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花桃街道整備事業 岡庭村政幾多の疑義

 この事業名がついている補助事業は県営の中山間整備事業の一端と思われる。
議会承認や村民へは(智里西地区だけかもしれないが)公開質問状で示した通り、“花桃街道整備事業”、と説明されてきている。
 県の説明では、平成24年度に阿智村から事業要望がなされ、平成25年度に村が実施計画を策定し、平成26年度から平成31年度までの工期の予定で、長野県が事業主体として実施している。
実施計画は、阿智村全地区域に渡り、それぞれの地区の要望を取り入れた形で阿智村がまとめた計画に沿っている。

 所謂、岡庭村政最後の年に、5か年総合計画の主体大事業を決めているのである。まあ、岡庭氏と熊谷時雄氏が辞める前にやりそうなことではあるが。(熊谷村長はやりつらいだろうな)
 オフレコと前置きされたが、“花桃街道整備事業”とは、聞いたことがない!とのことであった。 平成28年5月27日

 花桃街道整備事業とされてきた理由
 仮橋架け替えの始まりとその不正行為は、村長に渡してある文書で明らかにしてあるが、なぜ、県にも説明できない事業名となっていたのか?
橋の架け替えの経過は公開質問状に書いてある通り。全額負担で施行するには、議長や村側からでは議会には諮れない。 原議員に無理やり依頼したとのことは推して知るべしであろう。(熊谷氏の村長擁立を推してきた原氏が、熊谷時雄氏に「後援会に顔を出すな!」と、言ったことは有名な話である)
 新たな議会や村民に通りがよいように、中山間整備事業の中に、この事業名が存在しているかのように、見せかけたのである。                           平成28年5月30日

 市町村の議員であれば、大概の議員はこう言うであろう!
『国から補助金を受けるには正攻法はないものであり、グレーゾーンの中で申請することはどこの町村でもやっていることである。また、如何にそのことに長けているかが我々への住民評価なのだ』と・・・   平成28年6月1日

 阿智村の議員もそのように考えており、“花桃街道整備事業”として村民を騙している!ことに成るとは気づいていないのではないだろうか。                     平成28年6月2日

 私が知っているだけでも、多くありすぎの感がする。
 “花桃街道整備事業”、長野県の不正受給ではないことは説明するまでもないが、熊谷時雄氏と〇〇(私の母方叔父)、岡庭氏との図り事である。
 そのことも、正しいことを少しだけ、たった一つ行えば、私は胸の奥にしまい込むことが出来たのだが

 悪いことをしようとすると、悪知恵が働く 悪いことをする人は、その知恵が完璧だと思ってしまう
 この三人と、もう一人熊谷操元議員 欲が一つ加わった。(この関係までも書くと見ていてくれる方も疲れてしまうから省略、彼らの起こした犯罪の動機は熊谷村長と議会議員、ついては〇〇まで届いている)

 ヘブンズの山林賃貸料(本谷財産区分と園原財産区分)を、彼等が彼等のおもい通りに使うことを目的に、平成8年、ヘブンズスキー場開設に併せ、本 谷・園原財産区という名称にして組織化し、それを世代の変わった地区民に、昔から続いていると思わせて、その財産区内の福祉にしか使えない、税金のかから ないお金を、実際に彼等の懐だけに入るよう、自治会までおもい通りにして、税務署までごまかして、実行したのです。 私は、このことを、地区の何もわから ない人たちにまで攻撃されても辛抱強く、まず財産区の成り立ちから根気よく、妨害されてもくじけずに、世代の代わった若者たちに、一生懸命説明し、やっと 解ってくれる人が、半分以上出来たから、勇気をもって、村に関わることばかりだと、村が解決しなければ、社会が成り立つはずもないと、ぼんくら共の議会議員に、公開質問状を提出したのです。
 ぼんくら共の議員では、分からないことは承知のうえで、みやましいのではと思った議員二人に、事細かく説明したら、犯罪だらけの質問だと、ようやく分かってもらえたら、みんなそろって逃げ出した、ぼんくらならまあだ良かったが、腰抜けだった。   以上           平成28年6月10日

                                                  NEXT         

    欲をもち、図りことをする族(やから)は、あれこれ悪知恵を駆使し、完璧だと思い込んでいる
       ばかな奴らであることか 完璧なら それはすでに 犯罪ではないと おもわないのか

 伍和 丸山地区 住民の我慢
 伍和に計画された、産廃処理場 未だ尾を引いているが これの始まりから話します
 産業廃棄物処理業者が、松下逸雄に そう、甘利元大臣の行いと一緒のことがあった。
一番うるさい下伊那漁協を、押えているから話が早い(下伊那漁協をはじめ、多方面に、“力”が存在していた)。あとは、村の議会さえ動かせれば済むことである。共産党を数の力で(ここが、民主主義の泣き所)  平成28年6月15日

 これも大きな謀である。このまま進むか?と思われたが、病床に付し “力”も自ずとそれに沿い、いつしか忘れ去られようとしていたが

 表でなければならない行政が、松下逸雄の裏になっていた。松下ほどの大物が、甘利と同じわけがない!
 今度は正攻法で攻めてきた。 その時の岡庭の変わり身は、見事なものであった。 平成28年6月16日

 盟和産業の時のように、岡庭は騒いでいた。
 産廃なら、かき回す材料はいっぱいある。また、黒柳村長最後の仕事、園原線にあった西部衛生の施設横川下流移転計画を陰でつぶし、国道256の廃道に移転させたのは俺の実績! のしあがるには、もっと何か大きなものが必要だ!とね                      平成28年6月17日

 この時の彼は、環境衛生・西部衛生みたいな課長であったが、観光課長の残務も当然自分の範囲にあるとしていた。
「伍和の産廃処理施設は県の既定路線だからやるのは当然だ」「反対する住民をどのように押さえるか思案している」と、時雄氏〇〇おじとの車中でつぶやいた。私はリフレ(月川・傘釣り堀・門前やの始まり事業)の設計者として、高山や郡上に研修に行った帰り道のことである。
 叔父の車、運転手も兼ねていた。時雄氏は、例によって強引な発想しか発言しない。見かねて、「産廃事業の良し悪しを議論する前に、住民の意識を変えないと前にも後ろにも進まないような気がします」「阿智村で一番遅れていることに家庭ごみがあります。少なくとも、飯田市のように村がゴミの管理をすることから始めないと、村民は取り組めないのではないかと思う」      平成28年6月20日

 それが岡庭の評価に成ろうとも、住民が、自分たちの問題として取り組めたのではないか と、思っている。
いまも私たちは、分別ごみを きちんと仕分けして、気持ちの良い生活ができている。

 車中ではもう一つ話があった。  それは、山内村長の批判だ   私には次の謀略の始まりと感じ取れていた。
 (このことは、岡庭一雄前村長の不正のコーナーで明らかにします)       平成28年6月21日

 全村民に対しては形通りにやらないと
 コンセンサスがあったように見せかけるには、如何にも、“専門家” の見解が必要としてきた、いわば彼等と同類の人種がいる。(どこにもいるもんだ。教授に限らず弁護士にもね)(ビジターセンターの時も全村博物館の時も、特に絶対にそうしなければ!という時に現れる)  が、しかし、今回だけは岡庭の期待を裏切った。いや、そうではない。偏った通り、ある種純粋にその反対意見のレポートだった。 
 百戦錬磨の彼にとっては想定内であったかも そのレポートは得意な簡単な処理 章設計の園原資料館事業計画書と同じように、“ゴミ箱” に、直行したのだ。            平成28年6月22日

 県は次々と手を打ってきた
 飴玉作戦の第一巻は、上郷と丸山集会所の設置 岡庭はすでに鈴木設計に図(か)かせていた。(課長の時ですよ!)
両施設とも村の窓口では遂行できない。村の分は「お前は地元だから随契でやっても問題ない。丸山はどうする」「県の事業なら設計事務所協会でまとめられるから心配ないですよ」(これは想像、考えられる範囲でのね)
 そんなこととは露知らず、丸山の人たちは『生活に根付いて続けてきた豆腐つくりの継続を、一番最初にお願いしていた』  私もそこまでは知らなかったが、事務所協会の話し合いに出て来いという。胡散臭いなかで、“においのもと” が見えてきた。「私は頑張ります」と言い、落札してお世話になることにしました。       平成28年6月23日

 田中知事に逆らった、少し気骨のある県職
 上原耕平のほしくて欲しくての議員椅子、真っ先声を上げた鈴木設計の原君のために働くのは良いでしょう。ただね、ハッタリだけの君が、調子に乗って時雄と歩くのは、イソップの間抜けな童話と地元村民はみていたのだよ。
 丸山の集会施設を落札した翌日、地方事務所の担当者に会った。彼はそく、鈴木設計の基本計画図を渡してくれた。「平面も予算計画もできていますので、これでまとめてください」「地元の要望で出ている豆腐製造機器類800万は、この補助枠では取れないため、村に他の枠で出しています」 
 平面図を見ての返答は、「これでは、地元の要望に応えられる案ではない。基本計画からやり直します。」
それは、熊谷哲が丸山だったこと、そして、哲が「地元の考えが組み込まれていない。原君の知り合いも多い」と事前に、章設計がとってくれてよかったと言ってくれてたこと。      平成28年6月24日

 最初に丸山地区自治会長の哲と打ち合わせた
 丸山の細かい要望を全て教えてくれた。特に心配してたのは、伝統的な豆腐の製造 昔からの かまど が一番良いという。それには自信があった。大鹿の塩の里で、昔からの かまど が造れる人を知っていたからだ。
しかし、それは私の範疇に入っていない。県から直に村へ下される補助金事業費の中に、ガスコンロとして組み込まれていたからだ。
 県の担当者が一番困っていたこと
 平面図だけであったこと。その計画平面図を、公図からあげた図面にただ落とし込んだ配置図は、だれの目にも戸惑いを見せていた。                        平成28年6月27日

 章設計は建築設計以外に基盤測量・一般測量業務も行っている
 建設予定地の測量を行った。 その測量配置図の中で、動線と毎日の豆腐つくりの寄り付きやすさを中心に計画をした。 県の担当者は目にしただけで丸山地区民を集め、『新たな計画に変更する』と、熱弁してくれた。
哲の司会もそこそこに、みなさんが了解してくれた。そこには哲以外の同年生もいた。 平成28年6月28日

 熊谷操議長の豆腐加工店
 門前やの前は、リフレの事業名の通り、『ふれあい館』、何もない、多目的使用を目的にしたこともあって、どのように地元に管理させるかが問題であった。 操氏を中心として、園原部落で有志(融資も)を募った。10名が集まった。
 300万資本、園原観光有限会社として登記した。 継続するには商売しなくては、新たに補助を受け、小さな食堂を付設した。 経営なんてできる状態ではなかった。操氏も議会の反対勢力の中で頑張った。
 収益なんてなかったと思う。資本金300万の殆どは、全体事業費の負担金に出した。(時雄・叔父月川温泉からの要求、これは無理な話。いま、月川の営繕工事が負担金償却の中で行われているが、園原観光の負担金までここに使われている) 細々の中では、みんなでやっても無理なこと。私が一番早く手を引いてしまい申し訳なく思っているが、つづいて数人が、だれも出資金返還は求められる状況ではなかった。(現在4名、実質は孝志の経営)                 平成28年6月29日
火渡り護摩行事だけが収入に結びついていたが、信濃比叡が整備されること行事や観光客も増え続けていた。

 小さな食堂の少ないメニューでは手間代がやっと、そんなときにある人に、「昼神温泉で面倒見るから、豆腐でも作ってみないか」 操氏にしては渡りに船のこの提案! 即座に岡庭村長を動かした。
 普通であれば
 800万もかかる豆腐製造設備、それもすでに丸山の要望として県から補助金が下りている。「地区が変わっても単年度に同じ事業は出来ない」と、言うのが、“普通” でしょう。
 それが岡庭のおかにわたるところ、「よしよし俺がなんとかしてやる」 見ている皆さんの予想通り、丸山地区住民の、“我慢” となった。 すぐさま丸山地区住民を集めるよう哲に言った。その時哲は もうどうしようもない 部落の人たちになんといえばよいのか この人には人の心がないのか とあきらめきっていた。                           平成28年6月30日

 少し気骨のある県職
 機構改革したばかりの田中知事が下伊那地方事務所に来た時に、一人だけ、『意見を言った』熱血漢! こんな状況を黙って見過ごさない。 産廃を、受け入れせざるを得なかった丸山のために一生懸命やってきたこの事業 一番望まれてきた豆腐を村長だからといって許さない! 丸山に村長が出向いて無理やり了解させても自分は許さない!
 「この予算は県が丸山地区のために着けた予算だ!」と、何度か阿智村役場に出向いたが、そのほとんどは佐々木や水上までの門前払い・・・   かわってこちらの、“門前”やは、払うどころか新たな展開の中で軌道に乗りつつあった。                      平成28年7月1日

 田中康夫と共産党
 田中康夫の改革は、共産党にとって、“願ったり叶ったり” であったのではないか。
いつものようにただ県政に反対しているだけの共産党は、末端までピンボケしていた。唯一の方向は阿智村という地方自治体が我々の看板に成ったことだ。
 田中康夫は、合併にも、産廃にも反対の姿勢を見せている。それに沿って共産党の新たな旗印もできた。
田中康夫の合併反対は単純なこと、物書きとして、藤村の、“初恋” が他県に成ることのプライドだけだ。(個人的に賛成) 他の町村はついでの事、でも、阿智村に関しては、岡庭にとって、共産党にとっては 強い!強い! 県の姿勢!                     平成28年7月4日

 岡庭のずる賢さはムジナの上
 来るべき村長選に打って出るには備中原の票、産廃には諸手を上げているように見える。山内村長の資質は地に落とした。産廃を賛成しているようにみせても共産党は組織票。あとは反対姿勢の田中康夫を無視さえすれば
幸いに、田中康夫は我々の仲間に見えるように長野県共産党が横についた。立てつけば県政会でひろみも嬉しいはず。                               平成28年7月5日
 そして始まった市町村合併   最初からできていたシナリオ

 スタンバイ OK!  
 飯田市への吸収合併阻止! 外堀を埋めれば何とかなる。
下條村:伍和栗矢が騒ぐだけだろう。かりに話が出ても、下條村長から願い下げだから心配ない。村民にはそう言えばよ   い、「起債償還比率が悪すぎて下條はハナから相手にしてくれない」と。
根羽村:設楽との経済交流が主で合併するなら愛知県だろう。お山のガキ大将小木曽村長も、ひろみとコンビで思い通りにやっているんだから、俺と同じで手放すはずがない。
売木村:阿南町しか見えていない、阿南町は見ていない。 ただ~♪ それだけ~♬
平谷村:少しおバ〇な村長が、飯田市合併で自爆した。もうそれ以上(阿智村との合併)の頭もないこと。
浪合村:伊藤村長が侮れない。すでに、赤い村ではどうしようもないと、飯田市への吸収合併を希望したからだ。市長から、「間にある阿智村の動向次第」と引導を渡されている。これは阿智村が、俺が、面倒みるとした、“かっこう”がつけられるかもしれない(ウッシッシ)、だってそうだろ!浪合はインフラ整備が行き届いて、合併特例債は全部実入りになるではないか。これがオイシクなくてなんとする!だよ。
清内路:これはまいった。財政破たん額は大したことはないが、おばさん村長だから手に余りそうだ。俺には昔から二号がいる、だから、再婚も出来ない身としてあしらうか。      平成28年7月6日

 各地区の説得
 そう、合併の方向性を話し合うのではなく、作ったシナリオ通り説得させたのだ。
まあ用意周到なことで、そう仕向けられた資料により説明された。 合併なら飯田市への吸収合併しかない!それは、千代のようになること、周辺の村は既に方向性が決まっている、それは、自立で行くということだ。その時でも、浪合は飯田市との合併を望んでいて、阿智村とは一緒になることはない。と、説明されている。
 そしてここでは田中康夫を持ち上げた。平谷の帰りに阿智村に寄らせ、自立でなければならない!と、ついでの言葉を復唱させた。 賛同するのは既得権益の者ばかり、土建業者も最たるものだが、当時の議会がまるでだらしがなかった。誰だ!議長は?  昼神温泉や事業者は、村では全国区になれないと、こんなチャンスは二度とこない! と言いだし辛かったんでしょうね岡庭様には。平成28年7月7日

 田中康夫が疎ましい   自立村決定
 よし!俺の力を見たか! あとは水面下で二つの事を処理するか、これは結果報告すれば済むことだ。
最初は浪合村。 それこそ水面下で話は出来ていた。伊藤村長の最悪のシナリオ、飯田市になる唯一の希望がなくなった。この阿智村に吸収されるのは屈辱だが、もうどうしようもないとあきらめた。
 よし!俺のおもい通り! あとは田中康夫にこう言えばいい、「飯田市が悪い、浪合が困っている、放っておけない。これが隣村の務めとして合併します」

 熊谷時雄は許せなかった 『あの野郎!俺があれほど面倒見てやったのに、人の恩を忘れやがって!』
 自分では、一番の、“人間” だと思っている時雄君の話は、来週へと続きます。   平成28年7月8日

 何もない熊谷時雄
 彼の生い立ちは恵まれていた。ただ、その恵まれはお金だけでした。父親は金融業、言わば高利貸し。ただ、この人は義理も人情もある高利貸し、言わば血も涙もある高利貸し。ただ、時雄君だけには、義理と人情が伝わっていなかった。
 突然いなくなった(亡くなった)父親が多くの資産を残した
 その多くの資産のほとんどは、時雄君の姉のものになっていた。一度は勘当した息子、まだその全てには許しがなかったのかもしれないが、それこそいらぬお世話!の話。ただ、資産のほとんどは時雄君が相続できた。との話です。
 ここで聞いた話! 阿智村の議長時代のこと
 若者が同居するのが条件で100万円の補助!の若者定住施策、ここで、同居しないのに住所だけ移し、1億円の大豪邸を新築し、ちゃっかりと、その100万円を申請して受け取ったという。 驚くでしょうこの話、職員の間で流れに流れたこの話。でも、他の議員は、“知らぬ存ぜぬ他人事” でしたとさ・・・           平成28年7月12日

 野望とのし上がる条件
 私より四つ年上の時雄君は私の知らない人でした。中学校も一緒にならない、部落も違う。なぜ、時雄君と知り合ったかというと・・・始まりは、彼が父親の「消防団に入って地区のお役にたて!」に従って、30を超えてから消防団員になった時であります。 私の地区は過疎地域、ぎりぎりの団員で構成され、一人でも欠ければその活動に支障をきたしかねない状況でした。誰もいない年代があり、年長者でなくても幹部が回ってきます。時雄君もしかり、たった一年の団員から翌年には係長、その翌年にはすでに班長となっていた。
ほんの2.3年で幹部になり、分団長を2年続けたのだから大変だったと思いきや、そうでもなかったみたいで行く末は団長になりたい!でした。でも、彼に寄り添う者は誰もいない、まさしく私に近寄ってきたのです。ただそれに併せて本当の彼の目的は、その時すでに私は知っていました。 平成28年7月13日

 時雄君の夢
 時雄君の幼友達であり中学まで一緒で夢を語り合った時雄君の同級生の話で、“俺は村長になる” が口癖だったようです。この話を勘当されていた時雄君が消防団に入ったとき、同級生からそう聞かされたときに私は時雄君が好きになりました。 ホント!素直に『小学校から中学までずうっと変わらぬ夢を持つ』わたしの中学時代は先生に盾突くことが多かったから、すごいな!と感心したものであります。
 で、あるからして、両祖父が村会議員、父が教育長、代々続く家 そんな私に近寄ってきている。と、私の父方叔父から聞かされても、まったく意に介さない、そうなってほしい! と叔父に返していました。                              平成28年7月14日

 反感   消防団の付き合いは二人の大切な人に反感を持たれてしまった
 19歳で消防団員になりましたが、一つ下の竹馬の友・三つ上の身内の兄のような人と三人が一緒の入団でした。23の春に結婚をして伊賀良の小屋に住むようになりました。土帰月来でしたので消防団の活動は続けられましたが、子供が小学校に上がるとき住所を伊賀良に移しました。消防団を辞めさせてほしいと父に話しましたが、団長までやった父の返事は、何もなし。
 33の時、時雄君から思いもかけない話があった
「俺の一つ上は誰もいないので来年から二年間分団長だが、その二年間はそのまま続けてくれないか!」私は?何のことかわからない?「お前は28の時から阿智村消防団に籍がない、保険も掛けてない功労金も出ない。今までの分団長が話してこないから悪いのだが、村ではとうに辞めたことになっており、住所のない者は使うな!と言われてきていた」
そういえば、10年間従事の感謝状をもらっている。たしかに辞めたことになっているし、飯田市に住所があるから当然だよな。「そんなことは気にしていなかった。聞いてしまうと、話くらいは有ってもよかったのかな。と思うけど、いいよ全然かまわない。37の任期までやりますよ」いやいや「それはそれでダメ、名ばかりの班長の半被(はっぴ)を着て、出初式にも出れないし、分団長の年まで居てくれては困る」そりゃそうだ、分かりました。                 平成28年7月15日

 団長の福岡さん のちに岡庭村長の最初の助役になった人
 副団長から団長になったが、この人は農協勤務がかなりハードであったらしい。団長も辞退したようでした。任期一年残し急に辞めることになった。副が団長に昇格は当然あるが、急なため副の人事に手間取っていたのである。
それを聞きつけたからさあ大変! 時雄君がその気になっちゃった。
 私は動きました時雄君のために、父に頼んだのは当然の事。時雄君が遠回しに言わなくても自分で判断して動いた。
分団幹部の先輩たちにも、みんなで要望することも必要と考えた。が、根回しなんて慣れていない、時雄君のために動く気持ちのある人は誰もいなかった。
 村長に推薦したけど、あれはダメ! 村長は聞く耳もたない!・・そういえば、『あれにだけは気を付けろ』と、岡庭一雄と同じ話を聞いたっけ
 逆恨み  こればかりは仕方ない
 その日から遠い人になりました。 時雄君にしてみれば無理もないかもしれません。でも気づかないとねこればかりは、自分に信用がない ってことは                平成28年7月17日

 人間性  反省だけならサルにもできる が
 智里西地区の三人衆に共通していること  その反省を持ち合わせていない
時雄君は日本大学のなに科だったかな? 学生運動に没頭していたらしいが、始めた東大生は、“抜群の頭”、日大の、それもバック生では次元がはるかに違う、赤く染まるのも中途半端。
親父さんがカンカンになるのも無理なき事、何百万もつぎ込んでも卒業できない。はるかに超えた年齢で飯田に帰ってきてもまともなところに、いくらお金を用意しても就職することは無理な事、日大入学より困難だった。
しばらく金融業を手伝わせていたが、義理や人情の信条は教えて覚えることではないと、彼を保険会社にお願いしたのです。(保険会社、義理や人情は必要ない、いや全く無いところですね)
 他の二人も社会を知らない。会社務めや下積みの経験が何もない。よく言えば、独立独歩で頑張った人たち。だから、自分が一番苦労してきた、自分が一番頑張った、自分には力がある、だから自分が一番!だと、思ってしまうんですね。
(あれは人間じゃない!と、いう人たちが増えてきました。農間部落では子供のころから言われていたそうです。ここだけは他の二人と大きな違いがある。操氏は子供が大好きでこどもに好かれます。私も子供のころ万岳荘で腕枕をしてもらい眠ったことがある大好きな人です)      平成28年7月19日

 吉田ひろみと熊谷時雄の距離感
 熊谷時雄氏のデビューは、人材派遣業、分かりやすく言えばコンパニオン! 私を内輪に入れた、と思っている時雄君はそのコンパニオンの会社を手伝ってくれ!という。斎藤酒販の会長さんは時雄君の大学時代の同級生の父親、近寄って懇意になっていた。ヒマな会長さんが、コンパニオン会社の会長になってくれるという。
 中島衛の秘書ひろみにとっても斎藤会長には頭が上がらない。県会議員に立候補するにつけ、時雄君を紹介されたことはとってもとっても大きな魅力! 好き嫌いの問題ではない、お金の問題である。
 長い目で見たら
 その大きな魅力はなかなか現れなかった。あれだこれだと言うばかり、気が付いてみたら時雄君の立ち位置だけが際立っていたのである。気が付いていればねえ 何事もお金が基準の人が お金を使うと思います?                               平成28年7月20日

 参議院議員
 県会では洋ナシになっていた、それは目標の参議院議員。そのころには疎遠になっておりました。ひろみも頭が良い、吉村午良から、“雑種の駄犬”と言われてもめげなかった。
 あの時、中島衛先生が民主党に鞍替えしても計算高いひろみ君、素知らぬ顔で長野市の人になっていたひろみ君、松本県と相まみえてしがみ付いた自民党。そこに岡庭君や時雄君は、絶対、どうしても邪魔な存在! ひろみ君の世界にはもう二人は存在していない。でもそんなこと、時雄君ははるかに前に分かっていた、最初から。だからお金を使わなかった。利用しようと、それはもう達成された岡庭村長で。後はひろみの名前は勝手に使えた。                  平成28年7月21日

 でも、合併問題で頭にきた
 ひろみ君と時雄君、二人だけの世界 のこと、時雄君の方が一枚上でした。
お互いうわべの、“恋” だと認識していましたから、ひろみ君は秘書の佐藤君を間に入れたのよ。(^^)
佐藤君は、カッコしい の男。(だから信毎の小さなネタの大きな攻撃で、『自殺』したのです。これは後程、リニアのコーナーで書くよ)
 共産党の村! 飯田市との合併しか村民(良識ある人たち)は考えていない。   平成28年7月22日
(良識ある住民は、浪合や清内路なんて合併じゃない。西部6カ村そろって飯田市になる事が合併することだ)

 あの時、吉田ひろみがもっと前面に出てきてくれたなら
 自民党が合併推奨推進するのは当たり前の事、集落から始まった日本の國は合併を繰り返してきた歴史! 少なくなれば資本主義が成り立たない。民主主義を崩壊させるために共産党は、“合併反対” を、唱えるのである。
そんな共産党が治めている阿智村、絶対に合併阻止をしなければならない!
 吉田ひろみが、“勇気” を持って乗り出していれば変わっていたかもしれない。ひろみには負い目がある、時雄の金と岡庭村長を後押したこと、気が付いた時には手遅れだったみたい。 だから時雄君が二枚も上手、とっくに洋ナシになっていたひろみ君に、キツ~イ一発!を、おみまいする必要があったのですよ!  でもこれは、岡庭村政を続けるための阿智村住民に向けてのメッセージ! でしたとさ。                                   平成28年7月25日

 今度は田中康夫の番
 共産党員にしては矛盾していた。 合併反対は良いでしょう。でもしかし、産廃にはもろ手を挙げて賛成した。
だから田中康夫も不思議だったのではないかな? かたや後援を求め、片や突き放す! これを共産党が黙認していたということは、そこにはやはり大きな目的があったのだろう。 岡庭村長! 共産党員が地方自治体の『 長 』に!
 こんな感じなのだから、岡庭一雄村政で不正や犯罪を指摘しても、法律に違反していることは彼等にとってはどうということはなく、むしろ当然のこととして捉えているのではないか。
共産党に規律規範があったとしても、日本国の法を守ることは書かれていない!と、見るべきであろう。
(憲法第九条だけに反対する彼等の方針は、それこそ矛盾していて何の根拠も示せない攻撃するだけのスローガンである。だからして多くの国民に受け入れられないのであろう。そんな共産党と選挙協力をするのだから民進党も共産党に破壊されるのである)               平成28年7月26日

 そして阿智村は残った
 取り巻きの連中が感情論を前面に騒いだからなあ、作為的なアンケートも成功したし、何しろ土着利権と議員と共産党までが一つになったんだから飯田市合併希望者は太刀打ちできないでしょう。
だから私は岡庭にこう言った。「旧智里村に戻りたい!となったらどうしますか?」 園原から昼神温泉を抱えた、村で一番お金が落ちるとこ。 地区民の前で口ごもっていましたよ岡庭さんは

 後日水上宗光にもこう言った。「田中康夫には、飯田市に嫌われた浪合が阿智村に頭を下げてきた!って言うのでは」 水上は、「よく分かるじゃん。浪合はインフラ整備する必要がない、阿智村は得をするんだから。」                             平成28年7月27日

 花桃街道整備事業とは   県の説明
 阿智村智里西地区における橋の架替等の集落道整備につきましては、平成26年度から県営中山間総合整備事業 花桃の里地区の一環として、農業生産性の向上と生活環境の改善を図るために実施しているものです。

 グレーゾーンで予算取りをしているが、県としては事業計画書として整っていれば何ら問題ないことで、何ら手当を講じる必要もないこと。である。
 では、なぜこれを問題として公開質問状を提出したのか!
橋の架け替えの経過の中で、不正行為と犯罪と思しきことが行われてきた。そしてその行為に岡庭一雄前村長と熊谷時雄元議長が関与しており、その違法行為全てが阿智村との契約事項と成っているからである。
そのような疑念がある中で進めていけば、それは必ず会計検査院の知ることとなり、公になれば補助金を返納することにとどまらず、刑法で裁かれる人たちが出てきてしまいます。 阿智村議会は、“そのこと” を知っていて国に申請していますから、阿智村議会の責任は重大となるわけです。平成28年7月28日

 橋の架け替えの経過  (村長・議員に渡っている文書にも概略は書いてある)
 この事が、すべての始まりであったかも。
月川温泉の経営は順調だった、叔父の努力のたまものである。水源を井戸に求めて、それが成分温泉と認可されたことは大きな足掛かり、それが安定的な誘客につながった。 二年目から名古屋を中心とした中部圏内を営業範囲として叔父自らが営業し、それなりの観光会社がついて大型バス1台が来たときである。 その仮橋は通行できない!という、50人の客は歩いた。観光会社は不平が出たからと、それ以降がなくなった。
 それから始まった橋の架け替え要望が。建設事務所は生活橋がある以上はダメ!、中山間モデル事業(過疎債)もダメ! 特例債?なら可能、でも1/3の負担が必要。 その1/3負担3,000万を捻出するために、ヘブンズからの賃貸料に目を付けた。 そういうこと その時岡庭は観光課長でコクサイの石田さんに取り入った。                             平成28年7月29日

 そして始まった、“詐欺” 計画
 ヘブンズからの賃貸料(本谷財産区と園原財産区分を一緒にして)を一旦村に入れ、その金額と同額を、“地域振興補助金”の名目に変えて、実在しない本谷・園原財産区という任意団体に支払う。
地区の三人衆は、その金額の殆んどを毎年預金して、かつ、その預金を会計報告書に載せず各財産区の権利者に報告してきた。それが目標3,000万に近づく前に、熊谷時雄議長が誕生した。
 議長の力は絶大
 職組をやめたのだから職員はイエスマンばかり、党員でなくてもすり寄る者が出るのも致し方ないこと、正しい反骨精神なんて育つはずがない。体制を揺るがす章設計の公開質問状でさえ足の下にいる議会が処理をした。裁判にかけられたって強い阿智村顧問弁護士が、法の力!で守ってくれた。 向かうところ敵なし!なんだから橋の架け替えに国から全額予算を取り付けることなんて、岡庭村長と元々組んで始めたことなんだから鬼に金棒!                     平成28年7月30日

 どうですかみなさん! これは誰が見ても不正というより 犯罪でしょう! これをすべて知っていても議会は私の公開質問状を、無視する!取り扱わない! と決定しているんですよ! こんなこと、社会にあり得ないでしょう!?

 全額負担となれば、欲がある人なら次に何を考えるでしょう
 仮橋の架け替えが全額補助金で出来ることが確実となった時、彼等の欲は止まるどころか次の目的に向かっていた。『ヘブンズからの賃料は地域振興補助金なんだ!だから地域の発展のために使う!その発展は花ももだ!』 そのために貯金してきたんじゃないか! ふう~  
 林業活動拠点施設
 地区山林整備のために国庫補助金で建設した。負担金は300万でした。その管理は双方の財産区が行ってきた。その施設管理費が年24万程度かかる、それを村に負担させようとした。それが3年前。
自治会館にすれば良いとして時雄君が強引に進めた。時雄君の持論として、俺が議長の時、議会側から岡庭村長に提言した。その中で自治会館とするのだから正当なこと!である。    平成28年7月31日

 時雄君が自治会長になって、時雄君が財産区山林委員長になって
 すべての地区権力を手中にしてからそれは始まった。
これも村長と議員に渡った文章に書いてあるから手短に書きます。 反対したのは私だけである。
 私は財産区総代の立場であったが、林業活動拠点施設を自治会館にすること自体に無理がある。その目的が維持管理費を村に出させる!だけであったからだ。
 村は当然出来ることではないと対応するのは当然のことだが、時雄君と叔父にはそんな常識持論はない。無理やり押し通そうとする山林委員会に、すでに引退している叔父を出席させて私の発言を封じ込めたのだ。
それでもメゲナイ私の発言に、「うるさい黙れ!それ以上発言するなら出ていけ!」 (悪代官のテレビを見ているようでしょう( ´艸`) 現実なんだなあ これが) 
 こんな時雄君の暴走を、至極当然に、『章文はいつもエラそうに訳のわからないことばかし言っている。なんでみんなが良いと決めていることに逆らうのか!』 こんなふうに、他の総代三名と山林委員の八名と副自治会長(竹馬の友)はみているのであるからどうしようもない。そして極めつけは叔父の言葉、「いいか、年24万もあれば10年後には240万! 240万が財産区に残るんだ!」 これを聞いたから12名と時雄君は、これが正しい!として、「今年度分も村に請求する。ついては即、それに値する24万は自治会から財産区に支払え!」となり、支払いが行われたのです。 
 これを聞いたから私は、『もうどうしようもない』と考えて、公開質問状を議会議員の皆様へ提出して解決していただきたい!として、普通の住民の普通の権利を行使したのです。   平成28年8月2日

 次に考えたこと
 橋の架け替え事業費、全額を補助金とするのは熊谷時雄議員の裏の命題、岡庭村長と話はついている、あとはタイミング次第、それには議長を続けなくてはならない。
 隠してある財産区の賃貸料
よし、3,000万を超えた。もう橋の架け替えには使わなくても済むようになった。であれば、前から欲しかった花桃の駐車場、林業活動拠点施設の横の土地、あれを何とか手に入れたい。地主は引き払って名古屋に行った。おかしな物を置いて見苦しいし、花桃の邪魔になる。それを自治会の意見として前面に出していけば反対する奴はいないだろう。
(確かにその土地にはステンレス製の大型タンクのような物が数十個置いて有った)  平成28年8月3日

 その土地の値段は1,000万円
 地主から、「売ってもいい。」と叔父に電話が来たとき、たまたま同席していた。
地主への条件は:その見っとも無いタンクは全て片づけること。そしてなるべく安く買い入れること。
地主の返答は:タンクは順々に片す、一年くらいは待ってくれ。値段は1,000万。自分の子供はもうそっちへ帰ることはない。だからお金にして残してあげたい。(名古屋の人)
地主への返事「少し高い。まあ少し方法を話し合いながら、どちらにしても話はお互い切らないような事だけは了承しよう。ちょっと待ってくれるか村長に話をしてからまた連絡するから。」平成28年8月4日

 やい、売ってくれることになったぞ
 岡庭村長との電話のやり取り、その言葉から始めていた。そして、「それがちょっと高いんだよ。」そんな話もしていた。 電話を終えたときに聞いてみた。 あの土地売ってくれるの、それは良かった。 「ああ、高いこと言っとりゃがるが、商売がうまくいってないみたいだから金が欲しいんだよ。どうだ?税金はいくらくらい取られるのよ。」 良く分からないけど評価額が基準になるんじゃないの? でも売買額が高いと税務署の基準も変わるんじゃない? 月川で買うの? 「月川なんかそんな金ない。」                              平成28年8月5日
(その時は花桃の収益で購入するものと思っていました。だって、花桃の駐車場にすると聞いていたからです。)

 園原の部落会で話が出た
 財産区の金で○○と言う人の土地を買うようになったと聞いたが、おかしいじゃないか、誰がいつ決めたのよ。
私もびっくりしたが、それは財産区の金で買うこと。 その土地を買って花桃の駐車場として使い、その金は私の叔父と熊谷時雄のところへ入るだけじゃないか!(みなさんちゃんと分かっています。) そしてそれはおかしいこととなり、山林委員会開催を要求して園原部落では反対!と伝えることになった。
 だがしかし
園原部落の山林委員は、園原部落の意見を伝え反対しました。が、すでに、いつものように根回しされ、山林委員でもない私の叔父が出席して、「そんなものは自治会からの要望じゃないか!あんな見苦しい物を置かれて困る!って自治会が言うから、自治会には金がないから財産区で買うようにしたんじゃないか!」 まあ、とんでもない屁理屈 でも、叔父が言い出したら刃向えない。園原の委員は、「自治会ではそんな要望はしてない。」と言うのがやっとのこと。それもスッカリ時雄君が自治会の決定事項としていました。
 本谷財産区の委員は彼等の駒、多数決で締めて、終わりチャン袋 これも民主主義 なんだ
(私の叔父だから私はそちら側の人間、操氏のやり方だがそれに皆さん従うのも無理なきこと。そして板挟みの私は竹馬の友にまで攻撃されて、いちばん深い親戚の兄貴のような人まで操氏の犬となり、たった一人で立ち上がることを決心していくことになります。それが10年前の裁判) 平成28年8月6日

 村に寄付をする
 財産区の決定事項と成ったが、叔父は既に引退していた。そしてそれは、子供を会計総代にして当然のごとく遂行されていった。
 誰も知らなかった新たな不正の事実。
それを確認したのは二度目の総代になったとき。本谷の総代たちは、総代長俺、副はお前、会計もおまえ。園原総代はいつものように書記をやれ! こんなことはどうでも良い、私は確認するだけ会計帳簿を。
 やっぱり記録されていない875万円の支出。 私は知っていた。『1,000万では高すぎる、村に寄付をした形にすれば税は免れる。それは折半で!』そして、875万円になった。 だから領収書は無い、会計報告もされてない。そんな監査を通すために、監査員も、“言う事を聞く子飼い”にするのは常套手段。
(なんでそんなことを許すのよ?誰も言わないのか? と疑問に思うでしょう。誰も言わないのではなく、誰も悪いことだと思わないからです。1,000万を875万にしたんだ! あ、安くなったんだ、こんな程度)                                  平成28年8月8日

 私はこの事も表沙汰にしないよう考えた
 母が亡くなって四十九日、一人っ子の私は憔悴しきっていた。淡々と流れる月日に身を任せていることだけが救いのような気がしていた。 法事のあとは月川温泉でお世話になった。
 もう和尚さんも帰った。自分の席に戻り、温くなったビールを口に含んだその時叔父が来た。 「やい!お前は設計事務所をやって景気が良いかもしれんが、俺たちはこの谷で、観光でなきゃ喰っていけないんだ!お前は儲かっていていいかもしれんが、それなのになんだ!」 すごい剣幕で大声で私に言った。何のことか?「財産区の金を、隠してある金を会計報告書に載せろとは何だ!あの金は俺たちがこの谷で喰っていくために残しているんではないか!」 びっくりした。そして叔父さんはどうかなってしまった?普通ではないと感じた。
 私はこう言った。「おいさま、土地を購入した875万円。あれを会計帳簿に載せてください。それだけしてくれたら会計報告書はそのままで良いです。」・・・叔父は黙って立ち上りむこうを向いた。       平成28年8月9日

 本当にそうしてくれれば
 私は今回のことを表佐多にしなかったと思います。内部(本谷・園原財産区)で処理していれば、なにも知らない世代の代わった人たちは知らなければそれでよいと思いました。寄付した形で税逃れをすることは財産区権利者には関係ないこと、それでよい。
 もともと彼等の欲で始めた本谷・園原財産区、改まることは無理でした。
購入した土地を駐車場とするのではなく、地区外者が観光客向けに販売するための出店場所として、そしてそこで多くの収益を得るために計画されたことでした。
 出店場所とするにはかなりの造成を必要とします。それには多くの費用を必要とします。そこもチャンと岡庭村長と話が出来ていました。
村の費用を使って、『 公園整備 』として、1,000万の造成工事が実施されたのです。 平成28年8月10日
(阿智村の住民の皆様、知っていましたか?あなた達の代表議員は賛成して議会を通しているのですよ!)

