佐藤健飯田市長の犯罪は三つある!!!
ケフィアによる「かぶちゃん農園詐欺事件」は終わっていない。ケフィアの鏑木会長が逮捕されただけであって、警視庁は、かぶちゃん農園鏑木社長の自殺において「被疑者死亡」として書類は送検されていないからだ。鏑木会長逮捕から一年が過ぎようとしているが、警視庁がこうもモタモタしている理由は、牧野光朗前飯田市長と佐藤健飯田市長が「被疑者」として捜査対象に挙がっていることが伺える。牧野一人であれば市長選直後に逮捕されているはずで、それが行えないことに、佐藤健が飯田市長になったことにあるのではないか。この様な話はまことしやかに伝わっているのではなく、疑問を持つ市民には事実としてとらえられている。この様な状況において飯田市に不手際がいくつも出てきているが、その一つに「特別養護老人ホーム飯田荘の違反建築物」の件が有る。この違反建築とかぶちゃん農園事件がつながっているなど誰が想像できようか。だが、たしかなこととして、特別養護老人ホーム飯田荘の設計を請け負った章設計が、何の理由もなく契約解除された事実が有る。ここで重要なのが、「契約解除する理由が無い」であります。契約解除そのものはたいしたことではないが、少なくとも、解除理由が双方に発生していなければ、それは一方的な理由があることになる。誰が契約解除を決定したのかといえば、佐藤健が副市長の権限を執行したと、当時の幹部職員が暗黙の上で認めている。主にその指示に従ったのが寺澤保義健康福祉部長と原章長寿支援課長であるが、この二人は翌年、総務部長と会計責任者に出世をしている。佐藤健が去った後に、章設計に交渉を持ち掛けた木下悦夫建設部長が、退職後に副市長にかえり咲いた。これを普通の人事だと認めるは議員らであって、職員が冷めた目で見ていたことを知らないとでも言うのであろうか。
出来レースであった市長選挙が私の立候補で崩れ去ったと見るのはほとんどいないだろうが、確かに感じているのが他ならぬ佐藤健自身である。それが表れてたのが「副市長の交代劇」なのである。交代劇というのは、木下悦夫は佐藤健の副市長の指示を受けて章設計と交渉した本人であって、そこは熊谷議員も否定することが出来ない。その木下悦男の副市長を、どのような理由があって首を切るのか、そこが分からなくては理解も出来ないだろう。木下悦夫は任期途中であって、自ら進退願を出すには相当な理由があってしかるべきで、余人をもって代えがたいが副市長の座、そこにも疑惑がわくは無理もないが、「章設計と交渉した」と言う以外、他に理由はない。熊谷議員は「木下建設部長は口も利かなくなった」として、信頼関係が無くなったのは私のせいだと嘆いたが、それが心にあるのであれば、二課の刑事にも同じことが言えたのだろうか。
高田修副市長のプラプラ
二課の刑事が「熊谷議員と会えませんか?」と私に聞くに、熊谷議員と会う必要は何かとすぐに察しはつく、それは、木下悦夫建設部長は、「誰の命を受けて章設計と交渉したのか」である。二課の刑事からこの話が出れば、議員として事実を話すしかない。だからして、熊谷議員は章設計の裁判に証人として出廷することを拒んだのである。これは熊谷議員が共犯となる心配ではなく、二課の刑事に呼ばれる前に、自ら進んで飯田警察署の刑事課を訪ねたことにあった。正直な話、熊谷議員がなぜ刑事課の係長に会いに行くに、何をもっての話であったのか。藤本設計の口利き不正の事実をつかんだのは熊谷議員であって私ではないし、長く続く官製談合に監査委員まで共謀しているとの証拠を渡すに、藤本設計の口利きなど私には何も関係無い。実際に確証を得ていない話が出来るほど、警察は甘くはないのだ。その様に振り返れば、熊谷議員は間違いなく藤本設計の口利き不正を話しに刑事に会ったことになるが、それが事実だからこそ、二課に呼ばれたのであろう。さすがは熊谷議員とほめてあげたいが、お跡がよろしくない。議員としては、警察に届けた不審であれば、表に出して行政側を追求しなくてはいけない。それが、少しばかし他の議員から無視されたからと言って、立場を勘違いしたら密告者そのものになってしまう。まあ、すでに遅かりしであるが、何か犯罪が一つでも露呈したら「熊谷議員が警察に垂れ込んだらしい」の噂は止められない。この様に考えれば、木下悦夫が副市長を辞めるのは、ある面、木下悦夫自身が危険を感じたかもだが、それは今まで副市長に居たからして、理由でない事にもなる。やはり、佐藤健市長の判断なのかと思うが、もしかしたら、木下悦夫は何かほかの秘密を知ってしまったのかもしれない。さて、高田修副市長のプラプラと言うものの理由だが、案外に気が小さく、それはこれからの修羅場に耐えられないと思うからであって、そんな者を副市長にするに、やはりそこにも理由が付く。(高田修は部長として、章設計を契約解除するときの部課長会議に毎回出席していた。「章設計の言う通り設計させればよいのでは」との考えであったようだ。この話、高田修と親しい、山本の友人から幾度も聞かされていた)ひとつには、「章設計を契約解除した事実」をしゃべられては困るとしたのもあったであろうし、いざと言うときの首切り人事であるのかもしれない。それは、近いうちに来る、代田昭久の教育長任期の終了である。私はこう見ている。「副市長に代田昭久教育長が任命される」それは、副市長は二名居ても良いとする、市ならではの理由による。代田昭久の過去を振り返れば、相当な悪であることに違いなく、佐藤健の幼馴染も相まって、かなり前から二人の間で計画されていた人事なのだ。本当は、木下悦夫の辞職に絡めてその人事を行う計画であったかもだが、そこに来て、ある金儲けの事業が降ってわいたことにおいて、代田教育長の副市長任命が延びたのである。(この金儲けを、木下悦夫が知ってしまったと私は見ている)
小説の世界
「飯田市小中学校全校がタブレット端末配布終了」とのネットニュースをご覧あれ、そしてそのことを記憶の底において、これから始まる物語において、推理を働かせていただきたい。
短編小説「野望と謀略」
幼馴染の思い出は、懐かしくもあるが苦さもある。サトダタケオの家は農家であった。幼くしての思い出は、近くに住む、二つ年上のシオタアキヒコと毎日のように遊んだことである。アキヒコが柿木に登り、熟柿を取ってくれた、あの甘さが今も残っている。腕っぷしが強く、いじめられれば助けてくれた。勉強も出来て兄貴のような存在は、タケオにとってあこがれであった。今は飯田市であるが、当時は鼎町として、鼎小学校、鼎中学校と、学校へ行くに二人つれ、そして先に進学した飯田高校に入るための猛勉強は、いつしかアキヒコを追い越すまでになっていた。東大へ入るに、その先へと進むことは当然にキャリア官僚になることだ。総務省への道のりはたいして苦難であらずして、社会勉強などは知識の内にあると信じて疑わない。傲慢に見えるかもしれないが、それが無ければアキヒコに追いつけないと、いつも考えていたのである。新年早々の飯田高校同窓会は毎年の恒例であったが、一度として参加が出来なかったのは、遠く離れた出向先を理由としていた。そんなある日、シオタアキヒコから電話が入る。「おい、元気か。久しぶりに一杯やらないか」「今度東京に戻るので、その時に会いましょうか」そのような簡単なやり取りであったが、シオタアキヒコの頭には、総務省の官僚としての声掛けがあることは察してもいた。
再会
何年ぶりだろうか、以前電話が有ったのは、シオタアキヒコが都内の中学校民間校長に抜擢されたときで、それはおめでとうと、幼いころの夢が互いに一歩近づいたことに喜びがあった。しかし、今のアキヒコにはそれらは過ぎ去ったこと、今また何かを始める気配は感じていた。そしてそれは、案外に簡単な話であることと、幼いころの思い出が金儲けになるとは知る由もなかったのである。「おいタケオ、ケフィアは知っているか?」一瞬何を言っているのか戸惑うが、まず、口を潤してからゆっくり聞きたいと、それは遠慮なしに口にした。「おう、そうだな。ここで(居酒屋)話すようなことではなかったな。あとでゆっくり話すは。それよりどうだ?飯田には帰っているか?」
とりとめのない会話はしつこくもあるが、だからと言って故郷の話はつきもので、どうしても言い訳が先に立つものだ。互いのご無事が挨拶なのは、故郷に戻らぬ者の共通用語なのか、それがあざとくないのが幼馴染の良い所でもあろう。
話は案外に弾まぬのは、さっきの一言が気になっていたせいだ。後の後とはこれから先が有ることで、それは女が居る飲み屋であることは言われなくても分かっていた。そっちを紹介してくれるのか? ご無沙汰なのは家族そろっての出向であって、嫌いな者が居たらお目にかかりたいものだ。
ひさびさの昔話も通り一遍をつづければくどくもある。相槌の代わりに旨くもない肴を口に運んでみる。慣れているのか注文に言葉が続くのは、自分の好みを気にしてくれるのが特にうれしくもあった。「そうだ、柿の木にはよく登ったが、柿の木が金の成木になるかもしれん。干し柿が金になる良い話が有るが、まあ、それは後でゆっくり話すから」今夜はその話が中心なのであろう、妙にはしゃいでいるのが気になった。後での話にまたも触れたのは、今夜の用件はそれほど価値が有り、金の匂いはそこにあるのだろう。
程よい飲食は気が緩むもの、まして気のおけない友との再会は、それが図られたものであったにしてもうれしさしか込み上げる。兄貴に頼られる子分の心境だが、張り切ることは悪い気がしないものだ。それがこの先に有ると分かれば、尻の温かさが気になって仕方がない。残りの魚に未練がなくなれば、それは次を促す腹具合で、「勘定を!」がタイミングよくアキヒコから放された。
外に出ればもう夜の町であった。アキヒコは手を上げタクシーを拾う。勧められるままに乗り込めば、「銀座へ行ってくれ」女が居るところとは想像がついかたが、まさか銀座のクラブとはさすがに兄貴だと。どうだ、居酒屋を出てほんの5,6分でそこに着くに、歩いてクラブはみっともないのだろう。そそくさと地下へ降りるアキヒコに続いて行けば、如何にも高級クラブのあかしなのか、大理石貼りの入口が目についた。それにしても羽振りが良いのに今更ながら驚く、こんな生活が続けられるのか? と思うと同時に、銀座の雰囲気丸出しの「先生いらっしゃい」と、数名のホステスが出迎えてくれた。これは全国共通の社交辞令なのだろう。それでも気分が良いものだが、耳打ちしているママが気になっても居た。誰か知り合いが居るのだろうか? 他愛も無い事だが、それはたしかに予感していた自分が居る。はたして、柿の木が金の成木に成るに、はなさかじいさんでも紹介してくれるのか。
臨時ニュース!!
