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~ み ち く さ ~

 本音で書きますので、少々、乱筆、乱文となります ♪
さて、何から始めましょう! やはり、リニアからかな!

 リニア中央新幹線の駅が、飯田市に出来ることになりました。
このことに大いなる希望と同時に、プライドも持ちましょう!
 日本の真ん中に! 日本一の駅が出来るのですよ!
(日本のど真ん中は 園原 だと云う学者はおりますが)
 飯田下伊那の首長の中で、いち早く搬出土の受け入れを打ち出したのが、下條の伊藤村長。『千載一遇のチャンス』 シビレマシタ!ねえこの発言には!
道の駅そばの城・親田地区館・コスモホール文化センター 何れもコンペにてお世話になり、私なりに見つめてきた人である。(私の事は苦手な奴、と思っているかも)
長く村長を務め、下條村を日本一にした有言実行の指導者である。村内で対抗するのは共産党のみ(下條も共産党が多い村)彼らの言葉を借りれば『商売人』だが(´∀`) なぜ日本一を成しえたのかを具体的に説明することは、報道機関が十分にしている。
私は、常に10年、20年先を見据えた哲学を真ん中に持っている人だと感じている。
 今任期をもって勇退するとのことだが、その今をもってこの発言である。 時代がもう少し早く進んだのであれば、飯田下伊那の
先頭に立っていただろう。

 下條村長の事から始まりましたから、ついでに(失礼)体験の中で感じた人を書き出します。
 大鹿村 宮下寛夫元村長
 前の事務所で大鹿村の担当であった。40年も前から知っている人であるが、村長になる前の事柄である。
私は20代、小僧である。当時はどこの市町村、地方事務所へ行っても上から目線であった。所謂役人風。 大鹿村ではそれが感じないのである。 上から下まで、農協も、商店も! 後で理解できたが、それは大鹿歌舞伎に由るところである。昔からの伝統は、昔からの気持ちも続いていることなのである。
 当時の歌舞伎継承者でもある片桐教育長が、「宮下君は立派な人である」と、部下の話をされました。 当然宮下さんのいない時であるが、私が今まで聞いた感覚のない発言で戸惑うくらいでした。
はたして村長になり、その時、その言葉を思い出しています。
 宮下村政は丁度平成の大合併が叫ばれているとき、村の将来のために大きなかじ取りをしなければならない。感情では当然非合併であるが、財政では破たんすることが目に見えている。行き場のない中で松川町に声をかけていたことは私が言うべきことではないが、それが住民投票に影響したことは確かである。
 宮下さんの立派なことは、何も言い訳せず、その責を辞任で表したことである。
岡庭やどこかの村長だった人に、聞かせてあげたい!と、思うのは私だけではないでしょう。

 年下だから呼び捨てでよいでしょう。 田中康夫
彼とは、知事時代、対面で声をかけ、手を握りながらの挨拶程度であったが、それだけで十分であった。
頭の良い男である。脱ダム宣言から、機構改革、しいては入札制度の構築、足早に去っていったが、大きな風穴を開けたことは長野県の夜明け!と言っても過言ではない。
 既得権益だらけの周りは(特に議会)自分の足元を心配しているだけで、彼の考えの真意を知ろうともしない。野に居る見識者は皆、彼の県政が続くことを願ったと思う。(田中康夫は他のコーナーで登場してきます。ここではリニアの関連のみ)
 脱ダム宣言! これが、リニアにどのように関連してきているのか!?    平成28年6月2日

  私はもてた
 「あら♥なんてよい息子」、そう、おばあちゃん (^_-)-☆
 『長野県民はバカだ!』と、去りゆく田中康夫に、長野のおばあちゃんが言った。 覚えている人もいると思うが。 このおばあちゃんに、私は二つの教えと、勇気をもらった。

 『 北 高 南 低 』   もはや、飯田下伊那の首長や県・市町村議員の言い訳の 四字熟語 
 『 サブリミナル 』  北を上にした日本地図を、いつも目にしてきた我々は、そこから受けるイメージ通り、日本の各場所各人を、[北海道:北東の寒さ厳しい北の大地、そこで暮らす人々はみんなその厳しさに耐えている人]、[石垣島はゆったり穏やかな人たちがそんな感じで活らしていそう]
 ここまで書けば、勘の良いあなたならすぐに分かるよね 分からない人は、来週まで待っててね 平成28年6月10日

 さて、来週が始まりました。
 飯田の人たちは、プライド! を、はき違えているのでは 
趣味の車VWで知り合った松本の、教養も謙虚もそなわったとても感じの良い人に、15年まえに聞いたおはなしです。
「熊谷さんに、こんな話をしてよいか戸惑いますが。飯田の、それも社会的に上に立つ人たち、こんな話を、自慢話なんでしょうかねえ~『お前はどこを出た?』って聞かれたから、『〇〇大学の〇〇科です。』って答えると、そこで会話が終わってしまうんです。どうも、高松、飯田高校を、“俺”はでているんだ!、という、なんか松本では想像もできない、なんか、へんな感じがしていまして……」                        平成28年6月14日

 長野の言い回し  「そうかい」「違うかい」  気になったことあったでしょう
そういう風土! だっておもえば・・  自分たちがつくりだしてしまった四字熟語だと反省しなければ、日本の真ん中だ! の、プライドは生まれてこないのでは
 一昨日の話、どうですか? 的を射ているでしょう
 私は、下伊那農業高校 林業科 第22期生   入試で40人中40番目の儀をもつ友は高校時代、今村真直党員が昼休み集会を校門横でやっていた。午後の授業が始まっているのに、しびれを切らし(カチン)「やい!赤い奴ら!ふざけんじゃねえ、授業料返せ!共産党ども聞こえているか!」と、二階の窓から大声あげて、机を窓から放り投げた。
 それから一週間、謹慎くらったが、こいつの授業があるときは、「くま…」と目くばせし、廊下側の下窓から抜け出す友の代返は、楽しんでやったものだ。 40番中1番は公務員、社会を的確に捉えている無二の友
 卒業以来、毎年同じ日同じ時間にみんなが集まってずうっと続く仲間は、いまは 七人の侍! と、なっていてくれる
     『大学出!お前らより、四年も先に社会を知っているんだ!』 それがプライドですよ 平成28年6月16日

 長野のおばあちゃんの教えです。  分からないから前に進めないんだ 何が解らないのか それを探すのに上も下もない  プライドを持てば自信になる!  その自信は、前に進める勇気となる!

 母方祖父 渋谷 勲
 小学校のころ、両祖父の選挙事務所を行ったり来たり 何も思わなかった
中央道園原インター  当時の飯田市長の言葉 『園原にインターが出来たら、私はパンツ一丁になって、飯田の街を逆立ちして歩いてやるよ!』 偏った人 松澤太郎氏である。

 中学の時、祖父に聞いたことがある。 「どうして社会党をやめてしまったの?」 その時のおどろいた父の顔は覚えている。
 智里村の時は助役だったそうだ。 火事で焼けた小学校は、この祖父の力で再興された。その祖父が、この人がいなかったら出来なかった と百年誌に書いてあった 当時の智里村の収入役 井原 勇(春岳すずめの絵師)この人が、戦中物資のない中で、財政を遣り繰りし、建設資金を作り出してくれた。 大野部落、曾祖母の弟である。
阿智村になってからは、本谷財産区の代表で村会に出て、長く勤めている。 
 この祖父が、園原インターを、“本懐” としたのです。 当時飯田の街では、「渋谷天皇」と呼ばれていたそうだ。

 私がこの世界(建築設計)に入るきっかけは、中央道恵那山トンネル工事での農協園原支所の移転でした。この設計を小平建築設計事務所がやっており、支所長の父が「お前は絵や数学が好きだし、車のデザイナーより良いんではないか」小平さんをおじいちゃが知っているから紹介してもらおう と、トントンと進みました。
 父が設営したのが、小伝馬町の 割烹〇〇 すき焼きなんて聞いたことしかない。卵を割ることは見様見真似、つづいて醤油まで入れてしまった。 何か話しながら見られていたが、記憶にない。 うまいから全部食べたいと卵を追加したが、祖父が「ちょっと行くか」と 五分ばかし歩いて行った先には芸者がおった!! それも二あ人も  なんか設計は、横の線ばかり引いているんでは だから 縦の線は引く前に なぞることからおぼえんとな・・そうそう それが私たちの三味線よ・・  なんかテレビでしか見たことがない世界と おとなと洒落がごっちゃ混ぜ
 小平さんが、「今度は私がどうしても」と、中央道り一丁目に 確か地下食 だったような。 こんなに女の人が、玄関前に並んで待っていた。(時間が早かった) たった一組のテーブルなのにみんな座って、ボーイはもみ上げを伸ばした少し強面だった。 いきなりショーが始まった。見たこともない歌手が歌い終わると、そのまま私の横に座った。
「あら、ハンサムな子」 この人はホステスもやるのかな?  18の門出は いきなりな 大人の世界の味わい から始まった。 (これは社会党ではむりだ)                       平成28年6月23日

 先週、40番目の40番に電話を入れた。 彼のことを書いたことの了解と、彼の考えの間違いのないこととを
「お久しぶりでございます」 正月の2日に、二次会までやったのに、半年会わないだけでこの受けは嬉しいもんだ。
 私のやり方を話したら、「面白い話しじゃないか、また、一杯飲むか。俺はパソコンあるけどダメ!来週の火曜日にくまのところ行くから」「息子に教えてもらえよ、簡単だから」  「ところで阿智の熊谷村長、くまの親戚じゃないか」「違うよ」「そうか、よく似ているじゃないか」「どこが似ているんだよ、頭か」「・・・」「禿げ上がりが似ているんじゃないよ。広いのは、“おでこ”」「おでこがが似ているんだから、“考えていることも同じ” ってこと」 事務所に来なかったから、息子に教えてもらったんだ。                      平成28年6月24日

 序に書いて申し訳ないが   清内路村原満征元村長
 女の人の好い所であるが、男の本心がわからないらしい。 惚れた男との別れ 溢(こぼ)れる涙に そっとハンカチを差し出す男の “下心” が、わかっていない。
 上清は 原、下清は 桜井  昔から難しい村
 桜井教育委員長のお父さんの村長時代。原満征助役は、約束を違(たが)えた長のことを、グッと!腹にしまい込み、村長選を闘って敗れた。
 その日、満征さんは酔っていた
 たずねた私より遅い帰宅 「・・・何もわかっちゃいねえ」と、自分に言い聞かせるように眠り込んだ。
晴れて村長になった! その前から中学校の改築は始まっていた。 あらためて挨拶した章設計(改築せずに阿智中学校にバスで通ったらどうでしょう。私は一つ山の向こう園原で、スクールバスで通いました) あの時のお願いを酔って寝てしまったが覚えていたらしい。
 まだ、合併なんて気もないころ、阿智村教育委員会事務局の林君(彼も左かな)に、「受け入れることは出来ますか?」と、確認している。                    平成28年6月27日

 清内路中学校改築工事
 中学校改築に向け設計事務所の動きも活発になりましたが、その時すでに例によって計画図がありました。
(飯田市以外の町村には建築課がありません。箱物の計画時点で技術者(設計事務所)から始めてしまいます)
 清内路村は親密している設計事務所はなく平等な窓口でしたが、この時は、原教育長が鈴木設計原君の叔父ということもあってお手伝いしていたようです。
 山間の小さな中学校でも、新築するとなれば三倍ほどの用地が必要となります。小中学校にすることも考えたようですが、最終的に十数メートル段差がある黒川寄りに体育館を建設するよう図(か)かれていた、お手伝いの図面で決めてたようです。
 一応コンペ(競技設計)となりました。行きつく先は見えていましたが、測量事務所の見解を、確かな裏付けの中で提案することとしました。 測量は建設事務所発注が8割程度です。飯田下伊那の“断層”とその想定を量りしることは出来ます。断層を知る建設事務所の片桐さんに、詳しく、“清内路断層”を教えてもらいました。「ここに体育館を造ることは無理でしょう」
 章設計は、『危険とされたそこをグランドにすること!』を、提案しました。全体の用地を1m下げることにより、用地全体が2割広くなります。その鋤土(すきど)した残土で、河川側の十数メートルの段差を3mまで押し上げ、広いグランドにすることにしました。                 平成28年6月30日

 業者の談合を暴露した人
 選定委員会で鈴木設計の案で決めることにかなりの、“躊躇”が、あったようですが、やはり行きつくところに決まりました。 当社のコンペ案にはかなりの関心が鈴木設計にはあったようで、スパイがおくりこまれています。(は、はっ!なんて笑わないでね)このスパイは二人いて、二人とも顧問(当時部長)には分かったようです。一時当社の株主でもあった明和工業の小池さん。彼は鈴木設計から明和工業に引き抜かれた大沢社長の先輩です。さぼりにはちょくちょく顔を出していましたから気にしませんでしたが。もう一人は、神稲建設の羽生さん。二人とも川側グランドに関心を寄せていました。顧問が、“それ”を感じたのが、学校長に営業したとき、「鈴木設計の伊藤さんが、『南側の低い所にグランドをつくると、冬、雪が溶けませんよ』と言っていたけど何のことですか?」と、聞かれたことにあります。
 
 建設工事が吉川建設、電気設備工事が〇〇電機、機械設備工事が飯田工業に決まる!
 と、業者入札前の週末にビラが張りだされています。そこには、新聞社にも、警察にも通報してある!なんて、物騒なことも書かれていました。 原村長は関係業者を呼び出し、『談合はしていません』との確認を取りましたが、一社だけ「うちが取ることにはなってません」と、言ったかどうかは分かりませんが、飯田工業の変な言い訳が聞こえてきました。 このことを、「そういうことをやったらまずいよ。業者を敵に回すんだから」と、さも当社がやったのではないか? と言わんばかりの電話を鈴木設計の会社から入れてきたのが、神稲建設の羽生さん。

 実際にそのビラを張った人は、確かに、警察にも届いていた。 それを知りたかったら来週、言わないでくれ!という人はいないと思いますが、できれば言わないでほしいという業者はいるのでは?        平成28年7月1日

 ビラを張った人
 ビラに書かれていた本題は、施工業者の談合を暴露することを目的としていなかった。電気設備工事や機械設備工事(給排水)の設計が設計事務所が図(か)いているのではなく、各工事やが設計図・積算している。なのに、設計料を受け取るのは二重取ではないか? それは、設計事務所の不正だ!と、書かれているのである。
 これと同じ話を聞いたことがある。平谷のひまわりの湯の増築工事の設計をしている時である。一期工事を請け負った機械設備工事店〇〇設備とでもしておきましょう。そこの社長が代わった時、引き続いてひまわりの湯が受諾工事できなかった。その時に聞こえてきた、その設備会社の社長の声と同じであった。八十二支店長から天下りしたばかりなので、平谷村の、“事情” が分からずのことだが、もっともな声であった。                                                                      平成28年7月4日

 過剰反応
 設備業者に設計させて、その条件に中学校の設備工事が請負出来るようにしている。自社がやっていないんだから設計料は要らないんではないか。公共工事でそのようなことは不正ではないか。 と、まあこんな感じの文書でした。
(そんなことで決まるような業界ではないですよ)
鈴木設計を攻撃しているわけでもないし、わざとらしく機械設備業者だけを違えているが、どちらにしても中途半端な指摘で業者や設計事務所にインパクトを与えていない。 なのに、鈴木設計は当社を疑った!? 警察も通報投書があれば調査するのは義務ではあるが、このような内容なら、“そこに目的” はない! と判断するのは当然であり、中学校の、“改築の経過” が、聞こえていくのも当たり前のこと。                  平成28年7月5日

 原満征村長退陣
 中学校が完成した。その時には覚悟をしていたのかも
おかしな議員のつまらぬ攻撃で、短気な性格が出てしまった。もう、嫌気が差していたのかもしれない、あっさりと辞めてしまった。ただ、原教育長を引き連れることだけはやっていた。それがせめてもの責任だったのであろう。
 鈴木設計の体質は、その頃だけではない。それは、そこの歴史でもある。そのことは、タイムリーでも第一設計の次に書き出す予定である。                      平成28年7月6日
(悪いことや、陰に隠れてしまった不正を警察が見過ごすことは絶対にない。それ相応(税務署)に答えは出している)

 一番お世話になった人  小平建築設計事務所 小平博一所長
 何度やっても負けてしまうコンペ(競技設計)ある日所長に言い放った。「所長!案で負けるのならまだしも、違うところで決まっていますよ! あそこに決めるために入札でなくてコンペにしているではないですか」 興奮しているのは私、「そんなことをしてまで仕事をするつもりはないよ」と、拍子抜けのような返事。それから淡々と話してくれた。
県一番の鈴木設計で大番頭だった人、同期の二名は吉川建設に引き抜かれていった。それ専門の人がいたという、夜の営業、それが一番嫌だったという。信じられないような話だったが、この人はきれいな人でよかった、と安心した。
 だから十年前の裁判前、公開質問状を見せて相談に乗ってもらった。「熊谷君、そういうものだよ、悪いことをするのは立場じゃない、人だよ。それを解決したかったら村長に成るしかないよ」「鈴木設計の体質、直るものではないよ」
 生き方を一番教えてもらった人                       平成28年7月7日

 贈収賄で逮捕
 小平設計事務所に入社した年か翌年の事昭和45年ころ、飯田市建築課長が鈴木設計との贈収賄で逮捕された。市発注設計工事に便宜を図ったようだ。今のようにニュースメディアが無い時代でも広がった。このことは人の噂も七十五日 では収まらず、とんでもない方向に飛び火した。
誰が密告した、あそこだここだ。いくら貰った、奥さんが貰ったダイヤを見せたから分かったんだ。とか何とか、そんな毎日だった。 問題は市の姿勢、ここが一番ひどかった。『飯田市の設計業務は、設計事務所協会にしか発注しない』
 そうまでして鈴木設計の道を残してしまった。 建築課長だけではなかったみたい。

 これが、『 伏 魔 殿 』の始まりでもあり、設計業界談合や下伊那町村との官製談合が通常化していくことへとなっていきました。                         平成28年7月8日

 鈴木設計の出来事
 その当時、鈴木設計は長野県一の売り上げを誇る業界第一人者でした。贈収賄が発覚して逮捕されれば1級建築士免許ははく奪され、倒産の道へとたどるのは一般の事務所、それが、何もなかったように続けられるほどの第一人者。
 しばらくは何もなかったように続いていたが、社長の健康状態により経営が厳しくなっていった。多くの従業員を抱えてはいたが、経営悪化のなかで離れるものも多くなり、吉川建設から多くの個人借り入れをしても回しに消えていったようである。                       平成28年7月12日
(なぜそんなことも? と思う方、嘘ではないよ、吉川へ引き抜かれた伊藤さんと宮下さんから直接聞いた話です)

 経営悪化   最後に残ったのは
 業績も下がり社長が亡くなる頃には去る者は去り、居残る者も最後の内部駆け引き状態であった。最終的には根石・伊藤・大澤(年齢順)の三人が共同経営する形と決めた。信金からの負債のほとんどは亡くなった社長に回したが新たな融資が受けられない。信金がだめなら八十二銀行に!と、考えても信用がない。そのためコクサイの石田社長に頼み込み、短期の社長となってもらったのだ。
石田さんの力は凄かった。鈴木設計の社長が亡くなったのに、何も関係がないのに鈴木設計で継続するのはおかしいではないか! そんな次点の大きな揶揄声も吹き飛ばしてしまった。      平成28年7月14日

 夜の営業の担当は
 根石さんは構造畑、大澤さんは2級建築士、伊藤さんは少し遅いが1級建築士になったばかり、図面は得意でない。
伊藤さんの営業は凄かった。専門で歩くし、鈴木の看板は依然と同じように通用したから楽だった。それでも町村には政治力が必要!、でもって、社会党の串原義直! 覚えきれない献金とかばん持ちを散々やった。
(串原さんのかばん持ちは他にもいた。下伊那有数の軍需産業部品製造)
(でも、飯田市長に立候補したとき、冗談じゃあねえよと、これが最後と引導渡したそうだ。冷たい人たち。この話は串原さんから直接聞いた、選挙参謀がいる前で。伊藤さんは顔も見せなかったようだ)       平成28年7月15日

 巧みな営業戦略
 飯田下伊那の各町村では串原義直を前面に出していた。その事は中島衛の陣営には分かっていた。表向きには社長の根石さんが顔を出す。衛の秘書は言った。「あそこは串原、うちには社交辞令」(中島衛の仲人親、当時の商工会副会頭斎藤酒販斎藤さんへ衛は国会から帰ると必ず報告に来ていました。だから私は秘書と仲良くなりました)
 衛の秘書はこう言った
 串原が通用しない町村には、『衛の後援会』だと、根羽村のように土建業者あがりの村長(小木曽)には業界の力、『吉川建設の力』と吉田ひろみ
(これに夜の営業が加われば、だれも敵うものはいないでしょう。これに太刀向くには夜の営業を常套手段にしなければ、あそこと宮下設計は考えてしまったのかも。桂設計やうちみたいな無骨な事務所では考えもつかないことでした)
補足:宮下設計でこのように考えていたのは宮下社長さんだけであり、社員や従業員は全く関係関与していません。特に私の元同僚は、このような考えを強く否定して悲しがっていました。  平成28年7月19日

 鈴木設計が得意な村
 南から、根羽村(小木曽村長になってから):吉川建設伊藤さんに村長の方から声がかかり、直接役場まで出向いて鈴木設計に決めている。(この話、飛ばされた今川さんから聞いた)
 清内路村:原教育長中学校改築時から。それまでは清内路出身の方が中心だった。
 阿智村:鈴木設計原君が伍和、当時の実力者渥美議長が桂設計(庁舎の設計者)に入社をお願いしたが断られ、小平設計にその足で依頼に来た、小平さんも断ったため鈴木設計に紹介しました。(渥美さんには小平設計が妨害されたことが何度もありました)渥美さんはお金にだらしがなかったから、鈴木設計さんには、“渡りに船” でした。
 喬木村:これは喬木に聞きましょう。
 松川町:昔から一番の苗代、その引継ぎは大平から松川町に移住した大澤さんの力、鈴木設計の内紛が起こったとき鈴木設計は外されたが、どっこい!地元の小さな設計事務所の裏にキッチリついてコンペで当選!
 大鹿村:これはちょっと信じられなかった。                 平成28年7月21日

 それからまたいらぬ一言を
「うちの会社に刑事が聞きに来た」 なんて言うからてっきり、宮下さんいよいよ捕まるのか! なんて思っちゃった。そしたらね、「大鹿小学校の設計コンペの時だけど、鈴木設計に決まったでしょ。あれは駒瀬助役の一言で鈴木設計に決まったんだって。」
そうなの、でもそれは無理ないよ、俺が村長だって顔してたもん。でも、それがどうしたの?
「それでね、なんで助役が鈴木設計の案を推薦したのかおかしいと思っていたら、100万円もらっていたみたいだよ」
ふう~ん、そう。それホント! 「ホントですよ」 でもそんなこと誰から聞いたの? 「・・・」 その刑事が言ってたの? 「・・・」
 (そんなこと刑事が言うわけないでしょ、刑事はあなたを調べに来たんじゃないの?)これは腹の中の言葉。しかし、お付き合いしている建材工事やの社長にもその話をしたことは、その社長から聞いて知っていたが、姑息なムジナのカジリあいにしか思えてならなかった。        平成28年7月22日

 嫌な話が続いたのでお口直しに
 ここで天竜村の大平巖村長
 長い間ご苦労様でした。 この人の魅力はみなさん共通していると思います。 そうです、あの笑顔 にこ って
村長選で戦った秦前村長が退陣するときに今度は応援してくれたそうだ。前回は、そういう訳で服部村長混乱の中で村を割らないために仲の良い二人が戦ったのかな、と思う。だから、秦前村長は大平さんを応援をしたのではないか。
 実は大平さんと父が仲が良かった。同じ教育長の立場で知り合ったが、「とっても良い人だ」父がよく言っていた。
しばらく昼神温泉観光にいたが、その時にいろいろ相談に乗っていただいた。大平さんも、「ホントに良い人」と会うたびに父の事を言ってくれた。村長になってからも何も変わらず接してくれた。そしていつものように、「お父さんはとっても良い人だった。息子は知らんけど」にこっと。
 章設計として初めて天竜村のお仕事に参加できたのは秦前村長の人柄です。二人の笑顔や接し方は全く持って同じに感じた。誰かれなく同じように、嫌味のかけらも感じられない二人の村政は、東の最南端天竜村を努力と知恵で継続してきたのではないかと感じる。 どうしてこのような方たちが阿智村にいないのか? 残念でならない。                                             平成28年7月25日

 なぜ!? 『 北 高 南 低 』 になったのか
 これは長野県の姿勢、特に長野平の方向性
長く続いた西沢権一郎・吉村午良の県庁行政はすべてが長野平の為だけにあった。 このことは少し年配の方で長野県の歴史に詳しい方ならご存知だと思うが、飯田下伊那の県会議員を経験すれば否応なしに感じることでもある。
市会議員や町村議員もこのことを勉強してからでないと陳情しても無駄ですよ。

 松本県 松本の人たちはこう呼びます。テレビでもやってましたよね! 
北信が自民党  東信が民進党  そして松本市長は革新系! このような構図が出来上がってしまいました。
飯田下伊那の人たちは本当にお人好し 三地区のしのぎあいで、飯田下伊那なんか眼中にないのですよ!
だから、中島衛は民主党に鞍替えをしました。だから、吉田ひろみは自民党のままで参議院を目指したのです。
宮下一郎は(創平)長野よりの自民党! この人を応援しても、北高南低は解消できません。その証拠に、伊那市長がリニア飯田駅に反対したでしょ!                平成28年7月26日

 この松本県は
 長野県の歴史はネットで検索すれば良く分かりますよ。この長野と松本の確執はいまでも確実に存在しています。
長野平の天下(県庁)取りを維持してきたのは長野市であり、長野市長は絶対的に自民保守系でなければならないのです。前市長、鷲澤さん。あの人の顔、好きな人います?飯田で ( ´艸`) ここは女性の意見でないとね
 衆議院議員小坂憲次
 小坂財閥、代々政治家一族でもある。(これもネット検索すれば分かります)また、信濃毎日新聞社の創設一族でもある。だから信毎はれっきとした右寄りなのである。 なのに、左寄りの記事、それもねつ造した記事までも掲載して県民を陥れるのか?  これに最初から鋭くメスを入れたのが、田中康夫知事なのです。誰も手がつかなかった聖域に!                   平成28年7月27日

 記者クラブの廃止
 記者クラブと言えば聞こえは良いが、実際は西沢権一郎や吉村午良知事の広報担当信濃毎日新聞社の独断場であった。
全国紙を下に置いての独断場は、如何に信毎に力が有ったのかの証明でもある。それもそのはず、県の広報は長野平の発信であり、長野県の言葉!でもあるからだ。(岡庭がリニア社会環境アセスメントを阿智村から発信する!と同じこと)
信毎は長野平の県民は誰一人叩かないでしょ! 松本サリン事件!ご存知でしょう。河野さんを犯人と決めつけ、えん罪が明らかとなっても攻撃を続けたのが信毎ただ一社! だから田中康夫は河野さんを公安委員にしたのです。                             平成28年7月28日

 村井知事になっても記者クラブの復活は果たされなかった
 こう書くと、村井知事と信毎の約束事であったかのように思われるかもしれないが、まあしかし、信毎の方は当然期待したと思う。 でもこの復活はなかった。田中康夫の考えが村井より数段上で判断していたからで、村井はかすかにその思いがあっても、復活させる要素が何もなかったのである。 県の考えは長野県全体から示されるものであり、長野平の信毎が、松本県と確執の中で記者クラブを仕切ることは許されない!といっているのです。                       平成28年7月29日

 名刺折り曲げ事件
 テレビニュースでしか知らない、県庁職員に名刺を折り曲げられた。 田中知事が職員に否定された! と見ていた人のほとんどはそう思ったままであろう。 実は全然違うんですよね真相は。

 田中康夫と報道機関の関係が、その根底に渦巻いていたのです。 田中康夫は頭の良い男である。こんな他愛もないアクシデントでも利用してしまう。 県庁内の既得権益だった職員派閥を暴きだそうとしたし、また、中央の報道機関を従えて長野県の確執を刺激しようと考えたのでは? と、推察できるくらいの回転の速さである。
 長野平は多いに焦り、田中康夫を全面的に攻撃することに血眼となっていった。
  その先鋒は信濃毎日新聞                         平成28年7月31日

 田中康夫の功績
 脱ダム宣言! これがリニアにどのように関連してきているのか!? と前段で書いた。森林税で少し書き出しているので、そちらを読まれた方は想像できていると思います。
 脱ダム宣言は、長野県の奥山々が保水能力十分な樫木(ブナ・ナラ等雑木)または天然針葉樹で自然のまま残っていれば造作もなく出来たこと! それが根の小さな人工林(杉・カラマツ・桧)で覆いつくされている現状、であるから災害が頻繁に起きてしまう。それを食い止めるために治山治水にお金をかける。それでも繰り返される水害に県民は不安を抱く。『それはリニアの搬出土処理に問題がある!災害の恐れがないとは言えない!だからここを土捨て場とするな!』
経済消費を優先し、林業業を壊滅し、目の前の対応だけで行ってきた県の森林対策。天下りの連中を肥やすだけの団体を、無駄などころか悪益しかない団体をいくつも造ってきた。そして長野県の山を、台無し! にした。  その事を県職のみんな知っているのに触れもせず! 田中康夫だけを非難した。 せっかく問題を定義しているのに、だから、長野県民はバカだ! と言われるのです。それも身内から。 情けないと思いませんか? 特に飯田下伊那のリニアに反対する共産党の皆さん! あまりにも恥ずかしい!でしょう。                                平成28年8月3日

 田中康夫の功績 その二
 記者クラブの事は他のコーナーで書いたが、田中康夫にとって長野県は、『なんて時代錯誤の県なのだ!』と感じていたのではないかと思う。
 県職員の意識改革 これは大変な事である。それをやろうとするとまず職組が当面の相手、教職員一同も絡むから、それはそれは想像してもつかないほどの事。
橋下徹が大阪府知事で混乱したことを思い出せば話は分かりやすいのではないかな。 田中康夫はそれを 説く ことでなく、機構改革でもって進めようとした。 最初の一歩は長野県機構、各部署・課の名称変更。 彼なりの名称を付け、名前を変えることから職員の自主的な変革を期待した。のではないかな。
 でもそれは、職員が数十年続いた慣れ親しみ過ぎた状態では混乱から始まる事となっていく。県職の、特に県庁勤務している職員にはそれなりのプライドがある。 いままでこの部のこの課の中で頑張ってきたと言う自負もある。そして一番内に秘めているプライドは北信の!のプライド。サラブレッド!とでも言えば分かりやすいかな?
県職の誰でも聞いてみてごらんなさい。地方事務所でなく県庁に戻りたい!と言うのでは ( ´艸`)      平成28年8月5日

 阿智村の同年生
 同年で村会議員になったのは、上原耕平と倉田博文の同級生二人。倉田は一期でやめてしまった。 同年会の時、どうして辞めたのよ!?と聞いてみた。「四人組みにいじめられて・・とても堪ったものではなかった。」四人組み?時雄と耕平は分かるが。 すると隣にいた秦野(亡)が、「○○と○○、おう、酷かったみたいだなあ」と                           平成28年8月6日

 阿智の郵便局長
 彼は中学の同年生、クラスは違うので話をした記憶はありません。そんな彼に先日電話をしました。いきなりな電話に害したのか、岡庭前村長のことで、と言ったのが気に障ったのか分かりませんが、「はい、何でしょうか。」「不正があるんなら警察に言えばよいじゃないか!」「告訴でもなんでもすればよいじゃないか!」「そんな誹謗中傷して何なんだよ!」「俺は郵便局長だ、郵便局にそんな誹謗中傷の話をしてくるなんて、そんな話は警察にいう事で俺に言うことじゃあない!」 いや、唐突だったから無理もないが、実はサイトの案内なんだけど見てもらえたらな、と思って、「そんなことは上原耕平や倉田だって村会議員をした同級生に相談すればよいではないか!」「今ちょうど耕平が来た。変わるから話せよ!」 いや、彼に話すことじゃない。サイトを見てもらえれば・・それだけなんだけど、「分かったよ、見てほしいなら見るよ。」でも開けないかもだから案内を送付するからFAXを教えてくれ。       平成28年8月8日

