の言葉です。 調停時にも、「毀損事件」は訴状として当然提出していましたから、それの取扱について下平弁護士が思わぬ発言をしました。
「これは私の扱い事件では無いですが、やるように成るでしょうね」 この様に発言したのを聞き逃しませんでした。
下平弁護士が言っていることは、「私は阿智村の顧問弁護士です。ですから、岡庭一雄個人を提訴した既存事件を扱うわけにはいきませんが、仕掛かり状やるように成るでしょう」 と言うことです。
 どうでしょうか、ここに疑問は生じないでしょうか               平成29年3月30日

 個人的な繋がり
 下平弁護士は阿智村の顧問弁護士です。ですから岡庭村長を弁護するのでなく、阿智村村長を弁護しているのです。 その弁護士が、岡庭一雄村長の弁護を「・・やるようになるでしょうね」と、言っているのですから、これはやってはいけない事、なのにやろうとしているのであれば、やらすにはどうしたら良いか?と考え、このような無理な “毀損裁判” で提訴したのです。
 弁護士に依頼すれば
弁護士であれば相手にもしない内容ですから、裁判には絶対になりません。ですから自分が弁護士役をすれば訴えられることで、尚且つ、社長にもいくらかの安心を与えられるかもと思いました。
 下平弁護士は間抜け
これだから素人は・・浅はかな奴め! と思ったのでしょう。 調停の席で、「・・私がやるようになる」といった相手は中村弁護士であり、中村弁護士も、(あなたも大変だな)とした顔つきを、私は見逃さなかったのです。                             平成29年4月1日

 弁護士料
 毀損裁判は岡庭村長が相手です。下平弁護士は個人的な訴訟を取り扱ったのですから、当然岡庭一雄がその “弁護料” を支払わなければ成りません。下平弁護士もその様に請求し、支払いが行われていると思います。が、果たしてどうでしょう。“間違いなく” 顧問弁護料と請負弁護料が別々だと、それを確認された監査員は居られるでしょうか?
 確認している
「そんなことは心配ない、村はやっているよ」 なんて言ってもダメですねえ、ちゃんと調べなきゃ大変な事になりますよ。
 逆に考えれば分かります。
岡庭一雄ですよ、三人の子飼い参事で議会も牛耳っており、人の金も自分のもの、村の金も自分のもの、こんなことを時雄と共に繰り返してきた “やから” が、チャンとやっている!なんて、考えることの方が無理が有るでしょう。
 仮に支払われていたとしても
下平弁護士は阿智村の顧問弁護士です。阿智村が訴えられた場合のみ “対応出来る” 弁護士です。その弁護士が、訴状被告阿智村長(岡庭一雄)が関与する二つの裁判を請け負うことは禁じられております。 岡庭一雄の毀損裁判費用が岡庭一雄から支払われていたとなれば、それは動かぬ “証拠”となるでしょう。                                                                                                    平成29年4月3日

 毀損裁判の結果
 まさかとは思うが、両裁判の弁護士費用が阿智村から支払われていたとなれば、それはそれは大変な事になるでしょう。 当時の監査員の方、確認されていますかね? 今からでも遅くない、万が一のことを考えて確認する必要が近いうちに出てまいります。
 棄却
この裁判の判決は早くありました。結果はともかくも、裁判に掛けられたことにより事実認定は出来ました。それに併せ、岡庭一雄と下平弁護士の共産党関係を表にする事が出来たことが大きくありました。
 来る日に供えて
早く簡単に済んだことにより、契約不履行も簡単に進むのかな? と、考えるようになりました。
 そこに在る事実
損害賠償訴訟ではあるけれど、変わった裁判を裁判官も経験したのでは無いでしょうか。 それは何故かと言いますと、調停時から阿智村長は、「支払います、裁判所(調停)が支払えとして下さい」と、言っているからであります。 支払うと言っているのに裁判所(調停)がどうしたらよいか困惑したのを受け、「村長を辞めれば提訴しない」と不定としたからであります。         平成29年4月5日

 裁判の難しさ
 被告(阿智村)は、「支払うと言っているのに支払わせてくれない」 原告(章設計)は、「払ってくれると言われたのに払ってくれません」 ??? な裁判です。(みなさん分かりますか?)
 そんなのは裁判にならない
相手は下平弁護士です。さすがはプロですね、「払わない!としなければ負けてしまう」 当然のことですが、“争う” 方向に舵を切ったのです。
 こちらは素人(章設計社長)
「準備書面を変えてきた。払わないと書いてある」送られてきた封書を見て社長が言う。それでいいんじゃ無いか、次の公判までに返答書を作成しよう。何か返答できないようなことはあるか?「特に何も無いがデタラメを書いてある」それはそうだよな、払いますから一転して払わないになったんだから、いいじゃないか、穴だらけの準備書面であれば “突く” ところはいっぱいあるからな。  平成29年4月7日

 次の公判は2ヶ月後
 契約書が存在していませんから、双方ともそこが起点であり結果となるだろうとは考えていたことだと思います。また、裁判を掛けたのであれば負けるわけにもいきません。
 国土交通省告示第15条
設計料率はアバウトで各社各自が決めているだけでありました。 営業しての設計があれば紹介のも有り、または建設業者の下請けもある。公共事業においても市町村は独自の%でそれを実行しているのが現実でありました。 その様な状況は設計業界に多くの悪影響を与えており、リベート以外のお金が存在することは周知の事実となっておりました。
 リベート以外のお金
大きな設計事務所となれば、リベートとリベート以外の金の取扱が出てまいりました。リベートで有れば収益とされますから問題ありませんが、リベート以外のお金は会社収益とは出来ません。でありますから、その多くは社長のポケットに入ることになります。
 大きな会社は社長個人に入ることは許さじとなりますから、その様なお金は当然の如く領収書を必要としないところへ回ることに成っていくのです。(それの最たる事が鈴木設計の内乱であります)
 倫理観の欠落
この様な事は飯田下伊那に限らず、県どころか全国津々浦々まで蔓延していることに国が気づき、重い腰を上げて(?) 統一設計料率を制定出来る条例を策定したのであります。それが、国土交通省告示第15条であります。(この15条を用いて、飯田市地域計画課は多くの不正を続けています。この事は社会の形で書きだしていきます)                        平成29年4月9日                                                    

 二回目の公判
 被告の準備書面は485万円の設計料は高いとしてその根拠を求めている。当社の社長弁護士は国土交通省告示第15条において積算根拠を作成した。
 被告の基本的な反論理由
『契約書が無い』 契約書が無いのは業務発注していない事  この件に関しては、裁判官が助け船(そう感じた)を出している。『その生業を行っていると思われる者に同業務を依頼すれば口頭契約とみなされる』いわゆる、契約書が無くても契約とされますと言っていることであります。(注文書が契約とみなされる事と同じ)
 具体的な証拠
此処までですと、どなたが考えても当社に分があると思いますよね。ですから反論に困ったと思います。(実は私も困りました。勝ってしまうかも知れないと思ったからですが、負けるのは目的があってのこと、勝ったときのことは考えてもいませんでしたし、どうなるのかの想像も付きませんでした)
 どうしよう
勝ったらどうなるのか? 勝てば損害賠償金が支払われることには成るだろうが、被告は岡庭一雄じゃ無い阿智村長だ。 岡庭一雄を罰することは出来ないし、阿智村が負けたときに誰が?何が?責任をとるのか? もう考えに至りませんでした。                    平成29年4月11日

 忘れていたこと
 三回目であったかと、私にしては思いもよらぬ話でありました。 もうやり取りはこれだけか、被告側からは彼方此方の反論であり、つじつまが合わなくなっている。 その様に感じて及んだ三回目、戻ってきた社長の口から、「和解勧告が出た」
 和解勧告
和解勧告?! なに!?冗談じゃ無い、判決で無ければダメだ!和解勧告など受け入れない! そんな言葉しか出てこない。 社長は冷静でありました。「和解勧告なら勝ったも同然じゃ」
 勝った? 同じ事?
冷静さを失っていたのかも知れないが、私は複雑でありました。 和解勧告は想像していなかった・・いや、和解勧告は経験していた、そして和解勧告に応じなかったことも
 和解勧告はしない
和解勧告はあり得ない、駄目だ!応じる必要は無い! 社長にとっては取り付く島も無い状態に見えたのでしょう。 「そうじゃ無い、そうじゃ無い」  何がそうじゃ無いんだ!     平成29年4月13日

 和解勧告は裁判官
 和解勧告で落ち着いてしまったら、犯罪の確定が出来ない事になります。『どうしても阻止しなければならない』 その様に考えていました。
 精神的に疲れていた
端から見れば異常に見えたことでしょう。 阿智村を裁判に掛けることもそうではありますが、両親の介護と重なり、肉体的にも精神的にも限界の状況でありました。

 友人の支え
 下伊那農業高校林業科、同級生が助けてくれました。 私の呼びかけに応じ、当初の裁判では傍聴席に数人が来てくれました。そして、訳の分からない話しも親身になって聞いてくれました。

 勝ったも同じ
 和解勧告は当然請求額の支払いであります。「和解条件は阿智村から出るのだから、応じる応じないはこちらの意思だ」その様に社長から聞かされたとき、落ち着きを取り戻せたと思います。 そうか、忘れていた。条件が合わないとして破棄すれば良いことだ。            平成29年4月15日

 思いもよらぬ出方
 「金額の問題では無く、たとえわずかであっても和解勧告で支払いが行われたら勝ったも同じ事」と聞けば、お金の問題では無いとしても民事で裁判している限りはお金の問題であり、たとえ少額でも和解金としても支払いがあれば、犯罪が有ったと確定出来る事になります。
 下平弁護士も勉強した
下平弁護士は和解勧告が出ることは承知している、当たり前のこんこん知己だ。だからこそ一旦は裁判官の指示にしたがった。 この時点では知らなかったのでしょう。『阿智村村長が被告』ということは、和解金は阿智村から支払われるということの意味を
 阿智村が被告
契約書が無いからとして支払いを拒否していた訳じゃ無く、支払いたいけど「契約書が無いので支払えるようにして下さい」と裁判に及んでいる。
 ですから、払いたくとも払えない事は、阿智村長が被告である限りは払えない事になる、であれば、和解金も同じであり『絶対に払えない』事になります。              平成29年4月17日

 和解出来ない
 公判日がやってまいりました。その日、少しドキドキしながら社長の帰りを待っていました。 
社長が案外早く帰りました。 どうだった・・と聞こうにも少しためらいが
 和解に応じられない
「下平弁護士は和解に応じられないとして判決を望むとなった・・」・・ なに? 何でだよ、和解に応じられない?どういうことか? 「和解金がたとえいくらであっても村からは支払うことが出来ないという事で」
 訳が分からない?
それは当然そうだろう、そんな事は最初から分かっていること、なのに支払うと言い続けてきている。何が何だか分からない・・ 「村からは支払えない、岡庭一雄個人からなら数十万円程度であれば支払う用意があると言っている」
 冗談じゃない!
個人が支払っても何の意味が無い、そんなのは断れ!               平成29年4月19

 当然断った
 「村は払えないのだから和解は出来ない!ってこと、そうであれば判決を受けるしか無い。弁護士は払えるように判決をのぞむ、なんだからどうって事は無く公判が続くだけのこと」
 そうか、まだ時間がかかるな。それで裁判官はなんて言っていたんだ、前言っていた「その業を営む者と知っていて依頼すれば契約書云々は関係ない」って法律のこと。
「それはそう言う条項が有るって事で、弁護士は当然契約書云々を言いだし契約が無いから払わないとして戦ってくると思うよ」 
 ここまで聞いてみて気づいた
知らないうちに「裁判に勝つ」気持ちになっている自分がいました。(これはもしかしたら勝ってしまうかも知れない)
 社長弁護士で勝てることなんてあるのだろうか?
段々その気になっていきました。 それは、「勝った方がインパクトがある!」と考えるように成り、勝つときは金額はわずかに成るだろうとも思ってしまいました。          平成29年4月21日

 シミュレーション
 裁判であれば勝つか負けるかであります。ドローは存在しないが和解はある面そのように世間は捉えられることもあります。 和解勧告を拒否した以上阿智村は全力をあげて勝とうとするだろうし、行政が負けることはあり得ないことも確かな事である。
 地方公共団体が負けた場合はどうなるのか?
その前に、章設計が負ることは想定内であるしお金の問題としていないのですから判決をもって終了となります。上告することもなければその必要もなし。 世間では誹謗中傷の的にはなるだろうが、そこは身内(社員・従業員)に頭を下げていけばよいこと。
 負けることがあるのか?!地方公共団体
県も市町村も同列の地方公共団体だという。この事は同列の資格を持っているという地方行政法に基づいていることであり、あたかも住民が思うところの並列平等ではないことも事実であります。
それが証拠に「合併推奨」があり、国は町村の市吸収合併を進めていることが何よりの証拠であります。平成29年4月23日