飯田市のコロナが終息の状況となりましたので、これまでの感染源と感染経過をお知らせします。
感染源は、代田昭久教育長であります。巷では、ホステスから感染したとか、飯田駅前の飲み屋が感染場所だとかの情報が錯綜していましたが、感染場所は代田昭久教育長がフィリピンパブに勤めるフィリピン嬢との同棲アパートであります。代田昭久教育長から移されたホステスがソシアルクラブ(中央道り1丁目地下)の横にあるフィリピンパブに勤めており、同じ経営者であることと、ソシアルクラブが飯田市長お抱えの店であることから利用した顧客に感染し、ついては小中学生や幼児にまで感染したのです。
今回のコロナ騒動のすべての責任は、飯田市教育長代田昭久であります。
佐藤市長の隠蔽工作
代田昭久教育長の感染公表を一日とどめ置いた理由はどこにあるのでしょう? 佐藤市長の臨時記者会見が遅れたのはどうしてでしょうか? 代田昭久は特別公務員でありますが、その公人が、「公務員」と、長野県コロナ感染情報に記されたのは、誤記なのでしょうか? 報道機関は、代田昭久の感染について、その感染経路を質問しなかったのはなぜか? 感染場所を飯田駅前であるように見せかけたのはどうしてでしょうか? テレビニュースで流れたのは、中央道り4丁目の路地ですが、報道機関は一丁目が感染場所であることを本当に知らなかったのでしょうか? 一定エリアの制限範囲を決定したのは県なのでしょうか? お酒を提供する500店舗の制限エリアとするに、浜井場小学校や東中が含まれていたことを不思議に思いませんか? 臨時記者会見において、佐藤市長は「県の発表によれば…」「県の説明では……」と連呼しておりましたが、長野県コロナ情報は県の責任において公表されているのでしょうか?
まだまだ疑問はいっぱいありますが、この疑問の全てに答えが有ることを確認しております。それらの詳細をこれから書き出していきますが、このコロナ騒動の裏に、隠さなければならない犯罪が存在していることも付け加えておきましょう。どちらにしても、佐藤市長と代田教育長が仕組んだコロナ情報であることに違いはありません。
確かな情報
「教育長のコロナ感染」この情報はその日のうちに広がった。1月15日飯田市感染情報を見れば、その日の感染者は4名で「20代女性(会社員)・30代男性(会社員)・50代男性(公務員)・50代男性(会社員)」とあり、公務員だけが入院とある。また、これら4名の感染経路が示される備考欄に記載がなかった。ある程度の市民は、「教育長が公務員?」との疑問を持ったかもしれないが、これは明らかな印象操作である。県の公開情報に間違いはあり得ない。だとすれば、「特別公務員」と記載すべきところを「公務員」と修正した人物がいるはずである。
次に、「公務員だけが入院?ほかの三名は自宅待機じゃないか?」に不審を持つ。教育長であることが分かれば、誰であっても「石原伸晃の特権と同じじゃないか!」を感じるだろう。その中においても極めつけは、「備考欄の未記載」であった。4名全員の行動履歴や濃厚接触者の番号が書かれていない。その日前後の備考欄は、うるさい程に濃厚番号が書かれている。これを見れば、大概の人は「おかしい?」「なにかあるな?」と疑うものである。
「同棲しているホステスから移った」「一丁目のフィリピンバーで感染したらしい」「ソシアルクラブのクラスターだ!」この様なうわさが十分で回った後に、佐藤市長は臨時会見を行っている。「県の発表」「県の説明」「エリアも県が決めたこと」そのあとに記者から遠慮がちな質問が出ている。「飲食店の補助金に市からの補助は考えておられますか?」「考えておりません」「教育長が感染しておりますが」「はいそうです」・・・もうあきれてみる価値もなし。報道機関は4丁目のある飲み屋に焦点を絞り込み、執拗にその店舗を映し出す。なぜだか分からないが、何かがその店舗に関係していることは確かであった。それらのことを解明するに、私は手っ取り早い行動に出た。それは、確かな情報を確かな機関において確認したのであります。
ハッキリ言おう!佐藤市長の隠ぺい工作だ!
中央道り飯田駅前に報道機関が集まったのには訳があった。それは、ソシアルクラブやフィリピンバーの後に、4丁目の居酒屋に二次会と称して代田昭久教育長が、二三の者を共に立ち寄ったからであった。(ここで「二次会に行くわけがない」と思われる方が居られると思いますが、確かな機関の話しでは「ソシアルクラブを利用された客が二次会に流れており、誰が何処に行ったのかが不明であった」との事に基づいております)では、実際はどうであったのでしょうか?
その前に
ソシアルクラブでクラスターが発生したのであれば、どうして店名を公表しなかったのでしょうか? この様な疑問はどなたでもありますので、僭越ながらその機関にお聞きしたところ、「その日(代田教育長が利用した日)の利用客の全員を把握しており、店名を公表する必要が無いと判断しました」という事でありました。では、一丁目のソシアルクラブであるのに、飯田駅前の飲食店が如何にも感染源としてテレビで放映されたこと、また、エリアの設定に浜井場小学校や東中学校が含まれた理由は? 「飯田駅前? その様なことは知りませんでした。二次会の立ち寄りが不明でありましたので、その様に説明しておりますが、感染者情報は長野県でありますので分かりかねます」いやいや、よく分かりました。
事実が公表できない
4丁目を映した放送局もあれば、3丁目の路地を映したテレビもあった。南信州新聞の「飲食店関係者全員陰性」の記事を読めば、有る店主がコメントを入れていた。ま、そう言う事だ。その店を代田教育長が利用したという事だ。では、なぜ4丁目の一杯飲み屋を放映したテレビ局が有ったのか? テレビ局に情報無くして映すはずがない。その様に考えれば、その店も代田教育長が利用したという事になろう。
ここまでくれば想像も事実となるに、分かりやすく言えば、「代田教育長は、3丁目のフグの店で腹ごしらえし、そしてソシアルクラブにいった。カラオケも女も堪能し、その締めとして4丁目の一杯飲み屋で打ち上げた」という事である。なんとまあ、うらやましい限りの豪遊だが、そこでコロナ菌をまき散らしては洒落にも成らない。まして、回りまわって小中学生や幼児にまで感染が広がった現実は、如何に佐藤市長に指示して隠蔽しようとしても、実際に入院した事実が「責任は免れないよ」と教えている。
隠ぺいの本質
教育長がコロナに感染しても、それだけであれば公表に差支えは無い。特別公務員である教育長を公務員とするのは、教育長であることをまず隠したかったという事なのか? 感染が広がって責任を取る状況に成れば、それは否応なしにやってくる。だが、感染して入院する状況で、けして責任を気にするほど軟な男で無い事もたしかでないか。
クラスターは確かに発生していた。だが、利用客のすべてを把握しており、店名の公表は不要であった。この事をもう少し掘り下げれば、「ホステスが感染源ではない」と読み取れる。ホステスが感染源であるならば、その日より前から利用した客の全てを把握する必要があるし、また、二次会にどこに行ったのかが分からないなどとしても、数日前からの利用客の行動では、浜井場小学校や東中学校をエリアに含む必要はない。市長が言うに、「飲食店の全て」と限定している限り、そこに学校は何の関係もないことだ。要するに、浜井場小学校と東中学校をエリアに含めたのは、教育長の行動範囲であって、それは、当日か翌日にその二校を教育長が立ち寄っていたことを示す。なぜ教育長がその二校に行く必要があったのかと想像すれば、「タブレットの納入」に、その関係が見えてくる。(市役所職員がその後に発症しているが、この職員はおそらく教育委員会付けの職員と思われる)
フィリピンのホステス
「教育長が同棲しているホステスから感染した」との情報が出回る前、「今度のコロナ、フィリピンパブが感染源らしい」との話が聞こえてきた。その段階において、「フィリピンのホステスと教育長が同棲していて、教育長が移ったんだ」との情報と、「フィリピンパブのお客が保健所で検査を受けている」が同時に出回った。それにおいて、「フィリピンのホステスが感染源で教育長に移したらしいよ」になった。まあ、だいたいこの辺で疑問を持つものだが、「フィリピンのホステスは誰から移されたんだ?」を考えない者はいないだろう。そう考えれば、ホステスは以前に感染していたことになるし、そうであれば、「ソシアルクラブにクラスター発生」と店名が公表されることになる。そうでなかったのだから、ホステスは以前から感染してないと言うことにならないか。ここまでは関心あれば気づくと思われるが、世間では感染経路より、その後の広がりを恐れてうわさが飛び交うもので、肝心な原因を探ろうともしない。一番肝心なのは、「誰が一番最初に発症したか」であって、その者が、「どこで感染したのか」ではなかろうか。それを完全に把握しているからこそ、クラスターの発生と県は公表していないのである。
犯罪の影に女
さて、話は最初の書き出しに戻るが、代田昭久教育長の行動に疑問がでるのは事実であって、その行動の裏には犯罪が隠されている。それら犯罪が露呈するのを恐れて、この様な隠ぺい操作を行ったと、私は確信している。一にも二にも、県のコロナ情報「公務員1名・20台の女性1名・50代の男性1名・30代の男性1名」の記載である。そこおいて、この四名の備考欄が空白であることと、公務員一人が入院したとの記載は、あまりにも不自然極まりない。この情報で最初に読み取れたのは、感染源が公務員であることだ。それは、一番症状が重いから入院したと言うことになる。それに加え、この四人は、その日、同じ行動をとっていたのではないのか? という、疑いの眼であった。
思い当たる節
散々に、この様な遊びを経験した者は、私の話に納得するものであろう。この四人が同じ行動するに、それが仕事上の付き合いだと言えるのはましな方で、この様な豪遊を当たり前の接待だと思う者は、心に思い当たる節が有るせいだ。私も大きなことは言えない。この様な接待を受けたことが有るし、ソシアルクラブは接待を受ける当たり前の場所であった。ここ20年以上ご無沙汰であるが、当時はフィリピンは居なかった。正直綿半の接待を受けたことが一度だけあるが、その時のことを思いだせば、代田教育長のコースに思い当たる節がある。これは綿半に限らず、だいたいどこも同じであるが、まずは料亭へと設営される。いわゆるお座敷接待だ。東京であれば官僚接待のノーパンしゃぶしゃぶの時代だが田舎は知れたもの、せいぜい松尾町2丁目のフグ料理店とかが多かった。警察のそばの料亭とか、今回のコロナ騒動の河豚やとかね。まあ、それぞれお得意な場所があったようだ。そして決まりごとのクラブ、高級店としたシルクなどもあったがソシアルクラブが老舗であったかと。たとえ接待であったにしてもそこはホステスのうまいところ、一見でないように扱われ、見つめられれば私は得意客になったものだ。ソシアルクラブも通過点であって、そこで終われば接待の失敗となる。そのあと「締めで寿司屋かどこかで…」とくる。それがもう一軒となれば接待は成功である。まあ、そんなことが面白く感じるのは、やっとその世界にデビューしたかの満足感であったのだろう。今になって気づいたが、接待の仕方は各社において微妙に違っていた。親しく付き合えばそれなりに金が動くことであって、接待する側に大きな利益をもたらしたときと、これが始まりですよとの社交辞令である。綿半は飯田市の設計関係のリベートは鈴木設計へ主に流れていたから、民間の仕事での接待であったかと思う。当時の章設計は綿半を敵としていたし、見積でさえ取ることはなかった。それが接待を受けるに至ったわけは、阿智村にある小笠原鉄工の小笠原秀和(亡)社長の紹介であった。「綿半鋼機の鈴木課長と一度会ってもらえないか。鉄骨は綿半しか搬入できないんで、商社として上伊那からこっちは抑えられているんで、熊ちゃが綿半を嫌いなのはわかってるけど、鈴木は会えばわかるけど勝野忠ちゃとは全く違う。とにかく一回会ってもらえないか」小笠原の先代社長とは21,2のころ、それも阿智村の授産所新築事業において、阿智工務店の下請け(鉄骨工事)の立場で知り合い、そこから彼が亡くなるまで親しい付き合いであった。よく出汁に使われたが、憎めない男であった。そんなこんなで綿半鋼機の鈴木課長に、誘われるままに接待を受けた。そこには、「私の部下の・・です」として、これから彼が顔を出しますのでよろしくお願いしますと来た。(ここで私は嫌な気持ちになった。それは、鈴木課長の部下と付き合う気はさらさらないからである。小笠原の社長の手前、初めて接待を受けるに、最初からこれではね。)