 先代の阿智郵便局長
 私はこの人の方が親しいです。中学のころ、カメラを片手に祖父清氏のところを何度も訪れてくれました。
吉次が住んでいた長者屋敷にある家だから、吉次の末孫(ばっそん)ではないか!?義経の一族ではないか!? 園原の伝説に非常に興味を持たれていた。園原の史跡を観光案内してもいて、長者の池に来るたびに私に、「これが吉次の末孫だよ。」なんて何度か出汁に駆り出されていました。
 だから11年前、発掘された遺構を壊してビジターセンターを建設することはどう思う?と、葬式の席で一緒になった時聞いたのです。 「そんな馬鹿な話は有るか?どちらが大切か比べることもないよ!」と言ってくれたので、(ああ、お父さんと一緒だな)そんな気持ちから、今回も相談しようと電話を入れたのですが
 電話をしたとき、「耕平がいる!」と言っていたから一方的な話しか聞いていないと思います。でも、このサイトを読んでくれたなら、きっと、分かってもらえると思います。      平成28年8月9日

 阿智村の社会党
 今の政治の世界では社会党は存在してないですね。社会党が社会党でなくなったのは、土井たか子と北朝鮮の関係が明らかになるとともに、村山富市の暴走が決定打になったみたいです。
 あちらの国の人が日本の政治に関与はしていても、政治家になるためには日本人になる必要があり、そうしない人は宗教で持って人々に影響を与えようとします。 まあ、あまり難しくしてもなんだから結論的に言いますと、社会党にはイデオロギーはなく、また明確な政治姿勢もありません。
 そんな政治団体が存在していたことにより、国家を否定する共産党までは無理!という中途半端な政府攻撃姿勢をもつ人々が社会党に参加してきた経過がありました。そしてそれは南信にも多くの社会党員が存在してきた歴史になっています。
 その社会党員が岡庭村政の三期目に議会議長となったのが阿智村の不幸の始まりかもしれません。平成28年8月10日

 社会党であれば
 真っ先に行わなければならない事、それは職員労働組合への復旧
労働者の権利を前面に出しているのが社会党ではなかったのか。それが屋台骨ではなかったのか。阿智村の異常性をどうして社会党は正せれなかったのか?!
 これだけは分からない
社会党に肩入れしていない住民にとっても理解できない事であろう。飯田市の社会党も社会党市議も、隣接の阿智村の異常事態に気づいていただろうが何も手を差し伸べていない。 共産党を向こうにまわせるほどの力がないのか、岡庭や時雄が恐いのか?!それとも、例によって、『 飯田市の議員だ!』の認識か? つまらない人たちだ。
 その程度ばかしの政党だったから
岡庭一雄にひれ伏したのであろう。10年前の公開質問状での議長対応のお粗末さはこれから書いていくが、熊谷哲と若い職員の死に対しても、『 未必の故意 』が存在してしまったのではないか。          平成28年8月12日

 社会党の議長
 10年前の公開質問状を提出する前、私はこの人の自宅を訪れている。議長だからである。
結論から言うと、議長になりたくてなった人(誰もそうらしいが)それだけだった。 
 私の話を受け止められるだけの頭を持っていない。何も難しい話をしているわけではない。
『 なぜ議会は、発掘調査の報告書が示されていないのにビジターセンターの建設着工を議決承認したのですか?』と聞いただけである。 その受け応えの発言が、『 それは園原のもめ事だから、園原の議員(熊谷操)に相談してもらった方が良いのでは 』と、副議長ともども答えたからである。平成28年8月15日

 情けないでしょう
 恥ずかしい話です。 この話を聞いた人、皆さん口を揃えて言う事は、『鍬や鎌を担いでいる者が議員になっただけの話』この言葉、消して揶揄している訳ではない。 議員たる者、二期や三期出ているならば、この程度の見識は持ち合わせて当然の事、地方自治法のページを開く事は最低限の義務。
 今の議員さんたち、この時代よりレベルは下!ってことはないですよね?     平成28年8月16日

 お粗末な議員は阿智村だけではない
 どこの市町村でも同じことだと思います。お粗末な議員はお粗末な人が議員に成った。それだけの事だと思います。
こんなことを書けば、「何をエラそうに!公開質問状に相手するだけが議員じゃないよ!ありとあらゆる事を我々はやっているんだ!」と、お叱りを受けるでしょう。
 ありとあらゆる事をやるのは当然のこと! その前に、議会制民主主義が成り立たなければ、ありとあらゆる事は、何も意味を持たない事!となってしまいます。
 どんな立派な事を言っても行っても、はたまた多くの有権者の言葉を聞き入れても、たった一つの根幹を行う事が出来なければ、それはもう議員ではありません。            平成28年8月17日

 ここで面白い話を一つ
 岡庭一雄氏がいよいよ村長選に立候補を決めたときのことです。 山内村長さんの信用度、限りない状態まで落ちていた。 父が議員に成るときの公約は、『村長と議会の関係を修復したい。議会制民主主義を取り戻したい』でした。
熊谷操氏の山内村長攻撃は留まることはありませんでした。岡庭一雄氏や熊谷時雄氏(この時はひるがみの森専務)の山内村長への攻撃は陰に隠れていました。村内では熊谷操議長が攻撃している!と映っていました。 父は熊谷操氏の山内村長への攻撃の事を匂わせながら、自分が出てその関係修復をしたい!と訴えました。
 2年間、議会は平静を取り戻してきましたが、その時にはすでに、双方の派閥はクッキリとしていました。 山内村長側の議員は良心を持ち合わせている人ばかり、岡庭一雄氏を推する議員はそれなりの訳が各々にありました。
 そこが岡庭一雄氏や熊谷時雄氏のズルく汚れた考え、裏取引です。
(そんな事は絶対にない!と言う方もおられるでしょうが、心当たりが有る方の方が多いのでは)
 熊谷操氏の取引。
それは、『助役職!』 岡庭一雄氏と熊谷時雄氏が熊谷操宅を訪れて、『協力してくれた暁には!』(声が大きいと聞かれちゃう・・でも小さいと聞こえない) そんな裏の取引をしたのです。
 それは頑張っちゃうでしょう! 二人で訪問されて、そんな取引を持ちかけられたら、その気になって岡庭一雄氏を目いっぱい応援するでしょう! 熊谷時雄氏の策略とも知らないで・・ 平成28年8月17日

 熊谷操氏は悪い人ではない
 このサイトで熊谷操氏の事を批判しています。いわゆる、『 悪いこと 』を書き出しています。 そうです、操氏の行った悪いことを批判しています。そして阿智村中の人に知らしめています。
 この行為は私が避難されて当然でしょう。 言い訳を言わせてもらえれば、私は操氏の行った悪いことだけ批判しています。そして書き出してあるいくつかの中に、私では解決できない犯罪と思しきことが有ります。
 この犯罪と思しきことの幾つかは、今まで熊谷操氏自身に直接伝え、修正するようにお願いしてきたことです。
でも修正する気はさらさらなく、私を攻撃することでその矛先をかわしてきました。 そのことは、部落の中で新たな確執を生むまでになってしまったのです。              平成28年8月19日

 それでも操氏の本質は良い人です。
 だからこんな程度の事に騙されちゃうのです。『岡庭や時雄の方が上手よ』なんて、操氏の良く知っている人が言っていましたが、そんなことで済まされることではないでしょう。
 こんな策略をする人間がいる!
このことを考えてほしいのです。こんな人間に阿智村の行政を十数年任せてきた!という事を、いま、真剣に考えていただきたいのです。                        平成28年8月20日

 國破れて 山河在り  杜甫の漢詩の詠いだしであるが、社会がどのような状況になっても目に見える世の中は在りのままである! と読み取っていただきたい。
 社会がどうのようになってしまう! なんてことは有り得ない!とも思っているかもしれないが、その事に無関心であれば、既に、その様になってしまっている! かもしれないのだ。  平成28年8月21日

 行政業務
 国の出先機関である地方公共団体、そこが私たちの市町村です。 そこは単に行政業務を行っているだけです。
ですから私たちも、深く考えず地方公共団体である市町村に納税している事と思います。

 行政業務は正しく正確に行われている! 公明正大な機関である!
その様に考えているからこそ納税していることであり、そこには何ら疑いもありません。 ですからそこに間違いは絶対にあってはならないのです。                   平成28年8月22日

 助役に成れなかった操氏は
 操氏はもう議長に成れない、議会の勢力図は淡々と変わっていくものが本来の姿。それが当たり前で良しとされる事。
だから助役が最後の身の振り方であったかも。 でも、本当に信じ切っていたようだ。だからそのショックの大きさは、傍から見ても明らかだった。その落胆ぶりは父にも知らされた、それは父の盟友でもある操氏の兄からであった。
 新村長の岡庭一雄はその操氏のことを何と言ったか。
新村長の初めての議会、その夜、懇親会が開かれたという。 父と田中治彦議員と増田議員の前に来て、「俺はあんな者は、チンピラ議員なんか相手にはしていないです!」  父は耳を疑ったという、そして岡庭の本性も思い知らされた。と、私に話してくれた。(増田さんはまだ健在です) 平成28年8月23日

 岡庭一雄と熊谷時雄
 やはり姑息で気の小さい男、熊谷時雄もそうだ。実は気が小さい。そして姑息であるところも同じであるから気が合うのであろう。(時雄君は虚勢を張っている、それは父親コンプレックス)
 無二の友がいる人の多くに共通していることは、互いの心に秘密がないからであろう。それは、悩みや夢を共に語り、共に生きたひと時が存在しているからであろう。
 残念ながら彼等には、きっとそういう友がいないせいであろう。だから、金や名誉が欲しくなってしまうのだ。
 母方叔父
彼等とは全く違う、一人だけでつくり上げてきた。すべてである。だから芯が強い! 花桃も少しは父が手伝ったが、叔父一人がつくり上げた。地区を魅力ある里につくり上げた。金儲けなんてしていない。今までどれだけ地区の雇用に貢献してきたか他の人には分からないと思います。
私はそれが分かっているから、間違ったことだけを修正しようとしてきただけである。平成28年8月24日

 その間違いを修正するためには
 修正しようとしたが、その全てに岡庭村長が関与しており、岡庭が村長となってからその不正に何人もの議員が関与していた。村職員もそうである。佐々木や水上以外にも何人もいる。
 こうなってしまうと私一人では手がつかない。実際に何とかしようとやっては見たが、理事者と議会が結託しているんだからどうしようもない。
 残る手段は、たしかに告訴しかなかった。 刑事告訴すれば簡単だったかもしれない、でもそれでは結果だけが出る事で、風評として通り過ぎてしまうだけである。
そして何より怖かったのが、『 阿智村が無くなってしまう!』ことが考えられたからだ。平成28年8月25日

 村が無くなる? そんな馬鹿な
 清内路村、皆さんは阿智村と合併した! と思っているのではないでしょうか。違いますねえ、阿智村に吸収されただけです。
 清内路村の職員は知っていると思います。
平成の大合併の時に、その時すでに財政破たんしていた。国から専門職が派遣されている。 その原因の多くは、11億を超えた中学校改築工事  清内路の村民は、そんなに厳しい財政状況とは知らずに(議員は当然知っていた)子供のため!教育のため!とのスローガン化した状態。 私が、『阿智中学校にスクールバスで通っては!』なんて言っても馬耳東風、理事者側では聞く耳を持たなかった。 それはどうしてでしょうか?『箱もの!』理事者も議員の皆さんもこれをやりたいんですよね。理事者も議員も、皆さん『人の金』なんて思っていらっしゃるから                  平成28年8月26日

 そんな分けで財政破たん
 岡庭村長は当然そんなことは分かっていた。(殆んどの方は分かっていました)だから清内路を吸収合併しない方向で阿智村と浪合村の合併だけを進めてきた。
 必ず阿智村にと言ってくる。
『私たちは飯田市より阿智村を選んだんだ!』といってね。若い奴は当然飯田市だろう、そこを何とかするのが桜井じゃないか。財政破たんをしたような村、そんな村を喜んで迎えるところはない。だから条件を付ければよい。起債負債を引き受けるんだから、それ以上の身入りを条件として合併の中で扱えるようにすればよい。

 ここで面白い話
 お前はどこを出た?そう、飯田高校の話 下條も浪合も清内路(原)も 岡庭だけが除者(のけもの)それでもって共産党だから、周辺の首長は相手にしていなかった。いわゆる中良くなかった。仲間外れの感、だから                                 平成28年8月27

 清内路村は潰れたのです 無くなったのです
 原満征村長であれば飯田市だったかもしれない。それの方が若い人たちの将来を考えられることになった。
いろいろな意見はいつの時代でも、どんなことに対しても有るものだ。そしてその意見を言い合うことが民主主義でもある。 でもここで大きな間違いがあることも知っておかなければならない。 それは、若者の未来を若者が決めれない! ということである。 合併でいろんな意見が、たとえ多くの若者から出ても、実際にその意見を取り入れない。 それは汚れた大人が、それを扱う側にいるからである。平成28年8月28日

 財政破たん以外でも村が潰れる
 村は地方公共団体である。国の出先機関、県も村も同列の地方公共団体。 この団体の基盤は税金と法律
 これを会社に置き換えてみましょう。
国は企業、県はその支社、村はその営業所。 この会社の基盤は利益と法律
営業所に至るまで独立採算で営業している。 営業所の利益が上がらず多くの負債を抱えた。企業は支社を通して多額の経営支援をしてきた。それでも経営は困難となった。
 どうでしょう、企業は営業所を閉めます。 これが経営破たん、村でいえば財政破綻。
 それ以外で営業所が経営出来なくなる場合。
営業所の代表役員が、法律に違反した。脱税もある、不正行為もある、そして刑法に掛かる犯罪もある。営業許可の取り消しは当然のこと、代表役員は多くの法に違反して刑務所に。
 どうでしょう、企業はこの営業所をまだ残そうとしても法律に営業所として違反したら、法律がそのことを決めるのではないでしょうか。 村が同じようなことをしていたとなれば、国はこの村を残そうとしても法律がそれを許さないのではないでしょうか。                平成28年8月29日

 私が一番恐れて苦悩してきたことは正しく、その事
 ほかのコーナーで、『岡庭村長でなく、村長岡庭が行った・・』と書き出しましたが、まさしくその事です。
贈収賄は、岡庭村長がやった事 ですから警察が捕まえるのは岡庭とお金を渡した本人。 村長でなく岡庭一雄個人
お金を渡した人が仮にS設計のI氏だとすれば、S設計ではなくI氏個人 ということになります。
 鈴木設計と岡庭一雄村長(水上宗光参事)を官製談合で私が警察に告訴すれば、警察に捕まるのは原君でなく鈴木設計
書類送検され確定すれば、鈴木設計が潰れます。 岡庭一雄と水上宗光は個人として起訴されることになります。
 契約不履行での裁判
民事裁判ですが、章設計が勝った場合は岡庭村長個人が負けたことではなく、阿智村長が負けたことになります。 この事は、行政団体としてあり得ることではなく、国は阿智村を機能しないと見なしてつぶさなくてはならなくなります。
ですから、裁判官が和解勧告を出しても弁護士は勧告不要として裁判を続けることになったのです。 平成28年8月30日

 負けなければならない裁判をすることは
 10年前の公開質問状を提出したときから、そのように考えていた訳ではありません。議会が解決してくれるものとしてました。熊谷時雄氏が鶴巻荘の改築反対を唱えて公開質問状を提出したときは、議会はおろか村長までそれに従って鶴巻荘の改築を中止したほどですから。
 議会ではビジターセンター建設を中止しなっかた。
民間旅館が言いがかりを言ってるだけなのに鶴巻荘の改築は中止され、片や、不正や犯罪があるにもかかわらず、まして遺構を壊してまで建設する暴挙を認める。 この違い 何処にあるのでしょう?
 もっと変なことに気が付きませんか? 住民の皆さんは!
不要とされた鶴巻荘 今も立派に残っていて、尚且つ、基金の積立金5億円をすべて吐き出して改装修理されました。その設計は鈴木設計が特命で受諾しています。(改修金額2、3億程度、残り2、3億円何処にいったのでしょう?)
その上、公社運営をわざわざ廃止し委託管理者制度として(これも岡庭と時雄の謀略)岡庭一雄の取り巻きを株主とした経営母体(ここにも党員が多数いるとの話)を作らせ、議会(時雄議長)がそこに決定して経営させている。
 振り返ってみてもつじつまの合う話しでしょうか? なぜ村民はそんな事に気づかないのですか?   平成28年8月31日

 官製談合と解かる議員は当然いると思った
 官製談合と解からなくても、何をどう受け止めても、中止とされた園原資料館を、名前だけを代えて保存するとされた遺構を壊してまで建設しなければならない理由は何もない こんな事、鍬を担いでいる議員だって分かるでしょ!
 そんな馬鹿なことを議決する議会なんて。
もう査問機関が機能していない。阿智村が地方公共団体として機能していない。
 ではどうしよう? みなさんならどうしますか?                平成28年9月1日

 共産党の恐ろしさ
 共産党とは!と何度も書きましたが思想団体です。ですから、社会においても彼等の基本は法律でなく思想でもって判断されています。
 その代表的な例が、残念ながら阿智村なんです。
岡庭一雄と熊谷時雄を見れば一目瞭然でしょう! 二人の考えだけで阿智村という地方自治体の行政をしてきたことは、良し悪しは別にしても 『 事実!』ではないでしょうか。

私は地方自治法など日本の法律の範囲で全ての事を行ってきました。

岡庭一雄・熊谷時雄・水上宗光・佐々木幸人 この四人がとった行動は、法律を無視し私を攻撃してきただけです。

私は一度も自分が正しい!とは言っていません。愚かなる彼等の行為を、法で対応してください!とお願いしてきただけです。                             平成28年9月2日

 行政が機能しないとなったらどうしますか?
 私の公開質問状はどのような判断をされたのでしょうか? 質問に見合う対応をしていただいたのでしょうか?
 質問した内容は犯罪を指摘している。
これが議会側で解らない、理事者側も気付いていない。 その様な状態であれば、どうしたら良いと思いますか?
私は迷いませんでした。この程度の対応であろうとして、どうするかは既に決めていました。平成28年9月3日

・・・・ 既に決めていた行動は 今週 阿智村 岡庭一雄前村長の不正 のコーナーに書き出し始めます ・・・・  

 阿智村60周年記念式典が開かれます。 そして9月9日から議会が始まります。 その議会が最後の機会です。

 議員はおそらく何もしないでしょう。議員の皆さんは不正や犯罪が在るとして理解はできたかと思いますが、それを正すという議員職責を誰一人として行おうとしません。
 基本的に何も理解出来ない議員も数名居りますが、理解出来ても『俺には関係ない!』後二カ月静かにしていれば議員改選だ、という議員も居ります。
 共産党員は隠れを入れて4名います。それは飯田下伊那共産党支部から指示を受け、今回の議会でこの件を取り扱わないように決めております。

 私に、『警察に告訴してくれ!お前がすれば良いことだ!』という議員がいます。
『警察に告訴してほしい!』という職員もいると聞こえてきました。
 この事を知っている住民の多くも、『それを望んでいるようだ!』 とのこと

 上記に書きだしてあるように、『阿智村の議会』がこのような状況で、私が警察に告訴したらどうなるでしょう!?

 このサイトをご覧いただいている皆さんは、もう、『どうなるのか解る!』と思っていただけたと思います。

緊急報告                                             議会の対応

9月6日   阿智村 岡庭一雄前村長の不正 のコーナーに昨日と本日に入りましたコメントへの返信詳細

公開質問状に対する阿智村議会議員の対応 9月2日 の状況

議会側の結論  議会たより (冊子)においてその旨を村民に報告する。
内 容     この質問は多岐にわたっており、また十数年にも逆のぼっている事からして短時間で調査を行うには困難です。9月の議会では一般質問のほか追加予算審議もあり、そのような調査を行うには時間的においても対応出来ない。

 以上のような情報が入りました。 みなさん どう思いますか?
常識ある議員は、公開質問状が提出された時から対応しており、議長に再三 “それに当たる様” 提言してきたと聞いています。 その議員は二名だけです。この二名には質問状を提出することを事前に打ち明けております。だが、この二名とは役場の前と中で一度しかお会いしていません。また、電話にても何も接触はしておりません。
 この二名は調査云々ではなく、議員個人宛でも内容からして議会で対応すべきことではないか! として、行動してきております。 議長に何度言っても無視されつづけ、ついには堪忍袋の緒が切れたようで一般会議にも出席しなくなったと聞いております。
 私としてはあきらめてほしくなく、たとえ最後のお勤めとしても貫き通していただきたい! と考えております。
そうすることによって、万が一の事態が起こった時に 議会を守る 結果と成りえるからです。

 このような内容で議会たよりに掲載されてしまえば、これはもう公の事と判断され報道機関は一斉に記事にするでしょう。
報道されてしまえば、それはもう告発と同じこと、警察の捜査が始まるかもしれません。 そうなれば阿智村の議会では解決できなかった、との結果だけとなり、議員の皆さんは辞職することも再選してこの事に当たろうと考えていても、それはもう許される事ではありません。場合によっては、刑法 “犯罪ほう助” となるかもしれません。                          平成28年9月6日

 議会たよりに掲載されるなら
 村中の人に知れ渡って、それの方が良いんではない? そうしないと村民が立ち上がらないじゃん
なんて言われる方もいました。また、お前はかき回すだけが目的なんだから、なんでお前が文句を言うんだ! とも思われるかもしれません。
 考えてほしいです、こんな事  地方行政団体で前代未聞! 前代未聞の不正があり、前代未聞の議会対応です。
村民すべてに知れ渡れば、それはもう風評どころの騒ぎでなくなってしまいます。 混乱が起きてしまう可能性の方が大きいでしょう、それでは村が機能しなくなってしまいます。
 どんなことが有っても。
議会が解決しなければなりません、それが社会の形です。議員は村民の代表です、その代表が村民の声を届けています。
どんな事であっても、議員が対応して対処しなければならず、それが議員の職責です。平成28年9月7日

 議会がなぜ対応しないのか考えてください。
 なぜ議会は対応しないのか? 
1. 議員個人に出された質問状だから、議員個人の考えでよいとしている。
  私が議員個人とした理由は解っていないと思います。(これは後日説明します)
2. 議員さんたちはそれぞれ考え方が違う。
  議員さんたちは、4グループに分けて考えてみてください。
  共産党員及びそう思われる議員    四名  高坂議長と他三名の考えは違うと思います。
  岡庭一雄・熊谷時雄と関係が深い議員 数名  特に二期生以上
  その他               数名  一期生中心
  常識ある議員            二名                 平成28年9月8日

 高坂議長
 この方は多くの問題を抱えています。 まず、議長の役目!を知らない。その次に共産党員であること。そして一番の問題は、岡庭一雄・熊谷時雄と共に行政に関与しすぎたこと、言われるままに行動しすぎました。

 考えれば解ります
 公開質問状で明らかにしている犯罪と思われる事項、特に、リニアアセスメント以外、これらについては共産党とは直接関係がない。 その関係ないことの一つに直接関与してしまった。
仮橋の架け替えにさいし橋の先荒廃地の農地化、この作業費用補助金の不正増額を時雄氏の言われるままに職員に、「議会では承知しているから」と指示した事。

 この事が私が村長に渡した文書で明らかになってしまうとして、時雄氏に会っている。平成28年9月9日

 考えれば解ります その二
 一昨年、熊谷時雄氏は自治会長であった。その立場を利用して仮橋の架け替えを地元要望として正式に要望したが、この地元要望が、『 嘘 』であるとのことは承知して議会に諮っている。
 そうして進めたことにより、以下のように長野県の指導に大きく影響を及ぼしている。

 県農政課の対応
 窓口は地方事務所農政課であるが、月川旅館の架け替え要望である事は承知している。(十数年に渡り飯田建設事務所に要望されていた事実からして)
阿智村の五ヵ年総合計画に組み込まれ中山間事業として計画されていても、その計画の立ち上げに疑問があるのに事業化を受け入れる事は、その様なやり方が通常化している!(補助事業目的に合わせる)と見られることに成り、併せて、その補助事業目的に合わせる整備事業費にも不正が有るとなったら、『県には何も不手際がない!』と言ってはみても県民は納得しないだろう。 そしてこれの報道が先に成れば県の失態は明らかとなり、今度は県民に陳謝するだけでは収まらない危険性がある。  平成28年9月11日

 高坂議長の強気
 「県が指導してくれて補助事業となったのです。」「中山間総合整備事業、農業生産性の向上のため荒廃地を農地として整備せよ、補助事業の目的に合うように指導してくれたのは県農政課です。」
 このように議員各自に伝えており、「だから県は大丈夫です。章設計のブログに振り回されないように無視しなさい!」と、号令をかけました。
 これで二人の議員以外はそのように無視してきましたが、二人の議員は納得せず、直接議長に何度も詰め寄った結果と、良識ある住民の声でさすがに無視し続けることが困難となり、議会だよりにて状況を報告する!というはたまた考えられないような暴挙と相成りました。         平成28年9月12日

 考えれば分かります その三
 それだけでない高坂議長 『共産党からの指示』
政治の世界、この中で “ 不正 ” を、正面から追求する政党は確かに共産党しか存在しないであろう。
たとえ実績が有る岡庭一雄党員であっても、不正どころか犯罪を犯していると思われるのであるから党として許すはずは 絶対に無い! これは誰しもが断言できることだろう。
 ではなぜに、高坂議長に足止めをさせているのか?
公開質問状でリニア以外に関しては共産党員として関与、または不正・犯罪を犯している訳ではない。 ここだけであれば、当然共産党が党として粛清しなければならない事であり、とうに告発しているであろう。   平成28年9月13日

 ではなぜなのか
 公開質問状の主項目ともいうべき、『リニア中央新幹線 社会環境アセスメント』の設置及び進め方 
この事の設置目的、調査した内容、調査報告書のまとめと見解、費用の検証無し、報告会の仕方等です。
 法律は個人が判断することではありませんが、私は幾つかの法律に抵触するのではないか?と、考えております。
リニア中央新幹線社会環境アセスメントに関しては、全面的に共産党が関与どころか全てを行っております。この事実の中で、法律に抵触する恐れが有る!と、共産党自身が判断しているのだと思います。       平成28年9月15日

 そう判断しているからこそ
 私は議会議員に公開質問状を提出しました。住民は、議会だけでなく村長にも質問状は提出できます。
なぜ村長にではなく、議会に、それも議会議員個人に質問状を提出したかこれでお分かりいただけたかと思います。
 議長は共産党員。
議会宛でも議長あてでも、高坂さんが党員であればこの質問状は絶対に取り扱われない!と判断していました。
他にも党員が居ることも知っていました。そして岡庭前村長と利害関係でつながっている議員もいます。1年生議員では何も分からないでしょう。
 であるからして、岡庭一雄前村長と熊谷時雄元議長の村政への不信・不正を知っている二人の議員に期待して議員の皆様 としたのです。                       平成28年9月16日

 何も分からない1年生議員は
 議長発言があればそれに従うものだ!との程度だろう。中には公開質問状そのものの取り扱いが知らない者もいると思います。 その様な状態で有れば、議会でなく議員とした理由を説明された場合でも、そのすべてを把握するに至っては期待できるものではない。
 問題は二年生議員以上の者。
この人たちは丸々岡庭村政の中にいた、それも岡庭べったりの駒。 これらの議員は最初から受け付けない、または受け付けられない状況にいるのではないかと思います。         平成28年9月17日

 議員全員に言えること
 仮橋の架け替えは、熊谷時雄氏が議長の時に中山間事業として組み込んだと承知している。その目的と効果を精査せず、言いなりとなって承認した。 
 議員を辞めた熊谷時雄氏は、翌年副自治会長の立場で橋の架け替えを、『地元要望』として上げてきたとき、それは中山間事業に組み込んだ時の県側条件の一つだと認識している。
 一昨年、時雄氏が自治会長の立場で橋の架け替えを、『地元要望』として正式に上げた時に、それが本当に地元の要望となっているか? の確認をしていなかった。新人議員も、5ヵ年総合事業計画の一環としての既定路線程度としか考えておらず、何一つ、議員としてやるべき精査・確認をしていない。               平成28年9月19日

 県側の条件のもう一つ
 中山間事業とするために無理やり荒廃地を農地に変換している。その内容もまたお粗末なもの、菜の花を植えて農地だという。 これが県の条件で、これが県の指導!だというのだ。
 この事だけを取り上げても、まるで大北森林組合の不正受給と同じこと! これを問題にしなくて、大北森林組合の件の何が言い訳できるのであろう。                 平成28年9月20日                      

 これが有るから、阿智村議会の議員は強気なんですよ!!! 高坂議長を始め、岡庭や時雄に組する議員はね

 もう一つの不正受給
 菜の花を植え付ける  中山間の補助を確定するための、この整備事業  村はどこに発注したのでしょう?
そもそもこの整備事業を確定する以前から間違っているのだからどうしようもないが、橋の架け替えが仮にも地元要望として自治会長から提出された!という事実に基づいて事業化を進めていかなければならないのではないか。この事が虚偽であるかどうかはさて置いてもだ。
 自治会ではこれ以上のこと出来るわけがない。
菜の花を植え、無理やり『農地と見なそう』としている訳なのだから、より確実に慎重に進めなければ、県の配慮さえままならぬことに成る。 会計検査院が現状を見れば、その不自然さは明らかなことであるからだ。ここまでお粗末だと検査院は横を向くことさえ出来ない。         平成28年9月21日

 菜の花を植え付ける
 この事を実行しようとするならば、まず第三者を介在させる事。議会側、行政側から引き離し、専門知識のある者を選択しなければならない。 “ 菜の花 ” これを農業生産品目と指定し、その生産性計画書を作成、この収支計画書を確かなものとしてから始めないと、会計検査院には通らない。こんな事は、たとえ村職員にその能力がなくても県職なら当たり前に指導すると思います。
 それも成されていない。
信じられない。民間に於いても経営の基礎となる収支計画書を作成しないなんて事はありを得ない事、議員の皆様の見識の低さがここでも明らか。 『形だけの施工だから』『菜の花なんだから』と、職員もさることながら、関係皆さんがその様に最初から捉えていたのではないでしょうか。  こんな程度の議会がもう恒例化してしていたとの証明ですよ皆さん!!!              平成28年9月22日

 農地の生産品目
 農地をどうのこうの?!ではなく、荒廃地を農地にするのですよ。 農地でないところを農地にするのですから、農地に見えるように手当をしていたんではどうしようもないでしょう。

 次の不正
 “ 菜の花の植え付け ”  その事業を自治会長の立場と月川旅館の社長である熊谷時雄氏に発注する!
この事、どなたが承認したのですか? 熊谷村長でしょうか。 熊谷時雄氏に賛同する議員の方と高坂議長ではありませんか?                             平成28年9月23日

 熊谷時雄氏が進められる訳は
 熊谷時雄氏が一般住民であったならば、何も、誰も対応しようがありません。その事は彼自身が重々承知をしていることであり、だからこそ立場を先につくり上げて着々と進めたのです。(これが彼の筆法)
 当然地元の議員は抑えられています。その他の議員も彼につながりがある議員が居ます。彼とつながりがある議員といえば、この人たちも岡庭一雄氏と深い関係に在るべきと考えてしかるべきでしょう。
 村に陳情する。
一般住民で有れば、“ その事 ” は、自治会を通してお願いしていこうと考えます。他の地区はきっとそうでしょう。
岡庭一雄氏が村長に成って最初に手掛けた事は、議員窓口陳情の廃止です。自治会組織を作り上げると同時にこの事を徹底しました。                          平成28年9月24日

 彼等二人の作戦
 『議員窓口陳情の廃止!』 岡庭村長がこのように発令した! この事に大きな疑問を持った住民の殆どは、今までの正常な阿智村を見続けてきた人々だったと思います。
 共産党の考えそうなこと。
議員は住民の代表です。住民の生の声は議員を通し行政に伝えられるのが正常な社会です。 だからこそ、地区代表議員が必要であり、部落会を経て議員にお願いして来ていたのではないでしょうか。
 共産党の本質が出始めた。
これからの阿智村は、住民組織として自治協議会を設置します。住民に主体性を持たせ、議員は地区代表で有らずして阿智村全体の事を考えて活動していただきたい。           平成28年9月26日

 どうでしょうか、これは民主主義でしょうか。

 自治協議会とは
 自治協議会とは何だ!? これは必要な組織なのか!? 部落会や村嘱託・委嘱はどうするんだ!?
当時このような問題に直面しなかったでしょうか。 智里西地区では何も問題化せれることなく、これからこうなります!と一方的な報告だけでありました。
 私は当然異論が有りました。
この事、だれが・いつ・決めたんですか? 部落会の中で発言しても誰も取り上げてくれません。
熊谷操議員が、「これは村長が決めた事。」 部落では知らないうちに検討委員が決まっており、「この事では俺が園原部落検討委員となって何回も会議をしてみんなで決めてきたことだ。」トロくさいこと言っているんじゃないよ! こんな感じでした。                 平成28年9月28日

