menu

リニア中央新幹線 阿智村社会環境アセスメントの疑義

  公開質問状で、一部の『偏った人達』としているが、その人達は岡庭一雄氏を中心とした共産党員である。日本共産党が、“リニア中央新幹線は不要”とし、党を挙げて反対していることは誰でも知っていることであり、党が掲げた旗印を、行動的な党員があらゆる反対行動を進めていても、揶揄したり反論を考えているわけではない。それは民主主義であるからして、法に抵触しなければ当然の権利が誰にでもあるとした、『国民の本質』が私にも在るからである。
 私が知っている共産党員の人達には、“自分たちのルール”、が存在しているのではないか!とおもうところであり、それが時として法に抵触する恐れにも気づかずにいるのではないか?と心配しているのである。
 今回の阿智村独自の社会環境アセスメントの件については、まさしくその心配事が現実となってしまったように感じます。岡庭氏が、共産党員だけでこの社会環境アセスメントを設置し、独自の調査を行ったうえで共産党のリニア反対の根拠資料として進めたのであれば、それなりの評価も国民にはあったかもしれない。しかし、彼は阿智村を利用して、“阿智村の考え方として発信する”、ことを目的としていることからして、やはり、“彼らのルール”、なのであろう。           平成28年5月24日                                  

 リニア中央新幹線社会環境アセスメントはJRがJRの費用で行った!と思われている方が多いと思います。少なくても阿智村の職員以外の住民はそう思っていたようです。(未だ多くの住民はそう思っています)
 さすがに報道機関や、他村の議員・首長は分かっていることですが。

ここで、飯田市下伊那の行政に係わっている方、現・前公務員にお聞きしたいと思います。
1. 報道機関の多くが、この社会環境アセスメントを高評価しています。それはなぜでしょう? 特に、左寄りとされている2社は賛同ともとれる記事内容です。
2. 公開質問状提出後、信濃毎日新聞以外の各社に連絡を入れ、当社に於いて掲載のお願いをしております。が、各社とも断られています。5月27日には南信州へこのサイトの広告を依頼しましたが、それですら「上司の判断」として断られました。(来社したときは広告ならOKとのことでしたが)                平成28年5月25日

 報道機関とのやり取り経過
 公開質問状下書きの時点で、信濃毎日新聞に相談しました。
「阿智村の議員に公開質問状を提出したいと思います。ついては、記載出来るような質問内容か、修正の必要があるのかも見ていただきたい」
ある女性記者「お話をお聞きしたいと思いますが、急いでおられるようならFAX願います。」
数日後電話を入れる。「FAXを読みました。私の上司が阿智村の担当なのでFAXを渡しお願いしておきましたので、こちらから電話をします。」
数日経過したが、なんの連絡もないのでまた電話をすると「留守です。」の一言。

それから一度も連絡がありませんでした。 なのに? 4月18日に女性記者から「今、阿智村役場にいますが熊谷さんが見当たらない。」と、電話が入っています。
 公開質問状は4月18日、月曜日に提出の予定でしたが、4月20日、水曜日に提出しております。 
 質問状提出後、鏡だけを南信州・朝日新聞・中日新聞・読売新聞に、4月21日10時に章設計において詳細の説明をします。と、FAXいたしました。
 読売新聞以外の三社の来訪を受け、公開質問状の全文をお渡ししました。
三社とも、「これでは記事として掲載できません。名誉棄損で訴えられてしまいます。村長に渡したという文書を見せてほしい。それを読んで不正と判断したら掲載できるかもしれません。」との返答。            
(不正の判断を記者がやるのですか?、それは出来ませんね。皆さんは週刊誌ではないのだから)
村長に渡してある文書については、まだ面談していないため皆様へはお渡しできません。 「その文書が証拠なのに、どうして見せることが出来ないのか」
10年前の公開質問状を提出したときには、証拠文書も全て皆様方に渡しております。その時には南信州と信毎だけが『公開質問状が提出された』とだけ掲載されております。今回もその程度の記載で結構ですから掲載してもらえませんか?
朝日の記者は「我々を信用できないのなら話にならない。うちは結構だ」と言って帰りました。
残りの二社は、「広告としてなら可能、上司に相談します。記事としては書けません。」平成28年5月31日

 三社とも断られました。(これは想定の内)
朝日新聞が声を荒げて帰った訳は信用ではなく、リニア社会環境アセスを行った岡庭氏を高評価して記事にしているからであり、それが、思わぬ指摘(質問状)で大変なことになる!と、理解したからである。
それからすぐに電話を入れました。「かなり立腹して帰られましたが、記事に出来ないならば公開質問状の詳細を持ち帰っては無理でしょう。」、「あなたが渡してくれたのだから返しません。」、「そう言われても、なぜ、必要なのですか?返してください。」、「どうしても返せというのなら返しますけど、まだよく読んでないから読んだら返します。」「それでは駄目ですよ。あなたは立腹して帰られたのだから、よく読んだら、の意味が分かりませんけど。本当のところはどうなんでしょう。大変なことになると分かったのでは?」、「それは分かります。」、「で、あれば、Xデーはいつか来ますが、その時にはきちんと全ての事を記事にしてください。私がなぜ、信毎だけを呼ばなかったか、分かりますか?、とても根が深いですよ。信毎と朝日の関係はよく知っています、同じ記事が載るくらいですから。」「その時は当然記事にします。」                     平成28年6月1日

 報道機関は『報道の自由』が、大義名分である。では、一般企業や事業者と違う次元に在るのか?と、云えば、購読者から収益を得ているただの民間企業であることには変わりない。
『報道の自由』は、丁寧な取材のもとに正確な記事を掲載しなければならない彼らの義務を法で謳う、我々読者のためにある法であることを、自らが認識しなければならない『いましめ』と私は思っている。
 常々、特に信毎や朝日に思うところが二つある。(三つになれば失格だが)
ニュース記事の後半に、取材した記者の個人的な見解が載ること。これは、記事ではなく、色である。
二つ目は、ニュースソースが不明確でもニュースにしてしまうところであり、その強引さが左寄りと感じ取れてしまう。
具体的に何がなんだ!と、両社が問いただしてくれれば、手ぐすね引いて待っていますが。
 以上の事が私の考えにあるからして、今回の質問状の掲載なんて訳けの無いことである。
村長に渡したとした証拠文書は、質問状を提出した翌日には全ての議員が手にしているからである。

 質問状や、その文書に一字一句の間違いがあれば、私は、岡庭氏や時雄氏はもちろんのこと、議員の皆様にも訴えられていますから。

 その文書を議員の皆様から入手することは簡単なことである。議員の職責として、少なからずも個々の後援会には持ち帰っていますからね。もし、それをしない議員がいたら(いるかも知れないが)後援会や地区の信用に、既に覚悟を決めている議員だと思います。
 記事に出来ない報道機関は、記事に出来ない事情があるのではないでしょうか。  平成28年6月2日 

 若いころ、きっと誰もがそうであったと想うが、共産党のスローガンに血が騒ぐ。 判官びいきか、熱血か! 林百郎にも投票した。
 民青に片足入れてみた。 若者の(女の子が多かった…オウムはそれを真似た)純粋さに、立ち遅れさえ感じた。
 民商、これが見えてきたときに、「はた?」と、入れた片足が考えた。
民商は党の下部組織であり、活動資金拠出団体。民商は、民青の名のもとで、若者を育成している。 紅衛兵、文化大革命の、“におい”、がした。
入れた片足……右足でほっとした。                                平成28年6月7日

 阿智村だけで在ると思うが、共産党を名乗らずに立候補する。それが戦略なのであろうか、私には、浅い悪知恵としかおもえない。
 共産党の看板を上げているのは、たった一人。そして、党の掲げた戦略を忠実に行動している。 私は、彼の意見を、考えを、聞くことだろう そして、話し合うこともできるであろう  成28年6月10日

 私が届けた、『犯罪や、その背景を書き入れた』文書を、私に会ってもいない中で渡した村長の、“考え”を、議員の皆様は解っているのでしょうか
 “書かれている”、ことの解決は、議員が、議員個人が、『職責としてやらなければならない』こと、首長が解決したくとも出来ないこと!だと
 質問状を理解できない見識の低さは無理もないが、村長の、“考え”も、受け止められない議員が、私の文書を持つことに、近いうち、言いだすのではないか村民が  『18の少年に、その文書を、こうべを垂れて 渡しなさい!』 と

 国家反逆罪がない日本の法律では、内乱罪が刑法の頂点。成田の闘争を収めるために、騒乱罪が加わったことは記憶に新しいが
 犯罪につながる不正を、本当になくすことは出来ないかもしれない。       平成28年6月14日

 公開質問状の8番目
 官製談合の告発先は、警察署刑事部捜査第一課となります。捜査には第二課が当たることが多いと思います。
どのような犯罪でも、明らかな場合は思料して告発できる権利が私たちにはあります。 告発すれば、捜査が始まります。(刑事法では、証拠がなくても始めなければならないとされています) 捜査が始まれば、参考人として任意同行が求められます。(村長であれば、この時点で辞職・罷免の判断を議会が行います) 捜査をおえると、被害届を作成したうえで検察庁へ書類送検となります。
 検察で起訴となれば、刑の確定とされるわけです。今回の関係者はすべて処罰されます。 
ここで問題が出てきます。岡庭氏と水上氏・時雄氏はその処罰は軽いものとなります。初犯ですから、公務員の資格がなくなり、一定期間の公民権停止程度です。では、鈴木設計はどうなるのでしょう。
 鈴木設計と岡庭氏が贈収賄を行ったとします。(仮定ですよ、かてい・ ニヤ(^-^;))その場合は、岡庭氏個人と鈴木設計の実際にお金を渡した人だけが、罰せられることになります。所謂、最小限の影響です。
 官製談合の処罰規定(官製談合防止法)では、株式会社鈴木建築設計事務所が犯罪を犯したとみなされ、会社が潰されることになります。 会社が潰されれば、社員・その家族等、大きな影響が出てきます。     平成28年6月17日

( さて、正義の味方警察は、どちらを選択するのでしょうか? 章設計の苦悩『この事を知っている』はここから始まりますが、この大きな犯罪を無教養の中で行った彼等を、どのような展開で知らしめようとするのか! )

 今朝、役場に寄ってきた。軽自動車の納税を滞納していた。(偉そうなことを言えないです少しだけ恥ずかしかった)
“みやましい”、のではと思った議員に交互に出会った。 今日は一般質問の日だそうだ。
 最初の人は岡庭村政の教育長まで務めた人(黒柳村長が岡庭の“目付け役”として送り込んだのですよ) 彼にはこのサイトの翻意を伝えた。私には笑顔をみせたが、職員時代から彼等にはずうっとみせてこなかった人。
 車に乗ろうとしたらもう一人がいた。十年前、県担当者とともに質問状を見せた人。また、頑張ってくださいと声をかけられた。議会では、共産党や隠れ党員以外にも左寄りがいるそうだ。岡庭シンパ だろう。どうしようもない と嘆いていたが、確かにそうかもしれない。      平成28年6月20日 
 二人ともこのサイトを見ているという。多くの人に、このサイトを見てもらうしかないと思うのは三人共通のおもい。

 章設計の苦悩
 園原ビジターセンターを鈴木設計に決める! 彼等の策略はとうに、見えていた。 わがまま小僧の時雄氏が考えることだから程度が低い。 私の子供の一声ですが、「悪いことをしたんだから、警察に捕まるのは当たり前のこと!」 彼らはそれでよいだろう、でも、何も関係のない人たちの人生を変えることは出来ない。
 私のくやしさもありました。それは、人生をかけ、願ってきた園原資料館の夢がついえたこと(空模様にて掲載予定)

 偏った人達、彼等がやってきたことは、全て彼等の世界だけでの通用事 彼等は話し合いをしない、彼等はいつも主張するだけ   せめて知ってほしいのは、日本の多くの人は彼等の世界に居ないこと       平成28年6月21日

 行政は、地方公共団体は社会の形 その社会を信じて正攻法での行動に出た。  阿智村議会議員の皆様へ公開質問状
 一般公募型のプロポーザルコンペの結果が知らされるまえに、損害賠償請求は作っていた。落選の電話が水上からあったその返事「水上参事、いま役場に居られますよね。用事がありますのでこれから向かいます。」そうして、青ざめた彼に「この請求に対応していただけない場合がありましたら、提訴も覚悟してください」と手渡した。(岡庭は入院中)
 その請求金総計額は、470万(ビジターセンター便所棟の設計費120万含) 水上は焦ったと思う、『120万は払える金』これを支払っても議会承認が必要だ とね。
(当社にやらせないように仕組まれてきた便所棟を、安価で落札している)(便所棟を原建設が請け負った。請け負う前のお粗末な話と工事が中止とされた話はこの後で)       平成28年6月22日

 園原資料館のいきさつは 『 空模様 』のコーナーで書いていくが
 園原資料館の建設は、私に、岡庭があたまを下げて、“依頼” されたこと。 そのことは、熊谷操・ホテル阿智川会長と、立会人として確認した当時の福岡助役の三人だけは知っている。

 園原資料館がビジターセンターに変わってしまった
 私は、こんな岡庭でも信じてみようと思った。やはり、園原に、峠の遺物を戻したかったからだ。
全村博物館構想までつくりあげられて、園原資料館の生末は完全に彼等の手の内となっていました。そのときすでに村文化財は、『こんな貴重な遺物を、園原のわけの分からない奴に任せることなどできるものか』教員上がりの自尊心の強い原委員長は、彼等に踊らされている高松の校長と村教育委員長まで務めた三浦さんと、これも同じく踊らされている羽場睦美氏の仲人で、嫌々ライバル同士が手を結んだのだ。                平成28年6月23日

 彼等の時雄の計画は、兎に角を生えさせても、章設計に絶対やらせないこと
 飯田市に事務所があっても、阿智村に税金を納めている章設計の指名参加願いは外しようもない。
きっと最初に考えたのは、章設計が基本設計をした園原資料館計画図をつぶすこと。これは手強かったと思う。私の計画は30年の積み上げが基になっていたからだ。 そこには、教育委員会(三浦)・文化財委員会(原兄弟)そして急きょつくらせた、NPO東山道研究所代表羽場睦美 このいい加減な団体を、必要かつ実働部隊として登場させ、村民に認めさせるために、できもしなかった(まだ続けているようだが、村民は見向きもしないのでは)全村博物館構想をでっち上げることだった。 平成28年6月24日
(かなりのお金と無駄な時間を費やして、その目的は達成すると思われたが  章設計が、瀞〈トロ〉い奴らの考えそうなことに気づいていないとでも思ったのか どの団体の誰をみても、自分の世界でマスターベーションしている奴ばかりではないか)

 公民館・教育委員会・文化財 ここに多くの教員上がりが関わる その中に赤い色も感じるのは私だけでしょうか

 園原資料館は全村博物館構想の中で阿智村の博物館の位置づけになった
 その世界で通用する教授を呼んできた。(大場教授は雲の上の人みたい)飯田下伊那から博物館構想を語れるのではないか?との人も集めた。
そこで、県に働きかけた 全村博物館基本計画(羽場睦美)の中にある、阿智村博物館の設置を!
 一年かけて取り組んだが県では相手にしなかった。 それもその筈、ダミーで掲げた全村博物館構想 ダミーで上げた阿智村博物館 これもそれも、村民の目をそらすだけのことだから。
 園原資料館の建設予算、35,000万は議会に通して始めているからで、彼等の目的は、園原資料館をビジターセンターに名前を変えることだけ。                   平成28年6月27日

 園原ビジターセンター
 彼等のものとなった資料館は、すで名前を変えていた。あとはどのように進めるか、それは章との駆け引きだ。
羽場睦美がそのビジターセンター総責任者、実行力もある。話も、中身を我慢すればまあまあ聞ける。「さあ!あとはお前に任せたぞ」
 ビジターセンター内に設ける便所を独立させ、“火渡り行事の便所がない” の操との大合唱の中で公衆便所に位置付けた。公衆便所で入札とすれば、これなら章は気づかない。程度のことだったと思うが、例によって談合をしない章設計は、半分の予算で落札した。 みなさんは、顎が食い違ったらしい。             平成28年6月28日

 公衆便所
 すべての打ち合わせは、羽場睦美氏と行った。彼の積み木のような模型は役場の2階にあった。水上と二人で、「これが博物館構想位置づけの資料館だ」という。 ここのこれを切り離し外便所とし、便所は上に土を盛って穴倉式とする。
 驚くより、知能指数を疑った。 「本体が出来たときには昼神温泉の案内役割も担う、園原観光センターのような名称を考えている」
おいおい、園原資料館はどこに行っちゃったの (・・?              平成28年6月29日

 公衆便所の建築業者の入札前  章設計を外せ!の大合唱が役場内でひびいた!
 子供のような提案でも、言い聞かせるように設計図はまとまった。 いよいよ来週の月曜日は、業者が決まる原建設に

 高校の同級生だけで年2回行っているゴルフコンペ、金曜日、飯田カントリーの5番ホールで携帯が鳴った。
それは岡庭村長からであった。「原建設の社長が来て、この予算では出来ないと言われた。すぐ設計変更をしろ」「もう入札参加業者には連絡した。明日の土曜日に指示するところの変更を行い届けろ」
  (@_@)! びっくり! ビックリ!!! 言ってることも、言ってる中身も   平成28年6月30日

 18番ホールまで4番バッター(いつものこと)でむかえたが、風呂にも入る余裕がない。「くま、大丈夫か? いっぱいには出れるのか?」返事をする暇もない、向かった先は阿智村役場
「ちょっと来い」と応接を指されるが、「いえ、ここでよいです」と、ワザと職員みんながいる中で、聞き取れるよう応対した。 「電話で話した通り、この内容で変更しろ。原の社長の話ばかりでない、これは、阿智川会長の意向でもある。」 恐ろしいことを言うもんだ (´・ω・`)
 「村長さん、そんなことを言ってはダメですよ。あなたと阿智川会長さんはそんな関係ではないでしょう、でも、周りはそんな関係と思っていますよ。」「月曜日入札の前に、なんの根拠もない原の社長の言う通り減額を目的とした変更を行っては、職員は黙っているかもしれませんが、建設業界はそんなに甘いものではありませんよ。」「万が一、事が公に成ったら、あなたが責任取るだけでは済まないでしょう。」 「そうか、どうしたらいい。もう、入札参加業者に『変更するから図面を土曜日に取りに来るよう』連絡してしまった」 「分かりました。スライドしてある便所の仕切りを変更します。その変更で50万程度は減額となります。」              平成28年7月1日

 私が帰ったそのあとに、「『章設計は外せ! 章設計にはやらせるな!』と、佐々木幸仁参事と岡庭係長の大合唱が始まったよ」と、二人の職員から話が聞こえてきたのはしばらく後の事

 吉川建設の一番信頼してる人から電話があった
 「熊谷さん、大きな変更があるとのことで役場に行って変更図面を見てきたが、さしたる変更でもなかったけどどうしてかなあ、やはりおかしいね」 すみません、迷惑をおかけします。
 月曜日の朝一の入札は不落にて、数度の見積もり入札で何とか原建設に決まったようだ。
土曜日、原建設の平沢社長を呼びつけた。 「平沢さん、もう少し神経を使って行動しないと会長に迷惑をかけますよ」村長に営業したその日に役場内で熊谷時雄議員と会ったという。章設計の積算は厳しくて!と言ったら、苦虫をかみ殺しているような顔をした。同じ地元なんだから、もう少しうまくやったらと返された。       平成28年7月4日

 園原資料館着工(仮称・・・付)
 便所棟は先行着工するが、本体棟ではちゃんと遺物展示スペースと収蔵庫は作りますよ。文化財もうるさいことを言っているが、暗い倉庫で保管していても意味がない。と、羽場睦美氏は慰めてくれた。
 便所棟の土工事、整地工事から入ったが突然中断された。田んぼの土手からとんでもない物が出てきてしまった。
それは、『 鏡 』 誰も判断が出来ない代物 もしかしたら! これが ここに なぜ?
 やはり埋蔵文化の里園原、考古学者を筆頭として発掘調査が始まった。(私はその『 鏡 』の意味するところ ぼんやり見えていた) 焦ったのは原建設! ここで工事が中断されることより、中止になることだけは阻止しなければ!
便所棟なんて本体棟をやれなければ意味がない。寄付した500万もあることだ~し。  平成28年7月5日

 発掘調査
 園原は弥生時代の土器が畑から多く出ている。各戸の引き出しの中にも眠っているだろう。神坂峠の遺物より前の時代だ。そのことが園原全域の埋蔵文化財の指定となっている。
 長い期間をかけて調査は行われた。村の文化財も大騒ぎ、現地見学会も行われた。羽場さんも、断層ではないか?なんて、発掘遺構そっちのけではしゃいでいた。  そしてそれは、『遺構を保存する』に流れていった。
 それには、「まった!」と大きな力が、強い言葉が出た             平成28年7月6日
誰が言ったか想像に任せるが、時雄君や岡庭様、そして水上にはちゃんと作戦があった。一石二鳥の作戦が!

 一石二鳥
 作戦内容 1.原建設は予定通り、資料館本体工事までが出来るようにする
       便所工事を中止して本体と一緒の計画に変更すれば問題ない
      2.章設計を外す。 遺構を残すとして資料館を中止にすれば、設計料の支払いだけで済む
      3.資料館を園原観光センターとしてきたが、このさい園原ビジターセンターに変更しよう
      4.発掘調査報告書の処分、阿智文化財への説得
       報告書は例によってゴミ箱さ、うるさいのは原委員長だけ、名誉村民にでもすれば黙るだろう
 そしてそれは実行された。お粗末な行政三人衆である。阿智川会長と私の関係を知らないのだ。そして爆弾も。 平成28年7月7日

 決 行!  岡庭村長、予定通り進めます。
 12月8日、今年の誕生日は沈んでいた。そこに追い打ちの電話が入った。「阿智村参事の水上ですが、遺構を保存することに決まり園原資料館建設が中止となりました。ついては、便所工事の監理料を除いて設計料だけお支払いします」
あれ! 良い話し 「そうですか、それには賛成です。設計料は要りませんが一つお願いがありますので、いらっしゃいましたらこれから伺います」 わたしは水上の声の向こうに、どす黒い闇があることを感じ取っていた。
 30分で着いた。
案の定岡庭村長は居なかった。やはり村長室の裏、応接に手招きされた。「水上参事!ここで良いですよ」と、各課の真ん中のテーブル椅子に腰を下ろした。水上の方が戸惑いを見せ、岡庭課長と並んで向かい合った。 平成28年7月8日

 報道機関
 飯田下伊那では、全国紙(読売・中日・朝日・毎日・日経・スポーツ紙等)、県内紙(信濃毎日)・地元紙(南信州)こんなところでしょうか。テレビにおいても全国と県内が時間割にて放映されている。テレビと新聞は一つの共同(一体)媒体として成り立っている。テレビ局と関連がないのは地元紙南信州だけであることは当然だが。
 情報交換
 全国紙はいかに他社に抜きん出てスクープをあげるかが勝負であり、それが売り上げに直結していくものである。あげたスクープに確かな証拠がない場合!とか、たたけば誇りが出そうな事は、週刊誌に回すのである。
週刊誌を抱えていない県内紙などは、その見極めが出来ないため協力してもらえる全国紙が必要となってくる。そのため協力してくれる全国紙の、“方向性”に偏るのも無理もないことである。平成28年7月12日

 信濃毎日新聞
 県内60%以上の購買率がある全国的にも特異な地方紙です。(私は、熊谷操議長の持ち上げ記事でその購読意欲を失いやめてしまったが) 長野の小坂一族が創業の列記とした右寄りであるが、きっと、諸処の事情で変わってしまったと思う。SBC信越放送の筆頭株主は朝日新聞であったが現在は信濃毎日新聞が筆頭株主となっている。毎日新聞とは何も関係がないことも多くのサイトで紹介されている。
 多くのサイトの多くの紹介は、やはりその報道姿勢を批判するものであり、阿智村と同じような作為を持った、“誤報” が取り沙汰されている。
飯田下伊那の首長からも各種団体からもよく聞く話だが、『何を書かれるか分からない、やむを得ず読んでいる』とのこと。信毎はきっとそれを、『社の家訓』としているのではないか。  平成28年7月13日
さあ! 反論を願います。 信毎および朝日さん、南信州産(さん)でもよいですよ 報道の、“力”を見せてください。

 南信州にも過去が
 天竜村服部村長の疑惑!として平成4年南信州の一面に大々的に報道されました。そこには1,000万円の不明朗な寄付のことが書かれていました。
阿南町の総合商社(農機具から土建資材)から分かれた板金業を主とする下請け業者が、天竜村に1,000万の寄付をしたが、それが、寄付ではなく服部村長のポケットに入っていたのではないか!?という内容でした。
 その板金下請け業者と知り合ったのは
 独立して三年すぎ従業員も二名になっており、おかげさまで何とかやれそうでありました。阿智の小笠原鉄工の社長(亡)とは15年以上のポン友、その小笠原さんが紹介したいと事務所に連れてきたのが最初です。その時に持参された画期的な屋根材のパンフレットがその人との付き合いの始まりです。             平成28年7月14日

 リベート
 その屋根材は設計者の持つ多くの不安(各設計士の取り組む姿勢により異なります)特に、屋根材に起因する雨漏りが解消されていることにありました。設計中の公共施設で早々に採用しました。
 その施設が完成してから半年ほどにその人が来社され、数十万は入っていると思われるような信金の名前が入った封筒が渡された。お世話になったお礼だという。 えっ!? これは何ですか?とわざとらしく聞いたら、メーカーが持っているリベートだとのこと。(その時初めて知った。公表単価には3%のリベート分が含まれている。これはどの製品にもあることで、これがリベートとして扱われない場合は3%値引かないという)それでもそんなものは受け取れないし、領収書を書くことも無理!公共施設を設計しているのにそれは絶対受け取れないと断りました。
ここで、余分な話をされた。「熊谷さん、どこの設計事務所でもやってることだから気にすることはないんじゃない?」「白子設計さんにもお世話になったから500万受け取ってもらっているよ!」 驚き桃の木山椒の木!ときたもんだ。メーカー%でそんな金額になるわけがない、ほかの何か?があるとすぐに踏んだね!
この話、白子さんに直接問いただしている。白子さんが当社との約束をたがえた日にね 平成28年7月15日

 飯田社屋の建設
 その人が、阿南町を引き払い飯田に社屋を建設すると、で、あるからして白子設計と当社で設計してほしい。とのこと。どのようなやり方でも任すから、白子さんと一緒に進めてほしい。と、そんな訳で話し合いをし、『すべて半分ずつ』との約束で実行したが、設計料は白子さんに振り込んだという。 ? な話になってきた。
 白子設計事務所に出向いたら、「チーフ料30%いただきます。電気設計や設備設計、構造計算料を差し引いて、残ったお金の半分を来月末の支払日に振り込みますので、すぐに請求書を出してください」
(設備設計は不要のはず?)

ポカン?となってしまった。すらすらと立て続けに出る話に感心した。手慣れているもんだ、まったくもって感心しました、恐れ入りました。・・・だから言ったのである、「貰った500万はその計算に含まれていないのですか?」
 あわてましたねえ シドロモドロ
 その人は、南信州の記事の言い訳で私にこう言った。

 白子設計に頼まれて、天竜村の服部村長の家に暗くなってから訪ねたと。それで天竜村の大型施設、すべて白子がやれたんだ! だから設計図面に俺のやっている屋根工事を指定するのは当然の事! だから吉川建設や神稲建設に、下請けは俺を使え!と言うのは当たり前の事! 村長に紹介したのは俺だけど、設計事務所にリベートするのも好例だ!というから少し多めにお礼した。   平成28年7月17日

 なぜそんなことに
 なったのか?と、その人は話し出した。
服部村長は最後の一期と決めていたそうだ。お隣の町なのに地産地消と扱ってくれた村へのお礼だったという。それは確かに収入役同席で役場の中で渡したという、2階にある村長机裏のオープンの応接コーナーで。
税金に取られるよりは寄付の方が有効な選択だと、阿南町にも同じように1,000万寄付をしたと。勝野町長は、「これは美談、南信州は何を考えているんだ」と、慰めてくれたという。   平成28年7月19日

 その人が言うには
 新聞記事は南信州の大株主吉川建設が記載(か)かせたという。
ことの発端は服部村長任期が半年後に迫ったとき、気が緩んだのかその業者と富山の和倉温泉加賀谷へ同伴した。
 間が悪いものである。と
 夕方加賀谷に着いた。「ゆっくり温泉につかってくるよ」と言って服部村長は一人で湯に、俺は寝る前の方が良いと部屋でおくさんに電話を入れていたという。 そこにバタバタと慌てて村長が戻ったが、「いや困った!湯から上がり部屋に向かう途中のロビーで副議長にバッタリ出会ってしまった」・・・・政敵だという。
 翌朝、別れ別れに車に乗り込んでみたが、あの太くて大きな吹き抜けの柱の陰で覗いていたらしい。
 針の筵
 ビクビクなんてものじゃなかったそうだ。(寄付ならやましいことないのにね)やはりというか当然のこと。噂は出回っていたらしい。そこで慌てて1,000万を村の口座に入れたから、「おかしいじゃないか!裏金じゃないのか!紹介料じゃないのか!」
 でも、犯罪じゃないから
 犯罪なら警察が入っているよね、当然警察にも電話が入っていたと思うよ。でも、犯罪じゃあない! 寄付は寄付としてその人の会社で申告していたからである。
 でもそこで収まらない人たちがいました。それは副議長だったかもしれません。建設業界だったかもしれません。
でもそこで私が一番強く感じたのは、南信州の報道の姿勢! これにも正義がない! 田舎の新聞でも風評を記事にして人を陥れることができました。 (一番得をした人! 誰だかわかりました?)         平成28年7月20日

 今回の公開質問状
 南信州では掲載できない! 名誉棄損で岡庭さんや熊谷時雄さんに訴えられてしまうから!と、でも、村長に渡した文書を見せてもらったうえで、これがその通り不正や犯罪であると判断出来たら掲載できるかもしれません。(ほかの新聞社も同じように言ったけど) けど、公開質問状が出された!とのことぐらいは掲載できるのでは? いや~それは・・
 なんでだろ~なんでだろ~♪何でなんでだろ~♬
 ほんと、何で? 十年前は載せてくれたのにねその事だけは、天竜村の現役村長の事は風評でも載せたのにね? その人の言う通り吉川建設の力?なの、ここだけは南信州さんの反論コメントが欲しいね!吉川建設の信用にもかかわるよ!たとえば、いや違う、それは信州日報でうちではない!ってことでも反論するだけの必要性はありますよ。
『村長に渡した文書を読んで、当社がこれは不正、これが犯罪!と決めつけます、当社が判断します。でもそれを見せてくれないから掲載できないんだ』とね、ついでに、このサイトの広告依頼も、『これこれこういう訳で、報道倫理に外れます!から掲載できない。けして一番偉い上司の方の見解だけで断ったのじゃない!』ってね。                         平成28年7月21日

 朝日のおじさんと中日のお嬢さん、そして南信州の気弱なお兄さん
 この三人が口を揃えてこう言った。「村長に渡したとされる文章を見ないと不正かどうか判りません。その文書を社に帰って上司と相談して判断します。だから、その文書を見せてください」 みなさん、どう思います?
私はこう言いました。「申し訳ありません。公開質問状をお渡ししているわけですから、それで判断してもらえませんか?掲載については」  そこには、ごく普通の見識があります。『新聞社の記者が不正かどうか判断することではないよ。まず先に、公開質問状の質問内容を判断してください。そこに8つの質問があり、その中で掲載出来る質問かどうかの判断を先にするべき』でしょうと。
少なくてもリニアについての質問内容は掲載出来ることである。それは、普通の人が見れば、“リニア新幹線阿智村社会環境アセスメント”に対する村側の不整備を質問している!と、読み取れるからで、それが一番大変な内容を質問している!と、判断できるのは、信濃毎日新聞と朝日新聞だけであるからだ。             平成28年7月22日

 阿南町役場の共産党職員
 1,000万寄付の人、この人は自他ともに認める口の悪さ! 誰彼構わず口撃する。でも不思議と口撃しない人もいた。
白子設計、不思議でも何でもないが。 阿南町役場内で二人、〇〇助役と〇〇総務係長(次期課長) あとは町長であれ何であれ  〇〇助役も口の悪さは似た者同士。〇〇総務係長は弱気を挫き強気に屈するタイプ・・こんな話は聞きたくなくても阿南町住民(下請け)から聞こえてきた。
 富草の町営住宅が最初の仕事、1,000万寄付の人が施工した。この時にはこの人と疎遠になっていた。
口の悪さに私が切れた。 ゴルフに誘われた時、他の建材やさんへの口撃に、「もう止めなんよ、自分が言われれば嫌でしょう。」 あなたにそれがなければ、もっと仕事は来るし私も信頼しますよ! 顔つきが変わった、無口になってのゴルフは、やはり楽しくなかった。
阿南町役場内から聞こえてきた。『助役、こんな小さな設計事務所、新野の道の駅を設計するのは無理!』その横で佐々木産業課長とまだ総務課長になっていない〇〇が、ニコニコしながら聞いていたと聞こえてきた。                                平成28年7月25日

(新野の道の駅! 章設計の案に賛同していただいたのが現勝野町長ただ一人(顧問の話) 白子設計案の方が優れていたのだ) 
 新しい総務課長
 その時にはその口汚い助役はとっても感じの良い人に代わっていた。でも、弱気を挫く係長も総務課長になっていた。

そんな時、町民体育館の耐震工事をお世話になった。耐震診断業務は鈴木設計さんにお願いした。(当時、耐震診断が出来る設計事務所は少なかった) 診断報告書が出来上がった、そこには綿半鋼機の資格者名が記載されていた。やはり、当時は設計事務所では対応できなかったのです。
 その報告書を提出してからしばらく後に教育委員会から電話があり、「耐震工事に合わせ改良改修工事も行いたい。よって改修計画書を作成していただきたい」との話でした。
 補助金申請に間に合うよう計画書を提出し、それが通って実施する段階に教育委員会の担当者が移動になりました。
章設計での計画書、それにて補助金の決定、引き続き設計業務契約 その全ては町長に了解済 とのことでした。 が、
半年過ぎても何ら連絡がありません。かと言ってこちらから催促するわけにもいきません。 そんな折、その1,000万の人が突然来社されました。あれ以来、寄り付きもしなかった人が。 平成28年7月26日

 1,000万の人の話 (阿南町もだから2,000万の人か、+500万もあったな)
 この人が行った寄付行為は、他の建築会社では出来ることではない。『下請けで使ってやったのにそんなに儲けていたのか、無理じゃないか。』下請けをたたいて泣かせているのが普段だから、それも非難される一因だったのではないか。
 新しい総務課長から聞いてきたと言った。屋根工事があると聞いたと言った。うちを使ってほしいと言った。
『教育委員会の考えは、本体育館は耐震工事をして不良個所を修理する。付帯している管理棟は暗くて狭くて使いようがないし傷んでいる個所も多い。なので解体撤去して玄関ホール兼用小ホール、卓球のような小スポーツが出来るように計画してください』
 以上のような計画図を見せて、「屋根は通常の折板葺きなので施工者が決まってから営業されてはどうでしょうか。」と対応したが、どうもそれが気に入らなかったみたい。そそくさと帰ってしまった。      平成28年7月27日

 長野県建設情報
 その情報に、『阿南町教育委員会では今年度町民体育館の大規模改修を計画している。予算と改修内容は未定』
と、掲載されているよ!との情報がもたらされた。
 思わず教育委員会の前担当者に電話を入れた。「未定?そんな事は有りませんよ。今度の担当者は〇〇で、教育委員会にいますので直接聞いてください。」 直接会いに行った、計画図を持って。
見るからに、“それ” らしく感じた。話してみて、“そう” 感じた。そしてそうであった。(党員)
計画図を見せても、「知らないなあ、見たこともないなあ。」そうですか?前の担当者はこの計画で予算も理事者への了解も取れていますと、昨日も確認してきましたが。「俺にそんなことを言われても困る。俺は総務課長に指示されているだけだから。」 またまたここでも、“嫌な匂い” が始まった。               平成28年7月28日

 匂いのもとはその時すぐに解りました
 翌日にその担当者から電話が来た。「今役場にいますが課長から話を聞いて分かりましたので、明日また来てもらえますか。」 言われるままに教育委員会に行きました。 「前の担当者からなにも聞いていないので知らなんだけど、書かせたことは課長から聞きました。でも、教育委員会では教育委員会の考えがあるので計画はこれからだ。」 そうですか。では、どのような計画ですか? 「それは・・課長と話してみなければ。」 総務課長?・さんですか?(ほら、ボロが出た)体育館の耐震工事が基本ですから基本計画に変更は無いと思います。管理棟取り壊しの上、小ホールの改修は教育委員会の考えだと思いますけど? 「そんな事はこっちで決める! § j×Ψ・※・・・」(こんがらかったようだ、頭に来たらしい) ね、そういう人たちは話を聞かないし、自分の意見を言うだけの一方通行でしょ 平成28年7月29日