遠くなった話を戻すには
何が言いたいのかと言えば、今回の代田教育長のコロナ騒動に、私は綿半の影を感じたのである。代田昭久教育長が何を隠そうとしたのか? 佐藤市長が代田教育長の情報をなぜ操作したのかは今のところ想像でしかないが、そうは遠からじと思い始めている。代田昭久が感染源だとのことは状況がそれを示しており、当日の感染者4名が、同じ理由において情報が共通していることは、それは確かに同じ行動において代田昭久から感染したことを表している。そして、中央通り一丁目の地下クラブが感染場所なのに、なぜテレビでは3丁目と4丁目の路地を映したのかも、それは必然的に判明するのである。それに付け加えれば、飯田には綿半ほどの大きな商社がないことと、口銭と言うリベートが賄賂でないこともその理由にある。しかし、それは民間でのことであって、行政にいる者は、たとえバックマージンであったにしても受け取ることは出来ない。
同伴ホステス
当日、50代の課長と30代の部下は、代田教育長とともに製品の納入状況を見て回った。それは社交辞令であって、夜の接待に向けてのモーションである。「今夜は河豚でどうでしょうか?」今までさんざんに代田教育長を接待したのは、佐藤健が副市長であったからで、それは商社の飯田市窓口となるに、そう遠くない話である。最初の声掛けは商社であるが、二度三度続けば代田教育長の方から電話が来る。今回のタブレット、飯田市小中学校全生徒に配布する総額は5億円を下らない。それも学校別に機種を変えることは出来ない。操作の仕方が生徒共通でなければ、テレワーク授業として成り立たないのである。(ここで最初の疑問が出るが、5億円の事業がなぜ急に実施できたのか? と言うことと、5億円の商品購入に入札が実施されなかったことにある。)
世話になりましたの挨拶は毎度のことで、タブレットが飯田市小中学校すべてに行き渡ったのは令和2年12月18日、それを口実に代田教育長から「おい、明日は空いているか」と、商社の課長に電話を入れたと思う。まあ、どちらが先でもよいが、その電話が何を表しているのかといえば、夜の約束である。この一杯は何も営業することでもなく、代田教育長も人の金で飲みたいだけである。それが分かっていながら接待するは、腐れ縁と言うより切れない関係になったと言うことである。まったくもって鈴木設計と同じ付き合いに、商社はそこに持って行ったのであるが、そんなことがいとも簡単にできるのは、総務省からの金が回るに、もはや代田教育長が窓口であると言うことなのだ。
そしてコロナが広がった
中央通り3丁目の路地にある河豚料亭、そこの二階には代田教育長が先に入る。それは、同棲しているフィリピン嬢も一緒であって、ソシアルクラブに同伴すれば、それはそのフィリピン嬢のマージンとなるに、それは接待される側のいつもの風景なのだ。商社も手慣れたもので、どこが良いのか分からぬお嬢でも、おついしょの一つは言わなければが辛いところ。そして腹ごしらえは済んだが、代田教育長の咳払いが気になったことだろう。河豚料亭の主人もまさかの真坂で、教育長ともあろう者がコロナに感染しているなどつゆほども思わぬもので、検温が省略されたのは言うまでもない。まあ、店主も自業自得ではないか。ふぐ料理コースは高額である。万円台は当然で、そこに酒台となれば相当な金額だ。「四人で食べても5万円!」は、いたって安いと思われる。馬鹿を言ってはいけませんが、そもそも教育長が商社の接待を受けることが問題ではないか。子供の教育に良くないとPTAは言うであろうか? 今もってそんな声が聞こえてこないのは、代田教育長がホステスからコロナを移されたと思い込んでいるからだ。
二次会がソシアルクラブは黙っていても行くところ。20代のホステスと同棲できるくらい通ったと言うことだが、「ホステスから移された」より、「フィリピンのホステスと同棲していた」というほうが、PTAのお母さんたちは騒がなければいけないんじゃない? 違うかなあ まあ、そんなこんなで時短要請がない飯田の飲み屋は、蛍の光が流れるまでどんちゃん騒ぎに明け暮れた。もしかしたら、佐藤市長も二次会に合流したかもしれないが、そこはまだ聞こえてこない。
エリア設定の謎
中央通り3丁目の河豚料亭がテレビに映っていた。通常ならぼかしが入るに今回は通りの奥までハッキリ放映されている。これは、代田教育長とホステスと商社の課長と部下が、間違いなくその河豚料亭を利用した証である。それは、新聞社の情報収集より、テレビ局の方が確かな情報を得ていたことになる。取材の方法が違うのかは知らないが、取材を受ける側がテレビに映ると言う意識が強いのではないか。まあ、それにしても「コロナが出た」と噂されては商売あがったりを心配するものだが、飯田市特有の考えなのかはわからないが、テレビに映っても気にしていないのが不思議でもある。
三次会の様子
蛍の光が流れるまでソシアルクラブで散々騒ぐに、接待はタクシー代のチケットを渡すまで終わらない。まだ飲み足りないのか中央通り4丁目の一杯屋を選択しているのを見れば、女を待つのか接待が続いたかは分からないが、兎にも角にも4丁目まで足を運んだのはたしかなことだ。飯田唯一の高層マンションに住んでいれば、ホステス出勤のワンメーター内は常識でもある。代田教育長の行動において、他の客も二次会三次会の可能性がでてきた。それをもとにしてエリアの範囲を決めたのである。「誰がエリア内に浜井場小学校と東中を含めたのか?」と問えば、「県では決めておりません」と即答であった。また、「1丁目のクラスターなのにどうして飯田駅からとして4丁目を前面に公表したのか?」と聞けば、それも同じ返事が返ってきた。たしかにそうだ。エリアを決めるのも小中学校をエリアに含めるのも、その様な権限は市長にしかない。では、なぜ佐藤市長はその様な操作を行ったのに、「県の情報によれば」「県が決めた」と繰り返したのか。たしかに、代田教育長が感染したとの事は一切発表していないし、記者から質問されても受け流している。これはどう見ても、何かを隠そうとしたとしか思えない。
私の同級生が久堅にいるが、地区公民館長の立場で代田教育長との会議に出たと言う。飯田保健所から突然に電話が来て「濃厚接触者としてコロナの検査をお願いします」と言われたそうだ。結果的に陰性であったが、その結果が出るまでの三日間は、家庭内別居を越した大変な状況であったと言う。たとえ情報操作を行ったにしても、保健所は確かな事実の上で県に情報を上げている。完全に追跡調査を行っていると聞けば、それは住民にとって安心する情報ではないのか。それを市長の権限において、この様な情報操作を行ったのであれば、その責任は逃れようがない。
感染源が代田昭久
「代田昭久教育長が感染源だ!」を隠したかった。これが佐藤市長が取った隠蔽工作であるが、その事に気づいている市会議員たちは、何に恐れて沈黙しているのだろうか、隠したにしても必ず露呈する。その時になっての言い訳は何も通用しない。4月の議員改選に向けてことなかれ主義でいるのだろうが、このような者が議員に成れる飯田市が嘆かわしい。
さて、佐藤市長はなぜこのような隠ぺい工作を行ったのであろうか? なぜ、隠蔽工作を行わなければならなかったのか。代田教育長が感染源だと判明すれば、また、ここまで感染を広げた当事者だと分かってしまえば、小中学生にまで感染を広げた感染源者だとすれば、それは確かに辞職しかないし、議会も、任命責任で市長を追及することにもなろうが、だとしても代田昭久の個人的な責任であって、佐藤市長が隠蔽工作する必要もない。だが、確かな証拠に、感染情報は全くに情報操作が行われている。
何を隠したいのか!?
「代田昭久は東京に滞在した」これは、確かな機関の確かな情報であります。代田昭久は、令和3年1月15日の感染者情報に掲載される一週間前に、東京に出向いているのだ。この事実は県の感染者情報に掲載しなければならない事実、地区外滞在歴を公表するのは、感染源の確定と、今後の広がりを予測する上において重要な役割が有るからして、公表しなければならないとされている。それを「公表するな」と指示できる者は、飯田市長しかいないのである。佐藤健市長は、「代田昭久教育長は、1月15日の一週間前ごろ東京に滞在していた」ことを隠したかったのである。なぜ隠したかったのか? 東京都は非常事態宣言の最中であって、人の出入りも制限している状況である。それを無視して代田教育長が東京に行ったことを隠したかったのかと言うことになるが、たしかに、教育長が感染源であることに加え、非常事態宣言の東京に行くのが教育長であったとすれば、それだけで報道機関は騒ぐことにもなり、スキャンダルとしても、驚くほどの事実である。まさかと思うが、それがばれないとでも佐藤健市長は考えたのだろうか? 議員であってもそのような情報が手に入るに、それでも隠蔽せずにはいられなかったと言うことなのか?
コロナの影に女有り
代田昭久の同棲する相手が感染源だとされた。はたして、この情報は一体どこから出たのだろうか。これだけでも教育長の立場は悪くなるに、なぜそこに蓋をしなかったのか? もしかしたら、そこから既に情報操作は始まっていたのではないか。そのように考えればすべての辻褄が合う。四人で飲んで四人が同時に感染したのであれば、感染源は別の者になろう。それはあまりにも不自然で、保健所の調査に嘘は言えない。そうであれば、保健所はすべての状況を把握していたことになるし、県への報告は保健所が行っている、長野県の感染者情報である。だからして、隠蔽工作した本人が、白々しく「県の情報によれば…」「県が補助します」と逃げ口上を言えたのである。
まだある隠し事
同棲しているフィリピン嬢は、もはや公然の秘密であって、独身の代田教育長には痛くもかゆくもない話しである。保健所には嘘を言えないが、それとなく触れ回るには「同棲している女から移った」は、好都合であったのだ。世間の目は好奇心に向くであろうが、同時にフィリピン嬢と言うことで、感染源であると信じてしまうだろう。でも少し考えれば疑問がわく、それは、日本からの出入国に制限が掛かっている限り、フィリピン嬢が、また、正月であろうが、里帰りなど出来ない。飯田に閉じ込められているフィリピン嬢が、感染源者になるはずがないと気づくのではないか。そこまで行けば次の疑問だ。「ソシアルクラブのお客から移った」であろう。でも、それも簡単に否定が出来る。お客が感染源なら、それが誰から移されたのかが先に有るはずであるからだ。また、ソシアルクラブの感染者はほかに出ていないし、この4人に絞られてもいる。そのように条件を潰してくれば、代田昭久が感染源者だと断定できるのだ。一番症状が重いから入院したのに、それが感染源者でなくなんとする。他の三人が三人とも、自宅療養待期で済んでいるではないか。
佐藤健と代田昭久は仲が悪い?