 飯田市とは違う大きな問題
 飯田市も南信濃はそうかもしれませんが、阿智村にはもともと部落会が有ります。 部落会がそのまま自治協議会に移行するのであれば何も問題ないでしょう。 でもそうではありません。まったく別のもう少しい大きな地区一括りの組織をつくることになります。
 自治会は会費制だという、年10,000円の会費だという(時雄君が決めた事) 園原部落は12,000円の年会費で運営しています。そこに新たに年10,000円の組織をつくるといいます。であれば、各戸、年22,000円の負担となります。
 こんな事を一方的に決めつけられてきて、それも村が決めた事、運営の仕方、会費額は各地区で自主的に決めるように、それが決まったことだ! としての結果報告。
 こんなバカな話が有りますか?
こんな事を、何も議論しないで決めるやり方がおかしいでしょう。 私の会社は飯田市です、常会のお付き合いをしてきました。 当時は年7,000円、常会が自治協議会となっても会費を納めることは今までと同じです。
それ以外にお金の要ることは有りません。 ですからこんなやり方で一方的な報告ではだめですと意見を言うのですが、帰る言葉は倍以上の否定の言葉、聞く耳持たない! ってことです。
 総務省が条例化して進める基本骨格は、自主的な組織化です。村が横並びに進められることではありません。
組織化を先行しすぎたために、目的や効果が十分に検証されませんでした。(こういう事が問題なのです)平成28年9月30日

 それで有れば直すしかない
 私が部落長に成るまで待ちました。 当時の自治会役員は各部落長でした。(この事も反対しております、部落と自治会は違う組織ですと)
 私が部落長に成る、そして自治会役員として出ていく その事を知った時雄氏は、農間部落の部落長に立候補して(前代未聞です)自治会に出てきたのです。 村会議員の立場でありながら、自治会の役員となったのです。
 信じられますか?
自治会の役員構成は正しく時雄氏の独断場
・自治会長は戸沢部落長の○○氏(党員) ・副は横川の○○氏、年輩だから(部落長でない) ・会計は俺がやる ・章文と中央部落長は今回初めて自治会に出てきた、よって部会の長をやって経験してくれ
 呆れちゃうでしょう。村会議員が自治会役員のそれも会計をやろうとするんですよ?! 平成28年10月2日

 だから当然言ってやりました
 村会議員が、会計やって問題ないの? そうしたら何と!? 時雄君でなく自治会長に指名された戸沢部落長が答えました。「ん、それは何だ?!自治会長が任命すればそれで良いんじゃないか!」 お話になりません・・
 こんな調子ですから、一年間苦労しました。
さて本題ですが、自治協議会費の事です。 年次計画を立てるため、4月初めに集まりました。本来なら3月中にやらなければなりませんが、時雄議員の都合で先延ばしされました。
 会費10,000円は高すぎます。部落会費が年12,000円で有るにもかかわらず、別に10,000円を全戸から集めるのは負担が大きすぎます。それに強制ではないはず、決めつけで決めてきたことはまずいです。    平成28年10月3日

 他にも
 自治会費を出て行った人からももらうのは駄目です。まして、住所の無い山林所有者からも集めているなんて言語道断、早急に止めるべきです。
 時雄君の言い分。
何を言ってるんだ! 出て行った者が住所が無いっていっても家は残っているじゃないか、家が残っていれば管理が必要なんだし火が出ることだって考えられるじゃないか。山だってそうだ、木を切られていたって事も有るんだ。それを自治会が間に入って話が出来るようにしなきゃならん。 (へいへい そうですか)
 そうはいってもねえ。
管理なんてしているの?出来るの? 出来ないじゃない、空き家だっていってもその人の建物なんだし、権利や万が一の事が有ったらどうすんですか?自治会で責任とれますか? 大体そんな話は部落でやるものであって、園原部落では出て行くときにちゃんと挨拶が有って、それなりの話しと了解は得ているよ。他の部落もそうじゃないの?                          平成28年10月4日

 財産区
 ここに住所が無く、且つ山林を所有している者は自治会費を払え! その理由が山隣地とのもめ事の解決だ!
では聞きますが、山隣地の所有者が園原財産区で有ったらどうなりますか? 園原財産区で話をすることでしょう、そこに自治会が入れますか?
 極め付けはこれ。
自治協議会を初めてまだ数年ですが、なぜ?預金通帳が有るんですか?そこに別枠で80万円の貯金と有りますが、これは何なんでしょう?
 これはだなあ(時雄君の考え)
自治会だって何が有るか分からん、その時の予備費だ。急に金が要ることだってある、貯金しておいて悪いか?!                                   平成28年10月6日

 おバカ三太郎
 お話に成らないでしょう! これが彼等の本質なんです。 『協働』とはこういうものなんですねえ
16年も村長務め、4年も議長をやると、住民の殆どが、『こういう事なんだ』 村長が言うんだから、議長が言う事なんだから、村がこう言っているんだから!  皆さん慣れてしまうんですねえ 恐ろしいですねえ

 何でもかんでも
 自分の思い通りにする! 反対する者は攻撃する! 
理にかなって説明しても聞く耳を持たない 言葉に詰まると、『悪いか!?』    平成28年10月7日

 これに立ち向かっても
 このような事、部落会の中で散々言ってきました。順追って説明しても聞く耳持たない。 残念なことですが、それは無知なる故のことです。
 でもこの自治会の会議では頑張りました。
時雄君と意見交換するのは簡単な事、普通のことを言えば良いのですから。
『会費、3,000円にしましょう。』 「それは無理だ!」と時雄君 自治会長が、「10,000円をいきなり3,000円ではなあ、自治会がやって行けるのか?」 十分にやれますよ、今のように集めるお金の合計で事業計画をするのを止めればできますよ。 「今までやってきた事がやれないと困るし、そんな事を俺が自治会長の時にそこまで変更することはできない。」(やはり感度が違います)  平成28年10月8日

 それでは間を取って
 時雄君は、「それでは6,000円にする。」 いやせめて5,000円で・・「駄目だ!6,000円だ。」
空家と山林所有者は止めてもらえますか? 「山は止める、空き家は半額ならどうか、それくらいなら良いだろう。」 ・・・これが時雄君の調整でした。
 追伸。
それから数年後、山林所有者からまた取り始めたと聞こえてきましたが・・

 他地区の自治協議会は知らないが
 このような自治協議会は、その名を借りた時雄君の組織団体でした。
それも無理も有りません、息の掛かった者を自治会長にして来たのですから、そして、時雄君の案件を通そうとする時は子飼いを代議員にしてから取り組むのですから、それはもう独裁者!
 反対の意見を言おうとする者がいるとすれば攻撃をされるのは目に見えている、皆さん怖くて黙って聞いているだけの状態でした。
 意見を言って修正しようとする者は私しかいない、だから私を遠ざける事に執念を燃やしていました。
『時雄君には、村長や吉田ひろみまで付いている!』それはそれは権力をかざすには十分過ぎるでしょう。地区民どころか阿智村中の人たちも、議員さんも どうでしょう、どなたか彼に意見を言えたでしょうか。  平成28年10月9日

 花桃街道整備事業の不正は議会ぐるみ
 花桃街道整備事業の実態は、月川旅館までの仮橋の架け替え。 この事を進めるに当たり大きな過ちを犯していることは今までの書き出しでお分かりいただけていると思います。
 具体的な不正と思われること。
・熊谷時雄氏が月川温泉の要望を地区の要望としている!ことを知っている。
・熊谷時雄氏が月川温泉の代表取締役となった後もこの事業の窓口として対応している。
・県農政課の中山間事業として補助を受けるには橋先に農地が存在していることが条件と指導された後に、その条件を満たそうと荒廃地を農地化させている。
・その荒廃地を農地化させる計画を熊谷時雄氏に委託しており、熊谷時雄氏の作成した費用を承認している。
・一部実施した農地化の費用が当初予算より多くなったとして提出された請求金額を、何も査問せず認め支払っている。
・当初予算は60万、実施後は160~180万(不明)このことは高坂議長と熊谷時雄氏とが事前に話し合い、高坂議長が担当職員に指示している。
・熊谷時雄氏は、自治協議会に付属させている花桃管理委員会(別会計)でこの費用を精算し、村から受け取ったと思われる金額の行方は不明のままである。              平成28年10月11日

 すべての議員ではないと思うが
 問題点の整理
・月川旅館の要望(全額補助)を叶えるため、中山間事業に組み込む  [ 議員全てが裏話を知っている ]
・中山間事業補助枠に合わせるため偽装農地を作る          [ 県が指導している ]
・偽装農地を作る費用が水増しされた                [ 議員が関与した ]
・支払われた偽装農地耕作費用が搾取された可能性がある       [ 振り込み先未確認 ]
  平成28年10月12日

 再選を望もうが辞めようが
 議会議員であればこのような問題を起こさないために取り組むもの、岡庭一雄さんや熊谷時雄さんが行政にも議会にもいないのに、なぜ? 議員は彼等の為にこの様な事をしてしまったのか?
 その事が一番の問題です。
中には慎重に進めることを定義する議員もいたかとは思いますが、議決した事実の中では議会議員全員の責任と成っています。

 岡庭一雄氏・熊谷時雄氏を調査する前に、議員全員がこの件で身の潔白を示めさなれば成らないのではないでしょうか
で、なければ 議会にこの件で住民監査請求が起こされる事に成り、場合によっては捜査機関に告発するような事態も懸念されるのではないでしょうか。                平成28年10月14日

 任期満了までには
 あと一月余りですが、何度か委員会が開かれると聞きました。 もう議長だ!委員長だ!なんて言っていても仕方ありませんよ。 議員として最後の正しいお勤めをしましょう。
 私は質問しています。
この事、どのように理解されているのでしょうか? 未だかつて私に何も答えていません。 
公開質問状は4月20日に提出しています。もう半年過ぎました。 聞くところによりますと、『質問されている内容は数十年にさかのぼり、内容も多岐にわたっている。とても今議会の中では調査する事は出来ない事』として “ 議会たより ” に掲載する! とのことです。
 私に何も回答・対応せずして、その取り扱いの内容を村民に一方的に、“ お知らせ ” する!というのです。 それで一件落着! 『俺は、私は辞めるので・・俺は、私は再選する!』
 これが今の阿智村議会です。このような人たちが岡庭村政を査問して来たのですよ! 平成28年10月15日                                                                             
 
 
議員のおつとめは
 言わずと知れた査問でありますこと、これが分かっていない議員もいるから始末が悪い。
 私は住民の権利として議会に質問しているのです。
その権利に応えなければ成らないのが議員ではありませんか!?
質問している内容に議員個人が対応するには、それなりの法律があってのことで議員個人に質問しています。
 質問している内容に踏み込めば、それは如何すべきかが法律で決められています。
質問している内容に踏み込まないで対応するのが議会ではないでしょうか。 この事が誰一人分かっていないようであります。(法律は後日明記します)                平成28年10月17日

 議会として出来る三つの事
 質問状が出された。それが議員個人に対してであった。議員全員が一堂に会して質問状を確認した。
 一番最初に行う事。
質問内容を確認する。 これは一堂に会して質問状を確認したから、その日に行っている。
 二番目に行う事。
確認した質問内容の精査  質問内容の精査をその場で行わなかった。議員個人に対してだから議員個人で判断すればよい事だ。とされたようだ。                   平成28年10月21日

 これからが阿智村議会議員の皆様の資質
 『議員個人に提出されたのであるから議員個人で判断対応すれば良いこと』 もうこの時点で資質が判断されている事に気づいていない。
“ 議員個人に提出された ”  この事を考えていない! なぜ議会でなくて議員個人であるのか?
質問状を提出した私の意図がここに在るのではないか? と、考えなければいけないし、理解出来なければ聞けばよいことではないか。
 いくらでも方法はある。
例えば、一人の議員でも『何故議員個人としたのでしょうか?個人で対応すれば良いのかな?』『議員個人では困る、議会へ提出してください!』 何とでも聞きようが有るではないか。 平成28年10月22日

 それが出来なかったということは
 それは正しく、『質問されている内容』に他ならないのではないか。 当初からいっているように、誰が読んでも、“大変な事” が、書かれていると、議員の皆様当人も理解できたのではないでしょうか。
 中にはこんな議員もいたとか。
質問状を読み取った直後に、「なんでこんなものをにコピーして配布するのか!おかしいじゃないか!」と、事務局に文句を言ってたそうです。(見やましい議員の話し)
 どの議員も、後ろめたさがあるってこと。
新人議員は何のこと? と、思う人がいれば、心当たりが大いに有る!という人も中にはいましたよ。平成28年10月24日

 これは不味い事に成った
 議員の皆様はそう思と同時に、各自が、“保身” に入ったのではないかと思います。
議員の誰でも考えることは、『議会でなければ調査権がない』 議員個人に質問状を出されても、どのような内容の質問であっても、議員個人への質問には議会では対応できない。 そう考えたのではないか、と思います。
 はたして、その通りの解釈をしてやり過ごそうと高坂議長が仕切りました。 余分な一言を添えて
 余分な一言とは。
一二度、質問状の事で話し合われたようです。 その席において、『ブログに振り回されないよう無視すること!』
こんな余分な一言を発したようですね。                    平成28年10月26日

 何ともはや
 お粗末様でした・・・ 跡(おあと)がよろしければそれでも良いですが  何ともはや そろいも揃ったものではないか
ため息が出そうだが、それは覚悟してました。 10年前よりお粗末だ! と、分かっていましたからね。 それはそうでしょう あれからは輪をかけて、岡庭一雄や熊谷時雄の、“彼等の独裁” が続いたんですから
 先に先に手を打ちましたが。
見やましいと思う議員二名に、事前に質問状を見せてお願いしました。
 そこでお願いしたことは。
議会議員の皆様へお願いすることですから、議会議員の皆様でなければ対応できません。 万が一、その対応が出来ない場合は、議会議員として法律的にしなければならない事が出来なかった!しなかった!事に成ってしまいます。そこをよく考えて行動していただけるようお願いをしました。平成28年10月28日

 いよいよ来週から阿智村議会議員選挙が始まります。 選挙妨害ととられないよう選挙が終わるまでこのコーナーでの議員に関することはお休みいたします。
 つきましては、なぜ公開質問状を阿智村議会議員の皆様としたのか、また、それをどのように分からせようとしたのかを書き出します。                                                                

 『刑事訴訟法 第239条第2項』  公務員の告発義務

 私は阿智村議会議員に対して公開質問状を提出しました。質問状の内容は少なからず不正と犯罪と思しきことを質問しています。 議員(特別公務員)は、質問された内容がそのような事と思慮出来た場合は捜査機関に告発しなければならないとされています。義務です。

 議員が考えるべき事は。
議員個人には調査権は有りません。調査を必要と判断したならば、議会にそれを求めるのが議員の務めです。
議会がそれを承認し調査を行うのであれば、調査委員会の設置、あるいは百条委員会の設置のどちらかとなります。
 調査が必要と判断しない場合は、議員個人でもって捜査機関に告発しなければなりません。              

 知識のない議員
 見やましいと思う議員二人に、“その事” を伝えました。 数カ月経っても議員さんたちは何もしようとしません。それどころか、『議会たより』に、“言い訳” を掲載すると聞こえてきました。
 考えられない議員の行動?
議会たよりに公開質問状の事が掲載されれば、報道機関が記事にすることがあるかもしれない。 議会が、“そのような状態” で新聞に載ってしまうと、阿智村にとって最悪の事態が発生するかもしれません。
 議会はどうでもよいかもしれませんが。
熊谷村長はどう思うのでしょうか。 私は公開質問状の質問事項の根拠を熊谷村長に渡しています。 熊谷村長は議会が対応すべきものとして、その文書を議員に渡しています。それは当然のことでしょう。
 議会が何も対処せずして報道が先になってしまうと、私は法律的に対処するしか方法が無くなってしまいます。
議会が機能しなければ、手をこまねいている熊谷村長に私は、“質する” かも知れません。

 混乱が混乱を招く
 最悪の事態にならないよう、知らなければ高坂議長にその法律があること伝えるべきと考え、間接的な手段をもって伝えました。                                                   
 それでも動かない議長。
なぜだか分かりません。 この時、高坂議長は他の議員にこの法律の事を伝えたのでしょうか? 必ず伝えなければならない事、また、その立場に居られるのが議長だと思いますが、他の議員に伝え議会として正常に対処しなければ成らない事です。

 阿智村議会は議員は、そのどちらも行おうともしませんでした。
この事を半年以上も放置していたことで、そのこと自体に新たな疑惑・疑念が発生してしまいました。
 議員は任期満了で辞める人がいます。また、再選する人がいます。 これで議員の務めを果たしたのでしょうか? これを放置しておいて再選できるのでしょうか?

 地元議員が再選を目指す
 それはそれで良いと思います。これだけのこと、地元の “種” が多いですから自ら責任をもって対処する!のであればその姿勢は再選に値すると思います。
 刑事訴訟法は知っているのか?
そう聞いてみました。議長から聞いているのか? 聞いていないとなれば言い訳もできよう。聞いていたとなれば、聞いていたのに何も出来なかった、しなかった。と、私は判断する。                        
                                                             
 感情では解決できない。

智里西地区で起きた事、起こっている事、私が明らかにした不正や犯罪と思しきこと この何れも法律でなければ解決出来ない事になりました。 そのこと自体が西地区の住民の多くが理解できていないようである。
 人が良い事を手玉に取って。
この様な大変な問題を起こす側の人たちは、何も知らない人たちを感情によって判断させようとします。
不正や犯罪に成らないように進言すれば、攻撃し それを告発すれば、『チクる側の利点だ』を作り上げ、有ることない事で巻き返しを謀ろうとします。
 心配しているのは。
議員を目指す者は、そこに巻き込まれないようにしなければなりません。 不正や犯罪は決して感情では解決できません。 その事を改めて、『心』に刻み付けるべきと私は考えます。

 追伸、刑事訴訟法 第239条第2項  国家公務員や知事、県会議員は当然知っています。
飯田下伊那の県会議員にはすべて伝わっている! このサイトは見ているとして、阿智村の新議員には対応していただきたい。
A                                             K

 中山間事業 花桃街道の整備
 月川温泉の為であろうが、農耕地の作業橋であろうが、県が施行することには何も問題はない。 たとえ、不純な動機が見え隠れしていても、事業計画書類には何の陰りも無いでしょう。 そしてそれは施工される事になるでしょう。
 高坂議長と元議長の熊谷時雄氏の阿智村内部不正も、私が指摘した幾つかの事項も事後的に辻褄が合うように修正されました。                                                          
 
高坂議長の修正は、熊谷時雄氏個人に対応した不正と思われる事。
荒廃地の整備工事費調整  60万を180万(?)に増額するよう職員に直接指示したこと。 これを修正するには180万実行の根拠が必要と熊谷時雄氏に直談判する。
・熊谷時雄元議長・元自治会長は、既に受け取っている事業費180万に合わせるよう追加で整備工事を行った。
・熊谷村長は自治会長に、『自治会に付属させている花桃管理委員会は不当であるからして、自治会と切り離すよう指示する』                            平成28年11月2日

 これらの事を行って阿智村内の不正受給が無いとしたが
 どちらにしても、今回の質問状に対応して解決の道や議員としての義務を果たしたわけではありません。
議員として行ってきた、『まずい事』の修正をやっただけではないか! 皆さんもそう思うでしょう。
 議員の皆様がこのような不味い事の修正を行った結果。
『長野県農政部が一番助かった』のではないでしょうか。中山間の国庫補助事業は決定している事ですでに動き出していた。 だがしかし、補助根拠としている内容整備に不正と思しきことがいくつか指摘された。
 そこに県も関与していることは事実。 県も当然考えたと思います。それは、『大北森林組合』のこと、同じような事は繰り返されないように!とね。                平成28年11月4日     
 
 安心し
ては駄目ですよ 

 これから不測の事態が起こるかもしれない。これから不測の事態を起こすかもしれない。
数年後、会計検査院が下伊那地方事務所に入るかもしれません。 いや、この中山間事業で“入る”とした方がよろしいでしょう。
 県農政部の心配しているところ。
これは私の推察ですが、この事業、仮橋の架け替え目的は橋先に農耕地が存在している!というところです。農耕地が存在していなければならない!のです。
現実には月川旅館とテニスコート、駐車場しかない。他はすべて荒廃地。 これでは駄目ですよ!と、荒廃地を農地に“見せかけた” そうです、“見せかけた” のです。                     平成28年11月7日

 農地としての見せかけ
 この事も農政課が指導したとは決して言わないでしょう。 阿智村の議会も行政も、そして職員も、『この事』をよく考えてください。
 農政課の補助事業であるから、農地が橋先に無ければ成らない! なんですよ。 『では荒廃地を農地にしたらどうでしょう!』 そう考えたのは、あくまで村の職員なのです。
会計検査官が現地を確認して、検査官の見解と事業内容が合わなかったとき、その言い訳をするのは阿智村長です。
 補助を受けるために、荒廃地を農地にした。
これが事実ではないでしょうか。 農地が有るから補助を受けられる! のであって、補助を受けるために荒廃地を農地にしました!で、はたして会計検査官はその様に理解してくれるでしょうか。平成28年11月9日

 橋は残りますが
 会計検査院がその様に理解してくれない!となった時、どうなるかと思いますか?
そうなれば補助金全額を国にお返ししなければ成りません。そしてその返済した金額を埋め合わせるために、村民に負担を強いるのです。
 中山間事業の内、花桃街道事業は中止!
『そうはならないから心配するな!』 そんな言葉、誰も言えないでしょう。ましてこれだけの不正と思われることが実際に起きているんですから。
 議員の人たちはこの事に目を背け、また関与していた議員は慌ててその修正に走りました。ですから熊谷村長は花桃街道は中止として西地区に伝えたのではないですか?(公式かどうかは不明)平成28年11月11日

 橋は予定通り設置します
 このほど、県農政課から地区にその様な説明が有りました。 良かった良かった  彼等や彼等の取り巻きはそう思うと同時に、私を非難し 自分たちの方が正しかった! と、気勢をあげたことでしょう。
 仮橋の架け替えに反対する人はいません。
誰も、最初から誰も反対していませんよ。 その進め方に疑問を持っているだけです。 私は彼等の目論見を知っているからこそ、このまま進めては大変な問題になりますよ!と議員の皆様に知らしめただけであります。
 議員全員がそれには気づいたようですが、立ち止ったのは村長だけでした。
そのおかげで、少しでも不正が修正されたのではないでしょうか。        平成28年11月13日

 でも皆さん、特に彼等と今までの議員の皆さんに忠告します。 これで、良かったのでしょうか?

 農地としての生産性
 農地として見せかけた。 この事は、事業計画書に記載されていないことは当然です。 見せかけたのではなく、農地でありますよ!として事業計画書には記載されています。
 農地であるとの証明はどのようになされているのか?
農地基本台帳に記載されている農地で数年前まで稲作されていた。現状が荒廃しているだけである。 であれば、なぜ農地として見せかけたのか?
 耕作されている農地が無ければ橋は掛けられない。
そうなんです。耕作されている農地は存在していなかったのです。ですから、補助予算が受けられるとなってから慌てて荒廃地に手を入れ、ずうっと農地でありましたよ!としたのです。平成28年11月15日

 まだまだいっぱい有りますよ
 『橋の架け替え理由』 は、何だったのか!
1.農耕地で農業生産を行っているが、既設の橋では大型農機具の搬出入が困難である
2.農耕地で新たな農業生産計画のために大型農機具の搬出入が必要、既設の橋は仮橋で通行の安全が確保できない。
 この様な理由ではないでしょうか。それに、向という三軒の集落の要望を付け加えている。          

 実際は荒廃している農地
 農地として基本台帳に在るからして問題は荒廃しているだけである。であれば、荒廃していないように手当をすればよい。その様にしたことであるから農業生産を行っているとした、1.の理由を採用としたのであろう。                                 平成28年11月17日

 農業生産の実態は有ったのか
 荒廃地なのだから当然生産実態は無い。 『農業生産』 この事、県も村も余りにも安易に取り扱っています。
生産実態が無いところに橋を架けるなんて事は絶対に出来ない! 県なら出来る!なんて考えてはダメです。
 何故? 中山間事業で橋の架け替を行う事が出来るのか。それを考えなくてはいけません。
広範囲な農地が有って、そこに農業生産組合が存在してて、一億の費用を投下してもそれに見合う農業生産が行われている。 この三つの事が、すべて完ぺきに整っていなければ実行できないのです。          平成28年11月19日

 この三つの事 完ぺきでしょうか
★ 広範囲な農地が有るのか  上の段は、月川温泉の施設・駐車場・テニスコートが占めている。荒廃地はわずかで所有者は月川旅館出資役員(向集落)  
 下の段は上の段の半分程度の面積ですべてが荒廃地、所有者は2,3名(この土地に生活橋が付帯している)
★ 農業生産組合は存在していたか  以前は稲作であったが、個別生産
★ 荒廃地なのだから生産は行われていない

 どうでしょう!?  見事に三つともその状態に在りません。         平成28年11月21日

 時雄君はこれらの事をどの様に誤魔化したのか
★ 広範囲な農地
 仮橋が架かっている処は上の段、そこは月川旅館施設で占めている。 広範囲な農地と見なしてくれそうなのは下の段の荒廃地しか在りません。 その荒廃地に生活橋が架かっている事は伏せて、目的の農地としました。
★ 農業生産組合
 そんなものはありません、過去にも。ですから時雄君が居る農間集落を農家組合として届け出たのです。
この事、農間部落の人たちは知らないと思います。知らない中で、菜の花植付作業に駆り出されています。
★ 生産実態
 荒廃地なのですから、まるで嘘を書いたと思います。 その年だけ菜の花を植えたという証拠は、自らが証明している。(証人は高坂前議長)

 どうでしょう!? 見事に三つともつくり上げた、“虚偽”でしょう。      平成28年11月23日

 根本的な間違い
 『 月川旅館のために 大型観光バスが通行出来るように 橋の架け替えを行う 』 これが『事実!』
 これが事実です。
これを実行するために、岡庭一雄最後の村政で、熊谷議長が独断で決めたのです。 確かに、髙坂前議長や他の共産党議員は賛成したでしょう。
 熊谷村長に詰め寄る議会。
『県農政課の補助を受けて行うことが決まっている事業だ』 これを実行せよ!と議長は指示した。
 着々と進む裏工作。
確かに、議決されている補助事業であります。確かに、成ったばかしの村長では無理もありません。 全てが決められていて、県農政課にも事業計画書が届いているとなれば実行せざるを得なかったでしょう。     平成28年11月25日

 議会も村長も中止した
 公開質問状では、花桃街道整備事業において不正受給が有ったのではないか!?と質問しています。私の質問には何も答えるではなく、後に橋の架け替えを中止しています。
 どうして中止したのでしょう?
不正がる有る!不正が有った! と、したから中止をしたのではありませんか!? 国庫補助金が付いて、事業着工している事業ですよ! なぜ、中止したのでしょうね。
この経過、議会から議員から村民に説明ありましたか? 村長が独断で中止したんですか? 説明責任は誰に有るのでしょう!? 村長ですか? 私は議会議員に質問しています。 議員が説明すべきことではありませんか!
 質問しているのにどの議員も答えない 村民に何も説明しない まして、刑事訴訟法の法律を指摘されても何もしないで、平然として任期満了まで過ごし歳費を当たり前のように受け取っている。 面の皮を一層厚くして、再選する議員に何の職責が果たせようか!            平成28年11月27日

 少しくらい恥を知りなさい
 再選された議員の皆様、特に二期目の皆様  あなたたちは一期四年間、議員職を経験なさったのです。それも、岡庭一雄前村長の行政も二年間経験なさいました。
 そこで何を学び、村民のために何をおやりになりましたでしょうか!?
地方自治法は議員になろうと思われる方の必読教科書です。 まさか?とは思いますが、私の質問状やこのサイトをご覧になってから読まれたわけではありませんよね? (ここだけは反論なさることですよ!)
 今まで何をなさっておられたのかな?
学校出てから十余年~♩♬ なんて歌にもありますが、少なくても社会は経験してきたと思います。 法治国家ですから全てのことに規則や決まりがあり、平和で暮らせるようにと最低限の法律があります。

 地方自治法こそが社会形成の基本法律です。公務員に限らず、一般社会人なら常識なことだと思います。
自治法を読まれていれば、私の質問状には対応・返答できることですし、対応しなければ成らないことと判断できるはず。 それが出来ないのですから、18才の社会も知らない選挙権があるだけの高校生に頭を垂れて判断を仰ぎなさい。と、書き込んだのです。              平成28年11月29日

 議員として何も出来なかった二年生議員
 公開質問状は議員の皆様宛てに提出しました。議員宛てとしたことと、議員としてしなければ成らない責務も伝えました。 それでも二年生議員は何もしませんでした。
 高坂議長に指示されるまま、議員個人が対応すればよい事として議員便りにも載せました。
 二年生議員はきっとこう言い訳するでしょう。
『村長に渡してあるとされた文章は見ていない!』『高坂前議長が顧問弁護士に相談している、「放っておけばよい!」と指示されたとの事、それを了承して議長に従った!』『刑事訴訟法第239条第2項は公務員に対してだ!』

 村民は、呆れてしまうと思いますよ! ・・・さてどうしましょう村民の皆様

 本日、伍和の高坂さんが議長に決まったようです。 7対5 の投票結果だそうです。 質問状への返答が届くことを、新しい議長さんに期待して少し様子を見てみましょうか・・・   平成28年12月1日

 議員の皆様の勘違い
 私が公開質問状を出したことで、議員の皆様はどの様に考えたのでしょうか?
質問状に書かれている内容はどなたでも理解出来たと思います。 さて・・それからです!?
1.質問状だから質問に答える  2名
2.内容的に対応できない    3名
3.どうしたら良いか分らない  7名
まあ、こんな感じでしたね。 この中で再選した議員は 1.1名 2.0名 3.5名 こんな感じでしょう。
 選挙直前の再選する議員はどうだったのでしょう。
1.質問には答えない         告発を考える  1名
2.質問には答える必要はない  告発は考えていない  4名
3.どうしたら良いか分らない              1名          平成28年12月3日

 阿智村議会議員の勘違い
 勘違いであってくれればまだよろしいが・・ 果たしてどうなるんでしょう。
 議員の皆様に提出しました公開質問状!
議員の皆様はどのように判断しているんでしょうか。 議会たよりに、『個々への質問状は個々の対応とする』と掲載されました。 議員の皆様がその様にするとして議決されたからこそ議会たよりに掲載されたものです。
 大変な間違いをしたのではないでしょうか。
議員の皆様に提出したのですよ! 議員の皆様が意見交換するのは良いでしょう。でも、議員個人に提出した質問状の取扱を議会議決したとなれば、これは議会で取り扱ったことになります。平成28年12月5日

 これからどうするんですか? 髙坂新議長様
 質問状を議会で取り扱った議員が議長になられたのですから、当然の如くそこから始めると思いますが、どのように進めていけば良いのか分かっていますでしょうか。
 平議員でなく議長なんですからね。それすらやらないと責任追及されますよ!
分からない! は通用しませんから、念のためお教えしましょうか。
 最初に行うこと。
新人議員に質問状を手渡すことです。そして、今までの経過を説明し、新人議員に、「議員個人の対応とするとして議決していますが・・」と説明し、新人議員の皆様の考えをお聞きすることです。 再選された議員にも、再度確認する必要があります。新しい議会ですからね。

 12名の議員にお願いします。
 前議会は、質問状の取扱云々でしか対応していません。 あなたたちが議員職責としてやらなければ成らない事は、質問している中身のことです。
 前村長、元議長や前議長、元・前議員が関与してきた不正や犯罪とおぼしき事を書いていることは十分に思慮出来ている分けですから、法律に基づき告発してください。         平成28年12月7日

 もう一つ重要なことを教えます
 このサイトを最初からご覧頂いている方はご存じかと思いますが、私は告発から始めています。
3月に、私が関連(証拠)した不正や犯罪は書面と文書にて熊谷村長に提出しています。間違いなく村長に届くよう、水道課長と地域計画課長に内容を確認させた上、二人の課長から届けています。
その後、県会議員(自民党・民進党)に、村長に提出した書面と文書と同じものを提出しています。併せて、長野県知事に提出しました。
 最後に、阿智村議会議員の皆様に公開質問状を提出しています。 阿智村の議会議員に提出したのは質問状ですが、内容はお分かりの通り告発文となっています。

 それらのことをよく考えてください。 阿智村の行政と議会が行った不正と犯罪だけです。 あなたたち前議員全員に告発したのですよ。 阿智村の行政を査問することが、あなたたち議員のやるべき事で他にはありません。
 まして、刑事訴訟法で告発の義務も課せられているわけです。          平成28年12月9日

 何もやらなかった前議員全員は、責任問題を通り越しすでに告発される立場に成りつつあることを認識してください。

 告発は既に済んでいる
 飯田下伊那の自民党・民進党の県会議員に告発文が届いています。 県会議員はその告発文を見て、思慮してどうしたでしょう?! 阿智村の前議員の皆様と同じように、無視をして、何もしなかったと思いでしょうか?