 総務課長の指示
 章設計自体を代えようとしていたらしい。だから、計画からやり直そうとしていたらしい。屋根工事が思うようにならないからかな? 新野の道の駅のように、思うところに決めたかったみたい。(新野の屋根ばかりが目立つ道の駅、あの屋根工事、どなたが下請けしたのでしょう?)
 前の担当者がきちんとまとめていた
変更しようがない、全て通っていたからだ。ならば胸糞悪いと意地悪されたのです。『小ホールへの改修は予算がないので既存のままでいく、ついては暗い玄関ホールの天井に、スラブをくり抜いてトップライトを設けろ、そして男女便所を大きくすること!』 無理難題の、それも総務課長だけの判断で指示された。        平成28年7月30日

 どうしようか迷った
 これが正直な気持ち、教育委員会(前の担当者)の考え方は理路整然としており、根拠もある。対して総務課長の指示はまるで、デタラメ! 耐震工事なのにスラブに穴をあけろ!という。耐震工事なのに便所を大きくして耐力壁を取り除け!という。 私の性格で対応すればハッキリしているが、私は社長ではない。(顧問が社長)
 章設計が判断した方向は、『総務課長の指示に従う事』 無理難題であっても対処解決する設計ができる!ことが決めてであったが、前の担当者に迷惑を掛けれない、との判断もありました。
 暗い玄関ホールの解消
エントランスを開放的にすること(屋根材を明り取りに)、玄関ドア周辺を全面的なガラス張にして採光を確保する。ホールに面するすべてのドアから光が採れること。 これで見違えるほど明るくなった。
 便所を広くすること(便器の数を増やすこと)
既存便所は女子便所にする。不要な室を男子便所にする。多目的トイレは分離する。そして、すべての便器は自動水洗とウォシュレット設備を設けること。 これで全てが解消された。
唯一不安だったのが設計契約が後回しにされたこと。 これが総務課長の、“汚いとこ” 平成28年8月2日

 不安的中
 設計図書が完成した。教育委員会に提出しすべての説明を終えた。担当者は、「俺では分からないので総務課長に話をします。」 変な言われ方をするから気になってしまった。
 それから1っか月が過ぎた。
音沙汰がない、でもしばらく我慢した。一週間二週間過ぎ、仕方がないので担当者に電話を入れる。 どうでしょうか? 「なに?」 いや、総務課長さんはどうだったのでしょうか? 「聞いてない。」 それでは困ります。もう2カ月も経ったのですから! 「2カ月もたってないですよ!」 (・・・そんなことではない!揚げ足取るな)
まだ契約もなされていませんし、総務課長さんに確認してもらえませんか!      平成28年8月3日

 こんな人が総務課長なのだ
 教育委員会担当者から電話が来た。「まだやるとは決まってない!俺じゃない、課長からの話だ。」不安が的中した。
あ、そうですか。と返したが、章設計の腹は決めていた。 こんな愚の骨頂のような人、相手にしていても無駄。
 今から25年前この総務課長さんと知り合った、車を買い代えたいという。 当時日産の店長は下濃の先輩だった。それで紹介し、特別価格で販売してくれた。掛け値なしで対応したつもりでしたが、どうも私がリベートを取ったとでも思っていたのかな?                                    平成28年8月4日

 理事者と面談
 そうするよ! と顧問(当時は社長)に相談した。それが一番良いのでは、と答えてくれた。私は社長でない、社長共々伺いたいと、とっても感じが良い助役さんにお願いしてくれた。
 面談
町長、助役、そして教育長。三役が町長室で待っていてくれた。雰囲気だけで分かる、少し笑顔で案内された。
 深めのソファーに二人して腰を下ろす、前には助役と教育長、そして町長が私の左のソファーに座った。
呼んでも呼ばれてもいない総務課長が入ってきた。そして教育長の後ろに椅子をおいて座った。そして、「なんか章設計が話があると言ってます。」と口火を切られた。         平成28年8月5日

 苦虫を噛み殺した顔
 社長(顧問)があいさつ程度で私に振る、そして私が今までの経過を話し出した。半分くらい話したところで口出しが始まった。「そんなことは言ってない!勝手に設計したんじゃないか!何でたらめ言ってるんだ!」 私は驚いて言葉が詰まった。 理事者の前で言うべき言葉使いではない! それが一番気になった。
 理事者は三人とも黙ったままで、それこそ苦虫を噛み殺したような顔つきになった。        平成28年8月6日

 無視された総務課長
 助役さんが話し出した。たしか、経過は何も知らないような、でも知っていますよ、って感じ。そして教育長さんに確認するような話。 町長が話し出した。「町では技術者がいない、設計事務所には計画段階からお世話になる事もある。それがそのようにできない事もある。章設計さんには迷惑をかけてしまうかもしれないが、それで了解してくれるのであれば・・」助役さんが、「章設計さんには何とも言えない今聞いた話なので、」そこでまた総務課長が、「おかしい!業者のいう事を聞くなんて」と声を出す。助役さんは無視して、「今後は教育長が進めますので、今日はわざわざありがとうございました。」 こちらこそ、押しかけるような形で申し訳ありませんでした。

 それから間もなく教育委員会の担当者から電話が来た。「今日、総務課長からGO!の指示が出ました。直すところが有れば総務課長と打ち合わせしてください。」 そして、町民体育館の耐震改修工事は終了しましたが、やはり、前任者の教育委員会の希望の改修内容は盛り込まれませんでした。

 この話は不正のことではなく、行き違いや、職員が抱いてはいけない思惑のことです。 こんな些細な出来事でも、対外的な業者の言い分にも、理事者が自ら対応して解決してくれた! これが、阿南町や他の町村の姿です。
 阿智村で私が10年前から指摘してきていることは、『 不正と犯罪 』です。 『 隠し続けている理事者と議会 』
『マヒしてしまっている職員』これを実行してきたのは、すべて『偏った人たち』です。平成28年8月8日

 信濃毎日新聞
 この新聞社の成り立ちや報道姿勢、はたまた人を陥れるような作為的な報道の数々は、サイトで検索すればその全てが明らかになっています。そしてそこからうかがい知れるものは、やはり長野平の根幹。
 朝日新聞は皆さんご存知の通りの左寄り、新聞社どうしより互いがやりあう週刊誌報道の方が真実が多いでしょう。
小沢一郎の冤罪事件!すべての報道機関は同じように攻撃してきた。これも大きな謀略の中で仕組まれたこと。それを挙って非難したのはやむを得ないとしても、報道機関として許されないのは、それが冤罪と確定しても認めずあやまらないこと。唯一謝ったのが、古館伊知郎フリーアナウンサーただ一人。それも簡単に一言だけ。
 どうしてそうなんだろう?
間違いは誰にでもあること。だから間違いでした!と反省の姿勢を表せば、世間は寛大に受け入れてくれるでしょう。なのにどうして報道機関は、間違いでした。としないのでしょうか。
 南信州だって
 数年前、あるタイヤ販売の所長(私の部落)が会社の金の使い込みで逮捕されている。そして南信州は名前入りで報道した。それまでは普通の事。 しかし、それは誤認逮捕だった。しかし、南信州はその事を記事にしていない。 だから世間の人はいつまでも、ああ、この店で・・・と、思ってしまったままの人たちがいる。
 これが、“ 風評 ” を生んでしまった事なんです。これが一番恐ろしい事なんです。 平成28年8月9日

 信濃毎日新聞の記事が元で県議が自殺 (この通り検索してください)
 佐藤友昭県議、当時49歳 自民党県議団下伊那選出
先にも書いたが、カッコマンの気の優しい人でした。自ら命を絶つほどのことではない。誰の目にもそう映ったと思う。 死んでしまった。それだけのこととして忘れ去られていく。これも仕方のないことかもしれない。
でも、死ななかったかもしれない! 信濃毎日新聞が、こんな些細なことで追及して辱しめなければ死ななかったかもしれない。
 少なくても私はそう思う! 人の死、テレビで報道される多くの死は、自然死でないこと
事故であったり、殺人であったり そしてその多くの原因と思われることも伝えられてくる。そして、ワイドーショーでも週刊誌でも、その背景に視聴者が、購読者が多く興味となるようなことはドンドン大きく報道されている。
 彼の自殺の背景をニュースや週刊誌で見ましたか? これも、『 未必の故意 』といえるのではないか。平成28年8月10日

 このことを、いちばん身近な人たちはどうしたのでしょう
 まず吉田ひろみ、彼はこの事件に対し何かしたのでしょうか? 公式に信濃毎日新聞に抗議でもしたのでしょうか? 私には何も聞こえてこなかった。 佐藤君は吉田ひろみの後継者でしょ? 一番信頼しているから後継指名した、『 下伊那 』の人間なんでしょ?
 もしかしたら、『 下伊那の県会議員 』だったから、信濃毎日新聞に攻撃されたのではないの? もしかしたら、下伊那の県会議員だったから、自民党県連も信濃毎日新聞に抗議しなかったのではないの?
 下伊那の首長はどう思ったのでしょうか。県陳情の窓口として先頭に立たせた町村長さん。彼の死に対して何かしましたか? もしかしたら、彼の死を、『 ああだこうだ 』と、ただの傍観者より遠巻きの解説者になっていたのではありませんか? 葬式に出ただけで、通り越すのを長く感じていただけでありませんか?       平成28年8月12日

 正義の味方
 テレビドラマでも小説の世界でも、正義の味方が中心として世の悪に立ち向かっていきます。そんな架空の世界が好まれるのはなぜでしょう?
 現実の世界には正義の味方は居ないのでしょうか?! 現実の世界では、『 悪 』が存在しないのでしょうか?
傷害や殺人、現実に起こってしまったことは、『 警察 』という正義の味方が存在する事は子供でも知っていますよね。 ですが、隠れている不正・隠させている犯罪も実際にはある!分からないだけで、いいようにしている奴らはきっといる。テレビや映画の世界のような事、こんな事は世間にいっぱいある! とも思っておられると思います。
 でもなぜか、その様な事が身近にあっても、または知っている人がその事で権利が損なわれていても、“ 知らぬ振り ” をするのではないでしょうか。そして、そういう事はきっと正義の味方が何とかしてくれる、正義の味方なんだからしなければならない! ともね。         平成28年8月14日

 正義の味方でも
 何もしなければ何もしません。 『 告訴 』か、それに近い方法を取らなければ動かないでしょう。
でも、そうすれば必ず、正義の味方 は捜査して、それなりの事として対応してくれます。
でも、なかなかそこまでは誰もやらないでしょう自分のことではない限りは。

 庶民の正義の味方
 社会の隠されている不正や犯罪、その背景にある闇、それを正義感を持って明らかにする人たちがいます。
その人たちは誰でしょう? 市町村長ですか? 市町村議員ですか? それとも市民警察でしょうか。 平成28年8月15日

 飯田下伊那の報道機関
 私たちは新聞の何を見ているのでしょうか? 一面ですか?三面記事ですか?やはり、飯田下伊那の事、この事に一番関心があるのではないでしょうか。
 私がここに書き出している事、これはすべて真実です。そして、公開質問状にて質問した事の背景です。みなさんは公開質問状を読み取った段階で、『これは事実か?』と思われたのと同時に、事実でなければこのような事を私は起こさない!と思われたでしょう。
 新聞各社に同じように公開質問状を見せました。そして説明しました。 彼らはプロです。このような事を私たちより深い知識で読み取る人達です。
 私もみなさんと同じように期待しました。 “ 正義の味方 ” に、事の真相を伝えていただけると信じました。
社会の中で、報道機関の役割を分かっているつもりでいました。 なのに、どうして何も報道されないのでしょう?
 公開質問状が出された! これだけで良いのでお願いします。としても無視されました。なにもしない、取材調査もされません。 信濃毎日新聞は、でっち上げでもSBCテレビで放映されます。その信濃毎日新聞でも私のサイトを見ていると、そして善後策を話している!と記者が言っています。何の善後策でしょうか?
 南信州はどうでしょう? 吉川建設の許可が下りないのでしょうか? あなた達の、『 報道倫理 』とは何でしょう?! どの新聞社でもそうですが、『正しい事』を行える、“ 正義の味方 ” と足り得る人が、人材が居なくなったのでしょうか。                    平成28年8月16日

 一方通行
 どの新聞社でもそうですが、報道とはそんなもんですね。 こんな言葉を聞いたことはありませんか?
『 新聞社は敵に回すな!』 どの自治体もそうでしょう、『何を書かれるか分からない』 そんな恐怖が有るのではないでしょうか! そこで互いが調整し合う。 こんなことを行っているから、間違いが起こるのですよ!
 特に首長のみなさんは、『信濃毎日新聞』 ここを一番恐れているでしょう。そして、『南信州』は、よく言えば、心安い、悪く言えば、田舎新聞、こんな感じでしょう。

 どうでしょう! 私の話を読んでみて、敵に回さず調整してきても、信濃毎日新聞は偏った人たちと徒党を組んで、阿智村をここまで落し込んで来たのですよ! 阿智村だけではない、同じような事・もっと恐ろしい事! サイトで検索してみて分かった事と思います。         平成28年8月17日

 図に乗る新聞社
 全国紙であれば、こんな小さな村のことは何も気にも留めない、不正が有ろうがなかろうが。結果が出たら南信版にでも載せようか。なんて程度でしょう。
 でも、こんな小さな村でも全国的なニュースと成り得ることが有ります。 それは、リニア中央新幹線。
それにまつわる報道は全国的な要素が大いにあります。 そこで何を報道機関側はリニア中央新幹線に求めるのでしょう!? 飯田下伊那が、県政が、JRと協力し合って進む、進める! そのような姿、状況を求めているのでしょうか?
 個人的見解かもしれませんが、そのような状況報道は求めていない!と思います。 もめ事、反対派、その行動 リニア中央新幹線にまつわる数々の不測の事態を求めているのではないでしょうか。         平成28年8月18日

 日本共産党のリニア中央新幹線反対
 少なくても、朝日新聞はその様な事を求めて記事にしたい!と考えていると思われる。それは全国の購読者が、朝日新聞に、正義の味方・小さな声の代弁者として期待を寄せているからで他ならない。
 そのような声を拾い上げるにはやはり共産党の、『リニア中央新幹線反対!』に、共感を寄せているとした姿勢も必要となるのではないか。
 その事が、『阿智村社会環境アセスメント』の設置と報告書、報告書の発表、これら一連の流れ自体を褒めたたえ、その始まりの不自然さや、報告書の中身について精査しないまま記事にあげるような事をしてしまうのだ。

 私が質問状で指摘した、阿智村社会環境アセスメントの不適や法に抵触してしまうのではないか?との問いに、初めてその経過と報告書を再確認して、私の指摘に気づいた。 だからこそ、何も、質問状が出された!ことさえも記事として掲載出来ないのである。併せて、飯田支局のたった一人の記者の立場 信濃毎日新聞と協調したのか否か、その事は松本支社にどのように報告しなければならないのかが、彼個人の思惑ではないのか。     平成28年8月19日

 信濃毎日新聞の対応
 前文に書き記したように、信濃毎日新聞へは公開質問状の素案を渡している。 なぜこんな事をしたのかは、岡庭一雄前村長の不正を読んでいただき分かっておられると思います。 そうです、信用していないからです。それと、どのような対応するか見極めよう!との考え、はたして考えた通りの動きでした。
 まず知っている社員(女性)に質問状を見せたところ(FAXで送付)「阿智担当記者が上司なので連絡させます。」とのことであった。数日待っても何ら連絡が無い、電話を入れたら、「〇〇は出ています。」(男性)ぶっきらぼうで明らかに動揺していた。 連絡をいただきたい、と伝えたがそれっきり。
 素案はもっとストレートに書いてある。
だから、すべて法に抵触していることと容易に判断できたと思う。リニアの質問も当然違法性に気づいたし、何より、協調してきた岡庭一雄や熊谷時雄、これらに万が一のことがあれば飯田支社はもとより、長野本社にも影響が出る事になる。と、危惧しているだろう。 
 そんなことは心配していない。
何も証拠はないし、報道のすべてが嘘で有ったわけではない。そして何よりもう時効となっているではないか。
なんて、思っているだろう。 

 私もその通り考えております。 信濃毎日新聞のような大きな力に立ち向かえるわけもなく、このようにサイトに愚痴るのがやっとのことである。                  平成28年8月20日

 報道機関に時効は存在しない
 なぜなら、担当した記者個人の問題ではないからである。その報道機関、分かりやすく言えば、信濃毎日新聞社。
信毎が報道機関として存在していれば、それは存在している限りついて回ることになるからであり、数十年前の事でもその違法性が証明できれば誰であっても訴えることが可能と日本の法律は示されています。
 だからといって何でも訴える! ことが得策ではありません。 報道機関はどのような事でも、自社に不利益であれば、『そうではない!正当だ!』との一方通行の報道が可能な立場にあります。
 一片(ひとかた)の正しい行いなんて世間では相手にしません。それが例え法的手段で答えが出ても同じことでしょう。  では私たちに何が出来るのでしょう!           平成28年8月22日

 あの河野さんでさえ
 信濃毎日新聞の誤報道で人生に影響を受けた河野さんに対しても信毎は謝っていない。
政治家だって、たった一つの過ちであっても責任を取って辞めざるを得ない事もある。犯罪でなくともだ。なのに信毎は多くの誤報道でも何も、一つも責任を取ってこなかった。あくまで、『当社に非はない!』の一点張りです。
 政治家でも陳謝するのに、なのにどうして信毎は謝ることすらしないのか? 一言でも良い、片隅でも良い、それを勇気も持って謝罪広告を掲載してくれたなら、本当の長野県紙になるのではないか!
 今回の件も、正しくその事を指摘しているのだ。
決して誤報道とはならない、証拠もある。今まで数々の不正を暴いてきたのではないですか?なのになぜ? 阿智村の、岡庭一雄前村長の、熊谷時雄前議員の、不正や犯罪と思しきことを取材して、掲載しないのですか??                             平成28年8月23日

 当時信濃毎日新聞の阿智担当記者と会っている
 それは山内村長時代、鶴巻荘の改築計画が出た時だ。
鶴巻荘の改築になぜ熊谷時雄が反対したか?その時の岡庭一雄氏と水上宗光はどう動いたのか?そしてどうして中止とされたのか!

 ここには彼等阿智村共産党を中心とした野望の始まりがある
 まず岡庭一雄
この時点では次期村長に立候補するとハッキリ決めていた。いや、決まっていた。そのために、山内村長の失策を演出してきていた。共産党会議にて、『当分は顔を出さない、村長に成るために一時で良いから辞めた形にしてほしい』と、伝えている。この話は飯田下伊那共産党幹部クラスの奥さんから直接聞いている。                                    平成28年8月24日

 ひるがみの森旅館共同経営者
 水上宗光
阿智川の会長が掘り当てた第二温泉源泉、それは対岸であり、その周辺の土地は智里東、特に小野川部落の人たちの土地です。水上宗光も多くの土地が有り、喫茶あひるの店主(土地所有者)と新たな温泉施設の計画を起こしていた。周辺の旅館と類似しない新たな旅館の方向性の目玉、それは温泉を利用した健康ランド的なものでした。
 温泉プールを目玉に計画を始めたところ、プールとしては温泉を使用できないという事が分かり、ウォータースライダーを設けたレジャープールへと方向を切り替えることになりました。
 しかし、彼の総合健康ランドとしての気持ちは強く、施設の『 売り 』として展開していくことになりました。
 完成してから数年は多くの来館者が有りましたが、健康ランド、特にレジャープールが前面であるためか宿泊者が思うように伸びないため、見る見るうちに経営状況が悪化していきました。
その経営状態は早、金融機関で不良債権と判断される寸前となり、大きなてこ入れが必要となったのです。 平成28年8月25日

 大きなてこ入れ  飯田信用金庫からの融資
 岡庭一雄が最初に手を打ったのが、コクサイの石田さんにお願いをして阿智第三セクター(ヘブンズ)の一環に加えてもらう事! これはさすがに無理が有った。
 次の手は飯田信用金庫、ここしか望みはなかった。 だがしかし、石田さんの口利きではそこまでは無理なこと。たとえ岡庭の頼みでも、実態は『熊谷時雄』が見えている。石田さんも吉川の社長も熊谷時雄を嫌っていたからどうしようもない。
 飯田信用金庫
事務的な対応、それは当然 担保が無ければ融資しない  水上やアヒルの店主はとうに土地他殆ど全てをすでに入れている。 熊谷時雄は一定の出資金だけ(お金に汚い時雄君の当然の事)平成28年8月26日

 熊谷時雄は父親の残した財産を担保とした
 信金からの融資を受けられることが決まった。時雄君は専務理事としてそのすべての実権を握ることが出来た。これが時雄君の目的でもあった。
 それだけでは貸してくれない。
新たな経営戦略を立てなくてはならない。だがしかし、時雄君には経営能力がない。今までの就業経験は保険の外交員だけ、それと父親が亡くなってからの高利貸しの残務。 あとはコンパニオン、趣味も実益も兼ねた時雄君らしい商売である。 これではかえってマイナスになってしまう。だからすぐ、コンパニオン従業員を社長にさせた。
 そして新たな株主を募集した。ここに小笠原鉄工の社長(当時専務)が大株主として加わった。(この時先代の小笠原社長は反対している) 小笠原鉄工は信金の信用度は高く、これが信金の条件でもあった。    平成28年8月27日

 倒産の危機を乗り越えたばかりなのに
 時雄君はこのあと、「ひる森の経営で迷惑をかけそうだ。月川温泉から手を引く」と叔父に相談している。叔父は、出資株(500万×4人株主)の半分近くを返したか、時雄君の姉に株名義を代えたようだ。 定かでないが、時雄君が水子地蔵の件で完全に手を引いて離れて行ったあとに叔父から聞いている。
 何とか継続の目安が付き実権を握ったその時、鶴巻壮の改築計画が持ち上がった。
それはひるがみの森にとっては脅威!そのものであった。 岡庭は、昼神温泉は自分が作ってきた!との気持ちが強く、鶴巻荘であっても自分の考えでその方向性を打ち出していた。    平成28年8月28日

 鶴巻荘の改築には健康型プールを付帯させる
 ある面、岡庭のほうが純粋である。昼神温泉が滞在型温泉として定着してきたが、反面入込観光客は頭打ちとなっていたからである。
 彼の考えはこうであった。
入込観光客の多くは県外者だ、であれば近隣市町村をターゲットとしなければならない。近年の健康バイタル管理指向が良いのではないか、それを昼神温泉に取り込むには民間施設ではできない。やはり鶴巻荘しかない!
でもこれは、時雄や水上にとってはとんでもない考え! だって、レジャープールが唯一の看板だからだ。平成28年8月29日

 山内村長はお人好し
 うるさい岡庭のいうことを聞けば、温水プールを付帯させれば順調に進められる、と考えたかもしれない。当時の鶴巻荘は清内路村も第三セクターに加わっていた。清内路の原満征村長も同調していたが、熊谷時雄の反対の声も受け止めていたことは事実である。
 岡庭一雄の方向転換
その時すでに村長選に向かうところは決まっていた。であれば、温水プールもこのままいけば山内村長の実績となってしまう。それに時雄が反対している。
 方向転換なら聞こえはよいが、変わり身の早さだ。(これは時雄も共通している。まあ頭の悪いやつは皆そうではあるが) だから一緒になって反対しだした。そして時雄に、『やい、鶴巻荘は既にその役目を終えた!民間旅館を圧迫するな!と公開質問状を出せ。そして信毎に騒いでもらうのよ』として実行した。        平成28年8月30日

 阿智村への公開質問状は熊谷時雄が口開き
 凄いです! やはり信毎の力!は 見る見るうちに世論は鶴巻荘不要へと そして極めつけは南信州の記事! この記事の内容をもって、設計コンペに参加している業者を納得させたほどですから。
 時雄君の出した公開質問状自体は内容的に不整備のもので、議会で取り上げるほどのものは無かったようですが、例によって熊谷操議員と金田共産党議員は痛烈に取り組んだようです。
 信濃毎日新聞の一方通行な記事に。
 思わず電話を入れた。そして、例の阿智担当記者を呼び出した。 「みなさんの記事にはどのような根拠が有るんですか?」と、二三具体的に聞いたら、電話では何ですのでお伺いします。と、事務所まで来た。   平成28年8月31日

 なにも時雄さんの
 どんな男か?! が気になった。一端の記者気取りは野心の現れ、残念なのは事を荒立てるのが報道機関の姿勢!だと勘違いしているところ。 だから話にならないのか、「なにも時雄さんの味方をしているわけではないです。」と、言い訳にも似た言葉から始まった。
 こだわっているのはプールだけ
民間旅館を圧迫する 何てことはさして意に返さずであった。やはり岡庭の考えに共感を覚えているようだ、健康型プールはこれからの方向性、それを鶴巻荘に併設するのはどうか?との問いである。それが、時雄さんの味方をしているわけでない になっているが私には分かる、言い訳である。そして、私が典章の息子だと知っている                          平成28年9月1日

 熊谷時雄とひるがみの森
 熊谷時雄専務取締役の実質経営である。それは億に近い担保を入れたのだから当然でもあるが、もともと時雄君はこのひるがみの森にくっ付くしか生きる道がなかったのです。
 月川旅館は叔父が全てを仕切っていたし、親の残した財産管理ではコンパニオン業をしていただけであるからだ。
コンパニオン業も当初は人材派遣業として始まった。それでなければ斉藤酒販の会長さんが名ばかりであるが役員とはならない。それがいつしかコンパニオンが主となっていただけのこと

 現在の社長は水上宗光
 役場を首になった水上さんは、ひるがみの森に入ることは外から見れば当然だが、お金が中心の時雄君はそんな甘い男ではない。 職員を定年しても昼神温泉組合の所長を続ければよい!としてきたし、それを見込んでの出資金回収計画をしていたからである。             平成28年9月2日

 それが予定より早く退職してしまったから計算が狂いだした
 時雄君の経営計画?は順調でした。長い間思い通りにやってきましたが、水上さんが役場を首になる!とは当然考えもしなかったこと、少なくても65を過ぎるまではひるがみの森に入ることはない!と資金計画をしてきたはず、だから担保もそれまでに抜けるようにしてきた。
 しかし、思わぬ状況になりつつあった。
水上さんが、職員の身でありながら昼神温泉関係の社長さんになっちゃった。水上さんもお粗末である。職員には服務規定がある、そんな事出来る筈がない。                            平成28年9月3日

 時雄君は議長として何とかしようとした
 自治法なんて読んだことがない議長や、読もうとも考えがつかない議員ばかりだから無理もありませんが、水上さんが単独でその様なことをしたとも思えない。そこにはやはり、彼等の策略が事前にあったと考えるべきでしょう。
それはなにか?と思慮すれば、『水上さんは、岡庭や熊谷時雄と離れていた!』その時点では確かに二人とは明らかな距離が出来ていた。
 岡庭一雄との距離感の始まりは。
その原因は、岡庭一雄の人間性にある。 共産党員で散々鳴らした武勇伝をイメージしていると、そこはかなり違う。党員とは思えぬ したたかさ と お金に汚い面がある。       平成28年9月4日

 ある面純粋な水上
 彼のような人が党の底辺を支えているのだろう。だから岡庭一雄を見ているとそのギャップに違和感を感じていたんだろう。
それが決定的になったときは、『章設計が阿智村を提訴!』した後だろう。 阿智村の顧問弁護士とともに調停の席に着いたとき、彼の顔は青ざめ、その覚悟(警察に捕まる)をしなければならない、と初めて感じたのではないだろうか。
 そこで始めて気が付いた。
『これは犯罪であった』と、初めて気が付いた。そしてその中で私がお願いしたこと、『岡庭一雄は村長を辞めろ!それが条件だ!』・・・彼は考えたと思う、このままいけば一蓮托生! そこで刑法を読み漁ったのだ。               平成28年9月5日

 水上宗光が刑法を読み漁って知った事
 頭の良い人だから理解するのも早い。 彼が刑法を読んで一番気になったことは
・章設計を騙したことによる罪
 職員なら理事者の責任となるが、参事として執行権を持っている。
・鈴木設計との官製談合
 これも自身が中心となり行った。これも同じく参事として。
。公示内容の作り替え
 阿智村ホームページで公示した “ビジターセンタープロポーザル提案募集” その中で、『遺構を残す形での提案』の文言を設計事務所の説明会の直前に削除したこと。

 少なくてもこれらの事は自身が直接関与したこと、章設計は岡庭村長と面談したときにわざわざ確認をとっている、『水上宗光は参事で執行権を持っていますよね?村長』
 章設計はいつ警察に告訴するか分からない。 ここから逃れるにはまず参事職を辞すること。その次は ・・・ 
 実はこれが一番 怖かった                                  平成28年9月6日

 その怖かったこととは
 実は水上宗光は辞めようとした
それはこのような理由である  『 時 効 』  自身が参事として犯した罪の時効期間  退職後3年間
 この事が、はたから見た浅はかな奇妙な行動 『職員(公務員)でありながら社長に成る』 であった。
(退職して丸4年後、初めて動き出したのがひるがみの森直接経営)                         平成28年9月7日

 ならばなぜ?熊谷時雄は議員を辞めなかったのか
 汚い男だからである。 水上さんは自身がやった事が犯罪だとわかると同時に、このすべて自分がやったのだ、時雄は何も表に出てない! ってことも同時に気づいたんです。
 その通りです。
時雄君はどの場においても議員の立場だけで対応していた。陰で水上さんを動かしていた。水上さんが職員なら、時雄議員や岡庭村長がその対象になるが、残念ながら参事職だったんです。それも執行権を持っていた。
 私は職員三人が参事職となったとき、正直『これは私にとって有利!』と思っていました。それは、たった一つの犯罪でも、4人の共謀罪(共犯)として提訴できる!と踏んだからです。 平成28年9月8日

 熊谷時雄議員が陰に居る
 10年前の公開質問状、官製談合と読み取れる文面には熊谷時雄議員の名前は書かれていない、書けなかったのだ。
岡庭村長と水上参事、それと鈴木設計しか登場していない。
 考えてそうしていたのではなく。
熊谷時雄という男、そういう本質を元来持っている男なのだ。 いつも画策し、何をやるにも陰に隠れる。 自分で分かっているのだ、画策することが悪いことだと。 だから汚い男!なのだ。 画策は彼等組織の常套手段、そこに慣れているから最初から逃げ場をつくっておくのである。 平成28年9月9日

 私はそういう熊谷時雄を知っているから刑事告訴をしなかったのです

 官製談合を刑事告訴した場合の問題点
・ 鈴木設計が潰れる  これは誰もできる事ではないだろう
・ 岡庭一雄が捕まる  これは当然
・ 水上宗光も同罪   これも当然
・ 熊谷時雄は事情聴取だけ  議員辞職は本人の意思

 官製談合を刑事告訴しない場合
 これは正直分からないが、この時点では岡庭一雄の贈収賄は既に掴まれていた。
警察はこのような事、全て知られていると、すべて知っていると、考えてよいだろう。それが仕事だから

 どうでしょう 官製談合を仕組んだ張本人が 表舞台に登場しないでしょう     平成28年9月10日

 私は最初から官製談合では警察に告訴するつもりはなかった
 それはやはり、一番悪い汚い男 熊谷時雄を告訴することが出来なかったからである。 岡庭一雄一人を告訴することで鈴木設計を潰すことはできない。かといって熊谷時雄の意趣返しに振り回されて、そこまでの犯罪にしてしまった岡庭一雄は村長として既にその資格は無かった。

 私がなぜ裁判にかけたのかは、阿智村 岡庭一雄前村長の不正 に書きますが、裁判に負けてその矛先を収めたように見られた時点では、『あれは村会議員に出るのではないか!?』になり、水上さんは一日でも早く辞めたくなっていたのではないでしょうか。
 熊谷時雄議員は水上さんのその様な事を気に掛けているのではなく、ひるがみの森に水上さんが入るのではないか?が一番気に成って、そのように引き留め工作を行おうとしたのです。 平成28年9月11日

 熊谷時雄の計算
 ひるがみの森が開業そこそこで倒産の危機に面したとき、その資金繰りは信用金庫でなければ出来なかった。
信用金庫としては、高利貸しであった父親の残した資産を担保に入れても、そこには受け入れがたいものが有る。
阿智第三セクターの代表取締役であるコクサイ社長の石田さんや、同代表の吉川建設社長のバックが必要。 吉川建設の社長は動かないことは知っているから、岡庭一雄氏を使って石田さんにお願いした。
 ひるがみの森の社長には成らない。
村会議員に出るためには社長を辞めなければならない事は当然知っている。であれば、最初から専務の立場の方が良い。どちらにしても全ての実権はこれで握った。           平成28年9月12日

 あとは、担保物件の回収
 信用金庫の対応は解らないが、ある程度は長期の貸し出しであったのではないかと推察はできます。あまりにも高額だからであるが、でもそれは安定した経営が続けば予定通り返済されていく。
 時雄君は高額な年俸であったと思う。それはある面当然のこと、経営者なのだから。20年も続けていれば担保相当額などとうに回収できている。 だとすれば、あとは担保物件の回収。 お金に関しての頭はビックリするほど働く時雄君、20年の間に少しづつ抜いては来ただろう。                        平成28年9月15日

 水上さんが役場を定年前に辞めた時から計算が狂いだした
 自分のことしか考えない時雄君のこと、水上さんや小笠原鉄工の社長が気づかないはずがない。 かといって実権を持った時雄専務の経営、ここに手を付けるには名ばかりの社長を変えること。
 水上さんは小笠原さんと相談したのではないかと思う。(これは推察である)小笠原の社長は時雄君とはまるで正反対のタイプ、理路整然としているし、協調性が有って頭も低い。それに、ひるがみの森の立て直しにも金銭併せ協力をしてきている。 だが、時雄君の方が一枚も二枚も上手でありました。             平成28年9月16日                
 
 動けるようになった水上さんは
 経営権を時雄氏から取り戻そうとしたと思う、何十年経っても赤字決済が続いている、決算書を見ればその問題がどこに在るかは明確。 社長に成るしかない! と決心したと思います。
 時雄君は水上さんの考えている事は100も承知。
大きな担保を抜くには社長に成らなければならない。専務の立場でこの経営状態では、社長印は今まで通り自由には使えなくなっていた。                       平成28年9月17日
 
 そこで株主総会でお願いした
 『長い間専務として頑張ってやってきました。今後は次の相応しい人にお願いしていくと思いますが、私の集大成として一年間だけで良いので私に社長の任を与えていただけないでしょうか』  想像ですが
 まあ、当たらずとも遠からじ だと思いますよ。
そう言われれば、もともと疑う事を知らない株主たち まあ、長いことやってきたんだから一年の条件で有れば致し方ないか 社長をやりたいんだなあ  程度で受け流し 熊谷時雄社長が誕生しました。       平成28年9月18日

 時雄がいよいよひるがみの森の社長になった
 自由に使える社長印、これが彼の新しい旅立ちの証となりました。
ひるがみの森の役員さんたちが、熊谷時雄君を育てたのです。 彼のバックアップとして、あなた達が頑張ったから時雄君がここまで自分の思い通り出来ました。 
 どうでしょうか。
ひるがみの森の役員さんたち、私の書き出したこと何度も書きますが、当たらずと言えども遠からず、ではないでしょうか。 ひるがみの森、水上さんに社長の座を譲るとき、時雄君は経営不振の責任を取り身銭を切って返済負担をしたでしょうか? 6億もある経営損益を自身の担保で清算したでしょうか。 時雄君は社長を辞める時こう言ったでしょう 「俺にはまだ月川旅館の社長がある。」 これが最後の言葉ではないですか?                       平成28年9月19日

 こんな会社は無い ひるがみの森
 ここの中心的な株主役員は、高額負債の智里農事組合の役員株主です。熊谷時雄氏でさえ智里農事組合株主です。
この会社は、多くの負債を負った智里農事組合の責任者たちが造った会社なのです。
もしかしたら、ひるがみの森が彼等再生の隠れ蓑だったかも。 10年前の公開質問状で指摘した職員水上宗光と熊谷時雄議員が、智里農事組合から続いている闇の温床が、ここ、ひるがみの森
 ここにメスを入れるべきでしょうね。
行政はこの事、明らかにして村民に知らしめなければなりません。もしここにも不正や犯罪が有るとしたら、阿智村議会、議員の皆さんは、二度回しで私の公開質問状の指摘を隠した事になりますよ。         平成28年9月20日

 今回、議員の皆さんが百条委員会を設置しなかったら、私の次の行動はどのようなものに成るか!? くらいは、考えていた方が良いですよ。 自分たちに公民権は残るのか? どうか くらいはね。

 熊谷時雄氏が月川旅館の社長となったのは
 月川旅館の始まりは、平成元年リフレッシュモデル推進事業における簡易宿泊施設の建設に有ります。
その簡易宿泊施設の受け皿として、園原の里開発株式会社を設立しました。設立者は、叔父と熊谷時雄、他一名と私の計四名です。1,000万の資本金で一人250万の出資です。
当時私は飯田市に住所が有りました。熊谷時雄氏が、「阿智村の補助事業なのに飯田市に住所が有る者が会社役員に名を連ねては駄目だ!」と言われ、叔父も同調しましたので母親の名前で登記しました。
 代表取締役が叔父、専務が熊谷時雄氏で開業して数年で軌道に乗りました。 叔父は将来の事も含め、株主配当をするよりは株増額をするべきとして、一人500万の出資、2,000万円の資本金となりました。                                 平成28年9月21日