ソシアルクラブのホステスから代田教育長が移されたとの情報は、代田教育長からもたらされていたのだ。だが、一般世間では、「教育長は会議の席で移された」が信じられている。それはなぜか? それは、報道機関がそう報じたからだ。報道機関の罪は重い。裏付けを取らずに平気で記事にする。そして、誤報ではないとも開き直る。飯田市の報道機関の質が悪いのか、それとも騙される程度の住民しかいないのかのどちらかであるが、まあそんなことは真実が明るみに出れば、赤恥をかくのが報道機関と言うことだ。最近になって「佐藤市長と代田教育長は仲が悪い」との話が多く寄せられている。それも、二人の地元である名古熊からだ。一瞬耳を疑うが、おそらく議員たちもそんな風に見ているからして、見誤るのであろう。二人の仲が悪いと言うより、二人の仲が悪くなったが正解ではないか。それもそのはず、佐藤健が総務省に呼び戻されれば、それが何を意味しているのかがその仲の悪さにつながっている。だが、本当に仲が悪ければ、今度のコロナ騒動において、佐藤市長は市長として、代田教育長の首を切っているだろう。そこが読み解けなくて何の議員たちなのか。馬鹿も休み休み言えと言いたくなる。振り返れば誰でも分かる。「牧野光朗市長と佐藤健前副市長は、かぶちゃん農園詐欺事件について責任の所在を示さず市長選に立候補することは、民主主義の根幹にかかわる」である。ここを気にしない市民が居る限り、仲が悪く見せられていることに気づかないだろう。
配布した文書
市長選の前、二人の悪事を記した文書を、阿部知事をはじめ県議会、そしてまちづくり委員会から自治会、各種団体、下伊那町村長及び議長、それら全員に配布したことを忘れたのであろうか? 二人が知らぬふりをするのは無理もないが、市会議員も同じく無視を続けるのは納得がいかない。そして、警察はこれら文書の捜査をするに、まだ最初の犯罪が何も解決していないのだ。その犯罪が「かぶちゃん農園詐欺犯罪」であることは、今や市民の誰でも知っている事実、これに手がつかない状況において、コロナまん延の現況であった代田教育長が、このかぶちゃん農園詐欺犯罪の首謀者であることは、すでに警視庁の手の中にある。
逃げ出した二課
「飯田をやるんで」そうして始まった長野県警の捜査はとん挫しているが、どうも私と会った二課自体が解体しているようだ。「飯田をやるんで」として始まった官製談合の捜査であって、それが意味もなく終わっているなどあり得ない。だからして、やはり上の上から指示が有ったとみてよいのではないか。上は警視庁であり、それはかぶちゃん農園詐欺犯罪の捜査であった。「警視庁は雲の上の存在で」は、刑事の言葉であるが、だからこそ官製談合の捜査が必要であって、私と会ったその時に、すでに熊谷議員と会いたいと言っている。「熊谷議員を呼んでいるではないか」と、ごく最近、その二課の刑事に突っ込めば、「私が飯田の担当なので」と、肯定しながら思いもつかぬ余分な事を言った。飯田の担当という事は、飯田下伊那の担当という事であるが、それであれば解体した事が不思議になる。かぶちゃん農園の警視庁捜査に邪魔になるはずがなく、そこから切り込むのが警視庁だ。だとすれば、警視庁を止めた、上の上が事実となってくる。そのような事は飯田担当の二課の刑事ではなく、上司であった特捜班長が動いている事になる。やはり、検察庁特捜の捜査はかなり進んでいるのだろう。そうであれば、章設計の裁判を引き延ばすのが得策であって、飯田市が潰されないように、検事に証拠が渡るのを遅らせなければ成らない。
官製談合はどうなる
熊谷議員が用無しになったという事だが、それであれば官製談合の捜査は進めていない事になる。国に告発した時に官理官からハッキリ言われたことは、「これは官製談合ではない。行政犯罪だ」であった。だからこその捜査打ち切りで、警察の出る幕ではないということだ。それが解体された理由になるが、簡単に言えば、二課の飯田担当刑事はやることが無いことになる。だからして、やるべき仕事をあげることにしたが、それも進めていけば特捜に行ってしまうだろう。まあ、特捜が気づくことに成っても、実際の捜査をするに県警は必要なことで、また、熊谷議員も刑事にとっては頼みの綱になるだろう。いかに熊谷議員が抵抗したにしても、それは警察には通用しない。だからこそ強く言っておくが、議員として何を成すべきことなのか、そこを見誤ってはいけない。飯田市の不正を阿智村の住民が正すより、市会議員として本来の議員の務めを果たせば、自然と人はついてくるものだ。それしか再選の芽は無いと伝えておく。少なくとも、後援会の人たちには事実を伝え、不正に取り組むとせよ。
コロナの後始末は議会の終わり
再選に向かう議員たちは、今もっておとついの公約を挙げているが、山本の原和世の厚かましさは目に余る。山本のまちづくり委員長に議会と行政の不正文書を持参した時に、原和世の評判は噂通りであったが、それにしてもまだのさばらさせている事が理解できない。阿智村と同じで、陰で岡庭一雄の悪口を言うのと全くかわらない。まあ、私としては再選していただきたいし、議員としてお縄にさせたいとが本音である。
コロナの功罪
代田昭久教育長のコロナ感染は思わぬ犯罪を表に出すことに成るが、その犯罪が露呈する前に、佐藤市長も議会も責任が問われる。「代田昭久教育長が感染源者であった!」とか、「代田昭久教育長が東京滞在していた!」とかが、まず紙面をかざるのではないか。そうなれば、議会は当然に代田昭久教育長の責任を問わなければ成らないし、佐藤市長にも同様の責任を求めなければならないが、はたして今の議員にそれらが出来るのだろうか? 「そんな事は知らなかった」が精々で、言い訳に終始し議員であることも忘れているのではないか。
飯田市の議員はその程度であって、代田教育長をかばうともそれから先は他人事の傍観が良いとこだ。だが、そんな事は私が許さない。散々に市民を蔑ろにしてきた付けは、きちんと返してもらおうではないか。何にしても、近いうちに逃げられないように荒縄で囲い込むのを宣言しておこう。
隠ぺい工作は犯罪
代田教育長を公務員としたのも代田昭久教育長の東京滞在を隠したことも、代田昭久教育長が佐藤市長に懇願した事である。そうでなければ公表しなければ成らない事実を公表しなかった説明にならない。「公務員」は間違えたで済むかもしれないが、東京滞在はそんな訳にはいかない。なによりも、飯田保健所がその事実を佐藤市長に報告したのは感染の拡大を防ぐためであって、それを蔑ろにした罪は万死に値する。何よりも、コロナに感染すれば死の危険性があるのと、実際に小中学生や幼児が感染しているからだ。ここまでの事実が白日の下に晒されれば、市民は驚くよりも佐藤市長の責任を追及するだろう。そして、コロナ情報に対しての行政法に反したとして、告訴へと進むのではないか。本来ならば、そこまで追求して佐藤市長を辞職に追い込むのが議会の勤め、それでなければ市民の負託に応えていないことになり、市民は議員一人一人に対して、市長と同等の責任を求めるだろう。それが民主主義であって、責任が伴わない公の職業は存在しないのだ。立候補を予定している諸兄らも、この問題を避けては通れない。「市長と議会の責任を問う!」が、マニュフェストとして挙がるのは目に見えているではないか。
首に縄をつける
佐藤健が市長に成ることは過去の犯罪に怯えてのことだが、その犯罪の捜査が進んでいる。鏑木会長が自殺して二年、ケフィアの会長が逮捕されて一年、そしてこの二月をもってかぶちゃん農園詐欺事件は丸3年目に入っている。何事も三年が周期であって、警視庁がこのまま経過を見守るなどありえない。これ以上の引き延ばしは、それこそ警視庁の沽券にかかわることだ。それにしても佐藤新市長の評判が悪い。3万5千票も取った候補者だと言うに、まったくもって無責任は市民ではないか。自業自得は市民であって、「何もしてくれない」「市長としての能力がない」は、勝手すぎる批判に聞こえてしまう。警視庁が逮捕すれば、「ほら見たことか!」は聞こえもするが、天に向かって唾する心境とはこのことで、隣の不幸は勝手すぎる中傷だ。
ここにもある犯罪
佐藤市長はなぜ隠ぺい工作をしたのか? これが重要なことだ。たしかに代田昭久教育長がコロナウイルスをここまで広げた罪は大きいし、責任を取らせるのは当然でもあるが、そこにある事実を知らなければ、佐藤市長が警視庁に逮捕されるに、そこだけに焦点が当たってしまう。本当の恐ろしさは、代田昭久教育長が、「なぜ非常事態宣言下である東京へ出向いたのか?」であって、その出向いた理由に佐藤市長の関与が無くて、隠蔽工作に走るなどはあり得ない。だとすれば、隠さなければならない事情は、そこに犯罪が有るからだと思われる。十分に考えられることは、代田昭久教育長は、東京で誰かに会っていたと言うことで、それが、少なくともコロナウイルスの陽性者であったことはいがめないのではないか。その会っていた人物が、もしかしたら、飯田市小中学校タブレット配布事業において採用されたメーカの社員であったのか、総務省の高級官僚を接待していたかのどちらかではないかとにらんでいる。どちらと会っていたにしても、その場所に数千万円の金が入ったスーツケースが置かれていたことも想像に値する。「なんの金だ?」は、タブレットのメーカと会っていたとすればリベートであって、総務省の高級官僚と会っていたならば、代田昭久が、飯田市にある商社から受け取ったリベートを運んで行ったことになる。どちらにしても、そこに犯罪が無ければ隠蔽工作など行われるはずがない。
賄賂
リベートは賄賂でなく、帳簿にのせられる売り上げ計上金であるが、残念ながら、行政にリベート収益は存在していない。商社やメーカがリベートを払うに、それは個人的な紹介料となるのは当然であり、領収書がいらない金は、通常マネーロンダリングという資金洗浄において、二割程度減額されているだろう。だが、相手が特別公務員や高級官僚ともなれば、それらを減額するなどありえない話で、要求された金額より多く払うのが慣例であって、せっかくのラインを無くそうなどの危険は冒せれない。だからして、「一千万円や二千万円…」と軽口がたたけることで、庶民が言う、「千円二千円」とは大きな隔たりがあるのだ。もともとに国の金、人の金だと強く思うのは、接待を常に受けている高級官僚の口癖である。だが、世間でも警察でも、そのリベートを称して「賄賂」と言うのであって、特別公務員でも公務員でも、受け取れば警察に逮捕される犯罪となるのだ。