 長野県知事はどうしたでしょう!?
公務員に課せられている告発の義務、「この法律は公務員がやることだ!」として、放って置くでしょうか!?

 熊谷村長はどうしたでしょう!?
阿智村で起きていた不正と犯罪の事実、これを知ったとき、阿智村の村長として何もしないでしょうか!?
気づいていた職員は、村長が知らない事実を黙認しているでしょうか!?     平成28年12月11日

 村民の皆様
 阿智村が共産党に食い荒らされてきたことは、現実のことなんです。行政と議会が共産党の支配下の元で16年間も続いてきたのです。
 職員も感化されていた。
職員の多くが共産党の組合に属されてきました。そうでない職員が殆どで在ったかと思います。首長が共産党で職員組合も共産党! これで、“何をか言わんや” でしょう。
 これは不正ではないか?
気づいた職員は多く居たと思います。何より、16年間で助役・収入役・教育長をおやりになった方々、職員より多くの不正をご存じでしょう。
 いまこそ言うべき時。
「誰かが解決してくれる」もうそんなことを言っている時ではありません。自分たちの村を、子供達のために取り戻すよう、勇気を持って行動を起こしましょう!            平成28年12月13日
 
 あなたが投票した心ある議員に直接訴えかけましょう! 代弁者として、せめて法律は守ってください!と

 新しい議員に期待するのは
 当然共産党や、元職、赤っ気は除きます。はたして6名のうち何名残るかは定かではありませんが、この残った人たちでなければ解決する事は出来ないと思います。
 議員個人に出した質問状ですから、議員個人が答えてくれればよ良いとです。どなたか答えてくれましたでしょうか? どなたもおりません。
 それはどうしてか?
それは、議員全員が岡庭一雄・熊谷時雄に心酔したり、組み付せられてきており、そうでない議員も中途半端な形で不正に関与してきてしまったからです。

 このままいけば、近いうちにそれなりの事が起こるのではないでしょうか。 県会議員も安部知事も、熊谷村長からも、『捜査機関に何らかの形』で届けているでしょう。 私たちよりも、法律に詳しい方たちです。
捜査機関とは、何も警察だけではありませんよ。内容によって国へも届いている事は想像に難くありません。
 それでなければ、『時効』という壁は壊れていません。 国は、熊谷村長の動向を見守っているのです。

 熊谷村長は何を思うか? それは行政の長として、住民の皆さんの代表である議員がその職務を遂行してくれるのをひたすら待っているのです。いや、待って来たのです。
 前議会で解決するものと期待していたと思います。議会で調査委員会が設置されれば共にその解決にあたれたでしょう。 しかしながら、議会は共産党の支持通りしか動かなかった。

 熊谷村長は愕然としたと思います。 これが阿智村の議会?!

 この時点で村長は覚悟をしたと思いますよ。「これで行政がこの事を取り扱えれることになった!」とね。
 
しかし、巷の声は新しい議会に期待する声が聞こえてき、また、その事を解決すのが議員の務めだ!という強い意志が有る人の声も聞こえていったものと思います。

 そして新しい議会が始まった。 時効の壁は、安部知事・県会議員がすでに対処されている。
そうであるからこそ、もう一度! 『新しい議会の新しい議員に』期待を寄せ、住民の代表として正常な議会運営に成るよう、議員ともども(共産党系以外)関連捜査機関に告発出来るよう・・
これが最後の一番良い方法と感気ている!と思います。                                      平成28年12月15日

 前議員の言い訳
 前議員は公開質問状そのものの取り扱いすら知らなかった。経験が無ければ聞けば良いのだが、それすら行おうとしなかった。
 出来なかったのだ。
仮にやろうと思ったにしても出来なかった理由の一つに、そこに書かれていた内容に驚いた!からである。
 岡庭一雄は絶対的・・だと
岡庭一雄と共に行ってきた数々の事業に不正がある。リニア社会アセスメントにしても、『さすが岡庭前村長!』として評価し、800万を超える言い値をすんなり払っているし、作為的に進めたと批判されたとしてもそれが悪いことだと気づかない。 『何か不正が有るのか?』良く読んでみると、たしかに拙いところがあるかもしれない。「俺は良しとして賛成していた。」「私は党員として信奉している。」
 花桃街道の橋の架け替えの何が不正なのか? 本谷・園原財産区はそんな仕組みだったのか?  平成28年12月17日

 逃げ出したい
 前議員の殆どはそう思ったでしょう。岡庭一雄に万が一のことがあれば、俺はどうなるだろう? 自分のことしか考えない議員さんはその様に考えたのではなかろうか。
 そして逃げ出した。
(あと半年、あと半年何とかすれば改選だ。俺はどの道もう出られない、ここさえ乗り切れば何とかなる)
そう考えていた者はまだ真面な方でしょう。
 こんなことは関係ない。
俺はまだ一期生だ、岡庭一雄村長と直接関わったのは二年もない。それに、全て前の議会で決められていたことばかし、訳の分からない質問状なんて全てが俺がなる前のこと。刑事訴訟法? そんなことは職員がやることだ、公務員って書いてあるじゃないか。               平成28年12月20日

 一番始末が悪いのは
 岡庭一雄は村長である前に共産党員です。 党員議員は、いわば与党ということになります。 最初から間違っていたからどうしようもないが、党員議員にお粗末な議員ばかしが議会そのもを牛耳っていた。
 少しでも追求するものなら攻撃する。
議会の中で堂々と恫喝し、良識有り議員を排除してきた。また、議員同士でも平然と攻撃し、精神的にまで追い込み、多くの良識有る議員を排除してきた。(岡庭二期目の時、一期目の議員はやってられないとして再選しなかった)
 前議会議員の共産党。
隠れ党員が多く、(今回もそうである)これらが一番始末が悪かった。 岡庭一雄や熊谷時雄の不正や犯罪とおぼしきことが書かれているのを確認した彼等は、何を隠そう岡庭一雄にご注進したのである。 共産党とはそういうもの、不正や犯罪とおぼしきことを正そうとしないどころか、善後策の検討に入ったのだ。        平成28年12月22日

緊急速報                                      阿智村議会最終日速報

12月22日、阿智村議会最終日一般質問にて、新人の白沢議員・吉川議員、三期目の勝野議員が 私の公開質問状の取り扱いについて質問をしました。
良識と常識を持ち合わせた清廉な議員の行動において議会運営が正常されることになります。
岡庭一雄を党首とする阿智村共産党に支配されていた議会及び議会議員から、民主主義を取り戻す大きな前進になりました。
この事により、熊谷村長は阿智村行政の責任者として、法律に基づき執行するものでしょう。

告発                                            捜査機関

 ここに如何に言い訳が出来ようか
 私が議員個人に質問した。 なのに、隠れ党員議員と岡庭一雄に同調していた議員は質問に答えようとしない。しないどころかその質問さえ抹消しようとした。
 この事自体が、犯罪だとも気づかない。
阿智村の住民の皆様!! どうでしょう  こんな人間が『村会議員』なんですよ! 恥ずかしを通り越すでしょう。
 恥ずかしいなんて程度じゃない。
私が訴えたらどうなりますか? これらの議員が辞職する程度の問題ではありません。 議会制民主主義が崩れるのです。 行政社会の常識でもある地方自治法では対処できなく成ってしまいます。         平成28年12月24日

 議員の犯罪の事実
 前議会に於いて、前議員が新たに犯罪を犯してしまいました。 私の出した公開質問状の取扱についてである。 その事実を明らかにします。

 共産党の策略に載ってしまった。
阿智村の皆様、私の公開質問状の取扱について前議員の皆様より、直接、間接的にお聞きになったと思います。
その中で、『議員個人宛てなので議員個人の対応とした』とか『髙坂議長が弁護士に聞いて対応した!』『弁護士に相談したら、放っておけば良いと言われたから』などと、お聞きになったのではありませんか?   平成28年12月27日

 弁護士が動かしているのか
 阿智村の前議員、全員に聞いてみてください。 「髙坂美和子議長が弁護士に聞いたら、『放っておけば良い』と言われた。議会では関与することではない、弁護士の言うとおり放っておくことです。質問状は議員個人とされている、だから議員個人で対応すれば良い。」 全員が口を揃えて、「その通りです。議長判断だから従った。」と、答えるでしょう。(警察にもね) そしてその結果を、『議会たより』に掲載してしまった。

 他のコーナーで書き出していますが、下平弁護士も、中村弁護士も口を揃えてこう言いました。「私は顧問弁護士だ、顧問をしている以上それに関わる他からの一切を受け付けない!
 弁護士の資格義務でしょう。
下平弁護士は、その資格義務を遵守したのでしょうか? 髙坂美和子前議長は、どの弁護士に相談したのでしょう。
下平弁護士に相談したとなれば大変なことです。 下平弁護士は阿智村の顧問弁護士なのですからね。 議長であっても村民の代表、私の代表でもあるんです。 その人が、阿智村の顧問弁護士に相談すると言うことはあり得ないのではないでしょうか。                  平成28年12月29日

 何故?阿智村の顧問弁護士に相談したのか
 これこそが共産党のやり方であり、阿智村議会が共産党に支配されていた証拠と証明です!
下平弁護士は何を弁解出来ようか。「放っておけば良いと言ったことではない、私は阿智村の顧問弁護士だ、放っておくしかない!と言ったんだ。」きっとそう弁解するでしょうね。そして、高坂前議長と会ったのは、同じ共産党員として弁護士でない党員仲間として会ったのだとね。 それしか下平弁護士の言い訳は通じないのです。

 自分自身に置き換えて考えてください。
この罪の重さを考えてみてください。 私の国民としての権利が奪われたのです。いや、私個人の権利ではありません。法治国家の民主主義が破壊されたのです。 阿智村という地方公共団体では、憲法で保障されている国民の権利が剥奪されたのです!                  平成28年12月31日

 これで何を訴えようか! これの何処に正義はあるのか! 誰か一人でも良い、この様な事を行う人達を弁護出来たらしてください!

 阿智川の会長と岡庭一雄鶴巻荘公社所長との交戦を思い出して下さい。 その時点から下平弁護士が指導しています。それも、阿智村顧問弁護士の立場でね

 阿智川の会長と岡庭一雄の交戦
 ホテル阿智川が昼神温泉に第二の温泉掘削をと、川向こうに始めました。それは果たして豊富な源泉確保となり、川向こうの開発に弾みを掛けることとなりました。
 岡庭一雄鶴巻荘所長は堪らなかった。
昼神温泉は俺がここまでにしたんだ!という自負が強かった。 ホテル阿智川の動きはとうに察知し反対や邪魔をしてみたが、正規な手続きの温泉掘削許可が保健所で下りたからにはどうしようもなかった。らしい(直接聞きました)
 先手先手で対抗しました。
川向こうに屋外ステージやモウモウ館を無理矢理国庫補助として造ったり(即潰れました。智里農事組合5億負債の元凶)し、村に多額の損害を与えてしまいました。            平成29年1月2日
 
 普通の職員ならここまではしない
 (川向こうの開発は勝手にやらせない、水上宗光の土地とアヒル(喫茶)の土地が殆どだから売らせないよう手を打ってある) 水上氏と喫茶アヒルの店主が中心となり、多目的温泉施設の計画がこの時から準備されました。熊谷時雄氏も、月川旅館では既に立場がなくなっていたから、岡庭一雄氏に勧められるまでもなくこの事業に参加して行くことになる。
 阿智川の会長が一枚上手。
誰が考えても岡庭氏の言うことは無理がある。民間が先行投資して権利を得ているのを、村だ温泉組合だ!なんてチャチ入れても通る話しではない。 普通の職員なら、ここまで出来ない。平成29年1月4日

 これで修まらないのがこういう人達の特色
 「裁判に掛ける!」岡庭一雄はこう叫んだ! この時既に阿智村の顧問弁護士は下平弁護士でありました。 普通の人なら、まして役場の職員の身でありながら、こんなことは言えないでしょう。
 何の考え無しで言ったとしても、それは言えることでは無い事ぐらいは頭の良い人ですから分かることです。 しかし言ってしまった。それも直接伝わってしまったのだ。(下平弁護士に仲間として意見を聞いていたのでしょう)
 喧嘩が始まった。
こんな理不尽なことを言われれば、誰だって怒るでしょうね。 阿智川の会長にも顧問弁護士がいます。当然相談しているでしょう。そして、そんな馬鹿なことは・・・          平成29年1月6日

 そんな馬鹿なこと
 阿智川の会長は無視をしたのではないでしょうか。それは、これほどお粗末な人間を経験した事が無かったのと、俺には弁護士が付いている、裁判に掛ける!などと寝言を言う奴を相手にしなかったからですが、念のため中村弁護士には相談したと思いますよ、「何か裁判に掛けられるような事が有るのか?」とね。

 下平弁護士の存在
 私が見聞きしたこと、私が経験した岡庭一雄の不正の陰には必ず下平弁護士が存在していました
私には、岡庭一雄と下平弁護士は共産党として仲間だと、そして数々の不正と犯罪をすり抜けてきていた! と、強く確信しています。
                        平成29年1月8日

 緊急告知   熊谷議員と野村議員が犯罪を犯さないために、これまでの二人の行動を書き出します。

 熊谷義文議員の行動
 平成28年4月20日、阿智村議会議員の皆様へ公開質問状を提出したこと、議会として、高坂前議長が阿智村顧問弁護士の指導により判断した「議員個人で対応する」を決め、議会たよりにまでその事を掲載したにも関わらず、いまだかつてどの議員も対応されていないことに併せ、次から次に不審な行動をしている議員が新たな不正を起こさないために警告として書き出します。

 始まりは、本谷・園原財産区
 9年前、私は園原財産区の総代会計でした。熊谷時雄氏と叔父の不正は、平成9年のヘブンズ賃貸料が発生した時から知っていました。 その後、新たな不正(犯罪)に気づき、何とか不正にならないよういろいろ意見を言ってきましたが、それは無視され、あまつさえ私を攻撃してくるようになってしまいました。
 その不正は、個人の脱税を含む公金横領と阿智村の補助金不正受給でした。

四年前、意を決し総代に名乗りを上げてその不正が確実に行われたことを確認しました。 本谷財産区総代三名に、不正とならないよう修正が必要と打ち明けましたが、その三名はそれを二人に話したうえで二人の指示に従ってしまいました。 本谷財産区全体の不正となっていた。(本谷の権利者は知っていたと言うこと)     平成29年1月10日              

 園原財産区(園原部落に打ち明ける)
 財産区の金で土地を購入した件(公金横領)だけを打ち明けるのが分かりやすいと考えましたが、如何にせん、財産区が何たるかも、園原財産区の歴史も知らない者ばかし、行き成り初めても無理な話であることが現状でした。
 来年度の財産区役員に打ち明ける。
来年度の総代役員(操氏の長男)と山林委員、それに熊谷義文議員に連絡を取り4人で集まりました。
 そこで不正の内容を説明し、解決の仕方として二通りあるが当然不正としない、犯罪としない方法(別々になる)を選択するしかないと結論しました。

 二つの方法とは
1.別々になる   財産区は個別団体、地区の活動のために(現自治会のような組織)二つの財産区が費用を出してきた。 ヘブンズの賃料を、二人が思うように使おうとして平成9年から始めたのが本谷・園原財産区
 不正と犯罪は本谷財産区の二人が行ったこと。元通り別となれば、彼等が何をしようが園原財産区には関係が無いことであり訴える必要も無いことである。
2.本谷・園原財産区として今の状態で解決しようとすれば、この犯罪を表に出した上での遣り取りになる。それは岡庭前村長を巻き込んだ補助金不正受給や、叔父の長男が会計として操作したことも明るみとなり、西地区は大変な状況になってしまう。                   平成29年1月12日

 選択の余地はない
 三人には事細かく話しました。 財産区の何たるかも知らない人でも不正と犯罪は明確に分かること、選択の余地がないことは誰の目にも明らかなことでした。
 別々にしようと結論しました。
別々にしようと四人で誓い合ったのです。 別々になろう ではなく、四人の力で別々にしようと誓ったのです。
 二人は寝返った。 操氏の長男は無理もありません、親父の引退で部落の付き合いを始めたばかし、親父が反対なのですからね。 残念なのは、親父が反対だからとしても何故この時点で不正と犯罪の事を伝えなかったのか!とのことです。
 熊谷議員も寝返った。
熊谷議員は当初から寝返ったのではありません、最初は操氏からの圧力です。操氏が選対委員長、後継として出たからには「別れる必要は無い!」と言われれば、「はい分かりました。」となったのであろう。    平成29年1月14日

 余りにも無知
 この二人が反対に回るとは考えていなかったですから、正直困りました。それは、他の不正の解決も併せて行わなければならなくなったからです。
 園原の現状は目に余っていました。
私の父が倒れてからは前にもまして熊谷操氏の思うが儘となっており、その身内以外にも私の行うとする幾つかの修正行為に対して妨害や中傷が有りました。 ただ、面と向かってはやり合うほどの知識がなく、ただただ暴言や中傷を振りまくだけでありましたが。
 熊谷議員も誤解していた。
熊谷議員は以前から熊谷時雄氏のやり方に違和感を唱え、堂々と不満をも口にしていました。例の土地購入に真っ先反対したのも彼でした。
 10年前頃、ある事の進め方で二人で話したことがあり、彼は素直にその考え方の違いを理解してくれました。 彼が議員に成りたいとして訪ねてくれた時は、私も応援することに躊躇は全くありませんでした。   平成29年1月16日

 今議員選 彼の違和感

緊急                                            提言   
 
 《1月19日、議会の動きについて!》 いつまで馬鹿なことを続けるのか!
 1月19日に熊谷時雄氏が議会議員全員を集めて、“月川旅館”の経過を説明するという。 髙坂議長が議長の立場で進めている、何という馬鹿なことを行おうとするのか!? この人達は議会議員の職責権限を離脱しているどころか常識の範囲を越えている行動だ! これは既に共産党の行動以外何物でも無い。
 新人議員は発言するな!
髙坂議長は新人議員に、“お達し”をしたようだ。「新人議員の発言は許さない、聞くだけにしろ!」この様な指示があったという。
 《この事の最大の問題は、熊谷村長を攻撃していることにある!》
行政側は月川旅館の払い下げ問題について既に持ち越しを決めて自治会や地元関係者に伝えている。それは何故かと言えば、叔父や熊谷時雄氏の一連の不正(犯罪)の関与が月川旅館の経営や経営権に大きく関わっていることが明白であるからです。
 議員選挙前のこと。
熊谷時雄氏に直接伝えてあるからして、彼は焦り、その打開策を腹に持って熊谷議員に、「払い下げを進めなければ俺が立候補する!」と迫ったのです。 選挙後にその条件を聞き入れ、熊谷議員は地元や自治会に対して行政側とはまったく反対の姿勢を取り、地元や自治会を裏切ったのです。
 議長選の企み。
仲間である髙坂議員を議長、野村氏を副にとするのは彼等当初からの目的、選挙前は熊谷議員しか議長候補はいないなどと煽てておいて、選挙結果が思い通りとなれば後は、「お前には次が有るから」となだめる。 騙され通しなのにまだ尾っぽを振って時雄氏の指示に従い、今回の、“月川の説明”が必要だとして議会で文書を配っている。
 勝野氏はいったん退いた、それは勝野氏の地元に対してお礼の態度。 熊谷議員は、今度は俺が議長だ!と思うのは勝手だが、勝野氏が出れば議長になれない、時雄氏の言う通り「勝野氏は敵だ!」に回ってしまう。                                 平成29年1月18日

 今日は延期されたらしい、どうでも良いが驚きに驚いたことを聞きました。時雄氏意外に下原前議員が共に説明するという、この人 ノータリン です。
 熊谷時雄氏は何を画策しているのか?
最大の理由は、“月川旅館社長の座” である。そんなことは彼のお仲間だって知っていること。 ひるがみの森旅館社長の座を追われた時雄氏最後の収入源は月川旅館しか残っていない。 叔父は、「株は持たなくても良いと、給料だって社長としたら安い。」と言っていたが、そこが一番の理由である。(ひるがみの森を喰った事は別段で書きます)
 株を持たない この事、雇われであるということ。雇われであれば経営権利が無いことで、月川旅館が村の施設であれば口出しどころかあれこれ言える立場に無い事である。
 叔父の欲から始まった。
誰でも子供はかわいいものである。しかし、子供の能力も知っている。 月川旅館の経営は阿智村の事業で村の施設だからとして、先に受け皿組織つくりから始めました。 四人で始めた受け皿組織、「園原の里開発株式会社」 軌道には2,3年で乗りました。
 十数年後、信濃比叡水子地蔵事故の一件で時雄氏は自身の意思で園原の里開発株式会社から出て行きました。 そのころ国税局に入られ多額の脱税が見つかった。 内容は知らされず、叔父は勝手に会社名を変更し減資も行った。
 新しい名前は、「株式会社野熊の庄 月川」 役員は叔父と子供 株主は当初からの者1名     平成29年1月19日

 邪魔な残りの株主
 始めた当初から邪魔だった。それは何故かというと、考えていないメンバーの一人であったからです。
 この事業の始まりは前に書いていますから端的に。
リフレッシュモデル事業、国の事業で村の持ち分は殆ど無かった。 地区開発の目玉として地区の将来を生かせる形で計画せよ この中で宿泊施設(民宿程度の物)が金額的に一番大きくありました。金額が伸せば負担金も割合だかそれに見合って高額となる。
 でもこれは利点でした。
宿泊施設建設予定額 8,000万円 負担金 2,400万円 宿泊施設としての建設額はとても安価で民宿なんてレベルには追いつかないものでしたが、負担金2,400万は高額です。 高額ですから名乗りを挙げる者は誰もいないのです。
 最初から仕組んでいた。
ヘブンズスキー場建設が具体的になったとき、岡庭一雄観光課長は叔父と時雄氏の意向を受けてこの事業の取り組みを始めました。 最初から仕組まれていた事業なんです。 最初から二人の考えの中で進められる補助事業に取り組んできたのです。                     平成29年1月20日

 2,400万円程度の負担
 スキー場は吉川建設とコクサイの事業であり地区には何も恩恵はない、であれば地区の発展は地区の力で成すべき事として戦略的な補助を受けている。 その関係で地区内希望者全員に声をかけなければならない。
 宿泊施設に声を上げるものはいないよ。
その根拠が3割負担でした。2,400万と聞けば殆んどの人が臆してしまうだろうと考えていたのです。 しかし、蓋を開けてみれば何とやらで、三人の他に三名が参加したいと名乗り出たのです。
 実際にあわてました。
2,400万は当然借入が前提です。三人で会社をつくり一定額の資本金を用意すれば良い事です。 三人のうち二人はどこまで本気なのかは分りませんでしたが、どちらにしても計画が代わりそうだと変な不安を抱き内輪で話したことも有りました。                     平成29年1月22日

 全員が集まる
 宿泊施設の他は、戸沢に造った体験館と園原に造ったふれあい館です。 地区の殆どの人はそこに目を向けておりました。ただ、横川部落だけはそこにおいても取り残されておりました。
 宿泊施設の希望者が一堂に会しました。
そこで話されたのはやはり1/3負担の事、どういう訳か人数分割の責任が取り沙汰されたものですから、早々に二人は意気消沈、どうもふるいに掛けるのが目的のようでした。
 最終的に4人となりました。
三人で始める予定でしたので却って良いと思いましたが、時雄氏は不満たらたらでした。そしてその理由も時雄氏ならではの言い方、どうしてそこまで考えるのか?どうしてそこまで詮索しなきゃならないのか? とても理解に苦しむ嫌な言い方でした。(この事はいずれ直接伝えるつもりです)
 株式会社でなければ通用しない。
当時株式会社の法人登記には1,000万円以上の資本金が必要とされておりましたから、一人250万円ずつで株充当金としました。 叔父と時雄氏の考えで進められてきた事業ですから、叔父が社長となる事は既成の事実でした。

 時雄氏はひるがみの森専務。
直接経営をするのは叔父一人、従業員は二人、叔父の甥と叔父の会社で働いていた者、板長一人後は全てパートとする。これらの事は二人で全て決められておりました。          平成29年1月24日

 順調な経営
 二年目で目安がつきました。井戸が温泉となったことが大きくありました。 3年目には増築計画が上がり、それに伴い増資を行いたい、ついては1,000万の資本金を2,000万として融資枠を広げる必要があるとされました。
 積み立てを始める。
各自、毎月会社の口座に振り込んでほしい、10,000円くらいから始めるか。その様に準備を始めたところ、叔父から話がありました。 「金は有る、一人250万割り当て分くらいは有る。それで増資する。」 帳簿に載せていない金が有ると言うのです。
 時雄君は知っていた。
残りの二人は驚いた。(私が驚いたのは、まだ数年しか経っていないのに1,000万もの金が有るという事、それを今まで隠していたこと) 二人に隠されてきたことが一番ショックでした。 この時初めて叔父に不信感を持ちました。
 この先も続けるだろう。
年間1億を売り上げる、そこには隠された売り上げがある。 1億以上売り上げれば、1,000万隠すなんて分けが無い事だろう。 (これはやはり会社経営の経験が無いからこそ出来ること)平成29年1月26日

 不信を持つ
 税金をごまかす? 税金をなるべく少なくしようと考える事はどこの会社でも考えることではありますが、それはやはり税理士に相談することではないでしょうか。
 月川旅館の税理士は見抜けなかったのか?
税理士が付いていて国税局に入られるという事は殆んど考えれられません。そんな事例が多くなれば税理士の信用問題ではないでしょうか。 始めたばかしの田舎の宿泊施設、それも国庫補助を受けての村おこし事業、それが1,000万以上の追徴課税が有ったとなれば、国税局には他の情報があったのでは?と勘ぐるのは私だけでないでしょう。                         平成29年1月28日

 推測ですが。

 時雄君が出ていくときに叔父から聞きましたが、「万が一の事が有ると迷惑をかける、だから俺の株は姉貴の名義に変える。」と言って、暫く前に変えているよ。 その様に叔父は言ったが、時雄君には人に話せない事情がその時から有ったのではないか。それは、父親の急死による高額な財産相続によるものか? ひるがみの森経営によるものなのかは知る必要も無い事ですが、月川旅館を始めて数年後にその様な出来事があったことは、月川旅館の経営においても不審な事があったに他ならないことです。

 鶴巻荘には国税局が入った事有りますか?
 国税局に入られて1,000万円も追徴課税があったと言う事は、隠すだけ隠した結果に他ならない。そう考えると如何に多額の金額を隠していたのか!と気になるのも当然です。
 騙され通しの株主
そういえば、国税局に入られる前の年の決算報告に税理士事務所二名が立ち会った事があります。 話しがあるとの事で始まりましたが、ビックリするような話しでした。
 経営状況が悪化しているのか?
決算報告を行うのですから税理士が立ち会うのは本来当然の事ですが、叔父は一度もその様な事は行ってきませんでした。 こんな事は初めてでしたから「経営が悪化したのか?」と、考えてしまいました。 でも、毎週のように顔出していましたから、そんな事はないな!とも、しかし、その心配はすぐに打ち消され、新たな不安と疑念が生じる事になっていきました。             平成29年1月30日

 税理士は知っている
 社長は叔父、専務は熊谷時雄、ここまでは正規な役員人事です。 残りの二人は支配人と呼び名の常務でありただの株主扱いでした。 文句を言うところでありません。社長以外、直接業務する事がないのですから。
 社長を交代せよ!
税理士の第一報は、決算内容の説明ではなく経営状況の話しでもありませんでした。 「社長の交代をして下さい!」
 なんと言う事でしょうか!!?
税理士ふぜいがですよ!? 税理士が顧客である会社の社長交代を口にするんですよ! 驚くべき事ではないですか?
 実際に驚いた!???
「15年以上も同じ人が社長を続ける事は無理です。社長交代を進言します。」 まだ坊やのような税理事務所の人がこの様な発言をしました。
 叔父は黙っています。
あの気の強い、誰にも臆した事のない頼もしい叔父が下を向いて黙って聞いている。 このとき、私は全てを察しました。 事は重大です、月川の脱税は露呈しつつあるという事です。   平成29年2月1日

 助け船
 最初の増資をしたとき、その時の追加資本金は隠してある金だった、合計で1,000万円。 ポンと出したのだから、実際にはその倍くらいは既に有ったのではないか。
 税理士事務所の不始末
 それから10年、同じように隠されてきた金額ははるかに億を超え、その倍くらいなのかも知れない。 名の有る税理士事務所が着いていて、この事が他から漏れたら命取りになりかねない。 一番心配したのは税理士事務所でありました。
 覚悟を決めていた叔父
その時叔父は覚悟を決めていた。決めていたと言うより、最悪の事態をどの様に乗り切ろうか?と、思案していた事だろう。
 相談する相手が悪すぎました。
就業して、苦労した事のない二人が会社経営を初めてしたのですからデタラメだったんです。 二人の株主に隠して山分けしていたんでしょう。時雄君は、山分けした金を持ってひるがみの森へ行ったのでしょう。    平成29年2月3日

 税理士事務所に見つかった!
 毎年1,000万円も隠してきたのですから見つからない分けがない! それまで一方的に税理士事務所をごまかしてきていましたが、税務署はごまかせません。
 発覚は手形の保証人
誰でも子供はかわいいものです。でも、子どもの能力も知っています。 押さなければならない手形裏がありました。
 背任と横領罪
隠してきたお金、最初の1,000万は株主割をして増資したが、それ以降は着服していたのです。 これは背任と横領の罪に問われます。
 倒産する。
手形額は5,000万円以上であったかと、保証人としてその一切を背負ったのは言うまでも有りませんが、その負債に着服してきたお金の一部を充ててしまいました。            平成29年2月5日

 素人の浅はかさ
 飯田市内の飲食店、その手形裏保証人 倒産において当然返済義務が生じます。 それを一度に返済してしまったものですから、足が付くのは当たり前。 裏金をつくろうとすることもそうですが、下積みをして経営者となった人との差でしょう。
 税務署が入ることは最初に税理士に知らされます。
飯田税務署が入ると分かった時、税理士は慌てました。 1,000万円の追徴課税が有るくらいの脱税ですから、初犯として始末書を書く程度では収まり切れない内容ですので国税局が入ったのですからね。
 何か気が付きませんか?
鈴木設計に国税局が入った時と同じような気がしませんか? 脱税した金が裏営業につながっていたことと 裏営業は首長や議長であったこと
 月川旅館は国の補助金を受けているのです。
補助金を受けて他の旅館より圧倒的に楽な経営で脱税した。 このこと、国は気づいて処罰した。   平成29年2月7日

 倒産と時雄氏との関係
 追徴課税は手心を加えた金額です。 脱税した金額は会社の収益ですから一端会社に戻されます。戻した上で年度事の決算をやり直し、算定された税額の合計が算出されます。 その上で追徴課税額が示されるわけですから、隠した金額の大きさがいかほどか想像がつくと思います。
 叔父が一人でやっていたことです。
自身の生活費用も、月川旅館経費としてかなり落としておりました。 重機は個人で購入していますが、その運転費と燃料は全て月川に入れるなんて事はほんの一部でした。 他の二人は馬鹿ではありません。その様な決算報告は見てみない振りをしていました。(叔父がやっていることですからそれで良かったです)
 もう一つの疑問?
熊谷時雄氏との関係です。 四人出始めた月川旅館、新たな展開として温泉施設を計画し神稲建設と事業計画を起こし源泉調査(神稲建設負担、この事は以前書いています)
 そこでの時雄氏はのけ者でありました。
時雄氏はひるがみの森が圧迫されるとしてこの事業を妨害しています。叔父もハッキリとした態度を示し、有望な湯脈が見つかったとした神稲建設の報告には時雄氏を交えませんでした。その席で、「時雄に妨害されているので呼ばなかった。まあ、呼んでも来ないだろうし、ひる森でやるとしているんだから別れることになると思う。」                           平成29年2月9日