 こんな事考えられないでしょう
 岡庭一雄前村長、彼等はこんな信じられない事を平気で、行政の立場として行ってきたのです。
何度も言いますが、彼等には法が無いのです。日本の法律を順守する!という、基本的な考えが無いから何でも自分たちの考えだけで行動してしまうのです。
 地方公共団体であれば、理事者の執行に対し議会が査問します。でも、議会の議長が彼等の仲間であればそれは機能しません。二三の心ある議員がいても、民主主義ですから多数決の結果として処理されてしまいます。

 300万
 智里西観光組合の事業とされている花桃祭りは、他の営業施設(出店者以外)にも花桃祭りへの協力をさせています。
出店収益だけでも300万は超えている!と、他の営業施設経営者から聞きました。村民グランドや村道を使用しての駐車料金は年間2、3万人、時には5万人を充てればびっくりするような金額となるでしょう。でもそれは彼等の収益となる事は当然です。何も悪い事ではありません。             平成28年8月12日

 営利事業
 花桃の植樹と管理は村から2.000万円の助成を受けて始めた事業です。それは地区の観光産業に大きな成果をもたらせました。 開花は一年に一回だけ、それも半月あまりの一定期間、あとは全て樹木の管理に手を回さなければなりません。叔父が行ってきた十数年間の苦労は並大抵のものではありません。
 だからこそ批判を、非難を受けたくはないのです。 叔父の花桃は、やはり叔父だけのもの。そう周りも、本人さえも思っているのです。
 自治会に付属させる
 地区要望の補助事業だから、地区の観光産業に貢献していくのだから、自治会の事業として自治会が維持管理していくことが当然の事! として、自治会に、『 花桃管理委員会 』を設置しました。これは、叔父と熊谷時雄君が自治会員に何も相談なく勝手に決めて事後報告されたこと。その、『 花桃管理委員会 』は会計を持ち、各部落から委員を出し委員会を形成する。
 この時点で、『こんな事は出来ない事!』 と、誰も思わない?!のが不思議でした。誰も何も言えない!のではなく、誰もそうは考えないのです。                 平成28年8月14日

 税務署対策
 花桃祭りとして始めた当初から、想像もしなかった多くの観光客が押し寄せました。道路を埋め尽くす車両は園原インターを遥かに超え、新たな道路事情を検討せざるを得ないほど。 それに伴い駐車料収益もうなぎ昇り、また、出店したいという新たな事業展開も可能になりました。
 大きな収益が上がれば当然税務署に目をつけられる!それを何とかするためには、『地区が地域発展のために起こした事業』としなければなりません。そこで岡庭村長を、『 花桃祭り 』の実行委員長とさせることで、地区民に対しては、村が直接行っている観光事業の一環として認識させることにしたのです。
 村が中心となって行っている地域発展のための事業、だから自治会はそれに全面的に協力することは当然の事、しいては自治会にその管理が行えるよう組織化して付属させることは、これも正しく当然のこと。
 どうでしょう。
このように進められれば、『 当然の事だなあ 』なんて、思っちゃうでしょ!    平成28年8月15日

 智里西地区の皆さんに理解していただきたい
 平成元年、西地区にリフレッシュモデル事業という国庫補助事業が実施されました。この主だった施設は、パークランド施設・月川温泉宿泊施設・ふれあい館(現門前や)
 この三施設とも『 営利事業 』だ!ということを認識してください。パークランドと宿泊施設は事業費の、1/3を出資者が負担しています。ふれあい館は営業施設でないため1/3負担は有りませんでしたが、経営するために食堂施設を敷設しています。 この各施設事業の収益を自治会管理とするでしょうか?!
 花桃植樹補助事業は全額補助事業
 2,000万補助を受け、当面の管理費として400万。ここまでは良いでしょう。 観光客から得る駐車場収益、出店場所代を運営費・維持管理費とすることも、この運営を叔父と熊谷時雄氏がやっていることも当然でしょう。
 ですから、二人が『 営利事業 』を展開しているということを認識してください。
 自治会に花桃管理委員会を付属させる!なんてことは出来る事ではない、と分かってもらえたでしょうか。
質問状のあとに熊谷村長がこの花桃管理委員会の不適を指摘し修正させた、と聞きました 平成28年8月16日

 ヘブンズからの賃貸料で買った土地
 県道道路敷や河川敷を利用して駐車場とした来たが、県道敷に駐車させて料金を徴収することが出来なくなりました。そのために、林業活動拠点施設(財産区事務所)の横の空き地を駐車場にしようと購入計画を立てたはず。それも地域景観の為だと言って。
 端からそうではなかった。林業活動拠点施設駐車場や道路敷、はたまた民地に出店させてきており、所場代が高い!といって地元の人たちは参加しなくなってきていました。そこで、出店を一カ所にまとめようと考えたのです。 
 私が言ってきたことは、『営利事業なんだから、花桃の収益で土地を買うべきだ!』 当たり前のことでしょう! この当たり前のことを言ってきたのに、『章文は自分勝手な奴だ、何でみんなで決めてきたことに反対するんだ!』と、こうなってしまうんです。            平成28年8月17日

 財産区の会計帳簿にも記載されていないお金で購入した土地、その土地を出店者にまた貸しし、そこから得る300万を超える収益は二人のポケット、村からは公園整備として1,000万補助されて、その整備工事も時雄君のどんぶり勘定!

(村で公園整備として補助金を出しており、その工事を時雄議員が実質受け、その取り巻きに工事をさせてそこからもお金を抜いています。当時の議員さんたちはその事も知っていて議会承認しています)

 税対策
 それ以外に何もありません。 花桃は営利事業・収益事業ですから、税金が掛かるのです。
資本は何もありません、村で全額補助したのですから。管理費も400万もあれば5,6年はやって行けます。観光客が増え、多額の駐車料金が入るにつれ、どうしても会計処理をしなければならなくなりました。 それは、地区の要望事業だ!として進めてきた経過が有ります。それであれば、その地区に会計報告を行わなければなりません。
でも、それをやるつもりは端からなかった。花桃祭りの人工賃金しか出て行くお金はない、地元の人がこずかい稼ぎになるんだからありがたく思え! こんな考えでほとんどの収益は二人のポケット! これはおかしいじゃないか!?会計報告がないじゃないか!と、気づく人が出始めました。平成28年8月18日

 自治会に付属させる
 こんなバカげたことを考えて実行するのだが、こんなことができない事!と、思う人が誰もいない。一人か二人は居たかもしれないが、自治会の役員を取り巻き連中にさせているものだからどうしようもない。また、村会議員の立場で大きな声(おと)を出せば誰も逆らえない。 私が正そうとすれば、「うるさい!黙れ!」挙句の果ては出ていけ! これを周りで見ているみなさんも、“時雄さんに逆らっている。やり込められている”としかみていない。「ざまあみろ!」なんて人も居る。
 こんな事はいつかは見つかってしまう。
だから、修正しよう、その日が来ても小さなことで治まるようにしよう。と、してきましたが、二人の欲は留まるどころか輪をかけてきた。
 昨年から、自治会役員に彼等の息がかからない人がなりました。彼はやはり、私と同じように見てきて感じていました。 その彼は、地区全体に現状を知らしめ、みんなの考えで修正しようと頑張っています。
 すでに花桃管理委員会は無くなりました。
熊谷村長の指導で、その花桃管理委員会を智里西観光組合に移したそうです。(その時の時雄君の抵抗と態度は恐ろしかったようです)(頑張ってほしいと思います。正しい事は必ずみなさんに分かってもらえます)                               平成28年8月19日

 移す前の公金横領
 公開質問状で花桃街道の橋の架け替え事業に異を唱えています。 熊谷村長や議員に渡った私の文章にその事の不適を書き出すとともに、『中山間補助事業だから橋の先に農地が必要』として、荒廃地に菜の花を植え付けた。その費用を水増しして村に要求し、議会承認で補助金を受け取っているが、実際の支払いはこの自治会に付属させてきた花桃管理委員会の会計から支払っている。と書き出している。 その受け取った補助金はどこにいったのか?
 菜の花の植え付けには、強制的に農間部落の人工が充てられて植え付けしている。その人たちに支払われた費用と、その清算請求額の精査は村や議会で行ったのでしょうか?
(聞くところによると、水増しした請求額は議長が了解しているとして時雄君が職員に指示したようだ)

たったこれだけの事の中でも多くの不正が存在している!と思いませんか? この事を書いてある文書は議員に渡っているのだから、いくらお粗末な議員が居ても、『どうすれば良いか!』なんて言うまでもないでしょう。平成28年8月20日

 不正?犯罪?
 本谷・園原財産区の預金から875万円引き出し、地主に支払った。 地主から領収書をもらっていない。
地主との売買契約書は無い。 本谷・園原財産区の会計帳簿に記載されていない。
 地主は村に寄付をした形(双方に寄付とした書付は無いのでは)で脱税をしているが、これは地主個人の事。
村は寄付をされたとして阿智村名義にしたのではない。 財産区が購入した土地、財産区名義人の阿智村としている。
 村は奇特な人に寄付をされたから補助金を出して公園整備をしているのではなく、二人に依頼されて、花桃観光客の駐車場として整備している。これは『岡庭村長ではなく、村長岡庭が行ったことである。』 この違いを議会議員の皆様が知識として判断していないと、村の存亡にもかかわってしまう。
 財産区では土地の購入が出来ないので寄付をした形にしたのか、安く購入するために寄付をした形にしたのか?
財産区では土地の購入が出来ないから、とすれば地主が阿智村に寄付をして財産区名義人の阿智村にしたともとれるが、財産区では土地の購入が出来ないと知っていてその様な形にした、となればこれは確信犯である。
 安く手に入れるために行ったとすれば、それは作為を持った脱税行為の強要となり重大犯になってしまう恐れがでてくる。また、本谷・園原財産区がいかに任意団体であっても、領収書が無く会計帳簿に記載されていないとなると、背任と横領の責はそれを扱った当人が取らなければならないかもしれない。

 このような、もはや犯罪となっていく事は明らかであった故、私は叔父や時雄に何度もその間違いを指摘し、少しでも修正できるように進言してきましたが、彼等はもはや常人としては有り得なかった。        平成28年8月21日

 花桃街道整備場事業
 この事業名については前段で書き出し、その目的が月川温泉への橋の架け替えであることを書き出しました。
では、この橋の架け替えを叔父と熊谷時雄がどのように進めたか! それを議会がどうして承認したのか! 二人の謀(はかりごと)で不信が有ることを分かっているのになぜ議会が承認をしたのか! 『 詐欺 』と疑われる補助金請求書になぜ議長が関与したのか!

 これらの事を順を追ってこれから書き出します。                平成28年8月22日

 橋の架け替え
 中央道恵那山トンネル土捨て場用として架けられた仮橋は、その先にある向という集落の利便性で残してもらった橋である。その集落の生活橋は200m下流に掛かっていて、過去の災害においても破損しなかった。
阿智村リフレッシュモデル事業で建設した簡易宿泊施設(月川旅館)でも当初から利便性にて常時使用してきている。
その橋の架け替えは長い間月川旅館が村に要望してきた。架け替え費用の1/3は月川旅館の負担が必要とされた。
その1/3費用を財産区のお金で当てようと財産権者に内緒で預金してきた。
熊谷時雄議員を議長にさせて、1/3負担をなくし全額村の負担とするよう議決された。
その議決事項にそって5カ年計画に組み込んだ。その事業名が県営の中山間整備事業、花桃街道整備事業は阿智村が独自に付けた事業名である。
 花桃街道整備事業を遂行するには地区からの要望が必要、そのため議員を辞めた時雄君(皆さんに嫌われた)が自治会長となって、『向集落の生活橋として必要!これは地区の長年の要望!』とした。(自治会長に立候補した)
現村長の言うことを聞かない課長職員が、『一部村道の改良と合わせ、花桃街道にする!』ことを提案し、本当に要望されている道路面改良と合わせ、いかにも地区一丸となって要望している!という風に作り上げてきた。                               平成28年8月23日

 筋書き
 叔父の目的は、熊谷時雄を議員して橋の架け替えを村にやらせる事。 財産区の金を橋の架け替え負担金に充てる事は最終最悪の手段。財産区の金を使うことにためらった分けでなく、他に使う予定(土地の買収)が出来ただけ。
 であるからして、熊谷時雄が議長になるまで待っていただけである。
時雄君の二期目の後半は、すでに岡庭一雄与党が出来あがっていた。党員三名、それに熊谷操と上原耕平
これで議会をかき回されるものだから、他の議員は堪ったものではなかっただろう。特に一期生は嫌気がさし、一期だけで辞めてしまった。(この時に村民は気付くべきであっただろうが) 平成28年8月24日

 熊谷時雄議員の三期目
 議員改選のこの年の春、私は議会に公開質問状を出し、岡庭村長を始め議会や関係業者に不正を伝えている。それでもビジターセンターは建設された。その後、彼等にはその不正が官製談合だという事が解り、当事者は警察に捕まるのではないか?!との不安の中にいた。
 しかし、私が警察に告発していないと分かると、熊谷時雄氏は三期目を目指したのです。今度出れば議長になれる!との計算は当然有ってのこと、それには叔父の切望『橋の架け替え全額村負担』が根底にあった。                                平成28年8月25日

 警察に告発しない条件で熊谷時雄氏に議員を辞めろと伝えてほしい
 それは夜中の12時を過ぎていた、叔父にすべてを話した。 岡庭一雄と熊谷時雄が行った犯罪の全てを。 しかし叔父は、岡庭が時雄が行ったことが犯罪と理解しない。いや、理解したくなかったかもしれないが。
 岡庭に伝えてほしい、警察に捕まるかもしれないと。しかし叔父は、自身もそこに深く関与している事に気づいていない。 「俺では無理だ・・」 腹が立った。情けないとも思った。
 自分で動いた。
『官製談合』であることを岡庭に知らしめなければならない。だからそうした。(この件の詳細は、後ほど書きます)
その時の出来ることはすべてやった。そして叔父に電話を入れた。『警察には告発しない、その条件に時雄には議員を辞めるよう伝えてほしい』 「そうか、分かった。それじゃ明日の朝時雄の家に行って話す。」                                 平成28年8月26日

 章文は気が狂っている
 早朝に電話がきた。「朝6時に時雄のうちに行ってきた。話をして、時雄に議員を止めるように説得した。」「言うべきことはみんな言ったが、『俺はそんなことはやっていない、コンペで正式に鈴木に決めたんだ、鈴木設計に金なんかもらっていないし、悪いことなんかやってない。やったのは水上や村長であって、俺は何もやってない。章文はキチガイだ!気が狂っているとみんな言ってる!』と言っていたが・・」
 そう、すみませんでした。もういいです。
俺は確かに気が狂っているかもしれない、でもこうしなければ、岡庭や時雄が、また水上だって警察に捕まってしまう。この事だけは叔父さんには分かってほしい。           平成28年8月27日

 気が狂っている私
 岡庭が、「章は気が狂っている!」というのはこんなことを私が行ったから。
・公開質問状の提出は、遺構を守るため 園原の文化財を残すため
・熊谷時雄の目的は、章設計を外すこと  村長になることへの障害は、熊谷家 ただこれのみ
・岡庭一雄の目的は、熊谷時雄の言う通り進めること  それは鶴巻壮での密室会議の時雄への後ろめたさ
・水上宗光の目的は、ひるがみの森を守ること  共産党の行政を守ること

 私は、彼等が行ったプロポーザルコンペが以上の様な目的の中で遂行されたことが、『 官製談合 』を行った事に成ります! と、彼等にそれを知らしめた。
岡庭一雄に、『遺構を残すことを条件に、警察には告訴しない』との文書を手渡し、『村を守るように!』と、お願いしたからである。                       平成28年8月28日

前記の、『遺構を残すことを条件に、警察には告訴しない』 との文書を手渡した。 との一件は後日書きます。 

 信濃毎日新聞から電話が入る
 熊谷時雄が三期目に立候補するという。辞めるわけがないことは分かっていたが、私が警察に告訴しなかった。というので安心もあったのだろう。それと、章設計は裁判に負けた。上告もしなかった。という事実が、時雄本人も、叔父も、そこに乗り出す気持ちになったのであろう。
 それでも今度は危ないかもしれないという危機感は大きかった。そのために西地区の選挙構図を先に作り上げなきゃならない。それは、若い人たちと年配に分けること。50代を境に、上は熊谷操、下は熊谷時雄 これこそが叔父が描いた構図。 若い世代は伍和や会地につながりがある、勢いがある。そして何より章文が悪者である! 対して熊谷操は年配者しかいない。章文が向こうについても中身を知るやつは誰もいない。                              平成28年8月29日

 私は熊谷操についた
 なぜあからさまにそんな事をしたのか!? 先にも書いたが、私は熊谷操氏が好きである。子供心に感じたものは消えるわけではない。
 操氏が地区で代表になるにはどうしても私の父の後押しが必要、また、渋谷勲の後継となることも父を差し置いて出来ることではない。だから議会に出る前、了解を得るために毎回挨拶に来た。
 それが、父の失脚(操氏は時雄の謀略と知っていた)により村長に成れるかもしれない!? と思ってしまった。
立候補するにはどうしても黒柳村長の推薦が必要 でも、立候補できなかった。
 岡庭一雄が村長選に出る前の約束(助役)が反故にされているのに、なぜまだ岡庭や時雄と同調してきたのか? と思われるでしょう。 それは、熊谷操が行ってきた不正、それを二人が握っていたからです。                                 平成28年8月30日

 私も握っていた。それ以上に
 熊谷操氏も私が村会に出るのでは!?と、思っていました。だから早いうちに芽をつぶそうとしてきた。そこは時雄君と意気投合したとこだと思います。
 そんな事は前から分かっていました。
 私にはサラサラそんな気持ちはありませんでした。議員とかはたまた村長とか、そういう人たちは清廉潔白な人が成るものだ! 私はそんな人間ではありませから。
 ですから操氏に話に行った。
 二期目の後半である。電話を入れて、話が有りますのでお願いします。と 自宅で待っていてくれた。 当人は、私が次に出る!と言いに来たと思っていた。 私はお願いした。『園原の議員でなく、智里西地区の村会議員となって欲しい!』と 園原財産区から出た議員だが、園原の事を何一つやってこなかった。 それと、色んな悪い噂(事実) このままいけば必ずいつか捕まる。 そんな危惧があったから、そう言ってくぎを刺したつもりであった。 平成28年8月31日

 それから私に対して変わってきた
 阿智第三小学校設計コンペの時、白子設計と宮下設計が忘れ物を届けに来ましたね。気を付けてくださいよ、設計事務所の業界は色んな密告者が居ますから
 私の父が村会に出るときも、操氏は私たちに敬意を払っていた。それは、父に約束していた事もあってのことだが
(二期出させてもらえれば次には父の選対委員長になります)

 だから二期目の二年目に、父が倒れて議員辞職するとなったとき、「辞めることはない!」と他の議員にも働きかけていただいた。 後日操宅を訪れて、・・あの時はお世話になりました 操さんの気持ちがとっても嬉しかった・・ とお礼を言いました。 その気持ちもあって、もう一期村会に出てほしい この谷が時雄だけになったら大変なことになる として応援しました。 ある面、この選挙の時は園原部落が一つになった時かもしれません。                  平成28年9月1日

 信濃毎日新聞から電話が入る その2
 時雄氏の三期目は叔父の願いでもあった。それは『橋の架け替え』 今度出れば議長は間違いない。岡庭村長と議長が時雄なら、無条件で遂行される! 時雄氏もそれを叔父への言い訳と出来た。
 この数年前から叔父の様子が変わり始めていた。花桃の成功がそうさせた。正直、叔父も社会を知らない、若い時から一人の力で成し得てきた。だから気づかないところがある。
 一つ良ければ、それが一番だと思ってしまい、一つ足りなければ何を持っても埋めようとしてしまう。
月川旅館の施設も、『村の施設なんだから悪いところ(気に入らないところ)はすべて直せ! 大型バスが通行できる橋にせよ!』 月川旅館は補助事業での施設、1/3の負担(食堂棟等は会社負担)であるから、民間旅館と違って建設資金返済や償却を見なくて営業できている。であるから安定経営が出来てきた。 その事を当たり前のベースと捉えてしまっていた。 だから世間の声に気づかない、私以外の身内からも出始めていたのに・・                     平成28年9月2日

 時雄は絶対に当選させる、それも高票数で!
 阿智川の会長と叔父の関係は良くなかった。 一度、高温源泉を求めてボーリングしようと計画した時、阿智川の会長に共同掘削を持ちかけた事がある。 それを時雄氏が二人を取り持ちしたが事業化は成らなかった。
(叔父は時雄氏に内緒で源泉調査している。時雄氏はひるがみの森の人、この計画を潰しに入っていた)
 事業化に至らなかったから良くなかったのではないが、二人とも実業家として互いを認めているから関係を良くする必要もないこと、そこに時雄氏がコウモリ男のごとく関与している。 早く言えば二人とも時雄氏の持って回ったやり方の中で牽制し合っていただけに見えていた。    平成28年9月3日

 阿智川の会長は操氏についてはいたが
 熊谷時雄氏の票は熊谷操氏をはるかに上回った。 ホテル阿智川従業員の60票が時雄氏に回った結果だ! と、その日のうちに出回った。
 操氏は知っていること。
会長の動き、操氏は知っていた。私も知っていた。殆んどの人は知っていた。 知っていて、やっぱりそうか と、みなさんそう思った。
 阿智川会長はそう言った。
利用できる者は利用するのよ どんなもんでも議員になればそれなりに利用できる  利用されている議員も、それなりの身入りが有るから言うことを聞く  ・・そうなんです そうなんですよみなさん         平成28年9月4日

 世の中、力があるものが勝つ
 お金が中心の人たちはそれが哲学であろう。 それも社会の中では公然の事実である。 しかし、人それぞれであることも事実である。
何をもって生きるか! それは人生の目的でもあるかもしれない。 世の中は自由である、でもそれは、責任感があってこそ得られるものである。
 阿智川会長をほめるわけではないが。
この人は一度挫折しているが、立志伝のような立ち上がりで今がある。 このような人は強い責任感を持っている。その表しが、『有言実行!』である。
だから何も言わない、言えないのである。中にはその面容から臆する人もいるが (´∀`)平成28年9月5日

 信濃毎日新聞からの電話
 選挙戦になると思っていた。信濃毎日新聞を読むと、『今のところは選挙戦にならないのでは、出るのではないかと噂はあるが・・云々・・』と、あった。
 私は時雄氏は立候補しないと思っていた。それは、叔父が約束したからである。
その叔父が私を裏切った。 叔父にはすべてを話してきた。このブログサイトでも書けない事まで、警察にも言えない事まですべてを打ち明けてきた。
 なのに叔父は私を裏切った  切なかった つらく苦しく どうしようもない思いだった

 今回のこと 地区の皆さんも 村の一部の人も 私が叔父を裏切った 自分の利益のために叔父を売った と、思っている方がほとんどだと思います。
そして、時雄氏に対しての仕返しをやっているんだ そんなやつのデタラメな書き込みのブログで、立派な岡庭前村長を攻撃し 阿智村の議会を混乱させている             平成28年9月6日

 叔父は準備していた
 岡庭と時雄は叔父に働きかけた。 裁判に掛けないようにしてくれと 
『いやそれは無理だ、あれは警察を止めた。俺にそう言ったから時雄に議員を辞めるように言ったんだ。時雄が辞めなかったこともあるが、ビジターセンターの建設を中止にする!ということで村長!話し合ったのではないのか、それを造ったんだからあれも収めようがなくなったんではないか、俺は無理だ!そんな事を章文に言えない!』                       平成28年9月7日

 でも叔父は動いた
 それは病気見舞い。 その当時、父は市立病院、母は飯田病院に入院していた。父は二度目の入院、母は難病だった。
いつまで続くか考える暇さえなかった。
 自宅に、叔母と二人そろって見舞いに来てくれた。叔父には二つの気持ちがあったと思う。
そんな中で、私の方から話を振った。 裁判、和解勧告が出たが和解するつもりはない。お金の問題じゃない。
「そうか、俺は裁判のことよく知らんが、何じゃないか、村が負けても上告とか、そんな事もあるんじゃないか。」
 分かってもらえないかもしれないが。
本当は個人で訴えたかった、だから棄損事件と併せて二つ訴訟を起こしたが棄損事件は裁判にならなかった。
章設計が起こしたのは園原資料館の計画書費用の未払い、これの裁判になる前、岡庭に辞めろ!として調停したが、共産党の弁護士の入れ知恵で破棄された。弁護士は感情で判断しない、岡庭を守っているのでなく、阿智村の村長を守っている。その事が、弁護士以外分かっていない。それがお粗末な野郎だ!ってこと。                                平成28年9月8日
 
 叔父はお金の話をした
 裁判の話はそれ以上しなかった。叔父は、「お前たちは大変じゃないか、二人そろって入院しているなんてことは普通じゃない、俺たちは何にもしてやれないが・・」 ・・・ こちらこそ、叔母さんにはしょっちゅう母のところに顔を出してもらって、母はそれが一番うれしいようで・・・
 お礼を言ったが、帰ったあと妻に言ってしまった。 家に見舞いに来てくれたこと うれしくなかった平成28年9月9日

 それ以来疎遠になった。
 この日が境でした。 時雄を議員に出すのだろうと、そんな気がした。
告示まで1カ月を切ったが、園原財産区の現役、熊谷操氏から部落に何も話がない。前回でこれが最後として出ている。本来なら、『長い間お世話になりました』と部落に挨拶をするのが当たり前、それで部落が後継に動き出すのだ。 それは時雄・叔父の作戦であった。 
 私が出るのでは!?
章文のことだ、それは有り得る! 岡庭・時雄・叔父はそれが一番の恐怖であったろう。 なぜならば、『私が議員なり、議会の中でこの犯罪を取り扱うのではないか!?』との話が役場の内外に出回っていたからだ。                                平成28年9月10日

 章文を議員に出さないようにするには
 出れないようにすればよい! 「操に話をしておけ!まだ部落に話をするなとな。」 操氏は時雄の依頼を快諾した。
 いまの西地区村会議員の熊谷君は反発していた。
彼は役場職員であった。早くから叔父・時雄氏の地区に対してのやり方に不満を持っていた。が、しかし、操氏とは疎通をしていた。 長い間操氏の役場窓口として互いに協力し合っていたからそれも無理もないことだ。
 何といっても私の叔父、そちら側の人間だ!と思われても致し方ない。それに一時は飯田市の住人となっている。『俺たちはずうっと此処で頑張っている。住んでも居ないのに勝手な事を言うな!』と言われれば返す言葉もないことも事実である。                   平成28年9月12日

 熊谷議員とやりあった (10年前)
 それは園原部落集会所の改築について、私が部落長の立場で各戸の意見を直接聞いて取りまとめたことに対し、「勝手に進めるな!」と電話があったときである。
その言葉の中に感情的な発言があった。それに対し、これからお前の家に行って話をするから待っていろ!と返したら、「俺の方から行きます。」となり、私の家に来た。
 申し訳なかった と頭を下げてきた。
感情的になると議論が出来ない。頭に来たかもしれないが、言いたいことを言うには話し合いをしなければ始まらない。
 いろいろと話し合った。
 消防の事から始まり、昔のことから話し合った。操氏の事も全て話した。誤解していたことが多かった!と、そして彼の考えも聞いた。
 園原部落のことを純粋に考えていることに変わりがなかった。そしてやはり、時雄と叔父の、『やり方!』自分達の金儲けのためだけをやっている、と言う。 すべての問題がそこ有る! そこを解決するには、かなりな覚悟が必要だ!とも話し、そこは私がやらなければならないし、やるから、熊谷君は熊谷君の考えで今まで通り頑張ってほしい。そしてこのような感じで部落のみんなが話し合っていければ、園原部落はもっと良くなる!と                       平成28年9月13日

 10月初旬の秋祭り
 園原部落は園原社の祭りを春と秋に行います。 その日は秋祭り、部落の付き合いは操氏の息子孝志君に代わっていたが、お祭りなんだから部落中の年配者と議員さんは招待しましょうと提案して出席してもらった。操氏しか来なかった。
 それは、失礼だが計算していたこと。宴がたけなわになった頃を見計らい、上座に座っている操氏の前に ドカン! と座り込み切り出した。
操さ もうよろしいんではない 20年も議員をつづけたんだから 長年お世話になりましたと ここしかないですよ
けぼケボ とした 構わず、「みなさん! ちょっと聞いてくれ 操さから話が有るから。」
 そう皆に言ったからもうどうしようもない。 突然だが長年議員をやっただけのことはある、すらすらとお礼のあいさつが出来ました。                       平成28年9月14日                                        

 操氏を二次会に誘った
 おい、熊谷君(議員)操さを誘って二次会に行くか!? 「あ、いいねえ、行くかな。」
二次会は毎回やっているが操さを誘ってのことは初めて、近くのスナックへ向かった。 酒の肴、何だと思いますか?
時雄君の悪口 です。三人とも共通の話題で大いに盛り上がった。 その時熊谷君が、「章文さ、出なんよ。村会議員に、章文さしかおらんよ。・・ねえ操さ!」 生返事・・ 面白かった。
 歌がうまい操さに。
どうですかここで一曲! 「おう!歌うぞ。」 
熊谷君、俺は議員に成らなくてもどんな事もやれるし何でも言える、誰に対しても、だから外野に居るほうが良い。
「俺やってもいいんだが、まだ若いと思っている。」 若いなんてことは関係ない、やりたい!という気持ちが大事。やればいい、ただ今回は難しい、叔父が裏で動いている。      平成28年9月16日                    

 時雄はもう出さない!と約束したが
 警察に告訴しない条件は『時雄の議員辞職』あの日叔父は私に約束したが、それは全くのウソとなっていた。
時雄君が出る事は分っていた。
 叔父の言い分。
心配するな、園原資料館計画費用の350万、損害賠償請求はしないと言ったから章文には俺の方からその分払ってやっている。400万農協口座に振り込んだ。その金か、月川の金だ表に出んから心配するな。
 そのように岡庭一雄村長と熊谷時雄議員に話していたようだ。(その金で私が了解したと考えたのだろう)
私が叔父に告訴しないと伝えた翌日、叔父から電話が来ました。「お前には何も残らんじゃないか、資料館設計の費用はいくらよ俺が払ってやる。いいのよこの金は月川の役員としての金だ心配するな。」       平成28年9月17日

 叔父が信じられなくなった 
 叔父はなぜ? その様な事をしたのか。
『時雄は辞めない!ここで辞めては橋の架け替えが遠のく』『岡庭が捕まったら元も子もない』
 そこで考えられるのは、章文を兎にも角にも納得させなければならない。

 焦ったし慌ててしまったのだと思う
 叔父の考えだったのだろうが、このような違和感は私の心を大きく傷つけた。 お金の問題じゃないとの事を重々承知している唯一の人。『遺構を保存する ビジターセンターは中止しろ!』どうしてこのように働きかけなかったのか、それが私の唯一の望みだと、一番知っている人なのに 平成28年9月18日

 時雄を議長にしなければならない
 叔父にとっては園原資料館のことなんてどうでもよいこと、仮橋の架け替えのために時雄を議員にした。今度出れば議長候補者なんて時雄を置いて他には誰も居ない。
 章文は収めてくれるだろうか?
叔父はそれが一番の気がかり、まして私が議員に立候補するなんてことは考えてもいなかった。
 私も考えてもいなかった。
しかし周りは違った。私が立候補する、そして岡庭村長の不正を(内容を知っている人だけ)議員となって正す。ものだと見られていました。                                   平成28年9月19日