悪人の見本
代田昭久教育長は評判が良いと言うが、この話が事実であった時、それは、悪人としての、稀代まれな見本になるだろう。それも飯田市が生んだ犯罪者であって、教育長として育んだ結果であるとすれば、何とも皮肉な結末になるではないか。ある報道機関の記者は、リベートの存在について多くを語らなかったが、その存在があることや、通常にして、飯田市小中学校に配布されたタブレットのリベートだとすれば、数千万円になるだろうの情報は既につかんでいた。誰もが疑ってのことであれば、それはやむなく警察のご厄介となる日は近いだろうが、のんびりと、市長の袂に居る議員らの間抜けさであれば、それはしばらくして己たちの首を絞めることだろう。
私はここに宣言する
確たる証拠もなしにここまでのことは書けないが、それにしてもこの様な疑いの眼を向けない市民たちの多いことに驚く。かぶちゃん農園も数であったが、柿農家さえが、佐藤健副市長のおかげだと本気で思っているらしい。信じられない話であるが、くしくも同級生がそれを証明してくれた。佐藤健市長と代田昭久教育長の犯罪を、暴くにそうは困難を伴わなくあったのは、行政書類としての不備であり、能無しの議会であるからだ。この様な体たらくの議員らが、いまだその立場に執着して議員改選に臨むのは健康的によくない。だからして、ここで引導を渡せるのは、私しかいないと考えている。堂々と対峙するに、そこに何が必要とかはまるでないが、佐藤市長も代田教育長も、今度ばかしは逃げられない。行政であることの正しさは、中に居るものでは分別もつかない。少々荒っぽい方法ではあるが、とても良い薬になると考えている。
犯罪の区分け
かぶちゃん農園を筆頭にと言いたいが、実際は監査委員まで仕組まれた官製談合がそこにある。市長選に立候補したのも、それらの不正を正したいと考えたからだ。報道機関はそれらに気づき、しつこいまでの質問が投げかけられたが、案外に、ブログを読まれている冷静な市民は、不自然でもあるその姿に気づいていたようだ。そう、もはや良識のある市民らはそれら犯罪にが何であるのかは理解できており、それがどのようにかぶちゃん農園詐欺事件へとつながるかが、当面の関心ごとなのである。だが、犯罪にはそれからがあることで、かぶちゃん農園と同じく多くの予算が総務省から送られてきていたと知れば、かぶちゃん農園でのごまかした金が、いったいどれほどの金額であるのかに関心を寄せ、それらの金が、はたして代田昭久や佐藤市長にどれほど渡っているのかを突き止めることにある。幸いにも、それらが判明するには警視庁の頑張りであることに加え、牧野光朗のもとには多くの金が回っていないということだけは見えてきた。だが、あくまで市長は牧野光朗であって、その市長が一番先に逮捕されなければならなかったのだ。牧野光朗は再選を望まなくとも、佐藤健が総務省に呼び戻された現実において、ハッキリと、自分の逮捕が見えたのだ。市長を辞めればただの人、それは間違いなく捜査の手は伸びる。だが、ここで市長にかえり咲けば、総務省が守ってくれるとの、そんな空手形が代田昭久からもたらされたのだ。だからして、代田昭久の策略にまんまと嵌り、落選の憂き目を見たのである。
あと二つの犯罪
かぶちゃん農園の鏑木社長は、本当に自殺であったのか? 1,200億円など、返せる金額ではない。そこで死を選択するほどやわであれば、だいたいに、1,200億円まで進むうちに死んでいるのではないか。
怖い話になってきたが、とんでもない黒幕が居るような気がする。菅総理の長男のように官僚接待が表に出るならばまだしも、闇の中に潜んでいるのであれば、早いうちに表沙汰にしなければ、また被害者が出るとも限らない。だからして、かぶちゃん農園詐欺事件を放置してはいけないのである。市長選に出た効果は確実にあった。飯田市選挙広報においての訴えは、知る人にとってはかなりな衝撃であったようだ。また、飯田ケーブルテレビが長く会見の様子を放映した事で多くの市民に行きわたり、かぶちゃん農園詐欺犯罪に、牧野光朗前市長や佐藤健市長の関与は既成事実となった。ここまで口に上がるようになれば、ここしかチャンスはないだろう。県警を慌てさせるより、警視庁のふがいなさを知らしめれば良いのだ。そういう分けで、ここに宣言します。佐藤健市長の犯罪を、市民の皆様に告発いたします。
告発する三つの犯罪
かぶちゃん農園詐欺犯罪は言うまでもないが、あと二つ、それは残っている。市民が気づかないところで、そこは着々と進んでいたのである。これらの犯罪は当然に、牧野光朗市長の名のもとに行われてきたが、瀞(トロ)いもので、牧野光朗は実入りが無くての犯罪者となる。まあ、総務省の高級官僚から「全国市長会の副会長にさせてあげますよ」なんて言われ、佐藤健を副市長にした罰が回ってきたのだと諦めてくださいね。
二つの犯罪は、明日の午後、飯田市役所記者クラブにおいて会見方式でお伝えします。テレビも新聞社も、そしてケーブルテレビも取材していただけますので、今回は市長選挙の会見と違い、報道機関の質問に、しっかりとお話しさせていただきます。
佐藤市長と飯田市議会議長に、3月1日の午後1時ころ、公開質問状を提出いたします。
2月25日に、飯田市役所秘書広報課を訪ね、佐藤市長に公開質問状を提出したいと申し入れました。串原広報部長は、「2月26日の金曜日は、広域連合で時間に制限が有ります」と言う。では、3月1日でお願いしますと言えば、「どのような質問になりますか?」と聞かれた。公開質問状の内容を聞かれるのは初めてだがすべてを言うわけにはいかない。「佐藤市長のコロナ緊急記者会見を見て疑問を感じましたので」と、答え、「議長にも同じような質問状を提出しますので、吉川事務局長と時間調整にこれから出かけます」と言い後にしたが、不思議な受けごたえを感じた。そこに来て、吉川事務局長は、もっと違和感のある受け答えでありました。「違反建築は県の責任だと言ったのは私の個人的な見解です」まだ何も話していないのに、椅子に座った途端の言葉が此れである。何しに来たのかを察する様な発言だが、「そんなことはどうでも良いが、3月1日に佐藤市長に公開質問状を提出し、その後で議長に公開質問状を提出したいが、秘書課の部長と時間調整してくれないか」と言えば、「分かりました。部長と打ち合わせておきます」であった。
26日、串原部長から電話が入り、「市長は予定が有り、私が代わりに受け取ります」という。昨日は予定が入っていないとして受け付けたのに、それはおかしな話しではないか
(この続きは、記者会見をご覧いただきたいと思います。ちなみに、議長・副議長と揃って受け付けてくれるそうです)
記者会見開かれず
報道機関は一社だけでした。一社だけの場合は会見とはならないため、オフレコでの話としましたが、各社がなぜ来られなかったのかと言えば、各町村の議会が始まり、新年度予算の取材で忙しかったのと、金曜日午後の連絡で月曜日を指定したため、あまりにも急な連絡だとのことでした。まあそれはそれでやむを得ませんが、やはり記者会見を開くことが出来なかったのは、それなりの理由が有るはずで、それはやがて意味を持って教えてくれるでしょう。まあ、公開質問状を提出するの内容で記者会見を開くなど到底無理な話であったが、その様なことをブログに書き出したのは理由が有ります。それこそ、有る報道機関の記者が市長選の記者会見を見直して、「NHKの記者がしつこく犯罪のことをしゃべらせようとしてましたね」「熊谷さんはそれを交わしてましたが、当然ですよね」、「ああ、突然に市長選に立候補するに、市民が認める公約を掲げなければ『あいつは何だ!』であって、そこで犯罪がどうだこうだは言えることではない」、「よく分かります。市民はそんなことは関係ないですからね」この様なやり取りにおいて、同じ報道機関の飯田市担当に来てもらい公開質問状を見てもらった。「どう?記事に出来ますか。記者会見は無理だろうね」、「ええ、これは記者会見できますよ。今月はNHKと読売だったかな」、「NHKか、彼は市長選の会見で『私も一市民です。どのような犯罪であるのか話していただけませんか!』なんて、しつこく聞いていたから良いかもしれないな」、「ところでいつやりますか?」、「議会が始まっているんで記者の動きも良いし、26日に出そうかと考えてるよ」、「26日は、市長は広域連合でダメだと思いますよ」、「あっそう、じゃあ3月1日の月曜日にしようか」、「私は午前中取材が入ってるんで、出来れば午後にしてもらいたいんですが」 まあ、その様なやり取りにおいて、昨日となり、そして、その記者だけが出席してくれました。午前中にすれば、とか、日にちを変えれば集まっていただけましたが、目的は市長と議長に質問状を出すことで、この二人が空いている日時で決めたことなのです。
話が違う
串原部長は佐藤市長に確認されたところ、「そんなことでいちいち市民と会うつもりはない」と言われたそうだ。「私は阿智村の人間で市民ではありませんよ。市長選において、897票も市民からいただいた。その市民の代表として質問状を直接受け取っていただきたい。2、3分で済みますし、そのあと記者会見も予定してますので、もう一度確認していただけませんか」 そしてしばらく待った。ほんとにしばらく待った。やっと来た話は、「一日中予定や移動が有り時間が取れないので、私が代わりに受け取れとのことです。申し訳ありません」、「いや、申し訳ありませんは不要です。では、午後1時でよろしいでしょうか。それと、記者クラブ室を貸していただけますか」、「え!?記者会見をするんですか? 貸し出しは大丈夫ですが…」、「ええ、早く日時を連絡しないとですので」、「午前中は空いているのですが、午後1時から会議が有りますので」、「あっそう、では12時45分でもよいですか。そのあと議長に提出します。1時から記者会見しますのでお願いします」、「はい大丈夫です。議会事務局長の方にも話しておきます。調整後に議会事務局長の方から電話をさせますので」 それから待った。議会事務局長からの電話を待った。もう時間が無くなった。やむを得ず、NHKの記者に連絡した。「え!?3月1日ですか?時間的に連絡が厳しいですね」
連絡漏れなのか?