 これがガラッと変わった理由
 「これからは三人でやっていこう。」この時叔父はこう言わなかった。 「時雄が邪魔をする!」と、神稲建設役員の前でハッキリこう言っているのに、決定的な事には成らなかったのです。
 二人の株主役員は何となく分っていました。
私はハッキリ分っていました。 たしかに時雄氏は野望のために叔父に近寄ったのだが、叔父自身にも野心が残っていた事を。(祖父の名の大きさ)
 時雄氏の危険性
近くに置けばそれなりに目が届くと言うものです。黒柳村長が岡庭氏を近くに置いた理由が分るというもの。
 本当の理由は他にありました。
叔父が裏印を捺した市内の飲食店、そこの実際の負債は6,000万ばかしでない事は想像付きますよね。おそらく1億はゆうに超えていたと思いますよ。 経営が立ち行かない中で店舗を資金繰りのために新築していますからね。
 借り入れがいっぱいで有れば何処で “金策” するでしょうか?          平成29年2月11日

 金融業
 銀行での貸付枠がいっぱいとなれば、当然のこととして高利貸しに走ります。 高利貸しでの借入は銀行への返済に回りますから結果は明らかです。
 手形が割れない!
その様な借入は銀行借入を上回ることが殆どでしょう。 この飲食店はどこの金融業から借り入れしていたのでしょうか?
 時雄氏の父親は金融業でした。
父親の急逝により資産も金融業も引き継ぎました。 引き継いだ金融業での不良債権の詳細は知る由もありませんが、その片付けは当然時雄氏の裁量であったことでしょう。
 想像の範囲です。
「時雄は邪魔をする!時雄はひるがみの森の人間!」とまで言い放った叔父が、ガラッと変わった頃に国税局に入られている。その前は熊谷時雄氏のコスモスコンパニオン・金融業に国税局が入っている。
国税局に入られる前に社長交代を税理士から進言されている。時雄氏は、「社長交代は出来ることでは無い」と発言している。 国税局で脱税が発覚した。 次男を跡継ぎとして月川旅館に入れた。 脱税を続けている。                                  平成29年2月13日

 私は知っていた
 次男を入れて跡継ぎにすることは何も知らされなかった。この頃は既に、叔父一人だけの会社として私物化されていました。 なぜ次男を入れたのか、どうして生え抜きの主任を辞めさせたのか、私は全て知っておりました。
 辞めさせられたT主任と話しました。
月川旅館のT主任は叔父の経営する釣り堀に務めていましたが、真面目であると叔父自らが入社を決め、当初から現場の一切を任すとして主任としました。
彼は叔父の言う通り真面目な正確で、母親が体の心配するほど働いておりました。 私とは共通の趣味を通じて気心が知れておりました。
 主任が辞めさせられた。
それを知ったのは叔父からの話でなく、世間のうわさ話しからでした。 次男を入れるのに席がない、たったこれだけの理由だというのです。 私は堪らず彼に電話を入れました。    平成29年2月15日

 そこで語られたのは
 電話に出るだろうか? そんな気がしたのは、彼が誤解をしているかも知れないと思ったからです。 その誤解は、私も了解していることだと、彼は思っているのではないか、ということです。
 誤解していれば電話には出ないだろう。
いつも、「主任!」と声を掛けていましたからそれは自然とそう呼んでしまいました。
携帯電話数回の呼び音で、「はい、もしもし」・・主任か、いや俺は何も知らなかった、○○から聞いて始めて知ったんだよ。 なんか言い訳している自分が情けなかったけど、彼と話しをするにはどうしようもありません。
 以前と変わらない対応でした。
いつもと何ら変わらず、違うのは聞かされる話しの内容だけでした。 言い訳の後に矢継早に聞きました。「叔父はいつかこうするとは思っていたよ、それは主任にも分かるだろ。俺と支配人(もう一人の株主)を遠ざけてきた。ここ何年も役員会を開いていない。そんな中で主任を辞めさせた、実際はどういう事だったんだ?」                              平成29年2月17日

 やり方が汚い
 叔父の釣り堀に居たのは、同級生の次男から誘われるままバイト感覚であった。次男はそのままと成り、手が余ったので月川旅館に入れられただけ、すべて叔父の都合だったと言う。
 辞めてくれ!とハッキリ言うべきだ!
今度もそう、兄弟仲が悪くなったからと次男をいきなり月川の支配人にさせた。 でもそれはどうでもいい、汚いのはやり方だ! 普段は優しく話す彼であるが、無理も無い(やり方が汚い?)
 板前を再修業に出す。
主任が辞めさせられる前に、たしかに変な事が有りました。 風呂からあがって事務室に顔を出した時である。 叔父がいきなり言いだしました。 「このごろ宿泊客の評判が今一なんだ。食べるものが美味しくないと言うんだよ。」「F○○の(板長)修行が足りなかった。」                      平成29年2月19日

 板前の再修業
 変なことを言うなあ? そんな感じがしました。 お客の評判がいまいち? 食事が美味しくない? なんか変だなあ? そういえば、前にも似たようなことが・・・
 似たようなこととは。
時雄が板長と従兄弟(社員)を教育するということがありました。それは、国税局が入る寸前の時期で、「時雄が従業員の教育をした方が良い、って言うからそうするよ。」叔父が突然言うので? 教育? 何を教育するの今更 「それは時雄に任せてある。」 ふうん、で、従業員全員にするの? 「いや、それもどうかな・・」 それこそ叔父の方が何を考えているのか疑問でした。
 二人に聞いてみた。
板長は、「何を言っているんだか分からん。忙しいのに冗談じゃ無い。」従兄弟は「ん、あれかな、社長がなんか言うから聞いただけで、何なんだか俺は知らんよう。」  ほんと、何だったんだか今もって不思議ですが、何となく感じるのは、税理士が言った、「社長交代せよ!」の後のことです。                 平成29年2月21日

 板長は修行に出せない
 板前は一人しか居ないんだから、今更修行に出す事なんて出来ないじゃん。 「ああ、それは大丈夫だ。主任がいる。」 主任? 主任なんて板前じゃ無いんだから無理じゃないの? 「そんなことは無い、釣り堀で何でも出来たし、調理師の免許を持っているし、いざとなったら支配人(株主)を頼むから。」
 此処までは私との一問一答です。

 叔父は、主任にこう言ったそうです。「板長にもう少し料理を覚えさせるために、前の所に行ってもらうようにした。」「ついては代わりに調理に入ってくれ。」 え?! 驚いたそうです。 急な話よりも、調理をやれ! と、言われたことに。
 なんで、俺が調理をやるの?
主任として旅館の実質支配人をやってきた。 予約受付から風呂の掃除まで、忙しくててんてこ舞いなのに、この上板場に入れ!調理しろ! なんて言われても・・・混乱しかしなかったそうです。           平成29年2月23日

 次男が支配人
 どんなに子供がかわいくても、子供を中心に考えてしまっては子供も潰れてしまいます。 主任はそれにすぐ気付いたそうです。「次男を支配人にする。だから俺が邪魔、俺の方から辞めていく形を取ったんだ。」・・・私はうんともスンとも言えませんでした。その通りで有ったからです。 世間もそう見ていました。 「次男は釣り堀で調理をしていた。俺より腕が有るんだから板長を出すなら次男をそれにすればいいことじゃん。」 「俺の方から辞めると言うことを待っているんだから、汚いってもんじゃないじゃん。自分から進んで辞めたけど、そんな中で辞めた分けじゃない。俺はそんな汚い人の下で働きたくないと思って辞めたんだ。」
 痛いほどわかる
今はどこで働いているんだ 「うん、・・・の厨房に入って調理の修行をしています。俺も意地が有るから調理で腕を上げたいと思う。」 そうか、頑張れよ、何かあったら電話をくれよな
 風の便り
その後、ヘブンズの厨房に入ったと聞こえてきました。 ヘブンズの社長は主任と同級生、彼の意地を受け止めたのでしょう。 うれしかった
 数年後、ヘブンズで彼の調理を食べました。 彼に言いました。「お前は大したもんだ、これだけのオリジナルを造るんだから、美味かったよ。」                   平成29年2月25日

 渡りに船
 税理士に叔父の社長交代を告げられたことは、時雄君にとってはまたとないチャンスであったろうと思います。 関係修復はもとより、神稲建設との温泉掘削計画を潰し、かつ、議員として羽ばたけるチャンスをものにしたからです。
 棚からぼた餅
「俺の次はお前が社長だ!」 この約束も取り付けた。 これであればひるがみの森経営からいつでも手を引ける。
ひるがみの森の再建には、時雄氏の資産(父親の遺産)がすべて担保としてありました。(だから実権を握ることが出来た)
 如何に担保を抜くか。
その時から時雄君なりの計算が働いたのでしょう。 議員に成るため端から専務として地位堅めをしていましたが、議員も手に入れ、その将来も岡庭と組んでいるから保証されたようなもの。
ひるがみの森経営権も握っている。 後は、いかに沢山のお金を手に入れるかだけである。
 高額な収入はひるがみの森で得ている。
実権を握り、全てを仕切れるんですからこれ以上の事は無いでしょうね。 株主には、赤字だ赤字だを叫んでいれば良い。 でも心配事が一つだけ有りました。              平成29年2月27日

 一つの心配事
 ひるがみの森での立ち位置です。 大口担保を入れたからとしてその地位は決して安心ではない。 それは何故かと言いますと、基本的な主体株主が二人存在していたからです。
 昼神温泉喫茶レストランあひる経営者と水上宗光氏

この二人は建設地の地主であり、会社発足責任者でありました。 発足時はアヒル店主が社長でしたが本業を辞める訳にはいかず名ばかしの社長、水上宗光氏は役場職員(出資者は奥さんの名前) この様な好都合を時雄君が見逃すはず有りません。 最初から実権を握れるからこそ、計算尽くで入り込んだのです。 それに岡庭一雄と共産党の協力があれば、難無く全てのことを思い通り手に入れたのです。
 素人の浅はかさ
此処に登場した人の経歴をみれば、全員が経営感覚も能力も持ち合わせていない素人の集まりです。 経営戦略も岡庭一雄なんですから、最初から村の金を当てにしていたのです。
 いつかは水上氏が社長になる! これが一番の心配事 でありました。      平成29年3月1日

 岡庭一雄はどうしても “ひるがみの森” をつくらなければならなかった。 はたしてその訳とは?

 智里農事組合をご存じだろうか、以前5億とも8億ともふくらんだ不良債権と書きだしていますから、分からない方は恐縮ですが読み返して下さい。
 ひるがみの森 かたむく
はたして言うか予想通りといいますか、数年でこの始末。 社長交代は当然の既定路線(時雄君の)でありました。
 岡庭一雄にとってはまたとないチャンス!☆✧☆
智里農事組合の小松組合長を社長に据える!!  アウト! 5億にもふくらんだ智里農事組合の経営負債は岡庭一雄の責任でもありました。 農事組合で進めてきた全ての補助事業(全て補助事業ということを村民の皆さん承知置きを!)が暗礁に乗り上げたのは素人集団の集まりであったから致し方ないかも知れませんが、小松組合長も内輪では言い分がありました。 それは、岡庭一雄が全てを取り仕切り、全てを推奨してきたかであります。                         平成29年3月3日

 岡庭一雄の将来 温泉の権利
 依然書き出したことを覚えておいででしょうか。 岡庭一雄氏が課長・鶴巻荘公社所長のころの事、阿智川会長が川向うに源泉掘削した一連のことです。
 阿智川会長に向かって、「裁判に掛ける!」と、意気込んでいた件です。 岡庭一雄氏はなぜ裁判に掛けるとまで言い切ったのでしょうか?
 実はこの裏に隠されている真実こそが、岡庭一雄という男の正体であり、ここまで不正と犯罪を積みかねる起因となっているのです。
 いままで読んでいただいている方にはそれは何となく見えていると思います。しかし、仮に捜査機関が阿智村に入ったとしても、それを解明する事は困難かと思います。

 不正と犯罪は直結しているように思われると思いますが、実は、不正は経過であって結果ではなく、まして原因でもありません。 犯罪は、不正が法的判断の中で各種の法律に違反していることが前提であり、結果として処罰されるという事だけのことであります。            平成29年3月5日

 この様に書き出せば、何を言っているのか分らないとか、それがなんだ? と思われる方もおられるでしょう。
私が言いたいのは、悪いことをしたのであれば、「警察に言えば良い!」とか「警察に捕まれば良い!」 そしてその様になったとしても、それは “単なる結果” であって、実はその原因は何も明らかとされていない!ということです。 犯罪者としては、当然犯した犯罪の件で裁かれるだけであり、深く沈みこんだ本当の理由は何も明らかとされません。

 行政の中での不正と犯罪
 行政での不正や犯罪はあり得ません。 これは当たり前のことであり、すべてが個人の不正や犯罪と成ります。
しかし、個人の不正や犯罪では方付けられない法律の盲点がある事にお気づきでしょうか? 一般の方には分からないと思います。そしてそれは、一般の人に知られては困ることなんです。

 弁護士は何でも知っているのか?
大学の法律学科を出ていれば法律に関して知っていることは当然であり、司法試験に合格するか否かの資格制度で判断することはやめましょう。
 法律の盲点は弁護士のためにある。
弁護士は真実を導き出す人では在りません。正しくなくとも弁護するのが役割です。 裁判官には感情がありませんから、合理的な証拠の積み上げがその判決の根拠となることはお分かりだと思います。
 阿智村の行政に不備が有る!?
万が一、阿智村行政に不備が有り、その事を下平顧問弁護士が “知っていた” としたら・・・平成29年3月7日

タイムリミット                                     NEXT

 第三の男+α
 熊谷義文が議員に成った。 それまでの経過は今更なので書かないが、議員の器で無いことは確かでありました。
西地区は、熊谷操氏が、熊谷時雄君が議員と成ってきましたから、それよりは、“まし” かな? 程度です。
 選挙となれば、人の目を気にして集まるだけであり、無投票なら誰も相手にしないのが現状でしょう。
まあ、西野地区だけではないとは思いますが、陰口ばかしで表で言わず、正しいことを言っても取り合わず、山ん中の特徴ですかね

 何方かのコメントで、熊谷義文議員が議会前に文書を配り、その内容を議会で取り上げた?? 様なことが書かれておりました。 そこから始めましょう。(今開催中の議会に影響しますので書きます)

 あり得ない話しである。
 議員が文書を配る! 議会開催前としても全体協議会前としても、朝一であったとしても、議員が議員に文書を配る! なんて事はあり得ません。(それだけで除名)          平成29年3月9日

 何が書かれていたか?
 その文書は熊谷義文議員が作成して、一部の議員(7.8名)にだけ配ったようです。 その中身について議会で取り上げた上で熊谷義文議員が説明したようです。
 間抜けな男達
その文面の中に、熊谷議員の見解が示されていたようですが、その見解を、「私の見解では・・・」のところを「岡庭村長の見解には」と綴られており、 『これは何だ!?おかしいじゃないか!熊谷議員が自分の見解を纏めたとして説明しているのに、なぜ岡庭一雄の名前が出てくるんだ!!』と、大騒ぎに成ったようです。
 呆れちゃうでしょ!??
なんともはや・・ お粗末なことであります。 その上で、「岡庭一雄に頼まれました・・」と、白状しちゃうんですから目も当てられません。 アウト! アウト!  罷免される前に、辞表書きましょうね    平成29年3月11日

 彼の何がそうさせたのか
 昨年の園原社秋祭り、酒席の終わりころ私の横に来て話しかけてきました。 話の内容は当然公開質問状の事でありました。 「俺もブログは見ている。自治法も手に入れ、これでも勉強している。」 そう、それじゃ質問状の事は分かっているよな? 「勝野さんは汚い、村長から章文さの文章を手に入れておいて隠していた。俺達には何も話しをせずに進めている。」 そうか、でもそれは汚い事とは違うんじゃないかな? 公開質問状にハッキリと「村長に渡してある」と、書いているんだから。 「分かるら?村長の事は、今までのことを何にも知らないんだから・・」 ・・・
村長に渡してある文書には岡庭の不正を記してあると書いているんだから、それを村長に見せてくださいと言えば見せてくれるんだから、議員としてその中身が必要な事だと判断すればよい事じゃないの? 「俺だって相談してくれれば話しが出来るのに・・ウンスン」 公開質問状には議員の皆様としてあるんだから、議員として対応すればよいことで相談することじゃない。それに犯罪だと判断したんだろ? 「それはよく分かっている。」 そう? 分かっているんならなぜ、本谷・園原財産区を別々にしようと一旦決めておいて、なぜみんなを集めて俺を攻撃してまでして反対したのか? あの時、4人で決めたとおりに別々になってさえいれば、この様な質問状を提出するような羽目にはなっていないぞ。(この男、ここまで来ても事の重大性に気づいていない)                 平成29年3月13日

 この話には付録がある
 「俺は副村長に相談した。章文さが作ってくれた “財産区とは” “県条例では” を見せたら、本谷・園原財産区は何も問題ないと言われたから、それに税金対策でやっていることだし・・」 副村長がそんなことを言ったんだ。
 一昨年の秋祭り
一昨年の秋祭りの二次会も、義文君に誘われて東山道に行きました。 そこでも同じようなことを言われています。
「熊谷村長は何にも知らん。村長、何か具体的な方向性や村長ならではの発案はありませんか?と聞けば(一緒になって考えてもらえませんか)だって、そりゃ無いだろ、あなたは誰ですか?って聞いちゃうよ、だってそうだら、村長なんだから議員と相談してやることじゃないじゃん。」 たしかにそうだ、義文君の言うとおりだ。でも、村長に成ったばかしだし、上手に付き合いたいって事じゃないの? それに原憲司さんが推した人でしょ、それに岡庭も「岡庭塾の生徒」だって公言してたから跡継ぎじゃないの? 議会は勝野議員とか竹村議員みたいに、いままでいじめられてた議員が居るからやり辛いんじゃないの? 「でもそんなことを言ったたって村長なんだから、だから俺は副村長の方が話しが合うんだ。」 そうは言っても副村長は、岡庭村政の時の総務課長参事なのだから、熊谷村長は副村長にしているんじゃないのかな。そんなに心配しなくても、義文君は勝野さんを慕っているんだし、時雄の敵は勝野さんや竹村議員なのだし、そこでやっていけば良いんじゃないかな。(第三の男その1が登場しました)平成29年3月15日

 熊谷義文議員の1期目
 「スクールバスの運転は俺が骨を折って紹介したんだ、その恩義を忘れやがって!」この様に言い出したのは、農間部落で時雄君第一の子分、渋谷章行さんであります。 熊谷義文議員が村会議員に出ようとした数年前のことです。
 彼は議員に成りたそう
それは早くから感じておりました。熊谷時雄君には楯突いており(正当な理由)、一時は私が時雄君側の人間(叔父との関係で)として攻撃もされてきましたが、話し合ったことにより互いを信頼し合うようになりました。
 園原では義文君しか居ない。
打ち解け合えば分かります。私も、彼なら良いかなと思うようになりました。 しかし、その気配を感じていたのか、汚いことを指摘された腹いせなのか、渋谷章行さんの悪口は増しておりました。
 叔父も時雄も
叔父も事あることに義文君を悪く言いました。(私の前で)時雄君は子分を使って言いふらし、敵と思うものを排除しておりました。
 困ったことに
義文君はスクールバスの運転をしていても、給食センター付の職員です。行政のことには当然の如く精通しています。ですから、叔父や時雄君のやっているおかしな事は分かっていたのです。ですが・・岡庭一雄に掛かってはどうしようもありません。「やい、義文のことはお前が何とかせよ」と、時雄は岡庭に言いました。「任せておけ、あいつはどうにでも成る、少しおだてりゃ心配ない。」このおだては義文君から何度かきいております。                          平成29年3月17日

 おだてに乗っちゃった
 父が教育長の時、義文君は教育委員会付けでありました。 同じ部落でしたから父なりに面倒を見ていたと思います。義文君も父のことはその様に見ていたと思います。
 黒柳村長と父の中では、たしかに勝野さんは必要な人で有りました。勝野さんは、その様な関係を推し測り、義文君の面倒も見ようとしていたのです。
 村長選では、山内さんと岡庭の対抗構図でしたが、黒柳村長は両陣営の旗印でした。 世間では、「岡庭は仲人子だからだよ」とか、「山内さんも一期目で失敗したから黒柳も逃げたんだ」とか、勝手な言い方をしていましたが、黒柳さんは父にこう言ったそうです。 「どっちが勝っても、後を考えないといかん」 ですから、「勝野を教育長に」と、岡庭に言い渡したのです。
 荒れたのは時雄君
荒れましたねえ、かなりショックだったみたいです。おそらく、その席は時雄君と成っていたのでしょう。 義文君も面白くなかったのだと思います。「勝野さんがなぜ?岡庭一派に入ったんだ」と公言していましたからね。                              平成29年3月19日

 野に下った勝野さん
 岡庭村長の2年目が教育長任期満了だったと思います。 山内村長の教育長人事は智里東の石原さんでしたので入れ替えは当然のこと、そこに「勝野を使え」でしたからやむを得ずでした。
 そりが合わないのは当然
黒柳さんが急逝すれば、後はもう邪魔者でしかなかった勝野教育長はお払い箱、これも仕方有りません。
 共産党体制の完成
水上宗光・佐々木幸仁・山内常弘(党員でない)、この三人の職員を参事に据え、教育長にはつなぎ人事で “言うことを聞く者” を据え、その後に子飼いの党員職員に切り替えていくのです。 やりたい放題の共産党が支配する「赤い阿智村」は、着々とその実効支配を強めていくのです。
 野に下った勝野さんは、議会が有るたび傍聴して、「いつか来るはず」として正常な村を求めていたと思います。そんなところに、「議会議員の皆様とした公開質問状」が出て行くのです。平成29年3月21日

 勝野さんはなぜ議員と成ったのか
 忸怩たる思いはあったでしょうが、引き金は私でしょうね。 野にいる勝野さんを尋ねたのは議会議員に公開質問状を提出した後のことです。 官製談合というとんでもない犯罪を犯している、岡庭が村長として続けていけば多くの共犯者を出してしまう、この村は共産党に牛耳られていると話したのです。
 議員に立候補するのは知りませんでした。
勝野さんは勝野さんなりに何とかしようと動いてくれました。「ビジターセンターの建設は良くない、園原の問題として対処しなければ」と、熊谷義文に話し、「章文を助けてやらなきゃ、同じ部落じゃないか」と・・この話しは義文君から聞きました。(勝野さんは教育長として岡庭派に入った人間だから・・と、この時既に離れておりました)
 岡庭に刃向かう
議員として立候補するに当たってはそれなりの覚悟はあったかと思います。しかし、多勢に無勢、おかしな進め方や事業に対して都度意見を言っているのは聞こえてきていましたが、竹村前議員と同様に時雄や岡庭に一方的にやり込められていました。(職員は皆さん知っており、世の常として強い方に付くのは致し方ないことです)                             平成29年3月23日

 昨年の選挙前
 勝野さんは今期で終わるとして宣言していたようです。最後まで共産党に支配されている議会とやり合いましたが、竹村議員と二人して撃沈されてしまいました。 熊谷義文議員は、次の議長は俺しかいないのではと思ってしまったようでした。
 聞こえてきた話
「やい聞いたか義文がなあ、村長が議長は義文しかいないって言ってくれたって言いふらしているぞ、馬鹿じゃあるまい、村長がそんなこと言う分けないじゃないか、あいつは本気で議長に成れるって思っているようだぞ」
 残念ながら私にも
秋祭りの後、私にその様な事話しました。「そうか、それじゃ村長は期待しているってことなんだから、協力してやれば」 たしかに、勝野さんが出なければ、また、共産党支配が続いてしまう。
 さて、どうしようか
別れ際、義文君は私に言い残しました。「章文さ、今度は悪いけど章文さの反対に回るかもしれない」 ああ、情けないこと、時雄に利用されている事に気づかないなんて・・       平成29年3月25日

 あせる時雄君
 熊谷義文議員は再選に当たり私に意味深な言葉を投げかけましたが、私には何のことかは当然分かっておりました。
月川旅館の払い下げに関してです。 一年前は義文君も、「村では7,500万円払うって言っているんだから払い下げしてもらった方がいいら、それで直せばいいじゃん」「払い下げせずに村の金で修繕して、なおお風呂を新しく造れなんて虫が良すぎる。俺は反対だ」そう言っておりました。
 様子が変わって戸惑った
私は本谷・園原財産区の違法を明らかにして、地区民に「別れるべき」としてその根拠を文書化して配布しました。 義文君も一旦はその事を理解し別れるべきとしたが、熊谷操に反対されて寝返ってしまった。 時雄・叔父・操の三人衆に取り込まれて私を攻撃する側に成りました。
 一変する三人衆
公開質問状において三人の不正と犯罪が明らかになるにつれ、時雄と叔父は焦りだした。 「このままでは逮捕される」この様な危機感から、「月川旅館を払い下げよ」に一転しだした。 自分たちの物にしておけば逮捕されても関係ない。
 ねじ込まれた
三人衆側に寝返ったのは当然彼にも後ろめたいことが有ったからですが、これ以上関わり合うのは得策でないとして選挙では “頭を下げ” には行かなかった。
時雄はあせり、彼に詰め寄りました。「言うことを聞かなきゃ俺が出る!」     平成29年3月27日

 浸かりすぎた
 義文君は、再選するに当たり欲が出すぎたんだと思います。 それは誰でも票が欲しいでしょう。特に、「議長の席は俺だ!」とはばからなかったんですからね。
 端から見れば哀れなり
本当に議長になれると思っていたのでしょうか? どうもその様でした。勝野さんが辞めると言ったのにまた出るようになった!この事が何より許せなかったのだと思います。 なぜ勝野さんが出るようになったのか?と考えれば気づきそうなもので有りましょうに。 議長に成る、成れるつもりのところに勝野さんが出れば芽は無くなる、そんな程度の危機感があったのでしょう。
 時雄の甘い言葉
「俺の言うことを聞けば後期は議長にしてやる」「良いか、勝野が議長に成ることだけはどんなことをしても避けなきゃ成らん。清内路は野村を出す、話は付いている。勝野がたとえ何票とっても外堀は埋めてある」
 今まで散々騙されてきているのに、その甘い言葉(?)にのってしまいました。というより、脅かされたんでしょう。 前回選挙では渋谷秀逸・熊谷時雄連合で票は回してもらえなかったのに、馬鹿な男です。                          平成29年3月29日

 離れていく地元住民
 選挙の時にはほとんどの人が見限っていたようですが、出てしまえば仕方なしに押さなければならず。しかし、前回流れた時雄・渋谷修逸の票は逆に50ほど入っていますが、ここで忘れてならないのは渋谷扔國という男が西を地元として出たことです。この男の選対委員長は熊谷操(西の三悪人のうち一人)、前回義文君の選対委員長になっていますが今回は敵になりました。そして50票ほどが回っています。 みなさん、あまりに見苦しすぎる話ですが、その実態を聞いてください。

 渋谷扔國という男、ほかのコーナーでS氏として書き出してきましたが覚えておいででしょうか。とてもお粗末な男ですけれど、なぜ村議会選挙に出たのか詳しく話します。
 私の母方祖父、渋谷勲(渋谷秀逸の父)と親戚関係であり、兄弟付き合いをしていた園原郵便局長渋谷英雄氏の養子であります。(婿養子)吉川建設の土木部に勤めており、ヘブンズスキー場計画時の吉川側担当者でした。
 議員選挙で村民の皆様が感じたとおり、かなりおかしな男
ヘブンズが完成する一年前に本社に戻り、あとは窓際でした。(吉川光圀先代に聞きました)ヘブンズ工事中から石田・岡庭の手下に成り下がり、それが余りにみっともないので窓際に、最後には石田・岡庭にも無下にされ、相手にしてくれたのが操でした。
 操の犯罪にも大きく関与しています。
ヘブンズ浄化槽の排水は川の流れに沿い戸沢に排水されるようになっておりました。それを釣り堀で生計を立てていた青木屋(渋谷秀逸)が猛反対をして園原暮れ白の滝源流へポンプアップで流すようになりました。
熊谷操(議員)は渋谷扔國からその情報が入るや否、当時の部落長(熊谷千良)のところへ行き「ヘブンズの関係で印鑑(部落、印)を借りたい、吉川建設やコクサイと話がついているから形だけのものだ」と、渋谷扔國を紹介した。                          平成29年3月31日

 保証金着服
 ヘブンズの前身は阿智総合開発公社でありました。代表取締役はコクサイの石田氏と吉川建設の吉川光圀氏、そのような話の窓口はコクサイの石田さんでした。
 知らないうちの事
本谷財産区の代表は財産区長、園原財産区の代表は知らないうちに熊谷操議員で話が進められていました。 熊谷操は渋谷扔國を窓口に、「暮れ白の滝は園原部落だ、保証金を払え」と交渉し、数十万円を着服したのです。
 コクサイのリーク
「熊谷教育長さん、排水先の山は熊谷さんの山、そこに排水管を通してもらえませんか」と父に話があったのが石田さんからでした。父は、義弟が反対した対面もあり、「ああ、そんな事は構わない」と、石田さんは、「操さんから話があって、阿智総合開発から〇〇万円、保証金を支払いました」 このような話がされましたが、園原部落には一銭もお金は入っていません。
 部落長に確認
父は部落長に確認し、印鑑を貸し出したことを知った。部落長は何度も確認したが、操は一切それに応じることはなく、「石田が金を払わない」として、今日まで来ている。(時効ではあるが、今回警察には私が届けた)                                     平成29年4月2日

 渋谷扔國を西地区の公民館長に
 阿智村公民館長は黒柳村長の時から長い間小林先生でした。岡庭が村長に成って二期目には子飼いの党員を館長しましたので智里西の分館長の席が必要となり、熊谷操議員は議長の権限で子飼いの者を分館長としました。その者は二期務めたと思いますが、勤めとの両立が困難になり辞退したのを受けて渋谷扔國を分館長としたのです。
 渋谷扔國は飯田市の住人
熊谷操に近寄っていた渋谷扔國は飯田市に住んでいましたが、吉川建設退職後を考えて阿智村に住所だけを移しました。その住所地は園原郵便局の横であり、渋谷英雄さんが老後は園原で暮らしたいとして父が頼まれ世話をした土地であります。小さな家で余生を過ごしたところです。 そこに住めばまだよろしいが、二人の目的は当然そこに在らずですから二人の作戦でありました。                平成29年4月4


 園原に籍を置け
 渋谷英雄氏が余生の間園原部落と付き合いたいと、あまり価値の無い山だが部落に寄付をします。とした山は、地縁団体において園原部落で登記出来るようになったとき、「名義変えをお願いします」と渋谷扔國に伝えたら、「冗談じゃ無い、婿養子の俺が唯一相続できた山だ、そんな話しは関係ない」 操が、「あんな山、価値が無いんだからどうでも良いじゃ無いか」として今日まで来ています。
 住所を園原に移したのは、公民館分館長になる前のことでした。 汚い人達ですね、その様な事までして村の金を “せびる” んですね。
 岡庭の再就職先
以前にも書き出しましたが、岡庭一雄が五期目を諦めたとき公民館長の座に狙いを絞り、渋谷扔國を公民館長にさせておいた。 村長を辞めて後、用意しておいた公民館長の座に座ろうと党員教育長に指示をした。 教育長から熊谷村長に「公民館長は岡庭さんが成ることになっています。渋谷さんは前期の2年が今月終わります。渋谷さんに話していただけませんか」
 館長の任期は4年である。
渋谷さん、二年間ご苦労様でした。 その様に村長、教育長から伝えられたとき腹が立ったという。(その前に、器では無いと思わないのが常人と違うところかな)
 教育長の議会答弁
「渋谷さんは住所があっても居住していない。その様な者に公民館長を継続させることは出来ない」
もっともな話でありましょう。
                         平成29年4月6日


 時雄が怒鳴り込む
 渋谷扔國は操を通しての岡庭の仲間、それがなぜ岡庭に反旗を翻したのか?と思いますよね。 これには特に意味は無く、「腹が立った」だけのことなんです。 そんな程度ですから時雄に頭を下げ、時雄は「よし、俺にまかせろ」と、熊谷村長と熊谷教育長に怒鳴り込んだのです。
 状況的には扔國の方が通った話しですから元に戻れただけの話しですが、実は、もっと深い(浅知恵)意味があったのです。
 影が薄くなった熊谷操氏
園原部落は息子の代、地区においても用が無くなった人(やっと)表に出るのは飯伊森林組合理事の立場のみ、それもしがみついている状態、それなのに時雄と岡庭の力は衰えていない。
 身の危険を感じれば良いものを
「本谷と園原財産区は別々に成るべきだ!」と、私が声を上げたとき、普通の者であらば誰でも同調します。 それが出来ない者はそれだけ “まずい” 事が有る者。 特に操氏は有りすぎる者、そこで声を出さなきゃ、正直ここまで彼を追い詰めていませんでした。              平成29年4月8日