 新聞報道は、選挙に成るかならないか
 私は腹が立っていた、それは新聞報道  無投票になるのではないか! との記事 選挙になって欲しかったのが正直な気持ち 選挙になれば村民の判断、たとえ私がしん酌しても始まらないからだ。
それが、選挙に成るならないは、一人の動向 と書かれていました。 噂だという。それが翌日には、どうも出そうだ!になり、また噂の状況だという。
 新聞で、出るか出ないかだけの記事ではその人が出辛くなるのではないか、と思った。 腹が立ってきた、そこである人に電話した。
 『時雄は出るようだ。あれだけの事をして、叔父も辞めろと言ったのにいうことを聞かない訳は分かっているがあまりに情けない。』 「時雄には恥とかそういうものは何もない、いまさら言っても仕方ないが。」 『そうですね、新聞読みましたか?誰か出るようじゃん。選挙に成れば時雄も慌てるんじゃない?』 「そんな事はないだろう、それこそお前の叔父が付いているじゃないか。」 『そうだなあ、それと、まだ他の人はどうなんでしょう。伍和の小笠原さん、まだ気持ちが有るっていう話し聞きましたよ。』 「あれはダメだ、もう地元が横を向いてるっていう話し、例の哲が死んだことよ、あの件が尾を引いていて、あれの評判がガタ落ちしたから出れる訳がない。」      平成28年9月20日

 あの人は井原君の死にも関係が有るみたいだよ
 この事は阿智村職員から当時詳しく聞いています。社会党の議長でありながら、共産党の村長に屈服させられていたことがその背景にありますが、ここは私が書くべきことではない。
阿智村職員のだれもが黙秘してきました。家庭が有り、自身の将来を考えるのは誰しものこと。そこに勇気を持て!といっても詮無きことであるかもしれませんが、その真実はいつしか明らかにされるべき時も必ずやってくることもまた、事実です。

 本人には気持ちは当然ある
 『そうでしょうね、名誉挽回のためにも出られた方が良いのにね・・・新聞で噂のある人って誰のことだか分かる?橋上先生が動いているって聞いたけど。』 「あれか、分からんが小笠原議長じゃないか?橋上は岡庭の事を気に入らないらしい、診療所の件で揉めているらしいぞ。あれが推したって出れる奴はいないだろう。」                           平成28年9月21日

 一旦は電話を切った
 ん?まてよ? と考えました。橋上先生が出ろと推しているのが小笠原だとしたら、新聞で騒いでいるのは誰なんだ?地区ぐらいの情報は分るんではないか、なのに書いてない、よし!小笠原さんに聞いてみよう!
 前回の一件で電話を入れる事に慣れていました。
議長さん、選挙にならない状況では辞めてもらっても困ります。ぜひ出たらどうですか、それが議長としての立場だと思いますよ。「いや、妻がもう辞めてくれと言っているので俺は出んよ。」そうはいっても橋上さんが応援している!って聞きましたよ、出て下さいよ。「橋上はそう言ってきたけど、いつでも応援すると言ってくれたけど、もう出んと部落に言ったしもう無理だ。そんな事より熊谷さん、あんたが出ればいいじゃないですか!あんたが出るって話で、だから選挙に成るんならと私も思った分けで・・」                           平成28年9月22日

 ん?
 何を言っているんですか、そんな話しに振らないでください。前の一件で議長がちゃんと判断して対応すれば解決できたじゃないですか。それをあなたは岡庭の言いなりになって、質問状の対応、何かしたんですか!私の前で副議長と犯罪だと認めたでしょう、あなたが告発していればすべて済んでいた事じゃないですか。あなたは議長の義務を果たさなかったのですよ!それなのに出るとか出れんとか、何を言っているんですか!!
 まあ怒れてしまった。
こんな人はそれこそ出ても出なくても一緒だ、期待する方が無理なこと       平成28年9月23日

 新聞社に電話を入れる
 実は新聞社から電話が入りました。信濃毎日新聞からです。
「熊谷さん、阿智村議会議員に立候補するのではないですか?」 え?!そんな事?しませんしません、考えてもいないですよ。 「そうですか、出ないんですか。」 出ないですよ。それより選挙に成りそうですか? 「おそらく選挙にならないと思います。」 選挙にならない?!信毎さんもあんな風に書くから、その噂の人も嫌になったんではないですか。 「何を言っているんでしょうか?その人、熊谷さんのことですよ!ですから熊谷さんに電話を入れたんですよ。」       平成28年9月24日

 え?! わたし?!
 ではあの記事、噂の人の動向とは私のことだったんですか。 以前の事が有りますからねえ、信毎さんにもお世話になりました。 確かにああいう風なことをやると、周りはそう見るんでしょうね。 でもそんな気持ち全くありませんから・・それより議長さんは出ないのですか?
 やはり新聞社。
色々な事を知っていました。小笠原さんが言っていた通り、信毎は全て知っていました。平成28年9月26日

 そこでもう一度ある人に電話を入れました
 叔父の出方を見極めようとしました。 『俺、出るよ!時雄を許しておけない。今回の事、民事で終わらせたのに反省をしないから。』 「そうか、出るんなら出ればいい。」
 その日のうちに広がった。
その電話を入れたのは午後2時、夕方までには西地区内に広まっていた。 その日の夜は誘われて近くのスナックへ出かけた。 そこには地区内の何人かが飲んでいた。従弟(叔父の息子)もいた。その従弟が、「俺は時雄さを応援する。章ちゃには悪いけど。」             平成28年9月28日

 もう手の内をさらけている
 そういう風に考える必要はない、お爺ちゃ渋谷勲をみろ! お爺ちゃが園原インターを造ったんだよ、それを思い出してみろよ、それがこの谷の発展につながって来たんじゃないか。 おじいちゃは何をやった?!この谷を一つにまとめただろ、それはどうして出来たか考えてみろよ。 お爺ちゃは自分の事をやらなかった。この地区のため、それが一番の気持ちだった、だから地区の人たちもそれが分かったから皆お爺ちゃについていったんじゃないか。
 たしかにその通りだ。
時雄に、この谷の人たち皆がつくか? つかないだろう。時雄は自分の事しか考えていない、そんな人間だと地区の人たちは皆知っているんだよ。 それをなぜ皆言えないと思う、おい様だよ、お前の親父が時雄の裏に付いているから、皆何も言えないんだよ。それをお前は考えなくちゃいけないんだよ。                平成28年9月29日

 周りは騒ぎましたね
 出るとも出ないとも言わなかった。 他の者は歌ったり会話したりしていたが聞き耳は立てていたと思います。
他の誰もそのような会話は避けていました。でも、やっぱり出るんだ! と思っていた人が殆どかな
 立候補締め切り二日前。
その日はゴミ出し日でした。 今の地元議員の熊谷君、「章文さん出るんだら!応援するよ。」と、声を掛けられました。 いや、心配かけさせて悪い、出ないよ。 「出るって聞いたよ、もう時さじゃしょうがないし、章文さんなら出れるんだし、部落に声をかけて集めるで。」 ほんと悪い、正直その気はないので・・でもなあこの間の操さ、辞める時まで時雄に踊らされて、あれじゃ惨めじゃないかな・・俺が出そうだ、だから部落に挨拶するのを引き延ばせ!って時雄に指示されているんだぜ、情けないよな。 「・・・」                          平成28年9月30日

 叔父は果たしてどう動くのか
 それは私に対してです。 叔父は私に約束した、その約束を破るわけにはいかない。だから表立っては動けない、田中治彦さんを下した時と一緒だ。
 陰で話している事は分っている。でも、私が出るとなれば立場に困る。それは、私が出れば身内として応援することは勿論だが、時雄を下すとした約束の中で一切時雄に関与する事が出来なくなるからです。
 私はそれが分るから叔父の真意を試したのです。
選挙に成れば時雄氏の事は村民の信認に任せばよい。選挙に成らなければ、叔父や時雄氏のやり方を許すわけにはいかない。 そんな気持ちでした。                  平成28年10月2日

 後1日、明日1日で
 そんな時、たしか午後四時ころ、ある人から電話が入りました。 「小笠原さんが、小笠原議長が出るようになった!」 そうですか!それは良かった、選挙に成ればそれで良い。 「昨日、議員最後のご苦労会で一杯やったようだけど、何か辞める人達だけでやったそうだ。そこで、『選挙に成らないと時雄は黙っていても当選してしまうじゃないか、そうなれば議長は時雄に成ってしまう。そうしないためにも小笠原さん!議長の責任としてもう一期出て阻止するべきじゃないか!』って話になったようだよ。」 そうですか良かった、そのとおりですね。
 電話を切ったあと気になった。
まてよ?! 地元にダメ出しをされている人が出れるわけないじゃないか、辞める議員の中には一期生が何人もいる、そんな無責任な人たちに押されてもそんな人たちは穴を拭ける訳がない。                                                                                                                       平成28年10月3日

 直接聞いてみよう
 すぐさま小笠原さんに電話を入れました。 小笠原さん、出てくれるって聞きました。応援しますから頑張ってください。 「いやあそれわだな・・うちのが・・家内が絶対に止してほしいって言うもんでな・・出ないよ。」 え?!何を言っているんですか、昨夜他の議員さん達と約束したんでは? 「いやあ、みんなからはな・・出てくれって言われたけどな・・橋上さんも出ろよ出ろよと言うんだけどな。」 だったら出るべきでしょう、奥さんが反対だなんだ、なんて言ってても、皆から押されれば出れるじゃないですか。 「いや、地元も応援してくれるとは言っているんだが、家内が反対なんで・・そんな事より熊谷さんが出ればいいじゃないか、あれだけ村長にやったんだから、出てやるべきじゃないか!」 これでは本末転倒、仕方ないから電話を切りました。       平成28年10月4日

 もうこれは無投票
 こんなもんで有ろう 拍子抜けがしたのと同時に、有る決心が芽生えました。
それは、やはり叔父のこと 岡庭一雄と熊谷時雄の犯罪を告訴しないとの条件は、熊谷時雄の議員辞職。その事を叔父自身が選択した。 なのにその約束を守らなかった。
 それだけではない。岡庭村長にも、叔父にも、『遺構を残してほしい!園原の遺産を守ってほしい!』と、訴えた。
 それが無視破棄された。
この事はいつか明らかにされる、『明らかにしなくてはならない』 社会に対してではない、叔父にだけはこの事を突き付ける日は必ず訪れる。                    平成28年10月5日

 父方叔父に電話を入れる
 叔父さん、急な話だけど・・俺、選挙に出るよ! 「なに?!選挙に出る?村会議員か?!」 そう! 「章や・・よく考えろ、村会議員になったってそんなもんしょうが無いじゃないか。」 いや、いいんだ 「もう明日で締め切りじゃないのか、そんな急に出ても勝てるわけないじゃないか。」 勝つなんて考えていない 「そんなこと言ったたって勝たなきゃ、当選しなきゃ意味がないじゃないか。」 当選する?そういう気持ちとは違うけど 「どうしても出るのか。」 どうしても出ます 「出るっていうんなら応援するが、兄貴だってあれだけ準備して頑張ったって、そんなに簡単に当選できたわけじゃない。〇〇屋(母方叔父)に相談したのか?」 いや何もしていない、〇〇屋は時雄に着いているから 「あれは昔からだ、時雄が出るときの事は知っているよ、あの晩、無投票になった晩、俺に話したからな。・・それが分かっているのになぜ出るのよ。」         平成28年10月7日

 叔父に電話をするぞ
 だからと言っては変な話だがお願いが有ります、叔父に電話を入れてほしい俺が出るって。「○○屋か、兄貴だから応援してくれが・・俺には章の事は考えていると心配してたがなあ、まあ、○○屋が付いてくれれば出れるがなあ・・○○屋も兄貴には義理が有るから大丈夫だと思うがなあ・・分った、じゃあこれから電話を入れるぞ!聞いてみるぞ・・」
 折り返しの電話は30分後に有りました。
「章!? 電話したが駄目だぞ!『兄貴の選挙は立場がなかったが俺はあれだけやったつもりだ!俺はもう選挙を打つだけ力がない、やるんなら勝手にやってくれ!』って言われたよ、時雄に付いてもう選対委員長になっているんじゃないかな、無理だぞ! 俺は章が出るって言うんなら死に物狂いで応援してやるが、勝てんぞ! そんな選挙をしたってしょうがないじゃないか。」 すみませんそれだけで十分です・・すみません。                         平成28年10月8日

 やはりそうか
 わずかだが、まだ叔父を信じたい気持はありました。父方叔父には利用した形にしてしまい申し訳なかったと思いましたが、いつもそれとなく母方叔父の考えを伝えてくれていたから分ってくれると思いました。
 父方叔父の話しは。
『○○屋は月川を章にとられてしまう!って気が有るんだよ。誰だって自分の子供が一番かわいい、それに元々持っている性格が有るしな、時雄との接近は異常だよ。駒場の人たちも言っているが、○○屋と時雄とくれば、おっかなくて誰も何も言えない、それに岡庭がいるんだから、阿智村をいいように食い物にしてる!って、みんな知っているんだがなあ・・』             平成28年10月9日

 信濃毎日新聞から電話がきた
 「章文さ!出るって聞いたけど、出るんなら応援するよ。いま部落長に連絡を取って後援会の準備をしようって話しになった。」熊谷君から電話が入りました。
 いや出ないよ、昨日言ったでしょ出ないって。 「そんなあ?今少し前役場に来たらみんな言ってるよ!章文さが出るって!朝の朝礼で村長が言ったって聞いたがなあ?!」 村長?岡庭村長? 「そう、村長が言ったから、章文さが言ったんじゃないの?出るって。」 そう、村長がね・・(やはり筒抜けで有る)
悪いな、心配かけちゃって・・本当に出ないから、本当申し訳ない。        平成28年10月10日

 電話が入る
 四時頃であったか、午前中と午後二回来たような記憶はあるがはっきり覚えていないが信毎から電話が来ました。
「熊谷さん、立候補すると聞きましたが・・」 立候補?しませんよ。 「今阿智村役場に居ますが、みなさん立候補するって言っていますよ!締め切り時間ぎりぎりに来るのではないか?と話していますよ。」 そうなんですか、済みません。私は一度もそのように考えていないですよ。出ませんので・・ 「ではどうして小笠原議長に電話をしたんですか?小笠原さんは熊谷さんが出るって言いましたよ。」 (すごいなあ新聞社って) 小笠原さんがそう言ったんですか?私は小笠原さんが出るって聞いたから、応援しますぜひ出てください!と電話をしただけすよ。 「なぜ小笠原さんに電話をしたんですか?出る意思が有って確認したんじゃないですか?だから役場内でも噂に成っているんですよ。」 そう言われてもねえ、そんな話はしていないし・・村長が朝礼で私が出る!って話したから噂になったのではないでしょうか。「そうですか、では本当に出ないんですよね!」      平成28年10月11日

 父方叔父に母方叔父から
 無投票当選に沸いたその夜、父方叔父に電話があったそうだ。「章文は良く辛抱してくれた。章文が出たら俺はどうしようもなかったよ、皆いっぱい飲んで騒いでいたが俺は何も飲まず乾杯しただけで帰ってきた。」「こんな選挙はするもんじゃない、俺は選挙をやるのはこれが最後だもうやめだ。俺は言ってやったよ・・時雄にもな、章文が出ない事をお前は考えろとな・・わかりゃせんけどな・・」
父方叔父は、「〇〇屋は村長に電話なんてしていない、って言ってたぞ、時雄なんだろうな。」「それだけ村長も時雄も章が怖いってことだよ。」                  平成28年10月12日

N                                                    E

 『遺構を残すことを条件に告訴しない』(阿智村岡庭一雄前村長の不正にも書き始めました)
 官製談合・贈収賄
 この事を条件に叔父に話したつもりでしたが、岡庭村長や熊谷時雄議員には理解されることはなかった。というより、こんな事が犯罪と成るのか? 官製談合とは何よ? 贈収賄は俺はやっていない!岡庭がやったことだ!
 反省をする人たちではない
この二人、信じたわけではない そう願っただけである が・・叔父も含めて止まらなかった 平成28年10月13日

 園原ビジターセンターを建設する
 私との約束事は絵空事になりました。 まあそれも無理はないでしょう、直接した約束ではないですからね。
でも心のどこかでは、『きっと建設は止めてくれる』との思いはありました。
 岡庭村長は封書の中に書かれていることを理解してくれる。そして建設を止めてくれる! と、その時はそう思っていました。
 議会承認は得ているのだ。
時雄君の考えはそのまま、議会で承認されたのだから何も問題ない。 羽場睦美東山道NPO法人代表が教育委員会・文化財、それに昼神温泉組合の協賛で進めている。 これが正当だ! 平成28年10月14日

 叔父は関与しなかった
 ビジターセンターは建設しなければならない。 阿智川会長との約束は守らなきゃならない!
『鶴巻荘の密談』は実行されている。その通り進行している。 時雄君の、章設計憎し!章文憎し!で岡庭村長が動いただけ、それが時雄君の思い通りになったわけであるから、あとは何も問題がない。
 俺が主役だ!
時雄君が主導権を取りました。 信濃比叡も資料館も、『俺が造るのだ 造ってやるのだ!』
 もう手がつけられません。
『俺だけを悪者にして鶴巻荘で密談しやがって!』 時雄君にとっては、“ してやったり ”  阿智川の会長も “ それが有る ” から何も言えません。                  平成28年10月15日

 岡庭村長には言ってやったが
 鶴巻荘の密談は水上宗光課長から聞いた、岡庭村長には直接怒鳴り込んだ。だがしかし、阿智川の会長や熊谷操議員には言える話しではない。
 時雄君の姑息な考えは。
『これがある限り、二人は俺に何も言えないだろう』 そうです、逆手に取られたわけであります。
 章文の味方をするわけはない。
原建設が仕事に成れば会長は何も言わないだろう、操議員は昔から押さえてある。 章文が何を言っても二人は聞く耳を持たないだろう。 〇〇屋(叔父)はこの話は何も知らない、水子地蔵の一件以来距離を置いている。                              平成28年10月16日

 こんな事をすれば章にやられるぞ
 岡庭村長が原建設の社屋を訪ねたという。 そしてそこでこう言った。「資料館の設計、章設計はハズす!」
『何を言ってるんだ、そんなことを言ったって、資料館の設計をやってくれ!と言ったのは村長じゃないか。ここまでやらしておいて、時雄がぐざったら章を外すなんてことをしたら黙っておらんぞ!』 「いや、大丈夫だ。」 『そんなに簡単に済む事じゃないぞ、鶴巻荘で会ったのもそうじゃないか、「新聞に出たらまずい!」って、電話をよこしたのは村長、お前じゃないか。俺は新聞に出ようが出まいが構わないのに、村長が章に会ってくれ!と頼むから会っただけで、そこまで虫のいい話しをしたら訴えられるぞ!』 「・・・」                         平成28年10月18日

 どうやって外すか(少しさかのぼります)
 悪知恵の働く人たち、「そんなことは簡単!」この言葉、三人のうち誰が言ったか定かではありませんが、私が思うには水上宗光参事で有ったろうと思います。(違っていたら抗議してくださいね)
 名前を変えて別の事業にすればよい。
『園原ビジターセンター』でどうでしょう。 それは良い、それなら間違いない。でも、どうやって外すんだ?
「コンペや指名入札を止めて公募型にすればよい事、村のインターネットホームページで公示すればよいのです。」
そうか、なんて頭の良い事だ! そうですね、頭の良い人たちです。        平成28年10月21日

 それこそが墓穴
 章設計が『園原ビジターセンター』の公募型プロポーザルに参加した本当の理由は!
時雄君の『章設計外し』なんて事は端から分っているのに、“ 仕事が欲しい ” なんてことで参加する訳がありません。 そう思わせて証拠を積み上げました。
 章設計の案は羽場さんの基本プランです。
それは当然のことでしょう。岡庭村長が村のお金を1,000万近く使って羽場さんに依頼した基本計画ですよ。それを基に設計指示されていたんですから変えられようがありません。
 それを選定委員会が不適とした。
どうでしょう! ここで羽場さんに支払った数百万のお金の根拠が消えてしまったのです。
こんなとんでもない事を、行政と議会が一緒に成って行ったのです。 こんな事、あり得ますか? 平成28年10月22日

 その墓穴にも『みんなで入れば怖くない』
 『鈴木設計の案に決定!』 三人の頭の良い人たちは、“ してやったり ” の心境だったと思いますよ。特に時雄君は、『俺の力を思い知ったか!』 でありました。
 彼等はとんでもない間違いを犯した事に気づかない。
心がやましいと、こんな単純な事に気づかないのですね。それとも、“ 慢心 ” であったのかも

 名実ともに、『園原資料館でなくなった』 そうなんです。園原資料館で な・く・したんです。
私が進めてきた施設、鶴巻荘の密談で岡庭村長が私に依頼した、『園原資料館建設計画書』 その依頼の施設ではないですよ! と、この三人が決めてくれました。          平成28年10月24日

 そればかしではありません
 これで章設計の官製談合は成立しなくなりました。 それはそうでしょう。鶴巻荘の密談こそが官製談合の発端、ビジターセンターは資料館でない! 羽場氏が計画した施設でもない! と、この三人が自ら決めてくれたんですから。
 園原資料館ではない。
これにて園原資料館は消滅しました。 そればかしか、この事によって阿智村に、『園原資料館建設計画書作成業務』の請求が出来る事に成りました。 ですから翌日に請求書を提出しました。

 どうでしょうか  章設計、何か間違いを犯していますでしょうか
でも原建設はこのビジターセンターを落札しました。 これで全てがつながり、官製談合となる不安を抱えることになったのです。                         平成28年10月26日

 請求書の内訳とその金額
 お金が欲しいわけではありません。 請求書の提出、疑惑と不正を暴く第一歩を踏み出しました。
岡庭村長が自ら章設計に依頼した園原資料館の計画とその設計業務、その証人は阿智川会長と熊谷操議員 どう考えられても、章設計から成果品に対する請求を求められたら支払うしかないでしょう。
 支払われないようにしなければならない。
簡単に支払われたら、疑惑と不正の追及は出来ないでしょう。 そのためには当然、『簡単に支払われないように勧めること』でした。                        平成28年10月28日

 請求できる内容
 園原資料館の基本計画書作成費用300万の他に、羽場さんが計画した園原資料館に沿った基盤測量・計画図作業費30万、それに併せ便所棟を別棟とした実施設計費用120万(これは一旦不要と返答している)
 議会の承認を必要とする。
300万以下であったならば、議会承認が不要ですので即支払われてしまいます。ですから、300万を超える必要が有りましたし、それは難なく達成できる金額の根拠と成りました。   平成28年10月30日

 水上さんは頭が良いから
 呑み込みが早いから、頭の良い人は助かります。 自身に責任が及びそうだと分かれば、先に手を打ってきますからね。 ですから私は、もう一つ先のことだけ考えれば良いのです。
 最初の一手。
請求書の提出です。金額は430万円、便所の設計費120万は議会承認不要、ですから支払いは即行われるでしょう。430万から120万引いても310万は残ります。
 310万円は支払わなくてはならないか?
当然そう考えますよね。そう考えたとき水上さんはどうするでしょう? ・・顧問弁護士に相談する。平成28年11月1日

 顧問弁護士にはその日のうちに相談した
 園原ビジターセンターを鈴木設計に決定した翌日に、章設計から請求書が上がるなんて考えてもいなかったと思います。この辺が頭の良い人たちの抜けている社会通念でしょう。
 『章設計から請求書を手渡された!』それも、1か月以内に支払い無き場合は法的な手続きで進める!と言っている。 そのように水上宗光参事は、留守にしている岡庭村長に電話で連絡したもよう。
 岡庭村長は言いました。
「すぐに下平弁護士に連絡して指示を仰げ!」 こういう時の顧問弁護士です。今までも数々の問題解決に邁進してまいりました弁護士です。 阿智川の会長と岡庭一雄観光課長の確執的な問題には、岡庭一雄のバックボーンとして利用されてきていますしね。              平成28年11月3日

 何度岡庭一雄の後始末をしたか
 顧問弁護士も大変だったと思います。岡庭一雄が村長になる前からの付き合いですからね。その頃は、お仲間として相談に乗っていたのでしょう。
 村長となってからは、けして岡庭一雄を助けることではなく、阿智村の村長として対応してきただけである事は言うまでも有りませんが、当人も、そしてその周りの人も、余りにも通常でなかったので、それはそれは大変でしたと思います。(裁判判決後、その様な言葉が聞かれました。この件は岡庭一雄の不正コーナーにいずれ書き出します)
 この請求には対応しないと!
まあ、それに近い指導が有ったのではないでしょうか。数日後に文書が届きました。 平成28年11月6日

 その文書とは
 その文書は裁判にも使用しましたから保管してありますが、『便所棟の設計料は〇月〇日の支払日に支払いますので振込口座をお知らせください。園原資料館計画書の請求については、議会へ説明が必要となりますので詳細な内訳とその見積もり根拠を提示してください』 とありました。
 当然無視していました。
支払っていただくことが目的ではないですからね。 〇月〇日の翌日、水上宗光参事から電話が入りました。
「昨日、便所棟の設計料を振り込みました、確認してください。」
 そんなことはそちらの事
振込口座も知らせていませんでした。以前の設計業務で調べたんですね。早く手を打ちたいのが見え見えでした。
振り込んでいただいたのですか、それはありがとうございます。          平成28年11月8日

 当然請求全額を振り込んでいただいたのですよね
 そう返しました。 水上参事は、「先にお願いしてありましたが、詳細な見積とその根拠の提出が無かったので今回は便所棟の設計費だけの支払いです。」 そうなんですか。ではお聞きしますが、当方は見積内訳に園原資料館建設計画書を添えて提出しておりまして、他の見積根拠となるものは有りませんし不要と考えております。
 お願いしたいのは。
「計画書ではなく、請求金額の根拠となるもの。例えば、この計画書作成に何人が何日従事したか、そのような内容を請求項目事に作成してもらえれば良いんです。」 阿智村との過去の業務でその様なことはなかったですが、なぜ今回は必要なんでしょうか。 「それは議会に提出しなければならないので。」          平成28年11月10日

 そんな事は皆さんの都合でしょう
 私が言っているのは村に支払いの姿勢があるのか?ということです。「支払えるようにしていますが、契約書が無いのでその様な資料が必要なんです。」 当社は通常の業務規定に沿って請求しています。また、契約書が無い中では、“口頭契約”の扱いをしています。また、その口頭契約には、阿智川の会長と熊谷操議員。それに福岡助役が立会人になっております。
 それ以上もそれ以下も有りません。
「支払にはどうしても議会承認が必要です。どんな形でも良いので、簡単に作ってもらえれば構いませんので・・」
それはそちらの都合、支払い無ければ次の段階に入るのみです。         平成28年11月12日

 予定通りに進む
 おそらく支払えないだろうと思いました。(これが地方公共団体の良いところかな) 設計料を支払ってもらっては、そこで終わっちゃいますからね。
 それが目的でない。
一番の目的は、“遺構を守る”こと。それには『岡庭一雄の悪事!』を暴かなくてはならない。
 やはり振り込みされなかった。
支払期日が過ぎましたが、もう1か月待つことにしました。 そのひと月が過ぎたある日、水上宗光参事に電話を入れました。 支払期限からまたひと月過ぎましたが未だ振り込みが無いようであります。やむを得ず内容証明を送らせていただきます。                 平成28年11月14日

 次の段階を何時にするか
 叔父との約束で、岡庭一雄村長はビジターセンター建設を中止してくれるものと思っていました。 果たして約束は守られず、岡庭村長に電話を入れております。
 建設をするのか!?
そう問う私に、「原建設が請け負っているんだ。原がやることだ。」 そうか、であれば叔父との約束を反故にするということだな 「約束なんかしていない、俺は何も聞いてない。」 時雄から聞いているじゃないか!お前はそう言うだろう思っていたが、『村を守れ!』と、官製談合の証拠を明らかにした文書と場合によっては捜査機関への告発もあり得るとした文書を直接渡してあるではないか。                    平成28年11月16日

 それは水上がやったこと
 園原資料館中止、ビジターセンターへの名称変更、それらの事を追及した時岡庭一雄村長はこう言いました。
「入院していてわからない。」 水上参事から電話が入っていたんでは? 電話で確認したと聞いていますよ。 「水上がそう言ったんなら水上に聞いてみればよい。」 それはおかしいじゃないですか、村長はあなたでしょう。いくら参事で執行権が有るといっても村長はあなたでしょう。 「水上がやった事は水上に聞いてくれ。」
 電話口で驚く言葉が発せられた
・・捜査機関への告発も有り得る・・・と言った時です。 「そうなっても仕方ない・・」
この言葉には私の方が驚いてしまいました。 何という男だろう 開き直りにしても考えられない言葉でした。
 熊谷時雄と水上宗光がやった事として、言い分けが通じるとでも考えていたにしてもお粗末な男である。平成28年11月18日

 この時点では官製談合の告発を考えていた
もう仕方ない、このまま官製談合で行くしかないのか。鈴木設計は自業自得だし、原建設には落札するなと伝えたのに欲にかられた。
 プレッシャー。
変な話しだが、プレッシャーを感じていました。それは、『どこに正義が有るか?』と考えたからです。 身を捨てることに抵抗は無い  岡庭一雄が警察に捕まることも当然だ、阿智村長ではない岡庭個人だから尚更だ  水上宗光も参事であっての実行犯だ                                    平成28年11月20日

 何が引っ掛かるのか
 鈴木設計と原建設、この二社が社長個人の不正や犯罪とならないこと 会社の犯罪と成ってしまう。これが一番の問題でした。官製談合の恐ろしさです。
 官製談合では告発できない。
当初から、章設計と岡庭一雄村長との犯罪で警察に告発するつもりでした。でもそれが出来ない、章設計の犯罪は岡庭や水上によって絵空事に成ってしまったから。
 それにもう一つ。
章設計と岡庭一雄の犯罪で起訴されたとしても、そこに熊谷時雄は存在しない。 裏絵を描いた張本人が、それこそ “何も関係ない” 立ち位置にいたからです。            平成28年11月22日

 熊谷時雄の汚さ
 この人はなぜこうも悪人なのか!? 自分の思い通りに成らないと分別なく攻撃する 何故なのか?
共産党の本質なのか? 協調性は何もない 全ての事が自分中心 わずかなお金でも身入りする
 この人はなぜこうも汚いのか!?
法に触れそうな事は人にやらせる。今回の事、正しくそうである。水上宗光を前面に立て、裏で糸を引いているのを岡庭一雄とした。
 表舞台に出てこない。
計算ずく?なのか、いやそんな能力はない、強いて言えば、“本能” なのだろう。   平成28年11月24日

 熊谷時雄を告訴する証拠がない
 この事が一番の問題でした。 ですから叔父に打ち明けて、“議員を辞めろ” と伝えたのです。 でも、彼は開き直った  どうしようも有りません。
 鈴木設計、原建設との官製談合では、熊谷時雄が関与したとの証拠を指摘する事が出来ません。 岡庭や水上が証言すれば実証できるかもしれませんが、その様な見込みで警察が動くはずありません。
 方向転換をしなければ。
刑事訴訟法による告発は困難になりました。 でもこのままでは幾つかの不正や犯罪が隠されたままになってしまいます。・・・どうしたら良いのか・・・              平成28年11月26日

 民事訴訟と脅し
 園原資料館の基本計画図書、これこそが唯一の回答でした。 岡庭村長から依頼され作成した、この事実の中で請求している。
 村は支払う姿勢を見せている。
契約を交わしていないのに何故支払いの意思が有るのか!? それこそが、『官製談合』と認識した証拠ではないか!
 支払えないようにした。
支払ってもらっては訴訟が起こせないからであるが、『訴訟そのものが目的』とのことは彼等にも分かっているだろう。 それは顧問弁護士が既にその様に明かしているからだ。
 弁護士の指示。
『私程度の考えは、弁護士であればいとも簡単に見抜いている』その様に論決して臨めば自ずと道は開けてきます。
であれば、顧問弁護士としての指示が、『契約書が無くても支払え』であったことも読み取れてきます。平成28年11月28日

 顧問弁護士の限界を知る
 岡庭村長が何をしたか、それは不正なのか犯罪なのか!? それを行ったのは岡庭一雄阿智村長なのか、阿智村長岡庭一雄なのか!? 顧問弁護士が関与できる範囲は?
 ここで整理をしてみました。
・官製談合  (刑事訴訟)  岡庭一雄阿智村長  個人の犯罪   顧問弁護士対応不可   
・贈収賄   (告発・自首) 岡庭一雄阿智村長  個人の犯罪   顧問弁護士対応不可
・契約不履行 (民事訴訟)  阿智村長岡庭一雄  村長の不正   顧問弁護士対応
・毀損    (民事訴訟)  阿智村長岡庭一雄  村長の不正   顧問弁護士対応       平成28年12月1日

 顧問弁護士に電話を入れました。
 (顧問弁護士だとは知らないふりと、阿智村を隠して) あのう、かれこれこういう事がありまして・・・(あらましを言う)この様なことで出向きたいのですが。「どちらの村になりますか?顧問をしている村がいくつか有りますので。」 はい、阿智村の岡庭村長ですが。
 「・・・それはお断りします。」
ん?断る?どうしてでしょうか? 「阿智村であれば顧問弁護をしていますので。」 そうですか、でも村の顧問弁護士で有って岡庭村長個人の顧問弁護士ではないのですから、相談に乗ってもらうのは関係ないのでは?建築士会の紹介弁護士でも有るわけですから相談程度ならよろしいんでは?  「まだお話を聞いていませんので、個人かの判断は出来ません。」 ですから話を聞いていただきたいと・・ 「申し訳ありませんが・・」                         平成28年12月4日

 矛盾しているでしょう
 『弁護士なんて正義の味方じゃないから』 娘の言葉を思い出しました、まあこんなもんだろう。
それでも大きな収穫が有りました。建築士会紹介弁護士の立場より阿智村の顧問弁護士を“優先”したという事です。
 お金の問題なのかな?
それもあるでしょうが、それだけではないでしょう。(浮かんだのは、やはり“お仲間”だからな)
 返ってやり易くなりました。
官製談合という大きな犯罪の説明はとうに済んでいる。阿智村長の不正でなく岡庭一雄という個人が村長の立場で行った犯罪であると彼等は分かっている!
 顧問弁護士では弁護が出来ない。
『警察に訴えれば、顧問弁護士は何も関与できない』 そういう事である。 であれば・・そこを責める平成28年12月7日

 そこを攻める
 民事裁判を選択すれば顧問弁護士にはその目的が分かるだろう、でもその事は、彼等には伝えられない。(阿智村の顧問弁護士であるから官製談合には関与できない)
 関与できないからこその攻め手。
顧問弁護士の指導は、『支払う』こと。水上もそれに従った。であれば、当然訴えたとしても『支払います』ということになる。 支払います!とされたなら裁判にならない。      平成28年12月9日

 さてどうしましょう。 ここで考えました。 〈私は何を目的としたか〉

 目的? ではない
 岡庭一雄への意趣返しではないと自覚していました。 岡庭はどうしても熊谷時雄の言う事は聞かなくてはならない、それは村長にしてくれたからである。 不思議だと思うが、そのことは私と岡庭の共通認識でした。
 岡庭一雄を助けなくてはいけない。
そんな気持ちも有りました。 熊谷時雄はそれほど普通ではない、人間として関わりを持つのは無理な話しである。
 このままいけば収監されるのは岡庭一雄だけであり、時雄は蚊帳の外にいる。 仮にも阿智村の村長であるがために、それだけは絶対に避けなければならない事と考えました。
 『村長を辞めさせる事!』
それ以外に解決の道はない、そのように考え、それが目的と強く心に刻みつけました。平成28年12月11日

 村長を辞めさせるにはどうしたらよいか
 警察に捕まっても良い! とまで言った男です。 まず、辞めないでしょう。 でも方法論はありました。
そうです。“論ずる!”ことです。それも公の場において
 唯一の方法

それは、『調停の場』です。 裁判に掛けるとして進めなければその場はやってまいりません。また、社長でない私が唯一対峙できるのが調停です。
 裁判の経験が無い私にとって、それは未知の世界! そんなことが通用するのか? 自問自答の中でも、『絶対にやらなくてはならない!』と言う気持ちだけは強く持っておりました。平成28年12月13日