夕方になった。議会事務局長からまだ連絡がこない。仕方が無いのでこちらから電話を入れる。「ああ、また章設計さんから先に電話を入れてもらって申し訳ありません。今連絡をしようと思っていたところです」、「串原部長から話は言ってますか?」、「はい。承っております。うちは、議長と副議長の二人が受け取りますんで」副議長といえば原和世議員である。これは願ってもない展開だが、一つ気にもなっていた。それは、湯沢議長が病気を理由で引退すると言う話が聞こえていたからだ。いわゆる、悪性の病気だそうだ。だからして原副議長が同伴するのだろう。
そんなこんなでバタバタであったのが金曜日の夕方なのであります。NHKの記者はテレビ局3社に連絡は入れると言っていたが、新聞社の方にすべて行き渡ったのかが気になった。ケーブルテレビは記者クラブに入っていないので、連絡はこちらでと言っていた。そしてケーブルテレビに電話をしたが、担当者は取材に出ており留守だと言う。要点だけを伝えて良しとしたが、肝心な時に電話が入った。
4時半、ホテルのロビーでチェックインするに、スマフォが鳴った。ある報道機関の記者である。「公開質問状を出されるのは、佐藤市長と議長さんと言うことですか?」、「ええ、佐藤市長は忙しいを理由に広報室長が代理で受け取るそうです。議会は、議長と副議長の両方が受け取るようですよ」、「一時から記者会見とありますが、記者クラブでよいのですよね」
その日は、「空模様」の出版記念を計画しており、同級生10人で始めていた。コロナの時期もあって、まだプレオープンされていないホテルの中広間、10人では広すぎであったが、個別の仕切りはたいして気にならなくあった。それに、同級生の一人が平谷村の村長になるに、ついでで悪かったがおめでとうも言わしていただいた。その挨拶が終わるか終わらないタイミングで電話が鳴った。それは、ケーブルテレビの女性記者であった。「市長さと議長さんに公開質問状を出されるようですが、1時に記者クラブで会見されるようですが、そちらにお伺いしてもよろしいんですか?」、「ええ、記者クラブにも了解を取っておりますので、市長選と同じようにお願いできればと思います」、「質問内容はこの五項目でよろしいのでしょうか?」、「はあ、そうですが」、「分かりました。わざわざすみませんでした。ありがとうございました。それでは当日伺わせていただきますのでお願いします」そして宴会が始まるに、お酒の次合いも出来ない仕切りは手酌でやるしかないが、それはそれで、いつもの同級会と大して変わりはない。話題はこの本と飯田市長・議長への公開質問状に明け暮れたが、異口同音であるのはさすが同級生である。中には過激な発言もあったが、それは、どの市民でも事実を知れば同じことを言うであろう。そこでまた電話が鳴った。またもやケーブルテレビである。「何度もすみません。一つ伺ってもよろしいですか」丁重な言葉使いは、さすがに教育が行き届いているのか身についたものか、どちらにしても良いことだが、質問はそこになく、的を射たものであった。「市長さんは受け取られるのでしょうか?」、「はい?どうしてですか」、「市長さんが直接受け取るのであれば、その場面から撮影したいのですがよろしいでしょうか」、「それは願ったりな事ですが、実は、佐藤市長は『そんな質問状にいちいち会う必要はない』と仰られたようで、串原部長が受け取るようです」、「広報室長の串原さんですか?」、「ええそうですが…? 議会は、議長と副議長の両名が受け取ってくれるようですので、その足で向かいます」、「分かりました。それではお願いします。何度もすみませんでした」
姿が見えぬケーブルテレビ
NHKの記者は連絡を取ったようである。確認はしていないが、テレビラジオ新聞社で14社あると言うが、その肝心なNHKが顔を出さないのはどういうことか? 半ば腹が立つのは、市長選の記者会見で、「私も飯田市民です。不正のお話を詳しく話してくれませんか」と、何度も突っ込まれている。(記者会見ユーチューブをご覧あれ)その正義感ぶった記者が来ないとはどういうことなのか? そういえば、飯田荘の違反建築とそれに絡む不正の証拠を渡すと以前に電話を入れているが、その時も「来週の月曜日に伺います」と言ったきりなしのつぶてであった。仕方なしに信毎の記者にその証拠を渡したが、一人で忙しいだけが理由でないことは分かる。
原和世副議長
約束通りを果たした報道機関は一社であるが、そのことがかえって幸いした。それは、記者会見が成立しなかったと言うことだ。どこかの誰かに言わせれば、それらの行為は売名行為に映るらしい。市民の良識がまだこの程度であるからして、先が長いと感じる。記者会見が成立していたとすればどうなったのだろうか? そのように考えれば、それはある起点に気づく、そう、公開質問状も何もかも、期限を切って(3月15日)質問すれば、それは当日が過ぎなければ公開も出来ない。返事が有ればそれはそれでよいが、返事がなくともそれまでのもの。内容を知れば、返事などあるわけがない。それほどに、要点をついた質問と言うことだ。あれやこれらで12時45分、約束通り広報室に届いたが、聞こえてきたのは、「まだ来ないんだよ」という、ひそひそ話であった。誰に向かって話しているのかと見れば、串原広報室長が吉川議会事務局長にささやいている。吉川議会事務局長の「来ましたよ」との声で、振り向いてくれたが、少々ばつが悪いのか、「あ、カメラ!映すんですか?」の声が上ずっていた。「私的撮影なんで気にしないでください」とは言ったものの、上着下を気にする串原広報室長のしぐさを見逃したりしない。まあ、私としてはゆったり時間をかけ、少しくらいは皮肉ってやろうと、「昼休みの貴重な時間をいただいてすみません」と頭を下げ、「昼休みの一二分でも佐藤市長さんは時間が取れないんですね」と、カメラ声で話してみた。相当な嫌味に聞こえたのかもしれないが、それは十分な時間があったみたいである。「議会事務局長も待っておられますので」と話されたかもしれないが、「終わりましたら案内しますのでこちらにどうぞ」と、用意周到に奥のドアを開けたのは吉川議会事務局長でありました。名残は惜しいが、待たせてもいけない。早々に案内されたドアとは反対に、今来た道を引き返す。ドアの道、そこはあなたたちの通路であって、私はそこを通りたくないだけのこと、些細な抵抗だが、私には十分落ち着く行動でもあった。
副議長しか居ない
先頭に立って歩きながら、階段へと案内するに、「申し訳ありませんが、議長が急に立ち会えられなくなって…」、何たることだと思いながら、「なんかご病気だそうで、大変ですね」のような言葉だったかもしれないが、「病気が理由で再選しないのとは違うようでありますよ」と、それこそ湯沢議長の幼友達から聞いた事実を放ってしまった。「えぇはあぁ」歯切れが悪いのは、まともに聞いていない様子であって、「どうぞこちらへ」「どうぞどうぞ」と、口をはさむことが許されないような相槌である。まだ様子を探りたいが、はや議会事務室についてしまった。「どうぞ」と、ドアを開けて誘導されるは、何度来たのかこの室へと、つまらぬことを思い出すものだ。議長室で議長の机で待っていたのは、話の通り原和世副議長であった。初めてのご対面である。会いたくも無い者に会う羽目になったが、これもこれから先の展開に、大きな意味を持つだろうと、いつもの様な思いが頭をよぎったが、ここは単純に、そして冷静にことを進めようと、案外落ち着いている自分に気が付いた。いつもの様に言葉を選ばないが、相手が相手、どのように突っ込んでやろうかと、その順番が頭をよぎったが、原和世副議長の方が緊張している。もはや相手ではないが、社長に頼んだ撮影に、「良いですか?」と、声をかけたその時に、やはり、何か聞こえたような気がした。録音機を忍ばせているかも知れないと、清水前議長から聞かされていたのかもしれないが、カメラを向けられれば、少しは安心したのかも。だが、カメラはカメラでも、今のカメラは撮影も出来るのであって、いつまでも掲げているカメラに視線は向いていた。
小さい男
「所長、原議員て、もっと大きい人かと思ってましたが、小さくてびっくりしました」これは、撮影していた社長の言葉である。選挙ポスターや市長提言の記事を見ていたイメージと違ったらしく、案外貧弱に見えたと言う。「そうか? 気にしても居なかったが、私より小さいか?」、「ぜんぜん、なんかペコペコしていたせいですかね、所長よりまるで小さいですよ」
姑息な男の姿はそんな風に見えるのだろう。通り一遍の話をした上で、「章設計への反訴を議会は承認されておりますが、その対象である飯田荘が違法建築物として取り壊されでもしたら、何も証拠が無くして章設計の反訴を承認された議会の責任は大きいですよ」痛烈な一打を放ったが、この男、そこまで気づく頭は無い。「答えられる質問があれば返事が出来ると思います」などと、棒読みでの声が面白くもあった。
3月15日まで
議会事務局を後にして記者クラブへと向かったが、そこにはやはり一社しかいなくあった。用意しておいた質問状と添付資料を一通り目を通した後に、「まだ待ちますか?」と、思いもかけない言葉が話された。それは、記者たちの間ではこの様な情景が何度かあったことを意味していた。「撮影するんですか?」、「いや、しないよ。一社だけであれば撮影したって仕方がない」、「一社だけですと会見にならないんですが、それでよろしいですか?」、「ああ、構わない。オフレコで話しますよ。何でも聞いてください」、「この質問状はブログに書かれていることと同じですよね?」、「ブログではまだ書けないことを質問しているから、質問状の話をするよ」これ以降は、それこそオフレコですから書けません。
他の新聞社がどこも来なかったことは、やはり、昨日今日で取材が入っていたせいである。それらは、二社の新聞社にその帰りによって質問状を渡すに、それぞれが、「すみません。今みんなで払ってますので」で理解は出来た。問題は、ケーブルテレビである。「ケーブルテレビは金曜日の夕方何度も電話が入り、必ず来ると言っていたが」、「そうですか。ではまだ待ちますか?」、「いや良いよ。それより、ケーブルテレビの社長は原勉だよな?」、「え?ああ、そうですね。代表ですね」、「それなら来ない理由はただ一つ。来れないんだよ。上にお伺いを立てたら、『だめだ!止めろ!』とのお達しだよ。この質問状で原勉とのつながりが見えちゃうからなあ」
そんなこんなで30分程度で記者クラブを後にしたが、今もってその新聞社も他の二社も記事としないのは、やはり記事に出来ない内容であると言うことだ。質問状への回答期限を3月15日にしたが、そこが一つの区切りであることに違いはない。そこでもう一つ追加をするが、朝日新聞飯田支局に電話を入れた。転送で送られたが電話に出ない。そのうち留守番電話となったので「章設計の熊谷です」と名乗ったうえで、概略を話し、電話をいただきたいと入れてみた。電話切った途端に折り返し電話が入ったが、どういう分けか二度のベルで切れてしまった。二日は待った。なしのつぶてだからしてもう一度電話を入れた。そこでもやはり同じ留守電に、もはやこれは作為的である。そういえば、阿智村岡庭一雄の不正や犯罪を、何度話しても記事としないどころか怒り出した前任記者は、まっかっかの共産党であったことは誰でも知っていることだ。章設計は敵であるということらしい。市長選の記者会見で、行政不正について一度も突っ込みを入れなかったのも朝日新聞であって、同じ記者が今も居る。さて、飯田市の定例議会は開催中であるが、3月15日までには終了する。この質問状に対応する機会や時間は十分あるに、はたして返答書が届くであろうか? 二年前と同じような「議会では対応しないが正式な返答だ」「『議員個人で対応する』は吉川議会事務局長の個人的な見解だ」のどちらにしても、今回は通用しない。原和世副議長の牽制球のように、「答えられる質問だけ答える」がせいぜいだろうが、はたして質問状を目にする市民らは、それで納得するとは思えない。佐藤市長はどうでしょう。二年前は、「総務省に戻るので時間が有りません」でした。今回は、昼休みの一二分も時間が取れないハードスケジュールのようですが、それこそ串原広報室長にお任せしておけばよいのではないですか? ちゃんとした返答分にはなっていると思いますよ。返答があれば証拠と成るし、返答できなければ事実となる。さて、どちらを取るのでしょうか? そこは忙しいのは理由になりませんね。