 月川旅館を経営する条件は
 事業費の1/3を負担する(3,000万以上)宿泊施設のみで付帯する厨房・備品は経営者の自己負担(2,000万) 払下げは25年後
 毎年二回以上の経営会議(株主・役員会)を行ってきました。平成15か6年ころ決算報告が開かれ、税理士の方から厳しい指摘がありました。
『15年以上同じ人が社長を続けていてはダメだ!』その時の叔父は70もゆうに超えていました。 他の一人は単純に長く社長を務める弊害を指摘されたと思っていたようですが、私は、仮にも税理士ががこのような指摘をする裏には当然何かある?! 熊谷時雄と叔父は二人で何か隠し事をしている?!と、感じました。      平成28年9月22日

 それは当たっていました
 開業して5年以内に1,000万の増資を行った。その時の理由が、『株主配当をしない代わり』
その後10年間は一度も株主配当はない、役員手当もない。 “ 厳しい・経営がえらい・宿泊者が増えない・増築した返済が有る ” がいつもの返答だった。他の株主役員の一人は、心底疑う人でない。
 私は当初から叔父にこう言ってました。「この会社を手伝うことは出来ない、自分の会社で手一杯です。私の株はいつでも譲る、従業員の従弟に。」 周りにはこう言っていました。「月川は叔父が全て一人でやっている、叔父が頑張ってここまで作り上げた旅館だ。」         平成28年9月23日

 私も章設計の経営者です。
 会計報告書を見れば税理士の言う意味は分ります。
私は叔父に言いました。 「自分の事で恥ずかしいが、実は章設計の経営が厳しい。(ホントですよ)商工資金1,000万借り入れするんだけど、社屋の返済が300万ちょっとばかし残っていて、200万は用意できたんだけど後120万ばかし足りない。出来れば株500万のうち120万ばかし買い取ってもらえませんか。出来れば従弟にその話をしたいんだけど。」               平成28年9月24日

 そうか、ちょっと考えておくは
 叔父は詳しい話を要求しなかった。 「いつまでに必要よ。」 慌てている訳じゃないけど、三ヶ月くらいかな。
 思わぬ展開になった。
例の水子地蔵設置の落石事故について、智里西開発協同組合の総会で熊谷時雄氏を追及した一件が有りますが、その時の議長は叔父でした。
叔父は水子地蔵設置そのものに反対しており、私の影で批判非難を展開しておりました。それは今までの時雄氏との付き合いを考えれば無理無きこととしておりましたが、時雄氏にとっては違う意味が有ったと思います。
 叔父から連絡が有りました。
役員会を開くと言う。 予定の時間に出向いたら、叔父と、他の一名しかおりませんでした。 そこで他の一名が、「時雄君が月川を辞めたよ、開発組合の総会で叔父が章文君の味方に付いた!ってのが気に入らない!ってのが理由だそうだ。」                     平成28年9月25日

 呆れてしまった
 他の一名の言うには、「開発組合の総会では、章文君の言う事が正しい事でみんなが味方した。叔父は議長の立場で取り扱っただけだけど、時雄君の言うには叔父の発言を取り上げた、『賽の河原をあんなに上に造れば大雨の時災害の恐れが有るんじゃないか?』と聞いたことだそうだ。」
 でもそんな事は時雄君の言い訳。
確かにあの席では時雄君の味方をしたのは只一人。同じ部落の年上子分、それも、「こんな小さな谷で一人を責めるのはどうかと思う。」 この発言が、より多くの人に不快感を与えたことも事実であった。      平成28年9月26日

 本当の理由はほかに有りました
 その時すでに時雄君は月川旅館の株主ではなかったのです。 その五年前のこと、時雄君が実質経営していた、ひるがみの森、そこが二度目の経営危機に陥っており、その金策のため月川の出資株充当金500万円をそれに充てようとしたのです。
叔父は裏金を用意したと思います。おそらく倍くらいの金額でしょう。その上、出資株名を時雄君の姉の名に書き換えて時雄君の権利を残していました。
 月川旅館の経営の実態は。
叔父と時雄君の二人でした。私と他の一人は作り上げられた会計報告書を受け取るだけ、17年間、何も言わずに厳しい会計報告書だけを受け取っていただけです。            平成28年9月27日

 一人250万ずつ分配する
 月川旅館の私がお願いした従弟への株譲渡、金額で120万円。その話は無しだと言われました。 月川旅館の役員手当として一人250万円づつ用意出来るからだという。時雄君には、500万円の出資資本金に併せ、その250万を加えて支払うという。
 異存を言えなくなりました。
実は他にも確認したいことが有りましたが、120万の金策に250万円ですから何も言えなくなりました。
 しかし、その時に言っておけばよかったと後悔する出来事が起こりました。

 国税局
 時雄君は、「ひるがみの森が経営破たんに成りそうだと、そうなれば月川旅館にも迷惑をかける。だから今のうちに手を引きたい。」 そう言ったと叔父は言いましたが、私は額面通りに受け止めてはいませんでした。
こんな理由 おかしい? と思いませんか? ひるがみの森の破たんでどうして月川の資本出資に迷惑がかかるのでしょうか。                            平成28年9月29日       

 実はそうではなくひるがみの森の経営危機はその時の5年前くらい、株名義を書き換えたのは2年前?3年前? どうしても話しが合わないですね。
 その証拠は数年前の国税局でした。
熊谷時雄君は(株)コスモス(人材派遣業として1,000万の株式会社でスタートしたが、実質はコンパニオンになってしまった。趣味に走りました)の社長、コンパニオン業ですから大した売り上げはしていない。なのに、国税局に入られました。 ??です。
 どんな理由であったか当然知る由が有りませんが、そこから考えられることは、時雄君の金の流れです。月川旅館の資本金、これを国税局から隠した? この様にしか私は理解できません。 前記の理由では姉の名前とする必要はありませんからね。
 叔父はそれを知っていた。
月川旅館の経営には叔父と時雄君の操作が有った。 だからこそ、私たち二人には内緒にしなければ成らなかった。
水子地蔵の一件も、時雄君が阿智川の会長に接近しすぎるとのやきもちが叔父に有ったのだと思います。 平成28年9月30日

 今度は月川旅館の番
 『月川温泉に国税局が入った!』この事は他人様から聞かされました。 私たちには話しも有りませんし、心配して電話しても、「おお、そうよ。」とだけ。 (私たちにその内訳が分る事を心配したのでしょう)
 ホントかどうか解らないけど。
『1,000万以上持って行かれた』ようだ。と、これも直接聞いていない。国税局が入った事・それの結果・その処理 これらの事は一切私たち二人の役員には何も話しが有りませんでした。 平成28年10月2日
それどころか、それから一度も役員会・会計報告が開かれていません。そして何も私たち二人に話さなくなりました。

 私はそれでも良いとしていました
 叔父が一人でここまでしてきたことは事実、私は何もして来なかった。だから叔父一人の判断で有れば、月川旅館はそれでよい。
 月川を始めた時から気になっていたこと。
それはもう一人の役員のこと、月川の横の土地の地主でもある人ですが、叔父と時雄君はこの人の事が邪魔だったみたいです。それはそれは色々の陰口を聞かされました。(直接だから陰口ではないですが) 最初のころは、叔父が社長を続けたいためかな?と思っていましたが。当然そうでしょう、年からいえば、叔父・その人・時雄・私 ですからね。
 次の社長はその人でなければ成らない。
いつかは社長も交代しなければならない事、自分の息子に!とのことは分かっていましたから、いきなり息子では世間も納得しないでしょう。ですから、“ その人を間に挟むべきだ ” との考えは普通ではないでしょうか。                               平成28年10月3日

 それを時雄君は許すわけがない
 この事業の条件として、“ 数名参画の受け入れ会社 ” が有りました。 この事業を受け入れることの下打ち合わせは、岡庭一雄課長・叔父・時雄とで先に出来上がっており、私は只の人数集めであり、私を加えて三人でやることになっておりました。  戸沢部落にはパークランド、園原部落にはふれあい館、そしてこの宿泊施設は地区全体
1/3負担となると宿泊施設は金額が大きくなるから他に参加する人はいないだろう。としましたが、
地区には他の事業ともども一応募集を掛けなければ成らない。 そして、一人が新たに参加することになりました。(正直私は嫌だったので代わりが出来たと思いました)         平成28年10月4日

 四人でやらまいか
 偶然にもこの四人は各々事業を立ち上げ実績を持ったものばかり、これであれば議会は堂々と通せる。
岡庭一雄課長の言葉であるが、時雄君は一言付け加えていたようだ。(章文は飯田市だ)
 社長は叔父がやる。
これも当然といえばそうですが、叔父しか手が空いている人がいない事も事実でした。その人も特段野心が有るわけでなく、荒廃地の有効利用が出来るなら、程度でした。
 時雄君は違っていた。
本人も承知していたんでしょう、コンパニオン商売では仕方ない。生末の事を考えるとコンパニオンでは聞こえが悪い。
だから、ひるがみの森に参加し実権を握った。                  平成28年10月5日

 叔父の構想
 月川温泉の経営は次男に譲る その後は長男の孫だ 私には聞こえてきていました。それで良い、叔父が一人で頑張っている、当然である。(でもそれは身内だから言えること)
 時雄君もそれは了承していた。
それは当然でしょう、裏金つくりは二人でやっていたんだから。(だから国税局が入った)
 時雄君はひるがみの森。
経営が安定したころ叔父は言いだした。『温泉を掘ろう!』 成分温泉では行く先飽きられてしまう。ここはどうしても高温源泉が必要ではないか。                 平成28年10月7日

 温泉掘削計画
 当時の温泉掘削はまだまだ夢事業 山っ気がなければやる気が起きないし、やろうと思っても1億2億の資金が要る。 月川温泉だけでは到底できない、やはりスポンサーが必要で、その後の開発事業も視野に入れられることが条件となる。
 時雄君が言い出したのかな?
 阿智川の会長はどうだろう。『会長なら俺が話しが出来る』と、時雄君は言いました。 それは確かにこの人以外はいないだろう、だがしかし、この人が叔父と組むとは考えられない。

 叔父はどうして温泉を掘削しようと考えたのか?
確かに冷泉だと加温に経費が掛かりすぎることは事実であるが、投下資金の回収は現実的でない。   平成28年10月8日

 もっと大きな野望が
 それは大型温泉施設の建設です。
仮橋の架け替えが出来れば大手の観光会社と年間契約が出来る、そうなれば集客の心配はなくなる。 で有れば次の展開だ。 月川旅館の収容はギリギリ50人、バス一台の範囲で有りあまりにも小規模
 50人の宿泊棟を建設する。
 観光会社と契約出来れば、少なくても100人の収容施設が求められる。それに対応する事が急務となる。『良し!増築しよう』 そして急きょ役員会が招集されました。        平成28年10月9日

 役員会では
 橋の架け替えをすれば名古屋の大手観光会社と契約が出来る事、そうなると100人収容規模が求められる。
50人収容の3階建て客室棟を本谷側に向け建設する事に成りました。
 並行して進められた事。
収容100人となれば浴室(露天風呂付)が小規模ではないか! との事になった。 現浴室を改修して大きくする事は敷地スペース的に無理である。隣地(役員の土地)に建設したらどうか!
 浴室増築建設地は決まったが。
さあ建設資金はどうするのか? 宿泊棟は5,000万円 これは全額借入と予定する。だがしかし、浴室増築までを借り入れとするには金額にかかわらず無理であろう。         平成28年10月10日

 まだ他に考えなくては成らない事
 『ビジョンの策定』 安定した経営のために経営計画を立て、または見直していくことは経営の基本であります。
金融機関から融資を受けるには、代表取締役と成る者の担保保証が必要となります。その保証はすべて叔父でした。ですから私たち他の役員は社長が立てた経営計画が順調に進むために手伝うしか方法が有りません。
 浴室棟増築は温泉施設とする。
現状の浴室は旅館用として少し増設改修しましょう。増築する浴室棟は村の温泉施設にしましょう!そして、温泉施設を建設するとなれば、『新たな源泉を掘削しよう!』と、いう事に成りました。          平成28年10月11日

 温泉を掘る
 1億? この様な金額を扱う力はありません。 であれば、力のある事業家に働きかけるしかありません。
そこで、阿智川の会長にお願いしよう! と、時雄君が言い出したのです。
 時雄君が設営して、叔父と三人で会ったようです。(ようです。としたのは、叔父と時雄君の二人で進めており、何も知らなかったのが現状でした)
 前話していた温泉掘削のこと。
叔父から話が有りました。「どこかないか、一緒に掘削してくれるところは。」 温泉掘削のことかな、前の時、時雄さが阿智川が何とか言ってたけど、それはどうなったの?    平成28年10月12日

 黙して語らず
 「前言っていた建築業者はどうだ・・」 阿智川とは会ったの?「・・ん・ああ」 なんだダメかな、時雄さはかなり太鼓判を押していたが、そうかな ダメかな (叔父と阿智川会長とは合わない事は知っていた・・また、これらの事が重なって水子地蔵の一件や、村長選にも絡むことと成る)
 飯田大手ではどうなの?
吉川は考えていないの?「吉川か・・社長はいいがコクサイが一緒だからな・・神建はどうかなあ・・ここやってくれたじゃないか代人もまじめだったし、また増築するっていえばお世話に成らなきゃならんし・・」                            平成28年10月13日

 温泉掘削
 そんなに簡単に進められるものではない。 月川温泉は、水源を求め井戸を掘ったところそれが成分温泉となっただけである。 給水源として利用していたところ、飲み水は不味い、お風呂はぬるぬるする。これは保健所で調べてもらって・・・それが成分温泉となった。
 それからが大変だった。
保健所に掘削許可を得ていない! 掘削許可を下してから温泉として申請しなければならない。 いわゆる、後先になった!ということである。
 お役所の堅いところではあるが。
保健所は気を使ってくれているわけだ。 それが分からない。『温泉だ!』 さあ宣伝して! となり、南信州を呼んでしまったのでした。                                    平成28年10月14日

 ここ掘れワンワン
 『井戸を掘ったらそれが温泉だった!』 このような見出しで南信州の記事と成りました。
 怒りましたねえ保健所。
書類の前後を整えて、何とか正規な温泉にしましょうと月川旅館のためにやっていただいている最中、それなのに新聞報道が先に成ってしまった。
 うかつな事をやったもんだ。
その日のうちに井戸は閉鎖されました。保健所職員の手によってバルブは硬く閉じられ、施錠までされました。
 当分の間営業停止。
処分は長く続きました。自業自得 この一件が温泉掘削の試行錯誤の要因の一つとなっていきます。平成28年10月15日

 策を練りすぎ
 井戸が温泉になった! この様な考えてもいなかった事が起き、月川旅館の前途が開けてきたことは言うまでもありませんが、反ってその事が強引な新たな展開へと続いていくことに成っていきます。
 当時、宿泊客より宴会客の利用が主でした。
温泉はとても評判が良かったですが、そのような利用者の多くの声は、『お風呂が小さい!露天風呂が無い!』でした。
 叔父の対応展開は凄かった。
そのような利用者の声を敏感に感じ、すぐ行動した。自身の資金を基に借り入れを起こし、浴室・脱衣室を広げ、はたまた露天風呂とそれに伴うボイラーの新設! 矢継ぎ早に次々と改良をしていきました。
 他の役員は何もしない。
叔父一人の考えと資金力で対応しており、それがそのように顧客の期待に応え、経営が安定してきたから他の役員がとやかくいう事は何もありませんでした。             平成28年10月17日

 温泉掘削も夢ではない
 他の役員もそんな感じでした。 冷泉の成分温泉だけでは限界があり、湯量も豊富ではない。温泉施設をつくろうとすればどうしても新たな源泉が必要。
 『温泉施設と月川旅館の増築を条件に、神稲建設に声をかけてくれ』と、こうなりました。
 社長と常務に会う。
常務とは親交がありました。親交といっても業者と設計事務所の関係、グループで麻雀したり飲みに行く程度のこと。
 こんな話し聞いてくれるのか? ある日、打診した。             平成28年10月18日

 社長に相談してみます。
 月川温泉の収容人数は50人なんですが、営業展開として100人規模に増築を考えています。今の施設が村の施設、その施設に直接的な増築が出来ない為別棟として計画をしています。
 温泉施設の計画について。
月川旅館の浴室ということではなく、昼神温泉に無い利用型温泉施設を月川温泉郷に造って欲しいと村に要望しています。 その要望をするに当たり、今の温泉源泉の湯量では不足と見なされる場合があり、新たな源泉が必要とされます。 ついては、その源泉開発に参加協力を検討願いないでしょうか。              平成28年10月20日

 神稲建設と会う
 社長と常務、叔父と私の話しは神稲建設で行われました。前向きで検討されるとのこと、また、ボーリング調査の必要性も話し合いしました。
 時雄氏のおかしな動き?
阿智川の会長と叔父と会う前から時雄氏の動きが気になりました。
役員会議で増築の必要性、浴室の増築、将来構想などを話すときに気のない素振りが気になりました。
神稲建設と会うことが決まった時、叔父に時雄さは一緒に行くんだよね?と聞いたところ、「あれはひるがみの森の人間、温泉施設をつくるとの話しはひるがみの森の誘客に影響するとして賛成しない。」       平成28年10月21日

 時雄君の妨害
 叔父は落胆したと思います。 阿智川の会長と会った時、会長から、『そちらは一枚岩じゃない』その様なニュアンスの話しが出たようだ。 叔父が恥をかいたのだと思う。
 その日から時雄氏と距離を置く。
月川旅館が軌道に乗り始めたころ、時雄氏は私にこう言った事がある。「叔父が養魚で利用している川は1級河川だ、河川を利用するには許可が必要なんじゃないか!?何かあった時それは大変な事に成る。そうなったらまずいんじゃないか?どうだ?そう思わんか?」 許可は当然必要だから取っているんじゃないの? 「いや取ってない。20年も経つしだから俺は心配しているんだ。」 そう、じゃあ言ってやった方がいいよ。(言わなかったみたい)
他にもきついことを言われたけど、
それはお金レベルのいやらしい話しだから書けません。平成28年10月22日                                                    

 温泉掘削
 神稲建設と具体的な話しをする事に成りました。 月川旅館内で開かれたその会議に、神稲建設からは社長と常務がお見えになり、湯脈の話しがされました。
 温泉施設の目的は地域開発。
地区の魅力を高めよう! 経営母体は基本的に地区としよう! 資金協力は対外的に求める(神稲建設中心)
具体的に言えば、源泉掘削は神稲建設の資金でお願いします。 その代わり建設工事は協力する。 施設資金は補助金(1/3負担は施設運営会社で) 施設運営会社は地区内で新たに募集  月川旅館は温泉施設利用料金を支払う(宿泊者利用) こんなことが話されました。      平成28年10月24日

 時雄君はいない
 神稲建設が帰った後に時雄君がいないことが話題になりました。 叔父が、「あいつは邪魔をしている。最初は温泉施設の計画に反対なのか?と思ったが、そうじゃない。新たな源泉掘削そのもに反対し出した。」 なんでそんなことに反対するの? 「分らん・・」 そういえばこの間、〇〇屋の魚養殖に1級河川を無断で使用している。そんな権利はないからどう思う!とか、月川の経営状況が良いので税務署が心配だ!とか、変なことばかし言ってたよ。
 あとで分かった事。
時雄君の考え方は『資本主義の共産主義』そのもの 普通の人とは、あいまみえる事は無いのである。
自分の考えのみが正しくて、他の意見には耳を傾けないどころかうけ付けない。その上、思い通りにならないと、“攻撃” するのである。                       平成28年10月26日

 だから彼等は恐ろしい
 時雄君は陰で動いたらしい。 温泉掘削と温泉施設の両方に反対し出したのです。それも裏から手をまわしてね。
 月川温泉とは。
給水源として井戸を掘り、それが成分温泉となりました。ということで、その権利は当然月川旅館経営会社のものです。 が、しかし 県に温泉と認証するに当たり、岡庭一雄観光課長から、「この会社で認証を受けるのは不味い。」と待った!がかかりました。
 今になって考えてみれば、この事、もう既に時雄君と岡庭さんの謀略でした。  平成28年10月28日

 岡庭観光課長の話し
 阿智川会長はここでは悪者です!
「昼神温泉は村長名になっている。それであったから阿智川のような勝手な源泉掘削も議会で押さえて温泉管理が出来るようになった。ここも村長名にしておいた方が良い。村長名にしても実際の権利はここに有るんだし、議会の受けもよい。」
 叔父はそのように理解してしまった。
阿智川の会長と岡庭観光課長の対立は知っていた。(昼神温泉の対岸に掘削された新たな源泉の権利で裁判沙汰になるのでは!? と目されたが、『500m以内の制限』によって阿智川会長は従っている。) 時雄君は岡庭観光課長の言う通りだと主張し、叔父もそうしておいた方が良い!と判断してしまいました。         平成28年10月30日
(この様な伏線が有ったから、阿智川会長は叔父に協力しなかったのでありますよ)

 月川温泉500m圏内には
 鹿の湯が有りましたが、ここも村長名でした。 ですから、月川温泉が新たな源泉を掘削することには何も障害がありませんでした。 が、・・・ 時雄君が障害を作り出したのです。
 阿智川会長を敵と見なすこと。
敵と言っても商売敵ですがね。こんな策略は時雄君でなきゃ考えつかないことで、そんな事は叔父も他の役員もみんな知っておりました。
 議会から反対させること。
時雄君は熊谷操議員にすり寄りました。そして議会側からいちゃもんが出始めました。(当時、操さの悪口を言っていたのは時雄君ただ一人です)
 この時私は叔父に言いました。
時さは操さのところへいっているよ。叔父は、「ああ、知っている、操を使って議会を揉めさせているよ。山内村長にも圧力を掛けているそうだ。」村長にも?「ああ、西では温泉施設なんて作る考えはないってな。」                            平成28年11月1日

 温泉掘削に新たな参加者を
 実質的な資本提供は神稲建設と月川旅館とするが、温泉掘削は単に資源開発であり、この地区の将来性を考えれば地域が一体となって進めていけるような実の有る計画性が必要となります。
 その実態を温泉施設と位置付けました。
一人一口5万円でより多くの有志が集まる事に期待をかけ、地区内に呼びかけました。月川の役員も同じ5万円です。
 呼びかけに応じてくれた人たち。
全員で8名と1社(神稲建設)に成りました。月川の役員を除けば4名です。 まあこれだけの事業ですから、私たちにとっては期待以上で有りました。
 最初の打ち合わせ会議は、事業計画の説明と神稲建設から具体的な掘削説明がなされました。    平成28年11月3日
(ここで気になった事 熊谷時雄氏が都合で出席しなかった事)

 温泉施設建設
 月川温泉の川下隣りに建設する。建設予算2億5千万、運営は地区民を中心とした会社、月川旅館は宿泊者の入湯料を支払う事で協力する。
 村長に陳情。
この時は山内村長です。 地区の要望事業として申し入れました。 村長は、過疎債枠での補助金申請が可能であれば検討していただける、と成りました。
 村長の行動は早かった。
過疎債に余裕が有ったのが幸いしたのか、また、温泉ブームの世情の中で県の受け取りも良かったのかと、トントンと進んでいくように見えました・・が                平成28年11月6日

 地方事務所で山内村長と出会った
 その日、地方事務所建築課に出向いていました。用事を済ませ建設事務所に向かう廊下で山内村長とバッタリ出会いました。 あ、こんにちは。いつもお世話になります。 「お、熊谷君、ちょうど良かった。温泉施設の件でこれから話しに行くんだ。」 そうですか、ありがとうございます。どんな感じなんですか? 「もう過疎債で上げてあるが、あいさつを兼ねて確認にな。」 そうですか、お願いします。
 それから数日後。
叔父から役員会を開くと連絡がありました。予定の時間に出向くと、やはり時雄君はいませんでした。 叔父が、「温泉施設だがな、なかなか難しいようだ。」              平成28年11月8日

 そんなことはないんでは
 この間村長に会ったよ、地方事務所で。温泉施設は大丈夫だ!今日もお願いのあいさつに来た、と言っていたよ。
「俺にもな、村長はそうは言ってくれているんだが、議会がなあ。」 議会?!議会で反対するといえば操さしかいないじゃん。そうか、やはり時雄さが操さを動かしているんだ。
 議会が反対しているわけじゃない。
「操の議長じゃどうしようもない。あれが反対に回ったんだから議会云々ではなく直接村長を攻撃している。」
温泉掘削には孝志も参加してるじゃない。温泉施設建設も了解の上で会社をつくるようになったじゃないですか。
「あんな者は承知の上よ。かき回すのが目的で、あの時にも、『なんで神稲建設がここに居るんだ!神稲が工事するなんて決まってないじゃないか!』って言っていただろう。」     成28年11月10日

 そう言われれば
 たしかに言われるとおりでした。 『時雄は反対している、あいつは邪魔する。調査結果はここだけの秘密にする』この時改めて叔父の言った言葉を思い出しました。
 それでもダメになったわけじゃない。
「少し延期せねばならないだろう。」 それは、温泉掘削の許可申請を県に届け出る件について打ち合わせた時のことです。 神稲建設が作成した申請書は、保健所へ届け出る前に阿智村での意見書が必要となります。村は議会に諮らなければならない。しかし、議長がそれを阻む状況は目に見えていた。
 慌てることではない。
既に調査を終え有望な湯脈も確認されていましたから、もう少し落ち着いてから進めよう!となりました。平成28年11月12日

 神稲建設が不安に思った事
 岡庭一雄課長の態度です。山内村長に対する動作と言動をつぶさに見ていて不安が口にされました。 『一課長の発言やその態度ではないと感じた。不協和音はその辺にもあるのではないか。』
 的を射ていました。
まさしくその通りでした。叔父も他の役員も、『熊谷時雄と岡庭一雄のただならぬ関係』の中で、二人の動き(村長選)も気づいておりました。
 時雄君は、“ひるがみの森”の人。
多額な投資で立て直しをし実質経営者となった今、月川温泉が新たな温温泉郷になっていくことは“決して許せないこと” いずれ月川旅館の役員を辞め離れていくだろうと思いました。
(この時すでに時雄君から相談を受けていたと後で叔父から聞きました)     平成28男11月14日

 叔父と時雄君の内緒話
 月川旅館は順調な経営状態でした。 それは当然でしょう、償却資産がないのですから。だからこそ新たな事業展開も考えられること。
 ひるがみの森も立て直した。
大きな負債はあったにしても、時雄君の資産担保で長期経営計画が整いつつありました。
 時雄君と仲直りをする。
他の役員の前であれだけ批判し、かたや株までも返している(名義を変えている)のになぜか時雄君は居座った。知らぬうち、叔父と内緒話をしたようである。            平成28年11月16日

 内緒話はなんだったか
 まず、なぜ時雄君は叔父と話そうと思ったのか! ということです。 慌てたのが、“温泉掘削”  正式に申請されれば、熊谷操議長が何言っても意見書は付けなければならない。駄目だという根拠はないからです。
 岡庭一雄課長が言うには。(時雄君に)
『これ以上は無理だ、村長選に絡めよう』 この時すでに、岡庭一雄氏と熊谷時雄氏の、“野望” が始まっていました。 彼等は秘密裏に進めてきたと思い込んでいるようでした。 この様な野心を持つ者は、必ずどこかで口にしています。 こんなことは、逆に知れ渡っていました。
 叔父に言いくるめる時雄君。
『山内村長じゃだめだ!岡庭課長が村長に成れば何でも出来る』 この、二言三言でありましょう。  平成28年11月18日

 岡庭は村長になりたいようだ
 四期で辞めるつもりでいた黒柳村長が五期目も続投する事になった時、岡庭一雄氏は予定が狂ったようである。仲人までお世話になったから少しは俺の目も有るだろうと、時雄氏と準備してきていた。
 そんな噂は届いていた。
黒柳村長は岡庭氏に面と向かって言ったそうだ。『どうだあ、俺と戦ってみるか』 下を向いていたという。
 ヘブンズとの契約。
ヘブンズの賃貸料を一旦村に入れる この様な事を時雄氏と組んで進めた岡庭氏は、西地区に対して信用が有るとしてきた。議長も熊谷操氏である。                 平成28年11月20日

 こんなチャンスは二度とない
 野望を実現するために、邪魔な芽を摘んできた。あるマスコミも抱え込んでいる。山内村長の評判は彼等が操作したもの。議会も二分されている。 確かにこんなチャンスはないだろう。
 西地区の切り崩し。
時雄君がのし上がるには、西地区にとって絶対的な存在、『渋谷勲』の流れに乗ることである。そのために叔父に接近してきた。 それが温泉掘削・温泉施設によって失うかもしれない。
 二兎を追うものは。
こんなことわざは時雄君に通用しない、二兎とも手に入れる人だから。だから平気でウソを言う。
 叔父を騙すことなんか苦にしない、それは、叔父は党員でないからだ。
(岡庭一雄と熊谷時雄の思想的な結び付きを分かっていたのは私だけである)    平成28年11月22日

 叔父が変わってしまった
 この数年前から叔父と会うたび気付いた事がありました。 「経営が苦しい!ちょっとも客足が伸びない。」この様な言葉を必ず口にするのだ。(会計報告:収支がチョンチョンで利益もわずか、これは良い状態を示している)
かの税理士が付いていて、この様な会計報告ならば、何も問題ないという事である。
 何故?否定のことしか言わないのか。
私に内輪の話しをしなくなった・・・私は身内です。それも自身の甥、叔父を認めているし小さい時から慕ってきた。
 薄々は感じ始めていた。
それは時雄君の存在です。 黒柳村長が最も嫌った人間、時雄君の汚さ、岡庭一雄との野心 これらの事を叔父は全て知っていた。 知り尽くしていたのに、私の方を煙たがった。   平成28年11月24日 

 何故なのだろう
 父方叔父から聞いた事がありました。「それは子供が一番かわいい、当たり前の事。」社長の座を一度でも譲ると、“そうは成らない” と思っている。 この様な話しでした。
 たしかに当たり前のことかもしれない。
叔父もいずれ二男に譲るんだと思っていましたが、子供に譲る前に一度他の役員に社長役を渡す方が良いと考えていましたし、その様にし向けない叔父に不信を抱いていたことも事実です。
 この話しを直接聞いた事があります。
時雄君が辞めた時です。叔父から話しがありました。「一旦解散するか?!」 この時、ああやはり、他の役員には譲らないんだ。                         平成28年11月26
                                                     間違
っていることはやってはいけない
 このような事は考え方の相違であるから、さしてどうという事は有りません。 ですから、悲しいなあ 残念だなあ の気持ちでした。
 岡庭さんが村長に成ろうとする。
村長に成ろうとしても、岡庭さんや時雄君の野心もどうという事ではありません。 私個人が考えてしまうのは、彼ら二人の『作為的な行動』 これが一番気がかりでした。

 野心のためなら他人はどうなってもよい! 自分たちに利益が有ればよい! 目的のためなら平気でウソを言う!

 この様な考えがある人が、この様な考えで行動し、この様な考えを実行する   平成28年11月28日

 欲は欲としかつながらない
 “類は友を呼ぶ” 正しくこの通りではないでしょうか。 欲でつながると他が見えなくなるのでしょう。 彼ら二人は、思想でつながっている恐ろしい人たち。 その中では法律は存在していない。
 目先だけで考える人は。
“どっちが得か” と選択してしまう。それは当たり前のことかもしれないが、公職、特にその事に影響が有ると思われる議員職には有っては成らない事です。

 (明日11月1日は議長選出を行う日だそうです。 投票をするようだと聞こえてきています。 どっちが得か? と考える議員はいないと思いますが、“やるべき事をやれる人” の選択は間違えないようにと願っています。)                          平成28年11月30日

 温泉施設建設は諦めた叔父
 何故温泉施設建設を考えたのかといえば、それは思わぬ形で井戸水が成分温泉になったことからです。 温泉旅館の宣伝効果は大きく宿泊者が増えたうえ、ヘブンズのスキー客が利用するようになりました。
 簡易宿泊施設として6室40人収容で計画されており、収容人数に合わせた浴室規模で有りました。それが温泉と成った時点で手狭と成り、早急な浴室増築が計られました。
 浴室は広く成りましたが。
源泉湯量が不足という事態が発生し、洗い湯にまで使用していた源泉を浴槽のみに切り替え何とか回しておりました。
 深刻な状況。
発展的な変化で有りますので、その状態で切りまわしていけば継続的には問題ないことですが、そもそも大型バスが通過できない仮橋の架け替え要望をしている現状では、この事が後押しする根拠に成るのだ!との方法論と成りました。『状況は深刻、早急な架け替えを!』これが目的でした。平成28年12月2日

 橋の架け替えが村負担に成れば
 岡庭一雄と熊谷時雄は、叔父に何を話したのか?! 何を約束したのか!?
今から20年近く前の事、それも内緒話ですし直接聞いたわけではありませんが、当時の状況は目に浮かぶほど覚えています。
 叔父が求めていたもの。
何といっても仮橋の架け替えです。過疎債での事業化は出来るとなりましたが、負担3,000万円が用意できない。
(この事がきっかけで本谷・園原財産区を組織化する) これに尽きるでしょう。
 この当時過疎債は終わりに近づいていました。
山内村長がその事を伝えてはいません、村長ですから当然ですが。 岡庭一雄観光課長はその事を何故伝えたのでしょうか。                             平成28年12月4日

 何故、伝えようとしたのか
 叔父の考えは、橋の架け替えで必要な資金は財産区の金で(3,000万円)出来る。であれば浴室の建て替えに月川の資金が回せる。でも源泉が不足している。温泉掘削に必要なお金はどうするか?
 浴室の建替は村の温泉施設としよう!
温泉施設となれば補助金で出来る。そうなれば温泉掘削に資金が回るではないか。 このように考えていました。
 村長選の切符!
『橋の架け替えは全て補助金で出来るようにするよ』 これが内緒話です。これが村長選への後押し切符です。
 温泉掘削は難しい。
『村は昼神温泉が有る限り新たな温泉街は求めていないし温泉組合で反対している。財産区の金は温泉施設に回せば良い。温泉施設の目的で温泉掘削とすれば反対する理由がない』 こうも付け加えたのでしょう。   平成28年12月6日

 俺が造るから
 岡庭一雄の裏話は『橋は俺が造る』 応援してほしい! 熊谷操議長はこちら側だ、○○屋が付いてくれれば西地区は混乱する。議員たちの流れを変えられる。
 表立っては無理だ。
山内村長は温泉施設を造ると言ってくれたが、どういうわけか解らないがそれ以来何も話さなくなった。信用できない。
 応援はするよ。
応援はするけど、表立っては無理だ。兄貴や本谷の議員(田中氏)は山内村長に付くのは目に見えている。兄貴を裏切る格好になる。                        平成28年12月8日

 慌ただしくなりました
 岡庭一雄が立候補する! 課長職を辞めたぞ! 選挙になるぞ! たしか、10月頃でしょうか
世間が騒がしくなりました。 『岡庭なんて共産党だ、ホントに出るのかよ・・出たって勝てっこないじゃないか』 そんな声の方が先に出まわりました。
 そんなバカな事はない!
『いや、共産党を辞めた様だぞ、議員の連中も二つに割れているようだ』 共産党議員は二人じゃないか、二つに割れるわけないじゃないか!!
 考えられない事が起きる。
『吉田ひろみがバックに付いた!そしてひろみの後援会が全面バックアップする事になった』 ひろみの後援会に入っている議員は云わば与党、共産党を辞めたと宣言している限り応援せざるを得ない。        平成28年12月10日

 共産党を辞めるわけがない 辞めれるわけがない   みなさん 分かっているけど どうしようもない
吉田ひろみが動けばどうしようもない   ・・・ああ・・これがなかったら こんな犯罪も起きなかったのに

 叔父の打算
 岡庭一雄と熊谷時雄の話に乗ってしまいました。 仮橋さえ架け替えできれば今以上に売り上げられる、大手の観光会社の太鼓判だから心配ない、何も温泉施設なんて造らなくても月川の浴室を大きくすれば良い
 万が一の保険は掛けるでしょう。
そうはいっても選挙は水物、どちらが勝つかは分からない。山内村長の再選に備えることも必要。
 そこで呼び付けた。
ある日、月川旅館に顔を出しました。事務室奥の部屋でひそひそ話が・・  山内村長と叔父でした。 さすがのわたくしも、行き成り顔を出すわけにはいかない。 話しが終わるまでひとっ風呂浴びてきますか。   平成28年12月12日

 神稲建設は気の毒
 山内村長はどうしたの? そう聞いてみました。「選挙ともなると、俺みたいな所にも顔を出すんだよ。」 温泉施設の話しはしたの?造ってくれそうかな? 「そこは何とも言わん、造るとも造らないとも。」
 父には聞いていた。
「温泉施設は造るといっているが、岡庭達は反対している。村長は、選挙の焦点にするのは良くないことだとしている。」 それは当然のことだろう、だからこそ、叔父にはその胸の内を分かってもらいたくて訪ねると言っていた。 その様に聞いていました。
 叔父の駆け引きは有ったのか?
おそらく無かったと、このとき既に叔父の心は決まっていたと思います。彼等の謀略に嵌まったのです。
 気の毒なのは神稲建設。
叔父を信じて源泉調査に数千万円投下しました。有望な湯脈が月川旅館周辺に2個所在り、さあこれからという時に、“ああだこうだ”と振り回され、最後には“知らぬ存ぜぬ”で袖にされたのですから。        平成28年12月14日