(裁判の経過は、岡庭一雄前村長の不正で書き出しています)

 正義はどこに在る
 私がやっている事には正義が無いかもしれない、少なくても阿智村の住民からはそう見られるだろう。 本当にそうなのか?周りのみんなが見るように、資料館の設計がダメになったからそうしようとしているのか?
 何度も何度も。
本当はどうなんだ?そうまでする自分は正しいことをやっているのか? そう振り返った。
 変わらない気持ち。
警察に捕まえさせる事は出来ない。そうしたとなれば、自分自身が資料館のせいだったのかもと思うかもしれない。 正義は無くとも正しいことをやる!               平成28年12月15日

 顧問弁護士
 「私は阿智村の顧問弁護士だ。阿智村の住民で在っても議会議員であっても、相談一つ乗る分けにいかない。」
この言葉は下平弁護士から吐かれました。
 同じような事を言われた事が有ります。
園原水子地蔵工事事故について、飯田市主催の法律相談所に出向いた時です。 その工事の発注者は、阿智川の会長です。と言った時です。 「私は阿智川会長の顧問弁護をしている、その名前が出た以上話しを続けられない。」中村弁護士から言われました。飯田市主催の法律相談をしていても、この様に対応されたのです。
 弁護士って絶対的な存在なんだ。
S新聞記者の褒め殺しでもありませんが、凄いんですよ弁護士は、自分に都合悪ければ何でも排除しちゃうんです。
テレビ見ててもそうでしょう、黙秘させちゃうんですからね。(ここの文書、覚えていてください)平成28年12月17日

 自業自得
 行政の顧問弁護士で在っても、個人の顧問弁護士で在ってもそれは同じ事。 弁護士の最低限の義務であるから当然といえば当然である。
 逆に考えてみました。
阿智村の顧問弁護士です。ですから岡庭一雄個人の弁護士ではありません。『損害賠償は阿智村、官製談合は岡庭一雄』
 明確な答えが出ました。
『官製談合のことは取り扱えない!』と、いうことになります。 であれば、官製談合で相談に乗っているとしたら、それは、“お仲間の密談”となり、弁護士自ら違法行為を行っている!ということになります。                                 平成28年12月19日

 これは勝ってしまう
 法律が用いられるのは最後の審判、法律のことは知りません。知らないというより法律を扱うことは何人も出来ませんから知らないということです。
 常識はモラル。
常識を持ち、話し合うのが民主主義であり、多数の人がその方向を見いだせばそれが解決となっていきます。
 阿智村はそうでは無かった。
何度も言いますが、共産党は共産主義です。その共産主義に行政の長も議会の長も乗っ取られた阿智村では民主主義は存在していませんでした。
 だからこうなった。
阿智村の村民は誰一人、その異常な世界に気づいていない。 老兵は諦め、良識ある人は口をつぐむ・・     彼等は楽だったでしょう。私一人悪者にすれば、共産主義が継続することが出来るのですから。                                 平成28年12月22日

緊急速報                                 阿智村議会最終日速報

12月22日、阿智村議会最終日一般質問にて、新人の白沢議員・吉川議員、三期目の勝野議員が 私の公開質問状の取り扱いについて質問をしました。
良識と常識を持ち合わせた清廉な議員の行動において議会運営が正常されることになります。
岡庭一雄を党首とする阿智村共産党に支配されていた議会及び議会議員から、民主主義を取り戻す大きな前進になりました。
この事により、熊谷村長は阿智村行政の責任者として、法律に基づき執行するものでしょう。

告発                                         捜査機関

 顧問弁護士まで共産党
 『顧問弁護士は党員である』 一見、このように話したり書き出したりしますと、彼等は共産党に対しての偏見だ!とか、何か問題あるのか! それの何が悪い! と、反論してくるでしょう。
 一番の問題がそこにあります。
思想団体として共産党を見ている方と、政治団体として見ている方とでは、その受け止め方が180度違います。
それは各々の個人の見解でよろしいでしょう。
 共産党員自体が一緒にしている。
私は、思想団体としてみています。ですから、そこが元凶だと書き出しています。 でもどうでしょう? 党員の方は、私たちを同じ目で見ているのでは無いでしょうか! 私のようにハッキリものを言う者と、『顧問弁護士が共産党で何か問題があるのかな?』という多くの住民とを一緒にしているのは党員の方々では無いでしょうか。

 あなたたちは気づいていない。
 民主主義が根幹の日本の国、私のように『共産党は思想団体だ!民主主義を変えることが彼等の目的だ!』(初めて書きますが)と、思っている者を攻撃しているだけだ! と、党内部では言い訳が出来るかも知れませんが、私がその様なことを何も言っていない、「不正を行ったのは党員だけじゃないか!」とも言っていない現状では、一般住民の私を数々の政治圧力と威力業務妨害で落とし込めることに、顧問弁護士まで介入させてその目的を達成されたことが『 犯 罪 』と、気づいていない 平成28年12月24日

 これから起きることを考えてください
 キャスティングボートは私の手に握られていますでしょうか? このサイトをご覧の皆様はどう感じておられるでしょうか? 私が事を起こし、私が検察や警察、そして国家機関に告発する、いや、既に告発している! と、お考えでしょうか!?
 残念ながら私は何もしていません。
それは、私がやるべき事ではないからです。確かに、刑事訴訟法第239条第1項においては国民の義務でしょうが、それは一般犯罪のこと、泥棒を見つけて警察に通報する事は当然でしょう。 ですが、行政と議会議員が行った不正や犯罪は、その長たる者、もしくは議員が刑事訴訟法第239条2項において成すべきものであるからです。
 私は訴える側です。
私がやるべき事は行政の長と議会議員に、その不正と犯罪を知らしめること! 国民の義務を当たり前に果たしました。 当たり前の義務を当たり前に果たしただけですから、公開質問状の公開を、当たり前に遂行しているだけであります。 ですから、名指しされている方も、報道機関も、私に対して反論も攻撃も出来ないのです。                          平成28年12月27日

 行政の長は何もしなかったのか
 行政の長、熊谷村長は何もしていないのか? について、何方かのコメントにお答えしていますが、常識的に考えてください。
 熊谷英樹さんはどうして村長に立候補したのでしょうか。
私だけが16年間、岡庭一雄の村政を見てきたとお思いですか? そして、私だけが彼等の不正を知っていたとお思いですか? 「章設計だけではない!俺も知っている!私も知っていたわ!」 そう言う皆さんは多いのではないでしょうか。
 熊谷英樹さんは商工会議所にいました。阿智村に住んで、外から阿智村を見ていました。 いち早く岡庭村政の異常性に気づき、自分の手で阿智村を民主主義の村に戻したいとの強い思いがあったのではないかと、私は思っています。
 阿智村を守るためにはどうするか!?
村の形態は行政と議会、言うまでもありません。行政の長であっても議会は対向です。 行政の長であれば不正は正せます。しかし、犯罪は行政の長が扱うことが出来ないものです。  平成28年12月29日

 ではどう成すべきか
 岡庭前村長と熊谷時雄議長が行ってきた不正と犯罪と思しき事を、地方公共団体の長として対応できる事
不正については正す事が出来ます。 それは説明するまでもなく、それらの事が不正であるかどうかを調査する権限が有るからであります。
 犯罪はどうなのか?
明らかに犯罪と分ること! いわゆる、犯罪と思慮出来たものは、捜査機関に告発しなければなりません。
不正行為から成る犯罪に成るのではないか? と思慮した事、これも同じく捜査機関に告発しなければなりません。
 捜査機関とはどこなのか?
殆んどの人は、「警察」と、思い浮かべると思いますが、それは一般社会の事、民間で起こった場合です。

 地方行政団体の地方行政機関に於いて、これらの事が起きた場合の捜査機関とはどこに当たるのか?
民間会社で起きた場合で、そこが支店であれば本社にまず報告した上で今後の指示を仰ぐのではないでしょうか。
 それと同じ事だと思います。
地方公共団体で起きた事で犯罪と思慮した場合は、本社である国に報告する事になります。 順番から言えば、まず県に報告し、国に指示を仰ぐでしょう。              平成28年12月31日

 阿智村は国の出先機関
 国家財政は税金で賄われています。税金が収入源であれば、運転資金も税金であります。その管理も国で行っています。 全国3,232市町村のうち、長野県では、市19 町23 村35 阿智村は35村の内の一つの出先機関です。 
 阿智村で税金の扱いに間違いが起こった。
私が公開質問状で質問している事は、全て税金の不正な使われ方を指摘しています。
 熊谷村長の判断と対応は?!
税金の使われ方が不正であるかどうかを、まず最初に調べたのでしょう。 阿智村リニア社会環境アセスメントの実施は、たとえ岡庭一雄を中心とする阿智共産党の要望であったにしても、それを議会に諮り実施したのは熊谷村長です。
 この事が不正となれば、自ずと責任も問われましょう。
分かりやすく言えば、熊谷村長はそこから覚悟を決めている! と、いうことではないでしょうか。 平成29年1月2日

 全議会議員の中で誰か一人でも “人物” が居たら
 16年間の岡庭村政に違和感や不信を抱いた人は多くおりました。しかし、その様に考えて、少しでもそれを明らかにして正しい方向へと実行する人は居ませんでした。その事は、大いに私の反省するところであります。
 10年前の裁判。
世間の目には、『章設計が阿智村を訴えた!』であり、章設計は園原資料館の設計が鈴木設計に取られた腹いせで村長を訴えたんだ! その様な受け止めをされておりました。 その様な状況の中で、裁判に負けた!との結果に於いて、『岡庭村長は正しかった!』に成ってしまったからではないでしょうか。
 この時も人物は居なかった。
世間がこの様であったにしても、この時の議会議員は、“事の真実” を全員が知っていました。 『岡庭一雄村長と熊谷時雄議員が組んで、水上宗光参事が実行した。そしてそれは、官製談合という恐ろしい犯罪だった。』
 官製談合で岡庭村長が警察に捕まるのではないか!?との事も、熊谷時雄を始め全員が知っておりました。そして、その怖さに誰も彼も、口を閉ざしてしまったのです。        平成29年1月4日

 議員の行動
 この時、議長を始め誰一人この事に触れませんでした。 公開質問状の取扱も対応も、全てが闇の中へ消えていってしまったのです。
 問い詰める。
私は副議長を問い詰めました。その時の副議長の言葉、「公開質問状に対しては殆どの議員が対応している。そして岡庭村長を詰問した、村長は議会議員に全員の前で謝った。この様なことは二度としない!としっかり謝っている。」
そう答えられたとき、愕然とするしかなかったのであります。(熊谷時雄議員は、「俺は悪くない!何もしていない、村長と水上参事がやったことだ!」として、謝らなかったそうです)
 これで全てを終わらせてしまった。
これで終わる事ではないと誰にでも分かっていたが、誰もそれ以上のことに口を開かなかった。いや、開けなかったようだ。 それほど、岡庭一雄が怖かったのだ。『村長が謝った!』程度のことが、すごい出来事なんだ!と、それが私にも通用すると思っていたくらい、酷かったのです。 平成29年1月6日

 官製談合と知ったとき
 議長も副議長も当然ではあるが、公開質問状で質問している事は官製談合である! とは分らないこと、そしてその事を私も口に出来ない。 私の行動は矛盾しているかもしれないが、あくまで正攻法、行政と議会で解決しなければならないのでした。
 そうしなければの理由とは。
当然であるが、『警察を入れさせない!』 この一言に付きました。 仮にも阿智村の村長である、鈴木設計との贈収賄で有ったにしても “そんな事” になったとしたら大変であり、贈収賄から官製談合に繋がってしまう、“恐ろしさ” がありました。
 議員の誰もがそうは考えていなかった。
その時は議員の誰もが、“警察が入る” ような事ではないと考えていたと思います。(これは今の議員にも言えます。甘く考え過ぎです)
 議長と副議長には直接伝えました。
おそらく理解出来なかったのでしょう。それから議員全てに二人の口から伝わったのでしょう。そして、前より増して無口な議員となり、“羊たちの沈黙” へと成り下がったのであります。 平成29年1月8日

 議員より早く知った当人たち
 岡庭一雄村長、熊谷時雄議員、水上宗光参事、鈴木設計、原建設、そして章設計 これらが園原資料館・ビジターセンターの建設工事に絡み官製談合を行った。 しかし、官製談合と認識している者は私しかいなかった。
 一番汚いのは私である。
鶴巻荘の密談に於いて、園原資料館の建設を持ち出され水子地蔵の一件を表に出さない事を条件に取引した。 何を持ってしても言い訳が出来ない事実である。
 その時微かに感じていた。
岡庭一雄村長に土下座され、新聞への掲載を止めさせた。 そこで園原資料館を建ってやると言われたことは “見返り” 以外何も無い。 この時私は、「これは犯罪だ」と気づいていました。
 そして思ったこと。いつかこの事は、“切り札 として使える!” と、感じていました。平成29年1月10日

 官製談合を知らない
 おごれる平家は久しからず  天下を取り、思うがままの政治をしているとそう長くは続かない
源平合戦の平家は赤旗でもあるまいが、赤いのが天下を取るとこう成るものだ! 官製談合などという言葉すら思いもつかない程度の人達ですから、自分たちが行っていることが悪いことだと気づかない。まして、それこそが官製談合というとても恐ろしい犯罪だと言うことも
 それを教えてあげなければ!?
お前達のやっていることは犯罪だ! 官製談合だ! と、教えなければ話に成らないと思いました。 顧問弁護士でもそこまでは気づかないだろうし、知れば、全く正反対の攻防戦になると分かっていました。

 弁護士は強敵です、法律に詳しいですからね。でも正しいことをやるのに法律に詳しい必要は何もありません。
逆に考えれば、相手に弁護士が付いていることは、相手は法律の中でなければ対応出来ない事であり、行政の長・議員であれば、公人としての決定的な制約が有るということです。    平成29年1月12日

 私はただの国民
 議員は相手にしていませんでした。なぜかと言いますと、正攻法でもってしてもどの議員も他人事であったからです。 「そんなこと言ったって無理よ、鍬を担いでいた程度の人が議員様だ!って威張っているんだから」 住民は平気でそんなことを言いますが、住民の無関心が多くの不正を招いていることも事実ではないでしょうか。
 議員に求めるもの。
多くの住民はより良い生活環境を求めていると思いますが、中には個人的な要望を平然と要求される方もいると思います。
 議員本来の職責は査問機関の一員として住民の付託を遂行する事にあるものです。 その目的を果たそうという議員は誰一人居なかったことが、当時の阿智村の異常性を物語っていました。
 阿智村の村民である前に、私たちは国民です。阿智村の行政や形だけの議会に守られているわけではありません。日本国という国に住み、日本国の憲法によって権利が守られ、法律によって安心した生活が営まれています。                            平成29年1月14日

 私以外に誰もいなかった
 思想というものは恐ろしい 国の出先機関でさえこの様に変えてしまえるものなのだ 共産党をどうのこうの言うつもりはないが、政治政党で有ったならば私は好んで応援するだろう。
 宗教団体以上のこと。
創価学会員が政治政党である公明党の中で活躍していても何ら問題となることはない、それは宗教分離という規律の中で行われること以外に、思想が存在していないことが大きな理由である。
 公明党は民主主義を変えようなんて気はさらさら無いから自民党と組めるのであるし、民進党も社会系と組んではいるものの、思想なんてものは表に出て来ていない。
 三権分立をご存じでない。
共産党は気づいていないのだ、行政権には思想が有ってはならないと言うことを 思想でもって事に当たろうとすれば、必ず法律がそのいく手を阻む、民主主義は三権分立で成り立っていると言うことを彼等は知らないのである。
 これが思想団体の恐ろしい事なのです。                    平成29年1月16日

 阿智村の縮図
 思想自体は何も善悪を計ることではないし、人が生きる上での必要不可欠なもので有ることに間違いは無い。
それは個人個人で違うもので有り、又互いが寄り添うものでも無いからこそして自由なのです。
 個人個人だから許される。
どのような信条を抱いていても個人であれば自由です。しかし、民主主義を否定するような信条であって、それを同調する他の人と同じ行動を持って社会的に行動するとなれば、社会には制約が有ると言うことも併せ持っていなければ成りません。
 民主主義のルール。
共産党員の思想はどのようなものなのか? 勉強したくも有りませんが聞く耳は持っています。ですがどうでしょう!?「俺は思想を持っている」とは話しますが、どのような思想なのかとは聞こえてきたことは有りません。彼等は端から、“分かってもらいたい”という気持ちを持たれてはいないんです。そういう気持ちがないんです。                        平成29年1月18日

 民主主義の根幹は話し合うこと
 司法・立法・行政 三権分立は中学で習うのかな、その時の純粋な考えのまま大人に成っていれば鍬を担いでいたって判断できるのではないでしょうか。
 「村が決めたこと」、「村が言っていること」一昔前は言葉に詰まるとこの様に議員は逃げ口上を打った。
 住民の代表である議員は何をしてきたのか。
住民の声を届けることさえ忘れてしまい、共産党政権の後押しに邁進し、あまつさえそれに便乗して報酬アップを画策する! これが、阿智村の取り巻き議員でした。
 歌を忘れたカナリアは。
長い間、住民と話し合うことさえしてこなかった議員は・・  皆さんどうしましょう、歌を忘れたカナリアの方がまだましでしょうか?

 独裁の恐ろしさ
 阿智村は村民と話し合うことをしなくなっていました。
岡庭前村長と熊谷時雄元議長が行政を意のままに行ってきたんですから、それは気に掛けることさえ彼等の頭になかったんですね。
 面白かったと思いますよ。
だって金はいくらでも有るんですから、それも “人の金” がね。 周りは損得勘定の者ばかし、駄菓子を喰わしておけば済むんですから。
 職員時代の失敗は陰で焼却処分としたし、行政に関わる判断は、損得勘定が先に立そんちょうつ者が彼等の取り巻きに成っているんですからどうしようもありませんでした。      平成29年1月20日

 腐ったミカン
 議員の報酬が低いと若くて優秀な人材を求める事が困難ではないか、自分たちは良いが将来を考えて対策すべきことではないか こんな飾り付けの言葉いくらでも言えますよね、ノータリーンの議員であればそれだけで舞い上がっちゃうですしね。 若くて優秀な人は村会議員なんてなりませんよ、今まで散々住民のために働かない自分たちの事だけをやってきたお粗末な議員を見てきていますからね、それも何人も。
 中身がなければ。
報酬アップを考えるなら、まず、“自身を反省する” 事です。 「自分たちは何もできなかった」と認め、本当に住民のために働ける人材が必要だと、それにはもう少し報酬を上げる必要があるとし、まず最初に自身が退く事から始めないと住民は聞く耳を持たないでしょう。
 中身の無いミカンは腐りもしない。
議員にはその程度の思慮は当然有ると思っていますが、赤い人達はそう考えない、「人のものも自分のもの!」と成ってしまう。 またそれにまとわりついて来た議員は中身の無い者ばかし、中身がなければ考える事も出来ない、とても始末に負えないから、「ノータリーン」で片付けるしかありませんね。              平成29年1月22日

 行政に何を期待するのか
 首長も議員も住民の代表でしょうか? 首長の業務とはなんでしょう? 議員の役割とはなんでしょう?
村長は一人で直接選挙に成ります。 議員は議会議員定数の選挙となります。 私たち住民の代表はどちらでしょうか? 双方とも代表でしょうか。
 村長は住民の代表。
地方公共団体で行政を司るのが村長です。アメリカ大統領と同じく住民が直接選挙で選択できます。
 議会議員は住民の代表なのか。
議会が代表機関であり議員個々が代表ではありません。議会の運営は議長の専権事項となります。
 二元代表制とは。
国会と地方議会の違いが理解できていませんと、首長と議員に同等な権利や代表権が存在しているような錯覚を起こしてしまいます。 その事は、地方行政の大きな課題でありました。何より、議員となった当事者が二元代表制を理解できていなかったからに他なりません。
『議会は機関としてでなくては動く事が出来ない』
この様な当たり前の事を持ち合わせていない人が議員と成ってきた(阿智村)ことにも問題はありますが、議員に成っても地方自治法を見開きしないお粗末な者がいた事が一番の不幸ではないでしょうか。(前議員に聞いてみてください。誰一人として頭に無く、公開質問状が出されサイトが拡がってからその部分だけを見た程度でしょう)
 この様な議員を通して行政にいったい何を期待してきたのでしょう?       平成29年1月24日

 阿智村議会の異常性
 岡庭村政の二期目から議会は岡庭村長の協力機関へと成り下がり、三期目においては同調機関へと進み、ついには熊谷時雄議長の活動機関へと相成りました。
 陰口は言うけど。
世の常でありましょうか、悪代官にすり寄るのは越前屋ならぬ、“小越前屋” が多く居たのも阿智村の特色でした。
利権に群がる者は陰で悪口を言うが、彼等の敵に対しては情け容赦ない、“かわら版屋” となり、さも世の治安の代弁者だと言わんばかしに吹聴して来たのです。
 報道という名の手配書が貼り出される。
何も知らない村人は、手配されているのだから悪い事をしたんだと、お上に楯突いたんだから悪い奴だと思い込んでしまうのも無理ない事でした。
 職員という名の役人。
悪代官と知りつつも、命令されれば手先棒を持って排除に向かうのは養う妻や子を思えばこそのこと。
 迷う役人。
奉行からであればさも有らん。が、しかし、議長という大名の横やり指示には従えぬ。 迷う役人は多々いたが、中には岡っ引きに成り果ててまで従う犬もいた。           平成29年1月26日

 ちょんまげ時代の悪行的に書いてはみたが、その程度のお粗末な時代にタイムスリップしていた事を気づいていただきたい。

 議員個々では何もできないのか
 私がこのように書きますと、必ずこの様な反論をなさる議員が居られると思います。 まあ、この程度の議員で有れば悪いことは分別出来ることでしょうが、赤い人達が議員と成ればこうはいきません。 この人達には確固たる思想が有ります。 それが根本にありますから揺らぐことなく彼等の目的に沿って進める事しか目に入っていません。
 思想の根本とは?
それは誰もが知っている、“共産主義” です。 彼等の目的は、民主主義を共産主義に変えるところにあります。
それはそれは強いきずなで結ばれていますから、私たち一般人は立ち向かう事など出来ないのです。
 大げさな事!
何を大げさな事を言っているのか!?と、言われる諸君も居るかと思いますが、阿智村ではそう思う方が少なくなって来たと思います。それは阿智村議会の状況を身を持って体験しているからであり、一度その様に染まってしまったものはもう取り戻せないのではないか?!と、大きな不安が広がりつつあるのではないでしょうか。                        平成29年1月28日

 平和呆け
 幼少時代、学校の先生が一番でした。 親より祖父母のほうが、「先生の言う事は聞くものだ」との教えがあったような気がします。 戦争を知らない世代ですが、戦争の傷跡は成長と共に混在してきています。
 戦争反対。
誰でも戦争は反対です。しかし、日本が行った過去の不幸な出来事の結果論において、戦争反対と合唱することとは少し違うところでの戦争反対です。 それが私たち世代の特徴ではないでしょうか。
 理想主義でも何でもない。
共産党の言う戦争反対には違和感を禁じ得ません。それは何故かと言いますと、共産党は民主主義に於ける全てを否定するところから成る戦争反対だからです。
 戦争とは争い事です。
戦って争うのですから戦争ではないでしょうか。 これを長い間繰り返しているのが共産党です。

 阿智村村民のみなさん 戦争反対と唱えながら争い事を繰り返して戦っているのが共産党なんですよ!                                  平成29年1月30日

 人を殺さなくても
 作為を持って事に当たる。 衝動的な犯罪と、計画して犯罪を実行する事に大きな差が有ることは当然です。
岡庭一雄、熊谷時雄、この二人が行ってきた行政や公金の扱いは正しく作為を持っての事であり、時には権力で、時には虚言にて村民を欺き、長い間のうちに阿智村を回復不可能なところまで追い込んでしまいました。
 彼等の根本にある共産主義は、資本主義の中での共産主義であり、“自分だけが得で有れば良い” という考えで成り立っている。 思い通りに成らなければ、“攻撃する!” と言うことが、その事を顕著にあらわしている。
 今なお続く攻撃は。
何度も言いますが、共産党に話し合いは通用しません。 彼等が、“聞く耳” を持っていない!と言う事を重々承知しておくべきと思います。
 リニア社会環境アセスメントは攻撃の手段であり、阿智村税をそれに充てるようにした事は、“作為” を持って事に当たったに他ならないことであります。(リニアの件ですのでリニアのコーナーで詳しく書き出します)                              平成29年2月1日

 共産党の反撃
 岡庭一雄氏は共産党の中でも特殊な人格であったろうと思います。それは何故かと言いますと、私自身が岡庭氏を共産党員だと気づかなかったからであり、黒柳村長から「あれは何をしでかすか分からない。」と聞いた時であります。 その事を父に問いますと「党員よ、村長は常に見ており近くにおいている、困ったもんだ。」
 お仲間にも聞きました。
飯田市で共産党の看板上げている方の奥さんから「岡庭さんは私たちとは違う・・分からない人」 確かにそうである。 「岡庭氏は党員」と聞かなければ、一般の人には分からないでしょう。
 社会の常識
共産党員が村長だ! なんて、誰も思わないでしょう? 首長に共産党員が成れるわけ無い! と誰もが思っているでしょう。それが社会の常識ではないでしょうか。                               平成29年2月3日

 共産党の村長
 何も共産党の村長がどうのこうの!?と言う分けでないが、共産党自体が、“村長が共産党員” と、分ることへの抵抗があるように思われる。 それはなぜなのかと考えれば、共産党員自身が反社会政党で在ると認識しているのに他ならないのである。
 共産党会議に出席しない。
何をふざけたことをと言うのであれば、吉田ひろみをバックに付ける必要もなく堂々と共産党から立候補すれば良いことであり、共産党会議にて今後しばらくは会議に出ない止めた形にしてくれ! なんて言う必要もないのではないか。
 村民は知らず。
岡庭氏が党員と知っていた人は村民の一部しかいなかった事も事実、吉田ひろみの選挙母体をフル活動すれば“自民党”と信じて投票した村民が殆んどだったことも、また事実である。    平成29年2月5日

 どちらものうのうとしている
 吉田ひろみは議長まで務めた生粋の自民党?としており、今や参議院の大先生である。 岡庭一雄は阿智村の村長として4期16年の実績を元に講演活動に勤しんでいる。その上、国家事業のリニア中央新幹線に共産党員として反対の狼煙を上げ続け講演の目玉としている。  何かおかしいと思いませんか?
 吉田ひろみが共産党の岡庭一雄を育て、岡庭一雄は抵抗勢力として国に刃向かっている。 これ、ひろみへの恩返しでしょうか? それとも、熊谷時雄の仕返しでしょうか

 吉田ひろみと岡庭一雄の件は、自民党下伊那県議を通して自民党県連に届いています。 まあ、為す術も無いでしょうが、昨年の参議院選では吉田ひろみ飯田下伊那入りをしていたでしょうか?
 長野県自民党の皆様、特に長野平の皆様  この一件、週刊誌が嗅ぎつけたら何とするでしょうか 後の祭りと成らないようご注進申し上げます。                  平成29年2月7日
TE                                                                                                                             MD

 花桃街道整備事業の状況と県の対応
 このコーナー以外に花桃街道整備事業の不正受給について書き出してきました。 なぜ不正受給なのか阿智村の方は理解できておられると思います。また、このサイトを読まれている殆どの方も気づかれているでしょうが、私が公開質問状を阿智村議会議員に提出してからの経過と県の対応を書き出していきます。
 阿部知事へ告発する。
阿智村智里西地区で展開されている花桃祭り、この祭りの盛況を元において智里西地区自治会の要望として仮橋の架け替えが阿智村に要望されました。
阿智村は智里西地区自治会の要望である、また、観光産業に貢献している花桃祭りの対策としても有効で有るとしてその事業化を計画するとしました。
阿智村は、この事業を推進するに辺り長野県に有効な補助枠を求めたところ、県は、県営中山間総合整備事業で取り組めると事業内容を説明した上で、農業生産性の向上と生活環境の改善を図る目的が明確であれば事業化できると指導した。 阿智村はその指導を受けてシミュレーションを起こし、それを議会に諮った。                               平成29年2月9日

 議会の見解は違うところ
 仮橋の架け替えは平成10年から要望さていた。 私の父が議員の時、「向集落への橋が狭く旧い、また、河川幅が狭い場所の架橋であるため災害に於いて流される危険性がある。」、「この橋は三六災害で流されており、現地に於いて架け替えするよりは恵那山トンネルで使用した仮橋を架けかえることが有効ではないか。」と、義弟である叔父の要望を正当な地区の要求の形として阿智村へ要望していた。
 建設事務所への陳情は村長と。
建設事務所の見解は厳しくありました。それは、たとえ災害急務の架橋で有ったにしても、構造的にも十分な工事を行っており、その橋を撤去する理由がないとして、また、200m上流で有れば橋が必要な距離ではないとした。
 父は諦めなかった。
最初はあいさつ程度であったからとして、これからは村長同行せずしての陳情をお願いしたと言う。 この事はすぐに叔父にもたらせました。 「何か他に理由はないか?」 叔父と二人で何度も粗探しをしたそうです。                             平成29年2月11日

 欠点が見つかった!
 父の趣味は投網でした。 横川川、園原川、そして本谷川、全ての川は水の流れ、形状など熟知しておりましたが、逆に橋は歩いて渡ることがなく、改めて渡ってみて気づいたそうです。
 大型車両が通れない。
橋先は恵那山トンネル工事の土捨て場として二度に渡る造成が成されており(現況)橋を渡った先が狭く大型車両が右折できる道幅がありませんでした。
 欠陥道路
建設事務所は現地確認に来たそうですが、それは道路公団の造成の仕方の問題であり、また、取付道路と土地境界の権利においての形状だとしての見解が示されたそうです。
 前進した。
建前論です。お役所としてはそういう事でしょう。ですが、仮橋の架け替えは大きな前進を見たのです。                                  平成29年2月13日

 反対した議会・議員
 1級河川に架かる向集落の生活橋が、大型車両が通れないとのことは実質的な問題点となり、建設事務所は仮橋の架け替えを駄目だと言えなくなりました。
 事業化される。
何度も足を運んだ甲斐があり仮橋の架け替えは可能となりましたが、ここに思わぬ障壁が立ち塞がりました。 通常の補助事業であれば2/3が補助金であり、残りの1/3の負担について村の考えが出てきます。 父は、生活橋の架け替えであり1/3負担は村にお願いしたいと要望しました。
 村長は了解しました。
その前年、伍和丸山周辺に架橋された事業には村が全額負担しています。その橋は周回道路の整備であって生活道路ではありませんでした。 そんなこともあって村長は了解していたのです。 が・・          平成29年2月15日

 社会党議員の不思議
 今では有って無い政党? 無くて無いか? まあどちらでも構いませんが、この頃は社会党として政党組織はありました。
 阿智村でも一人か二人は社会党議員が居りましたが、政党を名乗っての出馬はしておりません。(この辺は、今の共産党阿智村議員と同じですね)
 根拠のない反対
後に議長になる小笠原議員が猛反対しました。 伍和地区の代表議員として血気盛んでありましたから張り切ったのでしょうが、「わあわあ!がやがや・・」では訳が分からなかったそうですが、山内村長は気の優しい人、少し口激されれば腰がなく「熊谷議員、悪いが我慢してくれないか・・」になったそうです。 父も、大義名分「生活橋」を付けていても、実際は月川旅館への仮橋の架け替えですからそれ以上の言葉がなく、「1/3負担は月川旅館で対応せよ」となりました。     平成29年2月17日

 花桃街道整備事業とどう違うのか
 叔父と時雄君のやり方はここで書き出してきましたからこれ以上は書きませんが、現在議会で一番の問題として不正に近いことが行われている、“月川旅館改修費7,500万円を村で出せ!” のことも、全く同じ次元での事で有ります。(いい加減に気づてほしいですね、議員も村民も)

 花桃街道整備事業は岡庭村政時から進められてきたこと(経過は他のコーナーで書き出し)それを “決まっていた事”として熊谷時雄は自治会長と言う立場を利用して、“虚偽の事実” として行政に伝えてきている。

 最初の不正と犯罪
 花桃街道整備事業は岡庭村政時に決まっていたのか? 議会で議決されていたのでしょうか?
疑問 1.議決されていたか?
 これは議事録を確認しなければ定かではないが、議決されていたならば熊谷村長は実施するだけであろう。
疑問 2.岡庭村政時に決まっていたのか?
 花桃街道整備事業が県の中山間整備事業にとりいれられた時期と合わないことから、岡庭村政時に花桃街道整備事業との事業計画は存在していない。                 平成29年2月19日

 花桃街道整備事業と仮橋の架け替え
 だいたいからして花桃街道整備事業って何ぞや? 殆どの住民はそう思っているのでは無いでしょうか。地元選出の前議会議員から詳細が説明されておりますか? その様な説明をされた議員は誰もいないと思いますよ。
 デタラメな村会議員!
平成28年4月20日に公開質問状を阿智村議会議員の皆様へ提出しています。 それを受け、議員は何かしたのでしょうか? 花桃街道整備事業については、「補助金の不正受給」と指摘しています。
 議員であれば、その時点で花桃街道整備事業の経過、目的と実施される内容を少なくとも地元住民には説明すべき事ではないでしょうか。 各議員が当たり前の職責を果たしていれば、私の質問に返答するまでもなく精査されて村長は対応できていたのでは無いでしょうか。
 議員の程度が低すぎる。
岡庭や時雄のお仲間議員が多く居たせいもありますが、そうで無い議員もこの件に対しては口を閉ざしました。 議員全員が口を閉ざし、今もってこの事業に対しては、“黙秘”を続けています。
 なぜ触れないのか? 触れられないのか? もしかしたら、大北森林組合の不正受給のように 県 が、絡んでいるのではないでしょうか。                     平成29年2月21

 花桃街道整備事業の実態
 智里西地区を限定している事業名であるが、実際に花桃街道として展開していく環境が整っていたのか? そして、実際に花桃街道は存在させるのか?
 これらの事がしっかりと担保されていなければ、事業の “お題目” からして整っていないことに成ります。
 花桃との名称はたしかに実績として花桃祭りが15年以上続いていますから受け止めやすいですよね。ただ、花桃祭りが地域の産業に密着していたのか? となると、それは花*花疑問であります。
 花桃祭りと聞けば地区上げての観光誘致策でしょう。でもどうでしょうか、実際は、「花桃なんて叔父と時雄がやっているだけじゃ無いか!」「岡庭村長が実行委員長になって職員を提供する、とんでもない話しじゃ無いか!」「儲かるのは月川と青〇〇だけじゃねえか!」「地元に落ちる金なんて何があるのよ?交通整理人工8,000円だけじゃねえか、ばかばかしくて。」「冗談じゃ無い、勝手に片側通行なんかしやがって、生活に支障が出ているじゃ無いか!」 これが、西地区の実情ですよ。 そしてこの事は、阿智村議会議員皆さんがご存じのことだったのです。           平成29年2月23日 

 花桃街道整備事業の内訳
 数年前から村道改良要望が自治会を通して要望されていました。それは旧学校北側の路面改良工事でしたが、その改良工事を絡めて花桃街道整備事業としています。
その改良部分は4m道路200m程度ですから300万程度の費用ではないでしょうか。 ですから、事業費の95%は橋の架け替えとなります。
 花桃街道は存在していない。
わずか200m程度の路面改良工事を含める事も、既設村道(300m県道含む)を街道とすることも、補助を受けやすい手法としていることはさして問題でありません。そして、仮橋の架け替えをこの様な低手法でお題目をつけて申請し、補助を受けやすくして実施されるよう努力していただける村にも感謝することはあっても、文句を言う筋合いは何もありません。
 ではなぜ? 文句を言う人が多いのはどうしてでしょう。
阿智村が西地区の声を聞いていない! 一部の人たちだけで進めている! その一部の人たちの利害関係だけで橋の架け替えに多額の金を村が出している! その一部の人たちに今までも多くの金を村は出してきた! おかしいじゃないか! 不正じゃないか!
 これが西区で出ている “文句” なのです。                 平成29年2月25日