佐藤新市長の評判
「私の身内が秘書課に居るんですが、『佐藤市長は本当に何もできない』って言うんですよ」、「あの人評判が悪いね。何にもしてくれないじゃないの」、「え!?代田さんがコロナの感染源なの!?フィリピンのホステスと同棲してるの!?がっかりしたあ」、「町の中だけコロナで補助をしたって、ここはエリアに含まれていないから補助はないなんて、不公平じゃない。この一年、一週間に数人ですよ!」そうは申されましても、市民が35,000票も挙げたんですからね。それを忘れて文句を言ってもねえ。新市長なんですから何も出来ないのは当たり前で、親衛隊の議会がついているんですから心配いらないんじゃないですか?(まあ、副市長としてはかなり余分なことまでおやりになったようですが)
原勉の役割
押しも押されもしない商工会の会頭である。この男がここまでのし上がるに、相当な過去があるは言うまでもないだろう。おひさま進歩や水力発電にしてもそうだが、それら利権の一切を仕切るに、それこそ市民代表が言うような、相当なブレーンがいるようだ。まあ、飯田高校を出てなければブレーンとは言えないようであるが、そこまでのし上がった男が落ちていく様は、それはそれで見ごたえがあると言うものだ。「原勉など関係ないじゃないか!?」と、ご立腹の市民もいると思われるが、佐藤健にしても代田昭久にしても飯田高校であって、原勉が市会議員を引退するに、佐藤健が副市長に成ったことと、大いに関係あると見た方がよろしいですよ!?そういうことは、かぶちゃん農園詐欺事件にも関与が疑われると言うことと、代田昭久のコロナ感染隠ぺい工作にも関係してるってこと。下手をすれば、東京滞在も同行しているかもしれない。体外に、不正犯罪のつながりなんてものは、一つ挙がれば面白いように見えてくる。まあ、そこは刑事のだいご味であるのかもしれない。
原勉が橋南代表で市会議員になる時、「よそから来た身ではまだ早いんじゃないか」との声が多かったそうだ。それは、青年会議所委員からの注進であったが、やはり利害でつながる何とかテックの小規模の下請けなどは必死であったようだ。今回の市長選にも原勉のバックアップ組織、青年会議所は動いている。それらは明らかに佐藤健にかじを切ったが、古参(ロータリークラブ)は牧野光朗であったそうだ。その流れを見極めてたのが原勉商工会議所会頭であったが、佐藤市長を何もできないと非難する市民は、原勉に対しても、少し注意を払った方がよくないかい? とんだ食わせ者が、飯田市を食い物にしているかもしれないよ。
さて、牧野光朗前市長と佐藤健前副市長の、かぶちゃん農園詐欺事件への関与が濃厚になっておりますが、警視庁の捜査はどこまで行っているのでしょうか? 警視庁はご存じのとおり東京都の警察機構です。ですから、長野県で起きた犯罪であれば、そこはやはり長野県警でありましょう。ですが、県警はかぶちゃん農園に関してはだんまりを決め込んでおりますし、それは管轄外だとした対応もあるでしょう。しかし、昨年の2月に警視庁はケフィアの会長を逮捕し、飯田市にあるかぶちゃん農園の家宅捜査において証拠が挙がったと報道された。それらの報道を聞けば、かぶちゃん農園詐欺犯罪は、飯田市に在った、かぶちゃん農園本社で行われたことを示している。そうであれば、かぶちゃん農園詐欺犯罪は、長野県警の管轄となるはずだ。
カギを握る第三の男
間尺に合わないとはこのことで、現実的な経過を振り返れば、かぶちゃん農園詐欺犯罪は飯田市で行われたことである。確かに数万人の被害者は都内に集中しているが、飯田下伊那にも数人の被害者が居るのであれば、警視庁だけで仕切ると言うのは、たとえ力関係が有ったにしても警察庁の組織としては考えられない。ただ、警視庁がケフィアの会長を逮捕したことに、一年も経過すれば世間の関心はそこにはないが、事件が終わっていないと言えば、誰もが「そうだ」とは答えている。事件が終わっていないのはまだ被疑者が居るのだと言えば、それも「そうだよなあ」と返事。誰もが分かっていながら誰もが不思議に思うところである。数万人の被害者はどう考えているのか。かぶちゃん農園被害者団体に参加しているのは千数百人で、被害額も80億円程度に縮小していると言う。ケフィア倒産による負債総額は、1053億円、債権者は約3万人であるが、これらが合わされているとは公表されていない。ここに盲点があるような気がしてならないが、ケフィアの会長を逮捕するに、なぜ飯田市のかぶちゃん農園の家宅捜査に入ったのかと言うことだ。ケフィア会長の詐欺犯罪の証拠であれば、ケフィア本社や会長の自宅がその捜査対象に入ることで、息子の会社であるかぶちゃん農園で、ケフィア会長を逮捕する証拠が挙がったのが分かり辛い。世間は結果が知りたいだけで、阿智も飯田もそうであるが、原因や経過などはどうでもよく、ただ、結果がすべてだと信じて疑わない。経過の中で証拠を集めるのがいかに困難かと言うことだが、かぶちゃん農園がつぶれてから警視庁が動いたなどはあり得ない。地道な捜査は警察のもっとうだが、そこを評価する国民が誰もいない。まして、「当たり前の仕事だろう」と、決めつけているのだ。だからして、「警察に言えばよい」「逮捕が有って本当だ」「訴えればよいじゃないか」などと軽口をたたくのである。噂で警察は動けないが、新聞に出れば捜査しなければならない。「犯罪が有った」が表沙汰になれば、それは当然のことではないか。だが、捜査したにしても、又確かな証拠を得たとしても、ゴーサインは本部長であって、一介の刑事が正義感で行えることでもない。中には正義感をかざすような者も居れば、犯罪を自己判断する刑事もいる。被疑者が居ても逮捕に踏み切れないは、それ相応の理由があってしかるべきもので、それは同じ行政側に被疑者が居ることになる。県警本部長は警察庁からの出向本部長であるからして高級官僚の一員となるが、はたしてそこに内輪の事情が無いことを祈るだけである。
期待は望み
いつの時代でもどの機関でも、下っ端が最前線に立つもので、その下っ端がすべての事情に精通していなければ何事も始まらない。だが、「社長さん」は世間の呼び名であって、社長にさん付けをするのが当たり前であるならば、刑事さんと呼ぶのは、一番の下っ端でも、それは敬意を払っていることだ。一番下が動いてこそ、社会正義が守られるものと信じるのである。
あんなこんな
警察であってもその程度であって、世の中平和な方が良いと考えるは日本人の特色でもある。そんな社会で不正を間違いとして修正しようとしても、馬鹿か、良くて風車に立ち向かうドン・キホーテとされてしまう。いかに、行政の不正や犯罪を無くすことが困難なのか、警察が介入できない行政犯罪、報道機関が避けて通る真実の道、その道を歩くのは誰の為でもない。間違った道を己の欲だけで歩こうとする者達へ、他の道を、その後ろにつなげて後悔させることだ。後悔無くして前に進めないことを知らせれば、それさえできない者は、天からお呼びがかかるということだ。
法律とは何だ
社会のルールを定めたものであるが、その目的は人権を守るためである。では、人権とは何だと言えば、資本主義から確立された権利であることはあまり知られていない。憲法で謳う「国民の生命と財産を守る」は、資本主義が根底であることを忘れてはならない。資本主義は社会主義や共産主義と並んで国を形成するための民主主義の手法であるが、商業や産業を制御する経済的政治的システムを保護しているのが法律なのである。この様な体制で国づくりが行なわれているのが日本国であり、資本主義になじまない社会主義や、資本主義を完全否定する共産主義は、資本主義を守る法律を否定し、それらの抵抗手段として政治団体を形成しているのが現状である。
機能しない政治団体
何をどう取り上げても、資本主義の中で共産主義を主張しても法律上にそぐわなく、若い共産主義者に言わせれば「カナリアの声」が精々で、老練な破壊主義者の指導には逆らえないのである。阿智村を例にとれば「共産党が天下を取った」であって、飯田市長の犯罪に及べば「名ばかりの共産党」が現実なのだ。資本主義において共産主義の政治団体を形成したにしても、法律上は対応出来ない団体となる。それらの矛盾がもろに露呈したのが、阿智村と飯田市の行政犯罪という事になろう。分かりやすく言えば、「阿智村は法律を悪用」し、「飯田市は知識が及ばない」ということだ。
飯田市の恐ろしさ
始まりは贈収賄であった。それはたしかに全国的に起こることで、何処にでもあるとの軽口も許されようが、それが官製談合へと進み、ついには飯田市が潰されるほどの行政犯罪と成った。「行政犯罪とは何か!?」といえば、「法律が通用しない犯罪」であることで、だからして、消し去るしか方法が無いのである。法律が適用されない犯罪であれば、それは憲法において判断されることであり、憲法が資本主義を根幹にした国民の生命と財産を守るのである。裁判の公開の停止が憲法上で示されていることは、「国民の財産を守る」の憲法は国民(章設計)にあって、地方公共団体(飯田市)は、法律上における国の出先機関と分別され、そこに憲法は当てはまらない。
飯田市という地方公共団体が、市民(国民)の生命を守るために建設した「特別養護老人ホーム飯田荘」が、建設できない違法建築物と証明されてしまえば、飯田市は自ら法律に反し、憲法にも当てはまらない地方公共団体となる。
もはや飯田市は潰されるしか他に方法が無いのであって、それの責任を負うのが市民なのだ。
市長選への立候補
飯田市と阿智村が潰させると知らさせた時点から、それは大きな重荷となって降りかかりはしたが、逃げ出そうなどの考えは片隅にも思わなくあった。何をどうしようは完全に頭の中にあり、そこに向かうは宿命でもあった。
市長の責任
贈収賄からの始まりは個人犯罪として当たれるが、それらを隠蔽し、尚且つそこに市長が絡んでいればやっかいとなる。だが、議会が当たり前に機能すれば市長個人の責任として片付けられよう。それが出来なかった飯田市長の犯罪は、市長の裏にいる不徳の族の利権であるのは言うまでもない。そこが厄介であり、個人犯罪を大きく広げてしまうのだが、世間がそれを許すのは、それらの恩恵を受けていると錯覚するからであろう。
かぶちゃん農園が潰れようが柿農家にとっては卸価格の高騰で潤えばそれで良いし、建設業界にしてみれば、官製談合に成ろうとも、それが飯田市の黒歴史であるなど考えもしない。蝕まれた地方公共団体は破滅の道を選択した市民の結果であって、それを誰が責められようか。