 町村が負けた場合
 少なくとも下平弁護士は負けた場合を想定して手を打ってきました。 一般的には行政を相手に勝てっこないとお思いでしょうが、行政であっても被告ですから負けることは当然あることです。また、行政は何でも出来るとお思いですが、行政においては行政法で最低限の条項が決められているだけでありますから、司法の場においては行政法で判決が出ることは無く、今回のような民事であれば商法(契約事項)が適用されることが通常となります。                           
                                            
   三審制
 町村においても勝ち負けは判決でもって表されますが、民間と違い勝ち負けがその後に大きく影響することは必至であります。
 町村が勝った場合
勝って終わることは希でしょう。町村を相手に裁判すると言うことは、勝ち目があってこそ出来るものではないでしょうか。ですから、当然の如く “上告” されることを念頭に置いて弁護士は作戦を練ることになります。 上告されれば裁判は続き、場合によっては実質的な被告(岡庭村長が変わること)が変わることが出てきます。                              平成29年4月25日

 上告は高裁
 私には上告の考えはありませんでした。勝つのが目的でない事はお分かりだと思いますが、阿智村が負けた時の方が心配でありました。
 上告しなければならない
地方公共団体が負けると言うことはあっては成らないことです。ですが、町村ですと大きく意味が違ってまいります。
 日本の仕組み
国~都道府県~市  この三形態が日本の形態で有ります。 『町村はそこに在らず』です。
この様な形に近づいたとき、国は道州制を施行するでしょう。
 阿智村が無くなる?
平成の市町村合併は “なぜ” 行われたのでしょう。国は、『町村を少なくしたいのだ!』と、考えたことはありませんか?
 阿智村が無くなる!?ということは、大いにあり得ることではないでしょうか。  平成29年4月27日

 高裁で負ける
 地方公共団体が被告の場合、一審で勝ったにしても上告は有るものと考えます。負けた場合は尚更ではないでしょうか。ですから、弁護士としては上告有るべしとして考えることは当然であり、下平弁護士もそのように準備を始めたのです。
 なめられていた
素人が弁護士も使わずして、“裁判する” などということは前代未聞であったでしょうし、周りはともかくも下平弁護士であっても多少は油断していたのではないか。
 前代未聞
岡庭一雄をはじめ取り巻き連中も、裁判を掛けられることより “官製談合” として警察に捕まることを恐れていましたから、裁判で勝てば、「すべてが終わる」「助かる」と思っていた。
ですから、“和解” が出来ないことや上告もあり得ると下平弁護士から伝えられた時は、「いつ終わるのか?」より「負けたらどうするのか」と恐怖感を感じ、下平弁護士も経験のない事態に狼狽えたからこそ、私との初めての顔合わせで青ざめたのでしょう。そして素人の恐ろしさより前代未聞の展開にたじろいだのでしょう。                             平成29年4月29日   

 何事も初体験
 和解勧告がでることも、和解勧告を拒否する事も経験していましたから其れなりでありました。次の公判が「いつか?」であり、準備書面の対応を淡々と進めていきました。
 気に成ること
気に成ることがいくつか有りました。一つには和解勧告を拒否した下平弁護士に裁判官が言った言葉です。 「契約書の存在有無」 これは、「和解すべきではないか?」と言っている事と同じであると判断しました。 ですから「下平弁護士は何故和解勧告を拒否したのか?やはり、阿智村が被告では和解すら出来ないことなんだ」と、再認識し、「であれば、何を根拠に裁判を進めるのか?」と気になった分けであります。
 びっくりしたと帰ってきた社長
和解勧告拒否後の公判が開かれました。帰ってきた社長の開口一番「びっくりした!びっくりしたのは裁判官の話し!」 なんだなんだ・・「下平弁護士の方から岡庭村長を証人喚問すると言いだした!」
「こんな事は有り得ないようだ、被告が先に証人喚問するとは」         平成29年5月1日
 
 有り得ない進め方
 確かにそうである、通常は原告が証人喚問を求めることであり、被告が進んで証人喚問するとはどういうことなのか? 裁判官の問いに下平弁護士が答えた内容は・・
 高裁を見据える
下平弁護士は「負けるかもしれない」として、上告を見据えた。 上告と成れば高裁であります。関東エリアでの高裁は東京で開かれます。
 東京高等裁判所
ここでは常識な事だそうです。 『阿智村が上告する』地方公共団体が上告する場合、また被告であった場合、『証人喚問』を裁判所から求められるという。また、被告である阿智村の村長が『証人喚問として召喚される』とした場合、それは地方公共団体が “留守に成る” ということ(?)
 なんだかよく分からないがわかるような気がします。
そんな事は「ない事!」でありますから、今のうちに、この裁判のうちに「証人喚問をしてしまおう」ということだそうです。                            平成29年5月3日    
  
   実はその様な話は聞いていました
   私たちは素人です。素人ですからあり得ない?と考えるのではと思うでしょうが、実は前もってそのような事になるのでは!と聞いておりました。
 弁護士であれば当然の事
下平弁護士は知らなかったと思いますよ。岡庭一雄は「弁護士から会うなと言われている」と私に言ったのは確かな事でありますから、知っていれば「会って話し合いで解決すべきことだ」と進言しているわけですからね。
 慌てたのは下平弁護士
雲行きが怪しくなったと感じたのでしょう。この様な田舎でこの様な裁判経験のない弁護士ですからね。
 民青上がりの下平弁護士
若いころ、共産党配下の民青に片足突っ込んだ経験はいろんなものを残してくれました。
下平さんは飯田市職員でありました。早くから民青の中心的なメンバーでしたからそれなりな地位に在ったと思います。
 岡庭一雄と同期
根っからの共産主義でありましょう。それも訳の分からぬ理想主義を掲げる厄介な年代です。この下の年代は熊谷時雄に見る利己資本主義の攻撃型、この様に書けば、名前を挙げてきた共産主義者に対して「なるほどなあ」と思っていただけるのではないでしょうか。
 弁護士の資格を取り職員を辞めた。そして党員として党のため働きました。
飯田市職員時代は職員組合で活躍し、弁護士に成ったはなったで飯田市の顧問弁護士に、田中秀典市長の足元で、職組のために党のために頑張ったんだと思いますよ。そして今から6、7年前に飯田市の顧問弁護士を辞めた(辞めされられた?)ようです。
(飯田市は現在顧問弁護士を置いていないようです。共産党の顧問弁護士であっても置いていればもしかしたら飯田荘改築事業による犯罪は防げたかもしれません)       平成29年5月5日

   なぜ聞いていたのか知っていたのか
 『弁護士を着けないで裁判に及ぶ』 このような事を何も好んで始めたわけではありません。当然最初は弁護士に頼むつもりでありました。 しかし、「勝たないように」なんて常識的な話ではありません。当然勝つためには誰が、どの弁護士が良いか考えるものであります。
 弁護士には懲りていました。
中村弁護士の評判の悪さは聞いていたが、飯田市の法律相談にてその考え方、対応が理解できなく「やっぱりな」と感じてしまったし、続いて紹介された原弁護士は見習いに良いようにあしらわされるし、建築士会紹介弁護士は下平弁護士だし、飯田の弁護士ではだめだと思い法テラスに相談すれば「飯田下伊那の範囲で紹介します」との対応。それはもう “ささらほうさら” でしたから、消去法で絶滅しました。
 勝てっこない
社長は「勝てっこない」と弁護士以前に反対され、勝つつもりはないなんて誰にも言えない状況で四面楚歌。
この時、思い出したのが在る者でした。詳しくは書けませんが、財務省在籍者です。 平成29年5月7日      
   彼に相談した
園原ビジターセンター(資料館)の一件が官製談合という犯罪に成るのか!? 犯罪が根底にある場合民事訴訟はどの様に進めたら良いのか?また裁判が出来るのか? この様な疑問を抱いていました。
飯田市以外で弁護士を頼もうか、ならいっその事東京にしようか、東京なら彼に紹介してもらおうか
 とりあえず電話をしました。
「国も多くの訴訟を扱っている、裁判に成ることも多いけど、いまそこの部署にいて担当しています。だいたいの話しは分ったけど、国がお願いしている弁護士の一人に親しい人がいるので、簡単で良いので文書にしてくれれば相談してみます」
 目的が分らない
手紙を書いています。 久しく書いた事がない、季語はどうしよう前略で行こうか・・ラブレターなら遠い記憶があったかも・・
 書き記したが、まるで箇条書きである。 これでは目的が分らないかも、まあいいか経過を分ってもらえれば、後は話しで行こう                          平成29年5月9日   
   
   村は無くなるよ
 彼から電話が入る、どうも理解出来ないらしい。 それは、私の言っていることでなく、阿智村の村長がやってきた事にありました。
 弁護士が言った
どうも漫画の世界と思われたらしい。余りにもばかばかしい話しと受け止めたみたいで有りました。
「日本の国で、今もってこの様な地方自治体があるなんて考えられない」
この様にその弁護士は話されたという。 唐突過ぎて飲み込めない、「ん、どういうこと?」
 確かに官製談合だが、余りにも単純な官製談合であり、この様なことは村長であれば有り得ない事、議会で村長罷免をするだろう。・・・これが一つ
 契約書なくして業務発注は不可
行政が契約書なくして業務を発注する事は出来ないし有り得ない事。それを行ったと認めた上で不履行し、提訴されるなんて事は有り得ない事。・・・これが二つ目           平成29年5月11日   
   
   三つ目  当然弁護士が居るんではないか?!
 信じられないが本当だ! 繰り返し話しても有り得ないような話し、だが、私にとっては事実であり、何をどうしたら解決の糸口がつかめるか?前に進められるのかが分らない。
「村にも弁護士が居るんだから、そうは成らないよ」 いや、その弁護士が共産党で、岡庭と同じなんだからどうしようもない。
「そんな事はないんでは、弁護士で有ればこの様なことに成らないようにしますよ」 そうは言ってもその弁護士が居てこうなったんだから、俺はこうしたくないと話してきたのに「存分にやれよ!好きにやればいいじゃないか」と、まるで話しに成らないんだ。
「裁判やっても地方では勝つか負けるかだと思うけど、どちらかが上告となれば国に、高裁に出てくるようになるんだけど、そんな事は有り得ない」 うん、そこのところが良く分らない、あり得ないということが。
 相手は村、地方公共団体
岡庭さんが相手じゃないんだから、阿智村は地方公共団体なんだから、地方公共団体が高裁の被告に成るという事は、国で国の出先機関を裁くことに成る。判決が出るとは考えづらいが、阿智村は無くなるかもしれないよ、万が一負けたら間違いなく無くなります。そんな事は弁護士で有れば当然のことで、そうならないよう、裁判に成らないよう話しあいで解決するのが弁護士に求められている。  平成29年5月13日  
  
   今に成って気づいた事の重大性
 私は素人である。何も知らない世界でした、少なくともこの話を聞くまでは。
下平弁護士を国の弁護士と比べても無理なことでしょうが、聞いてみると根本的な話であります。
契約不履行とか、たとえ大きな犯罪である官製談合とかを口に出してもはばかるくらいなショックを受けました。
 正義は此処に無い
万が一、万が一ではあるが民事裁判で勝ってしまったらどうなるのだろう? おそらく上告されるであろう・・上告となればまさに “そうなってしまう” かもしれない。
大変なことである、おそらく下平弁護士はそのような理解は何もない、それは今までの扱いを見ていてハッキリしている。
 負けるしかない
漠然とはしていましたが、負けるしかないと思いました。有り得ない話であれば無かったことにすればよい。 村をつぶして何が正義であろうか、こんな事はあってはいけない事、だったら無かった事にすればよい。 そして、裁判とならないよう調停において話をつけるしかない。      平成29年5月15日  
  
   官製談合のほうがまし
 岡庭一雄は官製談合と知って震え上がっている。
まだ手の打ちようはある。それは、岡庭一雄は岡庭村長として犯罪を犯している。これは民事でなく刑事訴訟であります。
 園原資料館は資料館でなくなりビジターセンターとなってしまったが、それがどのような経過や目的が有ったにしても出来てしまったことも事実。
岡庭や時雄はビジターセンターを無理やりにも採り上げて実績を重ねていくだろう。そうでなければ曲がりなりな監査でも通すことの困難は想定できる。(その辺の抜かりのなさは流石ともいうべき、だがお見通しです)
 資料館でなくなったことは章設計の官製談合が無くなったこと、ビジターセンターが完成したことは官製談合も確定されたこと。それに鈴木設計はもとより原建設も共犯となったという事であり、岡庭一雄は鈴木設計と原建設、二つの官製談合を行ったという証拠がビジターセンターということである。
 岡庭は知らない
職員時代に行った贈収賄、そして今回の官製談合、その何れも村長を辞めて丸3年経たなければ “時効” と成らないことを岡庭一雄は知らない。 贈収賄については昔のこと、とっくに時効に成っていると思っているだろうし本人も忘れているだろう。しかし、警察は知っているのであります。  平成29年5月17日  
  