 『橋の架け替えが全て』
 橋の架け替えが決まったのが、熊谷時雄議長最後の年。岡庭村長14年目の時でした。

 橋の架け替えの約束は岡庭一雄が村長になるときであるが、何故、14年の歳月が費やされたのか?
 その一つには熊谷操議員の存在がありました。
村長に当選した暁には助役にする。この甘い嘘があったからです。(共産党の行動派は考えられない事をしますね、こういう事を平気で行えるんですよ)
 叔父と操紙の確執を利用する。
「月川旅館のために橋の架け替えはおかしいじゃないか!そこに温泉を掘って、月川旅館の温泉施設を造るなんてとんでもない!」(もっともな話である) 以前にも増して操氏は強く攻撃しだした。 助役を諦めてもらった岡庭村長は操氏に負い目が出来ていた。           平成28年12月16日

 今度は叔父をなだめる番
 これは簡単なことであった。 正しくその事、“操が反対している!” これを叫べば良いわけで、“操はどうしようもない!”と、今までの受け答えを繰り返していただけである。
 これも実は伏線でありました。
熊谷時雄君の野望! 『俺は村長になる!』 子供の頃からの夢を実現する又とないチャンスでもありました。
 岡庭一雄を村長にした。
政治や行政のことを何も経験していない現状で突然は無理なことぐらいは分かること。 そのためには村会議員は通過点、結局の所、熊谷操氏の代わりは、“俺だ!”と、名乗りをあげられる又とないチャンス      平成28年12月19日

 熊谷操氏は辞めない
 時雄氏の野望、先ず村会議員  これが困難に成っていました。 本谷財産区で出られると思っていたが、田中治彦氏がそのれに・・ ならばと熊谷操氏に近寄りその後継を密かに狙っていたが、そこに父が出た。園原財産区で二人になってしまえば操氏が辞めても自分の芽が無い
 そんな危機感を打開するのは。
操氏は辞める気配は無い、助役が反故にされたから尚更である。 こんな閉塞感からの抜け出るには、こんなチャンスは二度と来ないだろう。(恐ろしい男である このように、ここまで自分の事ばかししか考えない奴はいないだろう)
 橋をすぐ造っては駄目だ!
これが、岡庭一雄との謀略です。 『橋を造るために!橋を造れるのは自分だ!』 それを叔父に、“そう思わせる”必要があった。 そして叔父はそれを信じ込んでしまいました。無理もありません。岡庭一雄が村長に成ろうとしているのですから。                   平成28年12月21日

緊急速報                                      阿智村議会最終日速報

12月22日、阿智村議会最終日一般質問にて、新人の白沢議員・吉川議員、三期目の勝野議員が 私の公開質問状の取り扱いについて質問をしました。
良識と常識を持ち合わせた清廉な議員の行動において議会運営が正常されることになります。
岡庭一雄を党首とする阿智村共産党に支配されていた議会及び議会議員から、民主主義を取り戻す大きな前進になりました。
この事により、熊谷村長は阿智村行政の責任者として、法律に基づき執行するものでしょう。

告発                                          捜査機関

 その謀略が知られてる
 岡庭課長や時雄君の異常な行動をつぶさに見てきており、それに感化されていく叔父をみていれば、悲しくても彼等の腹は分りすぎるくらいでした。
 何を言っても駄目だろう。
私には読まれている。そう感じていたでしょう。ですから私への個人攻撃が始まったのです。 私は彼等の立ち位置にはいません。相まみれるものも無し。何も気になりませんでした。が、 唯一、叔父が不正に手を染めない事だけを気にしていました。                平成28年12月23日

 時の勢い
 有る面、最初から決まっていたのかも知れません。 何故かと言えば、山内村長の評判は既に落ちていたからです。
無投票で当選した前回選挙では、それだけの後援会が出来ていました。 選対委員長は平野森林組合長、平野天皇とまで言わしめた人物であったかも知れませんが、再選にあたっては評判が落ちた山内氏を本気になって応援する姿は見られませんでした。 こんな空気に一番苦労したのが当人より選挙参謀であったと思います。
 補助金不正問題が大きく尾を引いていました。
それも当然ですね、信濃毎日新聞と岡庭達共産党の陰謀とはつゆ知らず、初めて経験する大きな “出来事” にビックリしてしまったのですから。
 村民感情も全くその通りでした。
SBCテレビであんなに大きく放映されたのですからね、子供だって心に残っちゃうでしょう。 岡庭派の議員達はこぞってそれを取り上げたのは言うまでもありません。
それは最早、当人同士の選挙戦の体を無しながら、議員同士の裏事情の戦いに変わっていく様でありました。                       平成28年12月26日

 不思議な対立構図
 村会議員・職員、政党員どころか、選挙権を持つ大半の人は、『岡庭一雄は共産党』と、知っておりました。
なのにどうでしょう? 誰一人、それを口にしません。 山内派の議員に至っても、陰では言うが表だっては一切口にしませんでした。
 これが阿智村長選挙なのですか?
元々山内派の議員には、攻撃するような質の悪い人は誰もおりませんでした。ですから、この様な “本当のこと” さえも、選挙では口にしなかったのです。 ところがどうでしょう、岡庭派に着いた議員達はこぞって、“攻撃” することを止まる事なく続けたのです。
 共産党と口にしない理由を皆さん知っていた。
『吉田ひろみ』である。自民党県会議員の吉田ひろみの力は誰もが知る由のもの。 この男が、『左向け左!』と、言ったものであるから、“誰もがどうしようもなかった” のである。  平成28年12月28日

 山内派には社会党が着く
 岡庭一雄氏が共産党であったからではありません。当時の社会党議員は二人、良識派の社会党として、また、職組の母体として正当な考えのもとでありました。
 真っ二つに割れた議員たち。
当初からハッキリしていたのが、吉田ひろみの後援会に入っている議員と共産党議員でした。 人数的には半々でしたが、次第に色分けが出来あがり、一番影響したのが当時の議長です。 この人が岡庭派と宣言してしまった。 表立っての言い訳は当然吉田ひろみ  これで大勢は決したのです。
 おぞましい光景でした。
山内派としていた者も、次第に裏ではなびいていきました。 強い方に付け! これが戦いの住み分けかもしれませんが、魂まで売っては人として・・どうでしょうか。
 共産党員を村長にするのですよ!
阿智村の議員たちは、民主主義を捨てようとしているのですよ! とても考えられない構図でした。  平成28年12月30日

 その結果が、今日の阿智村を作り上げました。 あの時の、あの人たちが、一番罪が重いのではないでしょうか

 疎まれる
 岡庭一雄の村政が始まりました。 当面の人事は助役が誰か?!でありました。 そこに一番苦慮したのが岡庭氏本人でしょう。 熊谷操氏との約束、その気もないのに利用した。それでも付いてくれた議員たちには承知の事実であったから、どの様に扱うか困っていたようである。
 農協を利用する。
山内派の母体は阿智村農業組合で有りました。結果は結果として受け入れている事は当然ですが、選挙後の調整までは考えている事は絶対にあり得ません。
 そこが岡庭氏のずるいところです。
農協と喧嘩した分けではない、村を二分する訳にはいかない! なんて、勝手な言い分が聞こえてきました。 その腹はとうに読めていたようです。
 農協幹部職員福岡氏を助役に!
熊谷操氏を助役にする約束が空手形だという事は山内派の議員には分っていましたから、利用されるのでは、すぐ放り出される、との懸念の方が気がかりでありました。         平成29年1月1日

 果たしてその通り
 岡庭村政の最初の一期はそれなりの経過であったかと思います。 それはまだ、黒柳元村長の名前が生きていたからであり、周りの目も行き届いたからであります。
 地が出始めた。
阿智村の村長に成ったのですから奢りやプライドが出るのはやむを得ませんが、元々は共産党! 議員の殆どは与党となったが共産党はたった一人しか居ない。 赤く染めていくのが彼等一番の目的ではさすがに心許ない。
 熊谷時雄氏の出番。
議会を思い通りにするには?なんて、そんな甘っちょろいことは頭の片隅にもなかったであろう。 岡庭村長が誕生する前からの謀『自分たちだけの赤い村』、この目的のためにやってきた。 俺が村長、お前が議長
 議会を乗っ取る。
議員で出れば二期目で議長にさせる! 「どうだ!?時さ、今度の議員選挙に出るしかないぞ!俺とおんなじで暫くおとなしくしていれば、うるさい奴らはもう年だ。下手すりゃ二期目で議長の線もあるぞ!」      平成29年1月3日

 村民は馬鹿だ
 ご存じの通り、この時の議員選挙は無投票となりました。 働きましたねえ共産党の諸君、恐喝してまで無投票としたのですからね。(この経過は以前に書き出しています)
 着々と進む、彼等の思い通りに
時雄氏の二期目は選挙となりました。地区は年配を熊谷操氏に、若者は熊谷時雄氏に年齢で分ける作戦は叔父の戦法、阿智川の会長がホテル従業員の60票を、なぜ?熊谷時雄氏に回したのかは今もって理解に苦しみますが、熊谷操氏は既に下り坂で有ったことも、それに拍車を掛けていたのかもしれません。
 操氏の勇退。
それはこの時既に決まっていたのは周知の事実です。 熊谷時雄氏は、私が操氏の後継だと懸念し、私への攻撃の手を緩めることは有りませんでした。 それが無駄なこととは知らないで 平成29年1月5日

 いきれる二人
 操氏も最後の一期となるは承知の上、そして操氏も私が出ると考えていたらしい。 なぜそんなに議員になりたがるのか不思議ですが、岡庭氏や時雄氏のように自分たちの利益を優先する輩もいれば、村民のため、地区のためと本気で取り組む人もいたでしょう。
 過去のような言い方。
岡庭村政が続くにあたり、本当に村民のため地区のために取り組む人は議員はいなくなりました。 そういう議員もいましたが、二人のやり方に嫌気を指して辞めていくばかしでした。
きれいごとを言う共産党は相変わらず、消費税云々、首相云々・・オウムのように繰り返すだけ
 そして誰もいなくなった。
気が付いたら共産党だらけになっていた。それも、村民が気付かない。 彼ら二人の思うがままの赤い村が 気が付いたら村が赤く染まっていた                    平成29年1月7日

 阿智村リニア社会環境アセスメントの不正
 冒頭にも書きましたが、共産党が独自で報告書を作成して共産党主催で報告会を行ったのであれば、特段問題はないわけであり、岡庭一雄氏は共産党として党の方針に従っているのだ! となるだけである。
 不正でなく犯罪と成っている、
何故?犯罪とまで言い切るのか! と、思われる方はもはや阿智村の共産党員しかいないだろう。いや、阿智村の共産党員でも、「バレてしまった!」ではなく、指摘されたらたしかに「犯罪と分った!」のであろう。 この事に一番最初に気づいたのは誰あろう、岡庭一雄 本人である。
 岡庭一雄氏は動けなかった。
16年もの間阿智村の独裁者として君臨してきた。誰一人、逆らうものは居なかった。思うどおり、考えなくても思い通り出来た。 章設計に訴えられても顧問弁護士の力で、章設計を悪者とする事が出来た。               平成29年1月9日

 よみがえる恐怖
 岡庭一雄氏は恐怖を抱いたのだと思う、それは10年前を思い出したからに他ならない。
10年前と同じ事を繰り返していると思われた方もいたかと思います。それは、10年前と同じ公開質問状の提出を行ったからでありましたが、岡庭一雄氏と熊谷時雄氏は、10年前とは明らかに違う!と感じ、10年前には隠されていた、“官製談合” が、ハッキリと書かれていた事に、“恐怖”を感じたと思います。
 この二人が仲違いするほどの事でした。
10年前の裁判は民事裁判でした。しかし、彼等は官製談合という犯罪を行ったと認識しており、それを私が警察に告発するのではないか!?と、恐怖を抱いていたのです。
 やがてそれは罪の擦りあいに。
岡庭氏は、「それを仕組んだのは時雄じゃないか!」と言えば、「なに言っとるんだ!お前が鶴巻荘で始めたことじゃないか!」と、時雄は言い返す。 そして、それを時雄に話した水上だって・・時雄と一緒に鈴木設計にやるよう仕組んだんじゃないか! それが官製談合なんだよ! 園原資料館を変えてビジターセンターにしちゃったんだから、章は関係なくしたのはお前らじゃないか!・・等々   それから二人は仲違い                           平成29年1月11日
 
 彼等も顧問弁護士も気づかない事
 民事裁判を掛けたのですから、世間の皆様は当然その事だけで判断されたと思います。身内ですらそうでしたから無理もありませんが、でも、彼等は知っていました “官製談合”を行ってしまったとね。
 警察に告発される。
彼等一番の心配事、それは当然この事です。 そして彼等は脅えた  水上宗光参事は早期退職を選択し、時効を待った。 熊谷時雄と岡庭一雄は罪のなすり合いでその場をしのぎ、鈴木設計と原建設に口裏合わせをお願いする。
 それでやり過ごしたと思っていた。 のに
公開質問状、今になっての私の行動  この二人と顧問弁護士はやっと、“そこに” 気づいたのである。
(皆さんはまだ、何のことか分からないかも、もう少しお付き合いください)    平成29年1月13日

 リニア社会環境アセスメントがなぜ不正なんだ
 リニア社会環境アセスメント  この事、一体誰が行おうとしたのでしょうか?  岡庭一雄氏ではありませんか!
 リニア社会環境アセスメント  この事、一体何が目的なのでしょうか?  議員の皆さんは知っていましたか?
共産党員でない議員の皆さん、目的を明確に判断出来ていましたでしょうか、そして明確に村民に説明出来ているでしょうか!
 前議会議員の皆様、あなた達は岡庭一雄氏が提唱するリニア社会環境アセスメントの実施を諸手を挙げて賛成し、熊谷村長にその実施を迫ったのですよ!
 私のこの問いに明確に答えられるでしょうか。
村民の代表としてこの案件を議会で検討し高額な予算の執行を認めたのですから、村民に対して明確に判断した理由を何時でも答える責任が有ることを忘れているのではありませんか?  平成29年1月15日

 私は公開質問状で質問している
 私のこの問いに答えられる前議員は一人もいないでしょう。 まずそこが問題なのではないでしょうか。阿智村にはこの程度の議員しかいないんです。 これほどお粗末な議員が議会して来たのですから、岡庭一雄氏は好きな事を発言し、好き勝手に村の血税を使い大盤振る舞いを身内の者にだけしてきたんです。
 嗅覚だけは一人前。
共産党でない前議員の中で岡庭村政を共に進めてきた人たちは、質問状を見て何を最初に思い浮かべたでしょうか?
「これは不味い事になった」 こう思った人が殆どではないですか!
 不謹慎な発言がそれを現わしている。
公開質問状がプリントアウトされて配布されたとき、「こんなものをコピーして配布するなんて何事だ!」 これは在る議員が、思い当たる節が有り過ぎて、思わず出た議員に有るまじき発言です。          平成29年1月17日

 誰? でしょうか
 リニア社会環境アセスメントの実施は既に既定路線であったらしい。 岡庭一雄氏が村長を辞めた後の身の振り方をどのようにするかは職員の間では既定路線のように囁かれていました。 夏祭りの実行委員長の座は当然の如く、村長でなくても続けることの可能な役職は準備してきたようでした。
 第一は公民館長であったが、それを事もあろうに熊谷時雄氏自ら破綻とさせた。 熊谷村長も一見違う意味で驚いたのではないか。さもなん、それは官製談合で罪の擦りあいをしたときから続いてきたことでしたからね。
 仲違いと言うのか?
仲違いとは違いますよね、悪いことをして互いが責任(逮捕)逃れのためにチクリあったことですからね。 笑っちゃいますが、それは驚くほどの豹変ぶりでしたよ、熊谷時雄氏は。
 恥ずかしくないのか?!
岡庭氏は村長の手前と、章設計が上告しなかったことで却って刑事告発の不安が続いていたから喋らなかったと思いますが、時雄氏は違いました。 私に対して何も刃向かうことなく、ついては、「岡庭一雄の再選は駄目だ!」何てことも吹聴していましたからね。 この人は自信があったんでしょう、「岡庭と水上がやったことだ!」との事で、自分は逮捕されないかもとね。 ここまで来たら、もう人間ではないでしょう。                            平成29年1月19日

 水上氏も気づいた
 水上氏(当時参事)は何故ここまで時雄氏の言う通りに動いたのか? 同じ党員として岡庭前村長に陶酔していたのでしょうか?
 職員の皆さんはどう見ていたのでしょう。
私は水上さんをとてもよく知っています。早くから総務課の係長として頭角を現していました。当時から党員とも知っていましたが、書く言う私も共産党の表しか見ていなかったからなぜか身近にも感じておりました。
岡庭前村長のような危険な武勇伝は聞こえてはいなかったし、数字にも強そうで頭の良い人に感じておりました。
 走りすぎたのでは。
総務課長になった頃からか見た目にも何か自然体でないのを感じていましたが、個人的な発言が目立つようになったのはこの頃かもしれません。
個人的な発言とは課長クラスにもなれば当然と思いますが、彼の言う事は岡庭村長に対してのジレンマの様なもの、強いて言えば、“やきもち”と言った方が分りやすいかも知れません。 この、“やきもち”は村長と言う立場に対してだということです。                平成29年1月21日

 理想的な党員でない
 岡庭さんの言うことは矛盾だらけでありました。これは職員時代もまったくその通りで、身の振り方に長けているのか、行く先の道に公共性や協調性はまったく感じられない、自身に都合の良い方向に簡単に鞍替えする人でした。
 村長に成っても持って生まれた性分は変わることはありませんから、そんなところばかし毎日見続けていれば嫌になっちゃったんでしょう。
 純粋な人だから。
純粋な人だから時雄君に利用されちゃうんですがね、でも岡庭さんには期待したんではないでしょうか。
 共産党員を辞めてまで(一時だけの体裁通告)村長に成ることを目的としたんですから、村長に成れば共産党の理想的な行政を行ってくれるものと信じた。 だが、言うことと現実は大違い、“風呂敷は広げるが纏めることなく次の風呂敷を用意する” コンな事の繰り返しばかしで、風呂敷を方付ける役目ばかし・・これでは、俺が苦労するだけで何の意味もない。             平成29年1月23日

 水子地蔵設置工事の事故発生
 阿智川会長と父が進めてきた信濃比叡、時雄君は議員に成りたてで影が薄い、議員の立場で入り込んで強引に進めたのが水子地蔵設置  この前に父は倒れた。
 主導権は時雄君に。
姑息な男だからいやらしいところが見えてしまいます。 操氏、時雄君、阿智川の会長と、お金が中心の人だけが残ったのですから生末は見えていました。
 正面切って反対した。
園原部落の人たちに何も話が無くて水子地蔵を設置したものですから彼等に言い分は存在しなかったのですが、会長は、「みさチヤが言ってる訳だ。」と言い、時雄君は、私が反対すればするほど対抗する人ですから、「早く完成せよ!」と、号令を工事者にかけちゃったんですね。
 そして事故は起きた。
落石事故で家屋に飛び込んだ! これを彼等はその日のうちに手を打ち処分しようとした。 私が許すはずがない。
 権力に立ち向かう!
熊谷直勝議長(これはダメだった)、警察、基準監督署、南信州はすぐに動いてくれました。 警察や監督署は当然ですが、南信州が記事にすることが大きくありました。        平成29年1月25日

 水上参事は許せなかった
 水上さんの個人的な考えなのでしょうが、信濃比叡に対しては気に留める事が無く、ましてライバルの熊谷哲観光課長の取り扱い事業の一巻でしたから距離を置いていたのでしょう。
 焦りもあったかも。
竹炭を村おこしへの一巻へ! との思いの方が強く、それが思うように発展していかない焦りもあったんだと思います。 時雄氏が進めている水子地蔵に対してもそうであり冷ややかな目で見ていたが、事落石事故であたふたする岡庭村長には幻滅したのでしょう。(岡庭村長の本心は、自身がそこに設置した水子地蔵の存在が一番気がかりでありました。宗教事業に現職の村長が寄付まがいの行為をした事もそうではあるが、不倫(職員皆知っている)の噂が水子地蔵によって再燃するのを恐れていたのです)
 村長の机に座る人。
「もしもし、章設計さん?熊谷所長さんですね、阿智の岡庭です。・・・」 その椅子に座って、その様な電話を入れる事が許せなかったのでしょう。                 平成29年1月27日

 我慢の限界
 村長机のまん前が水上参事の席でしたから、聞き耳立てていれば何をどう話しているか、もしかしたら電話先の対応まで推し測ることが出来たのでしょうね。
 話される内容に苛立つ。
「新聞に出ると聞きました。俺は良いが阿智川の会長を怒らせてしまう。どうか話しをしてくれないか・・」・・・「そんな事を言わないで下さい・・いや、会長が・・何とか私の話しは聞かなくても良いので・・会長さんに会ってもらえれば・・すみません、すみません・・そこを何とか・・」 10分以上は話していましたよ。
 私は聞く耳を持っていないですから。
その電話の対応は今でもはっきり覚えています。本当に一字一句  そして一方的に電話を切っていますからね、それはそうでしょう、聞き入れる必要は全くない事ですからね。     平成29年1月29日

 内部告発
 何も話す必要なし! そう言って電話を切りました。 ものの2,3分、又ベルが鳴りました。女性従業員が私の顔を見ながら電話を取りました。 顔つきで分かりました。「所長、またさっきの方ですが・・どうします?」 気を利かしてくれました。先ほどの応対で察していたのでしょう。
 懇願を繰り返す。
「熊谷さん熊谷さん、阿智川の会長が会いたいと言っているんです。それで、何でも章設計の言う事を聞くと、何とか会長さんの顔を立ててもらえませんか、お願いします・・お願いします。」 これが、阿智村村長なのか?? 疑いたくなるような豹変ぶりでした。
 よほど説破が詰まったのでしょう。
村長机に座って、この様な情けない言葉を吐いているのですから水上参事でなくても呆れて嫌になっちゃうでしょうね。 「鶴巻荘で、鶴巻荘に来てもらえれば・・」  その言葉を最後に、福岡助役と鶴巻荘に向かう姿を見て思わず時雄君に電話を入れたんですね。
 哀れむべきは、岡庭一雄か水上宗光か、はたまた熊谷時雄なのか・・・ 水上参事の行動、これもある種の内部告発でした。                            平成29年1月31日

 水上宗光参事は、園原出身の同級生が亡くなった後、園原に在る不動産の処分をその母親から依頼されました。その土地や山林の処分において熊谷操氏や阿智川会長と不正な取引を行っています。当然阿智村も関与していますが、すでに時効となっておりますので、聞きたい方がおられましたらコメント欄にて対応いたします。

 リニア社会環境アセスメント
 岡庭一雄氏が共産党員と始めた似非リニア環境アセスメントがなぜ不正なのか?どうして犯罪になるのか? を私なりに書き出していきます。

 岡庭一雄氏は実際に何を行ったのか?
岡庭一雄氏は何も行っていません。地域計画課を思うように動かして実働させただけであります。 村民アンケート作成も地域計画課の職員、どこかの大学の先生?(赤い親交者かな)を神輿にして、バイトだか職員なのか1日道路端に立たせただけ                   平成29年2月2日

 創作意欲は大したもの
 このサイトを呼んでいる友人から、「お前に文才が有ったんだなあ?」と、言われた事がある。 文才? いや、そんなものはないよ。本も読まないし新聞も三面程度、書けば漫画になっちゃうよ。書いている事は事実だけ、事実だけだから阿智村の職員の方がもっと詳しく書けるんじゃないか。それに策文(作文)は岡庭にはかなわない、あれは小説家だからね。

 800万円の見積書
 リニア阿智村社会環境アセスメントの事業費見積、これは誰が作成したのでしょう。 阿智村が事業計画したのですから当然阿智村が作成したのですよね。
 見積もりは地域経営課で作成?
その見積もりは地域経営課で行っていると思いますが、実際に地域経営課の職員が積算しているでしょうか? 私はその様な見積積算は行っていないと思います。
 岡庭一雄が入り浸る。
岡庭氏は地域経営課に日参して当初からこのアセスメントの実施を迫っている。アセスメントは彼にとって起死回生の手段であって、隠された目的も党員には既に渡りを付けていた。
 根本的な目的は何だったのか?
言わずと知れた、「熊谷村長の失脚である」 赤い村が崩される これは共産党の共通課題、そして彼等にとっては金の成る木への支配が薄れる事の恐怖でもある。           平成29年2月4日

 時雄とよりを戻す
 熊谷時雄氏の魂胆は見え見えですが、どうも周りには見えていないようでありました。 10年前の裁判の目的が官製談合としてでなく、鈴木設計と岡庭一雄前村長との贈収賄で検挙されないようにした事であったと判決の後に知らされたとき、「俺は関係ない贈収賄は岡庭じゃないか!」と「何を言うんだ、官製談合はお前も当事者じゃないか!」、「官製談合なんて水上と鈴木設計がやった事じゃないか、それも岡庭と章の官製談合が先じゃないか!」と罵り合いをしたあとで、もしかしたら章は官製談合を表に出すかも知れないと恐怖を感じ、「岡庭再選は好ましくない!、あれは駄目だ!」と地区で発言しだし、私の前では借りてきた猫のようでありました。
 一端した仲違い。
悪で繋がってきたんですから、又悪い事をしようと考えればそこは相身互いでよりを戻すなんて事は朝飯前であったことでしょう。
 何がそうさせたのか?
時雄氏は腹に据えかねた! それは熊谷英樹さんが村長に立候補するとなり選挙事務所を置いた当日の事です。
今までは仲間内の人と勘違いしていたのでしょう。                平成29年2月6日

 智里東の元議員
 阿智村の人なら誰かとはすぐ分かるでしょう。中々熱血漢の人です。 私はこの人を10代の頃から知っています。 富士見台高原で万岳荘の管理(高校)の手伝いをしていたときに知り合いました。 強面は今も変わりないですが、見るからに前を向いている人に見えました。 私より年上ですから生意気な言い方に聞こえるでしょうが、そんな人で無いからこそ感じるままに書いていきます。
 この人が議員に成ったとき。
熊谷時雄氏と同期であったかと  園原信濃比叡水子地蔵の一件で、「熊谷君の話を聞きたい。」と、お隣の法事の席で言われたことがありました。 この時は、岡庭側の人間として見ていましたから茶を濁しています。
 聞こえてくる評判。
二期目の後半でありましたでしょうか、時雄氏の不平不満(悪口)が出るときに、「いや、あの人は違う、時雄と一緒じゃ無い。」「おうそうよ、時雄と一緒で有るわけがない!」などと聞こえてきておりました。
 その様な話しを耳にすると、あの頃の強面が浮かぶのと同時に、やはり “あの話しは時雄達が無理にした事” だったのだと確信が持てました。                     平成29年2月8日

 その話しとは
 すべての不正と犯罪は智里西から始まったのです。 黒柳村長が退陣したその日から・・・ 岡庭一雄と熊谷時雄 この二人が謀った赤い村つくり、その頂点に立ち、国のお金を操作することで自分たちの利益だけを求め得た。
 共産党までも利用して攻撃する行為は、まさしくテロと呼んでも変わりないこと。

 彼等の異常性に気づいた議員。
彼等に近づきすぎたから見えてきたのではないか、感じたのではないか、「これは違う」と、それは、月川旅館への仮橋の架け替えに他ならない。
 仮橋の架け替え要望。
園原の水子地蔵設置において、なぜ私がこうまでして反対しているのか不思議であったろうと思います。なぜならば、阿智川の会長と私の父とが主になって進めてきた民間開発信濃比叡だったからです。
 熊谷操氏が村上和尚と進めて頓挫(操氏の着服)したこの事を、父が不正を表に出さずして奔走し、比叡山総本山まで出向き『信濃比叡』の称号を受けた。スポンサーとして阿智川の会長に頼み込み、やっと形が見えてきたときに倒れてしまった。
 水子地蔵は父の本願でないところで進められていた。 周辺土地(田)購入費用の回収が目的、阿智川の会長がせこ過ぎたから起きた事件です。                   平成28年2月10日

 水子地蔵設置と時雄の関連
 父は山本慈昭と村上和尚の考えを祖父から聞いており、操氏と村上和尚のことも知っておりました。 ですから、操氏の後始末をしようとしたのでなく、伝教太師の史実を園原のためにどう生かせるかを考えていました。
 それには東山道の復興しかない。
父が最初に行ったのが園原の東山道整備です。 古道東山道をしるべとして進めればおのずと伝教太師に繋がり、如何に園原が大和の国から重要な場所であったかが見えてくることになる。これは祖父の考えと父の想いで有りました。
 阿智川の会長と岡庭一雄を引き合わせる。
この事がとても困難な事で有りました。 それは、昼神温泉源泉掘削における対立を書き出した通りであり、二人の関係が最悪であったからです。
 二人は急接近した。
父が間に入った事により建前が出来ました。(本音は分りませんが) これに危機感を感じたのが熊谷時雄です。
叔父に近寄り田中治彦氏を下してなった議員の立場、阿智川会長と叔父の中を割いたのも、岡庭一雄と阿智川会長の不仲にも関与している。                      平成29年2月12日

 ああ~それなのに それなのに
 出しゃばることしか出来ない時雄君、阿智川の会長には俺の方が顔が効く! 操議員だって俺が押さえているんだ!
そんな程度のお粗末な気持ちで焦りがあったのでしょう。 阿智川会長に進言した。「250万の土地代、金は和尚に出させて後は水子地蔵を一体10万で売れば2、300万ばかし儲けられる、どうだな?」
 水子地蔵は時雄氏の発案でした。
反対する園原部落を無視して進め、挙げ句の果て落石事故を起こしてしまった。 その一件を反対している私が治めた。 智里東の元議員は状況が飲み込めなく私に尋ねた。私は応えなかった。 それから園原資料館建設が議題に上がり、時雄議員が一人で潰した。 それから裁判になり章設計が負けた。
 何が何だか分からなかった智里の元議員は、やっと全てが見えてきた。 しかしその時既に遅かった。
 彼等に取り込まれた。
仮橋の架け替え要望は、この智里の元議員から議会提案されました。 彼は熱弁を奮いました。 時雄議長で岡庭村長、二人の指示であれば否応無しで従ったのか。もしかしたら、これが惜別の言葉では無かったのか。                              平成29年2月14日

 手を切る
 この人は確かに体調が悪かったが、それだけが引退の理由でないことは感じていました。 そうでなければ熊谷英樹氏を村長候補に推すはずがなく、選挙事務所の責任者となり熊谷時雄氏に向かい「お前は此処に顔を出すな!」と、一喝するはずがないのである。
 危機感を感じていたのは岡庭も同じ!
熊谷時雄氏は村長に成りたくてしょうがない、その為最後の賭に出ている。 4期目の議員選に出馬せず!
出ても当然落選しただろう、それは地元の人は既に見限っていたからだ。
 それでも叔父は焦りました。
時雄氏も叔父も、そして熊谷操氏も私が出ると思っていたからだ。 「章文が必ず出る!俺でも止められない」と、叔父は思っていた。
 章文が出たらやられてしまう!
阿智川の会長がそう言って操氏に告げている。 操氏から時雄氏に届き、そして叔父に届く  章文は議員になり過去の不正を暴き出すだろう。                    平成29年2月16日

「それは何としても防がなければならない!」 これこそが、悪いことをしてきた人達共通の考えでありました。

 私は其処にいない
 私の行動は誰も理解出来ない状況で在ったろうと思いますが、私の息子と岡庭一雄の二人だけは十二分に理解していたと思う。
 岡庭には直接伝えた。
「村を守れ!」 官製談合で有ることを告げ、その罪の重さを認識させたうえで「そこではやらない」からこれ以上犯罪を犯すな!とした。
 その真意はたしかに伝わっていました。
私はそれだけで良かった。 岡庭一雄はそれ以来、私の顔を、私の目を見る事が出来ないのがその事を確認するすべでした。 そんな私が議員に出るなどと騒ぐ族のお粗末さ・・私は其処に居る筈もない
 時雄氏の賭け
人間でない時雄は私の前では猫で有りました。 それが豹変したのは裁判の判決が出た後である。   平成29年2月18日

 安心した時雄氏
 裁判で章設計が負けたことは、熊谷時雄と叔父にとってとても大きな事でありました。これで正しいとしたのです。
(官製談合に直接関与した岡庭と水上は逆に自制する事になりましたが)
 叔父が動けなかった。
岡庭一雄村長と熊谷時雄議員の不正を叔父に話し、「このままではいつか警察に捕まってしまう。時雄を止めて欲しい。」と懇願しました。 叔父はすぐに動き、熊谷時雄に「議員を辞めろ!」と注進してくれましたが、時雄はそこに在らずして逃げ道を模索していた。 その様な状況で動きが取れない中での判決、「章設計が負けた!」「悪いのは章設計だ!」と時雄や時雄の仲間、そして叔父までもが合唱し出しました。

「花桃は西の財産だ、村はもっと協力せよ!職員を動員せよ!」「仮橋の架け替えを村の事業でやれ!」「月川の改修を村でやれ!」 止まることの無い二人の欲は、次々と実行に向けて動き出したのです。
 岡庭村政で熊谷時雄が議長であれば、何だって、どんなことであっても次々と実行されていくのです。平成29年2月20日

 その裏で進められた二人のたくらみ
 花桃祭りの売り上げは、おそらく1,000万円は下らないでしょう。 掛かるのは人工手間です。たしか一人一日8,000円くらいかと半分は職員でしたから、多く見ても80万以下かと思います。
 それが15年も続けば、想像しただけで、「冗談じゃ無い!」って成りませんか? 阿智村の住民の皆様  岡庭一雄は村の金を使って彼等二人の私腹を肥させてきたのですよ
 税金逃れ
自治会に花桃管理委員会を設置し、各部落から1名、全員で5名を委員とし、形だけの会計報告だけしてきている。
知識の無い地区民はこれがおかしいと思わない。単に、お役だと、地区発展のためにこうするんだと信じ切っていました。 園原部落会で指摘すれば、私を攻撃するおバカばかし。
 考えてみれば分かるでしょ。
本当に花桃祭りが地域発展であるとしたら、そんな税金対策はしないでしょう。 二人の収益になっているからこそ、自治会に付属させて形だけの会計報告をしているんです。(肥料代草刈り代、管理費として赤字に成らないようにしている。だから委員手当は自治会で出してくれ)
 この続きは花桃街道整備事業のコーナーへと続きます             平成29年2月22日

 弓の又公園の不思議
 弓の又川は月川旅館の南側を流れる1級河川である。 熊谷時雄が二期目議員のときに、建設事務所で護岸工事の計画が地元に知らされました。 それは単に、災害復旧工事として自治会に知らされただけである。
 事業詳細内容は地元に知らされなかった。
章設計は建築設計事務所の他測量事務所も行っています。 その護岸工事を行うに当たって現地測量が発注されており、護岸工事の他に河川敷を利用してのオートキャンプ場の計画があることを事前に知っておりました。
 熊谷時雄議員から自治会に説明された内容は(なぜ議員が説明するのか疑問であった) 護岸工事だけであり、その河川敷は空地とされていました。
 岡庭一雄村長と熊谷時雄議員の策略
「弓の又護岸工事が始まるんだけど、河川敷を利用したオートキャンプ場の事業計画がある。建設事務所で3,000万補助が有るんだけど、例によって1/3、800万負担すれば良いから一緒にやろう!」 この様に叔父に持ちかけていました。 叔父はその気になって一旦は返事したようですが、おばさんが怒って止めることになりました。                      平成29年2月24日

 時雄君、あなたは議員でしょ
 建設事務所の護岸工事は建設事務所の事業ですから、村に相談して進めることではありません。通達するだけでしょう。
 ではなぜ時雄君はそれを知ったのでしょう?
建設事務所では広大な河川敷が有ることを阿智村に伝えているだけです。 ですから、オートキャンプ場として計画された事は、阿智村の計画事業であったことは明白の事実です。
 岡庭一雄村長のやったことは
「おい時雄、建設事務所の弓の又護岸工事で残土がかなり出る事に成って河川敷に土盛りするんだそうだ。」「ただ土盛りさせたって芸がないじゃないか。そこにオートキャンプ場を作ってやるでやってみんか。」 「それは良い話しじゃないか、で、どうやるんだ。」 「何かいい補助を探してやるよ。建設事務所には平地にしてくれと言ってあるから造成は必要ないじゃないか。」 「分った、内緒にしてくれ。○○屋(叔父)と相談してみる。」                 平成29年2月26日

 設計図もタダで図かせるから
 ジャスティックが設計しているから、オートキャンプ場の管理棟や他のも図かせるように話しをする。 建設事務所が何か言ったら、村で金を出してやればいい。
 奥様の名前で申請する。
叔父に声を掛けたのは、名前を借りるだけのことでした。ですが、叔父がその気になり、おばさんに怒られて止めてしまった。残る手段はただ一つ、時雄君の奥さんの申請とする。 そして完成しました。奥様は忙しく、甲斐甲斐しく?
 なんとまあ欲深く、そしてお粗末な人達でしょうね。
このような馬鹿げたことが平然と通るんですから、如何に阿智村を食い物にしていたか、ねえ、これだけでも大変な事ですよ。阿智村住民の皆さん、もういい加減に目を覚ましませんか!!平成29年2月28日