 花桃街道整備事業の不正
 一概に不正と言っても理解しづらいと思います。 底辺(最初)の不正から説明していきましょう。
 不正の始まり。
月川旅館への仮橋の架け替えは叔父の悲願であり、その為に身内を裏切ってまでも熊谷時雄を議員に出してきた。 念願の議長になり、岡庭一雄村長と結託して第一歩を踏み出したのが、『議会での承認』でありました。
 熊谷時雄が議長ですから自ら議案提出は出来ません。智里東の原元議員を無理矢理頼み込み、その発案をさせて議決したのです。(この件は勝野議員が承知しています)
 仮橋の架け替え議案の根拠は何だったのか?
一億円以上の事業提案ですから、そこには確固たる目的が無くては成りません。しかし現状は月川旅館のための事業と議員全員が承知していたのも既成の事実でありました。 既成の事実ですから大義名分が必要であり、それを花桃祭りの成功に結びつけてきたのです。          平成29年2月27日

 花桃祭りとは
 叔父は月川旅館周辺に花桃を植樹しました。 5.6年で花は見頃となり月川旅館の名勝に成りつつありました。 もっと大規模にして月川旅館周りに植樹すれば、より多くの宿泊客を呼び込めるだろう、釣り堀もよりいっそう繁盛するだろう。 この様な考えはすばらしく、また地域発展へと繋がるかにみえました。
 人の金。
岡庭・時雄とくみ、いくつかの補助事業を手がけてきた経験から、“村の金” で実行することはその根本にありました。

 「行き成りではいくら俺でも無理だ。」岡庭はこう言った。 「じゃあどうすれば良いんだ。」時雄は「いつものように、地区からの要望としてあげればいい。自治会を巻き込んで地区の開発事業の一環だとして各部落に声を掛ければ、事業計画は通りやすいように俺が作るよ。」 「戸沢農間中央の各部落はどうにでも成るから後報告だけでいいが、園原は章文がいる。あれはもう反対し始めているんじゃないの?」 「それはない。話したが、反対はしない。大丈夫だ。」時雄が「いや、気をつけた方が良い。園原だけは直接言って話した方がいいと思うよ。」「そうだなあ、まあいいじゃないかそれは叔父に任せておけば。」                              平成29年3月1日

 園原部落会での説明
 この当時叔父は私には何も話さなくなっていました。それは、岡庭・時雄・叔父、この三人は私の父の存在を一番恐れており、たとえ野にいても私に話すと筒抜けになるとして私を遠ざける一方でした。
 野にいる父
信濃毎日新聞やSBCテレビの報道で失脚した父は、父の弟と二人“竹炭” 作りに取り組んでおり、また、月川旅館で働く人達(近所のおばさん)の送迎をしておりました。 叔父は、月川旅館周りの花桃は自身で全て植樹したと言っておりますが。 叔父と私の父が毎日、1ヶ月間掛け植樹したものであります。 父は義弟のために何事も言うわけでなく(間違わないように!との事は注進していた)陰で協力していました。
 部落にはやはり自治会から聞こえてきた。
『花桃の里つくり事業』が、村の観光施策事業として決まりました。詳しい話しは・・から説明します。
このように、部落長から行き成り切り出されました。
 事業説明
「この地区には観光の目玉がない、花桃はいま、月川周辺に植樹したから分かると思うが、「きれいだな」「もっとたくさん植えたらどう?」などとみんな言ってくれている、なかなか評判が良い。だから西の谷すべてに花桃を植えて、花桃の里として売り出していくよう考えたのがこの事業です。」                 平成29年3月3日

 部落会で初めて聞きました。
 岡庭一雄村長との話しは着いていた。「2,000万は用意する。そんなものはリフレッシュモデル事業(月川・パークランド)を成功させた実績がある。議会には何もういう奴は居らんしそんなものは問題じゃない。」
(岡庭一雄という男、本当にこう言っているのです。そのような事は、彼にやられた人は分っていますよね)
 歯切れが悪い。
花桃の里作り、テーマは良いとしましょう。だが、事業費を明確に話さない。 「1,000万から1,500万程度はかかるのではないかと思う、しかし相手が有ること・・その辺はこれから決まっていくことだと・・そんな分けでこの里を魅力ある谷にしていきたいと思う。」
 続けて余分な事を言ってしまった。
たしか熊谷義文(この時は村職員)だったと記憶している。(彼には事前に情報が入っていたと思われます)「花桃は何処に植えるんですか?話しに聞くと、園原には植えないというが。」 「園原は遺跡や史跡が有るんだからそれで良いんじゃないか。本谷は何にもない、だから観光としてでなきゃ生きていけないんだから魅力を付けようと頑張っている・・そんな分けでこの様な事業が必要なんで、どうか協力してほしい。」                             平成29年3月5日

 私も質問した
 事業費について明確に話さなかったからです。 「どれくらいの事業費を考えているんですか? 1,000万くらいのよう言いましたが、その程度でこの谷に花桃を植樹できるんですか? 植樹範囲を教えて下さい。」
 私は素直に受け止めた。
叔父の説明に無理があると感じたからです。 他の部落に来て行き成りな話しを聞き、それで済ませようという考え方が見え隠れしていたからですが、それでも叔父の構想が成功して欲しいとの気持ちからでした。
「そこのところは未だ明確でなく、これから自治会を通して考えをまとめていくつもりです。」(読まれている方は呆れてしまうかも知れませんが、こんなやり方で通用していたんです) 「構想はすばらしいと思うけど、1,000万程度では中途半端ではないでしょうか、どうせやるなら2,000万程度の事業計画とし十分な開発計画を立てる方がよろしいかと。」、「そこのところは村の考えもあるので・・」
 叔父に聞きに行きました。
「予算はお前の言う通り、2,000万有る。花桃は植えてからも肥料をやったり草を刈ったり何かと管理に金が掛かる。だから管理費として400万考えている、それは内緒の話だ。」? 呆れてしまった。     平成29年3月7日

 最初から不正
 月川旅館の周りに花桃を植えることは月川旅館の方針であり、叔父は社長として実行しただけであります。
今回は違います。 西地区全体に(園原除く)花桃を植樹して観光の目玉とする。それを村の補助金で行うと言う。
 悪巧み
これだけの補助事業を行うのに、月川旅館の他二名の役員に何も話しをせずして進めているんですから、「ああ、またたくらんでいるな?!」と思うのは当然のことでしょう。
 倍半分!
1,000万と言えば2,000万、端からたくらんでいるんですから当たり前のことでしょう。 叔父が部落でどう言うかで全てが見えると思っていました。 そこで、1,000~1,500万と言いましたから、2,000~3,000万と踏みました。
ですから突っ込んだのです。 「2,000万くらい掛けるべきでは!」とね
 400万×2
馬鹿でもあるまい、私は設計士です。机上の計算なんて朝飯前のこと、西地区のどこそこにに花桃を植樹すると聞けば、「1本いくらの苗が何本必要か!」「一日当たり何本植えられるか!」「ロス%」即座に計算できてしまいます。
そして、補助事業に維持管理費は含めることは出来ないと知っていますからね。   平成29年3月9日

 経費込みで1,000万以内
 また悪いことをしている。 他の部落に来て、「地区の要望事業」だからとして説明するのに基本的な事業計画が示されない!なんて事は常識的に考えられないでしょう。 それを黙って聞いている程度の部落の人達ですから、彼等に騙されることや、熊谷操氏が部落の金を何度もポケットに入れていても気づかずにいるし、知っていても話せないでいるし、指摘せずして解決に当たろうとすれば一緒になって攻撃する馬鹿どもなんですから、ほどほどにしていただきたいものであります。
 叔父に確認する。
 1,000万も掛からないですから、1,000万と聞けば、(これは2,000万有るな)と、また悪いことをする。 この様に思いました。 叔父に確認しよう! その様に思い、月川に出向いたのです。
 仕込みは済んでいる。
おじさん、1,000万ばかしじゃ駄目じゃ無い「」の。この谷を花桃でいっぱいにするんなら、もっと大きく、一大事業でやらなければ、せっかく岡庭村長が金を出してくれるんだからもったいないじゃないの!      平成29年3月11日 

 悪いことと思っていない
 「・・ああ、1,000万じゃ出来ん、そうは言ってもそれ以上だと言うと操が必ず噛みついてくる。」 そんなことは関係ないじゃん、村長と話しは着いているんでしょ 「月川の周りに植えて、やっと見られるように成ってきた。ここまで育てるのに肥料やなんかで凄い手間が掛かっている。植えただけじゃない、後の管理に金が掛かるんだから・・」 そうだね、じゃあ管理費は1,000万の中に含まれているの? 「そんなのは無理よ、管理費なんか入らない。」 それじゃあ管理費分を上乗せしてあるの?そうなら良いけど 「大丈夫だ、400万管理費として取ってある。」
 400万とハッキリ言いました。
400万と言ったことは800万と言うこと、それで辻褄が合いました。 植樹に800万、管理費に800万、計1,600万円
1,000万から1,500万くらい掛かると説明した理由が
 これは不正です。
そして、“犯罪” です。 それでも私は許しました。 それは、この事業により西の谷が反映するのでは! と期待したからに他なりません。                     平成29年3月13日

 花桃祭り
 『岡庭村長を花桃祭りの実行委員長にする!』 「これは村おこし事業なんだ!」 「ヘブンズはスキーで冬しか通用しない、それに地区に何も金が落ちん!」 この様に、彼等の勝手な言い分で地区を丸め込み、岡庭村長を前面に出して内外にアピールする必要があったのです。
 5万人の観光客
花桃祭りは大成功を収めています。此処十数年、道路は混雑し、普段の生活に支障をきたしていますが、誰も何も言いません。怖くて言えないのです。 ヘブンズに勤め、ヘブンズで生活している地区民は何人も居ますが、花桃祭りで生活している人は誰も居りません。
 何かの役に立っているのでしょうか?
花桃祭りは、毎年大型バス数十台と、1万台以上の車が訪れます。 大型バスは5,000から10,000円以上に、自家用車は300円から500円に、所場代は300万以上に、多くの収入が入るようになりました。
 彼等はバカではありません。
「秀逸っさ、隠しきれないがどうする?」、「そうだなあ時雄、自治会に花桃管理委員会を付属させて会計をしたらどうだろう」「それはいい、半分ばか入れておいて管理費用で精算すればちょんちょんになる。それに、自治会であれば委員も集められるし費用は自治会持ちで出来るし、それだな」、「おう、そうすりゃ、税務署だって分かりっこないよ」
 地区にお金が落ちる?
ヘブンズは地区にとっては何も関係ない、「それみろ!言った通りじゃないか、地区のためになんか成っているのか!」、「吉川(建設)と石田(コクサイ)の儲け話じゃないか!」
 これが、渋谷秀逸(青木屋)と熊谷時雄と熊谷操のやり方でした。
(私の叔父は釣り堀青木屋、渋谷秀逸です。本日まで、何度も何度も改めてもらえることを期待して叔父としてきましたが、もうどうしようもありません、叔父は常軌を逸しています。本日から実名で書き出します)                               平成29年3月15日

 スキー客は宿泊しない
 日本一の星空ヘブンズはいまや時代の潮流に成りましたが、平成8年オープン以来経営はけして良い状況にはなかったと思います。
 宿泊客
岡庭一雄とコクサイ石田さんの個人的な関係は知る人ぞ知るで有りましょうが、その事はさておき、昼神温泉への集客を期待していたのは当然のことでしょう。 しかし、数字でもってハッキリと成果は出ていなかったと思います。
 月川旅館でもご多分に漏れず。
吉川建設・コクサイの企業体で始めたが数年で減資せざるを得なくなり、コクサイは早々に離れていきました。 その事により結果的安定へと切り替わりましたが、今度は吉川の本業がぐらつき出しました。 吉川はヘブンズを手放し再建の道となり、企業売買のオリックスに身売りすることになりました。
「スキー客は泊まらんよ、あんなものは何の価値も無い!」これが、渋谷秀逸と熊谷時雄の言い分で、コクサイと岡庭の関係で岡庭を責めるようになりました。 コクサイが手を引いたことにより守るものが無くなった岡庭は、彼等二人の考えを次々実行していく事になりました。     平成29年3月17日

 権力の恐ろしさ
 取り巻き連中や議員は当然でしょうが、多くの住民も岡庭一雄の村政を認めてきています。 その中でいくつもの不正と犯罪と思しきことを積み重ねても、それが不正だとして追及した者はいましたでしょうか?
 不正を表に出しても、査問する議会さえその軍門に降るどころか成り下がっていました。
何でも、好きなようにやれたのですから権力とは恐ろしいものです。 一度手にした権力を手放したくないのは普通の首長、不正をしていない首長に使う言葉です。 岡庭一雄は多くの不正を重ねる事により、多くの共犯者を出してしまいました。 その共犯者の主たるものは共産党であり、不正の金は彼等に流れていったのです。

 花桃街道の不正
 花桃を植樹したのは村のお金、全額補助金の中に400万を超える水増し金がある。 本谷・園原財産区内部の隠し金を着服して土地を購入し、その土地を阿智村に寄付して地主の脱税を促し、なお且つその土地の駐車場整備に阿智村のお金を使うことを岡庭一雄村長と謀をしていた。
 駐車場は花桃まつりの出店場所として場所代を取り、そこでの上がり300万以上は本谷・園原財産区に入らず、渋谷秀逸と熊谷時雄のポケットに入っていた。             平成29年3月19日

 仮橋の架け替え
 阿智村智里西地区における橋の架替等の集落道整備につきましては、平成26年度から県営中山間総合整備事業 花桃の里地区の一環として、農業生産性の向上と生活環境の改善を図るために実施しているものです。

 この文書は、平成28年5月10日、長野県農政部長から私に送られてきましたメールの書き出し文です。 なぜ私にこのメールが送られてきたのかは、私が阿部知事に告発したからに他なりません。

「県営中山間総合整備事業花桃街道整備事業」における橋の架替は “補助金の不正受給” に当たるのではないか と、熊谷村長に提出した文書のうち、長野県に関係ない部分を除いた上で送付しています。
 知事はその告発文書を受けた上で、農政部長からメールが届いたということです。

 長野県(農政部)には何ら問題無いことは当然でありましょうが、補助申請した阿智村側に不正が有っては大変な事、それも刑事事件がうかがえるのであれば尚更です。       平成29年3月21日

 阿智村が解決すること
 昨年5月16・17・18日と、阿部知事が飯田合同庁舎に「しあわせ信州移動知事室」を置いたことはご存じだと思いますが、その時に阿部知事は予定外の行動をしています。
それは、何の触れもなく阿智村を尋ねていることです。 熊谷村長と会い、「阿智村が解決することだ」との暗黙の了解をしていることです。(その後、私に対しての阿部知事の対応は、時期が来ましたらお話しします)

 県営中山間総合整備事業
 私が指摘している不正の根拠は、「農業生産性の向上と生活環境の改善を図る」という、中山間事業の基本的な目的を達成していないことにあります。そして、この事は、阿智村の担当課長・職員から副村長、そして議会議員全員が承知して不正な補助金申請を行っているのではないか、このまま進めば県も「承知していて事業を実施する」ことになり、これでは大北森林組合の森林税不正受給とまったく同じ構図ではないか!? と、阿部知事に告発したのです。

 蚊帳の外
 熊谷村長が全てを掌握してこの事業を申請しているのならともかく、「岡庭村長の時に決定していた事業であり、議会も通っている、予算も付いていることだ」として、髙坂美和子議長や熊谷時雄元議長から詰められ、尚且つ、担当職員はおろか副村長まで、「その通りです」と、熊谷村長抜きで進められた事を私が直に確認したからこそ、告発したのです。 このまま進められて事が露呈しましたら、100%熊谷村長の責任となり、辞職に追い込まれます。           平成29年3月23日

 作られた農業生産の向上
 この際県の関与は置いておきましょう。 問題は、当時の阿智村担当課長が作り上げた補助申請事業計画書の内、農業生産性の向上がどの様な計画で有ったか? ということです。
 橋先に農地は存在していなかった。
橋先に有るのは月川旅館とその附帯施設、その周辺には一部農地はありましたが耕作放棄地です。一段低い生活橋が架かっているところにも耕作放棄地がありました。 どちらも過去何十年も作付けされておりません。
 書類だけ整えた
農政部が窓口で農業生産性の向上となれば、過去数年間の作付け実績を元により一層の生産性の向上を図れるとした計画書でなければ成りません。が、数十年間作付けしていないのですから向上も何もないでしょう。(この事、県は査定していない) その上、新たな作付けとして “菜の花” を選定しています。 菜の花? 農業生産の向上に菜の花は無いでしょう。誰でもそう思いませんか?(県が通したのですから不思議)
 菜の花の植え付けは事後処理
「橋は架かるよ!補助金申請は通ったよ!」「100パーセントだ、全額補助だ!」「良かった良かった!やった!やった!」 この様に喜びの声を上げるのは月川旅館はもとより熊谷時雄・岡庭一雄「これでやっと秀逸っさの顔をたてれた」そして議員全員、そして担当課長・副村長でした。 その皆さん全員が、「俺が骨を折ったんだ!」と、我先に言い始めました。 喜び勇んでおりましたが、私はそれが “ぬか喜び” に成ると分かっておりました。                平成29年3月25日

 何か忘れていませんか
 中山間事業において橋の架け替えが確定的となるやいな、「早く農地に見せかけなければ」と恐らく担当課長が熊谷時雄に知らせたのでしょう。
 菜の花を植える
時雄は当然の如く渋谷秀逸に知らせ、「月川旅館の下は花桃祭りの一等地だ、そこに米や作物を作らせては駄目だ。花桃に合う花野菜を植えろ!」 その様な号令のもと “菜の花” となりました。
「菜の花は花桃祭りの真っ最中に黄色い花を咲かせる、花桃とバランスが取れ最高の演出になる」「何だろ、菜の花は野菜だし県もそれなら通るだろう」 (何か間違っていませんか?)
 菜の花は誰が言い出したのか?
渋谷秀逸や時雄ならまだしも、担当課長の発案だとすれば “そこに作為” が有ることになり課長も同罪となる。まさかとは思うが、“県農政部” から聞こえてきたとすれば大北森林組合と同じ構図に成ってしまう。                                  平成29年3月27日

 会計検査院をお忘れでしょうか
 農業生産性の向上に “菜の花” で良しと県が認めたのですから、取りあえず良しとしましょう。 では、続いて現況が耕作放棄地の問題です。 少しでも早く菜の花を植え付けなければ成りません。
 おお~い 時雄君
この時点で時雄君や渋谷秀逸が自費でもって菜の花を植え付けていたので有れば・・何も問題は起きなかった かも 知れませんが、欲の深い二人のことです。 これも、「村でやれ!当たり前じゃ無いか、100%補助の中山間事業じゃ無いか、村は金を出さなくて良いんだからこれくらいはやって当たり前じゃ無いか!」 と、この様に、それもお願いしたんじゃ無くて怒鳴り込んだのです。
 髙坂美和子党員議長はすぐに動きました。他ならぬ岡庭様時雄様のためならば、当然我が党の活動資金となるために
「時雄さん、この見積書60万ばかしだけどこれでいいの?」、「そうだなあ、菜の花の植え付けといっても種まきゃいいんだから適当に見積したけど、どうせ一回きりだから多めにしとくか80万でどうだ」、「私の方で出す?」、「まかせるよ」・・てなことであったかと (地域経営課に聞けば詳しく話してくれますよ)                            平成29年3月29日

 農間部落のおばさん
 実際に何をやったのか  耕作放棄地は今まで田んぼで有りました。中央道恵那山トンネルの残土で整地した新しい耕田でした。 耕作者が亡くなり後を継ぐものは都会暮らし、荒れるがまま? ではなく、整然とした風景で有りました。 トラクターで平滑にし、そこに種をまいたのです。
 種まきの手間
農間部落のおばさん達に、「村の事業だ、俺が予算を取ってきた。少しでもおばさん達の金になればと思っている」 この様なご託を並べてもおばさん達は時雄君のことが大嫌い、誰もそんな話に乗りません。
 部落に持ち込む
手下二人の奥方を使い、「皆さん協力しましょう」とやれば、これも部落のお役だからと言われれば従うしか有りませんでした。  何日か駆り出したようですが、果たしていくら支払っているのでしょうか。
 間尺に合わない
恐らく一日5,6千円だと思います。なぜかと言えば、「自治会での人工は一日5,000円としてある」これも時雄君がつくった、時雄君の規則で有ります。               平成29年3月31日

 実際に掛かった費用計算
 人工      8人 ×  5,000円 ×  7(1週間) = 280,000円
 トラクター   2台 ×  8,000円 ×  7      = 112,000円
 オペレーター  2人 ×  10,000円 ×  7      = 140,000円
 燃料他経費   1式                     78,000円
   計                             610,000円

 どうでしょうか、簡単に概算して60万円になります。 これを水増しして当初の見積書としている。
 問題は実施した後のこと、地域経営課に「やってみたらこれだけ掛かった」として、三倍の費用を請求したのであります。
 当初予算は議会にあげてある。
当初予算しか認められない、議会承認されている。と告げたそうです。 「何を言ってる、これだけ掛かったんだから、地域愛じゃないか」 それでも私たちでは対応できない。とのやり取りの後、「議会は問題ない、時雄さんの言う通り支払うようにしてください。理事者には私から話しておきます」と、高坂美和子議長が直接乗り込んだのであります。
 熊谷村長不在
熊谷村長は知らなかった。高坂美和子議長はどの理事者と掛け合ったのか? 金額変更を議会にあげたのですから、「誰かが承認している」はずである。・・透明人間であろうか      平成29年4月2日

 三倍の金 どこに消えた
 3月27日の臨時議会、傍聴席にはにらみをきかす熊谷時雄、渋谷秀逸、渋谷久利(パークランド社長)熊谷智徳の四人が居ました。
 消えた三倍の金
村から菜の花種まき補助金としてせしめた三倍の金はどこに消えたのかを、赤裸々に話してくれたのが熊谷智徳氏であります。
 
 熊谷智徳氏とは、地元で「東山道」という食堂を営業している社長であります。 月川旅館の受け皿組織、「園原の里開発株式会社」立ち上げの一員であり、何かと彼等に深い関与をしてきています。
東山道は村おこし事業の一環で補助金施設、1/3の負担金を納めて細々と営業しています。
 東山道の有る土地には数人の地主が居りまして、そのうちの一人が破産宣告を受け金融機関管理となりました。 その様な状態が数年経過したとき、破産宣告を受けた地主が暴力者を伴い、熊谷智徳氏に「地代を払え!」と言いがかりを付けたことがありました。 熊谷智徳氏は、同株主でもある渋谷秀逸に相談しその土地を購入することにしました。 しかし・・・                                 平成29年4月4日

 長野銀行担保物権
 東山道の在る土地は三人の地主(兄弟)が居り、熊谷良人という者が破産宣告を受け、残りの二人が保証人と成っていたため長野銀行の管理地と成っていました。
 村に土地を買わせる
渋谷秀逸は熊谷時雄議長に、「何とか村に金を出せる方法は無いか?」と相談し、時雄は、「分かった、何とかしよう。岡庭に相談して進める。議会は何とでも成る、大丈夫だ」
 村が進めた事業じゃないか
「東山道は補助事業として村が進めた村おこしの施設、1/3の負担金は全額支払っているが、経営は困難を極めている、その上必要でない土地代まで支払っている。広大な三地主の条件が、全て借り上げが条件だとされていた。せめて土地代の負担を少なくするのが村の責任ではないか」ざっとまあ、こんな感じで議会議決されたのかな?
 担保は先に抜く
長野銀行の担保(1,000万円)を先に抜かなくてはならない、しかし、その様なお金の工面は出来ない。 月川旅館持ち株を手放すしかない・・しかしここでまた謀略が・・続く
    平成29年4月6日

 邪魔な存在
 最初に書いておきますが、先日の臨時議会の傍聴席に熊谷智徳氏は時雄、渋谷秀逸、渋谷久利と共に居ました。 なぜ、熊谷智徳氏がそこに居たかと言いますと。二人に無理矢理頼まれたからに他なりません。 時雄と叔父は、西地区のありとあらゆる者に声を掛けています。「傍聴に行ってくれんか、村長は月川を無理矢理取り上げようとしている。議長も義文も味方だ、何としても勝たなきゃ成らん。頼む、助けてくれ!」と でもね、西地区の皆さん、誰も助けようとはしませんでした。そして、「自業自得だ」との声は、いつものような陰口でありました。

 月川の株・東山道の株
 熊谷智徳氏は月川の社長(叔父)に、「金を工面するには月川から手を引く、500万円の株を買い取ってもらえないか」とお願いし、「そうか、では俺は東山道から手を引く、東山道の俺の株を併せて足りない分は何とかせよ」その様にして、長野銀行の担保を抜いた上で阿智村に買い上げてもらいました。(めでたしめでたし)・・・

 何かおかしいと気がつきませんか? ねえ、何か?おかしいですよね。 聡明な村民ならば皆さん気づくでしょ! 当時の村会議員さん達は、当然気づいていましたよね。気づいていても、気づかないおバカ議員が居たとしても、此処には “不正” と “犯罪” が隠されています。       平成29年4月8日

 その不正と犯罪とは
 その前に、「東山道は補助事業として村が進めた村おこしの施設、1/3の負担金は全額支払っているが・・・」と、ありますね。この全額支払っているが、の支払いについて話します。
 地主の使い込み
熊谷良人、彼は破産宣告を受け独り身と成っており、他の二人の地主の一番下であります。 彼は東山道が開業したときの支配人店長でした。開業三年目に使い込みが露呈し、解雇されています。 使い込みは数百万円、その返済を三人の地主地代から差し引く方法とされました。
 経営困難
わずかな売り上げにおいて数百万の穴埋めは困難でした。熊谷智徳氏は大口株主である渋谷秀逸に当然の如く相談したのであります。
 補助負担を返済せよ
「これではやっていけない、補助負担を全額返して資金繰りをせよ!」 これはとても良い方法でした。でも、1,000以上の負担金を誰が用意出来るのでしょうか。
 月川旅館の裏金
「1,000万円返した。500万は月川旅館から用意してくれたが残りは月川の株配当金だ。俺や秀逸さの配当金だ」・・・この金は、月川旅館社長渋谷秀逸が脱税しているお金でした。   平成29年4月10日

 村はなぜ購入したのか
 冷静に考えてみましょう。 東山道の地主は兄弟三人である。そのうち一人が破産宣告を受けており三人の土地とも長野銀行の抵当物件(土地のみ)と成っている。熊谷智徳氏はその土地を1,000万円で購入した。 これだけのことであります。 この事に何か疑問はあるのでしょうか?
 利用されたされた熊谷智徳氏
以前書いてあるとおり、月川旅館受け皿会社 “園原の里開発株式会社” 設立時から叔父と時雄にとって熊谷智徳氏は邪魔な存在でありました。募集経過の中でやむなく仲間としているが、熊谷智徳氏はコクサイの石田氏とも、ホテル阿智川の山口会長とも繋がっている者とした見方でした。二人にとっては意の合わない人達であります。「月川の株主から外したい、辞めてくれと言えないから言わせるよう仕向ける」、「東山道はやむなく株出資したが、こんな経営ではいつ潰れるか分からない。早く手を引きたい」・・・この様な状況でありました。

 暴力者を伴っての熊谷良人の脅し
熊谷智徳氏は真っ先叔父に相談した。「東山道はお前の経営、今まで何百万も面倒見てきた。俺はもう手を引く自分で始末を付けろ!」と、一旦は切り離したようです。(智徳の話)    平成29年4月12日

 恩を着せて切り離す(此処で悪巧みを考えた)
 読まれた皆さん分かったでしょう。熊谷智徳さんが用意した金で土地は購入出来たのです。
智徳さんは月川旅館の株500万円分を叔父に買い上げてもらった。(何千万も脱税出来る会社の株であれば1,000万でも買う人がいるのでは?)叔父は裏金で買い上げた。(智徳さんに「この金は月川の金だ、領収書は要らない」と伝えている)
 それをなぜ村に買い上げさせたのでしょうか?
村から長野銀行に購入資金は支払われています。 1,000万円で抵当権を抜いただけですから、その1,000万円は熊谷智徳さんに長野銀行から返されているはずです。
 智徳さんに返っているでしょうか?
私は断言します! この1,000万円、叔父と時雄の懐に入っています。

 絡繰りでも何でも無い
騙されたのですよ! 阿智村がね、熊谷時雄議長に騙されて村の金1,000万円が横流しされたんですよ! これが犯罪で無ければ、世の中終わっちゃいますよ!            平成29年4月14日

 “時効” で方付けられる恐れ
 「村の土地なんだから管理(草刈りなど)は自治会だ」としてそれ以来自治会役員が駆り出されてきています。また、周辺に植えた花桃も、「花桃祭りで観光客が利用するのだから賦課金を支払え」と、徴収しています。
 人が良すぎる智徳さん
今回の月川旅館指定管理者の採決臨時議会、「お前も関係あるんだから傍聴に行け!」として無理やり駆り出されています。智徳さんにとっては、「土地を村で買ってもらえたのは叔父や時雄のおかげ」「脅されて困っていたのを叔父が助けてくれた」と、思いこんでいます。
 同類に見られている。
世間では、智徳さんは “時雄や叔父の仲間内” と見られていますが、智徳さんは全くそうでなく彼等に騙され、“いいように” 利用されているだけです。
 年寄りは見抜いていた
先日智徳さんのお母さんが亡くなりました。 今から25年前、「良い息子だなあ、わたしゃ時雄が大嫌いなんな。付き合うなよってあれにも言っているんだがなあ・・」私に会うと口癖のように言っていたことを思い出します。ですから智徳さんには何でも話し、月川の役員・株主を辞めた経緯を聞かせてもらったり、三年前から始めた財産区の件や不正の件を話してきました。

 相手には弁護士が付いていることを忘れてはいけません。 村長や議会がトロいことを続けていますと、この件も明らかとする事が出来なくなり、損害賠償はおろか刑事訴訟法で告訴することも手遅れに成る可能性があります。                            平成29年4月16日

 抱き込む
 株を叔父に買い上げてもらった、そして500万円を受け取った。この金は領収書が要らない金だと言われた、俺の都合で頼んだことこれで月川とは何も関係が無くなった。
 この話しを聞いたとき、大変な状況だと感じました。
領収書が要らない金?!ということは裏金である。裏金は月川旅館の脱税でしかあり得ない。10年前も東山道負担金の支払いに500万円裏金が入っている。
 月川旅館には国税局が入っている、脱税で追徴課税を受けている。なのにその後も裏金をつくってきていた事の動かぬ証拠に成っている。(裏金は年間1,000万程と思われる)
 共犯に成る
領収書が要らないと言われ500万円もの大金を受け取っていれば、「その金の出何処が月川旅館と知っていたのでは?」と捜査官から問われれば共犯と成ってしまう。(本人は気づいていない)
 月川旅館と関係は続いている
領収書を書いていないと言うことは、「株の買い上げ」が無かった事にもなる。ということは、まだ「月川の株主」ということにもなる。 株主の立場で裏金を受け取っていたと捜査機関に判断されてしまえば、「共犯で逮捕」と成ってしまう恐れがあります。             平成29年4月18日

 どうやって助けようか?
 熊谷良人から恐喝されたとき、「俺は知らん、これ以上面倒見れん、東山道はお前の経営だ」と叔父から言われたそうだ。 俺には1,000万円もの金がない、だから月川の株を買ってもらうしかなかった。株を他の人に売るなんて考えもしなかった。ほんとにそんなことが出来るのか?
 用意できた1,000万円
250万程度用意でき750万円つくったのだと言う。残りの250万については詳しく話しませんでした。
「銀行担保を抜かなければ村に買ってもらえない。兎に角先に担保(抵当権)を抜いた」
 戻ってくるお金
この話を聞いて?ハタと気づいたことがある。(金は戻ってくる、としていた) 何と言うことだろうか、叔父の口車に乗ってしまったのか? それとも同じ欲であるのか
 それでも仲間内と成らないようにしなくては
そう、では良かった。村に買い上げてもらえば今まで通りやって行けるね。 でも智徳さん、領収書が要らないと言われたことは誰にも話さない方が良いですよ。 時雄は普通の人間じゃないし、叔父は時雄と同じだと思わなきゃ、いざとなった時は必ず巻き込まれるよ。        平成29年4月20日

 東山道にも税務署が
 土地は村のものになりました。 東山道は今までと何か違ったのでしょうか、営業時間も客の入りも何ら変わることはなく、細々とした経営は家族営業で続けていくことが精一杯のことであります。
 変わったものは
 株主の内訳でありましょう。株の移動は実際行われたのかまでは分かりませんが、叔父が手を引いたことだけは確かな事でありました。 私は思う、(これで良かったのだと)   「智徳さん、失礼な言い方だけど、ここには絶対税務署は来ませんね。もし来るとしたら叔父の金の流れじゃないですか?そのときは、月川の株は買い上げてもらった。と、領収者はいらないと言われた、東山道の叔父の株は叔父の意思で手を引いたとして正直に話した方が良いですよ」
 一つだけ言い残した
一つだけ言えませんでした。(長野銀行からお金は戻ったのでしょ、その金の処理も聞かれますよ)     平成29年4月22日

 巻き込んだのか?!
 抵当権ですから三人の所有者名から阿智村となっただけでありますが、用意したお金は智徳さんに戻ったのだと思いますが、叔父はそんなに甘くないです。
 株の金は返せ!
東山道の出資株、叔父の分は数百万だと思いますが、「俺は手を引く」と言ってまとめた「阿智村に買わせる」ことは、首尾良く終わりました。 叔父は当然の如く「俺の株金を返してくれ」と智徳さんに要求したと思います。 叔父に言われれば何の疑いも無く「世話になりました」と喜んで返していると思います。
 二兎追って二兎仕留めた叔父
月川旅館の熊谷智徳出資株500万円、額面通りで自分のものに! 使ったお金は月川脱税金(想定)
東山道の叔父出資株数百万円、現ナマで受け取る
 何か忘れちゃあいませんか?
東山道を始めるとき、多くの人から出資金を募っています。 数年後、熊谷良人が着服した経営資金の始末において数名が「手を引きたい、株出資金を返してくれ」と、懇願していたことを忘れていませんか?
その人達全員のお願いを無視し続け、「勝手に辞める奴は関係ない」とし、未だに株金を返していないこと。 何も失うことが無く土地を村に買い上げてもらったんだから、叔父より先にその人達に優先的に株の金を返すか、改めて話し合いをすべき事ではないですか?           平成29年4月24日

 臨時議会の傍聴席に居た熊谷智徳氏
 「頼まれてしまいどうしようも無かった」と心境を吐露しているが、実はその前に巻き込まれていました。
 月川の指定管理者を外す臨時議会が開かれる前に叔父から電話があり、智徳さんは月川旅館に呼ばれたという。
その席で、「俺は月川から一切手を引く時雄も社長を降りる」と叔父が言い、「月川の社長を渋谷吉彦にする。孝人は支配人のまま、智徳には今まで通り役員として一緒にやってくれないか!」と、言われたという。
そしてこうも付け加えた。「章文の株の件は下平弁護士を入れたので何も問題ないから心配するな」

 なぜ行ってしまったのか!?
「秀逸さから言われればどうしようも無い。それに時雄が社長を降りて秀逸さが一切手を引くと言うんだから・・」
 気がついていない!
あれほど話をして「一切近づかない方が良いよ!税務署が来たら正直に話す事が一番」と散々話してきたのに智徳さんは気づいていなかった。                      平成29年4月26日
 