   反省すればそれでよい
 調停の経過は書き出してきました。読み返していただければ、岡庭一雄の不安が読み取れると思います。
官製談合だと下平弁護士は当然のこと知っていましたから、調停での解決を望んでいたと思います。 それが、裁判まで持ち込むとした “私の考え” が読み取れなかったために、手法を間違えたのだと思われます。
 何を言っているのか!相手は弁護士だぞ!
その様にお思いになる方も居られるでしょうが、弁護士だからこその間違いがあったのです。
 そこには、“素人” という、経験無い相手がいた!
調停で片が付くとしたが、想像もしない “官製談合” を口にして、「岡庭は村長を辞任せよ!」それが、和解条件だとしたことから始まり、裁判では、「契約書が無いのに設計料を払う」とした岡庭村長の返答を取り下げ、和解勧告を拒否せざるを得なくなった。
このように、打つ手打つ手が想定と違っていくことは、かつて無い戸惑いを弁護士自らが感じていたと思います。(これはその後の証人喚問で知る由に成ります)            平成29年5月19日  
  
   下平弁護士の考え
 何度かの準備書面のやり取りの後で和解勧告という流れはお手のもので有ったでしょうが、今回はそう云う訳にはいかない。
 契約書が無いものは払えない
現実に指示して基本設計をやらせたのは事実だが、契約していなかった。行政において300万を超える発注業務に契約書が無いなんて事は有り得ない事、和解勧告にて支払うとなったら負けたも同じこと。
 支払い拒否
拒否は和解勧告で有るが、どの様になっても1万円でも支払う事が出来ないのであります。
法律は最低限の制限でしかないが、その最低限でも負けることは有り得ないのだが、今はとにかく和解勧告を拒否するしか方法が無いのでありました。
 よろしいんですか?
これは裁判官の言葉であるが、「和解勧告を拒否して判決でよろしいのですか?」と、確認されたのであります。
下平弁護士は負けを覚悟してのことで有ります。それは当然のこと、「契約書なくしても口頭契約と見なします」と、裁判官からハッキリ伝えられていたからであります。          平成29年5月21日   
   
   青天の霹靂
 天は無常なものであります。
判決日が確定した。 平成20年3月18日  それはただ待つだけのことでありました。
複雑な気持ちでありました。負ける、負けなければならないとしても、勝つかもしれない?!と、少なくともその様な気持ちと交錯していたのも事実でありました。
 平成20年3月15日
その日は唐突として来てしまいました。 前日の14日金曜日、くだらない部落役員会議が急きょ開かれました。
 部落長が熊谷孝志
園原財産区の権利山のことについて、一旦部落で決めたことに異を唱えたのが熊谷操氏、欲とつまらぬ意地が元にあってのことです。 役員会を開き、「部落で購入すると決めた権利山」を保護にせよと、怒鳴り込んできたのでありました。
操氏が個人的に手に入れようとして断られた権利山を、それより安く部落が購入したことに腹を立てたのです。 権利者は「操には絶対に売らない!」と頑なに拒否され、「部落なら願っても無いこと」として分けてもらったものであります。
当然部落会に掛け、全員が賛成了解の下に決定した事項でありましたが、そこが操氏の操氏たるところでありました。                                平成29年5月23日   
   
   そこに入った緊急電話
 その10日まえのこと
ノロウイルスが完治したと飯田病院から退院した父は、三日後に血を吐いた。 腕の中で青冷め目を閉じる父に声を掛け、大きく二度三度と体を揺する、それが良いのか悪いのか考えるではなく、逝ってしまうのではないかとの恐怖心でありました。
 生がつく
救急車を呼んだ、初めてのことである。 行き先は私立病院、応急処置の上入院した。
翌日の検査結果で急性十二指腸潰瘍だという。
 完治の見込みが知らされない
付き添いが必要だという、妻と交代で着くことにした。 今日は私の番、その日急に役員会を開くと連絡があった。 妻に、会議が終わったら交代するからとつげていた。
 くだらない男のくだらない話
馬鹿にもほどがある。 部落の付き合いを息子孝志に譲り、三年後に孝志が部落長をやっている。
その部落会議において全員了解の元決定した話である。 それを保護にせよ!なんて、どのような感度でものが言えるのか、それも息子の孝志を使ってだ。               平成25年5月25日   
   
   イライラしていたことは事実
その場には熊谷秀二もいた。彼にはハッキリ言っていた。「余りにくだらない話しをしたら、水道保証金着服で白黒つける!」と、
 好きな事を好きな分だけ言い切った部落長孝志の話は矛盾だらけである。 「部落では何も決めていない」「俺は詳しい事は知らなかった」「〇〇(権利者)は部落に買ってくれと言っていたわけじゃない」「章文さんが親戚なんだから自分で買えば良いんじゃないか」
親の目前であったから元気が良かったのか、親のごり押しを部落長として擁護する気持ちが強すぎたのか、まあ見ていられないぐらいの醜態であります。
 親が親なら・・・
権利者は園原部落と書付約束をしていました。『昭和80年までに部落と話し合いをする』
これは、中央道恵那山トンネル工事によって移転を余儀なくされた財産区権利山の権利所有についてでありました。
 阿智村内に移住したものに対しては、昭和80年まで権利を残したのであります。
その人は山の手入れをして、もう明日にも伐採が出来るのではないかというくらい状態の権利山でしたが、中にはヒノキ以外の樹木の山があったため、熊谷操氏は一番良い山を自分で買うようにして、残りの二つの山を他の者に無理やり買わせるような話をしており、お金も三頭分としていたことが判明したので、権利者が怒ってしまったのです。                     平成29年5月27日  
  
   権利者の奥さんは操氏と従兄姉
 なぜにこの様なつまらぬ話になったかといえば、その原因のひとつに叔父・時雄が二人の考えの元で作り上げた「本谷・園原財産区」にありました。
当時の財産区総代長渋谷章行氏(時雄の子分)が、園原財産区と権利者の「昭和80年取り決め」に介入したのであります。
 何も知らない渋谷章行
渋谷章行氏に限ってのことではありません。この当時から財産区の成り立ちなど知っている人は誰もいませんでした。
そこに持って、叔父と時雄が自分たちの考えでつくった本谷・園原財産区を「本当の財産区」として押し付けていましたからなおの事でありました。
 操氏と時雄の考え
昭和80年の約束事は、操氏は当然のごとく知っておりました。そして、権利者から「ぼつぼつ話をしてほしい」と園原部落に連絡があるとすぐに「本谷・園原財産区と話をせよ」と手を回し、時雄に電話を入れて「〇〇の山の話はそっち(時雄)で話をしてほしい。俺が買ってもいいが直接だと章文がなんか言うかもしれん。」、「分かったが、章文とはどういう親戚かな?」、「章文の家の別家だよ」平成29年5月29日  
  
   時雄の策略
 渋谷章行氏も操氏に通じていましたから直接の電話もあったでしょうが、「俺が総代長だ」の驕りがそうさせたかもしれません。
 〇〇さんの自宅に出向いた渋谷章行氏
〇〇さんは祖父と従兄弟に当ます。たしかに別家であります。今でも健在であります。そして、園原の歴史、熊谷家の過去帳までつくった人であり、なにより園原財産区の草分け的な存在でもあります。
熊谷操氏などこの人の足元にも及ばず、操氏はこの人と会うのを避けていたくらいでした。
 この人の前でなんと、何と!「俺が間に入るから権利山の話をしてくれ」ととんでもないことを言ってしまいました。
 火を見るより明らか
普段は寡黙で穏やかな人であります。「お前に園原財産区のことを言われる筋合いは無い、帰れ!」その様に一喝されたようであります。
 震え上がった渋谷章行氏
その一言は全てを物語っていましたが、その真意を知るものは私しか居なかったのも事実であります。
後日、部落長である熊谷寛さんとともに謝りに行きました。そこで、その様な話があったことを聞かされ、同時に園原財産区は園原だけのこと、今の本谷・園原財産区のやりかたは間違っている。
 昔のことを知らない者ばかしになったことを嘆き、「本家には園原の歴史と財産区の成り立ち、そして権利山の割り振りなどの書類があると思うが知っているか?」と私に確認されました。平成29年5月31日  
  
   熊谷家は園原の歴史
 空模様のコーナーに少し書き出していますが、園原は大和朝廷からなる日本武尊(ヤマトタケル)の伝説があるくらいですから古いでしょうね。
当家には江戸時代初期からの石塔が何体もありますが、位牌はそれ以前のものが何枚も重なって有りましたが古すぎて文字が読みとれなくありました。
 財産区などはごく最近の話
それ以前の山割り図や書付が残っており、そのすべてを確認しています。そしてごく最近(曽祖父)の小野川村の共有山の関係図も割付面積もすべて残っており、祖父の時代の園原財産区分割山(公図割り有り)面積などの書付も全てあります。
当事、別家のおじさんが園原財産区の総代長であり、分割した権利山の現地立会いなどを園原部落全員参加で行っている記録も残っています。(父が会計と書紀を兼務している)  
   
   このことを知っている者は私しか居ない
 本来なら園原部落で話し合うことであり、それであれば何事も問題は起こるはずもありません。
なぜにこの様なばかげた事が起きるかといえば、“欲” 以外の何者でもありません。 叔父と時雄君が欲を出して無理やり二つの財産区をくっつけた。 そこに持って熊谷操氏が欲を持って “良い山” だけを手に入れようとした。
 操氏も全ての山を買うとして話をすればまとまったかもしれないが、(実際はありえない話、おじさんはこの人には売らないから)三つの山の一番良い山だけを一番安く買おうとした策略があったからこじれてしまったのです。                             平成29年6月2日   
   
   部落で買うとした
別家のおじさんの所へ出向き頭を下げました。「いろいろごたごたしてすみません。昭和80年の話は知っていますが、行きがかり上部落に売ってもらうわけに参りませんか?」
 寡黙な人
私が今年から財産区総代となりました。いままで話は聞こえていたんですが、部落会の中では何も話されず、本谷・園原財産区の総代だけで取り扱いされてきました。
 あの時(恵那産トンネル工事による移転)、権利者が出て行く条件として一人50万円を部落から支払っていることも確認していますし、おじさんが、昭和80年まで据え置くとしたことも知っています。
今回は「園原部落に分けていただきたい」として、話をしてもらえませんか。
「そうか、部落が買ってもらえるならそれが一番良い」 そう言って、山の写真を見せてもらいました。
「これを見てもらえれば分かるとおもうが、恥ずかしい山は無い。森林組合に立ち会ってもらい、値段も出してもらってある」・・・分かりました。一応、部落会にて話をし了解を得たいと思います。
 あつかましいですが
了解してもらった上に勝って言ってすみませんが、30万ほど安くしてもらうわけにはいきませんか? 
「そうか、お前に任せるよ」                          平成29年6月4日  
  
   乗り込んできた熊谷操
 部落で了解を受けました。その時の部落長が熊谷孝志でありました。
中央道恵那山トンネルにおいて移転される園原部落の人に財産区権利山の放棄はやむを得ないこと、権利山は全て園原財産区で買い上げるとして50万円づつ支払っている。
 熊谷操氏が怒鳴り込んできた訳は
村内移転は叔父さんの家だけでありました。おじさんは別家として多くの山林を所有しており、また、権利山も多く在りましたので、部落と特別な話し合いを行い昭和80年までその実行を先延ばしにされたのであります。
その様なことは当然操氏は知っていることです。ですから最初は買おうと思っていなかったと思います。
その時の総代が無知識であったのが何よりの原因ですが、議員であった実力者、熊谷操に「どうしたら良いか?」と相談したのが事の始まりです。総代であれば、おじさんから話があれば部落で話すべきことであります。
 欲が出た
おじさんの山はどこにあるか、どの山がどの程度の山か?なんて操氏は周知のこと。ですから、「この山はお前が買え、これは俺が買う、これは章文の山の隣だし本家だからこれで買うようにお前が話をせよ」と、総代に指示したのであります。                       平成29年6月6日 
  