 まだ続きがありますよ。 欲は終わらない、そこに集まる馬鹿どもがいますからね。

 管理が出来ない
 議員が国の補助を受けて営業施設を建設し、直接経営をする  耳を疑いたくなるような話しでしょ! これは実際の事で、今現在まで続いています。 (これを西地区に限らず、阿智村中が知っているんですよ)
 不正と分かっているのに、なぜ何も言えないんでしょう!
「おかあの名にすりゃいいじゃんか、何か文句あるか!」、「奥さんの名前なんだから問題はない!」 住民も職員も、まったく持ってこんな感じでした。 岡庭一雄の村政に、当たり前のように染まっていたんですね。
 弓の又渓谷を独占する
オートキャンプ場入り口は橋の前にあります。 時雄君はその橋に鎖を巻き付けさせ、「整備されていない道路進入は危険です」と、施錠までしました。 この行為は、オートキャンプ場を利用せずして通り越す人達を制限するためでした。 この事も、議員の権限として地区に知らしめられておりました。              平成29年3月2日

 河川管理  考えられないが本当の事
 時雄君が議員の力で手に入れたオートキャンプ場、その周辺は荒れていました。 その荒れている周辺を弓の又公園と勝手に名前を付け、自治会の管理エリヤとして草刈りや雑木伐採を自治会の事業として毎年行ってきました。 それも、村との契約事項だと偽ってです。
 今も続いています。(弓の又を知らない方は思い浮かばないと思いますので簡単に説明します)
園原インターを出て左に回り、左側に川を見ながら上流へと向かいます。 そのはらSSスタンドを越してもそのまま上流へ、1km程度行きますと道は大きく右側に回り、橋を越したところが花桃祭りの中心です。 そこを大きく右に曲がらずして川を右に見てまっすぐ4、500m進みますとオートキャンプ場が正面に見えてきます。
 時雄君は手前の弓の又川(1級河川)河川敷と、川向うにの山(土捨て場とした個人の山林)を含めて公園とし、個人の山と河川敷の草刈・雑木伐採を自治会事業とする組織(弓の又公園管理組合)を自治会に付属させました。
 自治会を通して西地区全戸に呼びかけるため、「あいつは出てこない、自治会はもっと責任を持て!」など、本末転倒となっております。 人区費用も一時は自治会費から出ており、また最近は「地区の弓の又公園を育てよう!」等のスローガンまで上げ、好き放題に進めています。
 今までは無視してきましたが、自治会部会委員となった昨年から、「これは自治会では出来ません」と、始めました。 まあ、周りの反応の悪いこと?                平成29年3月4日

 その訳は
 自治会部会委員となったのは昨年ですが、一連の不正について犯罪と成らないよう始めたのは一昨年のこと。 ですから地区を上げて私を攻撃しだした頃ですので、私の話しを聞く者などいません。 ですから地道に始めました。
 地区全体が赤黒く染まっていた。
熊谷操・熊谷時雄、そして叔父、この三人に逆らう者など誰もいません。それどころか、一緒になって小銭を拾っているんですからどうしようもありませんでした。
 そのくせ陰では悪口だらけ
人の世の常でしょうか、それとも山の中なんでしょうか。 この様な人達は、その場その場でころころ変わります。コウモリ人間なのでしょう。
 私以外に気づいた人がいた。
退職して親元で暮らし始めた人がいました。もともと転勤で離れていただけであり、基本的な生活はこの地区でありました。 その彼が副自治会長になったとき、疑問に感じたそうです。
自治会に入ってみたら「この事業、何かおかしい? 地区民に負担を掛けてる割には効果が出ない?」「花桃祭り、何か地元に貢献しているのか?」 自治会役員の立場として考えて解決しようと立ち上がりました。                       平成29年3月6日

 同じように地元に帰ってきた人は正反対
 父親が亡くなって地元に戻り、地区のために頑張っている人がいます。 何も知らないのに財産区の総代長をしたり、何も出来ないのに自治会長をしたり、それはそれは大変であったろうと思います。
 叔父の子飼い、時雄の子分
同じ地区で同じ部落であればどうしようも無いこと ・・とは少し違い、何も知らないから叔父や時雄のいいなりとなってしまったのです。
 その上染まってしまった。
どうしようもない、何を言っても理解しない、心底思い込んでいました。 まるでマインドコントロール(数名いますよ) 時雄君の言う通りに財産区総代の長として、自治会長として、不正なことを実行してきましたので今更なんですが、それでも共犯としたくない。二人のために犠牲者は出したくないと思ってやってきました。
 手遅れでした。
今年の自治会長は、弓の又公園を今の状況で続けていくことに無理があるとして、地区皆さんの考えのもとで方向性を出したいとしてアンケート調査を実行しました。 それに抵抗して不正なことを行ったのがこの人です。                          平成29年3月8日

 嘘の文書を配布する
 アンケートは自治会長自ら作成しました。 それは、既に時雄君の手が回っており、誰も協力しなかったからに他なりません。 
 アンケート
現在行われている状況を書き出し、自治会が金銭的に補助している中で費用対効果がどの程度であるか、これから続けて行くには自治会として見直す必要があるのではないか。
具体的なことには触れず、かなり気を遣ったアンケートでした。(岡庭リニアアンケートよりは立派なものでしたよ)   
 骨折り損の・・・
常識的な普通の人は、アンケートに答えることなく無視しておりました。 それは、時雄君が時雄君のために進めていると分かっているからで、また、アンケートに答えれば、「これは誰が書いた!」すぐに分かるような収集方式でしたからです。                    平成29年3月10日

 アンケートに添付された虚偽の要望書
 時雄君は手下を使い、弓の又公園がなぜ出来たのか、自治会が如何に管理してきたのかを書き出し、それをアンケートと共に配布しておりました。
 それを見てびっくりしました?!
そこに書かれていた文面は、「弓の又公園は地区公認の公園であり県と共に進めてきたと、その上、一帯の管理を自治会で行うことは県との約束事項であります。」と、書いてありました。
 この様な文書をアンケートに添付すれば、誰でも正面切っての反対が出来なくなってしまいます。(地区民もその文書の異常さに気付かない程度ですからどうしようも有りませんが)
 この様に、作為を持って文書を作成し、かつ、自分の思い通りに誘導しようとしたことは明らかに犯罪です。 これは正しく、「阿智村リニア社会環境アセスメント」と、全く同じ手法です。
 もう修正しようがない。
長い間、不正と犯罪を繰り返してきた “時雄” と言う男を私は許してきてしまった。 もうどうしようもないところまで来てしまいました。 今は後悔の念しかありません。       平成29年3月12日

 智里西自治協議会は限界
 今から9年前、私は自治会の見直しを提言して見直し委員会を設置するまでこぎ着けました。 そして見直し委員会が自治会によって設置され、その代表委員に名乗りを挙げました。
 時雄に仕切られる。
時雄は議員でしたから自治会には顧問の立場しかなく、まして見直し委員会の委員になることも出来ません。 なのに、「俺は顧問であるし相談役だ!」と理屈を並べ、乗り込んできて持論を展開し一方的に終わらせてしまいました。 総勢20人居りましたが、それに刃向かうものは私一人、私が発言しようものなら「うるさい!黙れ!」
 岡庭一雄は阿智村を私物化し、熊谷時雄は智里西地区を牛耳りました。
私はいつも悪者、次第に地区どころか部落まで、三悪人の身内や不正と犯罪の同類どもから批判や妨害を受けるまでになっておりました。
 智里西自治協議会の不正と犯罪
今現在、多くの不正と犯罪が自治会にあります。現自治会長と二人して、何とか不正を無くそうとここ二年間やってまいりました。 しかし、私ならともかくも、現自治会長まで攻撃されて限界に達しております。                              平成29年3月14日

 智里西自治協議会を壊す
 上記したように、智里西自治協議会には不正と犯罪がいくつも存在しています。 熊谷時雄・渋谷秀逸・熊谷操の三人が地区のことを一切取り仕切り、悪の巣窟としてしまいました。
 巻き込まれた地区住民
今のままでは多くの犯罪者を出してしまいます。その何れもこの三人が巻き込んだことによる犯罪です。彼等は共犯となっていることを知りません。 いままで、何とか助けようとしてきましたがもう私の力が及ぶ範囲ではありません。
 新年度になる前に
西地区自治会員に全てを話し、智里西自治協議会で行われてきた全ての不正を正します。

 阿智村を守るためには
 岡庭一雄・熊谷時雄は阿智村を共産党の赤い村にしてしまいました。 その根源は智里西地区にあります。
私は智里西自治協議会を、善良な地区民のために壊します。
阿智村は、熊谷村長と三人の新人議員で守って下さい。必ずやそれは正しい村民の中で理解されることとなります。                              平成29年3月16日

赤から                                                 青へ

 阿智村社会環境アセスメントは犯罪
 昨年4月、阿智村議会議員の皆様に提出した公開質問状、その第一に「リニア中央新幹線社会環境アセスメント」を上げています。 そしてその一連の進め方は共産党員による犯罪ではないか! と、しています。
 私は犯罪と決めつけている!
共産党とはハッキリ書いてはいないが、共産党をその対象にしているのか?と、読者に思わせていることは事実であります。また、岡庭一雄が中心となって全てを実行していると、そして彼は紛れもない共産党員だ!と決めつけています。 この様に、Webサイトのインターネットにて公開しています。
 なぜ?
読者の方は、「なぜ、名誉棄損で訴えられないのか?」「訴えられないと言うことは本当の事なのか?」と、常識的に考えておられると思います。
 なぜそうしないのか?
なぜそうしようと思わないのか  それは簡単なことです。共産党は共産主義の思想団体だからです。平成23年3月18日

 彼等の反論は「弾圧」
 岡庭一雄が共産党員だということは自他ともに認めていますから特段にすることも有りませんが、実はここが盲点に成っています。 村長であっても、個人であっても、「俺は思想団体である共産党の党員だ」と、認めていることは、常に『民主主義国家に刃向っている』と、認めている訳です。
 国家に刃向えば國族
何をしても、どの様に理屈を付けても、共産主義者が国に対して行動することはすべて “犯罪” です。
簡単な話でしょ! どうして住民の皆様は、こんな簡単な事に気づかないのでしょうか? 
 阿智村は異常なんです。
阿智村の住民が異常なんです。 それほど共産党員が多い村なんですよ。 ですから、かよわい私を抹殺することは簡単な事だったのです。 阿智村長が言えば、右に倣え!どころか、それが正しいことに成っていたのです。
 反論が出来る筈がない
私がこのサイトでどの様に書き込んでも、またそれがすべて事実なんですから攻撃コメントが出来る分けでもなく、まして名誉棄損なんて有り得ない話であり、共産主義者に日本の法律である名誉棄損を扱えるはずがないのであります。 ですから、彼等攻撃的な共産主義者は、「弾圧だ!」と、叫ぶのです。               平成29年3月20日

 誰もが口にする “証拠”
 開き直りは、終わった証拠  「どこに証拠がある!」とか、「証拠を示せ!」なんて、良く聞くし、誰でも追い詰められるとその様に発言しますよね。 では、なぜこの様な言葉を発するのでしょうか?
 証拠は不要
みちくさのコーナーにも書き出していますが、「不正と犯罪」はその様に思われる、そうでは無いかと考えたら、「告発」するのは公務員の義務ですよ!と、刑事訴訟法に記されています。
疑問を持っただけで告発しなさいと成っております。 そうなんです、そこに証拠は不要で在り、証拠を探す、示すのは警察の業務なんですよ。 警察の業務なんですから、「どこに証拠があるんだ!」と大きな声で叫んでも、まったく意味を成さないんですよ。 熊谷時雄が議論に詰まるとよく口にする「悪いか!」これもまったく同じ言葉ですね。党員の方達共通の開き直りでしょう。 ですから岡庭や時雄がその様に騒ぐことは、自ら「悪いことをしていますよ」って言っていることなんですよ。                             平成29年3月22日

 具体的な証拠
 リニア中央新幹線阿智村社会環境アセスメントを岡庭一雄が作り、それを阿智村の施策だとしてJR側に示しても不正や犯罪ではありません。
 そのアセスメントを用いて、仮に住民を扇動するような行為(実際に行ったが)を行ったとしても、犯罪までとすることは困難でしょう。
 ではなぜにその事が不正と決め付け公開質問状を提出したのか?
この事は議員であっても分かり辛いと思いますが、実はこの事は弁護士や警察ではハッキリと判断できることなんです。 ですから証拠は不要であり、公務員なら(議員含む)警察に届けなくてはいけないんです。
 私は公務員でありませんが、私人で在っても刑事訴訟法では “届けなさい” 告発しなさいとなっています。 私が直接告発しないのは読まれている皆さんにはお分かりだと思いますので、見方を変えて説明します。                                平成29年3月24日

 一つ下がって考える
 リニア社会環境アセスメントはどなたが作成したのでしょうか? 岡庭一雄や共産党ではありません、熊谷村長が地域経営課に計画書をまとめさせ、議会にその必要性を諮ったうえで承認され実行したものであります。
 ここに岡庭一雄は存在しません。
アセスメント報告書が出来あがり、その成果と説明を岡庭一雄が行ったのは、その遂行とまとめ作業を阿智村から請け負っていたからに他ならず、当たり前の行動と言えましょう。
 まとめられた内容
社会環境アセスメントの報告書内容に、仮に共産党員としての考え方が書かれて有ったにしても、アンケート調査を実施するにあたりその質問内容に思想的な事がうかがわれても、岡庭一雄はどこにも存在していません。

どうでしょうか!? これらのことは岡庭一雄は計算ずくでやっているのではなく、共産党という共産主義者の内にある独特な、“嫌~なもの” 常人には理解できない気づかない世界なのです。平成29年3月26日

 【 緊急告知 】  明日3月27日、阿智村で臨時議会が開かれます。議題は、「月川旅館他の指定管理者解除」であります。 熊谷村長は、リフレッシュモデル事業における指定管理者施設「月川旅館」「パークランド」の契約更新時期が迫る中で、施設管理者契約を継続することを困難として解除を決めました。 高坂議長他議員三名はそれに反発し、「議会で採決をせよ」として臨時議会が行われます。(村内テレビ中継も有ります)

 村長の決断は自治体として正常な行為でありますが、その決断と実行に議会議長がなぜ待ったをかけたのか!? 
 本日、『気づかない疑問・・阿智村』のコーナーに 月川旅館の “事実” だけを書き出しますので、それをご覧いただいた上で臨時議会の推移を見守ってください。

 社会環境アセスメント作成費
 岡庭一雄は社会環境アセスメント作成費用を受け取っています。 村政懇談会において、私が熊谷村長に質問した時は850万円と答えられた。 公開質問状を提出したときは、「半分払いました」と聞きました。 その後支払いが行われ総額は700数十万円とのことです。
 おかしい?
850万円で請負契約しています。それがなぜ700数十万円と100万円以上安くなったのでしょうか? 変だ?と思いませんか。 公開質問状で、「リニア中央新幹線社会環境アセスメントは不正と犯罪ではないか!」と、質問した後に、減額しているんです。 この事、議会で説明されておりますか?「これこれこう言う理由で減額されています」と説明され、優秀な議員さん達も、「分かりました。承認します」と議事録に載っておられるでしょうか。                 平成29年3月28日

 その様に説明され承認され確定されていたとしても、疑問は残るのではないでしょうか。

 850万円の予算はどの様に組み立てられ、誰が、いつ承認したのか?

 端から仕組まれていた
 岡庭一雄はどうして減額したのでしょうか? 減額しなければ成らない “理由” がそこに在ったと考えるのが普通でしょう。そしてその減額された理由は優秀な議員さん達にも “ハッキリ” 分かっていたのではないでしょうか。
 覚えておいでですか?
リニア社会環境アセスメントは議会議員全員が「良い事だ!」と賛成しているんです。議会で全員一致で可決しているんですよ。 それが今に成って「問題がある!」「犯罪かも知れない!」になったら大変だ、俺も責任追及される!
 その様に優秀な議員さんは考えてしまった。そして「責任在るは村長じゃ無いか!村長があげたから答申したんだ!」に変わり、岡庭一雄は受け取る金にミスが無いように修正し、それが通りやすいように議員は採決しているのです。(何を好き勝手に、どこに証拠が有るんだと言われれば、証拠となる根拠を明らかにしますよ)                                                                平成29年3月30日

 予算組みの不審
 冷静に、順序良く考えてみましょうね。 中央新幹線リニア社会環境アセスメント この事、だれが考えて立案したのでしょうか。 月川旅館払い下げや、花桃街道整備事業仮橋の架け替えと同じ様に、熊谷村長が村長になる前から決められていた(?)事業でしょうか? 前議員の全議員様、あなたたちはその様な理解でしょうか?
 どなたでも良いですから返事をしてください! 匿名でも構いませんからコメントしてください!
「決まっていた」「議決されていた」と言わなければ、前議会議員全員が岡庭一雄と共犯だと、「理解できた優秀な村民」が追求しますよ!
 常識で考えれば分かることです。
予算組を誰がしたか? 予算の根拠は誰が確認したのか? それを誰が承認しているのか?
この様な三つの疑問に、明確な答が前議員の皆様になくては「共謀罪」と成ります。 平成29年4月1日

 予算組を誰がした
 予算書は地域経営課で作成されています。 地域経営課は熊谷村長の指示で予算編成を行っています。・・・さあどうでしょう!? 阿智村民の皆様、何か間違いは有りますか?
 その通りです!
岡庭一雄がどこかに存在していますか? 予算書類の中には岡庭一雄は存在していませんよね。
ではどうでしょう、地域経営課の担当職員は、警察に聞かれたらどの様に答えるのでしょうか?
 どんなことを聞かれても、「熊谷村長から指示され、予算編成しました」と、その様に答えなければ成りません。
 そこに間違いがあったとしたら?
万が一、担当職員がその様に答えなかったとしたら、前議会議員の全議会議員が、「査問」していなかった事になり、万が一、担当職員が「違うこと」を話し、その事を前議会議員全員が「知り得たこと」となれば、それはその行為の「共謀」と見なされます。                                    平成29年4月3日


 予算の根拠は誰が確認した
 予算を組み立てるには一つ一つの根拠が必要となります。その一つ一つの根拠と成るのは金額であり、その金額の単価は公的単価である必要があります。それらの根拠をどなたが確認されたのでしょうか。
 地域経営課の担当者が作成しているのですから、担当者がその根拠と成る資料を持ち合わせており、その資料共々地域経営課長が精査しているはずです。 本当にそうしているのでしょうか? 万が一、その様な資料と精査した経過が証明されなかったとしたら、どなたの責任となるでしょう。
 課長が精査した後はどなたが再精査したのでしょうか? 村の仕組みとしては副村長が行うことですね、副村長は精査したのでしょうか? 当然のこと、精査無ければ村長に提出できませんから慎重にも慎重を期して確認していることと思います。
 此処で大きな問題が
一般的に100万円以下の事業費であればその様に進められますが、今回のように850万円もの事業費であればそんな簡単に進められません。 そこで登場しなければ成らないのが、「業者選定委員会です」
 業者選定
850万円もあれば当然入札を行われなければ発注できません。 随意契約も出来ますが、「阿智村では300万円を超えた発注事業費は随意契約が出来ない」として、10年前の章設計契約不履行損害賠償裁判において裁判長に明確に伝えており、その事の中で「契約書が存在していない」を理由として棄却されております。 裁判所の判決理由です。

 リニア社会環境アセスメントの事業費については、入札において契約が成されていなければ、「法律違反」となります。さてどうでしょう? 入札は行われておりますか?       平成29年4月5日

 契約書は存在しているのか?
 不思議に思うところである。前記のように入札を行わなければならない業務発注事業、入札後当然の如く契約しているはずであり、その契約金額が850万円で無ければならない。
 契約金額が850万円
契約書に850万円となっていれば、成果品(中央新幹線リニア社会環境アセスメント)は850万円の費用の裏付けであるからして、成果品が提出されたのであれば “しゅん工(完了)検査” が行われているはずである。 完了検査書は存在しているのでしょうか?
 それにも増して不思議なこと?
熊谷村長は議会に、700数十万円で実行されたとして報告しています。 そうであれば、しゅん工(完了)検査時に契約書の変更をしていなければ成らない事になります。
 変更契約書は存在しているのでしょうか。
850万円が700数十万円に減額されるということは、明確な理由と金額の根拠が必要とされます。 仮に、その様な明確な根拠をもって変更契約が成されていたとしたら、当初の契約金額に「何ら問題の無い」ことが実証されていて初めて変更が可能となります。
 不正行為 犯罪
当初契約金額の積み上げ根拠に何か一点でも修正しなければならない事項が有ったとして、それを修正した上で700数十万円に減額されたとなれば、それは最早、「不正行為」の何物でも無く、此処に書き出したような正規な方法で契約が成されていないことが一つでもあったとしたら「犯罪」となります。

 議会議員の皆様、それくらいの確認を成された上で承認されておりますでしょうね 平成29年4月7日

 誰が承認したのか?
 地域経営課の担当者が事業計画書を作成し、それを課長が精査している。 事業計画書として寸分の間違いが無いことが確認された後、それは副村長へと上がります。
副村長は事業内容とその確認において何ら間違いの無いことを再度課長と確認し合い、初めて村長へのあえぎとなります。
 議会へ提出
事業計画の目的と実施について議会は詳細にわたる説明を受けた後、各議員は事業計画の必要性を村民の代表として見極めるため全体協議会において審議する。
 議員全員の賛同を得られれば議会議決へと進みます。
 上記のように全てが間違いなく行われていたのならば何も問題は起きないのでは無いでしょうか。
私のような、議員でも公務員の経験も無い者から “いちゃもん” を付けられても、議会議員の皆様は毅然とした姿勢において私の公開質問状に答えていたと思います。
 残念ながら、議会議員の皆様全員が私の問いに返答していただけませんでした。その上、その質問状が無かったかの如く闇へ葬去られたわけであります。

 議会議員全員からお答えをいただけなかったことは、上記に書きだしたように、通常の行政業務と査問機関である議会が機能していなかったのでは無いかと考えます。
強いては、行政業務を行っていた副村長以下職員と前議会議員全員が、今回の中央新幹線社会環境アセスメント事業に恣意的な対応が有ったのではないか? 岡庭一雄という共産党員の考えや行動に深く関与していたのでは無いかと考えています。                    平成29年4月9日                                                                                

 事の重大性
 このコーナーを読まれています多くの方が、『中央新幹線リニア社会環境アセスメントは不正だ、犯罪だ!』として書きだしていても、その様に捉える方は殆どいなかったと思います。ではここまで読んでみてどう思われましたでしょうか。『確かに犯罪かも知れない』と、感じているのでは無いでしょうか。
 目に見える犯罪と見えない犯罪
目の前で暴力事件が発生すれば誰でも犯罪だと分かりますよね。そして警察に届けるでしょう。届けなくてはいけないと法律でも決められています。
ではどうでしょう。今、この書き込みを読まれて「確かに犯罪だ」と理解出来たあなた! あなたは警察に届けますか?・・・きっと届けないと思います。 それは何故でしょう?それは「どこに証拠が在るのか?何が証拠となるのか?」と考えるからであり、また、「自分には関係ないこと」として自己判断されるのではないかと思います。
 確かに警察に届けなくてはいけないとする法律はありません。それは公務員で無いからであります。
公務員はこの様な事が「不正では無いか?犯罪では無いか?」と、考えただけでも警察に届けなくては成らない義務があることを法律で決められています。(村長も、議会議員も同類)証拠は何も必要とされていません。

 阿智村の公務員の皆様、どなたか警察に届けた方はおられますか? その事の “重大性” を認識出来た者はいましたか?                              平成29年4月11日

  犯罪の積み重ね
 昨年4月に公開質問状を阿智村議会議員の皆様に提出しました。このリニア社会環境アセスメントについては一番最初に質問しています。 質問された議会議員は、質問されてどの様に対応したのでしょうか? おそらく、「何でこんなことを質問するんだ?」「これが何だって言うんだよ」
 残念ながらこの程度であったかと思われます。まして、犯罪であるから届けよう!議会で対応する必要があるのでは無いか! と思われた議員は一人も居なかったと思います。また、「議員は特別公務員ですから刑法第239条第2項に沿って告発してください」と、事務局から教えてあげても、『おらあ公務員で無いし』と開き直っておりましたね。
 これが阿智村議員の現実
私がサイトで公開しだしたとき、阿智村在住の方は「これは犯罪だ」と既に分かっておられる方がおりました。 議員の資質と言うよりも、『人としてどうなのか』ではないでしょうか。
 前議員の10名
勝野・竹村両議員以外の殆どは岡庭一雄と熊谷時雄の協力者であり共謀者です。彼等は岡庭一雄や熊谷時雄に万が一のことがあれば共犯者と成り、二人以上ですから正犯と成ることでしょう。平成29年4月13日

 昨年改選された議員
 岡庭と時雄は駆け回りました。息のかかった者を議員とすれば何とかなると考えたのでしょう。今まで息のかかった議員と推し進めてきていますから、彼等も同罪となればただでは済まないと考えたのでしょう。 そして議長の席を押さえることが出来た。 これで助かると思ったのでしょうが。
 そうは問屋が卸しません。
そんなことは折り込み済みであります。 岡庭一雄や熊谷時雄の不正や犯罪は幾つか明らかにしていましたし、村民にもこのサイトが浸透していましたから後は如何に村民の目に “写させる” かでありました。 判官びいきは誰の心にもあり、多勢に無勢、負けてこそ見えるものが有ります。 
 共産党議員
原とかいう党員が議員に成りましたが、聞くところによると「どうしようも無い、話にならん」でした。 たとえ党員でも犯罪は区別が付くだろうと言っても、「話にならん、岡庭信奉だ」とのことです。
 カミングアウトする議員
「私は共産党です」ハッキリと宣言したそうです。そして「岡庭や時雄とは考え方が違う」とも、確かにその通りでありましょう。が、それこそ、“村民の目に見える形” が必要かと思います。平成29年4月15日

 共産党みな同じ
 カミングアウト議員の話を聞いてどう思われましたか? 「よく言った!」「何を今更」など様々でしょう。 それは何故かといえば、「なぜ党員として立候補しなかったのか」ではないでしょうか。 共産党員の者達は、「共産党だ!」と思われることが嫌なんでしょうね。こんな人達に何も正当性は無いのです。 清内路の前議員を「お前は党員だとして選挙を打った者、お前の話なら聞いてやってもいいぞ」と以前書いています。 名乗らずの者がカミングアウトしたからといって何に成るでしょうね。まあ、未だかつてカミングアウトもせずに岡庭や時雄の指示に従う者より良いかも知れない程度の話しでしょう。
 俺は党員じゃ無い!
髙坂和夫議長や浪合の、なんて言ったかな名前も忘れたが、この様な者が「俺は党員じゃ無い」としらを切っても、やっていることは共産党以外の何物でもありません。 また、義文も木下も、彼等の言うとおり行動すれば「赤いお仲間」で在ることは間違いのないこととして受け止めることも事実ではないでしょうか。                                 平成29年4月17日

 共産党の取るべき道
 『岡庭一雄と熊谷時雄を共産党が告発する!』 これが理想ではないでしょうか。 共産党が共産党として飯田下伊那で今まで通り政治活動を行っていきたいとするならば、当然と言うより必然的な事ではないでしょうか。
 しかし、やらないでしょう
これも当然のことなんです。 彼等は思想団体です、思想は誰も手が付かない。言葉を変えれば “洗脳” です。 「私たちは共産党です。岡庭一雄や熊谷時雄の行動は間違っています」 ここまではどの党員も口にすることは出来るのではないでしょうか。 しかし、これから先は「絶対に口にしない!」のであります。
 間違っていると言ってはみても、「法律を犯している、犯罪者だ!」 そうは言わないし考えてもいないと思います。 ですから、告発なんて考えはさらさら持ち合わせていないのであります。

 のろしの上げすぎ
 リニア社会環境アセスメントで行動しすぎちゃったんです。 今更それが不正に作成されたとして岡庭一雄が逮捕されることになったとしても、「社会環境アセスメントの成果」はまごうことなきものとして彼等は行動を続けていくのでしょう。                    平成29年4月19日

 一網打尽
 阿智村独自のリニア社会環境アセスメントにおいて、岡庭一雄の不正と犯罪を暴くことが出来るのでしょうか?

私が書きだしてきたいくつかの問題点は、想定できるまたは想像する問題点であっても確証できるものはありません。まして不正や犯罪の証明でもありません。
 それじゃ駄目じゃん
まあそう言うなかれ、私はただの住民です。私にはこれらのことが事実だとして書きだしても、全て証明できますよ!と言ってはみても、ただの住民ですから為す術がありませんよ! と、言っているのであります。
 誰が証明(調査書)できるのか?
議会議員ではやれるかも知れません。しかし、現議会議員にこれを選別し、技術的に、時には裏付けを取って証明できる者はいますでしょうか? 少なくとも新人議員以外の議員は私の公開質問状を無視し、殆どの者は岡庭一雄の軍門内でした。そんな者達を阿智村住民は信用するでしょうか。
 村長ならやるだろう!
期待しましょうか村長に、「村長さん、やってください」と、誰がどのように言うのでしょう?!
 警察に言えば良いじゃ無いか!
警察は被害届があって初めて動くかも知れないものです。「何が被害ですか?」と聞かれたとき、上記の調査書が証拠に成り得なければ成りません。                   平成29年4月21日

 第三者委員会
 「議員には調査権が無い」馬鹿の一つ覚えのように口に出す議員がいます。まだ口に出すだけはみやましいかも知れません。そんなことも知らない議員がいることも嘆かわしい話しです。(飯田市もこのレベル)調査権が無いからこそ、『警察に言いなさい』と刑事訴訟法に決められているのです。
悪態をこいて、法律させ無視する者を議員と呼べるでしょうか?
 調査権が無い
当たり前のことです。議員一人では何も出来ないからこそ、議会で扱うことになっているのです。議会で扱うには、協議会を開催し何が不正と成るのか!?何が法律に抵触するのかを話し合い、警察に告発するべき事ならばそう判断し告発すべき事。 議会で真相を究明するには、調査委員会や百条委員会でもって対応すべき事。
 結果論
それら何れかの方法にて結論し、議会はその結果を住民に知らしめることを成さなくてはなりません。 その様な結果において警察が介入したとなれば、国が判断したということであります。 平成29年4月23日

 犯罪は警察にまかせなさい
 阿智村議員の異常性はどこにあるのか? と考えれば、まずは地方自治法を熟読しないところにあります。 議員改選が行われれば、新人議員も含め『議員とは』を勉強するものであります。 はたして、阿智村議会に於いてこの様な勉強会は開かれているでしょうか?開かれてきたでしょうか!
 「章文さのブログを見て俺も自治法を読んでみた」 呆れますが、こう言った議員も居りました。(市会議員もその程度でしたよ)
 地方自治法で解釈できないことは「警察に言いなさい!」それが議員の努めです。 それすらやらずして、「あれこれ・・」言う者は、自分に後ろめたさがあるからです。
 議員個人の考えは不要
議会で扱うことが出来ないくせに、「こうだのああだの・・」は言うべき事では無い。 議員個人の考えなんて何の意味も無い。 議員は投票してくれた住民(後援会)の “代弁者” ということを忘れては成らない。

 共産党の議会
長い間、共産党に牛耳られていたせいもあるかも知れないが、この様な勉強会は皆無でありました。その事が不幸を呼んでしまいました。
基本的な議員職務を小学生程度に勉強していれば、『議員が不正を働く、議員が犯罪を犯す』ことは無かったでしょう。

 寛容な住民
「おらが地区の代表だ」 投票する住民も住民だが、当人の資質くらいは見極めて欲しいものである。 伍和の髙坂和男・木下勝吉・清内路の野村和男・浪合の吉田哲也・原佐代子 この五人、どうしようも無い党員議員である。
情けないのが清内路、原と桜井一族はどうしたのか? 正当な住民は居ないのか? 櫻井久江の後遺症なのか!?                                  平成29年4月25日

 議員が警察に告発しないと解決出来ない
 清内路シンドロームでしょう。『財政破綻して村が終わった』ことは住民の心にも大きなショックであったかと、平成の大合併に在らずして、住民の意思に関係なく、ただ行く先が決まっただけ。 一昔二昔前の嫁入りみたいなものか?いや、もっと酷い。口減らしの身売りである。
 財政破たんでも村は無くなります。
清内路は、村長も議員も不正や犯罪といったことではなく、お金が無くなっただけで有ります。しかし、お金は国のお金、国のお金が無くなったのですから国は清内路村を無くしました。
 阿智村はどうなのか?
阿智村はもっと大変な状況です。何故かといいますと、清内路のようにお金が無くなったのではなく、国のお金が横流しにされた犯罪なんですからね。
 間違いなく阿智村は潰されるでしょう!
こんな村、国は残そうとするでしょうか? 常識で考えてください。 こんな村したのは誰でしょう!