 株の金では無かった
 普通に考えれば分ることです。(なぜ月川のことで俺に出て来いというのか?)この様に疑問を持てば色々見えてくるではないか。
 まず最初に気づくこと
「俺は月川から一切手を引いた」口癖のように話していました。「株の金、500万円も貰っている」
(なのに俺に何の用が有るのだ)この様には考えたと思う。
 叔父は当然口説いている
「章文は時雄を社長にしたのが気にくわんらしい、時雄は社長を降りる事にした。時雄はいいのよ、株を持っている訳じゃないし、行きがかり上孝人を社長にはできん。智徳にはしばらく月川を面倒見てやってくれないか」電話口でそう言ったのであろう。そう聞けば(俺が社長に成るのかなあ)と思ったのかもしれない。
 そこにあった伏線
しばらく前に智徳さんに話したことがある。「時雄を社長にしたみたいだね、清志が悲しいと言っている。富士夫(板長)も嫌らしい、おばさんたちも辞める人がいるみたい」
 智徳さんは
「なに?!時雄が社長?それはおかしい、あれは勝手に飛び出ていった奴じゃないか、幾らなんでもそんな馬鹿な事を、秀逸さが付いていてそんな馬鹿な事やる分けがない」
 智徳さん、残念ながらおいさまの考えでやったみたいだよ。前から言っていた通り、邪魔なのは智徳さんだったじゃない。それが東山道の土地の件で手が切れた、これで孝人に継がせることが出来るってこと。 おいさまも何でそこまでやるかは、時雄に大きな借りがあるからで・・これこれ・・こうで・・  そんな事までしなくとも、孝人に譲ることを誰も反対していないのにね。  平成29年4月28
日                

 全て分かっていたはず
 ここで時雄の当時の動き(議長最後の一年から)を推察してみます。 叔父は時雄を議長とすることが悲願でもあり、時雄も子供ころからの夢(村長に成る)は叶わなくても議長で集大成と自分自身に納得させていたのだと思います。
 叔父の悲願は仮橋の架け替え
叔父は釣り堀から始め、温泉旅館の経営と花桃の成功により名実自負が大いにあったでしょう。 歳を重ねるにつれ、子供の生末を考えることは世の常であろうし親であれば当然のことかもしれない。 しかし、子供がそれを継続できるかどうかは子供の能力であることも事実でありましょう。
 親バカでは普通の人
子供にそれが無い! と分かっていただけは“まし”であろうが、それが逆に出てしまったことが不幸なのかもしれない。
 この様な山の中の温泉旅館でも、1億2億を売り上げるとすればかなりの収益事業であります。またその施設が償却資産と成らない無課税施設であればだれが経営しても大きな利益が残ること、ですから大きな脱税をしてしまった。
隠すだけ隠して、国税局が入ったことも無かったがごとく経営を続けられたのは、誰有ろう “岡庭一雄村長” その人でありました。
 岡庭一雄・熊谷時雄・渋谷秀逸の三人が30年前に手を組んだ、“将来の野望” のすべてが花桃のごとく花開いたのであります。                           平成29年4月30日

 そこだけにしておけば良かった
 『欲は余分なもの』 人生訓ではありませんが、欲には限りが有りません。また、欲のために策を弄す事は往々にして不信を招きます。
 月川の経営をそのまま次男孝人に譲るには、私と智徳さんが邪魔と見たのでしょう。 私に気が無いと分っていても、財産区や花桃の進め方に注進されてきている。 智徳さんは株を持っている限り「手を引け」とは言いだせない。
そんな中、東山道の土地にイチャモンをつけてきた事は叔父にとってまたと無いチャンスでした。
智徳さんと完全に縁を切れたどころか出資株金まで取り戻せ、なお且つ、智徳さんの月川株も裏金で処理できた。 これで何の障害も無く次男孝人に月川の経営を任せられる。     
 予想しなかった二つの事
 一つ目:月川旅館施設の払下げ
払下げは予定されていたことですが、払下げされれば取得税が掛かる、それも1,000万円以上!?
ここまでは考えていなかった。 「28年も経過した建物に1,000万円を超える取得税が掛かるのか?」
 脱税を平然としてきた叔父と高利貸し上がりの熊谷時雄、「公共施設は償却しない」という、当たり前のことを知らなかったようです。                       平成29年5月2日
  
   岡庭一雄と進めた払下げ
 25年以上償却を見ないで多くの収益を上げてきたんですから、それも脱税しても続けて来られたんですから、ここにきて取得税を払うことぐらいはどうって事でないし、当たり前の義務ではないでしょうか。
 岡庭一雄の終末
時雄はもちろんの事、叔父さえも「岡庭一雄の芽は絶対にない」と踏んでいました。であれば、あとは岡庭一雄が村長のうちに始末を着けさせなければ成らない事を着実にやらせるだけであります。
月川旅館への仮橋の架け替えはもちろんの事、月川旅館の払い下げもその目的には当然のごとく入っておりました。    
   
  
叔父の狙い
25年も経過すれば、償却施設でなくても建物は消却してきます。「修繕費を、改築費を村に出させよう」それを岡庭に約束させなければならない。
 岡庭一雄との関係は冷え切っていた
時雄と岡庭が袂を別つなら、叔父が単独で交渉しても無理なこと。それに、岡庭一雄を利用してきたことは岡庭一雄の五選にとって不利な状況とすでになっておりました。
 ねじ込んだ時雄と叔父
「お前が持ち込んできた事業じゃないか、俺たちはこんなお粗末な施設を自力で手を入れここまでにしてきた。村の施設なんだから完全に修繕して払下げするのが筋じゃないか!」
 このように岡庭を詰め、7,500万円にも及ぶ改修費用をせしめたのでありました。  
  
   7,500万円の根拠
 建築物は完成した時から古くなっていきます。当たり前のことです。ですからそれに基づき不動産税が減額していくのです。(このような当たり前のことも、書かなきゃ分からない人たちがいますので)
 平成26年に改修費用を叔父には示しています。(建築物定期調査による)
改修内容:屋根の再塗装 800万円  外壁の吹替:500万円(足場兼用) その他修繕費:1,000万円
合計で2,300万円  これを叔父は無視しました。 なぜかと言えば叔父は浴室の建て替えを考えていたからです。
 浴室改築費用5,000万円
その他の修繕費に浴室修繕も含めていましたが、叔父の考えは違っていました。「孝人にやらせるまえに完璧にしないと」 すべての元がこれでありました。  
  
   叔父も時雄もそして村も
『払下げ施設に条件を付ける』なんて事は、受ける方も下げる方も “在る話” ではありません。
 考えて見てごらんなさい。
月川旅館の払い下げ『1,000万円の取得税を支払う』だけで『自分の物』になるんですよ!こんな条件であれば、阿智村は村民のために『月川旅館の入札』で販売すべきではありませんか! 平成29年5月4日  
  
  
鶴巻荘と月川旅館の違い
   鶴巻荘を指定管理者制度にしたのは、岡庭一雄の苦肉の策でありました。 思い起こしてください。山内村長を追い落とした一件を!
   熊谷時雄の攻撃
岡庭一雄を村長にする!との野望の中で、攻撃材料を探していた時雄は気が付いた。 『鶴巻荘をつぶす』
 鶴巻荘は残った
樅木と同じ、残るべきして残った鶴巻荘は阿智開発公社の継続とともに続いていくかに見えました。
 岡庭一雄の公約
鶴巻荘は不要な施設として時雄指示による裏選挙を打った過去の清算もあったかもしれないが、5億も6億も利益を基金として残してきてる実績がある限り、おいそれと閉めることはできない。
 6億円の魅力
黒柳村長であったにしても、昼神温泉が物に成るかどうかも分からない状況で温泉宿泊施設を建設するには決断が必要でありました。
 設計事務所への指示
「始めは小さく、だんだんと大きくすればよい」 着実に成長させるには多くの理解も必要な事、最初が小さいほど大きくなっていく経過が村民に分かりやすい、それであれば村民は鶴巻荘を必要としてくれるであろう。                                平成29年5月6日

  鶴巻荘の設計は小平設計
 長野県住宅供給公社発注において落札しました。阿智村という事もあり私が担当と成りました。 黒柳村長以下総務課長、住宅供給公社と小平設計事務所との当初打ち合わせ時に話された黒柳村長の方針でした。
 見識の広さ
「阿智村に温泉が出た!」誰もが浮足立ち、早く村が乗り出せ!と騒いでいる最中の鶴巻荘事業計画です。
少しでも大きく、満足のいく施設を望んでいる状況でこの様に冷静に行く末の過程まで考えている言葉、この時はピンとこなくありましたが、千客万来が有言実行と成って早々に二期工事が計画されたとき気づきました。   
   
   鶴巻荘が愛された訳
公営施設が基本にあったからでしょうが、黒柳村長の考え通り、住民と共に継続しているという実感ではないでしょうか。
 鶴巻荘は不要だ!
30年も経過した温泉営業施設は、多くの手入れ(改修)が必要な状況にありました。この時、基金の積み立ては5億円に達しており、改築資金として十分な状況にありました。また、清内路村との第3セクターでもあったため、基金の使い方には継続に使用する方向性が理想ともされていました。
 岡庭一雄は違う考え
鶴巻荘公社事務局長は山内さんでした。数年後が岡庭一雄氏に成りました。その数年後が勝野公人現村会議員です。(間に清内路職員がいたかも)
当時の岡庭一雄氏は上下水道課長だと思います。彼抜きで進められた鶴巻荘改築計画、(山内村長ですから当たり前)これが面白くない、ひるがみの森専務熊谷時雄と同調し『鶴巻荘改築阻止!』を始めたのでありました。                              平成29年5月8日   
  
  
改築から改修へ
 岡庭一雄村長誕生とともに鶴巻荘は閉鎖に追い込まれるかと思っておりましたが、改修の道へと舵を切り始めました。 村民の愛着があったからでしょうが、実際は5億円の基金処理に魅力があったのです。
 岡庭一雄の理屈
考えの起点が私たちと違うのでしょう。 30年にもわたり、地道な経営で5億円もの基金を積み立ててきた鶴巻荘、継続が村民の望みであればその将来に目を向けます。
 温泉健康施設は公約
岡庭一雄のすごいところは、“金の使い方” から入るところです。
鶴巻荘の解体は村民感情が許さない(その辺の変わり身も見事なもの、時雄も同じく鶴巻不要論を撤廃している)
そうなると温泉施設の建設地が確保できない、絶対に手に入れたいのが国道に面している土地でありました。
 黒柳忠勝・原武平の土地
鶴巻荘の建設用地を取得するとき、国道までのすべてを買い上げてもらうのが地主たちの要望でありました。
村での資金はそこまではない、やむを得ずして黒柳村長自ら資金を提供したのです。
原武平氏は職員でしたが司法書士も取得しており、村登記に関する一切のことを行っていました。 黒柳村長の信任も厚く、二人でもってその土地を購入していたのです。        平成29年5月10日  
  
   目的は鶴巻荘改築
 岡庭村長は公約とうり(?)温泉健康施設の設置に向け動き出しました。 ただ、鶴巻荘を廃止しての代替え案としていたため、当然のごとく鶴巻荘改築予定地がその場所でもありました。
 頭が良いのかずるいのか
鶴巻荘の廃止には多くの村民の抵抗も有りましたが、岡庭の意図するところは5億円基金、鶴巻荘を5年間継続方針に切り替え安価な改修事業と決めました。
確か数千万円、「安く抑えていただきたい、とりあえず5年持てば良いから」 福岡助役と勝野公社事務局長からその様に仰せつかりました。
 鶴巻荘の改修完成には目もくれない
早々に健康温泉施設事業(湯ったり~な昼神)に着手いたしました。 道路沿いの土地(黒柳・原武平)の話しが出来たからに他なりません。(この時点で原さんは亡くなられていた)
真意のほどは分りませんが、5億円の基金から購入資金繰りされたのではないかな。
 湯ったり~な昼神は成果を上げている
昼神温泉組合としたら、は兎も角も、それなりの成果は有りました。まあ、鶴巻荘と併用したことにより村民の受け止めも良かったと思います。                    平成29年5月12日   
   
   変わっていく鶴巻荘
 5年持てば良いとして、付け刃的に進められた鶴巻荘改修はやはり5年しか持たなくありました。
二年に一度の定期調査においても不良箇所が多くなり都度の手入れが必要で有りましたが、公社は放置を続けるばかし、「これでは改修命令が出る事に成りますよ」やむを得ずしてその様に伝えましたら、なんと!なんと、次回からは章設計の検査不要として通知されてしまいました。
 公社局長は水上宗光
直接水上さんが指示したかは分りませんが、そんな事は出来る事ではありません。水上さんはひるがみの森の共同経営者、職員として籍を置く限り表立っては行動できませんが、鶴巻荘の存続には時雄君と同じ考えである事は推し測ることも不要で有りました。
 不満は従業員
利用者の苦情は日を追うごとに大きくなり、それはやがて「鶴巻荘の継続が必要か」の再燃となっていくのです。
従業員は前向きです。「利用者に喜んでいただきたい、安心安全な施設で働きたい」この様な気持がやがて利用されていくことに気づくはずは有りませんでした。
 水上宗光と岡庭一雄
二人の間に大きな溝が出来始めたのは、やはり章設計民事裁判からであります。そして、佐々木幸仁を副村長とする頃には決定的な状況は既に通り過ぎておりました。            平成29年5月14日  
  
  
基金は増えていた
 岡庭一雄村長は鶴巻荘の始末に困ってしまった。
鶴巻荘は閉めるつもりでいたはずである。しかし、湯ったり~な昼神が繁盛しても鶴巻荘も併せて順調であるため、取り立てて騒ぐことも無くなくなっており、何より従業員の努力もまたそれに見合うものでありました。彼らの中には「村の公益施設で働いている」「村内利用者が喜んでくれる」そのようなプライドがあったのではないでしょうか。
 副村長の人選
その頃、水上宗光氏の岡庭一雄村長批判は聞こえてきておりました。 当初は陰口のようでもありましたが、日を追うに連れ “連発” となったようであります。
 佐々木幸仁氏を副村長とする
気を使うどころか互いの遠慮が無くなり、それははた目においても「そうだろうな」と感じ入るくらいの小さな出来事でありました。
 困ったのは時雄君
ひるがみの森の専務として、また大口の債権者の立場で実権を握ってはいたが、そこは時雄君のこと、資金回収が目的の経営であり、赤字決算はお手の物。しかし、水上氏が退職すれば・・・(この続きはこの項の後で)
 鶴巻荘の在り方
鶴巻荘は温泉宿泊施設というより、村民に昼神の温泉利用提供が目的でありました。 平成29年5月16日  
  
   指定管理者制度
 『阿智村初めての温泉を村民に利用してもらいたい』 得てして看板通り行くものではないことは暗黙であるが、鶴巻は宴会を中心とした営業施設として繁盛していくことになります。
岡庭村長はしぶとく確実に生き残っている鶴巻荘が、営業施設建築物の耐用年数限界の中で消滅していくことを望んでいたと思います。
 閉める理由がない
鶴巻荘がなぜ愛されたかは従業員が村内者であったからと考えていますが、それが閉めることが出来ない理由の一つで有ったからに他なりません。
岡庭の上手さは、コロコロと変わる事、話しながらでもあるが、まずいと思えばその途中でも軌道修正していくところであります。これは時雄と全く同じ、二人をよく知る者は(特に水上氏)この辺に嫌気が指すのです。
 純粋な共産党はそうしない
「色と欲と権力」そのものの二人です。何か一つ欠けていれば許される人もいるんではないかと思いますが、この二人それに併せ、“名誉” まで求めていたんですから驚きです。
   
   さて、この四つで生きている二人は鶴巻荘を指定管理者制度とすることを思いつきました。 これを利用すれば、「欲と権力と名誉」が維持できると考えたのです。          平成29年5月18日   
   
   欲は鶴巻荘の基金
 湯ったり~な昼神が繁盛すれば鶴巻も、そんな分けで基金は増えていくばかし、これを岡庭が見逃すはずありません。 この基金の運用を考えている時にタイミング良く地方自治法の一部が改正されて指定管理者制度が始まるのです。
 金儲けの筋書きは時雄と二人で描く
湯ったり~な昼神の土地取得などに一部使われたようですが、この頃には5億以上に戻っていたと思います。
 この金を使えるのですからことは簡単です。
指定管理者制度の理念は民間を圧迫するような第三施設の改善にあり、一億円バラマキで多くの公営温泉施設などがその対象ともなっておりました。
 箱モノをつくれば金が動く
設計は当然のごとく特命で鈴木設計でした。これに違和感を持つ議員は一人もおりませんし、鶴巻荘の従業員でさえなびいていたと思います。
 一つある問題点
議員は既に岡庭村長の手の内にありました。ですから、岡庭の思う通りに全てが進んでいくのですが、たった一つだけ問題点がありました。
 指定管理者は公募
より良い改革案をもって経営計画を提出するのは基本的な条件ですが、広く一般に呼びかける公募方式で有ったのが唯一の不安材料で有りました。
それはそうでしょう、意図しない管理者であったならば岡庭や時雄にとって何の得策に成らないですからね。(この件、熊谷操氏なら詳しく知っていますよ。いずれ公式に話すのではないですか)平成29年5月20日   
   
   予想していた参加者
 岡庭一雄が仕組むんですから当然のこと決まっておりました。いや、決めていたと言うほうが自然かな。 周到に用意されていた参加条件は総務省の基準はどこ吹く風、岡庭共産党の配下が組しやすい条件で整っておりました。
 公募方式なんてどこ吹く風、一部の者にだけ知れ渡ればよいことで、後はなるべく広がらないように “静かに静かに” 進めるだけ・・
 ところがどっこい!
昼神温泉 鶴巻荘 こんなに名前が通った温泉施設で経営黒字があれば、誰だって参加したくなるではありませんか。情報(公募募集要項)さえ正当に伝われば、多くの参加申し込みがあったと思いますよ。
 さすがは目ざとい
岡庭や時雄の動きは昼神温泉では知れ渡っており、それに岡庭共産党にやらせるという事も周知の事実でした。
 そこに名乗りを上げたのは誰あろう、ホテル阿智川の山口会長であります。
当然動きを知ってのこと、会長は会長で読み取る必要があったのではないでしょうか。
 慌てた岡庭と時雄
昼神温泉組合の実力者、ここが手はずを踏んで申し込めば、そうは簡単に岡庭共産党配下にいかせるわけにはいきません。                               平成29年5月22日   
  
指定管理者制度とは                                  委託管理
 概要
 地方自治法の一部改正(平成15 年9 月2 日施行)により、公の施設の管理について、指定管理者制度が導入された。また、改正前の規定により管理委託している施設については、施行日から3 年間の経過措置期間中に指定管理者制度に移行することが必要となった。
 改正趣旨
 公の施設のより効果的・効率的な管理を行うため、その管理に民間の能力を活用するとともに、
その適正な管理を確保する仕組を整備し、住民サービスの向上や経費の節減等を図ることを目的と
する。  
  
  
留意点
 ここで注意していただきたいのが、改正趣旨の始まりにある「公の施設」であります。
リフレッシュモデル事業に置き換えてみましょう。
1. 野熊の庄 月川  業種:旅館   施設所有者:阿智村
2. パークランド   業種:飲食業  施設所有者:阿智村
3. 門前屋(当初はふれあい館) 業種:飲食業  施設所有者:熊谷孝志(園原観光?当初阿智村)
 リフレッッシュモデル事業(国庫全額補助)で行われた村おこし事業です。
月川もパークランドも営利事業であり、公の施設となっておりません。
門前屋はふれあい館(園原の里紹介施設)として園原観光(熊谷操)で管理していたが、熊谷操氏の長男熊谷孝志が鶴巻荘支配人を辞めた直後、改造されて飲食業とされた。また、施設も払い下げが行われている。  
  
   熊谷村長の判断
「野熊の庄月川・パークランドの両施設は、指定管理者制度に適合していない」  
  
   適合していないことは地方自治法に反していること、それを是正することは行政の長として当然のことであります。 このことに対して、阿智村議会議員が “何か” 言うことが、反対することが、有るのでしょうか。                                  平成29年5月24日 
  
   野熊の庄月川の委託管理解除
 さて、指定管理者制度についてご理解いただけたと思いますが、高坂和男議長を始め、野村和男・吉田哲也・原佐代子・木下勝吉・熊谷義文の各議員は、何を根拠に議会採決を行ったのであろうか、また、一度採決で可決された案件を議員説明会などという、???なものまで開催して、賛成した議員の考えを村民の前で説明せよとした異常行為の裏に在るドロドロしたものはいったい何なのか?!  
  
   岡庭共産党と過去の犯罪
 岡庭一雄は職員時代から数々の不正行為を働いてきました。職員であればその責任は首長にあり、黒柳さんや山内さんも、いくつかの不正は胸の内としても来ています。
 村長でやっては駄目だろう
やはり阿智村は “赤い村” で在ったのだろうか。
10年前の民事裁判の裏には、官製談合という岡庭一雄村長の大きな犯罪が隠されていました。その犯罪は、議員であればというより、議員一人ひとりに知らしめたのにもかかわらず何も無かったがごとく隠されてきておりました。
 査問機関である議会が機能していないこと自体が民主主義から大きく離脱していることでありますが、岡庭一雄の民主主義は、「隠すこと」「かき回すこと」「金のこと」のK・K・Kでありました。  
  
   岡庭一雄自らが証明した
 深々と帽子をかぶって議員説明会に来ていたという。帰り際に似非民主主義を共産党員に向かい “吐いた” と聞いた。
 その裏に在った犯罪
熊谷村長は、「株式会社野熊の庄月川の委託管理者を解除」した。
(間違えないでくださいね、指定管理者解除と委託管理契約解除は違うということを)平成29年5月26日  
  
   なぜ委託管理契約まで解除したのか
 指定管理者制度解除は、月川旅館と、パークランドの両施設です。 ですから、両施設はいったん委託管理契約に戻ることになり、その形の中で払下げの手続きを行うことに成ります。
 時雄君と叔父は何をごねていたのでしょうか?!
岡庭一雄村長の最後の年に、“内緒話をしていた” のであります。 その時の約束事が『施設払下げはやむを得ない事、それに今までは「払下げせよ」と言ってたじゃないか、その代わり、悪い所はすべて直してやる、7500万円は出せる』、とこの様に岡庭一雄と約束事が有ったのです。
 熊谷村長となった時、「そのように決められている、村長は決まっていることをただやればよいです」(これ、どなたが熊谷村長に言ったのでしょう?誰か分かれば、何かが見えてきますよ)平成29年5月28日   
   
   方向転換したのは何故か
「払い下げを受けると1000万円の取得税が掛かる。それを負担して経営していける自信が息子にはない、今までのまま村の施設として、尚且つ、屋根と外壁の全面補修、それに併せ浴室を建て替えろ」   
   
   払い下げを受けるとしたことは叔父の希望でありましたが、「取得税が1,000万円」と知り、「これは大変な金額だ、とても息子の力では無理だしそんな金は用意できない」また、村が浴室の建替えの金までは出すという保証は無い。岡庭なら何とかしてくれたが今の村長は言うことを聞くはずがない。ここはひとつ、村の施設のままで直すところは全て直させることが一番良い。 と、まあこうなったのであります。 そして、この話をまとめるには「時雄しか居ない!」、時雄には世話になってきたし、ひるがみの森の社長は辞めなきゃならんようだし、時雄を社長にして話を進めれば何とか成るだろう。  
  
   この話は私が叔父から直接聞きました。「時雄が社長になる!冗談じゃない」この様な話が私の耳に入り、叔父に事の真意を確認したときの叔父の説明でありました。           
  
   委託管理契約解除の理由は、「脱税」であります。
指定管理であれ委託管理であれ、村の施設を利用して営利事業を行っている会社が「脱税」をすれば、これはもはや問題外の問答無用でありましょう。               平成29年5月30日   
  

   脱税の事実は内部文書
 「月川旅館は払下げます。7千万円余りで改修その他に充てるように」は岡庭村長と決めたこと、それを実行する村に対して、「村の施設のままにせよ、鶴巻荘と同じ指定管理者じゃないか、鶴巻が出来て何で月川が出来ないんだ」「全面改修をせよ、浴室は造り直せ」この様な要求を熊谷時雄が突き付けていたのです。
 厚かましすぎる
直談判をしても自治会を使っても「出来ないものは出来ない」何度繰り返しても平行線で有りました。
何も熊谷村長が対応しない分けでも、意地悪をしている分けでもありません。熊谷村長は「この様な条件での払下げは出来るのだろうか?」と、岡庭村長時に決められていたこと自体に疑問を持っていたのだが、叔父や時雄にとっては「そんな事は決まっていたことじゃない」と厚かましすぎる要求を当たり前のように?、いや、岡庭村長時には厚かましくなかったのだ。   
   
   一変する叔父と時雄
 昨年、私が公開質問状を出した時点で様相が一変しました。
欲に目がくらんでいますと見えなくなるのは世の常でありましょうか、叔父や時雄君は欲の塊ですから見えないのではなく、「そこしか見ていない」のです。
 勝野議員と竹村議員さえ押さえれば乗り切れると踏んだのでしょう。10年前は意気地の無い議長副議長であったから隠せれたと思っていたのでしょうね。(その辺がお粗末)
 気づいた時は遅かりき
私のサイトも甘く見ていたのでしょう。岡庭一雄や熊谷時雄は、“自分が一番頭が良い” と思っていますからね。
 ところがどっこい来い、「逮捕されるかもしれない!?」という恐怖が現実のものに成るのでは?!
に、気づいたのです。(実際には私が直接叔父に知らせました)
 元の木阿弥
 熊谷時雄が月川の社長、逮捕されれば会社は否応なしに潰されます。しかし、払下げを受けておけば「逮捕」されても社長の座も会社も潰される事はない。(当然下平弁護士の知恵) 平成29年6月1日   
   
   そうは問屋がおろさない
 ですから方向転換をしたのです。「払い下げを受け付ける、その代り7,000万の金はその通り支払ってくれ」
 虫が良い
ふざけた話であります。 今まで好き放題にできたから、この様な出鱈目の上の出鱈目が、まだ通用すると思ったのでしょうが、そうは問屋を下ろさなかったのが熊谷村長であります。
 熊谷村長が事実を知った
月川旅館に国税局が入ったということは、岡庭村政では秘密裏にされてきましたし、聞こえていたにしても誰も口に出さない公然の秘密でありました。(権力を持てば何でも出来るのでしょうね。最も恐ろしいのは、不正に立ち向かう唯一の党、共産党が権力を持ったということです)
 国の補助金で建設したリフレッシュモデル事業、その内の宿泊施設で “脱税” をしていた。 これはとんでもない事でありましょうし、有ってはならない事です。(あっては成らないからこそ隠したのですが)
 熊谷村長の即決断
『株式会社野熊の庄月川との一切の契約を解除する。』 指定管理と委託管理の次元でない、犯罪を犯した会社が国の施設を経営するのはあり得ない事!
 熊谷村長で無かったとしても当然そうしなければ成らない、ですからそうしただけであります。平成29年6月3日  
  
   熊谷村長には抵抗できない
 高坂和男議長がお粗末なところは、月川旅館の管理者不適とした熊谷村長の決定が、「村長の専権事項」であると知らないことと、その根本が月川旅館管理者であった株式会社野熊の庄月川の犯罪であると理解できなかったことであります。
 村長を呼びつける時雄のやり方
常識で考えても分かりそうなものです。 時雄や叔父が「納得いかない」として、原憲司党員まで呼び寄せ取り巻きと一緒になって村長を責めつける。その様なあってはならないところに議長である高坂議員が同席し、彼らと同じ考えで村長に翻意を促がす。
 考えられないでしょ!
議長が?? 熊谷村長は時雄や叔父に呼びつけられそこに出向いたのは、“説明責任” であって、話し合いをすることではない。だからしてその場所に高坂議長がいたことに驚いているのであります。
 このままでは犯罪
村長は、(議長の行為は犯罪)として認識したと思います。 だからこそ、その様になっては大変だとして、議会で採決する議長の進め方を了解しているのでありましょう。     平成29年6月5日  
  
   臨時議会の開催
 議長が翻意を促がして、それも利害関係の当事者や共産党員の意向に沿ってその様な行為をすること自体があってはならない事であるが、どうも、岡庭共産党には “普通のこと”、“これが民主主義な” なんでありましょう。
 全体協議会
臨時議会で採決するかどうかを全体協議会で議論しているが、その場で正当な意見を言えたのは、どうも新人議員の一人か二人と二期目の女性議員だけであったようです。それは「臨時議会で採決するに値しないこと」まさしく正論です。
高坂議長以下岡庭派の議員はそのレベルに無いことも事実ですが、それ以外の議員も感情的な言い合いであったような気がします。
 採決の結果
6対5で可決され、それで治まる様に思えましたが時雄君や叔父はあごの食い違いであったとみえ、またまた馬鹿な行動に出たのが、コミュニティー館で開催された議員説明会です。
(私見ですが、臨時議会で否決されたほうが良かったと思います。否決されれば村長はおそらく議会を解散したでしょう。専権事項を否決されれば村民に問うしかありませんからね)
 馬鹿を続ける高坂議長
ここまで来ますと馬鹿を通り越し “精神異常” です。 このとき、高坂和男の議長不信任が提出されるのが通常の議会であります。しかしながら、その事を心に秘め、とにかく「正常な議会運営」を強く望んでいたのが林清子議員と吉川優議員の二人だけでありました。         平成29年6月7日 
  
   どこまでも馬鹿な奴ら
 コミュニティー館で開かれた議員説明会は何だったのでしょうか?
どちら側の議員のやり取りも、感情論にしか聞こえなかったのは私だけでなかったと思います。
時雄君特有の “仕返し” でありましたが、そこで動く彼らの様を見ていると滑稽でもありました。 南信州は一面でそのことを報道しましたが、それは実況中継であり、もどかしくも在ると関係者は見ていたのではないでしょうか。
 一つに、「この記事はなんだ?」「この内容で一面か?」は、南信州の意図する所であったかはともかくも、憶測は宣伝につながることも事実ではあるまいか。
はたして信濃毎日や朝日は、この件に関してはノーコメントの立場であるように見えますが、実はそうではないんですね。(その辺の事は追々に・・)  
  
   村民の眼を背ける
 この議員説明会について、熊谷村長の見解を聞かれた方はおられるでしょうか?
月川旅館の一連の騒動は、外野での騒ぎとしている訳はここにあります。 まず、私が起こした一件ではないという事、次に、熊谷村長が村長の立場で決定した「脱税した会社に国の補助金施設の経営は出来ない」とした事実です。
 悪童たちの空騒ぎ
子供のけんかであります。それも親の出る幕でもない紙芝居でありましょう。(岡庭共産党には民主主義であるそうですが) 高坂議長は直前で「お腹が痛い」として入院したようですが、住民は「仮病だよ、逃げたんだよ」と、その時点から言っていましたね。(実際は胆石で二度目だそうですが、注射を打てば回復しますからやはり逃げたのでしょうね)
 熊谷村長の見解は、職員皆さんが分かっていますよ。ですから職員は “冷静” であったでしょ。平成29年6月9日   
  
   何から目を背けたかったのか
 そこには犯罪があります。それは当然のごとく、岡庭一雄・熊谷時雄・渋谷秀逸の犯罪です。
そもそも熊谷時雄をなぜ月川旅館経営会社(株式会社野熊の庄月川)の社長としたのか? であります。時雄は15年前、自ら月川の株主役員を辞めた人間です。熊谷智徳さんも「そんな馬鹿な、それはおかしい」と、それを知った時(社長としたこと)声を上げています。
 叔父は、「月川を村の施設のままで改築改修をやるには時雄以外にいない。時雄しか村と交渉できる者はいない」と表むきには言っています。また、ひるがみの森の社長をやっていた経験があるとも。
 まあ、こじ付けても此処までですが、それが案外的を射ているものでもあります。   
   
   事実関係
 熊谷村長が、「国税局に入られ追徴課税を受けた過去が有った」として委託管理者も解除しましたが、この国税局に入られた事が第二の不正・犯罪の起点なので有ります。
 国税局摘発は結果でなく経過
国税局に入られ追徴課税が有ったという事は脱税でありますので犯罪と成ります。 初犯で有りますから、軽くても “始末書” を書くことに成ります。
民間で税務署に入られた経験がある経営者は、この辺の事は良くお分かりだと思います。 始末書は「二度としません」という念書でありますから、文字通りな受け止めでしょう。  平成29年6月11日   
   
   公は始末書で通用するか
 民間においても国税局に入られるということはなかなか聞いたことがありませんし、税務署と違い国税局ですから、「それ以外の何かが?」と、勘ぐるのはえてしてどなたも思うところでは有りませんか?
月川旅館にも当然 “それ以外” の何かが有ったからですが、国の査察ですから滅多なことは言えません。 
   この時、月川旅館の委託管理者は “始末書” を書いているのでしょうか?
始末書の存在有無が今後の展開に大きく左右すると思いませんか?  
  