   その通りに動く総代
 「章文さ、〇〇さの山知っとるら? そのうちであそこの山80万で買ってくれんかなあ?」 そう言って訪ねてきたのがその時の総代でありました。
ん?何のこと  そう返したが、すぐに理解できました。 黙ってしばらく聞いた後に、別家のおじさんだから、うちに買って欲しいなら直接来るよ。
 操さの指示
「山は四つあって操さがここの山は俺が買う、そこの山はお前が買え、あそことあそこは章文に買ってもらえ」と  総代に話があったんなら部落に話があったことと同じなんだから、部落会を開いてみんなに相談すべきじゃないか?
 そうは言っても
「章行さが、部落の揉め事なんだから部落で始末をつけろって言うもんで」 よく話が分からないが、おじさんの山は園原財産区の山、章行さんは本谷財産区の総代、ヘブンズの会計を一つにしているだけなんだからそんな話は章行さんができる事じゃない。 「なんか、〇〇さの所へ行ってこっ酷く起こられたようだ」 それは当たり前だ、園原部落と話した約束なんだから章行さんは何も関係ないんだから。話がこじれないうちに部落に話を出せよ。
 この様に、部落のほとんどの者が経緯を知らないのです。また、それをよい事として、総代の役を “言うことを聞く” 者にしてきましたから、こんなお粗末な話になってしまうんです。  平成29年6月8日   
  
   ぐざる操氏   何が気に入らなかったのかって?
 そうなんだよなあ 何が気に入らなかったんだろう? 私が残った山を買わなかったからかな?
いやいや、そんな事ではありません。 気に入らなかったのはそれこそ “操さ” 足る理由です。
 部落で買うようにした事
おじさんは「昭和80年の約束」に沿って、園原財産区(部落)へ話しを預けたのであります。
そこに持って何も知らない総代が、それももっとお粗末な時雄君の子分本谷総代に話しをかけてしまった。(ここも操さ) 本谷総代がおじさんを怒らせてしまった。その上、裏で操さんが糸を引いているのが分りこじれてしまった。 私が糸を切り、おじさんと話しをまとめてしまった。
 これでも熊谷操はなんとも言っていはいない。 問題はそのまとめ方で有りました。
園原の総代が操さんに伝えた金額より、“30万円” も安く部落が買うようにした事にありました。
 そんな事??
そんな事?その程度の事でまさか?とお思いでしょうが、操氏にとっては “その事” が我慢ならなかったのです。
どちらかと言うと、「我慢ならない!」ではなく、「ここが文句を言えるところ」であったのです。平成29年6月10日   
   
   おじさんが一番煙たい人
 操氏は、このおじさんの前では園原のどのようなことも発言できませんでした。それだけおじさんは何もかも経験してきており何もかも知っていますから、とても煙たい存在であったろうと思います。
 人の山に食い込む境
操氏が次男のためにと買った権利山(まだお金を払ってくれないと田中氏は言っています)の境の杭を、8mも喰い込ませています。それに気がついたのがこのおじさんで、「あれはこういう事をしている。知っておいたほうが良い」と、その時に話してくれました。
権利山は全て公図が有りますので、境を移動しても分かりますが、操氏は「権利山に公図なんて無い」としていますので、このようなことを平気で行うわけであります。この食い込まれた権利山を最近購入したのがその時の総代であった者です。「章文さ、たしかに境杭の位置が違うがどうしたらいい?」と、相談に来ましたので、心配するな公図が有るから、いざとなったら間に入ってやるよ。と伝えています。
 文句を言えるところ
馬鹿でもあるまいが、この様なことを言い出すのは、そういう者でしょう。
「部落で買うなんて事は決めていたことじゃない」「部落で買う必要もない」「権利山なんだから80年が過ぎたんだからほうっておけばよい」
 一番良い山を買おうとしたこと、裏で話を進めていたこと、思い通りにしようと画策したのがばれていた事、それらがよほど悔しかったんだと思います。
 私から見れば、悔しがることじゃなく、人間として恥ずかしいことだと思うのですが・・平成29年6月12日  
  
   結末
 3月14日の夜に開かれた急きょな部落役員会でありました。部落長の孝志は親父が言い出せばその通りに進めるのに迷いはなく、「部落で決めた分けではない!」とまで言う始末。 ほとほと情けない姿でありますが、こちらとしてもこの様なバカげたことにいつまでも付き合っていられない。
 気に成っていたのは父の状態
今夜は会議に成ったから、二晩続けて付き添いしてくれるかと妻に頼んできたがとても気がかりでありました。
 冗談じゃない
部落長孝志の余りな言い方に堪忍の緒が切れて言い始めたその時、携帯が鳴りました。 それは妻からであり、言いようのない不安の中で席を外しました。  
  
   父の死
 父の様態が急変したという。電話口では詳しく聞けず、「とにかくすぐ行くから」と電話を切り、会議の連中に断りも入れずに飛び出しました。                   平成29年6月14日  
  
   異様な光景
 焦る気持ちがそうさせたのでしょう。妻に電話を入れながらの運転でありました。
園原インターから少し下りますと電波が届きづらい所がありまして、話が途切れ途切れになり何を聞いているのかさえ分からなくなりましたが、「お義父さんの様子がおかしいと先生を呼んだら、息子さんに話があると言われた。だから早く来て・・・」だけが頭にこびり付いていました。
 起き上がる父
飛び込んだ病室で目にしたものは、それは異様な光景でした。
ベットから「ガバっと」起き上がる父の目は泳いでいました。 それを数秒ごとに繰り返すしぐさに(これは通常ではない)と察しはしたが、何がこうさせているのか、先生の話とこの状態には何の関係があるんだ、早く先生に会わなくては
 その病室は6人部屋
父の手を握る、そして「どうしたの?苦しいの?」問いかけるが私を見ようともしない。
たしかにこれは普通ではない、「おい、先生が会いたいって言っているのに居ないじゃないか、おい」と声を殺して妻に話しては見たが、「ここでは」として廊下に促がした。       平成29年6月16日   
  
   いい加減さ
 看護師に先生に会えるようお願いしました。
「先生?今日はもう帰られています」 はあ? あのう話しがありますと聞きましたから来たのですが・・ 「聞いておりませんので」 いや、話しは兎も角も父の状態が異常なんで、ですから先生に話しを聞きたいのですが、おい、そうじゃないのか!?と妻に   「特に異常は見られませんよ。先生がそう言ったのであれば月曜日であれば朝こちらにいますので」
 父に言い聞かせる
今看護師さんに聞いたら大丈夫だっていうから、えらくても頑張ってよ
父の目はどんよりぎらついていた。 何も話さないし何も答えない、 今夜ぐっすり寝れば明日には良く成るから  そう言った時目を閉じた  落ち着いてくれたようだ。
 夜中の電話
どうする、俺が付いても良いが、一旦帰って風呂に入ってくる。「今夜は付くようにしてるから私が見ます」 そうか、まあ大丈夫だと思うけど何かあったら電話してくれ。「子供がノロウイルスで寝てるから気をつけていてよ」 わかった。
 夢? 夢であってほしいい
枕元に携帯を置いて寝床に着いたがなかなか寝付けずにいた。それでも寝たのだろうか、なんか鳴った!
平成29年6月18日   

   
   聞きたくない妻の声
 そこはICU(集中治療室)だったのか?
四、五人は居ただろうか、父の周りに医師から看護師が取り巻いている。 何をしているのだろうか?
一人の看護師が私を見て移動した。 父に寄り添う、もう目が死んでいた。
 心臓マッサージ
もう死んでいた。 止まった心臓をかわるがわるマッサージし、AEDで刺激を与えるだけ
いく時間経過しただろうか。 医師が私に話しかける 「今は心拍がありますが、数時間で・・残念ですが」・・・ なんという事であろうか、何なのか、動転しすぎて何も考えられない。  
 母に会わせたい
飯田病院に入院している母を、妻が迎えにいってきた。 車椅子の母は、「もうだめじゃないか」 そう言って父の顔をなでている  
  
   判決は3月18日
 葬式が18日になりました。 裁判の判決日の事は何も頭に無かったが、社長(現熊谷市会議員)が言う。「判決日を延ばしてもらった」
 後になって
なぜ社長は判決日を延ばしたのだろうか? 判決には何も立会いを必要としないし、後日、判決文をもらいにいけば良い事である。                          平成29年6月20日  
  
   大きく変わる裁判の行方
 私はただ悲しみにくれていただけでしたが、社長は葬式の一切を仕切っておりてんてこ舞いであった事でしょう。また、弁護士役まで行って口頭弁論を進めてきていましたから、裁判官のそれを直接聞いてみたいとも思ったのかもしれません。
 裁判官が代わる
考えてもみない事の連続でありました。 裁判所から「裁判官の移動」通知が参りました。
社長も戸惑ったと思います。 「全ての引継ぎは行っております」の話はありましたが、なんといっても初めてのことばかし、ただただ流れに身を任す心境ではなかったかと
 びっくりした!
何とまあ驚く事が続きました。
代わった裁判官は調停時の裁判官でありました。「この調停は、官製談合を行った岡庭一雄村長が自ら職を辞する事を目的としています」とうったえた時の裁判官でありました。
 経過は知っている裁判官ですが、それがどうのこうと言う事でもない事は分かっていますが、なぜか、「裁判の勝ち負けではない」とした私の気持ちは知っていてくれるのでは?という気は持ちました。  平成29年6月22日  
  
   今度は、被告弁護士の方から
 たしか葬式の二ヵ月後くらいであったかと、口頭弁論が開かれました。 被告弁護士の下平弁護士から「被告岡庭一雄村長を証人喚問させます」と提案されたといいます。
 なぜ被告が証人に?!
下平弁護士いわく、「負ける事を考えた場合、高等裁判所に上告しなければならない。高等裁判といえば東京で開かれる。また上告するのは被告本人となるため本人が東京まで出向かなければ成らない。地方公共団体の長が高等裁判所から呼び出しを受け、村を留守にすることは許されない事。ついては今回の裁判で証人喚問を受けさせれば東京へ呼び出されなくてすむ」という事らしい。
 裁判官は関知しないこと
下平弁護士の手法ではなく、高等裁判所の手順であるらしい(?)
下平弁護士と直接遣り合っているわけではないのでありますから、社長も弁護士役として双方で話し合っての事です。(何も知らない者の強みかな)                  平成29年6月24日  
  
   例が無いみたいだよ
 そう言って社長は帰って来ました。
たしかにそうであろう。被告が証人喚問をするなんてことがあるのだろうか? 通常は原告側から証人を用意するものであろう。
 少し冷静になる
疑問だらけ?  こちらは証人なんて考えなかったのだ。 それは、「契約は取り交わしていないが業務依頼はしました」と認めており、設計料(基本設計)も支払いますので裁判によって料額を決めてくださいと被告が答えているからであります。
 何のための証人喚問なのか?
簡単に言えば、「負ければ上告、勝ったにしても上告される」であります。
どの道話し合い(調停)では解決される内容でない要求を突きつけたことにより、「章設計は裁判を望んでいる」とみなされ、「裁判が望みなら上告は織り込み墨なのでは?」と、下平弁護士が気づいたからに他ならないのでありました。(この辺がプロですが、こちらは素人ですよ。勝つための裁判でないのに気づいてほしくありました)                          平成29年6月26日  
  
   勝つためなら弁護士に依頼
 社長自らが「勝てっこない」として裁判に臨んでいますので(当然のこと)、被告は「負けられない」として手を打っているのだろうと考えるのは当然のことであります。
私が弁護士に依頼せず社長に弁護士役までやらせているのですから、社長は「何で裁判までするのか?行政を相手に勝てる訳がない」と意固地になるのも無理はありませんでした。
 考えてみてくれ
勝てっこない裁判なら裁判に成らないだろう。裁判に成ったと言うことは、勝てるかもしれないってことだ。 その様に言うことが精一杯でありました。
 だったら弁護士を使うべきだ
勝てる可能性があれば弁護士に依頼するべきだ!それはごもっともなことであります。
 勝ち負けの裁判ではない。官製談合という犯罪の事実認定が目的なんだ。 などと、たとえ言ってみても理解されるわけではない。「だったら警察に行くべきだ」と、こうなってしまうのであります。    平成29年6月28日  
  
   ろくな弁護士がいない
 数少ない経験ではありますが、以前に書き出したとおり飯田市の弁護士には少々失望をいたしておりました。まあ、希有な弁護士であったこととしておきますが。
 それでもプロ
勝つかもしれないで有れば、弁護士ならばその確率は高くなるでしょう。 それが本当の理由であります。
 急な手当て
被告側弁護士が岡庭一雄村長を証人喚問するということは、こちらも証人を用意する必要が出てまいりました。
 証人を誰にしようか?
社長弁護士いわく、「操さは無理だら?当然山口会長と思ったけど、来てくれる分けがないし、二人とも本当のことを言うかわからん」
 そんなことはない
操さだって「資料館の設計は章にやるって村長が言ったんだから訴えられたってしょうがないじゃないか」と岡庭に言ってやった。と言っているから大丈夫だと思うよ。        平成29年6月30日   
  