 唯一の可能性は
 これも常識で考えてください。 悪いことをしたら警察に自首しましょう。 そうすれば罪は軽くなります。
阿智村の議員さん、常識が有るなら警察に告発しましょう! 警察に告発せよと法律にも決められていますよ。
あなた達は議員である前に阿智村の住民です。                  平成29年4月27日

 阿智村が生き残れる唯一の道は、住民の代表である議員が警察に告発し自らの罪を認めることです。

 職員は当てにできない
 阿智村独自のリニア社会環境アセスメントは誰が作成したのでしょう。 行政形態でいえば阿智村長です。
起案を事業化する業務行ったのは経済活性課の職員です。
 職員は誰の指示に従ったのか?
淡々と答えてくれるでしょう。「・・・・」とね、その答えは聞く人によって変わっているでしょう。
 もし村長が「指示していない」と言ったとしたら?
村長は直接職員に指示したのでしょうか? 私が思うのに、直接指示は無いような気がします。直接指示していたのであれば、私が議会議員に提出した「公開質問状」の中に、リニア社会環境アセスメントの進め方が不正ではないか!犯罪ではないか!と書いているのですから、議会議員は熊谷村長に対し、“査問” しているでしょう。                        平成29年4月29日

 私が熊谷村長に公開質問状を提出しなかった訳
 熊谷村長に提出する内容で無かったからに他ありません。 強いて言えばリニア社会環境アセスメントの質問だけは提出してもと考えましたが、それは不要でした。その返答は地区懇談会の席で明確に答えていただたと解釈しているからです。

 返答が疑問だらけ
熊谷村長の返答は私にとっては疑問だらけでありました。しかしその疑問は想定内のことであり、それが “何” を物語っているかは即時判断できました。
 経済活性課長も併用して返答されましたが、そこに新たな疑問が生じております。その疑問を解明することが、「岡庭一雄が首謀者」として証明できると判断しました。
 阿智村が作成した
阿智村が作成したとなっておりますが、阿智村が作成したのでしょうか? 村長が執行したのですから阿智村が作成した事に成っています。 書類上では         平成29年5月1日

 必要な証拠 (確かな証拠は何もありません。今のところは・・です)
 状況証拠は多々あります。
状況証拠というより、職員はおろか議員も、そして熊谷村長も、関係各者全員が、「岡庭一雄が作った!」と言うでしょう。
 何より共産党員に聞いてみてください。「我が党の岡庭一雄前村長が作成した立派な社会環境アセスメントです!」と言っているではありませんか。そして「このアセスメントを阿智村から発信することが目的だ!」ともね。
 信濃毎日新聞も朝日新聞も、「岡庭一雄前村長が中心となって作成したリニア社会環境アセスメントを評価します」として記事にしており、朝日新聞の飯田局記者は私の前でもオウム返しのごとく口にしましたよ。

 それでも職員は「阿智村リニア対策委員会が作成しております」と、経過書類もそうなっておりますと言うであろうが、警察が、捜査が有ったとしたら、実際のところ何と答えるのでしょうかね。      平成29年5月3日

 表になると口を濁す
   どうして本当のことを言えないのか? リニア新幹線はJRの事業で国が進めているんだからどうでもよい事なのか? 共産党が反対したってどうなるもんではないと気にしていないのか?
   よく考えてください特に阿智村職員
 考え方がそれぞれあることは当たり前、民主主義は話し合って多数決で前に進むことが出来ます。だからといって少数意見を無視するわけでもない。
 前に進めるには、法律や条例がその事を担保していると確認しなければ成らない。 
  
   岡庭一雄が起案しても何も問題は無い、問題があるとすれば “その事” が実行できるかどうかの判断は、個人の考えや感情でもって扱うことではないと職員が認識しているかどうかであると私は考えております。
 職員は事務的で在れ
今でいえばパソコンで在れ かな   まあ、そうは言ってはみても「そんな事は当たり前だ」と怒られそうですが。
 職員は考えていただきたい
たとえ事務的に滞りなく職務を遂行したとしても、自身が考えて〈これはおかしいのでは?〉と考えること、考えたことが有ったのではないか、という事です
。           平成29年5月5日  
  
  
職員だからこその判断
 公務員の職務は何でしょうか!? 親方日の丸は死語なんでしょうか!? 住民はどう見ているのでしょうか!?
村には部長が居ません。課長の上は理事者です。係長の役割は何でしょう。
行政業務に従事して、係長ともなればベテランでしょう。村であれば課長は管理職とみなされるでしょう。
 職員の義務
職員は公務員ですね、公務員は名前のごとく “公務” を行います。 係長ともなれば公務のベテランでしょう。
課長であれば判断が必要とされます。
 住民では分からない事
リニア中央新幹線社会環境アセスメント、この業務は公務として遂行されています。 公務であれば、係長が公務として取り扱う中で、岡庭一雄はどのような関与、どの程度の関与が有ったかハッキリと分かっているのではないでしょうか。
 何か一つでも疑問を持たなかったのでしょうか?
何か一つでも疑問を抱いたなら、その事を課長に報告はしなかったのでしょうか?  平成29年5月7日
  
   課長は何を管理していたか
『仕事のための仕事と生活のための仕事』 以前、このような文書を書いています。 民間で頑張っている人達には説明しなくとも分っていただけるものと思います。
 生活のための仕事で有ったにしても、そこには大いなる “責任感” が存在します。
 その責任感とはどういうものでしょうか!
何か失敗したら “責任を取る” ということなんでしょうか。 失敗をしたら「責任を取れ」とか「責任をとって云々」とのことは責任感とは違いますよね。
 責任感とは仕事に対して「間違いがなく、より良く、誰かのために」働くことを言うのでは有りませんか! そしてそこに成果を求めていないことです。
 責任感を全うするために努力する
誰よりも詳しいあなたは、間違いや、おかしい事に気づく事も有るでしょう。その時あなたはどうしようと、どうしたら良いかと考えるのでは有りませんか?
 責任感を持って仕事をすることを、あなた達公務員は求められているのです。   平成29年5月9日
  
   気づいたはずでは
 公務員でなくとも、「これはおかしい」とか「これはやってはいけない」、「これは犯罪ではないか」と気づいた時、少なくとも上司に相談するのではないでしょうか。
 岡庭一雄が日参し、「リニア社会環境アセスメントをやる、やれるようにしろ」こうやれ、こうしろ!と言ってきた時点で自己判断すべきでないか! と、言っているのです。
 その時の状況は課長が一番知っているはず
岡庭一雄は村長ではない、しかし、16年もの間村長を続けてきた人、その人から「こうしろ」「こうやれ」と言われた。
 岡庭一雄は議会を動かした。そして熊谷村長からも了解を得た。(強引だけど)
村長が決定した、議会も了承した。そして指示された。 そこのところは何も問題はない。
 そうでしょうか? 何も問題ないでしょうか?
私が言いたいのは、そこに至るまでのプロセスについてです。
 (この事はやるべき事なのか?)
一度でもその様に考えなければ成らない責任感が、公務員には有りますよ! と言いたいのです。
あなた達は公務員という “社会の平等性を担保する” 職業についている人達です。その道のプロです。
与えられた仕事を完璧にこなすからこそプロフェッショナルなのですよ。
 完ぺきとは、与えられた仕事を遂行するだけでなく、「本当に平等性が担保されるのか」と、公務の本質に忠実であったかを自らに問い、常に多角から考えて対処する義務を言うのではないでしょうか。          平成29年5月11日  
   
   考えれば分ること
 民間企業において、この様な不正と思われる事に関与してしまった、または知ってしまったらどうするのでしょうか?
 私は社会の形の中でこの事を書き出しています。
勇気を持って、正義感において内部告発を考えた場合でも、そこには多くの迷いが出る事でしょう。
そこの一番の問題は、世間が密告者として勇気を持つ人を見るからであります。
 何か間違っていますが、それが現実でしょうし、会社側はその者をその様な状況下とすることも事実です。
 職員で有れば住民はどう見るのでしょうか?
企業(会社)であれば捜査機関への告発となりますが、行政においての不正は直接捜査機関へとは考えないのではないでしょうか。なぜならば、行政には住民の直接選挙において信任されている行政の長が居るからであり、その行政を査問する議会があるからです。
 職員で有れば行政の長に告発
これは当然のことであり、行政業務の責務において不正と思われる事が有ったならば行政の長に告発すべきです。(刑事訴訟法では不正と思われる事は捜査機関に告発せよと義務付けられています)平成29年5月13日  
  
  
告発でなくとも
 私は岡庭一雄が進めているリニア社会環境アセスメントは “おかしい” と思いました。 共産党員でなければ、そのように考える方は多くいたのではありませんか?
 不自然なこと
それは “違和感” でありました。
リニア中央新幹線はJRが進める国策事業。いったん決まれば実施されていくことであります。 国民は県民レベルとなり、各々の考えの中でそのルート詮索に走りました。
ルートが確定されれば住民レベルとなって、地方の持つ問題点とより良い整合性を求め取り組んでいくものでありましょう。
 反対反対は共産党
国の事業、それも開発事業において共産党は一度でも同じ方向性を見せたことはあるでしょうか。
国のやることは何でも反対だ、一般ではそのようにしか感じません。
 リニアもまったく同じ姿勢
前向きな議論・討論がないことは、何の結果も生み出せません。 妥協せよ!と言うのでは有りません。
市町村が多々在れば、地区地区はそれ以上に種々の問題があることは当然のこと、確かに共産党が声をあげることは必要でしょうし、その声の中で気が付かないこともJRに届いたことでしょう。 平成29年5月15日  
  
   岡庭一雄は違う
 『岡庭共産党は正当な共産党ではない』 この様に明確に言っているのが誰有ろう共産党員なのです。 ウソではありませんよ、知り合いの共産党員に聞いてみてください。
 共産党は政治政党
党員とは共産党政党党員なのです。ですから党の方針に従い、「憲法九条改憲反対」と「リニア中央新幹線反対」を叫ぶのです。(それと消費税、安倍総理批判)
 日本では政党共産党を認めている
ひと昔、二世代前は明らかに違い、政党色もイデオロギィーも混在しておりましたので政党間においても全く合い入れない異質なものと成っていましたが、志位が局長と成ったころから政党としての色合いが確立されてきたのではないでしょうか。
 きれいごとの共産党は無くなった
昭和二世は我々の時代、昭和も40年以降に生まれた人たちは、きれいごとを言う共産党も、連合赤軍による思想の怖さも実感として知り得ていないでしょう。 現在、そういう人たちが行政にも社会においても中心となっています。その様な経験をしていない人達に、「共産党のあれこれ」を言ってはみてもいい負けしてしまうのではないでしょうか。
 時の流れとはそういうもの
固定観念のない人たちに分かってもらおうとするならば、純粋に表の話をし、そのより良い方向性をともに進めるべきでしょう。                             平成29年5月17日  
  
  
岡庭共産党は異質
 岡庭一雄は共産主義者であって共産党ではない。簡単に言いますと、共産党という政党に入っていないということになります。このように、共産党に入っていない共産主義者は多いでしょうが、かと言って、その者たちと岡庭一雄は同じ考えであるのか? と、みれば、それもまったくといって良いほど異質なものでありましょう。
 『自分のことしか考えていない共産主義者』 これが、岡庭一雄(熊谷時雄)の正体です。
色と欲・権力と名誉  この四つが彼等二人の信条ではないでしょうか。   
   
  「党に居ると身動きできない!」 これが村長選に打って出る直前の岡庭一雄の言葉です。 共産党会議の席でハッキリとこの様に述べて後にした。
 吉田博美をバックにして村長選に立候補した姿を見た飯田下伊那の共産党員は、「身動き取れないとしたことは、政党の枠を超えることが目的でなく、吉田博美の後ろ盾のためだったのか」と落胆の色は隠せなかった。そして、阿智村内の共産党は、岡庭共産党の始まりを実感したのであります。平成29年5月19日
  
   次は時雄の議長
 その日が来るのは見えていた。  熊谷時雄という男、社会に出ていない不良品
岡庭一雄が村長に成れば、熊谷時雄が議会に出ていくとの事は当たり前、その様に絵を描いていたのですから其れは目的でもありました。
叔父は時雄を議会に出すというよりは議長にしたいとの思いが強くありました。(この辺のところは岡庭・時雄・叔父の密室会議) 議長に成れば何でも思い通りとなるからであり、橋の架け替えは一部のこと、月川旅館の行く末も三人の考え通りに進めておりました。
 
 気に入らない水上宗光
確かに水上氏は党員です。党員ですが岡庭共産党には嫌気がさしていた。 月川の強引な要望付けに辟易していたと見るべきでしょうか。
叔父は、「払下げせよ!」「ここと此処を改善せよ、露天風呂は自力で造ったんだからそれくらいの事はやってくれ!」を何度も口にしていましたし、「いや、それは出来ません。月川だけを特別扱いする訳にはいかない」、「なに言っとるんだ、操のふれあい館は知らんうちに門前屋という飲食店に成っているじゃないか!あっちを村でやってやり、月川には何にもしてくれないじゃないか」
 水上氏を気に要らない理由はもう一つ
岡庭一雄村長に早くから見切りをつけてた理由の一つに、阿智川会長山口氏の存在が有りました。
山口氏は熊谷操寄り、(まあ、利用していただけですが)叔父が面白くない分けが有りません。   
   
   水上宗光氏の見解
 熊谷時雄は典型的なコウモリ男です。 社会経験のない男が世の中に出ていこうとすれば虚勢を張るしかありません。 場違いであっても、のこのこ出ていくのは虚勢の成せる技、そして本当は気が小さいのも事実です。 父親に怒られ過ぎて胃潰瘍になったくらいですからね
水上氏は時雄と付き合うほど、それを見抜いていたと思います。 しかし縁が切れない、ひるがみの森は時雄の親の遺産頼みで有ったからです。                     平成29年5月21日   
   
   水上氏は阿智村にニア社会環境アセスメントに同調しておりますか?    
   
   岡庭一雄の存在

   小さな村であっても、16年間地方公共団体の長をやっていたのですから、それはそれは凄いことであります。 警察は共産党として苦々しく思っていたことも事実ですが、なんと言っても村長ですからね。
 公民館長として活躍する場も確保されていましたから、後は過去の実績で、名前が売れているから “それべし” の状況はいくらでもつくっていけます。
 正当な共産党は横を向く
そんなことは何ら気にもならない、「お前たちに首長経験者は居るかい」と、顎をしゃくれば良いだけですし、岡庭共産党の強い絆(金)で配下はいっぱい居ましたからね。
 売名には事欠かない
「岡庭一雄は共産党ではない」などと、正規な共産党員がいくら声を出したとしても、世間は「岡庭は共産党だ」と、認識しているのでありますからどうしようもありません。
講演会に声を掛ける各種団体も、「岡庭一雄は共産党」と、暗黙の事実の中が有るからこそ、声を掛けているのです。                                平成29年5月23日   
   
   岡庭一雄の講演会

 岡庭一雄は不思議な男です。 彼にはイデオロギーが無い  分かりやすく言えば、政治的・社会的なイデオロギィーが無いのであります。
 過去を振り返れば
岡庭一雄の青年時代は、それこそ青年団活動が盛んでありました。 片田舎の若者たちが集まり地区の活動に加われば、半分以上出会いの場としての認識であったろうと思います。
 インテリジェンス
女の子にもてたいと思えば反骨的な話が受け入れやすく、聞きかじったような理想論を話すことが受けた時代でもあったのでしょう。
 赤い始まり
反骨を唱えれば、それはどうしても反社会的な発言が多くなります。 一般社会に出れば、「それは赤だ!」と敬遠され、赤だと烙印を押されれば、大きな会社であればなおの事就職は困難と成りました。
 好きなことを言える就職先
長男は役場に行く、農協に行く、次男から下は集団就職の時代、そんなこともあってかどうかは知らないが、岡庭一雄にとって役場は最高に居心地良かったのでしょう。         平成29年5月25日   
   
   最初は組合活動

 組合活動の中で盟和産業に反対ののろしを上げたと考えられるが、それほど強いものが真にあるわけでなく、自己主張するのにタイミングが重なっただけだと私は見ています。
 伍和の産業廃棄物終末処理
イデオロギィーが無い事は、伍和の産業廃棄物終末処理場設置に賛成の立場をとっていたのを見て確信したが、周りの共産党員はその時どう見ていたのでしょうか?!
 矛盾だらけの男が村長に成ったのをどう思っていたのか、いつか共産党員に聞いてみたいと考えている。
確かに若いころから村長を目指していたと聞いてはいるが(時雄君と全く同じ)共産党では不可能であることも当然認識していたから共産党と距離を置いていたのか?
産業廃棄物処理場に賛成したことも、村長への布石であったことは間違いない。   平成29年5月27日   
   
   産廃に賛成したハッキリとした理由
 それは当然のこと、「村長への布石」でありました。 何を隠そう、熊谷時雄もまったく同じスタンスでしたからね、時雄は共産党員である岡庭一雄を吉田博美に早い段階から紹介している。
 吉田博美も利用した
吉田博美という男、「島根だかどこだか分からぬ馬の骨」「雑種は強い、犬を見れば分かるだろ」など、この様な揶揄とも取れる発言は誰あろう吉村午良県知事が吉田博美の総決起大会での挨拶の言葉でありました。
一見、なんという事を言うのかびっくりしたが、“今になって思い起こせばなんとやら” で、言いえて妙であります。
 野心の塊
それくらいの人種でなければ、おもいは遂げられないのであろうか、それまで言われても “馬の顔に・・” なんとやらで、政治家を目指せば的を射ているのかでありましょう。
 金のなる木がそこにあれば、政治家として成りあがろうとする者は、一生懸命水をあげ続けます。
吉田博美はこともあろうに、共産党員を “囲い者” にしたのであります。      平成29年5月29日
(違うというのであれば私を訴えなければね、仮にも現職の、それも自民党の国会議員でありますよ)  
  
   どっちもどっち
 岡庭一雄を村長にしたのは吉田博美だ! なんてことは、阿智村中では周知の事実、「今更なんだ!」「何が目的だ!」といわれると思いますが、長野県内では誰も知らない、知らない振りしている自民党県連でありますから、あえて声を上げているのです。 ですから、目的はしっかりとありまして、その事にはすでに吉田博美本人が気づいていることでしょう。
 佐藤県議はなぜ自殺したのか?
痛い腹が探られるかもしれませんね、そして、吉田博美の後釜として熊谷時雄君に飼われていたのが佐藤県議だったとすれば、捜査機関も色めき立つでしょう。
 その時どうするか報道機関
報道機関といっても南信州ではありません、信濃毎日新聞と朝日新聞であります。特に信濃毎日新聞の飯田支社は、それら裏の出来事を全て知っていますからね。
 そういう私も全て知っているかもしれませんよ、裏も表もその裏も
熊谷時雄に一番近かったのが私ですからね。 吉田博美なら何でも出来るとして吉田本人と佐藤秘書をわざわざ正式に紹介までしてくれたんですから、そして建設部会に設計事務所部を設置したいとし、そこの中心になる様に言われたくらいですからね。
 もうひとつ
佐藤県議のお父さん、私の父と同級生で、下条村の教育長であった頃とてもかわいがって貰いました。
佐藤県議がなぜ自殺したのかを、本当の理由を一番知っているのは、「誰?」だと思いますか?平成29年5月31日  
  
   いざとなったら
 産廃に賛成した共産党員? なんて、後にも先にも岡庭一雄課長だけではないでしょうか。
なぜ賛成したのかって? それは第一に、産廃周辺の地主さんと深い関係が有ったに他ならないのでは?との話はほとんどの人が言っていましたね。(詳しい人はたくさんいます)
 もう一つの理由
それは、村長への布石しかありません。 吉田博美が必要なんですから、“たましい” なんて無い人なんですから、ひろみだって岡庭一雄を必要としたんですからね。 産廃をつくるのは県の姿勢、与党が姿勢を貫くのは当たり前でしょ。
 なぜ中止になったか分かりますか? 分かりますよね。
田中康夫が知事に成ったからです! 当てが外れたのは吉田博美だけで、岡庭一雄はその時すでに村長でしたから、共産党にも取り繕いだ言い訳で通用したし、村民にも体面が保たれましたからね。
 その時は悪運が強かったんでしょうが、これからいろいろな事が暴かれていきますので、運も尽きるのではありませんか!?                              平成29年6月2日 
  
   皆様誰かお忘れでは? 田中康夫は邪魔だった。
 田中靖男に共産党がくっついたのは、共産党側からのアプローチであって彼が左ということではない。
しかし、体制を変えようとするものは、得てしてそう取られてしまうものであることも事実である。
 警察も嫌い
田中康夫の改革は記者クラブの廃止からであったが、県内最高権力紙の信濃毎日新聞に火をつけたことはまがいも無い事実でありましょう。
田中知事のやる事成すこと、端からケチ記事を書き出しました。 産廃などは最高の素材、本来は否応なしに進められていく県の姿勢を批判するものであるはずが、一変して田中知事の対応の仕方を批判しだしました。
 揺るがない姿勢
小池百合子都知事も改革を全面に、そして都民ファーストとして姿勢を明確にしているが、田中康夫に足りなかったことがあるとすれば、小池百合子のような “したたかさ” ではなかろうか。
 無視を貫く
今回は私のサイトも質問状も、信濃毎日新聞のほうから無視されていますが、その時期田中知事は、まったくといって良いほど信毎は無視されていましたね。               平成29年6月4日  
  
   岡庭一雄が似非であるという証明
 岡庭一雄が共産党員であるということは今更ではないが、そのゆるぎない共産党員としたこともまた “似非” であった事に驚きませんか?
 党の方針は関係ない
産業廃棄物週末処理場設置を反対しない党員は阿智村に多かったことも事実ですが、岡庭一雄ほど明確に党の方針を無視する党員は他にいないのではないか?
 合併推奨
以前にこの事の経過と岡庭一雄村長の対応は書き出しているが、村長の立場を越えて合併推奨派であったのです。 「そんなことは無い」と仰れれる党員や取り巻きの連中はいるかもしれませんが、「たしかに目に余った」と、覚えておられる方は多いと思います。   
   
   作為を持って事に当たる
首長であればそれは政治と言われるかもしれませんが、法律に抵触する犯罪になる恐れがあることも事実であります。
産廃や合併で、共産党の方針とかけ離れた行動を行ってきた岡庭一雄が、どうしてリニアに関しては党の方針に足並みをそろえる様なことをしたのでしょうか?!             平成29年6月6日  
  
   それが岡庭一雄たる男
 田中康夫知事誕生で伍和の産廃は中止され、村長岡庭一雄は対面が保たれましたが、続いての合併反対の姿勢を貫く田中知事の行動に岡庭一雄はとても困り果てていました。
 知事訪問
田中康夫の姿勢は一貫していましたし、行動も激しく在りました。 藤村の在所が中津川市に組み込まれないよう奔走したのは余りにも有名でありました。
平谷村のお馬鹿な村長の飯田市合併の不合理を説き、その足で浪合村・清内路村と阿智村の合併には矛盾があると突きつけておりました。
 平谷村は自滅
お見合い話の一つも無く何で嫁入りできるのか?
平谷村の当事の村長は笑いもので片が付きましたが、阿智村はそんな訳には行きません。なぜかと申しますと、岡庭一雄の共産党支配は始まったばかしであったからであります。    平成29年6月8日   
  
   たくらみ
 国が合併推奨ならば自民党は当然その様に成っていることであり、地元の都合においても “顔には出さず胸の内” でありました。
 参議院議員の特色か
吉田ひろみなんて気楽なもの、まあ自民党員として方針に沿っているのですから当たり前のことですが、しかし、吉田ひろみにとってこの大きな方針は実は、 “願ったり” のことで有ったと思うのは、下種の勘ぐり すぎかな
 手を切る
熊谷時雄が支援者で、共産党の岡庭一雄を村長にしたのですから、それと、県会議員も二期三期と成れば力も金も安定して、何も危険な男を支援者にしておく必要もないですからね、「合併推奨」と手を振っていれば、自然と二人が騒ぎたて、二人からの “三行半” を待っていれば良い事であったのではないでしょうか。(勘ぐりとも思えないでしょ)                     平成29年6月10日   
   
   二人にも好都合
 この時の議員たちも異常でありました。何が異常かというと、町村の将来より自分たちの立場を中心として合併を取り扱ったからであります。
 どこの議員もそうであった
10年以内にとは、なぜ国はこの様な期限を設けてのでしょうか? 10年先まで考えれないような首長や議員どもであったにしても、期限を設ければ誰でも計算してしまう。 ここさえ乗り切ればと思う不埒なやつは当然居るのでありますから、首長が「合併拒否」を唱えれば従ってしまうのは目に見えていた。
 阿智村がよい例
岡庭たちの魂胆は分かっていても、それに気づかないふりをして合併反対に同調したのは見え見えでありました。
岡庭たちが恐れたのは「飯田市との合併」でありました。
合併とは市になる事であり、最低でも全国の町村は限りなく無くすことが目的なのです。 
岡庭たちは「阿智村を残そう」と感情路線を全面に打ち出し、それが達成されるや否、「浪合から阿智村になることを望まれている」、「清内路は財政破綻を押し付けられる」と、それこそ身勝手な言い分を通しつつありました。(浪合は違う理由が隠されていました)
 田中知事への対応
岡庭一雄と熊谷時雄は、田中康夫の対立候補池田氏を推しており、阿智村の選挙運動もかなり行っています。ですから田中知事には明らかに嫌悪を抱いており、産廃の中止にも苦虫顔であった事は村民の知る所であったかと。
 飯田市への合併では田中康夫を利用して、浪合との合併には批判を繰り返す。
この様な男であったから、共産党でも「岡庭一雄は党員でない」とするしかなかったのであります。                    平成29年6月12日  
  
   党に戻る
 岡庭共産党として、16年間好き放題に村政を行ってきている。
湯ったりーな昼神を始め、中学校の全面改築、統合保育園の建設など、数多くの箱ものをつくり、多額のお金を費やしてきている。
 金を動かせば人も動き、景気が良くなるものであるが、まさかとは思うが、一部の村民、それも岡庭や時雄と考えが同じ取り巻きにそのお金の一部が回っていたとしたら大変な事でありましょう。
 証拠隠滅
時効などというものは刑法があってこそのもであり、行政の数字合わせには何ら関係がない事であります。
もしかしたら、岡庭共産党が一番恐れていることは、“ここかも” しれません。  平成29年6月14日   
   
   議会など在って異なもの
 岡庭に刃向かえば、議会が表に出てきて攻撃する!? 何とも考えられない世界でありました。
10年前の裁判は阿智村の誰から見ても「章設計の暴走」に見えたことであり、園原資料館の設計が出来なかったので訴えられたんだと、岡庭一雄の言い分を信じていた事でしょう。
(この事、牧野市長も同じような言い方をしています。「飯田荘の設計が出来なかったから批判している」と)
 10年前の裁判の真相
章設計がなぜ訴えたのかは、実は、その時の議員は皆さん知っていたのです。 知っていたのに何もしなかったのは、何も出来ないお粗末な議員ばかしであったからですが、判決後であってもその真実が語られなかったのは、「岡庭一雄が怖かった」からであります。
 社会党議長の情けなさ
国民の皆さん、一番必要がない政党は? と問えば、社民党と答えるのではないですか。または、「社民党?社会党?そんな政党は有ったの?」とも言われるでしょう。
 必要がないから消えたのです
市議会では市民パワーと名乗っているようでありますが、県会ではどうなんでしょう? 自らが消してしまった政党ですから、周りがとやかく言う事は有りませんが、10年前は社会党として選挙は打たなかったが社会党として活躍していました。
 活躍の程度
岡庭一雄共産党村長にビビッてしまうんですから、当に消えていたのかもしれません。 また、官製談合と指摘しても「我々では荷が重い」として正副議長が横を向いてしまうのですから、どうしようもなかったかもしれません。 不正に立ち向かうべき政党が行政側で不正を働き、議会側も不正に立ち向かう第二の政党が隠してしまうのですから、活躍の場はきっと他にあったのでしょう。    平成29年6月16日   
   
   その結果が職員の死
 岡庭共産党は、それはそれは凄い権力で有ったかと思います。
職員は岡庭口を気にし、共産党員職員でなければ蚊帳の外なんですから、やって良い事悪い事なんて考えてる暇もなかったでしょう。
 やれ! は指示なのか?
共産党でも品が良ければまだしも、弁が立つと言ってもまやかしなんですから心を打たない。
うなずく者は党員ばかし、村政懇談会をすれば目配せで片付けており、懇談も何も無い「こうしたから・・この様に決めました・・こう決まっています・・」 ただの報告が懇談会と云う。
 議長が言いなり
社会党の議長が共産党の村長に気を使い、「どうしたら良いでしょうか?」とは驚きました。
何もかも筒抜けどころか、告げ口でありました。  
   
   飯田下伊那で多くの方が不審を持っている三人の職員の死
熊谷哲の死は事故でした。だが、一晩放っておいたのが直接的な死の原因と云う事は誰でも分っていることだ。しかし、それを何も問題としない、議会でも追及しないのである。
家族が要求しても、警察はそこのところを(管理責任)取り上げていない。     平成29年6月18日  
   
   井原君の死 
   彼のことは何も知らない。遠戚であったことは知っていました。
彼がどのように亡くなったのかは聞きましたが、なぜその様になったかの話は知る由もありませんでした。 新盆見舞いに行く頃には、あれこれといろいろな話が出始めており、それを詳しく教えてくれたのが熊谷義文議員(当事職員)でありました。
 弔事を読んでその事に触れた
その事とは? それは、亡くなった状態ではなく、その様になった状況の話でありました。
 党員で無い職員は守らない
そういうことです。 井原君は担当職員として岡庭村長の指示を受けて業務に励んでいたという。
しかし、思うように進まなく、その遅延を議長が責めたという。
 フラストレーション
議会(議長?)で取り上げられることは少なくとも課長が答弁するであろうが、どうも岡庭村長が「担当者のせいだ!」を口にしたらしい。 フラストレーションが溜まっていたのは岡庭一雄村長であったようだ。
 ストレス
詳しい事までは私が書くべきでない。しかし、心因性ショックではないかとの噂は当初からささやかれていました。
そこ事を詳しく話してくれました。「村長の失敗を井原君のせいにし、それを議長が責めた。馬鹿な話だ。なんで議長が平職員を責めるんだ。それで彼は寝不足が続き、当時12時過ぎに帰ったらしい。朝、家族が・・・」                                平成29年6月20日 
  
   同期の職員
 義文君としては井原君の状況が分かっていたからこそ、悔しかったんだと思います。
「弔辞でもその事にふれた」と言っていましたが、私は義文君のように悔しい思いをした者が、他にも多く居たんじゃないのかな? その人達はどのように受け止めたのか? が気になりました。
 怖くて言えない
職員が首長を批判することはタブーなのでしょうか?
この時、多くの職員が首長や議会に「真相の究明」を求めることは出来なかったのでしょうか?
悔しい思いをした職員に勇気がなかったのでしょうか。
 私が思うのに、哲の死についても同じような事がその裏に在ると思います。それは、岡庭村政の欠陥ではないでしょうか。
 人を守る事が自分を守る
危機管理とはこういう事が起きない、起こさないためのものではないでしょうか。 事が起きてから何を言っても言い訳ですし、取り返す事はできません。
 如何にデタラメな男なのか
10年前の質問状も裁判も、言い訳と意趣返しの連続であったことが、この二つの事件からも汲み取る事ができるのではないでしょうか。
 岡庭一雄という男は、何事においても自分のことが中心で、その様に成らない事や意に沿わない者に対しては何があっても見向きもしない。
この様な考えはまったく熊谷時雄とあい通じる所でありましょう。        平成29年6月22日  
  
   もう一人の職員の死
 岡庭一雄に何を言ってみても今更でしょうが、彼等には「相手の身になって・・」が無いのでしょうし、何をやっても誰からも文句一つ出ないように「してきております」ので向かう所敵無しの心境であったのでしょう。
 彼等の裏付け
不条理や不正に立ち向かうべき共産党が岡庭一雄のバックに居て、「その通り!」と、赤い旗すら揚げなく、熊谷時雄議長や佐々木幸仁副村長が思い通りに成らないとみれば、職員までも白旗を上げるまで追い込むのですから、それは大変な状態であったのではないでしょうか。
 西部衛生の職員
名前は書かなくとも分かると思います。 その人も亡くなっています。 病気でと聞こえてきていましたが、「佐々木副村長にいじめられ神経を病んでいた」と言っている人が多く居る事も事実です。
 この辺までの話はうわさの範囲にとどまるべき事ですが、今も尚取り沙汰されているのは、やはりそこに何かの無理が有ったのではないか?と考えてしまいます。           平静29年6月24日  
  
   公開質問状に答えない議員
 幾つかの質問を阿智村議会議員に提出しましたが、半年以上誰も何も答えていただけませんでした。
その挙句、「議会では扱わない」旨が議員便りに掲載されました。
 何かおかしくないか?
住民から出された公開質問状であります。それも議会議員全員に提出しています。
議会たよりに「議会では扱わない」でも宜しいかとは思いますが、なぜどの議員も答えていただけないのでしょうか? 全員の議員ですよ! 変だと思いませんか?
 答える義務はない
私がこの様な手段で公開を始めましたから答える義務はないとしているのでしょうか。
そうは思いません。「答えられない議員ばかし」の議会であったからだと私は考えています。
 それぞれの事情
公開を始めて今日までで一年が経過しました。 その間、前議会議員の皆様はそれぞれな思いであったことでしょう。
 辞めた議員
「再選をしない」、「続投宣言」、それぞれな議員はそれぞれな理由により決断したのでしょうか?
私には、「それぞれな議員は それなり の決断をした」とみています。
 その辺の裏事情をこれから全員書き出していきますよ。            平成29年6月26日  
  
   裏事情と本音
 公開質問状では幾つかの不正と犯罪を指摘して質問していますが、そのどれにも岡庭一雄前村長が深く関与しています。
 地方公共団体の不正と犯罪
地方公共団体は地方自治法に基づき行政を行う公共団体である。 書き出せば簡単であるが、この事を理解して職務に励んでいる公務員は如何ほど居るのであろうか? 自治法自体を読み取らない公務員は山ほど居るのに違いないと、私は思っています。
 阿智村に存在しない民主主義
岡庭一雄は先だっての議員説明会においての村民の発言を受け、「これが民主主義な」と論したという。
世間ではこのことが話題となり、「共産党の岡庭が民主主義?ふざけたことを言うな!」から、「共産党員の岡庭が共産党員の住民に向かって民主主義を説くとは笑い話ではないか」と、まあ、この様な話で盛り上がったと聞いた。
 岡庭一雄の立場になって言わせてもらうなら
「俺が16年間も積み上げてきた阿智村行政は、村民誰もが平等であり、主義主張を止めてどんなことも話し合える社会を目指してきた。それが私の言う所の民主主義である」 こんな感じかな   平成29年6月28日  
  
   意見を言った住民の立場
 「議会は最高議決機関ではないか、その議会が一旦決めたこと、それを言い合って何になるのか」
この様な発言であったと聞いた。 それに多くの村民が拍手をしたと。
 その通りであり、その通りでないこと
特にその場にいた住民は、その通りとして拍手が出たのであろうが、それは互いの閉塞感からなる状況で有ったからにほかならない。
 不毛のやり取り
正常な二人の議員以外はもともと血迷っており、行政と議会で成る村という社会構成からかけ離れたところでやり合っておりました。
 時雄と叔父が、月川旅館の経営を解除されたことに対してやり場のない自己弁解を行っていると分かっている村民は見向きもしなかった事でも分かると思うが、村長は個人の考えでなく、法律に触れているとして解除したものである。
 当の本人である時雄と高坂議長は病気を口実に欠席しているが、少なくともこの議員説明会を開催した責任者は高坂議長である。その責任者が都合よく病気になったとして村民は見抜いてしまった。
そうなれば、たとえ共産党員であってもそこに弁解の余地はなく、また、感情論に終始するばかしの議員ではもはや限界と見て、“助け舟” をだしたのが本音ではないのか。      平成29年6月30日   
  
   そんな事は頭の良い岡庭一雄は分かっていた
 岡庭一雄の登場は時雄君側の要請に応えるものであったろうが、叔父が西地区の取り巻きをかき集めて乗り込む以上不可欠なものであったろうと思います。
叔父や時雄君がどんなにかき集めようとしても、西地区の殆んどの人は見向きもしていません。
これは、由に付けても西地区世間というものであり、例え正しいことで有ったにしても同じ対応でしょう。
 結果的に、叔父たちは焦燥感でいっぱいであったろうが、義理で来た人や、時雄君が自治会会計の立場で要請?(半分以上は自主的だが)した自治会役員等は恥ずかしい方が先で有ったと思います。
 岡庭一雄はきたない男
岡庭一雄が何も言えない事は時雄君が一番わかっていることであり、単に士気を上げる事が目的かと言えばそうでもない。
月川旅館が叔父や時雄が経営出来なくなったとしても岡庭一雄には痛くもない事、それが時雄君は分りすぎるくらい分っているから「お前がその気なら・・」として引っ張り出したのが本当のことです。
悪い奴等の考えなんてそんなもの、時雄と岡庭の関係はその程度であるからして、その様な末路と成って行くのでありましょう。                            平成29年7月2日   
   
   恥ずかしさだけが倍増した
 その様な岡庭一雄が出席したとしても何も言う気もないし、言えることもない。
結果的に議会議員の見っとも無さだけが露呈しただけであるが、惨めであったのは時雄や叔父に引っ張り出された西地区の人だったと聞きました。
叔父に引っ張りだされた人は訳も分かるぬ事でありましたが、時雄君に同調した自治会役員はうかつな行動であったと思います。
 自治会の役員は個人ではない
こんなことも分からないのでありますから西地区のお粗末さが知れてしまいますが、この様な考えの人達はまた、「言い訳」だけを言い、何一つ改革しようともしないのであります。
   
   
   岡庭共産党の危機感
 「時雄と岡庭がまた接近しだしたぞ」 この様な話が聞こえてきました。それは熊谷村長となっての二年目でありました。
あわせて語られたのが、「熊谷村長なんてまるで坊やだ、何にも出来ないそうじゃないか」「岡庭の権力の方が強くて職員なんか岡庭のほうしか見ていないようだぞ」「岡庭は辞めたって毎日役場へ行っているようじゃないか」「熊谷村長なんて岡庭に頭が上がらないぞ、どっちが村長か分からんみたいだぞ」
 信じれる村長
まだありましたね。「岡庭塾の塾生だった」「岡庭が後継に選んだが能力がない」「職員に馬鹿にされている」
 まあつづらつづらとよく出たものでありますが、私にとってはまったく逆でありました。
この様な批判はみな岡庭一雄側から出ていることでありまして、これであれば熊谷秀樹さんはまったく岡庭たちとは真逆の人間であるということになります。
岡庭たちが批判するという事は、岡庭たちの言うことを聞かないということであり、それであれば阿智村の民主主義は取り戻せるかもしれない。
そう思いついたとき、私は信じられる村長と感じました。             平成29年7月4日  
  
   機は熟す
 そんなに大げさと考えていたわけでもありませんが、何か遠くにぼやけていたものが、だんだんとハッキリ見え出してくる気配は感じておりました。
 今まで滞っていたもの、何がなんなんだ!と言えることでもないが、今しかこれに立ち向えないのではないかと考えるようになって来ました。  
  
   辞めた岡庭がなぜ動く
 取り巻きが離れていったのがくやしいのか、居座った権力の座が恋しいのか、聞こえてくる話しは “見っとも無さ” でありました。
 極めつけは阿智村リニア社会環境アセスメント
熊谷時雄と岡庭一雄、どちらも一般社会を知らない人です。 しかし、岡庭一雄は行政を知り尽くしているところが熊谷時雄と大きく違うでありましょう。
行政を知っているからこその考え方が、このアセスメントではないでしょうか。
 村の金でやれる!
まず最初に思いついたのがこれです。 企画の立ち上げから予算の組み方、どうすればよいかは最も得意とするところです。
職員はアゴで使えるし、何より議会はまだ手中にあります。           平成29年7月6日   
   
   まだ死んではいない
 会社勤めで定年となれば、否応なしに第二の人生を模索することになります。 それがどうでしょう、70を超えるまでの16年間、高額な報酬で、すき放題の権力で、何もかも思う通りにやってきた。退職金も延べ1億円以上でしょう。
 これ以上何を望むのか
この人には “勇退” という名を残す人の花道は無く、渡らなければならない橋も無かったみたいです。
「まだやりたい・もっとやりたい・辞めたくない」 おかあさ~ん!と、ゲームに夢中な子供より、叱り付ける親がいない分始末が悪い。
 誰もが横を向いた
時雄君ですら見向きもしなかったのですから、その姿は惨め以外なかったでしょうが、普通の人ならそこで気づくでしょう。いや、そのもっと前に気づきますよね。
 スケベ心が強すぎる
後身に道を譲ることが老兵の最後の成すことで、動くのであれば若い人達のこれからを考えて身を投じるべきでしょう。 それが、いつまでも何もかも自分のことばかし考えて行動しているからこそ誰も近寄らなくなるのです。                               平成29年7月8日   
  
   やり過ぎた
 講演の話は主に共産党員の手づるからでありましょう。講演会の主宰をみればどなたも気づくのではありませんか。
 世の中が相手をしない
岡庭氏が講演しようがしまいが、世間では何も関心もなくどうでもよい事であります。
しかし、岡庭氏にとってはそうではなかったのでしょう。後にも先にも、共産党員が地方自治体の長となったことはありませんからね。(全国では小さな村で一度あります)
 熊谷村長はなぜ認めたのか
『阿智村独自のリニア社会環境アセスメントが必要』なんて、いったい誰が言い出したのでしょうね。
 何も知らない村民は何も知らないかもしれないが、「熊谷村長がその存在を示すために発案したんだ」という聞こえてきた話を実しやかに受け止めていました。
 信濃毎日や朝日新聞が賛同
南信州で取り上げている頃はそうでもなかったが、信毎や朝日新聞の記事が出始めると、「俺が始めたんだ!」と言う高らかな声が聞こえてきました。
 してやったり
新聞で書き始めれば、それも「さすがは・・」などと話が広がれば、岡庭一雄は自分がやったんだ!今自分が企画しているんだ!を、焦るがごとく吹聴し始めました。
 この時、この社会環境アセスメントが仕組まれているプログラムではないか?と疑問を持った人は私だけではなかったと思います。                         平成29年7月10日  
  