 園原水道の公金着服(横領)
 阿智村岡庭一雄前村長の不正のコーナーに当初書き出していますが、園原水道には「管理費」と「保証金」が存在します。その事は昭和の終わりに園原部落と阿智村で契約が成され、園原水道に関しては管理費と保証金を一本にして園原部落会計に振り込みされることになりました。
 管理者は部落が決めること
契約時には水道管理者(熊谷千良)が決まっていましたが、熊谷操議員が当時の水道課長と話を付け、操が管理する手続き(操の口座に振り込ませる)に変えてしまいました。
 これが当初の犯罪(平成元年)
平成元年の部落通帳には、阿智村収入役から47.5万円が振り込まれた記録が有ります。また、その一月後に同金額が下ろされています。
 平成16年まで全額横領
平成16年に当時の部落長が不正を指摘し、30万円が手持ちで部落に納入されている。翌年の私の部落長でも同じく30万円が納入されています。(平成16年までの着服金額は少なく見ても760万円)
 横領は続いていた
平成19年には、水道代とした特別会計の通帳が出来ていた。また、帳簿にもその特別会計通帳は記されており、水道代・165,000円が毎年現金として納入されてきた
。          平成29年4月10日

 共犯は誰なのか
一昨年、熊谷操の水道保証金横領の件と自治会や財産区の不正を文書にしたため、主立った地区民に配布し、尚且つ、熊谷村長にも提出しました。
 村長に脅しの電話を入れたのでは無いか!?
熊谷操は渋谷扔國を使い村長に「章文の文書はデタラメだ!操さんはそんなことはやっていない」と恫喝していますよ。(近いうちに事実が判明します)
 言い訳がお粗末
西地区民に配布したあとすぐに熊谷時雄は自治会の役員5名を招集し、子飼いの渋谷章行、熊谷操、渋谷久利を引き連れて『章文攻撃会議』を開催した。
 各自が自身の都合の良いように「章文はデタラメを言っている」と口撃したようだが、操の口撃が奮っていたと聞こえてきました。
 その一言とは
「俺は1,300万円も着服していない」 笑い話しに成ってしまいました。     平成29年4月12日

 操を助ける者
 30年にも渡り、この様な犯罪を続けてきているんですから、これを解決することは並大抵ではありません。 この犯罪の根が深いところは、「阿智村から金が出ている」と言うことです。 操の普段の言い訳が「阿智村の事、村が決めている」でしたから、気がつく者がいてもどうしようもありませんでした。また、当然の如くそれに関与した者、操の取り巻き、操の身内、これらの者が代わる代わる部落長や会計を続けているのですから手が付くことでもありませんでした。 ですから、その犯罪を指摘するより、数字の間違いとして修正することをしてきました。
 最早限界
世代が変わったことにより返って複雑に成ってしまいました。 私の年代の者は何も言える者はいません。若い者は操の身内や取り巻きになびき、また、判断する能力も勇気も持ち合わせていません。
 部落長で有りながら
昨年度の部落長は熊谷政幸といいます。家は操の隣りで操の息子孝志とは幼友達、ですから孝志の言いなりであり、「これは村に行って話しちゃまずいんじゃ」とか、「管理費なんで村と操さの問題じゃ」とか言い続け、挙げ句の果ては「来年の部落長は下りてくれ、みんなの意見だ」まで言うしまつ。
部落長は代えてもらって構わないが、水道保証金に間違いがある。間違いで修正出来るまで会計は続けさせてもらえないか、と部落会でお願いすれば、「会計は変わることが当たり前だ」として、言いくるめた進め方をして拒否される。                         平成29年4月14日

 渋谷扔國が議員選に出た訳は
 平成23年、水道事故(塩素機故障)が起きた時、水道課の係長が「塩素機の故障に長い間気づかずにいまして申し訳ありませんでした」と経過説明に自宅に来てくれました。
 何もしない水道課、何もできない水道課
熊谷操さが管理しているんだよな?管理していてなぜ長い間気づかずにいたのかな?操さだって水道利用しているんだから毎日飲んで気づかないはず無いじゃないか?! 「・・管理者は田中義幸さんで・・聞いてみたんですが・・」 義幸さは名前だけではないのかな?義幸さは操さが議長に成る時、「議員が村の水道管理の委嘱を受けていたんじゃ拙いじゃないか」と問題に成り、とりあえず子飼いの義幸さの名前にして義幸さに振り込まれた金を全額操さが受け取ってきたということは部落では知っているよ。村でも知っているだろ、知っていて義幸さに聞いてみたってしょうがないじゃないか。操さに聞けよ。 「聞いてみております」 聞いてみたんなら分るだろ、長い間故障に気づかぬ分けはなんて言っているんだ。 「いや、塩素機の故障は村なんで・・」 馬鹿な事を言っちゃあ駄目だよ、水道管理者は委嘱で、それに見合った金が出ているんだし、何よりも備え付けの管理日誌が有るじゃないか、日誌の記録を見れば何時頃故障したんだか、塩素機が不良くらい分ることだし当然記録に書いてある分けじゃないか。 「日誌には書かれていません。操さんにも聞いておりますが・・」 日誌はね、私たちも見て来ていますよ、操さは管理費じゃなく水道保証金、知っているだろ係長なら、その金を着服しているからせめて管理くらいはやっているだろうと、数年前から日誌を見て来ているよ。
 戸沢水道の管理者は毎日点検し毎日日誌を書いていますよ。ところがどうだい、操さはここ何年も日誌に何も書いていないどころか見にも行っていない。
村だってその管理日誌に何も書かれていない事を知っているのに注意一つ言ってないだろ。 こんな不始末をしても事の手当てに係長一人が、それも俺に言い訳に来ても解決する話しじゃないだろう。                   平成29年4月16日

 岡庭一雄村長に何を言っても無理
 熊谷操が議長に成ったとき、「水道管理者の名前を変えた方が良い」と、アドバイス(?)したのは岡庭一雄、時雄や岡庭はこの件を盾に操を操っている。 だから、岡庭が村長であれば何をどう言っても詮無きことと、部落会で追求し管理者を代えたのです。
 泥棒の何物でも無い
昨年度末の部落会において、私の今年度部落長役は全員の決により下ろされました。その結果を受け、「水道保証金は操さの数字間違いとして対応している、その事は村長も了解していること。それがハッキリするまではもう暫く時間がかかるため、もう一期会計役を続けさせてもらえないか」とお願いしたら、「うちの親父を泥棒扱いするのか!水道管理者なんて村が決めること、そんなことに口出しするのか!」とそれはそれは凄い剣幕でまくし立てたのが操の長男孝志と渋谷扔國でした。
 熊谷義文議員と熊谷秀二自治会長に意見を求めたが
二人とも、「会計は変わるべし」として拒否されました。この二人、公金横領は承知のこと、それ以外の横領や犯罪にも操の協力者以上の存在である。

 渋谷扔國が村会議員撰に出馬
 推薦人と選対イ委員長が熊谷操とくれば、どなたも「ああ沿うか、そういう事か」と、分かるでしょう。
熊谷操の水道保証金着服は昨年4月に村長に告発しています。村長は矢沢水道課長に調査するよう指示しました。
しかし、矢沢水道課長は調査をする事は無く、熊谷操にご注進申し上げていたのです。
 渋谷扔国が村長に電話を入れる
「水道の金で熊谷操さんを疑うとはどういう事か、今すぐ止めさせよ!」と、恫喝しています。平成29年4月18日

 手先は矢沢水道課長
 今回村長と議員に告発した告発文に、園原部落特別会計通帳の写しを証拠として添付しています。 その通帳は操の指示を受けた熊谷和美(操の甥)が部落長の時作った通帳であります。(監査を受けていない) その内訳は、熊谷操から手渡しで払われる165,000円の専用通帳です。(30万円が16.5万円に減額されている)
 昨年の3月、水道課長と出納責任者に水道保証金の不明について問い合わせに出向き、二度にわたって矢沢水道課長と話し合いをした。 矢沢水道課長の対応に不信を感じた私は、不明な内容といくつかの証拠を書いた文書を村長に渡すよう矢沢課長に依頼した。その文書は地域活性化課長にも渡し、内容を熟読してから同じように村長に渡すよう依頼した。                  平成29年4月20日

 矢沢水道課長の不思議な行動
 今回告発文に添付した特別会計通帳の写しを見てもらえるとわかりますが、昨年の4月某日に阿智村管理会計から165,000円が直接振り込まれています。 今まで熊谷操に振り込まれていた総額57万円の内から165,000円だけを分離して振り込んでいるのです。
 あり得ない行動!
矢沢水道課長にも出納責任者にも、「園原水道管理費・保証金の不明」を示し、明確な説明がないからこそ熊谷村長に対して “直訴” している。それも二人の課長にすべての文書を読ませ、「村長に渡せ!」とお願いしている。
その様な最中に、矢沢水道課長は独自で判断(?)し、出納責任者も “知っていて” 村長に内緒で金を動かしている。 どのような理由があっても、このような事は許されるべきことではない!し、これ自体が犯罪となる。 だからこそ、村長に告発したのです。
 矢沢水道課長のおかしな発言と行動
公金横領とのことは誰でも分かること、私は犯罪者をつくりたくないからこそ端から間違いと判断している。 常に同伴者を伴うことは当たり前の事ではある、今回も昨年度部落長であった熊谷政幸(操の共謀者)を都度同伴している。矢沢課長も係長を同伴させている。           平成29年4月22日

 お粗末な人間
 熊谷政幸部落長もまったく呆れた人間である。私は兄である石原義則に幾度となく政幸の相談を受けてきた。親戚では無いが親身になって対応してきたつもりである。
政幸が孝志と幼なじみであることから、かなり気を遣ってきた。「お前は部落長だ、この様な大変な話しに巻き込まないように考えている。ただし、村への口火だけは部落長として対応しろ。後は俺が全てやるから気にするな、それに警察沙汰にしないよう村長にお願いしてみる」 最初からこの様に伝えていました。(しかし、孝志の言いなりと成り昨年の12月には「来年の部落長は下りてくれ、みんなの意見だ」から始まり、水道の不明金が整理できるまで会計を続けさせていただきたいとの要望も「出来ない、みんなが決めたことだ」として進め、私から通帳や帳簿を取り上げることに躍起となりました)

 矢沢水道課長が熊谷操と通じていることは分かっていました。
熊谷政幸部落長と二人して矢沢水道課長に話を聞きに行った当日に、熊谷操に電話が入っておりました。ですから操は孝志に伝え、熊谷政幸部落長の足を止めたのです。
矢沢水道課長は「一週間後に来て下さい。それまでに過去の支払いについて調べておきます」と言った。
約束の日に熊谷政幸部落長と役場を訪れようとした際、「操さの水道管理費は操さが村と決めていることなんだから部落には関係ない。俺は行かない」と政幸は言った。
 何を考えている?!
お前は部落長だぞ、昨年の部落長が言ったこと「5年前、部落で水道管理者と決めてくれたが俺はやっていない。操さが孝志にやらせるからお前は手を引けと言われている」と言ったのを二人して聞いているではないか。                                 平成29年4月24日

 矢沢水道課長の驚くべき発言
 政幸をかかわらせたくはなかったが、部落長である限りはやむを得ないこと。ですから窓口だけにしようと意見しました。「お前は部落長だ、しかし個人的な考えで話しをしない方がよい。今回だけは同席させるがあとは俺一人で対応する。今日の課長との話しにも口を出さないように」
 矢沢課長は係長を同席させた。これは当然の対応である。しかし、課長の回答発言には驚きました。
「園原水道と特別な契約をしたとは考えられない。道路公団で保障工事をしたとしても村も金を出しているはずだ。聞けば東組と上の組の保障であって中の組と下平組は関係ない。道路公団も関係ない組の分は工事費を出せる筈がない。その分は村で工事費を出している。だからその分の水道代は村が徴収している」 と、まあこう発言したのであります。
 まず驚いたこと
この話の内容は平成24年の水道事故において、私が熊谷操を追及した時の言い訳の言葉であった。
 これは根が深いどころか矢沢課長が共犯だ!
そうですか、ならば当時の契約書を示してその通りの契約内容だと示して下さい。契約が無いとか考えられないなどといい加減なことで話し合う内容ではない。園原部落で指摘している事は公金横領ではないかと質問しているのだ。課長が適当に答えることではない。            平成29年4月26日          
                                   

 指摘通り犯罪ならばどうするのだ!
 園原部落で水道事故が起きた時、操はこの様に言い訳しました。
「原孝平村長(黒柳村長の前)の時俺が頼まれた『園原水道の面倒を見てほしい』と、何故かといえば、中央道の呼びトンネル工事で上の組と東組の共同水道が渇水したので俺が道路公団に陳情に行って交渉したんだ」
 まるでデタラメ嘘だらけ!
よくもまあここまでデタラメを並べ、嘘で固める者を見たことはない。そこだけで言えば恥ずかしいくらいの “大物” である(*^ ^*)
 私は間髪入れずに反論しました。
原孝平村長の時は祖父清が園原財産区の代表議員だった。議員二期目は黒柳村長、村長と二人して道路公団に掛けあい「園原前部落の水道化」を陳情している。昭和の終わりに村営水道化され、保証金と管理費の両方が園原部落に入ることになった。部落では最初の管理者として熊谷千良さんを決めている。
それがどうして操さになったかは知らないが、管理をしていたんなら水道事故の影響が10日も続いていない。 管理はともかくも寛さが部落長、翌年の私が部落長の時、操さは30万円管理費として部落に入れている。
 
 矢沢水道課長の回答
「私が役場に入ったとき最初に従事したのが水道課だったのでよく覚えている。55年ころからだと思うがそんなに昔の書類は残っていない」 残っていない?探してみましたか? 「それはどこにあるかも分らんし探しようがない」 探しようがなくても探して、それでもって「これこれこうでありますよ」と説明うけなければどうしようもない事。契約書が有るんだから、それを探せば途中経過などは不要じゃないか。 「契約書なんてとって無いない」 そんな馬鹿な事が有る筈がない、契約書は村のために必要なもの、保管して在るに間違いないこと、それに先日は「探してみます」との事で今日を指定したのは課長じゃないか。なのに探しもせずして何を言っているのか。 
 この時に察しました。
(ああ彼か
、彼が即操に電話を入れたのか)これは共犯だ、これ以上彼と関わるのは止そう・・そう思った時にとんでもない発言が彼の口から飛び出した。               平成29年4月28日

 時効はいつまでですか
 私が確信犯なのかも・・ 端から矢沢水道課長を疑っていました。それは当然であります。 熊谷操の園原水道保証金着服は30年前始まった時から父がつかんでいたからであります。
 父は教育長
長く農協で金融を扱ってきていましたから操の着服を見抜くことは簡単であったとか。しかし父は穏便タイプ、園原で犯罪者をつくりたくはないとの思いも確かにありましたが、操が議員の立場で職員を関与させている限りそれを暴けば黒柳村長の不徳と成すところ、そういうやり方は出来なかったようです。
 部落で解決しよう
部落で決めた水道管理者がいましたから、部落長に話し正規な形に戻そうとしました。が、当時の部落長はお隣の渋谷さん(吉彦の父)、部落会で取り上げても操は逃げまくり、手がつ
かないうちに世代交代、そして有耶無耶に。
 水道事故で判明した矢沢水道課長の関与
 熊谷操は議員であったため田中義幸の名前にしていた。水道事故の時はすでに議員でなかった。 事故後、部落で決めた田中友弘に「孝志にやらせる」と言ったそうだが、孝志の名前にしなかったのは「孝志の鶴巻荘行状」にあるという。(?どういうことか)
 園原水道管理組合代表熊谷操、とした保証金と管理費の内訳書類が見せられたが、これ自体が急きょ作成された矢沢水道課長の公文書偽造でありました。               平成29年4月30日

 根が深い
 30年も続いていましたから根が深いのは当然であろう。また、矢沢水道課長が30年前から操の指示に従っていたのか?とも考えにくい。
 平成16年、熊谷寛さんが部落長私が副部落長の時、それと無く役場に聞きに行っています。 その時の村長は岡庭一雄、水道課長は熊谷宰光(同年)「園原部落の水道管理費と保障金の支払いはどうなっていますか?部落に直接振り込んでもらいたいんですが」
 口ごもった宰光
「それは・・園原水道は特殊なんで」 何が特殊なんだよ 「知っとるだあ、操さんが議長に成った時義幸さんの名前になっているんで」 ああ、俺は知っているが部落ではそんな事は知らん。義幸さの奥さんが直接30万部落長のところへ持って来たっていうから、部落長の寛さんが水道保証金と知っていたけど「何の金だ?」と言って受け取らなかったら、「俺の留守に置いていった」と聞いた。だから「なぜ部落に入る水道保証金が義幸さの奥さんが現金で持ってくるんだよ?」って聞きたいんだよ。「俺に言ったって分らんよ」 分らんじゃないだろ、お前は水道課長じゃないか!
 登場した岡庭一雄
その時の水道課は村長席の前の方、私の言動に見兼ねたのでしょう、飛んできました。そしてこう言いました。「章文君よ、分っとるで分っとるで、俺の方から話しておくで」・・・    平成29年5月2日
   
   公金横領
  「園原水道は特殊なんで・・」  ここまでが精一杯だったのでしょう。 それもそうだ、方や泣く子も黙る議長様、おかしいと思っても一介の職員では後が怖い。 部落でも面と向かって言えるものは誰もいない。 それほど怖いんだ!
(西の三人衆・岡庭一雄・佐々木幸仁、これらに面と向かって何か言った人今まで下りましたでしょうか。何をやられても陰口一つ言えなかったんじゃありませんか)
   頭に乗らした村民
熊谷操の手癖の悪さは生まれ持ってのものであろう、普通の人なら、考えもつかない公金横領です。
 情けないのは部落の人たち
誰一人、質す人も正そうとする人もいませんでした。私はいつでも追及できましたが、操に味方するお粗末な者が、いつも邪魔する姿を見ており、それを下を向いて黙っている人たちを見ると、(出しゃばらないように)と我慢するだけでありました。
 今回なぜ警察に訴え出たのか!
正直訴えようとも、やっつけようとも思いませんでした。 何とか犯罪とせず、間違いで修正できないかとやっておりましたし、熊谷村長にも「警察沙汰にしたくない、数字の間違いとして操氏には何とか返済してもらうようにしたい」とお願いしております。                 平成29年5月4日  
  
  
水道課長の操作
   矢沢水道課長が不適切な発言をしたのは、熊谷政幸部落長と二人で会った二回目の時でありました。
「過去すべての記録を用意する、村長に確認して事に当たる、それが準備できるまで時間をいただきたい」と、水道課長からの申し入れがあり、その日を提案された。
   時間稼ぎ
その日の話はいい加減な話ばかし、「今日すべてを調べて報告しますとのことだったが、何にもないじゃないか」と詰めたら、『こう云うよなことの時効はいつかな?』・・・
 言葉に詰まった
びっくり仰天!! 何なんだ?この発言は!? たいていの事には驚かない、また、どのような事にも対峙できますが、さすがに驚き二の口が開きません。
 後になって気づいた
この時は熊谷操の横領について時効の話を出したのか!と思い、即座に返しました。
「おい、オフレコだよな?!」 オフレコにしておけよ、村から出ている水道管理費と保証金の話だ、その件について時効などとの発言を職員が口にするとはどういうつもりだ。仮にも今日は園原部落の部落長、そして会計の立場でここにいる。公の話だが事が事だ、慎重に話しているのにそんな事を口にしてはダメだ。聞かなかったことにするが・・(ここまで話しながら気づいたことがある) 平成29年5月6日   
   
   操作したな
   職員の協力者がいる。それは以前から分っていました。が、それは私が追及する事ではないし、30年近く同じ協力者とは限らないとも思っていました。
 この男か協力者は
矢沢水道課長が得意げに、「私が役場に入って最初に配属されたのが水道課だから園原水道の件は良く知っている、公団は園原全体の工事費用は出していない、あとは村でやったはずだ。だから当然保証金はこの金額が妥当なんだ」と話されたときであります。
 操の受け売り
この話をなぜこの場で言うのか? いや言わなければ成らなかったんだ。だとすれば、協力者はこの男だ!(まだ他にも居るらしい)
 馬鹿な男
自ら、「30年前から関与している」と言っているのです。 また、平成23年に作成してあったとして保証金・管理料の振り分け明細がこの時示されたが、この様な物が有ったなら最初に見せられたはずである。   
   馬鹿はこれだけでは収まらない
私が一番気に掛けたのが係長同席で有った事。 その場で「時効は何年か?」なんて、平気で言える事の恐ろしさです。
 係長が矢沢課長と操氏のやり取りを少しでも知っているとしたら、今後彼自身をさい悩ませるかもしれない。
私がオフレコにせよと注意した時真っ赤な顔で否定したが、反面係長は青ざめておりました。平成29年5月8日
   
   不正操作の証拠
 どうしてここまで来てしまったのか、私は園原部落の会計処理として「間違いを直そう」としているだけである。
 知らぬは熊谷村長ただ一人
公金横領なんて事は誰の目からも明白なことである。 一番の問題は、職員全てが知っていた公金横領を、誰一人咎めるどころか正そうともしない。 岡庭一雄前村長は当然の事、彼の村長時から現在までの職員全てが知っている事、隠していた事なのであります。
 そら恐ろしい
『間違いでは修正できなくなっている』 熊谷政幸部落長も必死にそれを隠そうとしたことは、部落の中まで浸食しているということ
 血の気が引く
もはや私の範ちゅうではなくなっている、どうしたら良いか、どうなっていくのだろうか
 瞬時にしてそう思うと同時に、(熊谷村長は知らないだろう)
知っている分けが無い、矢沢課長にくれぐれも「村長に話していただきたい」とお願いしたのに、何一つ対応せずしてこの様な状況であれば熊谷村長に話すしかないだろうと考えました。   平成29年5月10日  
  
   村長に話すにはどうしたら良いか

 窓口の矢沢水道課長が隠そうとして操作したのであるから、これ以上話していてもダメなことだ。かといって出納責任者でも対応はしないだろう。
 村長に渡すのは簡単
いまだかつて熊谷村長と話したことはない。どんな人なのか、岡庭一雄の後継であれば赤い人だろうか。
もしかしたら矢沢課長の行動は承知しているかもしれない。であれば、このまま警察に行ったほうが良いかもしれない。
 不正であれば正攻法
この場は早々に切り上げた。帰り際に「これから先は一切俺がやるから、部落長は孝志のこともあるからやりつらいだろう」そのように伝え帰路についた。
二三日考えました。「確実に村長に渡る方法と、渡れば必ず対応せざるを得ないようにさせるには?」
 信用できる職員
地域活性課には地元の係長職員と信頼が置ける課長がいる。岡庭一雄のリニアアセスメントで苦労した者たちである。
 彼らを巻き込む
村長に提出とすれば、この横領だけでなく智里西地区で行われてきた行政補助金に絡む不正と犯罪のすべてを告発すべきであろう。それにはまたとないチャンスでもある。         平成29年5月12日
   
  
   村長に告発する
 熊谷操氏の事は一部、主は本谷・園原財産区のことです。そのほとんどが阿智村を舞台にした犯罪であり、岡庭一雄以下多くの公人が関与している。
その内容は多岐に渡り過去数十年の積み重ねであるからして、恐らく日本中においても類を見ないであろう。また、公金・補助金・税金と、ありとあらゆる国の金をごまかしている事は、警察という捜査機関だけでは当然のこと対応できる話ではない。
 十年前の官製談合は警察は知っている
12年前の、岡庭一雄(水上参事)村長・鈴木設計・熊谷時雄議員の官製談合の一件は警察は知っている。 私が契約事項不履行として民事裁判を掛けたことが影響したと考えています。
確かに岡庭一雄以外は時効となっているが、それは単に刑事訴訟法においてであり、熊谷時雄の多くの犯罪が時効となる事ではない。
 岡庭一雄は時効となっているのか?
岡庭一雄が村長を辞めて三年が経過すれば時効であるが、私は昨年4月に熊谷村長に告発している。また、阿智村議会議員の皆様にも公開質問状の中で官製談合の件は詳しく伝えている。
行政の長と査問機関である議会議員に告発している限り、時効前という事に成ります。
 現在は平成29年5月
平成29年2月末において、岡庭一雄は村長を辞めて丸3年が経過した。 「もう時効ではないか」「警察に捕まっていないじゃないか」と、口さがない人達は声を出すかもしれない。
万が一、その様に警察が判断したとなれば、その責任はすでに熊谷村長と、前期の議会議員に渡っている事でありましょう。                              平成29年5月14日  
  
  
警察に捕まえさせることが目的ではない
 熊谷操氏の件を考えてください。熊谷操氏は官製談合も、まして補助金不正受給もしていない。 悪く言えば、単純な横領が主であります。
操氏のいくつもの不正な金銭授受のうちの一つを園原部落の会計の中で警察に告発しましたが、現実には村の金、公金横領となっています。
 何度もチャンスはあった
30年も続いていた着服を間違いの中で修正するよう、修正できるチャンスはありました。
最初は12年前、当時の部落長が直接話をつけて修正した。にもかかわらず、その2年後、甥と息子を使って虚偽操作した。 5年前は水道事故の中で管理者を変える形で修正できるようにした。これもまた、役場職員と示し合わせ虚偽操作した。
 それでも警察に訴えないようにと、修正の中で解決しようとしているのにまた虚偽操作をした。
そこで許せないのは、多くの者を共犯として関与させたことである。
 不正を隠そうとすれば、それはもはや犯罪となってしまう。
なぜこんなことに気づかないのか? どうして愚かなことを続けてしまうのか!?
 攻撃しても隠せない
私を攻撃しても意味が無い。 何度も間違いで修正しようとしてきた私を攻撃しても、それは自らが捕まることを進めることであり、子供や身内、そして直接的な利害の無い者まで巻き込んでしまう愚かな行為でしかない。
 今やっと気づいたようでは有るが、悲しからずや、もう手が届かない話しであります。平成29年5月16日  
  
   まだ間に合う
 悪い人達の中で互いに悪口を言い合っても、告げ口をしても仕方ないこと、どうしたら良いかを考えればそこに答えはでてきます。
 反省を先に
謝ってすむ事ではないが、あやまるべきでしょう。  
  
   熊谷村長は待っているはず
 熊谷操氏のやることは一つしかありません。 それは園原水道保証金を明確にすることです。
いつから始まって、どのように金額が移動してきたか。 その中で自身が受け取った額はいくらであったか。
すべての金額は当然のこと村では分かっていますが、熊谷操氏自身が明確にして熊谷村長に示すべきでしょう。
 その上で、すべては自分一人での責任として矢沢水道課長の関与を否定しなければなりません。
最低最悪の状況を脱したいと思うのではなく、すべての責任は私に在りますとした姿勢が最低最悪をの状況から救われるのではないでしょうか。                    平成29年5月18日  
  
   岡庭一雄や熊谷時雄の犯罪には詳しい
 社会は法律で成り立っています。その法律は最低限のことしか決められていません。なぜ最低限なのかといえば、人は過ちを犯すからで有ります。
 仮定論
初犯は罪が軽くなるかと言えば、別に罪が軽いわけではありません。初犯であれば自首が出来るからであり、自ら罪を認めれば反省をしているとみなされ、“あやまち”を犯したと世間も見るからであります。
矢沢水道課長は熊谷操氏のために便宜を図ったのでありましょうが、やりすぎました。 証拠改ざんをしては救いようは有りませんが、「なぜ彼はこの様なことを平然と行ったのか?」を考えなければ成りません。
 今までのやり方を復唱しただけの事
岡庭一雄村長の指示が、“そうであった” のでしょう。 熊谷村長を無視している事は、それはそれで問題でありましょうが、岡庭一雄がそうしてきた事を忠実に実行したことだと思います。   
   
   岡庭一雄は何故熊谷操に甘かったのか?
 熊谷操氏の着服金はこれだけではありませんが、そのほとんどは時効となっています。
岡庭一雄が村長に成ろうと考えた時、熊谷操を助役にする話しが有った事を以前書き出していますが覚えておいででしょうか。 それを簡単に反故してもいますね。
熊谷操氏の数々の不正や犯罪を知っていた。そしてそれを、“出汁” していた。いわゆる “弱み” を握っていたのです。
 汚い岡庭や時雄
もうこれは三流ドラマの世界です。
こんな子供だましの様な事を平然とやれるだけの状況であった岡庭村政も村政ですが、こんな事は歴代の議員は皆さん知っていたんですよ。それの方が驚きでしょ?!           平成29年5月20日
  
   鶴巻荘支配人の不始末
 一度でも見過ごせば、もう歯止めは利かないでしょう。その悪例がこの一件ではないでしょうか。
当時の支配人が不始末をしたという事が聞こえてきました。それは、其のことが起きてから一年も後のことでありました。
 釈然としない
そもそも不自然なことが多すぎた岡庭一雄村長でした。
以前、他のコーナーで「伍和、丸山の我慢」を書き出していますが、あの件は、伍和丸山地区の集会施設を建設したときの話でありました。
 伝統的な豆腐加工
地区伝統の豆腐加工が既存集会施設の一角で行われており、新築施設でもそのスペースが確保されました。豆腐加工機器は施設補助(県)対象とならない為、阿智村でその予算処置がなされていました。
 その予算と豆腐加工機器が熊谷操(当時議員)経営のふれあい館(リフレッシュモデル事業施設とは、月川旅館・パークランド等の一連事業)に隣接する食堂に配置された一件を「不正」として取り上げたものであります。
 熊谷操氏のためにそこまでした岡庭一雄
ホテル阿智川会長の山口氏が口利きしたものでありますが、それくらい強引なことがやれるくらいの “弱み” も、当然そこにはあったものと推察いたします。(操氏が逮捕されれば明らかと成るでしょう)
 豆腐屋となった熊谷操
現役の議員が経営する国庫補助施設もおかしな話ですが、それにしても丸山の住民をまったく無視するやり方が、岡庭一雄が言うところの「これが民主主義な」であります。       平成29年5月22日  
  
   少し話を変えます  前期の伍和地区代表議員について
 前期の議会議員で伍和地区からは、高坂美和子前議長(二期目)・高坂和男現議長・木下勝吉の三名でしたよね。
この三人は丸山地区集会施設における「豆腐加工機器の不正」はご存じなかったのでしょうか? また、熊谷哲の一件も何も知らなかったのでしょうか?
 この三名は、何を持って立候補したのでしょうか? 不思議でなりません。
特に高坂和男と高坂美和子女史は丸山ですよね。丸山から二人も出て、この二つの事件を忘れたのでしょうか?! (木下勝吉?これは問題外)
 この二人は何を差し置いても、この二つの事件を対応をしなければ成らない。
高坂美和子女史はこう言っていたのではありませんか!?「私は全村で立候補しています。女性の代表として阿智村のために働きます」
裏返せば、「私は共産党です、ですから全村で立候補しました。女性の代表として岡庭共産党のために尽力します」 と、まあ、こう言っているのと同じでありましょう。
特に、熊谷哲の一件では岡庭一雄に共産党員として意見している女史ですからね。
 丸山地区の皆さん、どうでしょうか?                             平成29年5月24日  
  
   高坂和男こそ、「丸山」
 丸山代表ではないかな高坂和男議長は、議長は地元のことはやりづらいとして控えておられるのかな?
でも一期目は地元議員としてしっかり働いたのでしょう。
私はこのサイトで「丸山地区の我慢」と題して豆腐加工機器のことを書き出しています。 あなたは私のサイトをご覧に成られていたようですが、この文章を読んで何か感じるところは有りましたでしょうか?   
   