   山口会長にはすべて話してきた
 ホテル阿智川と原建設の会長だから人は「会長」と呼ぶ。 今で言う “忖度” が一番当てはまる人ではないだろうか。
 園原資料館の官製談合
これだけの人であっても官製談合と業界の談合は区別できなかったが、今まで生きてきた人であるから其れが理解出来た時にも修正しようがなかったのが本音であろう。
 寄付行為
原建設としての官製談合は警察に協力(自首みたいなこと)すれば罪に問われないと進言したが、条件付きの寄付(500万円)をしていた事で躊躇してしまった。
 
 証人に不向き
この様な裁判において正直な証人を期待するのは無理があります。
何故かと言えば、民事裁判の裏に官製談合という大きな刑事犯罪があるからであり、そこに関与していない様な発言が出る事は想定しなければ成りません。
たとえ勝とうとしていない裁判で有ったにしても、民事証人で否定される様な証言が官製談合の事実として取り上げれなくなる可能性があるからであります。               平成29年7月2日   
   
   証人として絶対的な証拠を持っていた
 山口会長はいまでも言っていますし、親しい方が聞けば話してくれるでしょう。
「岡庭は俺には絶対に頭が上がらない、なぜかと言えば動かぬ証拠を握っているからだ」 この様に話されると思います。   
   
   章を外す
園原資料館の便所を切り離し、公衆便所として業務発注をした。 その事業ははからずも章設計が落札した。 原建設の社長が入札前に岡庭村長を訪れ「予算的に厳しい」、すると岡庭村長は章設計を呼びつけ設計変更を指示する。
章設計に「それはやってはいけない」と諭されると、「章設計を外せ」と号令をかけた。
その足で原建設に会長を訪ね、「章設計を外す」と告げている。
これらの話は山口会長が熊谷泰人社長に直に話している。
 これは状況証拠
損害賠償訴訟においては何も関係の無い事実であります。また、官製談合では証拠にもなりません。
官製談合の証拠としては寄付行為でありましょう。               平成29年7月4日   
   
   損害賠償訴訟の証人
 「章設計に園原資料館の設計を依頼する、原建設が工事をやればよい」と岡庭村長が発言した席には、章設計他、山口会長、福岡助役、熊谷操議員が同席していた。
 証人を立てると成れば原告に有利な証言者とするのは当然であるが、なぜか社長弁護士も山口会長を良しとしなかった。それはなぜかと言えば、山口会長と社長の下話があったからに他ならない。
なぜ社長弁護士はその様な考えであったかと言えば、「俺は証人になる事は嫌だ」と聞いたからであります。
 山口会長と社長との付き合い方にまで口出しするつもりはないが、知らないふりをした。  
  
   原告の証人は私
 被告阿智村の下平弁護士は、オフレコであるが「なぜ山口会長か熊谷操議員を立てないのか?」といぶかんでいたらしい。 まあ、素人の弁護人だから無理もないと思ったのか、通常のやり方でないと困惑したのかは知る由もないが、二転三転と変化していることは素人ながら感じておりました。平成29年7月6日  
  
   負けるのを覚悟
 章設計は「勝つかもしれない」であり、私は「負けなければ成らない」でありますから、「負けるのを覚悟」したのは、阿智村下平弁護士でありました。
「馬鹿なことを言うな、章設計なんて勝てるわけ無いじゃないか」「悪いのは章設計だ」と言われているさなかであり、また議会議員も「なんで弁護士を使わないのか?」から「警察には訴えないのか?」と、聞こえてもおりました。
 下平弁護士は「負けるかもしれない」を前提としており、勝っても上告はされるとの前提において岡庭村長を証人とすることとした。 またその考えは、どういう訳か下平弁護士自らが熊谷社長弁護士に話している。
 下平弁護士の本音
弁護士であるからニュアンスでしかないが、社長の感じでは「岡庭一雄はどうしようもない!って感じは下平さんにもあるのでは」でありました。
それとこれでは意味も成さないが、奥深くは感じ取れてはいないことでありますから、この一連が私の考えるがごとく進められるとの自信は有りました。                 平成29年7月8日   
   
   私が証人になれるのか
  岡庭一雄の証人喚問の件は分ったが私は原告の役員だ、その私が証人に成れるのか?
私が証人喚問されるなどとの事は考えてもいないことで、戸惑いのほうが先でありました。
一時は和解勧告で治まってしまい、勝ったも同じこととして取り扱われましたから忸怩たる思いもありました。それが、私自らが裁判官の前で証人喚問を受けるとは?!
 これは宿命なのか
私にとっては願っても無いことであります。
弁護士を代行させ、職員に指示して傍聴させて表には一切出てこない岡庭一雄本人と、ある面、これ以上ない場で “渡り合える” なんてことは
 新聞記者
南信州や信州日報、信濃毎日新聞も毎回傍聴していたが、岡庭一雄とその三役(水上・佐々木・山口)は一度たりとも傍聴に来てなく職員任せでありました。              平成29年7月10日  
  
   代わった裁判官
 裁判官も移動があるんだ。 裁判所なんて特別な場所だと思い込んでいましたから、「裁判官が代わります」なんて言われれば、「え!?」となるのはどなたもでしょうが、「契約書が無くともその業務を知ったうえでの口頭契約は成立します」と言ってくれた裁判官が代わるとなると、「今度の裁判官も同じように判断されるのか?」などと、裁判官も普通の人間であるような錯覚に陥ってしまいました。
 裁判官は人間でない
頭の中が空っぽなのが裁判官であり、どちらの言い分が法律に適合しているのかと判断させるのが弁護士なのである。
 言い得て妙であります。
確かにそうだなあと・・しかし、こちらは素人の弁護士、法律でもって扱える体制は出来ていない。  
  
   代わった裁判官は、調停の時の裁判官ではないか!?と感じました。
証人者として対面した時、それは見覚えのある裁判官でありましたが、なぜか不安と安心が入り混じった妙な感じでありました。                            平成29年7月12日  
  
   構える
 TVでしか見たことも無く、まして自分が証人となって裁判の証人席に付くとは思わなくありました。
何を聞かれるのであろう? 社長弁護士からは「だいたいこんな風ではないか」などと聞いてはいたが、それはそれは緊張するものでありました。
 見ていられない
それでも私にとっては願っても無い展開であり、勝ち負けでない裁判であればなお更のこと、「岡庭一雄村長が官製談合を行った事実」を、如何にして民事裁判記録に残せるか! でありました。
この様なことを目論んで証人席に座るのですから、それはもう頭の中はいっぱいでありました。
 岡庭一雄村長からそれは始まりました。
傍聴席に入ると岡庭一雄村長はすでに座っておりました。 
上目使いのいつもの様子はそこに無く、おどおどした子犬のよな顔つきは私との視線を合わせようとはしませんでした。
 待ち時間なんてものは無く事務的に名前が呼ばれ、岡庭一雄が裁判官のまん前に座りました。
許されるなら、その何とも裏寂しい後姿を写真に撮ろうかと思ったほどでありました。平成29年7月14日  
  
   うそつき村長
 おかしなもので、今思い起こしてみてもTVドラマの様に感じてしまいます。
先に呼ばれたのはどちらであったかも記憶していませんが、岡庭一雄村長の後ろ姿がいやにさみしかった事は良く覚えています。
 綿密な打ち合わせ
下平弁護士と詳細にわたりシュミレーションしていた事は想像に難くないが、わざとらしさというか、あざといやり取りに終始していたと思います。
 お主、役者やのう
岡庭から都合のよい発言を引き出そうと、私から見れば「なぜそんな質問を?」ばかしを繰り返し、裁判長に制される場面も有りました。(この事、役場職員がメモを取っていましたから聞いてみてください)
 稽古が足りない
聞いている私から見ても、もどかしい部分が多くありまして、「おい!しっかりしろよ!」と、心の中で怒鳴っておりました。
 流石の岡庭一雄も、裁判官の前では嘘を言う訳にはいかないという雰囲気はありありでありましたが、下平弁護士の誘導と言ってもおかしくはない質問の仕方に思わずいつもの自分が出た様で、「そう記憶しています」とか「その様でありました」などと、いつもの「うそつき村長」の姿に戻っておりました。 平静29年7月16日   
   
   請求額が高いとう答弁書
 今までは「支払うが、金額が高いのではないか」というやり取りできていました。
阿智村の設計業務額は 3.5%程度であり、中学校の改築では 1.7%であったと、それも設計監理費を含めての設計料額であったと答弁している。
 どういうことなのか?
実施設計と監理をしてもその様な設計料を支払っているのだから、今回の園原資料館はその前の基本設計であるからして請求額が高額ではないか。と、言っているのであります。
(中学校の設計は岡庭村長と鈴木設計の間で5%で決められていた。指名された設計事務所の談合により婿様は鈴木設計となったが、長野の第一設計が談合破りをした結果が1.7%でありました)
 議会に掛けるために高額としている
当初から設計料が欲しい訳ではなく、議会に掛ける事で岡庭一雄と熊谷時雄の悪行を知らしめることが目的でありました。
議会に掛かるためには300万円以上の請求が必要であるためにそうした金額とはなっているが、当然根拠は持ち合わせていました。
 議会に掛けずに支払いたい
金額が300万円以下であれば、すぐさま支払ってくれたであろう。 それは、依頼したことに間違いはないからであります。
 裁判でも同じ手法
設計の依頼をしたことは事実であるからして、それは認めた上で裁判に及んでいる。
請求額を下げることを目的としており、350万円の請求額が300万円以下となれば、それは阿智村が負けた場合に大きく作用されることになります。                  平成29年7月18日   
   
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   弁護士の考え
 なぜ弁護士は「支払額」に拘ったのかと言えば、250万円以下であれば村長決済で支払う事ができるからであります。
村長決済で支払えば村長の責任を問われるところまでは追求されないからであり、阿智村の顧問弁護士として裁判に負けたにしても結果的には阿智村に傷は付かなかった事になります。
議会も250万円を超えない限り追求できる事ではないし、またその様な事が成せる議員も居ませんからね。ただ、下平弁護士は章設計が訴えた意味は重々承知していましたから、もしかしたら裁判の勝ち負けよりも岡庭一雄が行った事実のほうを見ていたかもしれません。
その様に感じたのには幾つかの理由があります。その理由の一つに私への喚問のやり取りで “聞き方” に感じる所があったからでありました。                     平成29年7月20日   
   
   弁護士の喚問
 岡庭一雄村長への喚問は出来レースでありましたからその様な方向へ持っていきましたが、私への喚問は少し違ったように感じました。
 原告証人者への喚問でありますから違うのは当たり前ですが、私が言いたいのは、「下平弁護士も岡庭一雄に手を焼いているのでは?」という事でありました。
 呼び水は有った!
社長弁護士が「下平さんから、どうして契約書を交わさなかったのか?と聞かれたよ。だから岡庭さんは、設計をやるから図(か)いてくれ!って、いつもその様に頼まれます。それはうちだけじゃないですよ!と話したら、あれはそういうところが有るからなあと、妙に納得していた」と聞いていたからであります。  
   案の定
「阿智村の設計料は3%前後だが、設計料の中には設計料と現場を見る監理料とがあるのではないか」から始まりました。                              平成29年7月22日  
  
   3%前後は有り得ない
 答弁書を思い出しました。 阿智村の設計料は3%前後ではありません。3.5%で有ったところ、ここ数年は4%程度になっています。
 続ける下平弁護士
「園原資料館の設計図といわれるものは設計前の計画ではないのか、計画は設計ではないから設計料を支払う事にはならないのではないのか」「被告は設計を頼んだのではなくて計画をしてくれというような話しではなかったのか」
 さすがは弁護士
うまいこと突いてきますね。それこそこちらが山口会長や熊谷操議員を証人とせずしたからこその攻め方ではありませんか。(飯田市建築課とダブっていますね)
 こちらの証人は私でありますから、私が「岡庭村長から園原資料館の設計を頼まれた」と言っては見ても無駄な事であり、それは認められることではありません。
 下平弁護士が言った、「なぜ山口会長を証人としないのか?」 社長弁護士が聞いた一言が頭に浮かびました。                                  平成29年7月24日   
   
