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飯田市と阿智村の終焉

突然に飯田市長選に立候補したのは、準備してのものではありませんでした。9月18日の朝、突然に頭に出てきたのが「市長になる」でした。何を馬鹿なことをと仰られる方がほとんどだと思いますが、私にとっては何事も、その日の朝に頭に出てきたことで行動してきました。とくに不思議感はありませんが、考えて行動したことは一度もありません。ですから、何も迷うことなく実行できたのだと思います。
「行政犯罪において飯田市も阿智村も国につぶされます」と言われたのは、ある機関の監察官です。それは令和元年4月5日のことでした。それからと言うもの、何をどうしようなどは一切考えられず、ただ、現実をいかに住民に伝えたらよいのかの一途でありました。先に書き出した詳細な犯罪の証拠となる物のすべては国に届けたこと、それに併せ、監察官の回答、それらを阿部知事に届け、その上で県議会にも届けて受理していただいております。下伊那町村長と議長にも郵送し、飯田市における公益団体のすべてに送付しております。この状況において、国は飯田市と阿智村を潰さないなどとのことはあり得ないことですが、何分現実離れしていることで、誰もがただ時が過ぎゆくのを傍観しているだけであります。
飯田市に今後控えるのは、来年4月の市会議員選挙、これらがすんなりと行われるはとても考えられませんし、新しい年度に入る前に国は結論を出すと思います。阿智村もしかり、国の金を25年もの間横領してきた事実が有る限り、何をどうあがいたにしても助かる道はありません。村会議員選挙に出馬したのも、唯一可能性が有った「現村長を罷免する」でありましたが、やはり村民の見識はそこに追い付かず、前より増して共産党議員を増やしてしまいました。もはや私ではどうすることもできませんが、飯田市と阿智村が潰されるとしたことにおいて、それから始まる新しい形の公共団体に希望を馳せ、南信州が一体となれるよう進めていきたいと考えます。

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