   賛成する議員たち
 共産党の岡庭氏が、共産党が反対しているリニア中央新幹線に同調しない分けがなく、「阿智村独自の社会環境アセスメントが必要だ!」と声を上げれば、常識ある村民は「共産党が騒いでいる」としか受け止めていない。
 飯田市民は知らないかも知れないが、岡庭一雄が共産党などという事は確認するまでもないことであり、阿智村の議員のほとんどが実は共産党員でありました。
 党員でない議員も二種類
名乗っても名乗らなくても共産党員の議員は知る人には分かっておりましたが、雑種犬がごとくまとわりつく岡庭与党議員も多くいたことが、独裁行政を増長させていました。
その雑種議員は当然のごとく力のある方に付き、後援してくれた村民は置いてけぼり、岡庭氏が共産党であろうがなかろうが、信念の無い雑種議員にはどうでも良いことでありました。
 反岡庭派の議員も一人か二人居たかと思うが、やはり自分の立場を優先してしまい、「阿智村独自の・・・」の独自に踊らされてしまい、「阿智村も村としてJRに意見を言うべきだ!」などと、通り一遍な表向きに終始してしまいました。                      平成29年7月12日  
  
   就任二年目の村長に何が出来るのか
 岡庭一雄氏がリニア社会環境アセスメントを作ろうとした本当の理由は、「もう一度表舞台に」でありました。 その様な誰でも気づくことが取り沙汰されずに決まっていく様は、いかにせん一般住民には理解が出来なかったと思います。
 岡庭のもう一つの目論見
言わずもがな、「熊谷村長の評判を落す」でありましたから、十分議会への根回しが出来ていたと思います。
岡庭氏が退陣しても、新しい村長が同じような考えで推し進めるだろうと考えていた取り巻き議員は当てが外れ、岡庭氏の行動がより一層勢いを増していくのですが、ここで「待った!」を掛ける人物が、議会にも職員にも、そして身近にも居なかったのが熊谷村長の辛いところではなかったかと思います。   
   
   阿智村の住民はなぜ何も言わないのか
たとえ共産党の村長が誕生したとしても、阿智村内の共産党員はそう多くは居ません。(他と比べると多いです)なのに、議会が皆、「左向け左!」に成ってしまった。          平成29年7月14日   
   
   着々と進む岡庭共産党与党つくり
岡庭一雄氏が村長となって二年後、熊谷時雄氏が議員と成った。そこには攻撃的な党員が着いていた。
 作戦
熊谷時雄を議員とする事は、叔父や岡庭一雄村長の計画のうちに在ったという事は以前に書き出していますが、岡庭一雄村長の本来の目的は議会体制作りで有りました。
 我慢した一期目から色を出し出した二期目
「言う事に付いていけない」「職員が大変だ」から始まった二期目は、次々と打ち出す箱物施策と、言ったことが実行できていない “いい加減さ” が目立ち始めました。
「議会を恫喝する!」「議会は何も言えなくなった」「時雄が中心になり操・上原・原となりゃあ議長なんて何も言えない」 二期目の終わりはもうこの様な状態に成って行き、議会は岡庭村長の言いなりと成って行くのでありました。
 この頃、職員の不慮の死が起きた
危機管理が出来なくなっていたのは何も岡庭の能力の欠如だけでなく、機能しない議会にも大いなる責任があったのでありました。                           平成29年7月16日  
   
   何も言えない村民
 たしかに岡庭共産党の力は強いものでありました。 不都合が起きれば何もかも職員のせいにしてしまい、それを当たり前のように認めていく議会。
これでは職員は堪ったものではありません。哲のような優秀な職員はけん制され、すべてにイエスマンを周りにおくものですから、それはたしかにどこかの国の権力者とまったく同じでありました。
 新聞社が気を使う?
信濃毎日新聞のように最初から組みするところは当たり前のように岡庭村長を前面に押し出して、南信州や信州日報などは “おっかなくて” やたらなことは書けなくありました。
 この様な状況が10年も続けば、村民はすでにあきらめの中で “何も言わなく” なっており、異常な状況に気づく村民も射なかったのではないかと思います。
 無口になる村民
私が思うのに、村民が何も言わなくなったのは何も言えなくなったのであり、それほど岡庭村政が浸透していったからだと思います。                          平成29年7月18日  
  
 お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ  
  
   このサイトは現在12のコーナーで構成しております。
・飯田市 きづかない疑問と隠された疑惑  ・社会の形 ルールと法律の違い(飯田市の犯罪)
・阿智村 岡庭一雄前村長の不正  ・リニア中央新幹線 阿智村環境アセスメント(阿智村の犯罪)
 この四つのコーナーと次の四つのコーナーを交互に毎日更新しております。
・花桃街道整備事業 阿智村村政幾多の疑惑  ・きづかない疑問と隠された疑惑 阿智村編
・タイムリー  ・みちくさ
 飯田市も阿智村もいよいよ核心を書き出していますので、ぜひご覧頂き不正を無すためにお力をいただけるよう切にお願いいたします。

 長野県 きづかない疑問と隠された疑惑のコーナーは月に二回程度の更新です。他、空模様以下3のコーナーはしばらくお休みをいただいております。
 スマートフォンの方にお願いします。
a-kumagai-6.jp  で検索していただきますとホームページが立ち上がります。その画面をホーム画面にショートカットしていただくと見やすいかと思います。
コーナー画面の早送りはピンチイン(二本の指で縮小する)ですと簡単です。  
  
  
お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ・おしらせ・オシラセ・お知らせ  
   
   その理由の一つ
 権力を集中させる手段の一つに共産党ならではの施策 “洗脳” がありました。
村長であっても村民一人ひとりに自分の考えを理解させることは出来ませんが、反体制的(岡庭村政に対して)な考えをする村民は排除していかなければなりません。
智里西地区に関しては、熊谷時雄、叔父や熊谷操議員を取り巻きとして掌握していましたから、三人が自分の考えを村長の口として話しておりました。
 口を閉ざす年配者
西地区はこの三人によって牛耳られる事になりましたが、まだ最初のうちは叔父と操氏のけん制もあって独断は出来辛くありました。
操氏も議長を降りたころから力が弱くなったようで、また、世代交代が進む中で話しが出来る年配者が居なくなったこともそれを増長させたと思います。
時雄君が議長となったことで “様” により一層拍車がかかり、西地区は完全に時雄君の一人天下となっていくのでありました。                            平成29年7月20日   
   
   岡庭一雄の自治協議会
 だいたいにして、岡庭一雄の唱える自治協議会は共産党の考える協働であって、共同や協同の一般的な自治会をつくろうとはしていないのであります。
 だいたいにして、協働などという “造語” でもって指針を示すなんて地方公共団体ではあり得ない事ではないでしょうか。
 岡庭の手法
西の三悪人のように、村の金を自由に扱える者にとってはその様な事には無頓着で「岡庭村長が一番」としていけばよい事で、自治協議会制度を発するといえば、「自分たちの活動の場、地区民を掌握できる組織」として、それこそ「待っていました!」であったと思いますよ。
 なぜ気づかないのか
阿智村の共産党で無い村民は、なぜその事に気づかないのか? それが一番の気がかりでありました。
気づいていた人が居ても言えなかったかも、どうしたら良いかも分からなかったかもしれませんが、協働という言葉が “嫌な響き” に聞こえたのは事実ではないでしょうか。        平成29年7月22日  
  
   独裁政治
 平成14年の地方自治法改正は、岡庭一雄にとって良い方向に取り扱いが出来るものになりました。
ご存知の通り法律は、どの法律であっても最低限の事しか示されておらず、自治法であれば議会対策さえ行えれば “ざる法” と言っても良いくらいの対応でありましょう。
人それぞれの解釈はあっても、自治法そのものは行政と議会の中で取り扱いが “協議” される程度のものであり、住民は議会で承認されていると考えているのが一般でありますから、その中身の解釈をする事はありません。
 目の付け所
岡庭一雄のように狡い人間であれば、自治協議会制度を自分の考え方で執行しようと考えるのは至極当然のこと、始末が悪いのは、「党員と頭の悪い議員」ばかしが阿智村議会に居たことにあります。
 後悔先に立たず
多くの職員に共産党員が居りました。
阿智村の特色でしょうが、共産党員が村長になれば、職員採用もその筋の人が口利きを行いそういう職員も増えたのではないでしょうか?
たとえ党員でなくとも「世話になったのだから」としてそういう考えになびいてしまいますし、そうでなければ職員組合が共産党系にはならないでしょうね。              平成29年7月24日   
   
   阿智村自治協議会の問題点
 飯田市と対比して分かりめてお付きやすく書きます。
章設計は飯田市白山町に在ります。 白山町の自治協議会に入っております。
もとは白山町常会でありまして、年会費を納合いさせていただいております。
飯田市に自治協議会制度が設けられたのち、それは白山町自治会となりましたが、年会費は変わりなく名称が変わっただけとして捉えております。
飯田市も南信濃まで含まれましたから、それは各自治協議会によって多少は違うとは思います。
 阿智村はどうでしょう
園原は園原部落(常会や区会と同じ)として年会費を納めており、他の部落でも同じように今でも続いている事と思います。
 智里西地区にはその様な部落会が五箇所ありまして、その五部落を一つとして智里西自治協議会が設置されているわけであります。
 大きく違う所
智里西自治会は年6,000円の自治会費を納め、かつ、全員が自治協議会に入るとされている所であります。 全戸でなく全員であります。しかし、年会費は各戸での収めであります。
 部落会は同じように続いており、阿智村は “部落長会議” などというものを毎年開催し、村からの配布物、連絡事項、講習会などの通達を行っています。                   平成29年7月26日   
  
   ? なところ
 嘱託委員、委嘱委員、交通安全委員なども部落ごとでありますから、早く言えば、行政側との連絡組織が二つ在ると言うことです。
小さな村が合併をし、長い時を刻みながら形付けられてきた部落会にはそれぞれな形態であり、それを一元化出来る事ではありません。かと言って、小さな部落ごとに同じ扱いをしていこうとすれば行政は困難を強いられます。
 自治法の改正はその様な社会情勢から成るものと、現実的な “出ていく金” を抑える手段でありますが、施行と詳細枠組みは各自治体の自主性に任せるとしてあります。
今現在、県内市町村の殆んどで自治協議会は付設されておりますが、一部では『自治協議会は不要』として脱会している地域も多く出てきているのも事実であります。
 なぜ脱会するのか?
脱会している地域の特徴を見ると、その地域に共通しているのは『過疎地域』『限界地域』であります。
 人口が少ないところに自治協議会制度は通用しないのであります。
昔ながらの部落会や常会においても、「思うような運営が出来ない」「会を開いたら役員だけだ」「地域管理の手間が無い」 その様なことが現実ではないでしょうか。           平成29年7月28日   
   
   阿智村自治協議会はもっと悪い
 岡庭村長の個人的な考え方がよく表れている自治会で有ります。特に、自治会参加は自主的でなく全員参加とするところが共産党的でとっても良いのではないでしょうか。
 飯田市辺りでよく聞こえてきた声
「共産党の奴らは勝手すぎる。常会において文句は言うが、話し合いをしようとしない」 否定するだけなら誰でも言えるが、まとめることが出来なくて何が伝わるのか。
 もっともな声で有ると誰もが思いますね。
話し合いをしない自治協議会をつくるのが目的なんですから “何をか言わんや” であります。
 常套手段
攻撃方の党員が首長に成れば、何でも思い通りに動かせる組織や団体をつくろうとします。
この様な自治法改正は岡庭村長にとって待っていましたの施行でありました。
指定管理者制度も岡庭一雄の考えだけで進めたからこの様な状況に成ったのでは有りませんか?
 犯罪は摘発される
月川旅館のことなんて不正どころか犯罪ですよ。 脱税は国を騙す事、この犯罪に目をつぶるどころか加担して隠してしまったのが月川旅館の一件で有ります。
隠した上に逃げ道を教え(別会社にする)、その上脱税を続けてきたんですから国もなめられたものでありましょう。                                 平成29年7月30日  
   
   あなたの自治協議会は民主主義で進められているでしょうか?
素朴な疑問であります。少なからず、自治協議会ってなんなんだ?と、考えた事がある方ならばそれは自然に受け入れられている事でしょうが、自治協議会って必要な組織なのか? と疑問を持たれた方であれば、その進め方が気になると思います。
 一般人と共産主義者では受け止め方がまったく違うと言ってよいでしょう。
民主主義者はあえてそれを言い出しはしません。それは民主主義とは日本国において当たり前のように受け止められているからであります。
 当たり前は普通のこと
阿智村の自治協議会、それも智里西自治協議会だけを例にとって話します。
岡庭一雄が考えた自治協議会と言うものは、「みんなが集まって、みんなで地区のことを考えましょう」
協働というスローガンを打ち立て、「自分たちの地区は自分たちの取り組みでやってください」「村はそんな協働精神をもって活動していく地区を応援します」と始めたのでありました。 平成29年8月1日   
   
   飯田市にも言えること
自治協議会ってなんなんだ? 
自治法改正趣旨が何も表に出てこなく、ただ単に自治で活動する組織のあり方から進められた。
 自治法を紐解けば、自治協議会などと明確化されているものではなく、単に地域協議会(合併施策の一つ)で事務の分散化が目的とされているような感じを受ける。
そうすると、阿智村の自治協議会は待ったく別の組織ではないか。
 岡庭一雄の狙い
組織と言うより団体である。この団体をつくろうとした事を探るより、自治協議会の位置づけから考えてみよう。
 自治法解釈
地域協議会の設置から成るまちづくり実行組織に助成する(終了)とあり、自治協議会とは異質のように感じる。と、なると、自治協議会と自治法で言う地域協議会とは違うと言う事になる。
 自治協議会ってなんだろう?
私の受け止め方が間違っているのか、自治協議会や自治協議会制度なるものは見えていない。          平成29年8月3日  
  
   自治会は自治協議会ではない
 これ、知っていました? 自治会と阿智村で進められてきた自治協議会とは全く別の団体なのですよ?
 自治協議会なるものはこれもまた造語
地域協議会は確かに自治法改正の元進められてきた団体構成名であります。
そしてまた、自治会成るものは自治会、町内会なる昔から続いてきた結い団体である。
 自治法を解釈すればそのようにしか捉えることが出来ない。
岡庭一雄はやはり自分の考えで骨格を決めたようである。それを受け継ぎ自分の立場を作り上げてきたのが他ならぬ羽場睦美氏だが、この二人が今更ながらそれを認めることは無いだろうし、何より村民には現状の自治協議会が浸透しすぎている。
 時雄君はもっと酷い
自治協議会が施行された直後、岡庭村長と熊谷時雄議員がもめた事が有りました。  平成29年8月5日
  
   呉越同舟
 どちらに転んでも大差が無い   二者択一とは、すでに決まっているということであります。
何か事を決めるとき、「どちらか選びなさい!」とすれば、それはすごく簡単な事であります。
民衆を動かすには選択技を与えればよい事だ 言いえて妙であります。  
  
   自治協議会
地域協議会であっても自治会であっても、耳慣れない言葉は得てして疑うことなく受け入れてしまいます。 何がそうさせるのだ?!はどうでも良いが、行政が言い出せば従ってしまうのは民衆心理でありましょう。
「俺は反対だ!」なんて言おうものなら、四方から睨み目が刺されるでしょうしね。
通常であれば、ここで言い出すのが共産党であるのではないでしょうか。それが何も言い出さないのは、いかに阿智村は『共産党の共産党による共産党のための行政」であるかの証明ではないでしょうか。   
   
   自治法 自治会改正
 自治会・町内会等を地縁団体と称し、従来法人登記できなかった当該団体の資産(土地・建物など)が登記出来るようになりました。 
この改正の目的は、今まで団体登記できなかった事により、当事の会長や会計個人名で登記されて不動産が登記者不在となったとき権利の証明が出来ない事の解消にありました。
(園原部落の権利ある土地(山林含)はこの改正により「園原部落会」という地縁団体を設置して団体登記を行っています)
・地縁団体登記の利点:無課税で永久名義変更不要であること                             平成29年8月7日  
  
   味噌くそ一緒の岡庭一雄
 自治法改正による地域協議会と自治会の内容はお分かりいただけたと思います。
冷静になって考えれば「自治協議会って何なんだろう?」と疑問が湧きませんか。
 百歩譲って
自治協議会を町内会のようなものと位置付けるなら、「行政が関与することでない」となり、地域協議会として括るのであれば、自治法改正に適合しないという事に成ります。
百歩譲って両方の良いとこ取りをしたというのなら、「事前に整合させることが必然」と成るのではないでしょうか。                                 平成29年8月9日  
  
   住民説明会
 リニアの社会環境アセスメントを作成することより重要な事ではないでしょうか。
リニア社会環境アセスメントもそうでありますが、岡庭一雄の発想の根幹はすべて共産主義であります。
共産党なんですから当たり前の事ですが、始末が悪いのは「それが一番良い」とした、党員が多く居る事であります。  
  
   共産党に支配された村
 なんて時代錯誤なことを書くのだろうとお思いかもしれませんが、村長が共産党員であればそれも当然のことでありましょう。
どうしてそのような村になってしまったのかといえば、共産党員が多かったからに他成りませんが、それにもまして似非議員が多かったからだと思います。
 似非議員の本元は吉田博美
岡庭一雄は共産党だ! このこと、吉田博美は何と言うでしょうか? 知らなかったとでも言いますかねえ(笑) 
この議員が岡庭一雄が共産党員だと知っていて、その上自身の後援会をバックに選挙を打ったものですから似非村会議員はこぞって岡庭一雄を応援したのであります。            平成29年8月11日   
  
   正当な現職との対立軸
 警察もなめられたものではないか。 自民党のバリバリ議員が、共産党員を村長にしたんですからね。
民主主義の国で地方公共団体の長たる者を共産党員にしたのですよ。 こんな事有り得ないでしょう。
 申し開きをさせるべき
共産党員を自民党の議員が後援したとしても、選挙法においては何も問われることはないでしょが、その結果として、この様な阿智村と成ったのは事実ではないか。
岡庭一雄に万が一の事が有ったとすれば、真っ先に手をついて謝るのは吉田博美国会議員ではないかと私は思います。
 山内現村長との対立軸は最初から無かった
勝負は見えていました。何故かと言えば、信濃毎日新聞の「不正受給報道」において山内村長の信用は既に失速していたからであります。                           平成29年8月13日   
   
   正しくない報道機関
 以前に経緯は書きましたが、信濃毎日新聞はどうしてそこまでのことを行ったのでしょうか?
私がこのサイトで書き出してきた不正受給のことより、信濃毎日新聞は確かな証拠を持っていませんでした。 勝手に決め付け勝手にSBCまで呼んで勝手にテレビ放映までしました。
 新聞社で有れば何でもできるのか
信濃毎日新聞社に密告が有ったのでしょうか? 確かな証拠なくしての密告であっても記事にしてしまうのは信濃毎日新聞の得意とすることかもしれないが、こと、行政においての不正受給と成れば『絶対的な証拠』が必要ではないのか?!
 一般的にあそこまでの報道があれば世間はそれが事実とされるのは当然であり、また、警察が介入してもおかしくない内容であった。
 裏を返せば
警察は何も動いていないのですから、少なくとも犯罪でないことは誰でも分る

警察は動かなかったという事は、信濃毎日新聞は警察に届けていないことであるから、警察に届ける内容で無いとして動いていたと推察できる。                    平成29年8月15日   
   
   これでは謀略ではないか
 最近、国会の答弁においても阿部首相自らが「印象操作」を口にするようになってきました。
元々印象操作というものは報道する側の文章表現上の一手法であるからして、いわゆる禁じ手の一つであります。
 下劣な週刊誌
よく耳にするでしょうが、記事内容に全くの不事実が有るとして訴訟を検討する芸能人がおりますよね。
これなんかは全くその印象操作のたまものなんですね。(と言うことは、信毎は下劣な週刊誌ってか)
 そう言う私も
匿名でもなく、不正だ犯罪だとして証拠もないのに書き出していれば、お前も同じじゃないか!? って、怒られそうですが、それとはちょっと違います。 なぜならば、私はお金をいただいていない一方通行のブログで有りますからね。
しかし、新聞や週刊誌は違います。購読ですからね、全く違うんで有ります。(ただし、名誉毀損となれば訴えられます)
 信濃毎日新聞社は印象操作を行った
以前にも書きましたが、信濃毎日新聞飯田支社の阿智担当者は確かな証拠もないのに「阿智村は国庫補助金の不正受給を行っている」として報道しました。                平成29年8月17日   
  
   絶対にやっていない!とも言えない
 当時の山内村長とそのブレーンが知識を持ち合わせていたならば、平然として信濃毎日新聞に立ち向かったかもしれませんし、相手にしなかったかもしれません。
しかし、現状は違いました。もみくちゃにされる山内村長の姿はしっかりテレビ放映されていますし、その中で陳謝もしています。
 ヘリコプターが飛ぶ
災害時の自衛隊ヘリしか見たこと無い村民は、その仰々しさにまず驚き、そして不安を感じたことでありましょう。 SBCテレビ局の報道ヘリを飛ばすほどの事件としたことは、相当な自信が信濃毎日新聞の阿智担当記者に有ったものと思います。
はたしてその自信は何処から来ているのか、ガセで有れば終わってしまうのは信毎である。
 少なくとも
山内村長は陳謝をした。であれば少なくても心当たりは有ったのではないかということだ。
その少ない “心当たり”  を信濃毎日新聞阿智記者はどうして拾う事が出来たのだ?
 ここのところに一番関心を寄せ、疑惑を抱くべきではないかと私は思う。     平成29年8月19日
   
   グレーゾーン
 純粋順当な補助金申請というものはなかなか無いのかもしれません。 特に過疎地域で有れば、国レベルの戦略事業に合うものは皆無と言って良いでしょう。  
   間違ってはいけない狭間
バブル時と言って片付けてはいけないこともあります。 国の真意はどこにあったのだろうと考えるべきではありませんか。
景気が良いと浮き足だったのかもしれませんが、あの頃は地方交付税が十分であったのではないでしょうか。 それが、バブル衰退に合わせたかのように地方交付税の締め付けが始まりだしたのもあの頃ではありませんか。
 国の作戦だとしたら
高利貸しではありませんが、かすだけ貸して回収無しというわけにはいきません。
「返す見込みが立たなければ合併しましょう!」 私はそう思いました。
合併するなら市に昇格しなければ意味が無い! これが国の考え方ではないでしょうか。
一見理不尽にも思える事でありましょうが、町村であればいつまでたっても道州制は前に進みません。
 過疎債が無くなった
特に村であればこの過疎債が頼みの綱であったかと、この過疎債が合併推奨を契機に無くなりましたが、これも国の考え通りであったと思います。                   平成29年8月21

日  
  
   中山間整備に変わった過疎債
 名前が変われば中身も変わります。この事に気づいていれば慎重に事を運ぶはず。ではないかな  
  
   山内村長のそれは、熊谷操という議長の攻撃の中で始まりました。
村長選に打って出れなかった感情はそのまま村長へと向かっていました。 村長も慣れない議会対策の中で議長の協力無くしては何も成しえません。
 そこに目をつけたのは
「新しい議場を造れ!
」 なんとまあ、身勝手な要求を突きつけたものでありましょう。そこに村民は存在していません。言うことを聞いた山内村長には当然のごとく “付け” は回ってきたのです。
 過疎債であっても議場は申請不可
過疎債であったから無理が利いたのでしょうか。 庁舎3階にある議場は、議場でない議場として別棟計画がなされました。
 この事に異議を唱える議員はいなくありました。 その代わり、「これは良い材料が出来た」とほくそ笑んだ職員が数名いました。それは “あかい” 身なりの男達でありました。    平成29年8月23日  
  
  
信濃毎日新聞の出番
 コミュニティー施設としてそれは進められていた。当然のごとく鈴木設計で基本計画を書かせていた。(これは山内村長の指示ではありません)
 不思議な話 Ⅱ
この事業は内々的に進められていた。はずである。 なぜかと言いますと、「名ばかりのコミュニティ-」と、熊谷操議長が腹の虫を押さえるための議場だと議員全員が知っていたからであります。
人の良い山内村長は公然と「議場の名を変えて補助枠を探す」としてきたことも事実ですが、信濃毎日新聞がその詳細を知るよしは考えられないことです。
 どこから拾ったのか
誰から聞いていたのでしょう? みなさんもう分かっていると思いますから言っちゃいますね。
熊谷時雄からであります。当然その後ろに岡庭一雄課長が控えていたことは言うまでもありません。 平成29年8月25日  
  
   気が短い新聞記者とおごりが強い議長
 事のきっかけは信濃毎日新聞社の記者が傍聴席に入るときにガタガタと大きな音を立てたのに議長である熊谷操氏が腹を立てたのだという。
 気が短い?
熊谷操議長は気が短い人ではありません。人の話もよく聞きます。(人の話をよく聞くのは、何を言っているのかを見極めるためでよく聞いて対応するわけではありませんけどね。それに票のためならすぐ動くことはどの議員も当たり前です)
 こんな話を聞いた事が有ります。
岡庭村長時に建設事務所長に吉田博美議員を伴って陳情した事が有ったそうです。
ひろみ同伴であったからか、かなり高圧的な態度で所長に接触したようで、信じられないような大きな声と罵声に近い発言が有ったようであります。
同席していたひろみの方がたしなめてその場をおさめたようでありますが、「恥ずかしい議長」として名を売ったようであります。

この件はまたたく間に庁舎内に広がり、阿智村の評判を落としてしまったとか。
私は庁内の知り合いから聞きましたので操氏に直接聞いた事が有ります。本人もかなりまずいと思ったのでしょう。珍しく反省の弁が聞かれました。
 議長は傍聴席に向いていますから記者のガサツな行為が丸見えであったからでしょうが、大きな声はともかくも、これくらいは当然のような気も致します。  平成29年8月27日   
   
   謀略がそこにある
 「あの件はどういう事よ」と叔父は熊谷時雄氏に問いただしていました。
私は横に居て聞き耳を立てていました。
 時雄君の話
「いやあ参った。操さはあんなこと言っちゃあ無理だ。信毎の記者が議会が始まっているのに遅れて入ってきたのはまずいが、出てけ!なんて大きな声を出すもんだから記者が怒ってやったんな」、「遅れて入っただけでは操も怒らんだろう」
「いやあ、あのドアは立て付けが悪くガタガタ音がするんでそれがまともに響いたから怒ったみたいなんだけど」、「そりゃ議会が始まっているんだからそんな恰好なら操も怒るよ」
 二人は記者と操議長のやり取りを話していたが、私はそこにある時雄君の策略に気づいておりました。   平成29年8月29日   
  
   時雄君の策略とは
 村長は村民の直接選挙において信任されるものであり、職員は公務員として地方公共団体に従事するだけであります。
 近くて遠い
職員は村長に勤めるものでなく、村民への行政サービスに励むのが本来の姿でありましょう。 しかし、昨今はその境界線が曖昧になっており、あまつさえ個人的な考えをもって政治に口出しをするような職員が多くなっていることも現実ではないでしょうか。
 その時代もそうであったかのような事実が起きておりました。
村長に成りたいとの考えを職員が持つことは、その中で一層の発展的な理想なことかもしれませんが、それは純粋な動機でなくてはなりません。
よりよい社会を求めて夢を実現するには、それを行える立場に成らずして何を成せようか。それであればそのために自分自身を磨き上げることでしょう。
 思想でもってことは起こせない
日本国においては思想制限成るものは存在しておりませんし、たとえ主義が違っても自由な権利が守られております。
 得てして、何かを成そうとするならばそれは正当な手段において進められなければ理解を求めることには無理があるでしょう。しかし、中には対象と成る立場であるものを攻撃してまでして相手を失脚させようと考える者が居ることも現実ではないでしょうか。               平成29年8月31日   
   
   そこにある手段
 熊谷操議長が「新しい議場が欲しい」と掛けあっても悪い事ではない。それなら何とか補助金を探そうとしても、それこそ行政の仕事ではないか。
 では何が問題なって何が不正受給と言わしめたのか?
少し整理しましょう。 第一に何が問題なのだ?
・信濃毎日新聞の記者は既に「不正受給」と知っていた事に成る。
・信濃毎日新聞の記者は熊谷操議長にキレたのである。
・キレた後にすぐ行動したのが「ヘリコプターを呼ぶ」であった。
 ここまで書けばもうお分かりですね。
「不正受給に成ると当初から知っていた」ということであります。
何故知っていたのか? それは「不正受給だ」と話した者がいるからであります。   平成29年9月1日   
   
   友達の友達は みんな友達だ
 信濃毎日新聞の阿智担当記者は熊谷時雄君のお友達でありました。
これは否定出来ない事実で有り、また否定する必要も無いことであります。時雄君と親しければ岡庭一雄とはもっとお友達だったのかもしれませんね。
 策は練られていた
情報は岡庭一雄からしっかり出ていたのでしょう。岡庭一雄から出ていたとなれば、ヘリコプターを呼ぶことは岡庭一雄に了解を得ていたはずであります。
もしかしたら、不正受給となる確認は国に電話をして聞いたとされていましたが、それは無く、岡庭一雄との話のうちで有ったかもしれません。
国に電話の国はどの省庁でどの課であったかを、県であれば何部で誰に確認を取ったかが明確で無ければ、とてもこの様な「不正受給」を言い出せるわけが無く、また、国や県が一介の新聞記者に不正受給だなんて言うわけが無いからであります。                     平成29年9月4日   
   
   結論
 熊谷時雄と岡庭一雄は信濃毎日新聞記者と謀議を行い、山内村長の失脚を狙ったものと思われる。
証拠は何も有りませんが、状況証拠は十分ではないかと思われる。
 目的
確かに熊谷操議長が怒鳴ったことは計算には入っていなかったろうが、それが早まる切っ掛けであっただけのことである。
 この様なことは常人では考えられないだろうが、何のこと無く実行出来る彼等の精神構造にはある面敬服さえおぼえてしまいます。  
  
   許されざる人たち
 私の推察に従事しましたが、感じること、腑に落ちることは多々有ったのではないかと思います。
今更騒ぎ立てて何になるのかとも言われるかもしれませんが、そう思われる方は、もう少し続けますのでその上で考えていただきたいと思います。                    平成29年9月6日  
  
  先日の臨時議会と村民説明会
 月川旅館の指定管理者解除の件で臨時議会が開かれています。 そしてその臨時議会の件が信濃毎日新聞で記事となっております。
 まだ繋がっている証拠
臨時議会の前に全体協議会も臨時で開かれていますが、その時の議題は何で有ったのでしょう。
 熊谷時雄月川旅館社長が高坂和男議長に「陳情書」が提出されていたからでありました。  
  
   問題とすべきところと問題外としなければ成らないこと
 この陳情書がなぜ出されたのかを、少なくとも阿智村の議員は全員知っていなければならないことであり、知っていればこの全体協議会において “始末” は付いていたのであります。
 熊谷時雄の作戦
 仮に何も知らない議員が居たとしても(そんな議員は誰もいない)、熊谷時雄から陳情書が上がった、またその内容が、「月川旅館指定管理者解除」についてである。 と、判明した時点で、「この件は村長の専権事項で有るからして議会で取り扱うことでは無い」と、することであります。  
   これで、終わります。 それがなぜ? 臨時議会を開催したのでしょうか?      平成29年9月8日  
  
   一歩前に遡れ
 行き詰まったら、その前に答えは有るものです。 現状が困難なら、なぜそうなったかを考えない限り解決の道筋は見えてきません。
 時雄君の世界
私が公開質問状を出したのは答えを求めていないからであり、議会に動いてもらいたいのであれば請願書や陳情書を提出するでしょう。
請願書であればそれは即議会で取り扱う事に成り、陳情書を提出すれば議長判断での取り扱いにおいて受諾が決まるものであります。
 時雄君は陳情書を出した。ここにどのような理由が有ったのか考えてみましょう。 平成29年9月10日  
  
   行き詰まった悪巧み
 なぜ陳情書を出したのか? は、なぜこの様なことになったのか?を紐解けば、自ずと見えてまいります。
 全ては叔父と時雄君の悪巧みから始まっています。
平成17年、月川旅館の委託管理会社である園原の里開発株式会社の社長として多額な脱税をしてしまった。契約解除は免れないものであったが、それは岡庭一雄村長の提案、「新しい会社にせよ、そこに指定管理者制度を当てる」として乗り切った。
 平成27年ころを目安に施設の払い下げは決まっていた。岡庭村長と話しの上で払い下げ条件を整備してあった。その条件は「施設の改修」その費用は全額村で出す。
築25年以上経てばどのような施設であっても手をかけねばならないが、旅館業であればそれは特に必要なことである。 そのために積み立てをするのが本来の経営なのであるが、叔父には一切その様な考えはない。 何をしたかと言えば、浴室の改築を要望したのであります。
岡庭一雄村長との話の時点ではそこまでの話しはしていないが、それがその様に決められていたと、まことしやかな話しに転換したのが熊谷時雄でありました。              平成29年9月12日  
  
   時雄、お前を社長にする
 負担金として2,000万円は村に積み立ててあり、それが払い下げの改修費用として扱われる予定でありました。 この件は、岡庭一雄課長が組み立てて、勝野公人課長が引き継いだ。その後は水上課長に引き継がれ、水上課長時に「払い下げをして欲しい」と叔父の方から要望している。
 25年の経過が必要
鉄骨造であるため耐用年数は38年は有ります。それが25年で払い下げするとは破格の条件では無いのか。なのに叔父はそれを拒んだ、なぜなのか? 一旦は払い下げを強く要望していた、なのに叔父は払い下げを拒否した、それはなぜなのか?
 改修費用
改修費用の試算は私がやっている。 現在、改修しなければならないのは屋根のみで有る。屋根の再塗装は500万も有れば十分、しかし、叔父は「少しでも多く」を要望していた。私はそれに答え、内外装を改修の一部に加えています。
 窓口は時雄君
もうその次点で私は不要になっていました。なぜかと言えば、「浴室の改築」が時雄君の手によって払い下げの条件として要望されていたからで有ります。
浴室の改築は玄関反対側の熊谷智徳氏の土地に別棟で建てるとされていると思います。そして、現在の浴室は、露天風呂付き客室へと様変わりすることとなっている。          平成29年9月14日  
  
   建設費用が5,000万円
 これは鈴木設計の試算で有ろう、この時点ですでに時雄君の社長就任のラインは敷かれていたのであります。
 ひるがみの森を追い出されるとして時雄君は考えたのでしょうね。 議員はもう続けられない、俺には場所が無い。こうなれば秀逸さに売ってきた恩義を返してもらわなければ、それは月川旅館の社長の座だ。
叔父は叔父で次男に後を継がせるとして均等株主役員である熊谷智徳氏と私を切ってきた。二人とも次男に継がせるを既成事実として了解していたが、次男に経営能力が無いことははたから見ていても明らかでありました。その様な状況に時雄君はつけ込んだのでしょう。
 来るべく払下げに叔父は浴室改築工事を盛り込んだのであります。
「屋根の改修だけなんて状況じゃない。お風呂が漏れて屋根も腐り、こんな物は造り変えなきゃ受け取れん!」 岡庭が辞めた状況では、叔父は議員を辞めた時雄君にすがるしかなかったのであります。 
平成29年9月16日   
   
   2,000万円は積立金だ
 2,000万円は村に預けてある会社の金だ、なにも改修に充てる金じゃない。払下げするんなら改修を村の金で完全にやれ!
 それが突然に、「払下げは不要、指定管理者なんだから施設払下げはおかしい」と、変わったのであります。   
   
   鶴巻荘と同じ指定管理者  これが時雄君の餌であります。
 ひるがみの森社長を辞めさせられる、放り出されるとして叔父に助けを請うにはお土産が必要であります。
 叔父の弱み
世間が考える月川旅館の次期社長は熊谷智徳氏と見られていたが、叔父にはその考えは全くありません。叔父にとっては東山道(飲食店)が行き詰ることはどちらかと言えば好都合でありました。
経営状況が悪いと成れば「そっちに集中せよ」として月川から遠ざける事が出来たからですが、土地の金を支払えとして始まった地主(三人の内の一人)の恐喝は「株を買い上げてもらわなければ土地代が払えない」その代わり月川から一切手を引くとした話しは渡りに船で有りました。
世間には「智徳の方から出ていった」と言えますし、株買い上げに裏金を使っても智徳氏は何も分らないからで有ります。
 取得税
無課税の施設が払い下げられれば取得税が掛かります。当たり前の事ではあるが、これが二人には分からない?という事ではありません。                        平成29年9月18日   
   