   この様に書きますと、もうお気づきになられた方が居られると思います。
 整理すると
国庫補助事業であるリフレッシュモデル事業(野熊の庄月川・パークランド・門前屋)において、簡易宿泊施設の委託管理を受ける組織として「園原の里開発株式会社」資本金1,000万円を設立した。
設立株主は、渋谷秀逸・熊谷智徳・熊谷時雄・熊谷成美(章文の母)、一律250万円の出資
簡易宿泊施設の名称を、野熊の庄月川と決め、代表取締役渋谷秀逸・専務取締役熊谷時雄・取締役支配人熊谷智徳・監査役熊谷成美
 この様に法務局には登記されていた。(国税局に入られる前まで)       平成29年6月13日
   
   熊谷村長は、「株式会社野熊の庄月川」の委託管理(指定管理者)を解除した。  
  
   熊谷村長は、「園原の里開発株式会社」の委託管理(指定管理者)を解除したのではありません。
どういう事でしょう? 違う会社ではありませんか?!
 野熊の庄月川という旅館の委託管理者は、12年前にはすでに園原の里開発株式会社から株式会社野熊の庄月川へと、違う会社に移っていたのであります。  
  
   なぜ変わっていたのか?
 その答えはとても簡単であります。熊谷村長の判断と同じ理由が、その時に有ったからであります。
 国税局に入られ脱税が判明したのですから、「そのような会社と委託管理契約の継続が出来ない」とされたわけであります。
 苦肉の策
園原の里株式会社で脱税したのですから委託管理契約は解除されている。そこで考えられたのが、「新たな会社と委託契約を新たに結ぶ』とされたのです。
 それには理由が必要
まず最初に考えたことは、「国税局に入られたことを隠す」100万円でも1,000万円でも追徴課税が幾らであってもそんな事は問題では無かったでしょう。(実際は1,000万円以上ですが)
 岡庭と時雄と叔父が手を打った
これは園原の里株式会社に対してどうのこうのと考えていたわけでなく、叔父が社長のままで、いかに被害を少なくして今まで通りやっていけるのかを考えていただけであります。     平成29年6月15日   
  
   国を騙す
 「会社を変えるしかない」との提案は岡庭村長からであったと思います。何故かといいますと、叔父にはその様な頭が無いからです。
この時すでに熊谷時雄は園原の里開発株式会社から一切の手を引いており、また議員でもありましたから叔父にも入れ知恵をしています。
 騙し続ける
その時、叔父が抱えている問題はそれだけではありませんでした。
15年以上脱税してきた金の殆んどを着服していましたので、二人の役員(熊谷智徳と私)に説明しようがありませんでした。
 どうしたものか? の相談こそが、熊谷時雄と二人だけの密談であり、馬鹿げた言い分けを私たちに伝えたのです。   
   
   減資をする
 税理士に「社長交代を迫られた」年の翌年から決算報告をしていませんから税務署に入られる事は叔父には分っていたと思います。
その翌年に国税局に入られても、その事で役員会を開いていません。 何もかも内密に進めていたようです。
 国税局に入られたの?
叔父の脱税と横領は以前から分っておりましたので、税理士から社長交代を告げられても(もしかしたら税理士を変えるのではないか?)の疑問を持ったくらいで有ります。
税務署に入られたんだって?  「ああ・・」 幾らとられたの? 「ちょうど大台一本くらい・・」
そう、大丈夫かな  「ああ、何とかなる。大丈夫だ・・」 私の方が気を使いました。   
   
   国を10年以上に渡って騙してきたのですから、この事は大罪の何ものでもないかと思います。
熊谷村長は即決しましたが、国は、これでも黙って見過ごすのでしょうか?     平成29年6月17日   
   
   知らないうちに
 株式会社野熊の庄月川と云う会社になった。  残念ながら、この事は10年間知らされていませんでした。
 叔父も社会に出た経験がありません。熊谷時雄もまったくそうであります。人に使われたことがないので上下関係が存在しない、営業や技術端で働いたことがないと、会社という組織のあり方が理解できません。
 減資なんて出来るはずがない
黒字であるから脱税するのであって、借金がないから自分の懐に入れるのであります。
どの税理士に聞いても金融機関に確認しても、黒字で減資ということはありえません。
 制度資金
信用金庫駒場支店を窓口に制度資金を受けています。ですから、減資が仮に出来るとした場合でも信用金庫はダメ出しをするでしょう。
この様なことを知らないのですから、いかに社会経験が無いかが分かります。
 減資をなぜ言い出したのか?
これもまたお粗末な話でありまして、時雄君はヘブンズの減資の一件を思い出したのでしょう。
ヘブンズが経営困難と成ったとき、減資をしてそれを乗り切ろうと対策しました。 減資であってもそれに見合う赤字の穴埋めは成されなくてはなりません。 この時、吉川建設の吉川社長とコクサイの石田社長はそれぞれ5億円を入れています。
 二人にはそう言えば良い
かくしてそれは告げられたのか? 「そのようなことを考えている」と、叔父は熊谷智徳さんには話したた様ではありますが、何せ役員会も何も開いていないから、何も知らないのでありました。  
  
   この様な二人だからこそ、「人の金も自分のもの」と判断してしまい、今回のような犯罪をいくつも起こしてしまったのです。                           平成29年6月19日  
  
   脱税は続いていた
 「起業も経営も税との戦いである」 税金さえなければ何でもうまくいく! と、考える人達はとても多いでしょうし、如何に課税を少なくするかと常に考えているものであります。
 常識論
税金を如何に少なくするか! とは考えても、税金を払わないようにしましょうと考える人は殆んどいないのではないでしょうか。 ですが、そういう人達も中にはいるんですね。
 税法も法律でありますから、法律を知らなくても守らなくてはならず、「税法を守りましょう」と意識しなくても「これはやれない」「これは出来ない」と判断することは “良識” の範囲でありますから、それが脱税とならないのでありましょう。
 個人経営者であって申告漏れが仮にあったにしても、それは “良識” の判断範囲での間違いであったとされるから “始末書” で済まされるのであります。
 確信犯と税理士事務所
会社であれば税理士に委託します。または会計事務所にお願いしている所もあるでしょう。
税理士や会計事務所にお願いしている会社に税務署が入り、「脱税が有った」とされたなら、税理士や会計士の信用性は失墜します。 (園原の里開発株式会社は税理士です)        平成29年6月21日 
   
   「国税局に入られ脱税で追徴課税された」、「国庫補助施設の委託管理会社が摘発された」   
     
よくよく読んでください。税理士の信用失墜なんてどうでも良いくらいの「大変な事実」でありましょう。
この事実が岡庭一雄前村長によって隠され、株式会社野熊の庄月川として “指定管理者” に認定されて続けられてきました。  
  
   詐欺犯罪
 熊谷村長は、「月川旅館施設の指定管理者、株式会社野熊の庄月川が国税局によって脱税が判明し追徴課税されていたことが判明した」、有り得ない事実が判明したとして株式会社野熊の庄月川の管理を解除したのであります。
 株式会社野熊の庄月川は、管理を解除されただけで済むのでしょうか?
議会議員の誰もが、「その事実を見ていない」のでありました。 ことは、「指定管理者を解除するとは何事だ!」に、移ったわけでもない。
 簡単に言えば、株式会社野熊の庄月川の社長である熊谷時雄が月川旅館の経営ができなくなった事であります。 しかし、時雄や叔父の言い方はそうではなかった。
 「指定管理を外すとは何事だ!」
このことを臨時議会で諮ったのである。  村民からみれば ? なこと 「村の施設の管理において脱税していたとは何事だ!」 なのであります。
 村長の専権事項も何のその
高坂議長が議長にあるまじき行為をしても、村長の専権事項で執行されていても、そんな事にお構いなく議会において賛否の採決をした。
 それでも飽き足らず
可決されても時雄の指示に従い高坂議長は議員説明会に持ち込んだ。 そこで何をしたのかと言えば、賛成反対を言い合うだけの感情論でありました。                 平成29年6月23日  
  
   いい加減にせよ!
 余りの見っとも無さに気づいたのが良識ある共産党員だという。 そこで収めて体裁を作ってあげたようだが、個人攻撃で輪をかけたと聞いた。
 もう始末に終えない
頑として動かなかったのは村長であり、そこに触れられない怖さは分かっていたようである。
 脱税が犯罪で有ることは誰もがわかっていることではないか。 犯罪では有るが国税局が告訴しなかっただけの事、それの判断は住民がかかわることでもない。が、しかし、そこに新たな疑惑が生じたとするならば、村長もまた、「それを明らかとする」ことは成さねば成らないのである。  
  
   6月22日の南信州の紙面によれば、熊谷村長は「投げ出す事はできない」として続投の意思を示したという。
この「投げ出す事はできない」の発言であるが、今、それが阿智村では取り沙汰されていると言う。
 村民の知る所
日本一の星空も観光村としての情報発信も十分にその成果は出ており、今現在も進行継続の状況である。
そこには投げ出すような施策は存在していない。 で、有るからして「何を投げ出さないのか?」 なのが取り沙汰されていることだと言う。                     平成29年6月25日   
   
   気づいていただきたい
 脱税をした会社は園原の里開発株式会社渋谷秀逸社長です。その脱税したほとんどのお金を着服しています。  
  
   この様なことは議会では行えることではない
 月川の指定管理については議会も二年前から取り組んできています。
熊谷村長は「この様に決められている」という岡庭一雄前村長の意向に疑問を持ちながらも、施設の払い下げを進めてきた。
 欲が強すぎる叔父と時雄
“欲が強い”  この言葉に全てのことが集約されているのではないでしょうか。
「払い下げを受ければ1,000万円の取得税が掛かる」 この理由において払い下げを拒否したことから今回のことが始まりました。
私は過去の脱税と叔父の横領、指定管理者制度を取り入れた経緯が不正であると知っておりました。
 岡庭村長が決めていた路線
議員たちも岡庭村長と決めていたことだとして払い下げの方針を受け止めており、熊谷村長と同席の上幾度となく話し合いの場を設けていました。
 岡庭村政負の置き土産
何でも思い通りにできた(全て不正ですが)二人でありましたから、この様な無理もまかり通るとしていたのでしょうが、このサイトで次々と明らかにされる不正と犯罪が知れ渡るにいたってはさすがに危機感を感じたと見え、早々と方向転換をしたようであります。
 払い下げをせよ!
この時すでに熊谷村長は事実を掌握していたのではないか。
あれほど強固に指定管理者の継続を言っていたのに、それもすんなりと「払い下げでよい」「払い下げを受けるから施設の改修工事を村の金でやれ」に突然変わってしまったのです。
 汚い人
前段に書いたとおり、熊谷村長は決断した。 その決断に異を唱えたのがなんと高坂和男議長であります。
 信じられないが本当
信じられないでしょう? 「そんな馬鹿なことはいくらなんでも出来ない」 この様に声を出していたのは、事実を知っている一般村民でありました。
こんな事は議会で諮る事ではないとして声を上げた議員はたったの二人、林清子議員と吉川優議員だけでありました。
岡庭一雄の取り巻き議員とそうではないと言う自称議員は、ただ単に “個人的な考え” で “言い合い” をしただけであります。                             平成29年6月27日  
  
   岡庭一雄前村長の不正と犯罪の一つ
 平成17年に株式会社野熊の庄月川を月川旅館の指定管理者としたことは不正で有ります。そして、その背景には犯罪が隠されています。  
  
   払い下げも何もない
 リフレッシュモデル事業において正常に払い下げが検討できる施設は、パーランドだけでありましょう。
月川旅館施設に関しては払い下げ云々の前に長い間村を騙してきた株式会社野熊の庄月川を告発しなければ成りません。
それだけでは有りません。平成17年からも脱税は続けられてきておりますので、それが明らかになれば刑事告訴もその対象となるでしょう。
 岡庭一雄は共犯者
脱税をした園原の里開発株式会社社長渋谷秀逸と組んで株式会社野熊の庄月川を発足させ、その会社を適用範囲外の指定管理者とさせた。
適用されない施設を指定管理者制度に当てはめるために無理やり公営施設鶴巻荘を指定管理者制度に取り入れ、その影で「月川旅館も同様」とした。(月川旅館が指定管理者制度と成ったことは株主にも知らされていなかった)
株式会社野熊の庄月川社長渋谷秀逸はその会社でも脱税は続けていた。       平成29年6月29日   
  
   確証と証拠
 彼等に反論が有るとすれば、「証拠はどこにある!」でしょうね。
確証は簡単なことではないでしょうか。熊谷村長が調べればすむことであります。
行政は全ての事実が書類として残されていますからね。   
   
『園原の里開発株式会社と株式会社野熊の庄月川は違う会社』 この事を理解していれば簡単な話し   
   
   先日の議員一般質問で原佐代子共産党議員と熊谷義文議員が「月川旅館の指定管理者を外した状況で営業を続けている。早急に払下げを進めるべき」 の様な事を質問していたが、全くもって馬鹿げた話である。この二人の議員がこの様な発言をする背景には、当然のこと熊谷時雄が糸を引いていることであり、そんな事は地元はもとより村中の関心ある人には分っていることでもある。
熊谷村長もこの程度の内容で質問され、苦笑いの一つでも出たのではないか。   
   払い下げが先行する事は出来ない
脱税と云う犯罪が、園原の里開発株式会社の社長である渋谷秀逸によって行われた。そこには横領も有るのは当然のこと。
脱税されたと思われる金額は横領した渋谷秀逸から園原の里開発株式会社に戻され、会社の会計報告修正のうえ追徴課税を支払っている。(ここで横領としないのは恐らく初犯で有るとしたからではないか)
 一般の会社で有ればそのまま継続する事は出来ますが、委託管理契約者が行政で有ればそれは不可能であります。   
   
   園原の里開発と野熊の庄月川は別会社で有りますから、仮に払下げを検討されるならその対象は園原の里株式会社と成ります。 それが法律で有ります。   
   
   村長は月川旅館払下げの話し合いをしようとしているのではない!
リフレッシュモデル事業で実施された三施設の払下げを検討しているのでありましょう。 しかし、現在において払い下げが実行できる状況にあるのはパークランドだけであるからして、今後の第三機関の状況を見極めなければならないのであります。                    平成29年7月1日  
  
   増築された施設は誰のものか
 熊谷時雄と渋谷秀逸は最後の巻き返しをしようと必死であると思いますが、もともと不正と犯罪からなる二人の言い分はかえって火に油を投じるがごとくでありましょう。
権利を主張すれば継続は可能と考え二人の議員に指図をしたのでしょうが、根拠がなければ権利は無いということであり、二人の議員は「何を根拠に質問したのか?」に成ることであろう。
 安易にな行動
権利が無しとされれば議会は二人の議員にそれなりの処分を出さなければ成らないだろうが、現状のお粗末な議会ではそれもないがしろにされることであろう。  
  
   法律的な根拠
 議会で月川旅館の払い下げについて質問しているが、それは払い下げるに相応な権利を有しているとの事が前提になければならないことであり、それの確認が成されていなければならない。
 そんな頭は二人には無い
叔父と時雄君が、「厨房棟と1階に増築された二部屋の増築は月川でやったものだ。村は金を出していない。それは俺達に権利がある
」と、まあ、そう言ったのであろう。
馬鹿でもあるまい、その程度で村長に質問してしまうところがお粗末のゆえんではないか。平成29年7月3日  
  
   法廷であれば偽証罪
 議員は自身の発言に責任を持たなければ成らない。
渋谷秀逸と熊谷時雄に厨房棟と増築された二部屋の所有権はあるのか?  
  
   まずは簡単な方から片付けましょう  熊谷時雄
 株式会社野熊の庄月川の社長であります。 株を有していない雇われ社長であります。
指定管理者を解除されなかった場合として考えても、何ら権利とされるものは存在していない。
園原の里開発株式会社の共同経営者でありましたが、国税局に入られる数年前に自ら手を引いている。
 以上のことから、厨房棟・増築された二部屋の実質的な所有を主張する事はできない。(例によって怒鳴っているだけではないか)
 渋谷秀逸
株式会社野熊の庄月川は平成18年から月川旅館の指定管理者を受け経営してきただけである。
また、園原の里開発株式会社と別会社であるからして施設の権利を主張するものは何も無い。  
  
   誤解するな
 平成18年から建物の修繕や設備の更新を行ってきていても、それが施設の所有に関する部分的な権利と成る事ない。施設を使用する権利は指定管理者契約に基づいて実行されていたが、解除されたのであれば今後この二人には何事においても関与する事はできない。
 通常であれば同義的な解釈は残されたかもしれないが、二人の今までの行動が余りにも世間からかけ離れていることは、感情的な同情の余地もないのではないか。  
  
   問題があるのは議員
 この様な判断は通常な議員であれば出来ていることであり、仮にそこまでの知識がなかったにしても議員個人で判断すべき内容では有りません。(原佐代子・熊谷義文議員は問題外)
議員個人で判断できないからこそ議会が在るわけでありますが、議長・副議長が彼ら二人の取り巻きとなって議会を混乱させてきたことは、阿智村の議会そのものが機能していなかった!ということではないでしょうか。                                平成29年7月5日   
   
   月川旅館施設の権利
 書類上ではどうなっているのでしょうか?
厨房棟と増築された二部屋は無登記であります。 たとえば、「この施設は村名義とするが、一切の所有権利は園原の里開発株式会社に在る」と書かれた書面は存在しているのでしょうか。
 口約束は無いのも同じ
行政業務はすべての事が書類によってなされています。ですから、書類が無ければ何にも無い。ということであります。
 そんな馬鹿なことがあるか!
叔父や時雄君はその様に怒鳴っているのではありませんか(笑)
その様に文句を言うのであれば、園原の里開発株式会社で登記すべきであったでしょう。 なぜ登記をしなかったのか?!といえば、登記すれば取得税はおろか、毎年不動産税が掛かる事であり、その負担を避けて村登記として税金が掛からぬようにしたのですから、言っている事はシッチャかメッチャカ ではないでしょうか。                                平成29年7月8日   
   
   月川温泉の源泉権利も阿智村
 井戸が温泉になった! 沸き立つ一方で岡庭一雄と時雄の欲が炸裂した!
今でもはっきりと覚えています。 耕地に宿泊施設を作りましたが当然水道は付設されておりません。
 井戸を掘って水源とする事は当初からの計画にありました。
「ご飯が美味しくない」「料理がおいしくない?」 その様な声がちらほらと出始めたころ、「そう言えばお茶もみそ汁も、何か味がいまいちだ」「水がおかしい、美味しくない」「何か混ざっている感じだ」
 お風呂は評判が良い
「お風呂はみんな良かったと、温まるから何か入っていますか?なんて聞かれた」「そう言えばぬるぬるしているじゃないか」「ああ、そうもよく言われるな」 「一度保健所に調べてもらうか」と成りました。
 成分温泉
保健所に検査された井戸水は「成分温泉」として認定され、温泉施設として新たに届け出を出しました。
 源泉の権利
ここで新たな問題が検討されました。「源泉の権利」であります。 通常なら地主の権利であり、井戸を掘った者の権利として進められるものであります。                平成29年7月9日   
   
   岡庭一雄と時雄の考えは独自過ぎ
 井戸が温泉に成る! なんてことは、宝の山を掘り当てた感じではないか!
これで月川旅館は温泉旅館としてその将来は約束されたも同じ事、何もない処で半ば冒険的に始めた宿泊施設、「ダメだったら四人そろって討ち死にだ!」
大げさかもしれないが、1億もの事業の受皿として始める覚悟は四人ともありました。
 何か違う?
この頃は、叔父も熊谷智徳氏も熊谷時雄君の本性に気づいていませんでした。
時雄君は普通の人と考え方が違いました。その考えは具体的にどうかとは言い難いですが、岡庭一雄と気が合うと言えば、分かってもらえそうな気がします。
 権利は誰にある!
さて、井戸が温泉となりまして県に温泉登録することになりました。そこで取りあげ出されたのが「源泉の権利者」であります。
一番の権利者は当然地主であります。その次は、井戸を掘削した者となります。
「地主に温泉だと伝われば当然権利が主張され、思うような展開に成らないのではないか?」と、この様な心配事を言い出したのが時雄君でありました。
地主は名古屋在住で地元にはいませんし、借地契約しているだけであります。
「温泉に成ったという事は隠しておいた方が良い」というのです。
 井戸掘削者
水源の確保は補助事業に含まれてはいませんでしたから、井戸掘削は園原の里開発株式会社で借り入れをした資金で賄いました。ですから、掘削者として権利がある事であり、地主と共同で申請しようと進めておりました。
 叔父に入れ知恵
「地主が温泉だと知ったら地代を上げてくるに違いない、もしかしたら旅館経営にも口出しされるかもしれない」
時雄君は、もともと叔父と二人で始めたという意識が強く、熊谷智徳氏は端からのけ者でありましたので叔父と話を決めてから役員会で話すだけでありました。             平成29年7月11日  
  
   村長名義にせよ
 役員会を開いたときにはすでに決まっておりました。叔父は淡々と「村長名にしたほうがよい」とだけであり、時雄君は「議長が操なんだから俺達の権利として申請すると邪魔をする。県の規定で他の源泉から500m以内において新たな源泉掘削は出来ない。昼神温泉からは離れているが、鹿の湯が同じように成分温泉として登録してある。操はそれを持ち出して500m以内じゃないか!とけん制している」
 岡庭一雄課長が同席
それは源泉掘削をする場合の保健所(県)の規定であり、井戸が温泉となったこととは関係ないのでは?
「それがそうじゃない。実は井戸の掘削の届出をしていなかった」と叔父が言う。
届出をしていない? 井戸の掘削の届出は書類をもらってきて渡したじゃん!
「ああ、それもそうだが飲用として届けてなかった」
そうなんだ。だから保健所は成分温泉と認めても「使用禁止」として封印したんだ。でも。それとこれとは違う話、操さが議長であっても申請者云々は関係ないこと、なぜそこまで気にしなくてはならないのか?
 操議長の言い分
月川旅館は国の補助金で造った施設、いわば村の施設である。そこで井戸が温泉になったとしても阿智村には昼神温泉がある。温泉旅館としてならとやかく言わないが、月川温泉郷として第二の阿智村の温泉地だとする考えならば、村の権利でなければおかしいじゃないか。
と、まあ、こんな感じの言い分だということでありました。            平成29年7月13日  
  
   一理有る
 「何も源泉がここから無くなる分けじゃないし村長名義にしても権利はみんなに有るわけだから、ここは議長に逆らわず通しておいた方が良い」と岡庭課長は言った。
「それに、村長の名義にするって言えば地主も権利を主張しようが無くなるんじゃないか」と時雄君が同調する。
 釈然としない
それでも、永久的なものだから一旦村長名にしたら村の権利と成ってしまう。黒柳村長で有れば理解はしてくれるかもしれないが村長は代わっていく、都度確認していくことなどは不可能と思う。一筆入れておくならともかくも、操さが議長の立場で云々言ったとしても議員は他にも居るわけだし、何もそこだけを気にして決める事ではないと思う。
 一瞬静まり返る
私がその様に言ったのは、岡庭課長と熊谷時雄君の動きが気になっていたからであります。
一番気に成ったのは、「源泉の権利を村長名にせよ」と言っているのは熊谷操議長でなかったからでありました。                                   平成29年7月15日  
   
   耳打ち
 熊谷操議長は単純であり、月川旅館が温泉旅館と成ることが面白くなくイチャモンをつけているだけでありました。
 人には姑息という時雄君
長い間時雄君の事を見てきましたが、この人ほど姑息な人は居ませんでした。
そもそも、姑息などという言葉は普段の生活の中には出てきません。 この耳慣れない言葉は時雄君本人が好んで使っていた言葉であります。(そう言えばと思い出す方いるでしょう)
 この様な考え方をすることを、人は “姑息” と言うのではありませんか?
源泉の権利を村長名にしてこの時何を乗り切ろうとしたのでしょうか。
熊谷操議長対策ですか? 地主の権利を無くすことでしょうか!?
 危機感
私にはハッキリとわかっておりました。
「村長名にしておいた方が良い」と、言い切る時雄君の立場であります。
 月川旅館では立場がない
熊谷智徳さんは昼神のホテル経営者、月川旅館を直接経営できないからこそ名前ばかしの支配人となってる。また、この宿泊施設受け入れに参加した理由の一つに月川旅館横の地主であることがあります。  
   ここが一番良い所
リフレッシュモデル事業の目玉は宿泊施設でありました。
都市との交流人口を増やすことが求められ都市型の設備が要求されていました。  平成29年7月17日  
  
   テニスコートを付帯させろ
 「都市との交流型施設であるからテニスコートは必須である。最低二面が確保できる場所を西地区で探せ、しかし情報は伏せてお前の考えの中でよい場所を選べ」 この様な指示は岡庭課長からありました。
 制限は容易い
結論を出すに当たり制限を与えられる事はかえってやり易い場合があります。
宿泊施設として場所を選べば「宿泊客が好むとされる条件」が場所選びの基準になります。 それまでの智里西は園原の歴史が全てでありましたので、おのずと建設場所も園原が中心となっていました。
 それは絶対に出来ない
園原には熊谷操が居る、それは絶対にあり得ない事
叔父にはその考えがまったく有りませんから場所選びは難航しておりました。
 私は決断していました。
現在の場所、ここしか考えていませんでした。ですから「宿泊施設の建設場所はここですよ」と岡庭課長に話しており、その場所に決めやすいようにとテニスコート附帯を決めているのです。
 岡庭課長は気を使っていた。
それもそうでしょう。熊谷操議員、叔父、この両雄を抱えようとしているのですから、どちらの言う事も聞かなければなりません。                          平成29年7月19日  
  
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   全てが岡庭一雄の作戦
 餌を蒔くことはした。どちらも納得させなければならない。
源泉の権利を阿智村長とすれば、「村長名にすれば秀逸さの権利に成る分けじゃない阿智村の権利だ」と熊谷操議長を納得させ、「村の名前にしとけば地主は権利を主張しない」と時雄君は叔父を言い含める。
 これであれば岡庭一雄は二人をまとめた事に成り、「岡庭課長の言う通りだ」と、熊谷操議長は上げた手が下しやすくなり、「地主が権利を主張されたら困る」と考えていた叔父を時雄君が納得させたことに成ります。
 時雄は秀逸と同じ考えだ
世間は、
二人はその様な関係であると見ておりました。
時雄君は村長に成る夢の中で村会議員は当然の事その目の前に有る目的で有りましたから、本谷財産区の代表議員に成るものとしてそのタイミングを計っておりましたが、叔父の考えがそこにないと感じ取っていたようでありました。                           平成29年7月21日   
   
   時雄君の立場
 私が時雄君の事を信用しなくなったきっかけはその頃で有りましたが、それにはある時雄君の言葉が気になったからであります。
 言おうか言わ舞いか
「章文はどう思う、この辺の川は1級河川だろう。支流についてもそうなっているんじゃないのか」 そうだけど、それは建設事務所で確認が出来るよ。
「青木屋の釣り堀はその河川から水を引っ張って来てるじゃないか。いや、俺は心配しているんだ。1級河川で有れば水なんか無断で引っ張ってくる事は出来ない。万が一誰かが言ったら大変なことに成る、そうは思わんか?」 そんな事は・・もう何年も続けているんだし、そんな事は許可受けているんじゃないの。それに、支流と言っても沢水はその地主に有るものだから声を掛けていると思うし。
「余分な話しかもしれんが、いやいい。気になったんで聞いただけだが」
 なぜこんな話しをする必要があるのかと一瞬戸惑いましたが、それは直ぐに「この人はやはりこう言う人だった」との確証を得た様な気がしました。                 平成29年7月23
日  
  
   コンパニオンの社長
 時雄君は人材派遣業として会社を設立しましたが、実際は温泉コンパニオンでありました。
これから議員になろうとする人が、コンパニオンの社長では余り聞こえが良くないと思ったのでありましょうが、月川旅館を四人で始めて専務職になったとしても実際は叔父が社長でしたから「何にも専務」では肩書きとなりません。また、経営的にも叔父一人で全てをやっていましたので実質的な実入りもありませんでした。
 収入が無い・立場も無い
その頃、ホテル阿智川の山口会長が昼神温泉の川向こうに掘った温泉源泉を元に、レジャー型宿泊施設の建設計画が始まっておりました。
時雄君はその事業に目をつけ、そこでのし上ろうと決心したのでありました。
 カフェあひるの店主
昼神温泉の川向こうの開発は山口会長が進める事は当然でありましたが、あひるの店主と水上宗光阿智村役場職員の土地が多くあり、この二人が中心となってその宿泊施設の建設計画が始まりました。
 岡庭が窓口
共産党員として水上宗光氏と岡庭一雄氏はつながっておりましたし、時雄君もその仲間とすればそれは容易いことでありましたが、一番の障害があひるの店主ではなかったのかと思います。 平成29年7月25日  
  
   不和共音
 現在のひるがみの森温泉旅館であります。
水上宗光職員とあひる店主二人の土地を基にしても、この二人では資金力がありません。 ホテル阿智川山口会長ならば、建設工事を条件に八十二であれ、信金であれ何の問題も無く話はまとまったでしょうが、(実際に進められていた)ここで待ったをかけたのは他ならぬ岡庭一雄課長でありました。
 山口を訴える
川向こうの温泉掘削について山口会長を訴えると公言していた岡庭一雄は、山口会長が後ろ盾では許す事はできない。水上宗光職員に「俺がコクサイの石田さんを紹介する。あの人なら八十二はすぐ貸してくれる。任せて置け」と伝えている。
 山口会長は手を引かない
投資事業として源泉を掘り当て、それにおいて川向こうの開発を目論んでいた山口氏は、度重なる岡庭一雄の妨害において昼神温泉二号井として集中管理方式とせざるを得なくなっていました。
その上、実質的な開発事業(建設工事)にまで介入されたとなれば「冗談じゃない!」と成るのは目に見えておりました。
 そこに目をつけた時雄君
「岡庭には俺が話をつける」とでも山口会長に言ったのではないでしょうか。 何故ならば、時雄君はコクサイの石田社長が大嫌いであったからであります。              平成29年7月27日  
  
   岡庭一雄と山口会長  熊谷時雄と石田社長
 犬猿の仲とでも言いましょうか、実際はお金がらみですからもう少し醜い状況であったかと推察いたします。
 山口会長の弱い所
吉川建設の吉川光圀社長とコクサイの石田社長、二人が中心となって第三セクター阿智総合開発株式会社が設立され、昼神温泉開発やロープウェー、TV局と総合的な開発事業がスタートしている現状ではどうしても分が悪い。その上、岡庭課長が目の敵として刃向かっている。
 浮いている時雄君
親の遺産が有るだけの時雄君、この人には何も力が無い。力が無いからこそ私や叔父に近寄ってメジャーデビューしようとしている矢先でありました。
黒柳村長から相手にされない月川旅館の何にも専務は、ひるがみの森温泉施設建設に将来をかけたのでありますが、ここでも居場所は有りませんでした。
 もめるほど動きやすい
時雄君にとっては「待ってました」の心境であり、あとは例によって口から出まかせの処世術であります。 「山口さん、俺が岡庭と話をつける」と山口会長を抑え、「コクサイの石田が乗り出してきた」と言ってけん制する。                              平成29年7月29日
(ひるがみの森も石田さんが面倒を見るようになったと資料を渡された経過があります)  
  
   岡庭一雄の勝ち
 結果的な話しでありますが、ひるがみの森温泉施設建設の話しは岡庭一雄課長の口先だけの話しでありましたから、岡庭一雄課長の手の上で関係者が踊らされていただけでありました。
 常識で考えれば分かります
第三セクターで始まっている総合開発において、民間の、それも単なる温泉旅館を計画の一端に加えることなどできるはずがありません。
それをあたかも取り組んでいると見せかければ、山口会長からイニシアチブを取り戻せると踏んだ作戦であった事は、他ならぬ山口会長自身がすでに気づいておりました。
 手を引く会長
実際には手を引くなどではなく、信金から融資を受ける保証人となって建設工事をするよりか、単に建設工事の権利だけで実施した方がはるかに危険性が少ないと、「馬鹿なやつら」と腹で笑っていただけであります。
 石田さんに何も力はない
八十二銀行は融資をしない、石田さんは信金に口は無い。誰が好き好んで危ない橋が渡れるのか
イニシアチブは岡庭に渡ったが、かといって一介の課長が信金に渡りをつけられることではない。
岡庭は必死になって第三セクターを前面に出した。
 信金が付く
信金は第三セクター指定金融機関(八十二銀行も)としてすでに入り込んでいたのにあわせ、担保があれば貸し出す金庫でありますから、断る理由が無かったのであります。        平成29年7月31日  
  
   信金の誤算
 本音を書けば、「ホテル阿智川が保証人であってほしい」でありました。
その頃のホテル阿智川は優良企業であり、温泉旅館としても全国1位を謳っておりましたからね。
八十二でも言っておりました。「取引したい、それはしたいですよ」とね
 山口さんが保証すれば信金にとっては一番の事、それが岡庭一雄課長がしゃしゃり出て、「昼神温泉全体の開発は第三セクターの開発と同じとして何とか融資願いたい」とやったもんですからね、石田さんが乗り込んでもこの人は八十二、信金としては吉川建設がせめて裏についてほしいが本音であったことでしょう。
 はたしてそれは達成された
たしか、総事業費は5億円くらいだと思いました。 ウォータースライダー付きの温泉ホテルとして、それはそれは、鳴り物入りで始まったのでありました。
 雲行き・・加減
鳴り物は「ゴロゴロ~」であったのかな?  そのせいで2.3年もした頃には雲行きはあやしくなりました。                                   平成29年8月2日  
  
   つぶれるぞ!
 「どうもえらいようだ」 叔父がこの様に言い出す頃には、世間は「ひる森があぶないってよ」に変わっておりました。
 確執
ひるがみの森の経営中心はあひるの店主と水上宗光役場職員でありました。社長はあひるの店主が務めておりまして、単なる株主扱いの時雄君が面白いはずありません。
水上宗光職員とは岡庭一雄を通して疎通しておりましたので、都度下打ち合わせをして総会に臨んでいたものです。
 経営悪化は社長の責任
どこの会社もそれは当然のことでありますが、責任を取るのと、取らせるのとでは、まったく違う意味を持つのではないでしょうか。
すでにこの時点では、あひるの店主は邪魔な存在とされていたのです。時雄君に。   
   
   智里東農事組合との関連
その頃の智里東農事組合はと言いますと、岡庭一雄の手厚い指導で村の金をかなり入れ込みサブ的手助してきておりましたが、経営破綻は目の先でありました。
もうもう館(国庫補助施設)の失敗は目を覆うばかし、智里東農事組合長である小松氏は行き場を失っておりました。(5億~8億の負債を岡庭村長は村全体予算の中で溶かしている)
水上宗光氏は農事組合の中心的な立場でしたので、負債責任を抱えていたはずである。平成29年8月4日 
  
   社長解任動議
 建設地の提供は占有というという面で確かに主流と考えてしまうが、この様な事業を始めるにあたり、それは横において考えるのが通常である。なぜかと言えば、賃貸にせよ売買にせよ契約が伴うからであります。
いわば、その事業とは全く別の権利があるということで、それが事業の経営に関しては何も関連がない事である。
 時雄君の考え方
社会経験のない時雄君にとって、そのような振り分け感覚は持ち合わせていなかったと考えれば、金融機関(信金)から事業融資を受けるところにおいては必要以上に後ろに下がっていたに違いない。(この辺、水上宗光氏は承知していると思う)
「俺は保証人に成らない」と考えていれば、土地を提供する二名が中心と成らなければ成らないし、二人が最高位の責任株主であるとしているはずである。
周りの感覚は当然水上宗光氏であったろうが、職員であればそれは出来ない事、その辺を承知しているからこ水上氏の奥さんを名前だけの株主にしておいて、「小松氏を社長に」と、少なくとも岡庭一雄や時雄君は考えていたはずであります。                     平成29年8月6日  
  
   責任を取らせるための人事・責任を取らないための立場
 あひるの店主を社長としても、彼にはあひるの経営がある。だとすれば現場は誰が責任を持つのか?
時雄君の目的はまさしくここであります。
あひるの店主でも小松農事組合長でも「名ばかりの社長」はどうでも良い事で、実権を握るにはどうしても現場での采配が出来ない事にはどうにもなりません。
 もう一つの目的
村会議員と成る事です。議員に立候補するにはコスモスなどというコンパニオンの社長では聞こえが悪い。ここはどうしても肩書きが必要でありました。
 願ったりかなったり
専務として旅館ひるがみの森の実質経営者となり経営の実権を握る。
 名ばかりの社長であればわずかな報酬で済むことであり、専務として現場で出れば最高額の報酬を受け取る事ができる。
これであれば一二年で出資額は回収出来ると言うものです。
(この話し、事実かどうか水上宗光氏に聞いてみてください。彼が一番知っていますよ)平成29年8月8日  
  
   もう一つのたくらみ
 旅館ひるがみの森専務として昼神温泉の代表として選挙を打てる。
金銭欲の次には名誉欲である。 名誉というものは目に見えるものでなく具わるものではないか。
村会議員がそれに充とするのは個人それぞれの考えであるからして何とも答えようがないが、一昔前の村会議員はそうであったかとおもう。
 名の在る家が村主であったように、もともと具わったものである限り成り上がり的な考えを自身で持ってしまう人たちにとってはそれが欲と成ってしまうものだろう。
 時雄君が昼神温泉代表として阿智川の山口会長をバックにつけ村会議員に成るくだりは以前に書いたから省略するが、見事にも時雄君の思い(欲)は成就したのでありました。  
  
   つぶれかかったひるがみの森
 過剰投資であることが目に見えていたからこそ金融機関は下がったのであるが、阿智第三セクターと併用されるような働きかけの結果において事業を始めることが出来た。
 数年で資金繰りが滞る
金融機関が目に見えていたことはその通りと成るもので、結果において傍から勝手を言えば、金融機関の思うところではなかったのか。な
 待っていましたのは時雄君
それまでの時雄君は立場が無くありました。
代表取締役があひるの店主で株主総会では水上宗光氏と発言力(同等の権利)は二分していたからで、時雄君は謀略的に眺めていただけであったからであります。          平成29年8月10日  
  
   時雄君の資金力
 時雄君の金銭に関する考え方は通常の人とは全くと言ってよいほど違います。父親が金融業をしていたからと言ってその様な考えなのか?としてもそうではない。一般の人には理解できないでしょう。
 父親の金融業はそれこそ父親が築き上げたもの、時雄君は相続しただけであります。
何の苦労もしてなく、学生時代から反社会的な活動を続けていただけでしたから “汗を流す” と言う事を経験していません。
汗水流し働いて収入を得れば、それはケチと言うのでなくお金を大切にする心構えでしょう。
それが無い時雄君はどんな形でも手にする金は自分のものと考えてしまい、はたまた、どの様にしたら金を引き寄せることが出来るのかと、働く前に策ばかしを考えるのだと思います。
 父親の財産
金融機関は更なる担保が無ければ動こうともしないのは当たり前であり、10億もの貸し出しで有ればそれは相当な物(ブツ)が必要になりましょう。
時雄君は幾つかの不動産を相続していました。それを担保提供することにおいて不動の位置を手に入れようと考えたと思います。                          平成29年8月12日   
   
   信じられない
相続財産である不動産をひるがみの森のために担保に入れる? あの時雄君が?   
   