   高坂美和子前議長   
  全村で立候補するという事は地区代表ではないということ、高坂美和子女史はそうであったのでしょう、女性代表と成れば体裁はつくろえる。それであれば地元のことは二の次にできるし、まして議長と成ればどのような言い訳でも通用しそうだ。
 後半の議長までやった人
あまり聞いたことがない。 全村で出て、女性代表として最高得票数で議長となったが、後半の議長に手を挙げるとはまああまり聞いたことがない。 それも一旦はやりませんと下りておいて、勝野議員が手を挙げたとたんに「後半もやります」と言ったそうだ。
これは熊谷時雄議長と全く同じ、「勝野を議長にするな!」という岡庭一雄の指示に沿ったのであります。(こんな話は誰でも知っているが)
 ここまでやった人だから、「私の議員使命は岡庭一雄と共に」が信条で、私の公開質問状にも正面を切って徹底無視を決めつけております。
 まあ馬鹿ではないようですから、書かれていることが犯罪だと気が付いたようで、「議長として有るまじき」と恥じたことは、少しは反省しているかもしれない。
 先日の伍和地区議員懇談会では下を向いて黙っていたそうだが、「前議長として反省しています」の一言ぐらいは言うべきではないか。それでなければそのような懇談会に出向く資格は、全村立候補した者として資格は無いように思える。
 地元のために何もやらなかった人が、地元の懇談会で何するものか。      平成29年5月26日  
  
   高坂和男議員のこと
 この人が議長になりそうだ?! との、話が聞こえてきたとき、(高坂和男って誰?そんな議員は居たのかな?)と、思いました。
失礼な言い方ですが、まったく知らない人でした。 「伍和の丸山で今回二期目だそうだ。勝野の議長を阻止しようと時雄たちがたくらんでいる」、へえぇ そうなんだ
 その様な話が聞こえてきたとき、(ああ、この人もお仲間か)そう感じてしまいました。
 お仲間にしてもひどい
時雄の仲間であれば、伍和丸山地区は岡庭共産党に毒されていることになる。 熊谷哲の死、豆腐加工機器のいきさつ、信じられないようなことが起きていたのに、何も無かったがごとく、いやそれ以上だ! この地区から村会議員が二人も出ていて、その二人ともが岡庭共産党なのだ。
 高坂和男が議長
議長になれば、赤い村の継続が続くことになる。 「民主主義などくそ食らえ」の連中がまた阿智村を食い物にしてしまう。
 前期議員のほとんどが、岡庭一雄の数々の犯罪を隠そうと躍起になっている状況で議長が岡庭共産党と成れば、それは議会の混乱がまた続くことになる。               平成29年5月28日  
  
   期待できない議会に何も求めない
 前期の議会議員に公開質問状を提出したことは、“議会に期待” するものは何も無かったからである。
岡庭一雄村政の不正を暴くのに、岡庭一雄の議会で解決できるとは考えていませんからね、最初から「議員では何も理解できないだろうし、心当たりのある議員は隠してしまうだろう」と、考えてのことであります。                                    平成29年5月30日   
   
   無駄なことに見えたかも
   勝野議員と竹村議員には事前に会いました。それは二人しか信用できないことと、また、唐突に出せば二人であっても混乱するかもしれなと考えたからでありました。
 何も深い話しはしていない。
公開質問状を提出します。内容は「岡庭一雄がつくった阿智村リニア社会環境アセスメントには不正が有ると考えているからです」と切り出しました。
 二人は犯罪に気づくのか?
信用していても理解するかどうかは別のもの、社会環境アセスメントに不正が有るなどと言えば「なに?」って思う方が普通であろう。
 思った通り
受け応えはやはりそう云う感じでした。でも、「言われてみればそうかもしれない」と二の句が出たのであります。
 席を外した竹村議員
あくまで私の考えですので、単に対応していただければ構いません。しかし、他の質問は全て不正と犯罪の証拠を持っています。でも、この事は実際議会で対応する事は無理でしょう。
竹村議員は分科会があるとの事で席を立ちました。
 犯罪は議会で対応する事ではない
これは言わなくとも分ること、「議員に調査権は無い」これも当たり前の事、ですから、私の質問は議会に提出していません。議員個人に質問しています。個々の議員がそれぞれに、対応してもしなくとも、まあどの様に扱われても一切構いません。                    平成29年6月1日   
   
  二人にも本音は伝えていない
 公開質問状はデモンストレーションでありました。阿智村の議員で、ましてこの内容で、対応できるものは誰一人いません。 県知事であっても警察であっても、何一つ動きようが無かったでしょう。
 物事には順番がある
10年前に懲りていたわけではないが、知らない者は解りようがないのであります。 まして知らせる必要もない。決して岡庭一雄も熊谷時雄も、警察に捕まえさそうなんてこれっぽちも考えていない。 彼ら二人に、『お前たちの行ってきたことは犯罪だ!』と、知る由に成ればよいのです。
 人は勝手
岡庭一雄と熊谷時雄が、仮に警察に捕まったとします。(10年前のこと) それを知れば人々は、「ああだこうだ・・・何なんだ」などと、一時的に口にして一部の関心ある者が騒ぐことで終わってしまいます。
 人の噂も七十五日
何事もそのことわざの通り過ぎていくものであります。 しかし、それで済まされないものがある事をご存知でしょうか?                                平成29年6月3日  
   
   気づくものと許されない者
 テレビニュースを見れば、毎日がごとく犯罪が報道されています。 そこには傷害事件のような暴力的なこともありますし、公職員による性犯罪も有ります。
人々はそれを見て驚くとともに、明日には忘れるであろうとも無意識のうちに自覚しているのではないでしょうか。
 身近でない
小池都知事の劇場盤を見ればそれは面白くもあり、安部首相の忖度も「また嘘をついてらあ」と感想まで述べていることでしょう。
 この様にテレビで放映されることは身近で起きている事件でないがために、余分な話として気楽に受け止められています。
 知らぬが・・なんとか
忖度という言葉が森友学園の件で広まりましたが、それも遠い国のことと感じている方が殆どでありましょう。
飯田市にも多くあることを、それも犯罪であることも飯田市のコーナーにこれから書いていきますが、下伊那の町村にもそれはある事として忽然とその姿が現れると思います。
 知らなかった、気づかなかったと人々は言うでしょうが、とてもよく知っている、それこそ当事者も「それが悪いことだと知らなかった」「これが犯罪だと分からなかった」と、口をそろえて言う人達が阿智村には居ることに気づいてください。                     平成29年6月5日  
  
   許されない犯罪
 公人・公共・税金 言い換えて 公金横領・不正受給・脱税
これらはすべて地方公共団体に関与する犯罪であり、今回公開質問状で指摘した犯罪と思しきことはここに上げた犯罪であります。
 これらの犯罪は許されるとかどうかの問題でなく、計算的に数字が合わなくなる事実ですから修正されなければなりません。
国はいたって単純明快です。感情が無いということは数字で判断しているということですから、数字が合わなければ合うようにしなければならず、それのどこが合わないのか?と精査するのが首長の役目です。
 首長の役目
どこが合わないのか精査するために調査をしなければならず、その調査を実施するためには “真実” が必要となります。
これらの犯罪は隠されていますから、「誰かが、何かをしなくては成らない」 のであり、これを行うのが村民の代表である議員であるわけです。                    平成29年6月7日  
  
   岡庭共産党の議会
 ぼんくら共の議員ばかしなら事は簡単で、私は質問状の前に検察に行っていたことでしょう。
今回の私の行動の原点は、本谷・園原財産区にあります。 そこで行われていたことこそが、岡庭達の犯罪の縮図でありました。
 地区で暮らす人達の権利まで左右してきた事は決して許されることではなく、このことの解決に立ち向かい始めたのが二年前でありました。
 不正だ!犯罪だ! として訴えようとしたり、誰かに相談してことの解決をしようとは思いませんでした。 それはなぜか?と問われれば、どこに相談しても、警察に届けたにしても、「それは成されない」と分かっていたからです。
 権力なんて無い
岡庭一雄が村長であっても、熊谷時雄がどれだけ攻撃してきても、彼等は「犯罪者である」と断言できていたからに他ありません。
 この様な者たちに何の恐れがあるでしょう、何の権力があるのでしょうか! 私から見れば、刑が執行されていない “ただの犯罪者” であり、世の中で一番最低限な人達なのです。     平成29年6月9日   
  
   愚の骨頂
 犯罪者に支配されている議会に正当な戦いを挑んでも無駄なことです。
なぜこの様に遠まわしな方法を取ったのかと問われれば、それはいくつか理由があります。
 一番の理由は叔父
自身の叔父を犯罪者としたくない。 長い間叔父には言ってきましたが、考え方が変わるとも思っていませんでした。
叔父の努力は誰よりも分っているつもりです。月川旅館も花桃も、この谷がインター開設により変わっていく様の先頭を走っていましたから、それはまぶしくも有りました。
 何かが違う?
最初に不信を抱いたのは、月川旅館を始めた2年目で有ります。
時雄君の異様な考え方についていけず、叔父に相談したことがありました。
 時雄には人情が無い
人を疑ってかかる時雄君とは既に距離を置いていましたが、余りにも悪口(熊谷操氏に)が酷く、また、叔父に取り入ろうとしているのが見え見えでした。
本谷財産区としては渋谷勲が絶対的な存在でありましたから、叔父は必然的にその後継者(議員)として世間は見ていました。                             平成29年6月11日   
   
   叔父が騙されている
 時雄君の野心は知っていましたから、叔父に近づくことにより叔父を抑えることが出来るとしたのでしょう。 この事はおじも気づいており、「俺にはそんな気がい、それよりこの地域でやっていくことが一番だ」と言いながらも、熊谷操議員を批判する言動に矛盾を感じました。
 岡庭にはまり込んでいく
「秀逸さのためなら金はいくらでも用意する」この様な発言を何度聞いたことだろうか。
村長になる為にはなんでもするという腹が見え見えでしたが、建設的な叔父は、そのことの方を選んでしまったのでありました。
 月川旅館の成功
二年目にして目安が出来、井戸が温泉となって軌道に乗り、三年目から黒字になった。
 裏金をつくる
税金をごまかす、と言うのです。 三年目の決算時にそれは始まっていました。
 役員は指摘した
「大丈夫かな?」・・「あんじゃあない」 宿泊客からの支払いは帳簿に載せなくては成らない、であれば “何から抜く” のでしょうか?                       平成29年6月13日  
  
   鶴巻荘との違い
 少し話は移りますが・・・ 指定管理者騒動の中で、「鶴巻荘の指定管理者とどう違うのか?」なんて話が取り沙汰されていたかと思います。
 指定管理者制度については他のコーナーでも書きました通り、「公の施設」という大きな括りが有ります。 ですから、「鶴巻が公で月川が公じゃないのか」というような愚門が生まれてしまうことについては、熊谷時雄の知識が無いうえでの攻撃の言葉であったと判断してよろしいのではないかと思います。
 公の施設と一般的に判断されるのは「営利施設・営利事業」に使途されない施設です。 そうなりますと、「それじゃなんだ、鶴巻も指定管理が出来ないじゃないか!」と反論されるのではないでしょうか。
たしかに、営業施設ですから指定管理者制度を当てはめるのは多くの疑問を禁じ得ないですね。
 無理やり指定管理に
過去の経過をご存知の方、あるいは議員・職員であった方はそれぞれな見解がお有りであったろうと思います。それはその時点では、各々の見解がそれぞれであったから尚更のこと覚えておられる方が居るのではないでしょうか。
 どれも間違いとは言いませんが、どれも正しくは無かったかもしれません。
「なぜお前はそんな訳の分からぬことを言うのか?!」とお𠮟りを受けるかもしれませんが、私はここにも気づかない疑問と疑惑が存在していたと考えています。  
  
   月川と鶴巻の違い
今回時雄君は、「鶴巻の指定管理が継続されているのに月川はなぜ払下げされなきゃいけないんだ」「指定管理者制度は俺が議員の時取り扱っており、俺がすべて掌握している。あまりバカげたことを言うな!」と、机をドンドン叩いたのではありませんか?!            平成29年6月15日   
   
   鶴巻荘は温泉施設
 昼神に温泉が出た! 黒柳村長は村民サービスとして温泉を利用する施設を計画しました。
県にそれに見合う補助を申し込みましたが、その時代温泉を利用する村民サービスなどに適する補助は皆無であり、その代わりと言っては何ですが、住宅供給公社が紹介されました。
 その当時の住宅供給公社
県下の温泉地に、その様な施設を数か所建設していた実績もあり、村も、「県の紹介だから」として、話がまとまったようであります。
 公社の指導
公社が手掛けた温泉施設を数か所見学した後、「最近の温泉施設においては宿泊を望む湯治場的な施設が好まれそのいずれも売り上げが伸びている。30年返済が15年に成ったところもある。阿智村も宿泊棟を併用する計画にしたらどうでしょう」と提案されました。
 鶴巻荘は温泉施設
収益施設であるからには村では経営できない。阿智村と清内路村共同の公社を設立してそれに充てる方がよろしい。と、まあ、この様になった分けで有ります。(こんなに詳しいのは、小平設計で私が担当者で有ったからであります)   
   
   鶴巻荘は旅館ではありません。
温泉施設として始まり、その計画中で宿泊棟が付帯されたのであります。
温泉施設として始まり、その目的が村民サービスで有りますから、正しく公益施設と成る分けで有ります。  平成29年6月17日   
   
   公社はいつ解体したのか? なぜ解体したのか?
 岡庭一雄は鶴巻荘を潰したかった
熊谷時雄がひるがみの森専務のとき、鶴巻荘改築に「昼神温泉に村の旅館は民間を圧迫する」と異議を唱え、廃止論をぶち上げた。信濃毎日新聞は時雄と同調し世論に訴えた。
 鶴巻荘改築中止
岡庭一雄が職員お立場でありながら鶴巻荘改築に反対したのは、当然のこと村長の席をにらんでの事でありましたが、やり方がいかにも共産党でありました。
 時雄君は公開質問状を提出
「議会に公開質問状を出せ」としたのは岡庭一雄でありますが、それをいち早く記事にしたのが信濃毎日でありました。(私の時とかなり違うでしょう)
質問状は父の手元にあるのを見ておりますが、「幼稚な文で騒ぐだけが目的」と気にもしていませんでした。
 気にしなくては困る
議会が満足に取り上げなかったのは,その内容が不明確であったからですが、岡庭や時雄は騒ぎを大きくすることが目的でありますからそこを目的としていませんでした。
 熊谷操議長の活躍
熊谷操宅を岡庭一雄と時雄君は何度も訪れています。 そこでは当然のごとく、「鶴巻不要論」そこには水上宗光も借り出されています。                       平成29年6月19日   
   
   村長に成れなかった恨み
操氏にその様な事は当然ありました。そこを突く彼等のやり方こそが共産党員独特なものでしょう。なぜかと言えば、常人はそんなこと考えもしませんからね。
 血迷うやつら
悪い奴らの思う所が一致しちゃったんですね、大変なことですが、この様なたくらみに気づくものが誰一人としていなかった事が不幸の始まりでありました。
 みんながみんなとは言いませんが
やはり人にはそれぞれの欲がありますからね、それは悪いことでもないし、相手が居れば蹴落とそうと思ってもそれも致し方ないことであります。
 やるかやらないかだけの差
はたして鶴巻荘の改築は見送られ、やがて不要の施設へと持っていくはずでした。
岡庭一雄は村長になりました。そして温泉利用の健康療養施設の建設へと進んでいくのでありました。
 たしかに頭が良い
村長選に絡める彼等のやり方は、常人でないにしてもお利口なやり方ですね。相手を潰すには何を持ってしてもという考えは学ぶべきものがありました。しかし私にとっては、「知っておく必要性」であったことも付け加えておきましょう。                        平成29年6月21日  
  
   潰せなくなった鶴巻荘
 岡庭一雄にとっては「時雄の了承が必要」
鶴巻荘は黒柳村長の置き土産的なところがありましたし、村民も「私たちの温泉施設」という愛着を持っておられましたから「鶴巻荘が無くなる?」なんてことは微塵も有りませんでした。
 敏感な岡庭一雄
小ずるい男です。 泳ぎ方が上手とも言うんでしょうか、、その辺が村長を16年も続けられる要因であったのでしょうね。
時雄の溜飲は簡単に下がることは目に見えていましたからね、「時雄は言い出したら聞かん!」と思われている方は多いと思いますが、ところがどっこいでありまして、その辺の所は熊谷操氏に聞けばとっても分かると思いますし、智里西の三悪人もまったく違うタイプの三人だと思い起こされる事でしょう。
 聖域
いつしかそれは誰もが忘れ去っていく事であったかもしれませんが、「鶴巻荘云々」などという発言は淘汰され、前にもまして繁盛していくのでありました。              平成29年6月23日  
  
   鶴巻荘の指定管理者
 実は、鶴巻荘を指定管理者制度にしようと考えたのではありません。
そこには岡庭一雄と熊谷時雄・渋谷秀逸の不正と犯罪、そして新たな悪のたくらみがあったのです。  
  
   指定管理者制度
 平成14年に地方自治法の一部が改正されています。その中で指定管理者制度が設けられましたが、指定管理が適用とされる公の施設は、スポーツ施設、都市公園、文化施設、社会福祉施設などであり、管理委託制度から指定管理者制度に移行される期間は平成17年の9月までに義務付けられていました。  
  
   悪用される制度
 鶴巻荘も月川温泉も適用外の施設であるとお分かりいただけたと思います。
ではなぜに鶴巻荘が指定管理と出来たのか!? についてお話します。
 本当の目的はなにか!
鶴巻荘を指定管理者制度とするメリットは何なのか?
岡庭村長と議会は「何を持って目的としたのか?」 でありましょう。
議会議事録にはどのような文面が記されているでしょうか。(熊谷村長、自身の目で確認してください。それをみれば、もつれた糸が簡単に解けるかもしれませんよ)          平成29年6月25日  
  
   月川旅館を指定管理者とするには
 脱税において園原の里開発株式会社がその管理委託を解除せざるを得なくなったとき、岡庭一雄はすぐさま指定管理者制度を取り入れ救済しようと謀ったのであります。
しかし、指定管理者制度は公の施設であることが条件の上に用途も限られておりました。
 め-くらまし
湯ったり~な昼神を温泉村民サービス施設としてしまった今、鶴巻荘はすでに旅館経営となってしまっておりました。
「これは月川旅館と同じこと」 岡庭一雄はそう考えていたと思います。
「であれば、鶴巻荘が指定管理者となれば良い事だ」と、当然のごとく気がついたわけであります。
 悪知恵ほどうまくいく
なぜなんでしょうね? 当事の議員の資質なんでしょうか、それとも “考える力” が無かったのでしょうか。 鶴巻荘が指定管理者制度に当てはまるかどうか、なんてことは調べればすぐに分かることではないでしょうか。また、それを調べて査問するのが議員の務めではないでしょうか。
どいつもこいつも能書きだけはたれて、何一つ仕事をしていないではないか。
 鶴巻荘を指定管理者とするときに正常な議員が一人でも居ればそうは成らなかったし、今回の指定管理者云々で騒動を起こすことも無かったのではないでしょうか。          平成29年6月27日   
   
   鶴巻荘は払い下げ
 もともと鶴巻荘は浮いていました。 時雄が言った「公益施設は昼神には不要」は、案外正しかったのかもしれませんね。  
  
   転んでもただでは起きぬ
 鶴巻荘を指定管理にする必要がなかったと、月川旅館の社長渋谷秀逸を救済するためだったとのことはお分かりいただけたと思います。
 岡庭一雄と時雄の謀略は続く
指定管理者を誰にやらすのか!?
鶴巻荘の知名度は昼神温泉で一番でしょうし、安価な利用料であっても多額の利益を上げていることは、「高価な営業権」を示唆するものであります。
こんな施設を岡庭一雄や時雄が見逃すはずはありません。 たしかに、始めは月川旅館救済であったかもしれませんが、二人にとってはひょうたんから駒でありました。          平成29年6月29日   
   
   清内路村が手を引いた
 実はこれも時雄君の謀略で有りました。
手を引いたのではなく手を引かせたのであります。この事は当時の清内路村長原満征氏に聞いてみてください。この際だからとして詳しく話してくれると思いますよ。
 指定管理者制度は議会で承認すればどうにでもなるものです。
地方自治法に適合していないじゃないか!なんて声を上げても、「県と同等の地方公共団体です。阿智村は阿智村議会で承認を受ければ出来ますよ」と、逆手にとられるが落ちで有ったでしょう。
 住民不在はこの様なところでも分っていただけたかと
「阿智村議会で決めなければならない」 万が一、清内路村で「自治法に適合しない」などと言われてしまえば、鶴巻荘はおろか月川旅館までがダメになってしまう。
阿智村議会は言いなりだが、清内路村にはうるさい奴がいる。ここは何としても清内路は切り離さなくてはならない。
 時雄君と原満征村長の個人的な付き合いが功を成したのでしょう。あっさり手を引いたのであります。(凄いですね権力と云うものは、こんな謀略が何の事無く続くのですよ)      平成29年7月1日   
   
   最後の詰め
 鶴巻荘の指定管理者制度は議会で承認される見込みと相成りました。
どこにやらせるか!より、どのようにして自分たちの関与を残そうか、が、彼等の考えであったかと思います。その証拠に、“決め方” に、手を回したのでありました。
 決定権を持つ
出来レースであったにしても、行政としては一定の手順で進めなくてはならず、そこには平等性も目に見えるやり方をしなければなりません。
 こびそかに
彼等の作戦は、なんというか、余りに姑息であります。その程度のお粗末なことを考えるのであれば、もう少し頭を使ってほしいものであります。
 みえみえ  制限を設ける
一つ! 参加希望者枠を村内に限定する
二つ! 参加希望者は事前に村の審査を受ける
三つ! 募集期間を短くする
まだありましたね、裏に隠されていましたが。 (議会での承認が必要)      平成29年7月3日  
  
   鶴巻荘なら誰でもやる
 誰にもやらせない。やらせるところは決めてある。 この事、皆さん知っていたでしょう。
観光業界で活躍されておられる方ならば、鶴巻荘の指定管理者と聞けば迷うことなく申し込むのではありませんか?
 ホテル阿智川(山口会長)が申し込む
この人がそんなおいしい話を放っておくはずがありません。早々と名乗りを上げたかは分かりませんが、岡庭村長や時雄議員はかなりの焦りでありました。
 入札では太刀打ちできない
もともと指定管理者制度には不適な施設ではありますが、指定管理者であっても実質は経営権ですから高額な入札者で決定すると言うことになります。また、一般募集ではなく入札参加者を募集するとしなければ目的に合わなくなってしまいます。
 山口会長には取らせない
当初はその様な考え方において適度な落札金額を定めて進めていたようですが、ホテル阿智川が参加となれば勝負になりません。そこで何を考えたかと言うと、(議会での承認)でありました。
「高額入札者で決定しない」 金額より議会での承認をトップとしたのでありました。
 勝負が見えてしまった
時雄君の得意技で結果は決めてしまいました。 山口会長がそのことを知らない分けがはありませんよ。
  
   鶴巻荘の指定管理者はこのような出来レースで決まってしまいましたが、実はこの指定管理者となった方が、先日の議員説明会で苦言を呈したのです。
 岡庭一雄と熊谷時雄は我慢がならなかった
「俺が面倒見た」 二人ともそのタイプです。
岡庭一雄にとっては飼い犬に手をかまれた心境であったのかもしれませんが、ホールで待ち伏せをし、「これが民主主義な」とは、まさしく「笑止千万」であります。          平成29年7月5日  
  
   鶴巻荘と月川旅館の違い  払い下げ編
 叔父や時雄君の言い方の一つに、「鶴巻は全面改修をして指定管理者とした。だから月川も払い下げをするのなら前面改修をせよ!俺たちは積み立てもしてきてるじゃないか」があったかと思います。
このところだけを切り取って攻め立てれば、一般の住民は「時雄の言うことも一理ある」と思ってしまう方もいるのでは。
 今回は鶴巻荘のこと
鶴巻荘はなぜ多額の費用で全面改修したのでしょうか? そして公募型で進められた指定管理者と全面改修に、関連される “何か” は有ったのでしょうか?
 基金が溜まりすぎた
40年の営業は多くの基金積立となっていました。
岡庭村長が誕生した翌年、岡庭村長は湯ったリ~ナ昼神に手を付ける前、鶴巻荘の改修を指示した。
その設計は章設計が随意契約で行うことに成りましたが、「使える基金は5億以上有る。全部は無理だが十分な改修が出来るようにせよ」と指示がありました。              平成29年7月7日   
  
   担当者は福岡助役と勝野観光課長(鶴巻荘公社所長兼)
 打ち合わせは随時三人でありました。
「金はいくらでも有る」なんて言われても、目的にあった修繕をすることで有りますから当然その様に問いました。
 鶴巻荘の位置付
岡庭一雄は鶴巻荘不要を側面にの選挙戦は事実であり、村長としてその処置に窮している状況で「改修をせよ」なんて言われてもにわかに信じがたい話しでありましたが、岡庭村長の思うところはすっかり見えていました。(まあそれが岡庭氏の “ゆるい” ところであり、熊谷時雄にはない唯一の利点かな)
 目的は基金
鶴巻荘を潰せない理由の一つに「経営は順調」がありました。村に負担をかけていなく、村民に利用されてきている施設で有れば、なにをもってしても潰すことは出来ません。
ですから、「当面は継続」を打ち出して、そのうちの展開とすることを誰あろう熊谷時雄に “了解” を取ったのでありました。                            平成29年7月9日  
  
   基金の切り崩し
 貯めても使えない資金、それが鶴巻荘の積立基金でありました。
基金の積み立ては鶴巻荘改築に向けてきたものであり、また、公社という特定限定的な組織として運営してきましたから、すべての決定権は公社にあって村長には有らずでありました。
岡庭一雄村長は鶴巻改築を阻止したことで返って動き辛くなったことも事実ではないでしょうか。
ですから、公社の金の使いどころとして改修を前面に出し、適当な基金の切り崩しをしておいて残りの基金に手を付けようと画策したのであります。   
   
   ここから先は想像の範囲
 想像の範囲ではありますが、知っている人は知っているのではないでしょうか。
 国道沿いに在る土地を購入
黒柳元村長と原武平元収入役が個人でもって購入した土地(現湯ったり~な駐車場)ではありますが、鶴巻荘の改築に併せ国道側から直接侵入できるようにと確保されていた土地であります。
鶴巻荘改築経過においては、山内元村長と清内路原村長からそのように説明されております。平成29年7月11日 
  
   論より証拠
 鶴巻荘の改修事業費は数千万円でありました。備品などの更新も行いましたが、1億円などには程遠くありました。
 土地の購入費用
黒柳忠勝元村長と原武平元収入役は他界しておりましたが、土地購入費用は数千万円程度であったかと。
鶴巻荘の基金はその時点においても3億数千万円は残っていたと思います。
 指定管理者制度まえ
鶴巻荘改修の後、熊谷操氏の長男熊谷孝志君が鶴巻荘の支配人となりました。引き続いて湯ったり~な昼神の支配人も勤めています。
しかし、指定管理者制度となる前に熊谷孝志君は退職をしています。
なぜ退職したかは分かりませんが、リフレッシュモデル事業の三施設のうちの一つ、ふれあい館が「門前屋」となったのはこの時であります。(引き続きその経過を書き出します)
 鶴巻荘の基金は増え続けていた
指定管理者制度を取り入れると議決されるとき、併せて鶴巻荘大規模改修が計画されておりました。 平成29年7月13日   
  
   基金を使い切るのが目的
 設計は鈴木設計と決まっており、数億の事業においても入札などは一切ありませんでした。
岡庭一雄氏と鈴木設計の関係は岡庭一雄氏が係長時から始まっており、もろもろの阿智村建設事業において都度、情報提供者と成っておりました。その辺の事情(収賄)を黒柳元村長始め山内元村長、原武平収入役は知っておりました。(当時の課長以上は皆さん知っていますよ)
 熊谷時雄はなぜ鈴木設計と繋がったのか
それは吉田ひろみであります。特に、当時秘書でありました佐藤元県議が引き合わせています。
 ひろみは下伊那の県議で有りましたから当初から宮下設計が後援会に入っておりました。(宮下設計は松下逸雄が辞めた後、松下の紹介で後援会員となった)
 鈴木設計と吉田ひろみのつながり
根羽村の老人福祉センター新築事業からであります。 根羽村に弱かった鈴木設計はひろみの後援会長を長くやっていた小木曽氏が村長となった時、吉川建設の伊藤常務を使い老人福祉センターを受注している。
それを切っ掛けにひろみの後援会に入り時雄と繋がっており、佐藤秘書は議員でもない時雄を鈴木設計に紹介し、「湯ったり~な昼神」の設計コンペに便宜を図っています。(鈴木設計の原君と時雄君の密談を目撃しています)   
   
   冷静に考えてください
 鶴巻荘が指定管理者となって阿智村の収支は向上したのでしょうか?
岡庭一雄村長と熊谷時雄議長の鶴巻荘の扱い方を書き出してきましたが、二人はその様なこと(指定管理者)を行って、阿智村を豊かにしたのでしょうか?                平成29年7月15日   
   
   何のための指定管理者制度なのか
 自治法に明記されている指定管理者制度を読めばどなたにおいてもその目的と適合施設は理解できると思います。
 岡庭一雄氏は、なぜこの様なことをしたのか? する必要があったのかを考えてみる必要があるのではありませんか? それと、積み立ててきた鶴巻荘の基金の扱いに不正は無かったのか?
 数億掛けて行った鶴巻荘の大改修と指定管理者制度との関連、鈴木設計を湯ったり~な昼神のコンペに当選させたこと、鶴巻荘の改築に随意契約を行った裏に金銭の授受かそれにあたる利害関係は無かったのか?
 調べれば調べるほど
おそらくですが、歯止めが効かないほど疑問や不正が出てくると思いますよ。 その何れもが村民の税金に関わることであります。   
   
   岡庭一雄と熊谷操
 鶴巻荘と湯ったり~な昼神の支配人を務めていた熊谷操氏の長男が急に辞めた件、辞めた原因は詳しく知りませんが、そこで行われた不審なことは詳しく知っております。
その事をこれから書き出していきます。                     平成29年7月17日  
  
   門前屋(ふれあい館)
 現在の門前屋は熊谷操氏の長男が飲食店として営業していますが、その前はリフレッシュモデル事業(国庫補助)ふれあい館として展示施設(?)など多目的に使われておりました。
 リフレッシュモデル事業の一環で、戸沢集落には釣堀飲食パークランド、宿泊施設として月川旅館、園原の歴史を語れる施設としてふれあい館がありました。
 ふれあい館には何も無い
「園原は歴史の在る里だ、旅館や飲食店は相応しくない」しかし、何も無いふれあい館を委託管理として任せるには無理がある。横に食堂を併設していくらでもそこで稼げるようにせよ!
 岡庭一雄課長の考え方は酷すぎ
まったく持っていい加減な話でありましたが、じゃあ具体的に何をやればよいのかなんて園原の住民には無理な話であります。
そもそも叔父や時雄君の要望で始まったリフレッシュモデル事業、岡庭一雄課長は宿泊施設中心でありましたから、事業目的に合わせるためにこの様な中途半端な施設を計画させたのでありました。
 2千万の建物
当初予算は2千万円でありました。 それはなぜかと言いますと、宿泊施設に予算を回したからであります。
 2千万円で何が出来るのか!?
こう言って岡庭課長に投げかけました。 何をしたら良いのか分からないところに2千万で何をせよと言うのかであります。                             平成29年7月19日   
   
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 飯田市も阿智村もいよいよ核心を書き出していますので、ぜひご覧頂き不正を無すためにお力をいただけるよう切にお願いいたします。

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   園原の里に相応しい建物
 何も決まっていないのに「園原の里に相応しい建物にせよ」だなんて雲を掴むより難しい。
いま、園原の人達にこの様な施設を使って何でもやってよいなんて言っては見ても無理な事です。かと言って「園原部落の有志で会社をつくり管理せよ!」と岡庭課長の考えで事を進めても誰も分からないし出来なくなってしまいます。
 章文、それが操の目的よ
「園原の奴らに会社をつくって何でもやれなんて言ったたって誰が出来るもんか、そう言えば誰もやる奴がいなくなるから岡庭課長に操が言わしてるんじゃないか」 そう私に注進したのが叔父と時雄君でありました。 特に時雄君は操氏を叔父の手前もあってけん制していましたから、「章文、何とかせんと操の建物になっちゃうぞ!」と私をけし掛けるのでありました。
 私には責任がある!
このリフレッシュモデル事業が決まって、企画・予算・計画と、その全てが委ねられていましたから責任感を持って全てに取り組んでおりました。  
  
   叔父は旅館をやりたくは無かった
叔父は苦労をして釣堀事業を成功させており、いつも、「西の谷にはもっと客を呼び込む何かが必要だ!」と、口癖のように言っておりました。                  平成29年7月21日   
   
   ふれあい館は眼中にない
 叔父や時雄君は操氏を敵対視していましたから、「園原には2千万も回せばよい」という考えでありましたが、操氏は何もリフレッシュモデル事業のようなことを要求していたわけではありません。
ですから、2,000万でもいくらでも金額を気にしてではなく、「園原に何も造らなくて何が村おこしだ」との言い方であったと記憶しています。
 やれるものが無い
「文化財がうるさいんだ」岡庭課長はこの様に言いました。園原は埋蔵文化として村は指定しており、造成しての施設建設には反対の姿勢でありました。(当然であります)
旅館や飲食店もそれと同じであり、歴史遺跡史跡の園原はそういう事に興味がある人しか訪れないと決め付けてもおりました。
 いつかなんでも出来るように
まばらに訪れる観光客相手に営業施設では採算が合わないとしても、いつかは何でも出来るようにするにはそれだけの器を用意しておかなければ成りません。              平成29年7月23日   
   