途中でありますが、このコーナーも本日で終わらせていただきます。3月14日の日曜日から、新しいサイトに移行いたしますので、引き続きご覧いただけるよう願います。
新しいサイトを始めるについては、飯田市行政にある多くの犯罪を明らかとし、飯田市が国において潰される状況になるにしても、それら犯罪に関与した者達に責任を負わせることを目的としております。特に、歴代市長が己の利益を目的に、多くの市民を巻き込んだことは社会的影響が大きくありますので、それらの責任追及は為されてしかるべきと考えます。
新しいサイトは、読者のアドレスを必要とする一部有料コーナーが有りますが、今までこのブログにウイルス付きのコメントが寄せられたことや、閲覧されている方から、「サイトが開けない」「コメントが送付できない」などの苦情が有りましたことへの防御策であります。何れにつきましても、サイト運営の法律規則を遵守して開設しておりますので、ご了承いただけますようお願い申し上げます。
新しいサイトへのアクセス方法につきましては、明日、日曜日の朝に、このコーナーの最後に表示いたします。
長らくブログにお付き合いしてくださりありがとうございました。これからも、飯田市・阿智村の不正や犯罪を無くすためと、両地方公共団体を犯罪者から守るために、ご協力をお願いいたします。
なお、このブログにつきましては、いつでもアクセスできますので、新しいサイトとともにご利用ください。
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空模様、読まさせていただきました。
実に力作で、ご苦労様でしたの言葉がふさわしいです。
かなり出版社の手が入っているようですが、まだ読みにくく理解しにくいのです。
しかし、熊谷さんの事はよく理解できました。
以前、阿智村で岡庭氏と同席したことはあるのですが、こんなレベルの男になぜ阿智村の連中は騙されるんだと感じましたね。
田舎で優秀な人間がいないんです。あほなくせにトンネルや温泉やで金の生る木が増えて、情けない村になったもんです。
熊谷さんは飯田高校嫌いのようですが、飯田高校の良いところはどんな分野でも日本最高レベルを輩出できることです。
下農や長姫や工業とは底辺は一緒でも天井が違うのです。判りますか。
それで、前から言っているように天井の人を味方につけないとだめです。
特に文章力のある人に助けてもらわないとだめです。
全体を見渡して順序良く構成して起承転結させる。気が付いたら読まされて理解させられていたという書き方です。
阿智村の事は興味無いのでどうでも良いのですが、飯田市の件は期待してますし頑張ってください。
ただし、市役所は阿智村とはレベルが違いますから、それなりの参謀が必要です。でないと負けますよ。
不慮の事故にもご用心です。
明日の件、youtubeで流してくださいね。映像は人のレベルを露にさせてしまいますから、くれぐれもご注意です。
感想はまた書きますが、アドバイスはちゃんと聞いてくださいね。本気で応援してますからね。
今度、ブログも新しく致しますが、ブログの検索も「空模様」にいたします。
初版と言うこともありましたが、幻冬舎では「センセーショナルですので、ぜひ出版を」とのお話をいただきました。
黒沢さんと言うライターの方に巡り合って、その方がブログの全てを読んでいただき、好意において阿智村まで来ていただいて、臨場感のある構成にしていただきました。
原稿は書きあげましたが、とにかく犯罪が多すぎるのと、時系列の整理が大変だったようです。
とにかくドキュメンタリで作り話を書き込んでおりませんので、小説のようなわけにはいきません。
ですが、そこにこの本の価値が有るのだと、黒沢さんは認めてくれました。
まだほんの走りをまとめただけでありますし、飯田市の犯罪も手付かずですので、引き続いて出版する予定です。
飯田高校を嫌いなどと思ったことは有りませんが、自分たちが一番優秀などと宣うものですから、その辺りがちょっとおかしくも有ります。
勉強が出来ても、知識が豊富でも、そういう頭が有るのであれば犯罪に走らず、人のために役立っていただきたいです。
阿智村も飯田市も、職員のレベルも議員のレベルも全く一緒ですよ。
良心と言うところにレベルの差があるとすれば、公務員や議員は全員失格です。
この様な事に協力してくれる方は誰もおりません。あなたは、私の横に立って、同じ行動をしてくれるでしょうか?
応援はうれしく、この様なコメントを頂けるだけで十分であります。
熊谷さん
差し障りのある人名をカタカナにしてありますね。これは良くないです。
岡庭でダメなら岡山でも岡谷でもよいので漢字を使ってください。
これだけでかなりすっきりします。
本のタイトルが良くないです。
ズバリ、「阿智村の不正を暴く」とかの方が読者は取っ付き易いです。いえ、熊谷さんの気持ちは判りますよ、でもこの本は記念に飾っておく本ではないのでズバリが良いのです。
はっきり言いますが、こういう所があなたの良いところで好きなんだけれど、本を売る点でダメなんです。
売れて何ぼです。売れて初めて内容が知れ渡るのです。
市長選出馬の時の記者会見も同じ理由でダメだったんです。
「飯田市の不正を暴く」と言って出れば負けてももっと理解者が増えたのです。本気で、市長になるなどと言うから記者や市民から嘲笑されたのです。
こういった戦略を考えてくれるブレーンが必要なのです。
平安堂で売ってもらうように営業しましたか?
新聞社に記事にしてもらうようにお願いしましたか?
飯田下伊那中の図書館に寄付しましたか。警察や検察にも寄付してください。
ま、今回の出版は営業的には売れないでしょうね。
i i ここに集う皆さんへ!!
飯田図書館で借りられるようですから興味のある方は借りて読んでください。
特に阿智村村民の皆さんは一家に一冊購入して読んでいただき、熊谷さんにサインをして頂いて末代まで子孫が読めるように家宝として大切に保管してくださいね。
問題はあるけれども、とてつもない力作ですよ、この本は。
次回飯田市編を楽しみにしています。アドバイスを参考にして売れる本にしてください。
ところで阿智と市役所は違うんです。気を付けた方が良いですよ。
「馬鹿はおだてろ」を知ってください。敵を作らず利用することです。
この本のせいで彼らも本気になりますよ。
怒られているのかほめられているのか分かりませんが、いろいろ気にしていただいていると感謝します。
カタカナ名は、幻冬舎の社内規範で「国立図書館に永久保存(2冊)」するためだそうです。
ただし、カタカナ名とするのは、幻冬舎が犯罪者として判断できた者だけでありますので、そういった意味では、読者は分かりやすいと思います。
「空模様」は、刻々と変わる空の動きを印象付けていますが、もともとに空の青さが好きなのと、青色が確認色であることで、多くの犯罪もまた、怪しい雲行きから必ず晴れ間になることを暗示させてくれます。
犯罪が一つ二つであれば、阿智村の犯罪・飯田市の犯罪としてまとめられるかもしれませんが、なるほどに、国の管理官でも経験が無いことでありまして、それに加え、阿智村は共産党と言う思想においての犯罪であって、とても一口に阿智村の不正を暴くではまとめきれません。
たしかに、「空模様」のタイトルは、売れ筋に合わないのが理由であったかもしれませんが、社内意見が多く出て、相当に時間がかかったようです。
市長選の会見は、準備したのは政策であって、その政策についての質問が少なく、犯罪をしゃべらせようとする記者の言葉はきつく感じました。
犯罪については別紙文書をお渡ししていましたので、それを見ていただければ十分であったかと。
しかし、どの報道機関もそれら文書において、犯罪を記事にするのは全くありませんでした。
今回の質問状もそうでありますが、やはり報道機関と言うのは体制側にあって、そこの力が働けば何の価値も有りませんし、気骨ある記者など誰もおりません。
阿智村は阿智村で共産党が怖くてかけないし、飯田市は飯田市で、出世に響くから臆してしまうのです。
どの世界も、ひと昔前のことなのでしょう。
私は市長に成りますよ。そのように立候補して公約を訴えたのですからね。
今回の立候補で、16人の同級生が集まってくれましたが、やはり、あなたと同じように「本気で市長に成る?」で、離れていったのは四人でした。
残った12人は、いまでも本気で市長に成ると信じて疑わないです。それは、飯田市で何が起きていたのか、なぜ飯田市が潰されるのか、誰が犯罪者なのかが分かっており、結果的にせよ、公約が物を言うのが選挙なのだと理解しているからです。
記者の連中から嘲笑されていませんよ。記者の連中は頭が追い付いていかないだけですよ。
出版本を新聞社は記事に出来ません。南信州新聞社が岡庭一雄の本を記事としたのは、南信州新聞社から出版したからなんです。何と言っても、関谷社主と岡庭一雄はお仲間なんですからね。
警察に寄付ですか、それは良いことを聞きました。たしかに、事実は小説より奇なりですからね。
幻冬舎は全国に150店舗近くの書店契約を持たれ、幻冬舎専用のコーナーがあるようです。平安堂には問屋から営業させますとはおっしゃられていましたが、それは分かりません。
今回の出版数は1万部で、それが基本だそうです。売りたいとは思っていませんが、多くの方に知ってもらいたいと言う気持ちは強いです。そこだけで突っ走ってきましたからね。
これからも一人で戦い続けます。敵がどんなに大きくとも、犯罪者に変わりはなく、どのような大きな組織であったにしても、相手するのは個人です。虎の威を借りる狐を、あなたは怖いと思いますか。
熊谷さん
週刊文春と週刊新潮の編集長に本を送ってみてください。
阿智村の犯罪を大まかに書いて、地方としては途方もない犯罪だと訴えてください。
ついでに飯田市の不正の続編本も準備中だと。
きっと食いついてきますよ。
飯田市本の場合は、出版が決まったら文章の校正に智里園原のご自宅へ私が出向きます。協力します。
週刊誌ですか。この類は田舎で片つけて、本気にしませんよ。
以前、吉川前議員が東京TVなどにコンタクトを取られたようですが、それきりですね。
それより、中日(東京)新聞・朝日新聞・毎日や信毎でさえ、どのような証拠を渡したにしても、何一つ報道しないでしょう。
その辺りからして、その様な類を頼ってみても徒労に終わります。
報道の使命も社会正義も、死語なんですよ。みなさん、金にならない事はやりません。
飯田市の構成を?それは嬉しいですね。阿智の続編だけで手がいっぱいなのが正直なところです。
一度会社の方へお出かけいただけませんか。楽しみにしています。
これが最後の投稿です。
ブログと本を読んで全体像が理解出来ました。
阿智村と飯田市の関係者を裁判所へ訴えれば良いのです。
刑事事件ですから裁判になれば検察が調査してくれます。
損害については民事で訴えれば良いのです。
それだけの話です、この件は。
ただし、弁護士費用も含めてかなりの経費が掛かりますし、負けることもあります。
これ以上騒がない方が良いですよ。
なぜなら、この騒動、市長選に出たり本を自費出版するに及んで、熊谷さんの知名度と功名心が目的になってきていると感じて来たからです。
ですからメディアを含めて周りが皆寄り付かなくなってきたのです。
友人に止めるだけの知性のあるブレーンがいなかったことが惜しまれます。
飯田市本はぜひ出してくださいね。阿智村編よりは売れるでしょうね。
ではお別れです。楽しかったですよ。返信は無用です。