   再建
 ひるがみの森の状況はかなり大変であった様です。 「月川から手を引きたい」として叔父に相談が有ったようで「相続したものの殆んど入れ込んだようだ」との話しでした。
その時の月川旅館の株充当金は四人同じで500万円でしたが、叔父は「株はとりあえず○○(時雄君の姉)の名義に書き換えてやった」と言っておりました。 あ、そうそう、こんな話しもしていましたね。「俺にもひるがみの森に出資してくれと言ってきたけど、ああ俺はそこまでは無理だと言ったが、かなりえらいようだぞ」ってね。   
   
   再建の条件
 見合った担保は当然かもしれないが、再建で有れば経営方針の見直しは当然のこと、また役員は責任を取るのも当たり前である。
時雄君が大型担保を入れるとなればそれらの事には当然手を打っていたことで有るし、役員交代こそが時雄君のもっとも必要としたことで有りました。
 魔女狩り
あひるの店主が社長であれば、何処の会社も社長が責任取るのは当たり前、たとえそれが誰かさんの意図と分っていてもそうなるしかない分けで有りました。
 担保物件
時雄君の不動産は優良賃貸物件で、すでに10年先まで契約は出来ている。金融機関としてもそれなりの評価は出来たと思います。ただ、10億の資金繰りに間尺が合うかと言えばそれは心細い事もたしかであったかと。                                 平成29年8月14日   
   
   株主募集
 これはかなり大ぴらに進められました。
追加株主において資本金を増額するとして募集が始まりました。 しかし、傾いた経営に色気を持つ者は居りません。一番の頼みは岡庭一雄を頼ってのコクサイの石田さんで有ったでしょうが、この人が振り向くはずもなく、社長の座を餌に恥も外聞もなく走り回ったようでした。
 逃げる者ばかし
ホテル阿智川の山口会長には今さら話しを持っていけませんが、施工した原建設の会長としては出来る事とし頭を下げた様であります。
設計者にも出資を頼んだようであるが、無理な話しであった事と平沢社長は言っておりました。
 現れた大口出資者
この人は時雄君の同年であり、主義も同じであったのでしょう。また、工事の下請けをしていますから立場上も有ったのでしょう。この人が救いの神と成ったのです。
この人は当初から時雄君の申し入れに、ある程度までとして受けていたと思います。しかし、思うように集まらない為に大口が再度申し入れられたようです。               平成29年8月16日   
   
   時雄君の経営
 大口担保も時雄君、大口出資者も時雄君の顔となれば、誰が文句を言えようか
この様にして時雄君は名実ともにひるがみの森の実質経営者となったのです。
 周りが気づかないこと
人に使われた事の無い者が、何の仕事も経験が無い者が、どうして経営が出来ようか。
 時雄君の時雄君による時雄君のためのひるがみの森  結果は火を見るより明らかでありました。
 ベースキャンプ
時雄君はとっても用意周到な人であります。
地元に足場が無いと知ったとき、活路を開くにはどうしたらよいか 邪魔者はどうやって消し去ろうか
村会議員として世に出るには、昼神温泉の代表に成るしかないと見えていたのでしょう。
 ものには順番がある
それが嫌と言うほど味わったのが、本谷財産区でありました。 社会を知らない者が財産区が何たるかを知る由はありません。地盤が無い者は新たな地番を作るしかありませんでした。   平成29年8月18日  
  
   昼神部落だって順番がある
 しかし、昼神はすでに昼神温泉となっており、お家だの人物などとは言えない状況でありました。
昼神部落が表に出ない事は時雄君にとっては願っても無いこと、「それであれば」を引き出せた事に成り「それであれば・・温泉組合から出さねば成らない」と動き回れるのでありました。
 根回しが通用しない
時雄君が議員に成りたいとの腹は、昼神においても見え見えで有りました。
西地区であれば周りが周りで有りますから簡単な根回しでも通用しますが、昼神部落や温泉組合であればそれはとうに見透かされており、動けば動くほど時雄君の名前は上がらないものとなりました。
 上げた狼煙
時雄君の姑息なところは相変わらずで、芽が無いと知ればそこで方向を簡単に変えてしまう。
時雄君が担ぐのが、「思い通りに成る人」 はたしてその通りであったかは分らないが、たった一期で辞めたのであるからしてその程度の人であったのだろう。              平成29年8月20日   
   
   今は無い温泉旅館
その人は社会党で有りました。 時雄君の言う事を聞くというよりは、聞かせる! であったかと
 担ぎ出した後は評判を落とす
確かに議員としての素質はと言いますと、ちょっとなあ と首をかしげる人は多かった。
どっち付かずであればまだしも、熊谷操議長派に付くのは致し方ないことでありました。
時雄君は二番煎じを見越していましたので、けして裏方に回ることではなく、その議員の批判は臆面も無く口にしていたようであります。
 果たしてその通りに
旅館の経営も苦しかったので建前はありましたが、やはり一期は当人も心残りであったと思います。
 恥も外聞も無い
そんな常人の考えは持ち合わせていません。 「さあ今度こそは俺だ!」
血気盛んでありましたよ。 一番最初に話をつけたのが「山口会長お願いします」でしたからね。
 操氏を上回る
70数票はホテル阿智側か回したと聞きました。(山口会長本人が言ってたようです)
その甲斐あって操氏に大差をつけて見事当選いたしました。           平成29年8月22日  
  
   金と権力
 時雄君の生い立ちを書き出すつもりはありません。策略の中であったにしても、どう生きようがそれは私なんかがとやかく言うことでもありません。 
 公人
時雄君はこの時点で公人となりました。 時雄君はこの時点から「村民に説明する責任」を負ったのであります。
 公人であれば、住民のためにこそ働くのが務めでありましょう。
彼は何か一つでも住民のために働いたのでしょうか? 公の成果は上げられたのでしょうか?
何もしなくともそれはそれで良いと思いますし、騒ぎ立てることもいたしません。
 何に疑問を抱くのか?!
それは至って明白であります。 「悪いことをやってきた!」 からであります。公人として悪いことをした。それ以外にありません。
 古くから知っている人で有りますから、野にいて何をやったにしても忠告や意見で済みました。
しかし公人であれば、それは最早目をつぶることではありません。        平成29年8月24日  
  
   ひるがみの森社長交代
 この人の基準は “お金” 、それも高利貸しでの考え方でなく、『自分に入る金』であります。
 この人が裏方で我慢できるはずがなく、また、投資していれば “回収” しようと考えます。(これは誰でもありますが)
ひるがみの森に大型担保を入れたからこそ、名ばかりの専務が名実ともの専務となったわけですので自分中心の経営方針が立てられるようになったのであります。  
   赤字経営
黒字に成ればいろいろな問題が出てきます。
「役員手当」「株主配当金」「内部留保」 これらの事をまともにやっていては「自分にお金が入らない」ことに成りますので、ギリギリな決算を組むことをいたします。それも時雄君の考えと判断で内緒にするのは言うまでもありません。                        平成29年8月26日  
  
   気づく者はいる
 ひるがみの森の実質経営者専務として20年以上やってきています。 と言うことは、20年以上も続けられたと言うことにも成ります。
 月川旅館の叔父もそうですが、長く続けられると言うことは「長く続ける必要がある」からでありまして、そこには「金の成る木
」が有るのでございます。
 実力とは違う
時雄君にとって「長く続ける」意味はどこにあったのでしょうか?
議員としての土台とは少し違います。一度議員になればそれは最早不要な位置ですからね。 
 他の役員のためにがんばった? これも全くあり得ないことでしょう。
時雄君は「回収」が一番、そこに貸出金利の回収も含めたのは当然のことでありましょう。
 考えてもご覧なさい、最高額の役員報酬を20年以上も受け取っていたのですよ。
ここに早くから気づいていたのが、水上宗光元役場職員であります。       平成29年8月28日  
  
   早期退職
 あひるの店主が社長を降りるのなら次は水上宗光氏しか居りません。
時雄君は計算づくでありました。その頃の水上氏は岡庭のまんま子分であり、それは時雄君より下の位置であるという事にもなります。その上、役場職員でありますから退職しなければ社長に成れないのであります。
 時雄君の立場
議員に打って出るからして社長の座は必要ない。かと言って、社長以上の立場を確保しなければ思い通りな経営が出来ない。
果たしてそれは思惑通りに進み、時雄君は天下を取ったのでありました。
 物語には終わりがある
蜜月時期は長く、このまま続くかに見えましたが、大きな転機が水上宗光氏に訪れたのであります。  
  
   排除された水上宗光氏
 それは必然的な出来事でありました。 水上宗光氏が阿智村役場を去ったのであります。
果たしてそこに何が有ったのでしょうか?
在る出来事がきっかけとなり、水上氏の考えが破綻していくのでありました。
(水上宗光氏の現在は、昼神温泉ひるがみの森代表取締役であります)      平成29年8月30日  
  
   何がそうさせたのか
 今から十年前以上のことです。そうですね、ちょうど裁判の真っ最中ですかね。
阿智村長を損害賠償で訴える前、調停に及んだときにはまだ辞めるまでの考えとなっていなかったと思います。
 被告代理人下平弁護士と水上宗光参事
調停の場において対面したときの真っ青い顔が今でも鮮明に記憶に残っているが、この時点ですでに自分の行為に恥が出ていたと思います。
 頭が良い水上氏
その数年前から岡庭一雄村長の政治に違和感を覚えており、人づて(山口会長)ではあるが、悪口は聞こえてきておりました。 野心が有ったのかもしれません。または、共産党として岡庭共産党に不平不満があったのでしょうか。
 暴走する水上宗光参事
鈴木設計と直接的な不正はこの人には無かったと思うが、熊谷時雄議員の章設計外しにおいてはまさしくその不正の中心になっておりました。
不正が不正、不正が犯罪となっていることに気づいたからこそ “真っ青い顔” が表れたのです。
 開き直り
時雄君は我を張りすぎていますから窮地においては簡単に開き直りをいたしますが、まだまだ岡庭一雄はかわいい者でありまして、窮地に至れば “借りてきた猫” となり果てます。    平成29年9月1日   
  
   開き直れない猫にもなれない水上氏
 水上氏は元々腹が無い人でありまして、その事が目に見え、はたから見れば「解りやすい人」として時には信頼も受けていたと思います。 職員としてはかなり嘱望も有りましたが、岡庭氏が上に居る限りそれは難しい望であったと思います。
 共産党の順位
党員でないからして想像でしか言えませんが、岡庭一雄が年上で有り、はたまた社会的な地位、それも共産党員としては考えられない “地方公共団体の長” と成っているのですから「逆らえない」のは当然であります。
 裁判調停において「絶対的なこと」を突き付けられたとき、どうしようもない自分に気が付いたのではないかと察しています。その様な思いで有れば、今後どうしようか?どうしたら良いか?と考える事は当然であり、「自分に責任が及ぶのか?逮捕されるかもしれない?」と不安が募ったのではないか。
 距離を置く
今でもハッキリ浮かぶのは、水上氏の青ざめた顔色と「変わった顔つき」でありました。
一刻も早くその場を離れたい! との経験はどなたにも有ると思います。 水上氏は「一刻も早く岡庭村長や時雄議員から離れたかった」のではないか。                 平成29年9月3日   
   
   考えられない行動
 違和感は職員の間から始まりました。 「水上さんはおかしい?職員で有りながら社長をするのは」
その様な声が職員から上がり騒動になったようでした。
詳しくは知りませんが、昼神温泉観光会社のようなところの代表になるとして自身で進めたようであります。 その件は議会でも取り上げられ結果的に退職する羽目になったとか、かなり批判的な声が聞こえておりました。
 たしかに、話の内容からすれば全くもって考えられない行動でありましたが、私には何となく感じるものがありました。
 裁判で勝ったにしてもその本質には犯罪が存在していることは事実で有り、その中心に自分が居るとのことは水上氏にとって受け入れがたいことであったかと、私は見ておりました。
 そこから生まれた不信感
水上氏は裁判においては傍聴
ですら一度も顔を出しませんでした。全てのことは調停において悟ったのでありましょう。
 一度離れた心は二度と戻ることは有りません。これは人生においてどなたも経験することではないでしょうか。そこには思想も宗教もありません。正直な自分が在るだけであります。  平成29年9月5日  
  
   居場所
 離れてみて見えてきたことは多くあったと思います。
岡庭の行政手法には早くからダメ出しをしていましたので、岡庭と離れることは自分を守ることだと気づいたわけでしょうし、離れる手段は役場を辞めることしか方法が無いと判断したから未練は無かったと思います。
 副村長の座
副村長を置かないとして、水上・佐々木・山口の三職員を参事職に当ててきた人事策の方向転換を図り出したのは岡庭一雄の逃げ方針でありますが、後継として副村長の座に佐々木幸仁を抜擢したのは水上氏が岡庭の元を離れたからに他有りません。
 阿智村長被告の裁判は、“こすい” 佐々木氏にとっては願っても無いチャンスであったろうと思います。それまでは水上氏が岡庭の後継ではないか!? 副村長を置くなら水上氏ではないかと、少なくとも職員の間では周知の事実でありました。
佐々木氏は例によって岡庭にすり寄ったのは目に見えることでありますが、水上氏が臆しているとみて裁判の公判に幾度か顔を出していたのは、おそらく自分から言い出したのではないかと思います。  平成29年9月7日   
  
   ひるがみの森旅館の経営
 「ひるがみの森旅館」の経営状態は悪かった。いや、わざと悪い経営状態としていたのは熊谷時雄専務でありました。
 経営者
企業であっても中小企業であっても、そして個人経営であったにしても、基本的な経営方針は、「継続」であります。
社長であれば、その一時期を安定させることが一番の目的であって、周りもその様にしか見ておりません。
経営において発展的な成果を上げれば、それは株主に評価されるだけであります。
時雄君はその辺が頭が良かったのでしょう。 まあ、議員に成る、村長に成るとした目的が有ったにせよ、専務という立場で実質経営権を持っていたのですから、「経営方針」は有って無きに等し、責任は社長がとればよい事で、金を握ることが出来たのであります。
 借金会社であっても大勢の株主が居れば連帯責任の中ですり抜けることが出来、赤字経営であっても不渡りを出さない程度の経営であれば文句を言われることは無かったでしょう。    平成29年9月9日  
  
   攻防
 岡庭一雄を通して三人の蜜月であれば各々がその将来を約束されてきた。しかし、そこに綻びが出来てしまったのであれば、最早繕うことはあり得ない。
離れるのは水上さんの自由であり、それを押しとどめる気持ちは二人には毛頭無かったのである。
 違う意味
時雄君は困ったと感じました。
水上さんはすぐにでもひるがみの森に入りたかったのだと思います。 役場を辞めるのであればひるがみの森の社長になるんだと、周りの誰もがその様に考えていました。

時雄君は絶対にそれを譲れない、それは最大限の収入源でもあり議員を続けていける条件でもあったからであります。
 正当性は水上にある
「あの人はおかしくなった」 辞めていく水上さんにかけられた周りの声でした。
役場を辞めるとの決心は、それ相応であり他人に斟酌される程度のもので無いことは本人にしか分からない。精神的にも大きな変化はあるもので、それを周りがおかしいと決めつけているわけでは無い。
それはいつものように、岡庭一雄と熊谷時雄の放つ方便であったことは間違いないことであります。   平成29年9月11日  
  
   攻防 その二
 具体的な事が時雄専務と水上さんに有ったのかと言えばそういうことでは無く、互いが牽制し合うようなまどろっこしいやり取りで有ったと思います。
ひるがみの森役員や株主からすれば、自分の都合において役場を辞めたというところがどうしてても見え隠れしてしまう、それであれば如何に大株主で有ったにしても分が悪くなる。
その様な状況において数年は我慢のしどころは水上さんでありました。
 形勢を変える
さわりが良い水上さんであれば肝心な一言は通ります。それには決定的な内容を突きつけなければ主導権は握れませんが、それは簡単なことでありました。
 減らない借金
おそらくですが、その次点で8億くらいの借り入れ返済が有ったのではないでしょうか。
立て直しを図ったとき、聞こえてきた総額は10億とも言われました。 25年も経営してきて2億円しか返済出来ていないとすれば、年間1,000万円程度しか返していない勘定となります。
 よく我慢したものだ
25年の間、時雄君の担保が減っていただけの話しではありませんか!? これでは水上さんで無くとも時雄君に “引導” を渡せますね。                       平成29年9月13日  
  
   準備
 水上さんはそれなりの準備を始めたのでは無いでしょうか、少しずつひるがみの森旅館経営に入り込んでいく、少なくとも帳簿を扱わなくてはどうしようも無いとして。
 時雄君には相当なプレッシャーが出始めました。それはそうでしょう。金も地位も危うくなってきたんですからね。
 議員も最後
この頃は西地区の殆どの者は時雄くんを見限っていました。まあ今までもそうであったのですが、叔父が後ろについていたからこその立ち位置でしたからね。
 水子地蔵落石事故の一件においてかんしゃくを出した時雄君は叔父の元から離れた。離れるときの一言は、「俺にはひるがみの森がある」でした。
今まさに、そのひるがみの森から追い出されようとしている。
 岡庭一雄の裁判によって時雄君は「官製談合は俺は関係ない」として逃げ出した。岡庭一雄は「なんだそれは、お前が始めておいて俺が捕まるのか!」 その時の時雄君は誰彼かまわず岡庭の悪口を言いふらしているが、それが何よりの証拠ではありませんか?               平成29年9月15日   
  
   立つ鳥跡を濁す
 ひるがみの森の社長交代は水上社長の既定路線として着々と進むかに見えましたが、時雄君がすんなり受け入れる筈はありません。
 担保の引き揚げ
時雄君が専務として居座ってきた根拠は父親が残した不動産であり、それらの全てを担保入れとしたものでありましたから、「担保は引き揚げる」のはそう簡単な事では無かったと思います。
水上さんもそれが簡単でない事は、幾度となく信用金庫に相談したことでありましょう。
 俺には月川がある
どこかで聞いたような話しではありませんか? 時雄君がひるがみの森を去る時、水上さんに吐いた捨て台詞だそうです。
 社長に成る必要
専務は専務であり、社長印はそうは簡単に扱う事は出来ません。たとえそれまでが名ばかりの社長であったにしても。 社長をすんなりと水上さんにしてしまうと担保の引き上げに対し弊害が出ると考えたのでしょう。                                   平成29年9月17日   
   
   一度で良いから
 泣きを見せる時雄君、これが三文芝居だと気づかない水上さん
「長い間専務として頑張ってきたんだから、せめて辞める前に社長をやらして欲しい」 この様なことを株主総会で言ったようでありました。
役員からは「どうしても社長をやりたいというから期限を切ってやらせる」と、揶揄のような話しが聞こえてきましたが、時雄君の術中にはまっていたと気づいた時には後の祭りでありました。
 自由に使える社長印
会社でありますから社長が全ての権限を持つものであります。
経営不振の専務責任を問われ退く者を社長にする者も者ですが、どのような状況においても裏工作をしてのぞむ時雄君、この三文芝居にもある株主が黒子となっていたことは水上さんも気づかなかったことでしょう。
 かくして時雄君は昼神温泉旅館ひるがみの森を去ったのでありますが、当然のごとく莫大な借り入れ負債が残ったのであります。                           平成29年9月19日   
   
   花桃街道整備事業の今はどうなっているのでしょう。
花桃街道整備事業は県の事業です。 メインである橋の架け替えを表に出さず補助事業として通りの良い名称において事業化してきましたが、農政部で扱う中山間整備事業である限り耕作農地の実際な有無が問われることは当たり前ではないでしょうか。
事業化されるまでの申請内容に今さら不整備が有ったとしては県も対応に苦慮せざるを得ませんし、その不整備が不正(虚偽書類)と成れば問題を表に出さない限り県の責任まで問われかねません。
申請内容不備について責任の所在がどこに有るのか? から始めないと、混乱をきたし収拾出来なくなる恐れも出てきます。
 阿智村から要望され県はそれを受けています。申請書類の不整備は当然阿智村で有り、阿智村は申請書類の不整備について「なぜ?不備になったのか」を明らかとしなければなりません。 平成29年9月21日   
   
   阿智村議会議員の皆様、それが手順
 今回私は公開質問状という形でこの件も質問しています。なぜ公開質問状なのかと言えば、その様な手段で無ければ村民に明らかに出来ないと考えたからであります。
花桃街道整事業と村民が聞いたとしても、なんの事業であるのか?何をやるのかを理解出来ません。
「まあ、県がやるんだから良いか」と、中身を知らなくともその様に判断して終わりとしてしまうでしょう。
 蓋が開いてからでは遅い
月川旅館への橋の架け替えである。これを月川旅館の前社長である叔父と現社長の熊谷時雄が県の事業と成るよう進めてきた。それこそありとあらゆる手段を用いてである。
手段においても、申請書類においても不正がある。その事も前議会議員は全員知っていて進めてきた。
 嘘は必ずばれる
議会まで絡んで偽証工作まで行われていたとなれば不正だけで済まなく行政犯罪になってしまうが、その責任を取らされるのは誰でも無く熊谷村長だということを忘れてはいないか。
熊谷時雄でも岡庭一雄でも無い、最終責任者は熊谷村長であることを考えている者は誰も居ない。  
  
   公開質問状の提出において議会議員は無視を続けてきました。これで乗り切ろうと考えていた反面、ばれればばれて責任を取るのは村長だとした開き直りの作戦であろう。       平成29年9月23日  
  
   恐ろしい岡庭共産党
 意に沿わぬ熊谷村長を代えるにはどうしたらよいかは常に頭にあったであろう。花桃街道整備事業の失策でもって村長選に備えられるとした岡庭一雄はタイミングをはかり一気に巻き返そうとしたらしい。
 類は友を呼ぶ
得てして世の常は、悪いことをする奴らが力を持つものだ。まあ、立場が上の者が悪いことをすればそれに従うのが仲間内の考えであろう。
 悪いことをする奴らは頭が悪い。頭が悪いから分別がつかないのでありましょう。
頭が悪い仲間内の議員とも成れば、それはもうお粗末以外の何物でも無く、法律的に扱われた指定管理者解除をひっくり返そうと、なんともはや醜態なことでは無いか。
 熊谷村長を呼びつけ翻意を促そうと、どのような罵声(この程度のことしか出来ない)を浴びせようにも熊谷村長は動かない。 時雄君は業を煮やし陳情書に走った。
 陳情書の何たるかを知らない高坂議長は、「議会を動かせ!」の指示のもと、全員協議会にそれをかけた。それも、取り扱う事を根回しした上でのことである。            平成25年9月25日   
  
   理不尽
 月川旅館の指定管理者を解除されたのでありますから、橋の架け替えなんてもうどうでも良い話しと成ったのでしょう。
「月川旅館は俺がつくって来たんだ!俺がここまでしたんだ!」 それこそ叔父は思わぬ方向に進んでしまった “始末” について、熊谷村長を倒すことに血眼となりました。
時雄君の暴言と態度には多くの人が眉をひそめたと思います。常人には無い言葉使いと、机をたたいたり椅子を蹴飛ばしたり、興奮すると手がつけられません。議論に詰まれば「悪いか?」「黙れ!」と、開き直り、もはや裸の王様と成る事も意に反さない精神構造で熊谷村長を責め出したことでしょう。   
   
   猿でも反省するが
 何をどう取っても二人に正当性は無いのであるから、まず自分たちが犯した不正について反省をするべきではないのか。反省した上で、謙虚に成って事態の収拾を熊谷村長にお願いするのならばともかくも、雑言罵倒を浴びせ、攻撃の上にも攻撃を続けた上に下平弁護士を使い「指定管理者を解除したのは不当」「通常の管理契約に戻せ!」とし、一年間の管理延長を行わせた。   
   村民は許せるのか
下平弁護士は阿智村の顧問弁護士である。こんな者を顧問弁護士としておくことにもはや限界である。
 下平弁護士はなぜ月川旅館の件で代理者と成ったのか?
知らない村民は不思議に思うかもしれないが、熊谷時雄や岡庭一雄と組んだ数々の不正が私の手に寄って暴かれ出しているからであります。                       平成29年9月27日  
   
   何度も叔父を助けようとした
 下平弁護士と岡庭一雄は民青からの付き合いであり、熊谷時雄は昭和60年頃から知り合っている。
この三人が関わった不正の原点は新たに書き出していきますが、叔父が中心になってきたことも事実であります。
 不正だと思わない
この年代の時代背景もあるでしょうが、社会経験、特にサラリーマンなどの就業経験の無い者は社会の仕組みをよく知りません。組織で成り立つ会社形態を知らない者は代わりに自身の経験の積み上げが全てであると考えてしまうのでしょう。
 社長とは何なのか
会社のトップであり、経営継続の全責任を負う者であります。 しかし、会社を知らない者が新しい会社の社長となったとすれば、どのように考えてしまうものなのでしょうか。
 月川旅館の経営
叔父は社長として経営をしていたのでは無く、金を稼いでいたのであります。   平成29年9月29日   
  
   言っても分からない
 世間では「二代目は・・」という言葉をよく聞きますね。親が子に後を継がせるという事は日本の文化では割と当たり前に受け入れられていますが、成果が出ないと「二代目は・・」の声が聞こえ出します。
 家督を継がせる
山の中では何もかも同じ目線で有ります。社会が分らないのではなく、家や人を見てしまうのでしょう。
 月川旅館の経営
四人で始めた会社であっても、四人が四人同じ方向を見ている分けではありませんでした。
岡庭一雄課長が国庫補助を受けられる事業を一人で始めた分けではありません。黒柳村長が時間を掛け、三か村合併の弊害を取り除く中で議会調整を行った結果であります。
その辺の事は『みちくさ』のコーナーに書き出しますが、結果的に四人が残ったという事で有ります。
 叔父と時雄君だけの事業
岡庭一雄は、叔父と時雄君の二人だけの枠組みを決めていました。それが頓挫したのは補助枠に合わなかっただけの事、仕方なく私に声を掛けたのであります。
その声のかけ方も時雄君と二人しての言い回しで有りました。
「どうだ、仲間に成らんか。国では会社組織か組合で受入れ団体をつくれと言っている」と岡庭一雄
「お前は飯田市に住所が有る、村の事業だから本来は駄目だ。議会でなんか言われたら親の名前にすれば良い。だから正規ではないが、あとはお前がそれでも良いと納得すればだがな」と時雄君 平成29年10月1日  
  
   国庫補助を二人で決める?
 岡庭一雄ってすごいね、この時の立場は課長ですよ! 過疎債であっても後付けで、それも時雄君と相談して進めていく! 
 この時から二人の悪巧みは始まっていた
ヘブンズのスキー場開発の走り頃であります。吉川建設とコクサイとで進める大型事業、抜け目なくコクサイの石田さんに取り入ってはいたが、岡庭一雄の行動力はさすがの物はありました。
 リフレッシュモデル事業
叔父と時雄君、それに私が参加して一応の形は付きました。だが、リフレッシュモデル事業と名を打ったこの事業内訳は、宿泊施設(月川旅館)・体験ゾーン(パークランド)・全天候型施設(ふれあい館現門前屋)に分かれており、これらの施設を計画するには受け皿組織が公募において行われることが前提でありました。
宿泊施設に限っては、公募しても参加する者は居ない(居ては困る)とした前提で公募しましたが決められていた三人の他に新たに三人が参加したのでありました。            平成29年10月3日  
  
   邪魔者
 叔父と時雄君にとっては当然の如く余分な人たちでした。「高額な資本金が必要とすればみんな逃げていくよ」として、「株式会社を設立」するのは当初からの計画として盛り込まれたのであります。
当時の株式会社は1,000万円以上の資本金でありましたから、やはり臆す者が出てきました。最後まで残ったのが熊谷智徳さんでありました。なぜ智徳さんが残ったのかと言えば、建設予定地の地主の一人でもあったからです。
 リップサービス
岡庭一雄はぺらぺらと喋りすぎます。「現物支給でも良いです」と聞いてもいないことを話してしまうものですから、「俺の土地を使ってくれ、それを資本金代わりに・・」等と収支が付かないことが出てきてしまいました。
宿泊施設はどこに造っても良いものでは無く条件的な選択の必要があったために候補地は決めておりました。それは混乱を避け当然内密でありましたが、リップサービスのバーゲンで知れるところとなっていたのであります。                                平成29年10月5日   
  
   叔父の推薦
 「智徳は仲間にしなきゃしょうがない」
このようにして月川旅館の委託管理が始まったのであります。
叔父の社長は決まっていました。智徳氏も私も会社が有り手伝う事しか出来なくあったのと、この地域にいくらでもお金が落ちることにより、発展していくと考えていたからです。
 叔父は花桃に心血を注ぎ、それは一層地区に観光客を呼び込むことに繋がってきたのであります。
たしかに事業費は村の補助で有りましたが、それは何も他の事業と比較してどうこうとの物ではありません。必要以上にお金(400万円)をもらう事が出来たのは岡庭一雄村長と熊谷時雄君のおかげであったので有りました。
 世間の目はごまかせない
花桃は観光業にとっては大変な魅力ではありますが、殆んどの地区民にとっては混乱以外の何ものではありません。とくに違和感を感じ始めたのは、「金は叔父と時雄に入っている」のを現実として感じ始めたからであります。                               平成29年10月7日   
   
   口に出せない
 誰もが分っていた分けではない。西の3人衆の悪事が長く続いていることの一つに「子飼いをつくる」ことがあります。
たとえば、農業委員・行政施設管理者・地区公民館長・自治会長など、お金が入る役を独占することで「言う事を聞く」人をつくる事から始めています。
独占しようと考えれば各組織団体を牛耳る事ことですが、それは彼等にとっては朝飯前の事、「村の考え方だ」「自治会はこう云う団体だ」「昔からこうやってきた」 この様に立場を利用して決めつけた発言をすれば簡単な話しで有りました。
 西の住民はその程度?
他地区が聞けば信じられないでしょうが、それこそがこの地区の異常さを現しています。
時雄君の様に地区の事の経験が何も無い者が、「昔はこうだった」とは笑止千万でありますが、議員に成れば誰しもが「村の言う事」「岡庭村長の考え方」として受け止めてしまうのです。 平成29年10月9日   
   
   中身の無い男
 時雄君は先日阿智村公民館において講演会を開催しました。 この講演会を色眼鏡で見ない方にとってもその講演内容にがっかりしたのではないでしょうか。
 講演会の目的
回覧板に混じって “おかしな物” が?  それは時雄君が講演会を開催するという通知でありました。
主催が智里西公民館、これを見た西地区の人たちは誰しもが同じ考えを持ったことでしょう。
 智里西公民館長は熊谷孝志君であります。熊谷操氏の長男です。
講演題目を読んでがっかりしてしまいました。そこに書かれていたのは「智里西地区開発の歴史」でありました。もと中央道園原インター推進委員会事務局長の肩書きがありました。  
  
   武士の情け
 時雄君は病気だそうです。それも「悪性」な病気として自らが公表したようであります。
その辺の気持ちにおいて、西地区民であれば同じような考えを持ったと思います。 平成29年10月11日   
   
   講演内容に?
 講演を聴いた西地区民以外の人は講演の内容に聞き入ったのでしょうか?
ケチをつける言い方としてあえて聞いてください。
中央道園原インターの設置要望は期成同盟会という組織の中で長く続けられてきています。
委員長は私の母方祖父渋谷勲でありまして、祖父が政治生命をかけて実現したインターで有り、その事に少しでも異をとなえる人は皆無でありましょう。
 私が20のころから具体的な組織運動が始められております。
田中角栄が総理となり、金丸信が国対委員長で鞄持ちが浜田幸一代議士、この二人を園原に呼んだのが祖父でありました。一介の村会議員でありながら、国会議事堂正面口から金丸信に会いに行く姿は今では考えられない風景では無いでしょうか。
金丸信は、園原集会所において五平餅を食べながら「インターを造りますよ」とハッキリと口にしました。浜幸が、「親父が造ると言えば造る」あとは美味い旨いで三本も食べたそうで有り、浜田幸一代議士は「インター造るんだからお土産が欲しい。この美味い五平餅がお土産だ」 しゃれのうまい方でした。
 お土産の効果
ロッキード事件は昭和51年、その前のことです。 国会審において浜田幸一が「陳情形のインターは園原インターを持って最後とする」との言い方で通してしまいました。
時代背景の伝説となる話しでありますが、この頃は昭和48、49年頃で、その後期成同盟会は自然消滅しています。                                 平成29年10月13日
 この頃の時雄君は何処に居たんでしょう? 時雄君の存在すら西の谷では知っておりません。  
  
   何処までもいい加減な人
 平成4年の3月に園原インター供用開始されました。
園原インター設置が決まれば、それはもはや国の事業で道路公団の考えで進められていくことであります。どのようなインターに成るのか等の情報は一方通行であり、地元でも阿智村でも待っているだけのことでありました。
 もと中央道園原インター推進委員会事務局長
時雄君の講演会案内に事務局長の肩書を付けてありましたが、経過的にその様な委員会は存在していませんし、強いて言えば供用開始セレモニーに向けての準備に叔父と時雄君がつくった準備会ではないかと思います。
 淡々としたセレモニー
道路公団は公団側の通常セレモニーで有り、主役は国、公団、阿智村でありました。
祖父は既に他界しており、地元と一緒に成ってセレモニーを行うなどは一切ありませんでした。
「地元で何もしないのはさみしいじゃないか」との声がありましたので、セレモニー終了後に地元の人達だけで地区に有る体育館で祝賀式を行ったのであります。
その時の会場準備係が時雄君の言う事務局長であったのでしょうね。       平成29年10月15日   
   
   犠牲者
 講演内容はともかくも、時雄君が講演すると知り驚いた方が何人も居られたようです。
「何を考えているんだ?」から、「何かせずにいられないんだろう」と、それなりの反響は有ったようです。
いつしか、講演内容は横に置かれ、「誰か行くものは居るのか?」と、興味心へと変わっていきました。
踏み絵だと言う人まで現れて、関心はそこら当たりに落ち着いたようでありました。
 党員しか行かない
主催が智里西公民館でありましたから熊谷孝志君が公民館委員を引き連れることは当然ではありますが、時雄君の取り巻きの公民館員しか行かなかったようであります。
叔父も呼びかけを行い20名以上を集めたようでありますが、その中に党員は3名でありました。
 出席数を調べた方が居られまして、50人くらいだとの話しでありました。
半数の25名が阿智村中から集まったようですが、その全ては党員であり招集が掛かったようであります。
 信じられない事
中には現前議員も居られたようでありますが、時雄君の講演に行くものは党員以外居ないでしょうね。
無理矢理集めたつけは思わぬ出来事を生んでしまいました。
清内路の前議員の原さんが、その場で倒れ救急搬送されたようであります。
 問題はそこから
時雄君は講演を続けたようであります。
信じられません 仲間が倒れたんですよ! それも意識不明の重体で緊急搬送された!
この様な緊急事態が起きたのに、続ける意味は時雄君にも党員にもあるのでしょうか? 平成29年10月17日   
   
   原さんは亡くなってしまいましたが、招集をかけなければこの様な事態は避けられたのでは無いかと思います。
 時雄君、私はあなたのその様な考え方が理解できません。あまりにも自分本位では無いでしょうか。  
  
   50人もの参加者が居たと聞きましたが、どなたか諫める人はいなかったのでしょうか?
この出来事は結果論では片付けられません。少なくとも岡庭共産党でなく阿智村共産党で対処すべき問題です。   
   
   村長にご注進申し上げます。
 過去を振り返ってみればお分かりだと思いますが、この様な人たちは反省や責任云々も考えられる人達ではないでしょう。
病人が出たではなく事故が起きたと判断する村民は多いと思います。
公民館はこの様な人達のものではありません。行政の長として公民館長の人選は慎重にすべきことであり、今回の件に対しても公民館長にそれべしの事情を聴取すべきと考えます。   
   
   阿智村が岡庭共産党に支配されてきた現実を、いやと言うほど味わったのは村長あなたではないでしょうか。
民主主義を取り戻そうという強い意志はいまだ空回りしているでしょうが、阿智村を元に戻す事は村長でしか出来ないことで有り、やらなければ成らない使命であります。        平成29年10月19日  
  
(このコーナーはこれで終了します。次回10月21日土曜日から新しいコーナー「阿智村 悪の縮図」が始まります)

きづかない疑問と隠された疑惑 阿智村編

リニア中央新幹線 阿智村社会環境アセスメントの疑義

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