   叔父は私に対して言い訳が必要であった
 今もなお叔父と時雄君の言い方は何一つ変わっていません。「章文は月川の社長になりたいんだ」「時雄を社長にしたのが気に入らないんだ」  哀しからずや より 哀れる者か
 一度口にしたとは言え、ここまでのお粗末な言い様は内輪で聞く者さえ耳障りであることに違いない。
「もう少し高尚な攻め方は無いのか?」と、相手にしたくともそこに無いレベルである。
 叔父は確かに私に言った
「お前はなんか月川のためにやったか!?時雄は払い下げに対して村に交渉しておる。時雄の言うとおり鶴巻と同じでなければ無理なことだ」
 欲に駈られて前が見えない
私はそんなことを聞くつもりはなく、月川に勤めている従兄弟や従業員が「何で時雄が社長なんだ」「冗談じゃ無い」と悲しがるのをなだめさせるつもりで叔父に電話を入れたのであります。 
その電話で私に言い分けを言った。月川の払い下げを受けると取得税が1,000万円を超える、とてもそんな金を出してまで次男にやらせれない。時雄が言うには「払う必要は無い」今のまま指定管理者制度で良いはずだ。鶴巻は俺が議長の時、指定管理者制度にしたんだ。           平成29年9月20日  
  
   負なことを言う二人
 村では2,000万円に5,000万円(浴室改築費)加えて払い下げをするという。(これ自体馬鹿げた条件であるが岡庭との既成事実としている) ここに何が不満が有るのか?これ以上何を求めるのか?いや、これ以上を求められる要素が何一つでもあるのか?
 あまりにも勝手な考えではないか、時雄君が社長になるのにこの様なことが叔父の利に成るというのか?
 信じられないが、ここまでが月川旅館指定管理者解除の切っ掛けであります。
この場面については他のコーナーにいずれ詳しく書き出しますが、時雄君はこれを確実なものとして社長に就いたのでありました。
 時雄君にしては指定管理者解除は命取りであります。なんとしても月川旅館を自分の手に取り戻さなくては成らない。
 かくしてそれは岡庭共産党の共通目的となり、あれやこれやの思考の末に最後の一手として陳情書を提出したのであります。                            平成29年9月22日   
  
   それに応える高坂議長
 熊谷村長が指定管理者を解除したのは法律に抵触すると判断したからであります。また、その説明は議会においても当然のこと説明していることであり、それ以下でも有りません。
これにかみつく時雄君は他に術がないからでありますが、高坂和男議長は議長で有ります。
高坂和男は議長であるのになぜ時雄君の立場に立ったのでしょう。あまつさえ、叔父や時雄君が村長を呼び寄せ「指定管理者を解除するとは何事だ!」と、恐喝まがいの恫喝の場に同席していたのは何故なんでしょう。
 岡庭共産党ということではないのか
岡庭一雄が村長選に立候補する時に吉田博美国会議員(当時は県会議員)がバックについて博美後援会を駆使しました。これに寄ったとも考えられますが、「俺は丸山で真っ先応援した」「岡庭の後援会であった」と自ら発言しているのを見れば、「俺は共産党じゃない」と否定はしても、岡庭共産党と言う事だろう。
 朱に交われば赤く成る
時雄君と同年と言っても当時は伍和村智里村と村が違っている。
岡庭を通して繋がったのであろうが、この様に一歩食い違えば警察沙汰に成るような危険性が分らぬはずはない。(警察沙汰にはこれからだが)                     平成29年9月24日   
   
   時雄君の陳情書
 時雄君が出した陳情書の取り上げは全員協議会で協議されたのであろうか?
時雄君が陳情書としたのは訳がある。
本来ならば請願書であり、岡庭や時雄の言うとおり動く議員が六人も居るのですから、そちらを選択すれば簡単な話であります。
請願書は一名以上の議員紹介が必要であり、代わりに議会では取り扱いの審議せずして即、対応しなければ成りません。 なぜに請願書で無く陳情書にしたかと言えば、「請願する内容で無い」と理解していたからに他有りません。
 時雄君が正しければ
村長が決断した指定管理者解除でありますからして、それを議員が不服とするならば村長不信任案を出すべきでしょう。
行政と議会においてはそれしか方法はありません。それが民主主義であります。(分かりましたか?岡庭一雄君)
 この様に、端から時雄君達の作戦で有ったのでありますが、それをまともに受けてしまったのは反岡庭派の六人の議員でありました。
内容からして当然反論したであろうが、事が表に出ればそれは有る面追求しやすくも成ります。
結果的に臨時議会を行い、その上住民説明会まで開かれています。
他の町村は笑いを抑えるのに苦慮したと思いますが、岡庭共産党に毒されている阿智村にとっては「これが民主主義な」でありましたとさ                       平成29年9月26日  
  
   信濃毎日新聞は、この臨時議会を記事にした
 臨時議会が開かれる事を信濃毎日新聞社はどのように知ったのでしょうか?
通常議会の傍聴には、南信州と信濃毎日新聞の二社だけが来ているという。しかし、この臨時議会には南信州は来ていないのでは無いか?
 誰かが知らせた
誰が知らせたかは一目瞭然であります、みなさんも分かっていますよね。
この臨時議会がなぜ開かれたのかを考えれば自ずと見えてまいります。
時雄君は足りない頭を駆使してここまでこぎ着けました。(この時点で村長を恫喝することを諦めた)
叔父と二人、西地区の子飼いに声をかけたが誰にも断られている。
時雄君達は少しでも多くの人に聞いてもらいたいと考えたのだろう。  
   信濃毎日の記事内容を読めば、何となく分かります。            平成29年9月28日   
  
   住民説明会は記事にしなかった
 信濃毎日新聞は住民説明会を取材したのだろうか? 記事にしなかったところを見れば、出席していたとしても事の顛末は見えていたのだろう。
 二人芝居
新聞記者とすれば、時雄君が出した陳情書の不備を見抜いていたと考えられます。それはどの社の記者であっても当たり前であり、これでは住民説明会を開けないと踏んでいただろう。
だがしかし、阿智村議会は議長が正常でない。時雄君と高坂議長の二人芝居を許せないとした議員が(多くいた)「住民説明会など有り得ない!」として反論しても、受けて立とうじゃないかと同じ土俵に乗ってしまった。
信濃毎日新聞は馬鹿ではない。これ以上は新聞社として関われないとし、南信州は、淡々と記者の義務(取材)を果たしただけで有ります。                      平成29年9月30日   
   
   書けない記者と考えない記者
 私の思いこみで有ります。 考えない記者は正常な記者  書けない記者には訳が有る
南信州の記者は「岡庭一雄前村長や熊谷時雄さんの名前が入っています。名誉毀損で訴えられますので記事には出来ないと思います」 これは昨年の4月、当会社において南信州の記者が言った言葉であります。
 正当な答えだと思います。しかし、新聞記者であれば公開質問状で質問している内容はとんでもない事だと即座に判断できている分けであり、“これは!?” と思うのと同時にすでに提出されたものであるとした事も交差するでしょう。
その様な状況において「名誉毀損・・」だのとの個人の考えを伝える記者は “考えない記者” 以外の何者でもありません。
 記者が記者なら編集長も
公開質問状が提出されただけでも書けないですか? と聞いています。
書けないのであれば質問状を持ち帰るのはおかしな話し、翌日、返してくださいと電話をしました。
返却に来たときに、編集長に見てもらいましたか?と聞きましたら「見ております」と、ならば編集長の判断も同じですか? 「同じです。返しましたから」と言って足早に帰って行きました。平成29年10月2日   
   
   信濃毎日新聞の記者
 その日まで阿智担当記者では無かった現在の阿智担当記者
当初、この状況を書いていますが、実際のところをもう一度書きます。
現在の阿智担当記者は女性の方だと思います。その方に公開質問状の原文をFAXで見ていただきました。
なぜ、提出前に信濃毎日新聞社に見せたのかと言いますと、それはまさしく確信犯でありました。
 信用していない
父親の報道や山内元村長に対する信濃毎日新聞のねつ造記事において、また、全県での同じような行為が聞こえてくることにより、信濃毎日新聞の報道に強く疑問を感じていたからであります。
特に酷いのがそれまでの阿智村担当記者でありましたので、彼と岡庭一雄・熊谷時雄の関係を暴露するに当たり、言い訳さえ出来なくさせる必要があると考えました。
 状況証拠を掴む
たまたま、その女性記者と知り合いになったので利用させていただきましたが、それが考えていた以上に填まってしまいました。                           平成29年10月4日   
   
   あぶり出す
 その女性記者は新人でありました。新人であれば上司に必ず報告するだろうと考え、その上司は阿智の担当記者であるだろうと想像しました。
 書き殴りの質問状でして文面もそれなりにきつくあり、いかにも素人の文書であるかの如くしたのは、記者が「この程度のものか」と、手が入れやすくするのと同時に、当時の阿智担当記者が見れば、「岡庭一雄と熊谷時雄の関係が露呈する。これはまずい」と思わせる事が出来るのではと考えたからであります。  
   狙い通り
電話でその女性記者を呼びだしました。簡単に概略を話し、そちらの都合に合わせますのでお会いできればとお願いしました。「分かりました。時間を作って連絡します」
 平成28年4月15日(金)
4月8日金曜日の事でした。土日であれば時間が作れるとして土曜日は会社で待機しておりましたが連絡がありませんでした。
無理もない、勝手なお願いを、それも作為的なお願いをしようとしている自分に気づき、これから起こるであろう岡庭一雄の正体が露呈すれば、きっと彼女も許してくれるかも知れないと勝手な言い訳の中におりました。                                  平成29年10月6日   
  
   電話が来ない
 電話が来ない事により色々なことが整理できたのでありますが、その一つに「当時の阿智担当記者はまだ居るのか?」が一番の事ではないかと気づきました。
彼が居なければ展開が変わってしまう、公開質問状を事前に見せ反応を探るとした事は不発に終わってしまうだろう。
 前に進めた
何かをしようとして策を練ることはどなたも経験はあるだろうが、この様な行為は褒められるものではなく岡庭達と同じではないのか、と自問した。
 この時点でブログを始める考えは既にありました。
10年前を教訓とした訳ではありませんが、公開質問状を公開する手段としては最良な方法で有るとしていたし、はたから見れば過激どころか逮捕されることも覚悟しなければならない。
10年前も報道機関はあてに成らなかった。それは何より報道機関は行政側に有るとした証明でもありますが、報道機関そのものが正確な記事を書かないとした嫌悪感から成るものが私の内にあったからであります。
 過激な事を書く覚悟はしても、そこに事実と違う事が一つでも有ったとしたら読者は許してくれないであろう。                                   平成29年10月8日   
   
   報道機関は社会の鏡
 新聞に載れば、それは事実として社会に受け止められます。
テレビニュースなどで報道されるものは目に見えることにより事実として視聴者に受け止められます。
報道側も多少の画像演出は行うでしょうが、伝える手段(放送倫理)を変えることは出来ません。
 新聞はどうなのか
コメンテーターなどが勝手なことを言えるのはワイドショーていどですが、それでも事実と違うこと、または個人の見解で相手を中傷することは出来ません。
新聞もニュースを伝えるなかで間違いがあれば訂正するとおもいますが、ニュースに記者個人が判断した記事を載せるのであれば取材無しでは行えません。
取材するということが、報道倫理に抵触しない唯一の方法なのであります。
 記事の判断
何を記事にするかは各新聞社のやり方であり、どのようなことを書くのかも各新聞社の判断であります。
購買者はその記事を見て、各新聞社の色を見極めます。
信濃毎日新聞飯田支社が阿智村のことをどのように記事にしても、または記事にしなくともそこには何も問題はありません。                             平成29年10月10日   
   
   新聞社の使命
 事実であるかどうかより、どのような書き方なのかが読者の気持ちであることが分かっていないようであります。
読者とは新聞を読む人なので有ります。新聞を読む人を想像してみてください。新聞を読まない人は新聞を読む人を想像できません。
記者は、新聞を読む人が読者だと言うことを今一度認識された方が良いですよ。
 真実を追え
表に出たニュースには必ず裏があります。裏が真実だからこそニュースとして伝えることが出来るのではないでしょうか。
記者にはそれだけの責任があるのであります。ほんのわずかなことでも間違うことは出来ません。まして、読者に疑いをもたれるようであれば責任を取らざるを得ないでしょう。
 責任の取り方
新聞報道は一方的でありますが、疑いをもたれたならばまずそこを修正すべきでしょう。間違っていましたと修正するのでは無く、真実を追究し、事実をありのままに書くことが唯一の方法であると知るべしで、そうであればそれが責任の取り方なのでは無いでしょうか。        平成29年10月12日   
  
   電話に出た男
 4月12日火曜日、音沙汰が無い女性記者に電話を入れました。
「はい、信濃毎日新聞ですが」 電話口の声は男の人  もしもし、熊谷と言いますが○○さんは居られますか?  そのとたんトーンが変わり、受け応えのそれはそれは横柄な、新聞社の社員と思えぬ口のきき方に代わってしまいました。
 即答
「居りません」 あのう・・お出かけでしょうか  「・・」 あのうお願いした件が有るので連絡を取りたいのですが・・「出かけています」 済みませんが連絡が付きましたら熊谷が連絡をいただきたいと伝えてもらえませんか・・「ガチャ」 電話を切られてしまいました。
 録音
そのすぐ後に、そう、え?こんなに早く連絡が付いたの? 居留守だったんじゃないの? と勘ぐれるくらいの時間で有りました。 「もしもし、すみません。まだ赴任したばかりなので・・」
(新聞社ですからこのやり取りは録音されて残っておりますよね)        平成29年10月14日  
   
   上司が阿智担当
 忙しくて電話も出来なかったようでした。でも「あのう、質問状は上司に見てもらっています。私が見てもお答えしようがないと思って、ちょうど上司が阿智担当ですので・・」
 その返答は予想できていました。電話に出た男、その対応で(やはりな)と確信しました。
 なぜに得心がしないのか?
得心していないのは口ぶり、質問状に書かれていることは自身が深く関与している “お友達” の事である。だからこそ、当人で無ければ感じない憎悪をむき出しにした受け答えとなっている事に気づいていない。
 思わぬ態度
何も無い記者で有ればそこに書かれているのは大スクープである。その真意と事実を確かめられずにはいられないであろう。 しかし、感情が出てしまったと言うことは、“お友達との秘密” が知られるのでは無いか?という猜疑心と不安の表れ意外に無い。そしてその不安が新人女性記者を動かす事へとなっていくのであります。                              平成29年10月16日  
  
   熊谷さんが居ない
 平成28年4月18日、私は阿智村議会事務局へ出かけそこで二人の議員と会っています。
勝野議員と竹村議員であります。 二人に電話を入れて公開質問状を提出する旨を告げ、質問状そのものを見て頂きたいとお願いしました。
 途中で竹村議員が会議のためと席を外されましたので話しも中途となりましたが、質問状の中身まで見せておりません。
 質問状は他の議員と同じに
議員の皆様としたかぎりそれは当然のことであります。 提出は20日水曜日と告げています。
会社に戻りますと留守に電話があったとを聞きました。「あれ?信濃毎日新聞の方に会いましたか?○○という女の人から電話がありましたよ」
何か言っていた? 「なんか熊谷さんが居ないとか、議会事務局にいますかとか何処に居ますかと聞いてきたので、役場に行くと言っていましたので未だ居ると思いますがと言っておきました」
そうですか、今日質問状を提出すると言っておいたからだと思うが、なぜ行ったのかな?
 探り
おそらくのこと、阿智担当記者が彼女に行くよう指示したのであろう。 自分が行けば私と対峙するかも知れないとの考えもあったのだろう。 それで空振りをしたんだから、不安は募ったとおもうが  
  
   信濃毎日新聞の阿智担当記者のことを再度書き出したのか、気になりませんか? 平成29年10月18日  
  
   信濃毎日新聞飯田支社
 当時の阿智担当記者が、当時どのような考えで行動したにしても今となっては社会的にも時効ではないか。
道義的なことで問題としようにも世間はそこにはない。では何故にここまでしつこく書き出すのかと言いますと、信濃毎日新聞飯田支社の新聞社としての “姿勢” であります。
度を超している今までの信濃毎日新聞飯田支社、町村長から敬遠されるくらいの新聞社、それが阿智と飯田市の件については “黙り” を決め込んでいます。
 期待に応えられるのか
不正について徹底的な追求をする新聞社だと、過去の記事について評価している購読者は多いと思う。それが県下6割を超える購買となっているのでは無いのか。  
  
   社会正義
 知識も能力もある新聞社の記者達、あなたたちに一番必要でかけているのが “見識” でありましょう。
それが無い事はすでに購読者に見透かされているでしょうが、それを持たなければ誤報を起こしてしまうことになり踏み込んだ記事も書けません。
 あなたたちの使命をもう一度認識してください。
偏りがちな紙面では社会正義を守ることは出来ません。            平成29年10月20日   
  
   本社と支社の関係
 長い間岡庭一雄や熊谷時雄と繋がってきた記者が居たとしても、本来は保守的な基本理念が信濃毎日新聞社に有るにしても、30年も経過してきているのですから支社長・編集局長の移動において変化してきたと私は捉えております。
 南信州は完全なる地域紙であり、飯田下伊那の評価で持って正当性を維持しています。
信濃毎日新聞はどうかと言えば、それを県下に当てはめれば良いとするのでは大きな間違いと成ってしまうでしょう。
 朝日新聞との関係が深い
朝日新聞と言えば左寄りと考える向きは多く、全国的にそのように認知もされています。
長野県においては信濃毎日新聞社はその協力関係において全国の記事は朝日新聞ニュースソースにて掲載しています。
 県内の記事
朝日新聞社は長野に総局を置き、松本・上田・諏訪・飯田・佐久に支局をおいており、飯田支局は一人が勤務しています。
全国ニュースソースが朝日新聞であれば、県内の記事は信濃毎日新聞社が中心に成る事は当然のごとくでありましょう。                               平成29年10月22日   
   
   郷に入れば郷に
 全国紙どころか信濃毎日新聞であっても、飯田下伊那は最小扱いになっています。それはそんなものだよと世間も見ていることでしょう。
では、新聞社側からみて飯田下伊那地域はどうなんでしょうか。
 記者の感覚
全国紙であれば飯田下伊那は “島流し” 感覚で間違い有りません。朝日だけではありませんね、読売も毎日もそんな感じでは無いでしょうか。
中日は読売との球団対決のままで全国展開していますから踏み込んだ取材は一切無しな購買率が目的な支局となっております。中京圏として飯田下伊那はその範疇に在ると考えているのではないかと思います。
 購買率を抜きにしても飯田下伊那の中心的な新聞社として捉えるのであれば、信濃毎日新聞が第一であることは紛うことではありません。次に朝日、他は対象として考えるべきではないような気がします。平成29年10月25日  
  
   支社支局の段階でなくなった
 飯田下伊那ですと確かに記者個人の考えが優先することでしょうし、編集局長まで兼ねていればそれは絶対的な存在となってしまいます。
得てして権力に対して向かうような人であれば、報道とした記事の中でも主観が入ってしまうようなことも当然あるでしょうが、そこに注意を払うべき人が居なければ指摘することも出来ません。また、その上司(支局長支社長)が居たとしても、同じ考えかたであればそれは変わること変えることが出来ません。
 記者が党員
一番心配なのが、「記者が党員」だということであります。 信毎や朝日がそうだとは言いませんが、どんなにさとらせないようにしていても、記事には自然と出てしまうものでありましょう。
党員が記者であったにしても悪いことは何も有りません。しかし、党員は共産主義者なのであります。
民主主義の社会の中で報道機関が存在していることを共産主義者は理解していません。
その様な者が万が一個人の考えを記事としたら、それはそうでは無い読者に読み取られてしまいます。
 読み取った読者は “抗議” をするでしょう。
抗議するのであれば支局に抗議するでしょうか?                平成29年10月26日   
   
   淘汰
 私たち読者は報道機関に何を期待するのでしょうか? 少なくとも飯田下伊那であれば、身近な記事がいち早く正確に伝えられる事を望むと思います。
 社会の中での犯罪は身近で起こって欲しくないとも思っているでしょう。
犯罪としなく、反省と弁償の中で解決したいと考えるのが社会でありますが、中途半端な考え方で有れば、それがさも社会正義などとして突き出す記者が居ることも確かなことであります。
 警察が逮捕したとしたならば、いち早く記事にしようとする “番記者” は飯田にも居るでしょうし、誤認逮捕であったにしても記事にしない新聞社も飯田市には存在します。
誤報記事などと言うものは茶飯事であり、ねつ造だっていとわない不埒な記者が居ることも事実です。
 飯田下伊那には熱意の無い全国紙と気をつけなければならない支社支局が淘汰され、弁当箱の包みにも成らない紙が、廃品回収で山罪にされるだけとなりました。           平成29年10月28日   
   
   報道機関に社会正義などない
 今更ながらと言えばそれまでですが、そうは言っても新聞報道はやはり社会の鏡であることに越したことは無い。だとすればどうしたら良いのか、それも深く考えることは無いのであります。
苦情が多い内は心配ないと考えているだろうが、購買率に影響がでればそうは言ってもおられない。
 身の丈
地方新聞は描写記事に徹底すれば良いことで有ります。下手なコメントを入れれば程度が知れてしまいますからね。
 そんなこんなでも始末が悪い新聞社はどうしたら良いのでしょう。
始末が悪い新聞ほどおもしろいことも事実である。なぜおもしろいからと言えば「底が見える」からであります。傍観者で居る限り、これほど愉快なことは無いですし、当事者にとればこれ程不愉快なことは無いことでありましょう。  
  
   さて、長々と報道機関についてあれこれ書いてきましたので、この辺から報道機関としてどのように私のブログ(公開質問状)の件を取り扱っていくのか、それとも今までのように無視を続けていくのか
について、今後を見通していきましょう。                   平成29年10月29日   
   
   心当たりが有りすぎる新聞社
 過去の文書を読み返していただければ、公開質問状に対する各社の考え方は思い出していただけると思いますが、はたしてその後は変化はあったのでしょうか?

 遠いところから
読売、毎日、日経などは遠すぎて、この際無視しましょう。(相手にもしてくれませんが)
ただ、毎日は岡庭一雄の阿智村社会環境アセスメントには過大な評価記事を掲載した経過がありますから、それなりのそれなりでしょうが、質問状かこのブログを見ていたとするならば、阿智村社会環境アセスメント報告書を読み返しがっかりしたことでしょう。(頭の良い記者がいますからね)
 中日はどうなんでしょう?
「名誉毀損に当たります」と、女性記者は言いました。
未だかつて名誉毀損で何方からも訴えられていません。よ、と聞いたならば、「それはあなたの問題であって、当方の見解にあらず」との答えが返ってくることでしょう。
「証拠も無いのに記事にすれば当社が訴えられることを言っています」と答えるでしょうね。
でもね、そう言えないところが新聞社なんですよ。                平成29年11月1日   
  

   編集局長の器
 中
日だけではありません。
記者は思い切った記事を書くことを信条としている方もおられるでしょうが、そうは言っても編集局長が居る限りその指示に従わなければなりません。
信毎や全国紙であれば、編集局長に成るにはそれなりの能力がある方でしょうし、見識も備えているでしょう。
 編集局長は何のために居るのかと言えば、すべての記事に目を通し号サインを出すからでありますから、記事はすべて編集局長の責任になります。
その辺のところが南信州には欠けていて、信毎は逆に編集局長の指示が強すぎるような気がします。
県紙や全国紙は県本部の知るところに成れば、それはもう支局の問題ではなくなっていきます。
特に、このブログが認知されたとなれば、新聞各社の本部も「知らなかった」と言えないことに成るのではないでしょうか。                              平成29年11月3日   
   
   戸惑い
 在る方のコメントにもありましたが、知り合いからも何度も言われました。
「こんな内容を書き出すブログは見たことが無い」「大丈夫か?」
 私としては、疑問に思っていることを書き出しているのもありますが、一番の思いは「知っているのに口にしない」でありました。
 個人的な事であればどなたもコメンテーターになるでしょうし、人の噂も七十五日、で面白おかしく、時によれば人より早く “知っている話” として自慢げにもなるでしょう。
ですが、この様なブログとその書かれている内容については誰も表立って口にしようとしません。
 なぜなんでしょう
人の事ではあるが自分もどこかで関わっているのではないか? とした後ろめたさがあるような、「きれいごと」として批判することもできない “きれいごと” を感じる人も、もしかしたら居るかもしれません。平成29年11月5日   
   
   はばかり
 口にしないのは普段の生活のなかでは不要な世界と感じているからですが、あと少し違うと思うところは個人感にあるのではないでしょうか。口にすることがはばかれる、そんな感情だと思います。
この様なことはそれこそ警察と報道機関のやるべき事と考えている方が殆どで、私もまったくその通りと考えていました。
 報道機関の役割
私たちが口に出来ない多くの疑問は、誰かが解き明かしてくれるものなのでしょうか? 何もせずに、気にしても他人事のように振る舞えばそれは通り過ぎることなのでしょうか。それとも警察がちゃんと見て正していくのでしょうか?
 アメリカの大統領であっても理不尽であればペンの力を発揮しています。報道機関のすごいと思うところは、追求する姿であります。そしてそこに不正があれば徹底した取材と追求で社会を動かしてしまう。
それがどうして飯田周辺の報道機関に無いのでしょうか?
 信濃毎日新聞社の長野本社はハッキリと口にしています。「共産党である岡庭一雄と協力するようなことは一切無いと」では、松本本社は何と言っているのでしょうか?         平成29年11月7日 
  
   公開質問状の阿智村リニア社会環境アセスメント
1.リニア中央新幹線社会環境アセスメント委員会の設置及びその進め方について
信濃毎日新聞社の見解はどうなんでしょうか、そこが皆さんの関心事では無いでしょうか。  
  
   精算
 過去は過去として流せられるとしたら、現在の姿勢にこそ答えは有るのではないでしょうか。
岡庭一雄が阿智村独自の社会環境アセスメントを作るとした時点から取材している。そして住民アンケートの発令についても、そして、報告書が提出されてからも取材しておりました。
幾度かの記事掲載もありました。なのに、私の流した公開質問状の時点からは「さっぱり」であります。
 今まで通り取材しましょう岡庭一雄さんを、いつものように高評価しましょうよ岡庭一雄さんを。  
  
   報告書は扱われたのか
 岡庭一雄氏から、リニア中央新幹線阿智村社会環境アセスメントの報告書は提出されています。
そして説明会も開かれています。 ですが、その後はどのように評価され、扱われたのでしょうか?
何も聞こえてこないのは、私だけでしょうか? 村民の皆様、アンケートを提出された実直な村民の皆様、何か知らされているのでしょうか?                    平成29年11月9日   
  
   怠り
 何か怠りがある?
村民の皆様はお気づきでしょうが、議会議員の皆様は岡庭一雄が作成し提出された阿智村リニア中央新幹線社会環境アセスメントを読まれたうえでどのような感想を持たれましたでしょうか?
まあ議員で有りますからして感想などの小学生程度ではないと思います。きっと、各議員は費用対効果を真っ先に確認された事でしょうね。そしてその費用対効果を高評価した資料を基に、「請求費用を全額支払うよう」と村長に議長は答申しているのでしょう。
 それなりの議事録は有るとして、村民の開示請求に答えられるように成っていますよね。
もう少ししましたら、その様な請求が上がります。 その成果が日の目を見られますようご期待申し上げます。
 さて、新聞各社はどうでしょうか。 もうすでに通り越していると思いますが、公開質問状が出る前と出た後ではどの様に変わっているでしょうか?                 平成29年11月11日   
   
   報告書が出て終わり
 昨年の公開質問状に「アンケートの結果が知らされていない」として村長に質問したと、それに答えてくれるとも書いています。
その時点で岡庭一雄にも聞こえたと思いますが、岡庭一雄はどのような手を打ったのでしょうか?
 見識者であれば、または捜査機関で有れば、公開質問状を見て私の見解をそれなりに判断していただけるものと考えていますが、岡庭一雄や岡庭共産党にはその読解力は有るのでしょうか?
おそらくその様な能力は無いでしょうね。仮にあるとすれば、リニア中央新幹線社会環境アセスメント報告書を提出し、住民説明会を開いて終わりにするということは出来ないとして「このままじゃまずい」と気がつくはずであります。
 費用対効果を達成できていない、また、報告内容が不十分であるとしたことは確信犯であるから今更直せない。 なんて考えたなら、少しはましな手を打てたでしょうが、「未だ俺は村長として力が有る」と、子飼いの議員を使えばこの質問状を隠すことが出来るなどと、不届き千万も良いところで考えるから追い詰められていくのであります。
それに加え、信濃毎日も朝日新聞も押さえられるとした共通意識が底に有ったかもしれませんね。平成29年11月13日  
  
   850万円ものお金を使う
 850万円は二度に渡って支払われています。それも二度目は公開質問状を出してからしばらく後のことであります。 どうなんでしょうね? 村長は何を思って議会にそれを告げたのでしょう。
 疑問に感じた者と疑問を感じさせないようにした者
村長であればかなりのこと疑問を抱いたものでありましょう。 村長は岡庭一雄に追い込められ、議会は全員でその作成を後押ししている。
公開質問状では第一にその社会環境アセスメント作成は不正では無いのかと指摘している。指摘されている内容にはかなりの心当たりが有り、それに答えたくとも質問状は議会議員の皆様宛となっている。
「議員に期待するしか無い」が本心であったろうが、議員が諸手を挙げて推奨承認している限り、それは難しいともすでに考えていたと思う。
 担当職員の対応
リニア社会環境アセスメントを岡庭一雄の指示で作成したのは地域経営課である。私は公開質問状を提出した頃合いで地域経営課を訪ね、具他的なことを聞き出しています。        平成29年11月15日  
  
   未だ岡庭村政
 今現在はともかくも、私が公開質問状を提出する前までに阿智村役場は「変わった」と感じた住民はいないのではないか
 隔たり
共産党員の岡庭一雄が16年間も村政をしており、職員組合も共産党系に置き換えた。 残念ながら、もうこの時点で阿智村は共産党の手に落ちたのであります。
熊谷村長になったにしても、殆どの正常な村民でさえ阿智村が変わることに期待をしていない。
それが何故かと言えば、熊谷村長に対しても「岡庭の子分だ」との見方が心の隅にあったからに他ならない。
正常な村民が熊谷村長をその様に見ていれば、岡庭一雄の院政が続いているものと判断するのも無理はない。
当の岡庭一雄は役場に日参し、我が物顔で村長室に入っていく。そんな姿を目にする職員に対して何を思うかと察すれば、愛想を振りまくへつらいを想像するだけである。         平成29年11月18日  
  
   院政は浸透していた
 職員が熊谷村長を見ていない。岡庭一雄の操り人形としているのでありました。
慣れというものか、それとも考え方を持たないのだろうか  岡庭の指示に従いすぎていた者は疑問を抱かないのも事実であろう。
 驚いたこと
顔見知りの課長と職員であるから普段通りに話せるか?と言えば、それはやはり無理なこと。特に10年前のいきさつをある程度知っている職員ばかしで有り、そこにはやはり気まずいものも有る。
公開質問状のリニア社会環境アセスメントに対する疑問を口にしても、意に返す様子は余り感じ取れない。どちらかと言えば「何か問題でもあるの?」「何処が不正の?」 やるべき事はきちんとやっているし、村政懇談会による熊谷さんの質問にもきちんと答えてきていますよ。 てな、感じでありました。
担当職員には大きな裏付けが有ります。それは、議会で承認されて進めた事業ということであります。
岡庭一雄に指示され、岡庭一雄の考えだけで進めてきたとしても何一つ疑問を抱いていない。それが当たり前の務めだと思っている。それこそ、「何か問題でもあるの?」でありました。 平成29年11月19日  
  
   答えを持っている
 疑問に感じていない者に何を聞いても無理なことではあるが、確信犯はそうでは無い。
岡庭一雄や熊谷時雄を確信犯と決めつける根拠とは、根回しであります。
たしかに、政治とはそう言うものであろう。しかし、そこにはうがった考えがない事で始めて行っても許される根回しで有り、それこそが政治というものではあるまいか。
 根本的に違う
二人はその様な政治と無縁だと言うことだ。政治に思想を持ち込むので有るからして、根本から間違っているのです。
思想を中心に置き、同じ考えを共有できるものだけを周りに配置する。前もって仕向けるのであるから根回しなんてものでは無く、策略と言うべきものでは無いのか。
 議長が思いとおりに動くとすれば、あとはどうでも良い議員ばかしでも構うことは無い。自ら二人にすり寄っていくからである。
リニア中央新幹線阿智村釈迦環境アセスメットを作成すると岡庭一雄が言い出せば、ノータリンの議員どもはそのお題目言葉に反応し、恰もその波に乗らなければ置いて行かれる様な錯覚を起こすのであった。
あえて岡庭派を名乗らなくとも、「それは良いことだ」ふうに、賛成してきたのではあるまいか。               平成29年11月21日   
   
   修正できない
 その様な議員はその様な後ろめたさがあるはずだ。(無ければホントのノータリン)
テレビや新聞を見ていれば、共産党がリニア中央新幹線に反対をしていることは中学生でもわかることである。
岡庭一雄が共産党員だという事は阿智村の殆んどの住民は知っている。
この二つが揃えば、「岡庭一雄の考えだ」と誰れでも分ること、それがどうして阿智村の金を使う事に繋がっていくのかが不思議ではないか。
共産党議員が賛成するのは当たり前だが、そうでない議員が賛成するのはそれなりの理由が有ったと思う。
 前期の議会議員で反岡庭派・反時雄は二人だけで有った事、これであれば議会など在っても無きがごとし、あまつさえ熊谷村長に向かって、賛同を伝える異常さでありました。
(反岡庭派の議員までが賛成したという事は、すでに共産党化された役場に慣れてしまっていたのではないのか)   
   
   不正でない犯罪でないと言う者
 公開質問状にしたためた内容において、それを目にした議員の皆様はどの様に感じたのでしょうか。
まあ、未だかつて、陳情書で取り扱いが決まっても何も話が有りませんので、私としては想像でしかありませんが、それに気づく頭の持ち主が誰もいないからこそ、村長に賛同の意思を伝えたのだと思います。   
   
   バカにしている分けでは ない が
 各新聞社の記者であってもそこに気づかない状況でしたから無理も有りませんが、読み取るにつれ(場合に寄ったら・・)と思った事でしょう。 平成29年11月23日  
  
   850万円は大金では無いのか?
 議員であれば、リニア社会環境アセスメント作成に850万円ものお金が必要だと聞けば、「どうしてそんなに金が掛かるのか?」「そんなに金を掛けてまでやるべき事なのか?」と、疑問に思うはずでは無いのか   それが何事も無く通ることが住民には疑問なのだ。
 精査はやっていない
事業費の内訳さえ見ていないのでは無いのか? 岡庭一雄が社会環境アセスメントを作成しようとすれば疑ってかかるのが当たり前と思う村民が多いのに、議員は誰一人その様に考えていない。
 不要長物
岡庭が五期を望めなかった理由は何なのか? それは岡庭が金を生めなくなったからである。
保身のために水上を切り、逮捕を逃れるために時雄から離れる いわゆる仲間割れである。
気が付いたら誰もいなくなった。残るのは取り巻き議員のカスばかし
 巻き返えすにはカスを使う事、簡単な話し。共産党の講義をすれば良い     平成29年11月25日   
   
   本気で考えた
 岡庭一雄は自分にない物を求めた、それは名だった。静かにしていればいくらでも自負は出来たのだろうが、そこが岡庭一雄なのだろう。
 共産党に振り向いてもらえるにはと考えたのではないか。五期目に乗り気であっても党からさえ声が掛からなかった現実を受け入れることが出来なかったのだろう。その辺が、共産党にしか通用しないものを本気で作ろうとした事に表れている。
 共産党にしか通用しないものをなぜ議会は認め後押ししたのか?の疑問は残る。それは、反岡庭派の議員も居たからである。
今それらの議員にその事を問えば、きっとこの様に答えるだろう。「熊谷村長も同調しているではないか」とね。
 罪は無い のか?
熊谷村長を岡庭一雄の後継者として見ていた頃であるから無理は無いかも知れないが、議員としての受け答えとすればあまりにも情けない。  
  
   陳情書を受けた阿智村議会議員の皆様
 私はこの様な事をお聞きするかも知れません。今のうちに村民に恥ずかしくない返答をされるよう準備される方がよろしいかと。そして、「これの何処が犯罪なんだ」などと、自分の立場をわきまえないような質問はなさらないことをお願いします。  
  
   リニアのコーナーはここで閉じますが、決して終わらせるものではありません。
阿智村リニア中央新幹線社会環境アセスメントには幾つもの謀略が隠されています。
それらを犯罪として証明するには困難を要しますが、まだ時効となっていない事件であると確証しておりますし、少なくとも阿智村内で行われた不正の事実は立証することが出来ます。
地方公共団体であるからこそ、不正の事実を持って解決に当たることが始めて可能となってきます。
私は今後、村民にそのお願いをするときが必ず来るものと信じております。
新しいサイトへのリンク先です。クリックしていただければ直接開けます。
a-kumagai-6.com  

花桃街道整備事業 岡庭村政幾多の疑義

~ み ち く さ ~

関連記事

  1. 社会の形 ルールと法律の違い

     私たちの身近な法律は、地方自治法・民法などですが、ほとんどの方は法律自体を扱うことはなく、常識的な…

  2. 長野県 きづかない疑問と隠された疑惑 天下りの実態

     財産区とは 財産区・入会権・共有山・耕地 日本全国どこでも存在しています。 全国津々に於いてその呼…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

最近の記事

PAGE TOP