   最後の裁判
 証人喚問は最後の公判であります。
そこから裁判の流れが変わっていくのですが、社長弁護士としてはかなり “勝てる” 裁判へと成っていましたから、「岡庭村長が依頼した」という事実がどれほど基礎的なことであるかが気づいていなかったのであります。
社長弁護士は、「契約書が無いとしても依頼した事に間違いはない」とした法律条項があると前裁判官から話された事において、その請求額の根拠さえしっかりしていれば「勝つかも知れない」と考えてしまった。
国土交通省告示第15条がその根拠を示す一番のものだとしてそこに集中しすぎた余り、手の打ちどころが無くて困っている弁護士に “攻めどころ” を与えてしまったのであります。
 この頃になると私も変わっていました。
たしかに「勝てるかもしれない」と考えるようになりました。 いわゆる、「負ける要素が無い」のであります。
 裁判なんだからやってみなければ分からない
負けようとしていても、勝ってしまうこともあるのが裁判であります。
この頃は、判決は金額の問題だけが焦点でありましたから、社長弁護士の考えるように請求金額の根拠が取り沙汰されていました。
「設計料の%は・・・」「計画は設計でないから安価では?」と、答弁されていました。平成29年7月26日   
  
   素人の良い所
 裁判であるからして、それは一つも間違ってはいけない  として取り組んだ社長弁護士
実際の裁判はその様な純粋なものではありません。 いかにして “勝つか” がすべてであり、裁判官に有利な情報を与えることであります。
 正しい事は不要
黙秘権成る権利が有るように、自分にとって都合の悪い事は言う必要もないし、問われるとしても正確に答える必要はありません。
弁護士で有れば、被告に有利な証言を引き出すことが目的の証人喚問でありまして、社長弁護士は正確な情報を伝えるべきとして原告に証言させようとします。
 原告と被告
この様な対比でみれば原告は正しいと、被告は訴えられていると世間では捉えがちになりますが、呼称はあくまで裁判形式上であります。
今回の裁判は事実認定(依頼の有無)で争っていないことから始まっており、支払金額の妥当性が焦点になっておりましたので、社長弁護士は妥当性の証明に心中を注いだのでありました。平成29年7月28日   
   
   口頭契約が証明できない
 私が原告証人と成った時点からこの様な展開は何となく感じましたが、それは口にするべき事で無く、私自身も初めてな裁判において手探りで有りましたので成り行きで何とかなるだろう、正確に伝えれば結果は自ずと付いてくるだろうと、大して気にもかけていない振りをしていました。   
   
   私への喚問
 厳粛な法廷において、裁判官の前に立つという事は緊張するものであります。岡庭一雄の後ろ姿でも、生唾を飲み込む音が聞こえてきていましたからね。
 作戦は有りました。
社長弁護士からは、「実務の証明が鍵ではないか」と言われておりまして、実際に行った業務説明をどの様にすれば分ってもらえるのか?相手は裁判官であっても設計に素人だし・・・なんて
 被告弁護士の攻め
設計はやっていないのでは? 実際の設計は入札をするのでは? 計画なんだから請求金額はもっと安価に成るのでは? と、立て続けに責められましたので、何をどのように答えて良いか戸惑いました。   
   その時であります。 「なんか違う?」・・「弁護士は私にどのように答えさせようとしているのか?」と感じたのでありました。                       平成29年7月30日  
  
   思い過ごし
 設計はやっていないのでは? と私に聞く必要はあるのか?
当初から基本設計料として請求しておりますので分かっていて聞いていることであります。
分かっていて聞いているのであれば「請求額の妥当性」で突いているとのことだと判断しました。
 実際の設計は入札かコンペ(競技設計)で決まるものではないのか?
この質問は意味が解さなくありました。 実施設計を行っているのではなく、また、実施設計額の請求金額でないと双方が判断できていることですからね、「なぜそんな質問を?」と思ったのです。
 何となく分かってきたのが、私がその質問に返答したことで下平弁護士が私の言葉尻を待っていましたがごとく突いてきたからでありました。
 随意契約
設計者は入札か競技設計において決まるもの、章設計が行ったとされる物は入札前の資料作りではないのか、また、資料であったから契約書が存在していないのではないか!
 さすがは弁護士
うまいこと突いてきますね、その通りです。その通りだからこそこうなっているのです。平成29年8月1日  
  
   【注釈】
 裁判の事をこの様な書き方をして大丈夫なの? と、思われる方がいると思います。
裁判は何度かの公判を行って進められるものであり、その公判は互いの反論を準備書面にしたため事前に相手側に渡した上で開かれます。(議会の一般質問と同じような形かな)
裁判は開かれて進められるものであり、判決文ともども公開されたとみなされます。  
  
   はいそうです
 なんて言いたくとも言えません。
弁護士のその言葉を待っていました。設計者は入札かコンペ(プロポーザル)において決まるものなのです。随意契約も有りますが、随意契約においては随意が必要とされる条件があって成されるものであります。  
  
   官製談合の証明
 私は資料作りをしたとされた方がよいのであります。 資料を作ったのに「なぜ設計を依頼したと認めたのか」が重要であり、最初から入札やコンペを通り越した依頼が有ったとされなければ、それこそが動かぬ証拠となるのです。
 請求金額のやり取りで進められれば、必ずそこに行き着くだろうと考えていました。
(弁護士とあろうものがそこに気づかぬはずが無い)と思いましたので、その様な責め方は無いものとしていたところ、そこから切り出してきましたから、「なんか違う?」と、弁護士はどっちの立場? と躊躇したのでありました。                            平成29年8月3日  
  
   目的は達した
 おかしなものである、それとも裁判を良い意味で舐めていたかもしれない。
「正しければ良いのだ」と自負していたのかもしれない。
 拍子抜けさえ感じてしまった。あまりにもあっさりと “そこ” へ行ったからであります。
冷静になって考えればそれは至極当然であり、民事においての損害賠償請求であるからして、官製談合であろうがなかろうが、それこそ勝てば良いのであります。
少なからず、被告は阿智村であって阿智村の顧問弁護士が被告代理人となっているのであるから、阿智村が勝訴しなければ大変な状況となり得るからして、岡庭一雄村長が官製談合で検挙されようがされまいがどうってことはないのであります。
 下平弁護士は、だからこそ “そこ”(官製談合)を行った事をあえて触れてきて「そこが起点です」と知らしめても良いとしているような感じがしたのです。
 考え過ぎなのか?
こちらは全く素人の社長弁護士である。それにもまして私自身が証人である。
それを承知で舐められたのか? いや、それは全く違う事のような気がしました。   平成29年8月5日  
  
   少し焦った
 官製談合では告発しないと踏んでおりましたからそれは尚更であったのでしょうが、こちらは(私だけ)はそうではない。
いつかは何か有るだろうとまでは言いすぎでありますが、「こうしなければ成らない」とはハッキリしていました。
 反論
さて困りました。下平弁護士は、事業化するための計画図なのだから契約書はもともと不要ではないか!と言っているのでなく、「計画図の作成なのだから費用は不要なんではないか」その根拠は、「事業化となったとき設計は入札となるのではないか」と言い出しているのであります。
 随意契約
設計業務は基本設計(計画)・実施設計・現場監理とで構成されています。 計画を依頼されればそれは基本設計をする事に成ります。
 かみ合わない
「建築工事や土工事などは通常入札において決定した上で契約を行っている。入札前に契約(口頭契約であっても)は無いのではないか」
他の業界の事は言いませんが、設計に関しては随意契約が有ります。今までも基本設計を行い、その後随意契約を行った事が有ります。                         平成29年8月7日  
  
   高額な随意契約は無い
 随意契約の存在は認めたが、随意契約であれば一定金額でありそれは一般的に100万円以内ではないか。
 何を基準としているのか分からないが、準備書面でのやり取りでない限り下平弁護士も根拠(契約事項)を裁判官に提出して質問してはいないとは判断できた。
 常識で答える
本音を言えば、「裁判に掛かることを前提とした金額で決めている」でありますが、まあそこのところはね
「金額云々について随意契約した経験はありません。随意契約とはその契約に対して最小費用で最大限の目的が達成されると双方が判断できた時に成される契約だとして行っています」
 さあどうだ!
少し言い切ったと思いましたが、弁護士は流石ですね、それに対して何も答えず、「もう一度聞きますが、今請求の対象事業は入札において決定されるという事は認識していなかったのですね、入札において事前にその計画図とするものが有るということで入札に(なんか言ってたが・・覚えていない)」
 まあ質問する側とされる側ですから、それに質問する方はプロですからね。    平成29年8月9日  
  
   こんがらかった
 質問する方はプロであり、攻めどころをピックアップし質問しているわけであるが、なぜか混沌としているように聞こえたのは下平弁護士でありました。
 建築設計の特殊性
設計業務というものは紙と鉛筆の世界であります。 設計された物件が形となればその評価も出来ようが、設計図を見ても “素人” にはその内容を理解する事は出来ません。
 弁護士も素人なら、裁判官も素人なのであります。
そこにたどり着くに時間が掛かったのが下平弁護士でありました。 設計者の私と設計業務について渡り合っても、そこの利は私に有ります。
口頭契約であっても依頼したと言う事実の中で、計画図か基本設計なのかは争えないと判断できたのでしょう。
 またまた切り替える
「請求額の根拠について伺います」 (来ましたきました)
調停の場において「支払います。支払いますが請求額の根拠を裁判所に求めます」としていましたから、やっと本題に入ってきたのであります。
(官製談合の犯罪が根本にあり、それを議会に示す形で進めてきたこと。下平弁護士はその訳を理解しており、裁判としたくないとして端から「支払います」としてきている)      平成29年8月11日   
  
   そうは問屋が卸さない
 冷静に成って考えれば、下平弁護士は困っている分けで有ります。
裁判に勝とうとしている分けでなく、支払いたいが払う事が出来ない。それは契約書が無いから払う事が出来ないのです。
 払えるようにするには議会承認不要な額に下げるか、裁判にて負けることしかない分けであり、必死で払える金額としようとしている分けで有ります。
 社長弁護士はそこのところは理解できていませんから、「行政を相手に裁判しても勝てる分けが無い。相手は弁護士なんだ」の考えから離れる事は有りません。
その様なすれ違いで公判を繰り返しているうちに、証人喚問において糸口をとしたのが下平弁護士の考えで有ったかもしれません。
 糸口
裁判の順序として和解勧告は有りました。和解であれば金額を下げる事は出来ますが、それは双方の歩み寄りにおける金額の調整であって根拠とは成りえません。根拠が明確と成らなければ行政において支払う事は出来ませんので和解勧告を拒否したのでありました。           平成29年8月13日   
   
   逆らう
 入札だけではない。随意契約も何度も経験している。当然相見積もりを根拠としている。
その様なやり取りに終始しました。
 下平弁護士は質問を変えた
らちが明かない、イタチ返し、まあそんなところだろうか、裁判官に制されたような気もした。
通常と言ったか一般的と言ったか定かでないが、「通常は請求額の根拠としてはその労力が有ると思うが、設計は他に何が積み上げられるのか」・・・何を言い出したか一瞬戸惑いました。
何も答えずにいると・・「設計料は労力の積み上げではないのか、それを3%とか1%とかに置き換えて計算されるものではないのか?」
 また繰り返すのか?
裁判官もそれを言いかけた様な気がしたが、下平弁護士はそれでも続けていた。
「請求の根拠は実際のところは人工の積み上げではないのか?」  やっとまとまったようである。
下平弁護士はまとまったみたいだが、こちらは聞き耳していましたから即答が出来ず少し戸惑いました。 こちらも同じ事を繰り返した。                         平成29年8月15日   
   
   反論
一般的に言っている実施設計ではありません。基本設計で有り、基本設計をするために測量とか、それを図面化して配置図とする・・そしてそれを・・・
 互いにしつこいやり取り
なんか同じことを言い返しているな、と自分でも分かりましたが、他に返す言葉が見つかりませんでした。
 下平弁護士は続けている。 一体何を私から聞きだしたいのか?
「延べでどれくらいの手間というか、人工が掛かったのでしょうか」 この質問には辟易しました。
性懲りも無くまだ続けるのかとさえ思いました。 何を聞かれようが、何を言おうが、仕事をしたことは事実ではないか。そちらも事実として認めているではないか、この上金額の大小に何の意味があるのか、和解はそちらで蹴ったのではないか!
 走馬灯のように頭の中を駆け巡り、思考はすでに限界でありました。       平成29年8月17日   
  
   そのとき裁判官が
 続けている下平弁護士、無理も有りません。
勝たなければならない。行政が負ける事の意味は誰よりも知っているからして証人喚問が最後の切り札なのだ。
 私の方が言い負ける
執拗に続く請求額の根拠についての質問、私の受け応えがしっかりとした返答に成っていない事は気づかされた。
 テレビドラマ
まるでテレビドラマの再現の様な気さえしました。敏腕弁護士が被告を追い詰めていくそのシーンの様な・・ でもこちらは原告であり、原告の証人者である。
 追い詰められてたまるか
「人工計算はしてあります。その根拠は提出してあり、測量・作図・基本設計において4人が従事し、事業計画書を作成しています」 かなり強い口調で反論しました。
 その時です。 裁判官が、「4人ですか?」 と、いきなり口を開いた。
 戸惑う
なんだ? 一瞬戸惑いました。
裁判官は何を言っているのだ? 私の発言に何か問題が有るのか?         平成29年8月19日 
   
   大有り
 はい、四人ですが  そう答える前に頭に浮かんだのは(ん? 四人ですかと聞いたことは四人として根拠を出していないのかな)でありました。
しかし、裁判官の前で下平弁護士に対して、それも強い口調で言い返している。その言い返しに間違いがあったとしたらどうしたらよいのか  と、一瞬いやな感じが頭をよぎりました。
 間違いは間違いとして訂正すればすむこと
こちらは素人であります。訂正すればすむなんて知らないし、「あ!どうしよう」の心境でありました。
 それは一瞬の判断
「三人では無いのですか?」 裁判官が念を押す  どうしよう・・どうしたらよいか
「私は設計士で有り測量士ではありません。現場は複雑な地形で有り測量が必要でありました。当社は測量部門もありますので一名が測量に当たりました。その作図は社長が行い、私は設計図書をまとめております。その三人に合わせ、基本計画説明書や事業費の書類作りに事務方が一名が当たっております。事務方なので手伝いとして人工には計算しておりません」・・・             平成29年8月21日 
  
   黙ってしまった下平弁護士
 何とか切り抜けたのでしょうが、いきり立っていたのでしょう。(どうだ!辻褄が合うだろう)の心境でありました。 下平弁護士は質問を止めた。 
(後の話:私が四人と答えたとき社長はどうしよう!?っと思ったそうであります。裁判であっても素人弁護士であっても、事実を事実のままであれば間違うことはありませんでした)  
   
   岡庭を詰める社長弁護士
 人工の計算書も目をとおしていないくらいですから(私)、社長弁護士が岡庭一雄村長に何を質問するのかは皆目見当が付きませんでした。
 一つだけの打ち合わせ
私は、岡庭一雄の名前を彫ってある「水子地蔵」の写真を提出して、岡庭一雄の官製談合の証拠を固めようと考えていました。(これは社長には内緒)
村長である人が宗教団体に寄付をした。これだけでも「大変な事実」ではありませんか。 平成29年8月23日  
  
   なんなく却下
 岡庭一雄氏はスキャンダルが怖かったのです。
宗教団体に首長が寄付をする! このことが違法だとかの考えは彼等思想にはありませんから、ですからそれは気にならなかったと思います。例によって圧力でいくらでも押さえつけられる事ですからね。
 岡庭一雄氏が気にしたのはスキャンダルと成ることでしょう。
落石事故の記事に「水子地蔵に岡庭一雄の名が!」が、怖かったのです。 その事を南信州の記者が直接告げた後に態度が一変していることからしてもそれは推察できることでしょう。
 職員は知っていた
岡庭一雄氏の間抜けなところは、「何でも出来る」としたこ思い上がりと、「職員はみんな俺の言うことを聞く」と思い込んでいたところであります。
 常識の判断
たとえ党員の職員であっても、たとえ岡庭一雄氏の指示に従っていたにしても、常識ある者は常識が判断の基準であるでしょう。                           平成29年8月25日   
   
   たった一言
 社長弁護士は岡庭一雄の答弁を聞いていて、あまりに嘘が多いので「信憑性」を追及するつもりでいたのだと思います。
下平弁護士は「その事は本件には関係ない事ではないか」と言ったような気がします。
それに裁判官が反応したのでしょうか、「その質問は不要」と一言
社長弁護士は慌てて「これは岡庭村長が本件の依頼をする基に成った原因でありますので・・・」って言ってはみたものの却下されてしまいました。
 流れが変わる
裁判の経験の無さがそうさせたのでしょうか、なにか空気が代わるような気がしました。 しかし、これからが社長弁護士の “見せ所” となっていくのです。              平成29年8月27日  
  
   そして何も言えなくなった
 嘘を言ってたにしても、それを嘘だという根拠を申し立てることはすぐには出来ません。 通常であれば次回にへと舞台は移せるのでしょうが、何度か公判を繰り返し、最終反論として相手方が要求した証人喚問を受け付けた以上今回が最後の公判となっているからであります。
 裁判とはかくもあっさりしたものなのか
もう少し聞いてくださいよ。何でも辻褄が合うように答えてあげますよ。 そんな力みも見透かされたように終わってしまった私への喚問、それに比べ岡庭村長はずいぶん殊勝な態度ではないか。 裁判官への印象受けを狙っているのだろう。汚い奴め!
 社長弁護士が岡庭一雄村長に迫る
一度嘘をついてしまえば、その言い訳のために嘘を積み重ねていきます。岡庭一雄も全くそれでありました。
「章設計に対して園原資料館の基本設計を依頼したことは陳述書により認めておりますが、基本設計図書も受け取っていますよね!?」
「いいえ受け取ってはいません」                       平成29年8月29日  
  
   受け取っていないと否認
 聞いていて疑問に感じました。(なぜ嘘を言わなければならないのか?)
社長弁護士は攻めます。 「受け取っていない!?それは確かですか?」
答えない岡庭一雄 (ここで裁判官が確認するのでは?)と思いました。 とても重要な事だと感じたからであります。
 受け取っていない
その様に否認されたなら、証拠が存在しなくなり振り出しに戻ってしまうと思いました。
受け取ってそれが議会に諮られた訳ですから章設計は請求したのであります。
園原資料館事業は全体協議会において検討され議会に上がりました。だからこそ、その基本計画の設計費が請求出来るわけであります。
水上参事もその事は了解しており、請求書の根拠が議会で必要として争ってきているのですから、あり得ない状況となりました。  
  
   気づくのが遅かった
 土壇場のどんでん返しになるとは夢にも思いませんでした。下平弁護士の捨て身の策、ここに見事に填まってしまったのでありました。                        平成29年9月5日  
  
   攻め続ける社長弁護士
 社長弁護士も慌てたのでしょうか? それともそれくらいの嘘は言うもとしていたのでしょうか
そこのところは今に至っても聞いてはおりませんが、びっくりはしたでしょうね。
 回転の速さ
法律とはいかに最低限のことしか決められていないのか? また、常識やモラルを持ってしても通用しない苛立ちを感じるばかしであるが、嘘なら嘘と立証しなければならないのは社長弁護士であって私ではない。 話し合いであればとうに私が詰めている嘘である。  
   決定打
「本当に受け取っていないのですか?」 再度、社長弁護士は岡庭一雄村長に詰問する。
答えない、答えられないのであります。 それを見ている下平弁護士はじれったいようだ。
「受け取っていないはずは無いでしょう。平成○○年○○年○○日、あなたは受け取っているはずだ。どうですか?」 下を向いている。
続け様に、「岡庭村長さんに届けたのは私です。直接あなたに手渡して説明までしている。それでもあなたは受け取っていないと言えるのですか!」
 見事でありました。 (あ!これは勝つかもしれない)             平成29年9月6日  
  
  
余分な一言
 下平弁護士はそこまでのことを聞いてはいなかったのである
証人喚問でありますから、だいたいこんな質問されるだろうとの想定問答をいたしますが、社長弁護士は私と同様事実を話せば良いとしていました。
 したたか
お人好しも手伝ったのでしょうが、私には社長弁護士の性格が災いしたと思っています。
相手に何を聞かれても困ることは何も無い!は、事実を事実のままで戦っている私たちの姿勢でありますが、裁判という結果だけを求める手段にそれは通用しないと考えて然るべきでありました。
私は「勝ち負けでは無い」で良かったが、社長弁護士にとっては「行政を相手に勝てっこない!」から始まっており、嫌々ながらどころか「社長を辞める!」まで言い切って始めた裁判ですから、そこに最初から無理があったのです。  
   結果は結果
私の考えは話しても理解してはくれないでしょう。たとえ従兄弟で有ったにしても常識は自分に有るとすることはどなたにも有ることではないでしょうか。  
   下平弁護士が社長弁護士に近寄っていたことは知らされていませんでした。それに、近寄られているとした “勘ぐり” や疑う事が無い性格の社長弁護士は、言葉巧みなおだてに乗っていたのに気づかなかったのかも知れません。                              平成29年9月8日   
   
   伏線は有った
 馴れ合いの中にある弁護士協会?
原告と被告であれば、それはどうしても争いの中で対立なるものであり、特に相手は嘘つき村長でありますから感情的になってしまいますが、弁護士は商売でありますので淡々とそれにあたるものであります。
 冷静にはなれない
社長弁護士はとても冷静でありました。初めて経験する全く持って別世界の役割であってもそれはそつなくこなしているように見えていました。
反対に私は冷静でなく、裏に隠されている官製談合という犯罪をどのようにこの裁判で証拠と成るようなことばかしを考えていました。                         平成29年9月10日   
   
   相手はプロフェッショナル
 幾度ということ無く公判後に話しかけられていたようであります。「弁護士で無いのによく勉強しておられますねえ」「岡庭さんはこの様なことが多いのでしょうか?」などと言われれば、(ああ、評価してくれているんだ)という気になってしまい、話しにつられてついつい余計なことまで話していたことに気づかなかったのでしょう。
 いつしか主導権は下平弁護士に握られて、基点が歪められていきました。
契約書が無くとも設計依頼はしたとのことは今更変えられるはずは無いが、成果品の取り扱いについては大いに食い違いを追求出来ると踏んだのでありましょう。
それで無くとも社長弁護士は全体を見回し自己判断で決めつける性格であります。それはけして悪いことでは無く、話し合いにおいて解決するのであれば最も重要かつ必要な資質でありましょう。
 相手にも言い分はある
それが普段の社長弁護士です。片方だけでは分からない、たとえ身内の言い分でも相手が正しい場合がある。という考え方が身についておりました。
 まるで調停員のような考えではないか、とも思いますが、裁判になるような案件について「相手にも言い分がある」などとの考えは、寝言か戯言になってしまいます。          平成29年9月12日  
  
   常識で判断出来ないからこそ裁判
 元々が温厚な性格だからして信用されるのでありましょう。
個人のことであればその様な考えは全くもってすばらしいことですが、章設計の社長の立場としてはどうでしょうか。
 官製談合を警察に届けろ! なんて事ではなく、章設計の損害賠償訴訟でありまして、社長の立場であれば「何としても支払ってもらう」が、この裁判であります。それが、相手にも言い分がある。相手の弁護士が言っていることももっともなこと、などとの姿勢は見当違いも甚だしい。
350万円もの設計料が焦げ付いているんですから、社長であれば自身で穴埋めをしなければならない大事ではないのか?! それが、「行政が相手で勝てっこない」とした考えがもとに有れば、それはどうしても弁護士とお友達感覚に陥ることに不思議はありません。
 下平弁護士は巻き返しの最後の一打を打ってきた。それが、「成果品の受け取りは無かった」の一言だったので有りました。                           平成29年9月14日   
   
   逆転負け
 「岡庭村長さんに届けたのは私です。直接あなたに手渡して説明までしている。それでもあなたは受け取っていないと言えるのですか!」
 馬耳東風か馬の耳に念仏か、はたまた、共産党に民主主義を説くとか 一度口から出た言葉「受け取ってはいません」は翻ることはありませんでした。 それは無理もありません。「事実のみを応えます」として宣言しているからには、そこで出た言葉に嘘は無いのであります。
 時間があれば
手遅れは最後の公判だということ、もう一度公判請求をするのであればそれは容易かったでしょうし、弁護士であれば要求する術もありましょうが、こちらは素人の社長弁護士、それも直接渡していると自身が証明出来たと思い込んでいますから油断をしたのでしょう。            平成29年9月16日   
  
   勝負は決まった
 「岡庭村長さんに届けたのは私です。直接あなたに手渡して説明までしている。それでもあなたは受け取っていないと言えるのですか!」 その後に続いた言葉、「私は被告に直接渡した。それをあなたはゴミ箱に捨ててしまったというのですか」   
   
   一番驚いたのは岡庭本人
 ビックリしました。突然何を言い出すのか? なんて事を言ってしまったのでしょうか。
下平弁護士が岡庭一雄村長に指示した「園原資料館基本設計書は受け取っていない事にせよ」が、社長弁護士自らの手渡しにおいて窮地に追い込まれた。場合によっては偽証罪も適用されるかもしれない作戦が社長弁護士の思いもよらぬ発言で原告側が助け船を出した状況に成ったのだ。
 岡庭一雄村長は戸惑って返事が出来ない。それと代わり下平弁護士の顔は笑みさえこぼれていたに違いないでしょう。   
   言葉に酔う
証人喚問に当たり、何を質問するかは事前に提出している。それを書き出した社長弁護士は目を通すよう渡された。そこの末尾に「・・・ゴミ箱に捨ててしまった」と書いてあった。
何度も文書で持って書きだしているうちに、小説を書いているような文面に成る事を指摘は出来なかった。それは弁護士役までやらせているという負い目で有りました。         平成29年9月18日   
   
   基本設計は議会で取り扱われている
 岡庭一雄村長からは、全員協議会に掛けるとして基本設計図書の提出を急かされていました。
社長弁護士はその日、間違いなく岡庭村長に届けました。 その日の午後に全員協議会が開かれるとされていましたが、社会文教委員会であったようであります。
岡庭村長はそこで「園原資料館建設事業」として事業計画を説明しています。
 本議会に掛かるも
議会に上がればそれは実施に向かい間違いの無い事実となります。熊谷時雄は反対しようにも社会文教委員でないため歯ぎしりをしていたことでしょう。
この男のお粗末なところは、何をどうやっても仕返しをしようとする性格であるところであります。
「俺に逆らった。やっつけてやる」まるできかん坊やであります。
 ホテル阿智川の山口会長はすでに情報を掴んでいました。それは、「岡庭の話なんだが、議会に上げれば俺がつぶす!として息巻いている」そう言ってる話しが事前に聞こえてきていました。
果たしてその通り、議会の中で気炎を上げ、一人激しく反対したようでありました。
 時期尚早だとさ
何がそう言わせるのか時雄君の根拠はいつもの通り有りませんが、私が主張する「議会での取り扱い」が事実であること、そしてその議事録を手に入れる必要があるとした意見に、残念ながら社長弁護士は耳を貸そうとしませんでした。                           平成29年9月20日   
  
   複雑な思い
 この裁判における答弁書において、幾つかの官製談合の証拠はすでに出ておりました。判決が出ればそれを持って警察に行ける決定的な状況は終了していたと言ってもよいでしょう。
 複雑な思いで有りました。
長い裁判においていつしか勝てる裁判として戦っていた事に気づかされたのであります。
過去を紐解いていけばそれは明確に確証と成ってきましたし、章設計は何一つ間違っていることはしておりません。
 これで勝てなきゃ社会正義は無い
これで負ければ証拠不十分という事で有ります。 これはこれで良いでしょう。
社長弁護士の証人喚問は社長であったからこその証人喚問で有り、下平弁護士の勝つための作戦ではありません。一人の人間として岡庭一雄という男の人間性を追求した喚問で有りました。
 帰りの車中で、また事務所に戻ってからも社長弁護士の喚問にある種の達成感がありました。   
平成29年9月22日   
   
   判決日前  証人喚問の続き
 証人喚問での岡庭一雄はとても小さく見えました。 法廷外で顔を合わせた時、すごすごと肩を落とす姿にそれを感じました。当然の事、視線を送る私には顔を向ける事は無く、乾いたくちびるが気に成るのか生唾を飲み込む音だけが聞こえた気がします。
 あの時
阿智村役場の村長室で、ソファーの上で踏ん反り返ったあの勢いが目に浮かびました。
あの時、私は岡庭一雄に助け舟を出した。「何でも好きな通りにやれよ!」「思う存分やれば良いじゃ無いか!」 捨て台詞を吐く岡庭一雄を哀れにも思いましたが、ここで見る岡庭一雄はまさにその極限の姿で有ったことでしょう。   
   岡庭一雄が呼ばれてまた法廷に入る。 (ん?なぜだろう) 証人喚問後に私の方が先に出た。岡庭は私より少し後だ、なのに岡庭がまた呼ばれた。
 しばらくして社長弁護士が飛び出てきました。私に駆け寄る姿を見て(私もまた呼ばれるのか?)と思ったがそうではない。                            平成29年9月24日   
   
   また和解勧告
 「岡庭が金を払うと言ってきた」 なに?どう言うことだ?
「岡庭が80万円払うから和解して欲しいと言っている・・」 和解?今更? 何を寝ぼけたことを言っているんだ??
 意味が分からん
だいたい金を払えとして裁判しているんだから、いま金を払うと言っている意味が分からん? それもなんで80万円なのだ。350万円払えとして長い間裁判してきたんじゃ無いか、それを80万払うから和解せよなんて、言っている意味が分からない。
 社長弁護士はもう一度詳しく聞くと言って中に入っていきました。   
   
   経験の無さなのか通例なのか
 どちらにしても今更和解はあり得ないこと、ただ、今この時点での和解などは有るものなのか?
裁判というのは争いを始めた時点で白黒を着けるものとし、この様に犯罪が隠れている案件であれば勝ち負けで無く、争われたという事実と相手方による準備書面の証拠しかないと考えていました。平成29年9月26日  
  
   迷う 正直迷った
 社長弁護士が慌てた様子で出てきました。
「80万円は岡庭個人が払うことで阿智村が払うわけでは無い。裁判官から判決はどうなるかは分からない、敗訴の場合は何も無いと言うことです。それで良いのですか?と言われた、和解とすれば80万円払います。との条件だ」と言うので有ります。
 岡庭個人であっても、80万円払うと言うことは当然の如く責任問題となるだろう。普通はである。
 果たしてそうなるのか?
岡庭一雄に責任問題として詰め寄れる議員は居るのか?と言うこと、そんな議員が一人でも居たのならば裁判沙汰になんかは成っていない。これこそ愚の骨頂である。
(これはこれからの飯田市会議員にも言えることですよ)
 負けるための裁判
負けるものとしてきた裁判である。負けても上告する気持ちは何も無い。勝ってしまったのならば阿智村は上告するしか手は無い。村がつぶれるかどうかの瀬戸際だからこそ、下平弁護士は岡庭に和解せよと持ちかけている。                                平成29年9月28日   
  
   どこまで行ってもせこい男
 まさに土壇場であります。岡庭一雄は用意していた話しでありますから土壇場も何も無いだろうし、恥も外聞も無いだろうがこととらはそうではない。
 恥を知れ
かなり興奮し腹が立った。 冷静でない自分自身も分っていたが、人として間違っているとはしていないつもりでありました。
ここまで来ても自分の事を考える岡庭一雄を、自分を追い込んできたものは何であったのだろうか
空しさとともに自分自身に腹が立っていたのかもしれない。
 正しい事
自分にとって何が正しいかではない、裁判のような常識が無い世界まで足を踏み入れ戦ってきたものの、何処まで行っても人のずるさを知るだけが正しいことなのか            平成29年9月30日   
   
   断れ 和解は出来ないとせよ
   
   平成20年10月2日 判決 主文 原告の請求を棄却する。
 待ち遠しかったのかも知れない、また、早く終わらせたかったのも事実でありました。
勝てるはずが無い、勝つつもりも無いとして臨んだ請負代金等請求事件、もしかしたらという気持ちは当然の如く有りました。
 社長以下二名の役員は聞く必要も無い法廷に出向き、判決を聞いた。 静まりかえった法廷に響く裁判官の声、「・・棄却する」 そう、確かにそう言った
 これで終わりである。 長かった、帰りの車中は安堵感が漂っていました。 「社長には無理をさせた、よくやってくれた」 慰めでは無い、勝てるはずが無い争いが裁判となった事だけでも、ここまで長く争えれただけでもありがたかった。
 世間は章設計が負けたと、当たり前のことだと岡庭も言うだろう。風当たりはきつくも成るだろう。しかし、討ち死にした感はまったくしなくありました。
 負けた理由
「判決文を読むと契約書が存在していない、が主文となっている。契約書が無ければ相手の言い分が通るのだろう」と社長が言う。 相槌を打つしか無かった。              平成29年10月2日  
  
   上告
新聞社が三社会社に来ました。社長と二人別々に相手をする。
どこの記者も判決が出たからこそ聞きに来るのである。何を聞きたいかというと、それは「上告する」か否やでありましょう。
 記者なら分かること、三名の新聞社は裁判当初から傍聴しています。そして経過も見てきております。その状況からして、当然の如く上告するであろうと考えているのである。
 行政を相手にして勝てっこない!は、どの記者にもありません。客観的に裁判の行方を追い、上告できる判決だと判断していたのでしょう。
 上告しない とは言えない
記者が帰った後に、社長はどのように記者に言ったのか聞いてみました。
「安易に依頼することが岡庭村長には多々有ると言うことしか言えない」 やはり感度が違う
そうか、上告云々は聞かれなかったのか 「そこは話すことじゃない」
 上告は考えている
私は記者にそう答えました。岡庭一雄が官製談合という犯罪を行ったこと、この事は公開質問状(10年前)でお分かりだと思うが、そこの反省なくしては終われない。         平成29年10月4日  
  
   裁判結果を書いたのは二社
 一社は章設計の名と「上告も検討している」と書き、社長が相手をした社はそこに触れていない
正直な話し、上告はどうでもよくありました。それより岡庭一雄が反省しなければ意味が無いこと、この時に釘を刺さずして何をするものぞ!でした。
 岡庭に電話を入れる
頃を見計らって阿智村役場に電話を入れました。 女の人の応対で「どちら様でしょうか」園原の熊谷です。「しばらくお待ちください」
 しばらく待ちました
居留守でした。 それは無理かも知れませんね。ただ、その翌日に何を思ったのか会社に電話があったようでありました。
 その話を聞いたのが数日後のこと
社長とのお茶のみ話、電話を入れたが明らかに居留守だった。無理もない、俺と話が出来るわけがない。
「有ったよ、岡庭村長からいつだったか電話があったよ」 そう淡々と話す社長に疑問を感じた。  
  
   あとがき
 阿智村長岡庭一雄を裁判に掛けた。この事は、少なからず私の人生に大いなる変化をもたらせました。
今まで漠然とした中に有った人が持つ負の意味するところ、何が正しいとかはさして重要でない事を感じさせられたのであります。
民主主義の日本の国では社会形成の中で常識とされることが最低限の法律で決められていますが、法律で持って解決される事は何も無いと知らされました。
人は常に経験の中でその後の生き方を決めていこうとします。感情で持ってすればそれは自分自身を守ることにもなりますが、社会の中で受け入れられるとは限りません。
如何に生きるかは個人の自由であり、それが出来るとした民主主義の国はそれを手助けしてくれます。
思想とは如何にせん始末が付かないもの、思想で持って社会に対応すればそれは否応なしにあつれきを生んでしまうでしょう。
警察は目に見える犯罪に対して敏感に対処する組織であり、傷害事件で無い限りは警察組織そのものが判断することが多くあると感じたことも事実でありました。
警察は解決する組織ではないと知ってはいても、世間はそこに正義を求めてしまいます。
警察が動かなければそれは通用するとした誤った常識が蔓延っていることも思い知らされました。
 何が正しいとか何が犯罪なのだと突きとめる事ではなく、どの様な悪いことがあったにしても人を見ず、起きたこと起こしたこと自体を見つめ直し、間違いが起きているのだ間違いを修正すれば良いとして対応すれば、それが滞りを解消することへの道であるとした考え方こそが正しい事ではないかと思い始めたのであります。
 人は変わる事はないかもしれませんが、間違いを間違いとして修正することは出来る事ではないでしょうか。
国家形成は行政で持って維持されております。行政は平等であるからこそ社会の基本となっています。
行政においては間違いは絶対に有っては成らない事、わずかな間違いであっても責任を取るのは行政でなく個人だという事を今一度認識することです。
 公務員は間違いを隠そうとします。なぜ隠そうとするのかは、間違っているとしたことを端から認識しているからに他ありません。
公務員の皆さんに伝えたいことは、間違っていると認識した時は勇気を持ってそれを指摘しましょう。
間違いは必ず修正されます。それを万が一にも隠す様なことを起こしてしまったならばそれはその時点で不正と成ってしまいます。
不正であっても事実を隠さなければ間違いとして修正できることを世間は教えていますが、人の持つ善意の気持ちはそこまでであり、謝らない者に対しての批評はそれを上回ってしまいます。
 岡庭一雄は思想で持って行政に当たってしまいました。そしてそれを実行するについて議会制民主主義を壊してしまいました。その事はこれから壊された議会において明らかとされていきますが、それが明らかとされたとき、それらの全てはもはや間違いではなく、不正と犯罪と成ってしまっていることに気づくのではないでしょうか。                        平成29年10月8日    
   
   阿智村 岡庭一雄前村長の不正のコーナーはこれを持って終了としますが、岡庭一雄前村長の不正はこれから村民の手に寄って明らかとされていきます。
岡庭一雄はなぜこの様な不正行為を続けてしまったのか?そしてあらゆる手段において不正を隠そうとしてきた本当の理由は何であるのか?
 この事を明らかとするコーナー『阿智村 岡庭一雄前村長不正の原点』を10月10日から始めますのでご覧ください。

空 模 様 

きづかない疑問と隠された疑惑 阿智村編

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