   園原の原風景に合う施設
 施設といっても具体的には建築物でありますから、現園原の一番古い家屋をそれとする事が良いと考えた。 一昔前の家屋が園原には多くありまして、そのどれもが広い軒下を設けています。なぜ広い軒下があるかと言えば、天候に左右されない農作業収穫エリアが必要とされたからでありました。
 大は小を兼ねる
次に規模であります。「何でも出来る施設」とするには、やはり大きくすることが一番ではありませんか?
 2,000万円では出来ない
この辺は操さんと通じておりました。「先のことを考えれば大きな施設を作っておかないと!予算あっての考えをする必要はなし」 結果的に5,000万円となりましたが、やはり叔父や時雄君から不平や口出しが出ております。
 頑として受け付けない
総合的な計画は三施設であっても一つの事業であり、そのどれもが成功しなければなりません。宿泊施設や釣堀飲食店であれば事業収益で継続が見込めるが、ふれあい館という中途半端な施設で持って継続は不可能と端から分かっておりましたのでいつでも転職(営利施設)が出来るようにと5,000万円投下を希望したのであります。
 岡庭一雄課長はその全てを章設計に任せたという事は、すべてを章設計の責任とすることが出来るとしたことでありますから、割と気楽に認めたものでありました。          平成29年7月25日  
  
   覚えていますか「丸山の我慢」
 丸山地区の伝統的な豆腐つくり、その製造機器設備予算は丸山集会施設建設にあわせ阿智村の単独補助で用意されていました。
 騙しの手口
ふれあい館(現門前屋)に付帯させていた食堂施設では安定的な収益が見込めないとして豆腐加工販売業に転進したが、その丸山地区に用意されていた豆腐製造機器設備をふれあい館の食堂調理室に持っていってしまったこと、その事を気づかない疑問阿智村編に以前書き出しましたが覚えておいででしょうか。
 この事に関わった人物
言わずと知れた岡庭一雄村長であります。 では、岡庭一雄に注進申し上げた人物は誰でありましょう。
 実は、三人居りまして、当然のごとくその一番目は熊谷操議員でありました。
熊谷操議員が「こんなんではふれあい館なんてやっていけないよ。火渡り(行事)で少し上がるだけで普段は人が殆ど来ない。何とかせよ!」と、岡庭村長にせっついていた。
(これは無理もありません。操議員が社長でありましたし、実際にやっていけなかったですからね)
 二番目の人
ホテル阿智川・原建設山口会長であります。 熊谷時雄と叔父が月川旅館を主に岡庭村長にこびり付けば、熊谷操議員は山口会長に添うしかなかったのであり、会長に恩有る岡庭村長としては、これもまた言うことを聞かざるを得なかったのでありました。                平成29年7月27日  
  
   豆腐は阿智川で使ってやる
 熊谷操議員は議員の立場で考える人ではありません。自分にとって何が得かと判断する人であり、金に成ればそれを懐に入れてきた人であります。(園原水道保証金横領のように)
 山口会長が「豆腐は阿智川で使ってやる」「豆腐加工機器で予算を組んで有るじゃないか」と言えば、岡庭村長に、「阿智川の会長の言う通り豆腐加工販売をやりたい。その加工機器を回せ」と言えば、岡庭村長はその通りにしてしまったのでありました。
 山口会長に何の得が?
原建設の会長ですからね、当然原建設特命の仕事とするわけですよ。
豆腐加工はふれあい館に付属する小さな食堂厨房では出来ませんから加工調理場が必要と成りますし、ふれあい館も改造して豆腐を中心とした食堂レストランとせねば成らないですからね。
 問題はここに有る
丸山地区の豆腐加工機器予算は単独補助として取ってありましたが、加工施設の増築とふれあい館のレストラン改造費は予定外の費用です。
ふれあい館の委託管理を受けている園原観光株式会社の熊谷操議員が個人として出すはずがない。
1,000万近い村の金が使われたことは間違いありませんが、こんな無謀が堂々とまかり通る岡庭村政の権力は相当なもので有ったんでしょうね。                    平成29年7月29日  
   
   問題はここにも有る
 丸山地区に岡庭村長自ら出かけ、豆腐加工機器を諦めさせているが丸山地区の皆さんは納得したのでしょうか?
高坂和男議長に詳しい話しを聞いたらいかがでしょうか。 なんと答えるかとても気になりますね。
 熊谷哲は丸山地区でありました。集会施設建設においても村課長の立場だけでなく部落(常会)長の立場として大変に混乱困惑しておりました。
全てを知っているのですからね、それは無理もありませんが、もう一人、村の収入役として熊谷氏が居りましたが、この方も収入役でありますからすべてのことを知っていましたよ。
 岡庭村長も度胸が有る
岡庭一雄にとっては収入役人事は俺の力、課長はただの職員であり部落長より優先される。
「集会施設は建ってやった、豆腐加工機器は備品扱いにもならぬ設備、補助l対象に成らないのであるから自力でやるより他ない」と、強弁を語り、一方的に打ち切ったようであります。
 おかしな話
集会施設は全額県補助施設、ですから入札において章設計が落札しているのである。
県担当者から「豆腐加工機器は備品扱いのため、村予算として県まで上がっています」 この様に、章設計にも地元会議でも話されているのであります。                平成29年7月31日   
  
   もう一人は誰か
 熊谷収入役はその後、任期満了において役場を去ったが、口惜しい気持ちであった事は聞こえてきておりました。
 産業廃棄物終末処理場の建設において伍和地区補償事業として進められていた集会施設でありますから、地元の要望は何でも受け入れられていた。筈であります。
 県の担当者を煽る
この男、田中康夫県知事と正面切ってやりあったと聞きました。なかなかでしょう。
そんな彼が担当者でありましたから、「豆腐加工機器の件、村の単独補助で予算取りしてあるとあなたから説明を受けていたが、岡庭一雄村長は他へ持っていっちゃいましたよ」と、もらしてあげた。
「そんな事は出来ません。単独補助でなく、そのための予算として他で見れるよう組んである予算です。村も承知して村から予算書が出されています」
 怒っちゃった
当然でありましょう。始まりから担当者であり、予算の割り振りから地元との打ち合わせ、すべてを責任もってやってきた、なのに土壇場で引っくり返されれば怒らぬはずがない。
 二度も三度も乗り込んでいった
居留守を使われたり、相手にされなかったりされたようである。
この件は、当然がごとく上に報告されています。それでも通るのですから、県も “腰”がありませんね。平成29年8月2日
   
   担当者との最初の打ち合わせ
 基本平面図は出来ています。あとは配置をどうするかだけですので一度地元との打ち合わせをお願いします。 そう切り出されたのが県の担当者との初打ち合わせの時でありました。
 初めて見た計画平面図
お粗末な図面である。この図面は鈴木設計で図(書)いたと知っていました。
岡庭村長と鈴木設計の癒着はずうっと前から続いており、どのような事業であっても事業化を検討する時点ではすでに図面が出来上がっております。(これは現在でも続いています)
 一度でも “袖の下” をもらうと、それは麻痺してしまうものなんでしょうね。係長時代から続いていれば、麻痺どころか当たり前であったでしょう。(村長になれば都度都度でなく、再選後の政治資金のふりをしてとても高額なんであります)
 これでは配置できません
担当者は配置図を見せ「この配置図にどう入れるかだけですので地元との打ち合わせまでに決めてください」 すみませんが、この平面図は現場を見ずして書かれています。駐車スペースの要望や他の条件を検討すればここにこのまま配置する事ができません。                平成29年8月4日  
  
   ムッとなる担当者
 「これは地元の要望として提出されている平面図です」 口調がきつい
そうですか? 地元が確認しているのなら、配置も合わせてあるのが当然です。この様に配置に関する要望が有ること自体、地元との打ち合わせが出来ていないのではないですか?
 哲に聞いていた
「章文君がとってくれて良かった」 そう、世話になるがよろしくな、そんなやり取りの中に、言わずもがなの感じを聞き取っていました。
鈴木設計が書いているとは互いに知っていること、“そういう状況” を理解しているだろうと暗に伝え合っているのです。
 県の担当者としては面白くない、今まで積み上げてきたという自負がありますからね、それに、平面図こそ間違いなく地元の要望なんだと思い込んでいる根拠は、「哲がその平面図を提出している」からでありました。                                  平成29年8月6日   
   
   鈴木設計に原君
 
原君は上郷、丸山部落のお隣であります。彼とは縁戚に当たりますし年も下、だから遠慮なしで書きます。
 上郷も大きな集会施設を建設しており、阿智村の発注事業であったから岡庭村長が特命で鈴木設計に書かしています。
 丸山集会施設は県の発注事業でありますから県の入札として発注されています。
丸山の集会施設が県の事業とされた時、岡庭一雄は原君を指名し、哲に指示して地元との打ち合わせを行っています。
 鈴木設計で取るとしていた(談合)
鈴木設計で書いて談合の権利を持っていましたからそのように主張するだろうと思っていました。
 鈴木設計の大沢常務
その頃大沢さんは常務でありました。「これはうちの原君が計画をしているので本来はうちでやりたいのだが・・」と前置きして、「〇〇をお願いしたいので」
もっと大きな物件を主張した。
 あれもほしいこれもいただきます
なんとまあ横着なことであります。 大体にして、飯田市の発注事業に対しては設計事務所協会員にしか指名されずの中で閉め出しをしておいて、県の発注事業にまで飯田市と同じ見解で主張する。
談合のような不誠実な事をやっていても最低限のモラルがあればまだ言い訳もつきますが、これではねえ
 譲るわけにはいきません
1級が一人の事務所でも何とか指名していただきたい。県施設課発注の道を開いたのは私である。それを無視して大きな事務所が幅を利かせるなんてことはこれ以上あっては成らないこと。 平成29年8月8日  
  
   敵は地元にもいた
 「それでは章設計の考えを見せてください。その上で検討します」 県の担当者は納得した。
たったの一週間、限られた時間ではあるが私には自信が有りました。それはなぜかといいますと、丸山地区からの要望事項がハッキリしていたからであります。
その要望事項が鈴木設計原君の計画図には表れていない。であれば簡単な話しであります。
 要望に沿ってまとめる
建築家気取りの設計士は、自己主張を我が作品としてアピールする。そこには施主の考えは封印されていることもある。 鈴木設計は、「当社には1級が何人居て云々・・」と、会社が大きい事をアピールする。 岡庭一雄などは「小さいとこで大きな設計は出来ない」と公言してきている。
 施主の考えが中心に無くて何するものぞ
施主の考えに沿ってまとめるのは設計者の責務ではないか、それが無くして計画すれば、誰が見たって比べるまでも無い事である。
 答えが早い県の担当者
真剣に取り組んでいる証であろう。「それではこれを15部コピーして明日までに届けてください。当日は私のほうから地元に説明します」 基本設計図(配置・平面・立面図)を説明し終わらないうちに話し出しました。
丸山地区の要望にすべて答えてあると、それはすぐに判断できたのでありましょう。 平成29年8月10日  
  
   地元説明会
 「地元から出された平面図」「地元の要望通りの平面図」県の担当者は信じていたのでありました。
章設計が提出した新たな基本設計図は章設計の提案であると、その提案を見たら「これの方が良い」と担当者が判断しただけであるからして、「地元に私のほうから説明したい」となったのです。
 事は単純
丸山地区全員が集まっていた。(高坂和男さん、あなたも同席していましたよね。奥さんかな?)
常会長の哲が司会進行した。 担当者の説明は単刀直入であり、鈴木設計の平面図は地元の要望だとしているからけなしはしなかった。
 場違いな意見
担当者は決め付けるような話し方であったが、どなたも理解了解したようでありました。
「どなたか質問は有りますか?」哲の声に手を上げる者は居ないかに見えたそのとき、「前に村から渡された図面でみんな何も言わなかったんだから、何でまったく違う図面で・・おかしいんじゃない」
 一理有る・・のか?
15年前の事であります。その女性は私より一回りは上かと感じました。 後で聞きましたが、岡庭村長の関係者? 原君の親戚の人であったようです。              平成29年8月12日   
  
   岡庭村長はなぜ
 山口会長が言ったにしても、熊谷操議長に豆腐加工をやらせるために丸山地区に用意されていた機器を横流しするなんてことを岡庭一雄村長はなぜやったのか?
 ここに大いなる疑問を持ちましょう。    
 
 岡庭一雄は馬鹿ではない
 少し整理しましょう。
1.ふれあい館(現門前屋)は収益施設で無い為維持管理に窮していた。
2.ホテル阿智川会長が口利きした。工事が含まれていると知っていた。   
3.丸山地区集会施設建設事業に豆腐加工機器設備  岡庭一雄は馬鹿ではない   
   
   
ふれあい館は維持管理に窮していたのか?
 リフレッシュモデル事業一環の施設で有ります。岡庭課長の「受け皿組織をつくれ」の指示のもと資本金300万円の有限会社園原観光を設立し、付帯設備の食堂で維持管理出来るよう営業している状況でした。
 国庫補助のため必要のない負担金であったが、資本金の中から150万円近く負担している。
(この負担金の取り扱いについて月川旅館はその権利を主張した)   
食堂の収益は熊谷操氏が管理していたからして園原観光とは別立てであり、経営は困難だったと思う。
ふれあい館の維持管理費は電気料と汲み取り式の便所程度であったと思うが、特に維持管理に窮する事はない。                                       平成29年8月14日   
   
   ホテル阿智川の会長が口利き
 阿智川の山口を訴える! 「裁判に掛ける!!」と大騒ぎしていた岡庭一雄である。 まず、そこのところから想像してみましょう。
岡庭一雄が村長に成ったからとして山口会長が媚を売ったとすることは有り得ない。 だとすると、岡庭一雄が山口会長に大いなる借りが有るという事に成る。
 蛇の道は蛇
まあ、似た様な者たちだ!と決めつけるのは少々早計ではないか。 山口会長に借りが有るという事は、それはとてつもなく絶対的なことだと想像すべきであるでしょう。
 何でも聞く
裁判に掛けるとまで争った二人であり、共に弁護士を抱えている。下平弁護士と中村弁護士である。
共産党どおしと共に名高い二人で有る。
(まあ、その辺から想像してみてください。借りでなく秘密かも、とても一般の人では近寄れない世界ですよ)                                    平成29年8月16日   
   
   熊谷操議長
 そうは言っても阿智川の会長は外の人、また、建設業界人でもある。
阿智川の会長が熊谷操氏に肩入れするには訳が有ります。 当初は熊谷操氏が議長で在ったからで有るが、そのうち「信濃比叡は俺がつくったのよ
」というプライドの中で叔父に対抗するものへと変わっていきました。
叔父と操氏の犬猿の仲は周知しており、信濃比叡を成功させるには其処で管理できる者が必要と考えてのことであったかと。それはふれあい館を自分のものとした操氏には願ってもないことでありました。
 ふれあい館が門前屋
ふれあい館と食堂では思うような経営が出来ないことは、山口会長にとって不安材料の一つで有ったためと、原建設がいかに阿智村で主導権が握れるかの目的の中(この辺の話は吉川建設で)で特命仕事量を増やす事は原建設にとって必要なことでした。
 「豆腐をやれ、阿智川(ホテル)で買ってやる、他にも紹介するから十分やれる」
こう言って熊谷操議長の穴を押したのだ。                    平成29年8月18日   
  
   言う事を聞く岡庭一雄
 まず、山口会長は「なぜ丸山に豆腐加工機器の納入がある事を知っていたのか?」
この話は山口会長からは直接聞いていませんので想像で有ります。
 議長の立場で拾った情報
議長で無くとも職員に二三名は熊谷操氏のブレーンが居たことはたしかである。(これらの職員が園原水道保証金横領にも関与している)
 伍和丸山の集会施設は県補助事業である。(地元負担無し)だが、例え伝統的な豆腐製造で有ったにしても、県補助事業の目的に合わなければそれは事業費に含む事は出来ない。(豆腐加工室は別名称で設置している) しかし、その要望が強く県に挙げられていたために県はその手当てを行って、村の事業としていたのであります。
 熊谷操氏の言い分
簡単に言えば、「産業廃棄物終末処理場」の補償工事で有るからして処理場近くの集会施設はすべて県で行うべきであろう。なのに、伍和上郷の集会施設は村の事業で行った。
この辺のところが熊谷操議員の口を突っ込むところに成っているのだ。(岡庭一雄村長も結果的にこれを理由としている)                               平成29年8月20日   
   
   別に不正でも犯罪でも無い
 強いて言えば、同義的な問題であるこれらのことは、岡庭一雄という男の行政姿勢なのである。
一般的には考えられない事が彼等のうちでは正常であり、この様なことを繰り返すうちに “不正” がはびこってしまったのではないか  
  
   どちらにしても、丸山部落に豆腐加工機器の事業があると知るよしになった熊谷操氏はこれに目をつけたのは言うまでも無いことであります。しかし、いくら何でも岡庭村長に「俺に回せ」と言えるのははばかったようで、山口会長の出番となったのでしょう。
「あんなところで豆腐を作ったって何の得がある」  こう言って岡庭村長を口説いたという。
 岡庭村長は丸山部落に出向いたという。
苦しい立場は熊谷哲、部落長であっても職員が優先される。 それは重苦しい空気の中で岡庭一雄の甲高い声が響き渡っていたという。  
  
   ここで気がついていただきたいのは、熊谷操議員より山口会長のことであります。
岡庭一雄村長も簡単に動かしてしまう力はいったいどこから来るのか?!で有ります。
みなさんは想像に難くないでしょうが、私も造作無く知っております。  
  
   この時点ではまだ「園原ふれあい館」
 さて、豆腐加工機器一式は園原ふれあい館(熊谷操経営)に行き着いたのでありますが、忘れてはいけないのは、「豆腐加工機器一式」だけであったのでしょうか?           平成29年8月22日  
  
   ふれあい館横の小さな食堂
 小さな食堂には小さな厨房しか有りません。豆腐加工機器一式は少なくとも5,6坪のスペースは必要であります。 それはどのような形になったのでしょうか?
 増築
当時食堂はふれあい館に接続してはならずとされました。補助事業内容が違う各施設でありますから当然のことでありますが、その豆腐加工室はふれあい館と接続する形で増設されました。
 増築費用
熊谷操氏が自腹で造るかというと、それは絶対にあり得ません。 当然のごとく岡庭一雄村長に無心をしているはずであります。
 設計依頼
原建設の平沢社長が当社に来て、「ふれあい館で豆腐加工をするようになった。そこで会長が工事をせよって言ってきたが、章設計に設計してもらった方が早いって言っておいた。ついては・・これこれこんな風に図面を書いてよ」と、言ってきたのであります。
その計画はふれあい館に接続させ、ふれあい館自体の改造も多く含まれていました。 平成29年8月24日   
   
   いくら掛かるのか

 「少しでも多く金にしなきゃならん」 決まればそのように考えるのはどうも皆さん一緒なようですね。
豆腐加工室のみならず、「食堂はふれいあい館を改造して!」の要望も聞いたようでありました。
 加工室を増築してふれあい館を改造すれば、いったいいくら掛ったのでしょうか? 少なくとも数百万、もしかしたら一千万円出ているかもしれません。
 村民の皆さん、この事、丸山地区から豆腐加工機器を取り上げただけでなく、何の経過も承認も得ずして高額な村税が右から左に流れているのです。
 丸山地区民を泣かせておいて、一部の者に、それも議員とした立場のある特別公務員にお金が流れているのですよ。
園原水道保証金着服の件もそうですが、熊谷操氏は公人でありながら公金や補助金をわがものとして懐に入れてきていたのです。
それらのすべてに岡庭一雄が絡んでおり、尚且ついまだかつてそれを秘密時に処理する職員が数名居るのです。
 許せますか?!
警察だなんだとかの問題ではないでしょう。こんなことを許して公共団体は成り立たないでしょう。
前議員や現議員は常識を持ち合わせていなくとも、機構機能として整備し直さなければ成らないのではないですか?                                  平成29年8月26日  
  
   まだまだ続く悪徳な関係
 園原ふれあい館が「門前屋」になった。 この不透明な事業はどこで行っているのか?  
  
   それはいつで有ったか、すっかりと忘れてしまっている。 そのくらい門前屋は馴染んでいるのかもしれない。
 門前屋とは信濃比叡広拯院本堂に関連させたことは確かで有るが、実はこの名前、かくいう私が名付け親かもしれない。
 そうそうあれは確か園原資料館の基本設計をしたときで有りました。
園原資料館で有れば、いかに歴史と原風景の中で自然に調和させるかについて考えていたときである。
もともとふれあい館は「園原の歴史を語れる」として計画された施設、江戸初期から現存する旧家に似せた造りをしてあります。
 この事に広拯院は深く関与をしていない。ふれあい館は “まんま” 園原の住居を醸し出しています。
足りないものがあるとすれば、それは「土蔵」と水車でありました。        平成29年8月28日   
  
   ふれあい館は 母屋
 資料館を造ろうとして原風景の中で歴史的な考察をすれば、ふれあい館と一体にすることが何よりも自然な姿と成る。
ふれあい館が「母屋」であれば、それは土蔵しか付帯しないのであります。
園原にある住居はその大きさと造りが特徴であるが、それは農業の形態から来る考えられた姿でありました。
迷う事は何もなく、ふれあい館をいかに存在させるか、また、ふれあい館の成功が園原の資料館にはもっとも必要な姿ではないかと考えたのでありました。                平成29年8月30日  
  
   汚い男のやること
 ふれあい館を母屋として資料館を蔵とした風景でまとめました。 ふれあい館の裏側に便所を設け、観光客にも利用が出来るようにと開放型としました。

その便所と資料館(蔵)を結ぶ渡り廊下も開放型として信濃比叡の入り口としたのでありました。
 比叡山延暦寺根本中堂屋根を模写した造りは、信濃比叡の門前としてそこに構えるような計画としたのであります。
 岡庭一雄村長や熊谷操氏はもちろんのこと、山口会長にあってもその造りには満足のいくもであったようです。 だが、たった一人おもしろくないと考える男がいたのでありました。
 蚊帳の外のもっと外の男
この時点では岡庭村長も操氏もそして山口会長も最良の計画として受け止めていましたが、たった一人、蚊帳の外の男が噛みついてきたのでありました。
 のけ者にされた疎外感は時雄君にとってとても我慢ならぬことでありました。かんしゃくを起こすにも起こせない、文句やけちをつけるところが何もない状況で考えあぐんだと思います。 平成29年9月1日   
  
   藪から蛇 
 何がそこまでさせるのか、それはそれは執念深い、まるで蛇のような男では無いか
水子地蔵の落石事故において収まりどころの無い問題を、岡庭一雄村長や山口会長、はては熊谷操議員までが時雄君を無視したことが余程腹に据えかねたのでしょうね、それに対する当てつけが「章設計には絶対にやらせない!」と成っていたのですが、元々そう言う考えしか出来ない男ですから「時雄に話すな」としておりました。
 江戸の敵は何とか
「ふれあい館の前に建つのは反対だ!」、「この計画は操議員の経営するふれあい館と一体している。操さは議員ではないかそこまで村の金を入れて整備するのはおかしい」
 お門違い
文句が付けられない計画で有れば、文句を付けられるところを探せば良い。
園原資料館を造る事は岡庭村長から切り出した事、そこがおかしいと言っても理にかなわない。であれば、操をつつけば良いことだ。
そもそも操のために水子地蔵は始めた様なもんだ。ふれあい館が思うようにやっていけないとして俺がここまで骨を折ってやったじゃないか。水子地蔵の件だってそうだ、操に早く部落に話しをせよって言ってあったのに放って置いたじゃないか。人に全部穴を拭かせておいて、ちょっと章文が騒いだから何だって言うんだ。   
   
   その様な時雄君の考えにおいて園原資料館は夢で終わってしまいましたが、その計画において信濃比叡入り口として「門前屋」と名打ったのであります。                平成29年9月3日   
   
   ふれあい館が門前屋に
 ふれあい館は全く様相を変え、園原の紹介施設の役目を終えて飲食店へと様変わりをしました。
地区の人達は、「何で村の施設が操さの飲食店に成ったのか?」「息子が鶴巻荘を辞めてそこで商売するってよ!?」から始まり次々と疑問を口に出し始めました。
 裏に在った事実
ある日、山口阿智川会長は言いました。
「見よ、岡庭のやり方を。孝志を鶴巻から放り出したじゃ無いか、操ちゃも黙っておっちゃ無理だ」
何のことか早速に思い浮かばない、それとなく探りを入れる  岡庭は村長なんだから、何にも無くて放り出すことはしないのでは? 「だからな、ふれあい館を孝志にやらせるようにと話しをしとる」
ここまで聞いて何となく分かったことは、(はは~ん、また岡庭にせびっているな)
 案の定
月川旅館に行って叔父に聞きました。 「時雄の話だけどな、孝志が鶴巻でなんかしたみたいだぞ」
また事故ったの? 「いやそうじゃ無いみたいだぞ、そうじゃないが・・」
叔父は、人を悪くは言いませんので口ごもっていましたが、それは察しておりました。平成29年9月5日  
  
   叔父がおかしいと思うこと
 操さんの息子が鶴巻荘を辞めることは個人的なことかもしれないが、問題はそこにあらず。
鶴巻荘は阿智村の管理施設(当時は公社として運営している)であるからしても、個人的な理由を持って辞めているのであれば、山口会長は「放り出した」とは言わないだろう。
個人的な理由で無いからこそ、「個人的な理由」にしたことに違和感があるのだろう。
その理由は山口会長は当然知っているからこそ、「ふれあい館を孝志にやらせる」話をしているのであります。
 ふれあい館を門前屋と名打って飲食店として始める。
そのためにはまず園原紹介施設(村管理)を止めることだ。会計検査院対象期間の7年を過ぎているからその辺は問題ないだろうとし、飲食店用に大がかりな改造費用を掛ける必要がある。
 月川旅館を見ろ
「操ちゃは金に成らんふれあい館を押しつけられているが月川を見ろ!村の施設だからただで使えて旅館をやっているんじゃ無いか」
 まあ聞いていれば、(言い方はいくらでも有りますな)ってな感じですが、ふれあい館を飲食店にして操の息子にやらせると言っているのであります。                 平成29年9月7日
  
   まあまあ なんて口を挟む内容では無い
 放り出されたとの言い方は首だということだ、首にした奴の行く末に何で岡庭は対応するんだ。それにもまして、ふれあい館を飲食店にする改造費用まで村で出してやるのはおかしいじゃ無いか!
 どっちもどっち
山口会長の考え方は、建設業者として原建設の事とホテル阿智川の昼神温泉が基に成っているが、実業家というより商売人であります。
片や叔父の考え方は、小さな谷の “隣の味噌” 的なところがあり、村に少しでも面倒を見させるとした他人資本的な考えでありました。
どちらの考えも私には理解できませんが、気づいていただきたいのは、「行政は平等」でなければ成らないという事であります。
 二人の考え方は違うように見えて同じ
行政を食い物とするように感じられるのは “どっちもどっち” であります。時の権力と結託しているように見えてしまうは、身内より他人! という事を分っていただきたい。   
   
   知らないうちにふれあい館が消えてしまいました。 門前屋として生まれ変わったのではありません。
ふれあい館の使命は、「ビジターセンターは々き木館」に変わったのでしょうか? この関りがとても不明であり、そこにいくつかの不正が隠れていると知っているのは私だけではありません。平成29年9月9日   
   
   知らないうちに消えている
 門前屋への改修工事に村のお金を使ったかどうか、それは確かではありません。内部にいなければそれを知る術が無いからでありますが、事の成り行きからすれば大いに疑うべきところであるかと思います。
西の村民も馬鹿では無い。それはとうにお見通しであって、ただ口にしないだけであります。
 口にしないと言うよりも、「言っていく先が無い」のであります。
西の三悪人を向こうに回し、何かものを言えるような状況で無いことは理解いただいていると思いますが、それにもまして声を届けるべき先「行政と議会」が、岡庭共産党に支配されていれば、そこは最早負の巣窟でしかないのであります。
 悪い例
10年前に阿智村長岡庭一雄の裁判を例に取ってみてもそれは明らかでしょう。
勝っても負けても、「悪いのは章設計の熊谷だ!」 これで全てが方つけられました。
正攻法の正攻法であっても、世間はそんなものでしょう。 この一件で何かが変わったのでしょうか?
私が目に見えて変わったと思うのは、水上宗光氏が岡庭や時雄と離れた事くらいであります。平成29年9月11日   
   
   爆弾を持っている者
 このブログにおいて岡庭一雄や熊谷時雄、また、その不正に関与した者実行した者、それらを実名を挙げて書き出しているがその事について書かれた本人は法的なアクションを起こしていない。
 このブログを始める前に智里西地区の主立った人たちに文書を配ったとき、彼等の取った手段は単なる私への悪口雑言でありました。
 これらのことを考え直してみますと、彼等は「悪い事をした」「不正を犯していた」と、十分に理解していることになります。
そうであればまさしく確信犯であり、不正を通り越した犯罪だと言えてしまうのではないでしょうか。
 口封じ
 ブログにおいて次々と明かされていく犯罪とも思える内容に彼等は何も対応出来なく、また、口封じに走るわけでもない。 なぜ、口封じをしないかと考えれば、口封じする相手が同じ不正に関与しているからに他ならないと言うことで有りましょう。
 爆弾発言とは知らないことを聞くと言うこともありますが、想像してた通りの事が出ることがより大きな爆弾となってしまいます。口封じが必要だったと後悔するような相手は誰かと言うことが、これからの展開となっていくのではないでしょうか。                    平成29年9月13日  
  
   岡庭に対して何か言える者
 この事は読まれている阿智村住民が詳しいのでないかと考えていますが、私は私が思うところの人たちを書きだしていきます。
 岡庭一雄が村長になった時
第一人者は言わずと知れた「熊谷時雄」でありましょう。熊谷時雄自身に野心が有った故、岡庭一雄を推したのでありますが、熊谷時雄が吉田博美をバックにつけなかったならば、彼はただの共産党で在ったかと思います。
 熊谷時雄が第一番に来て、その次に吉田博美ということになります。
しかし、吉田博美は県会議員であり、それも自民党であります。村長ともなれば県会議員はそれでなくとも頭を下げる相手であります。吉田博美に対して言うことを聞かなければならないのではなく、何度も何度も頭を下げる相手となっただけであります。
 吉田博美も共産党を知らない
岡庭一雄は村長として頭を下げているだけであり、票をなんて気持ちはさらさらありません。博美が帰ればへら(舌)を出していたことでしょう。                   平成29年9月15日   
   
   その次は誰だったのでしょうか? ある出来事であります。
 ヘブンズで働いている地区民は多くいますが、花桃は、ただただ人が押し寄せるだけであり、地区のためには何一つありません。
 開花時期は気象状況に応じて変化します。訪れる側の都合が開花に合えば良いのですがなかなかに、なかなかであります。
村の方でも交通整理に職員を回してくれているのですが、開花が遅れている時などは交通整理に立つ職員も一台一台にそれを告げる事も大変で有る事は想像に難くありません。
「どうですか?」と聞かれれば、正直にまだですと言いようが無く、Uターンして帰るかどうかはその人の判断でしょう。
 併せての事情
門前屋は花桃では蚊帳の外、以前は明らかに縄張り争いが時雄君側とにありました。「園原に車を回すな!」と、まあ、仲良くやってよの心境ではあるが、どちらも己の商売敵、商売敵で “売り” を花桃と信濃比叡と対比させているから大変です。                     平成29年9月17日   
   
   ここを上がれば信濃比叡が有ります
 交通整理の村職員が、殿島の分かれ道で言っちゃった。
 おかしい?
確かにまだつぼみも小さく今年は遅れているのは目に見える。しかし、今日は連休初日である、車が上がってこないわけが無い。青木屋(釣り堀飲食店)車が入らない、パークランドにも全く居ない?!
叔父は不思議に思って園原インター近くの交通整理を見に来たのでありました。
 信濃比叡に車が上がっている?
交通整理は村の課長が行っている。どんどんと車を信濃比叡に向けている。
「おい!何をやってんだ!花桃へ車がちっとも来んじゃ無いか!なんで園原へ車を回している!何を考えているんだ!」 怒鳴りつけました。
 嘘は言えない
「花桃はまだぜんぜんで、咲いているかと聞かれるからまだですとしか言いようが無い」
「そんなことを言っとるんじゃ無い、咲いていようがいるまいがそんなことは来た観光客が判断するもんだ、それを返しちゃ何の意味も無いじゃ無いか」、「いえ、返していません。信濃比叡に上げています」
 余分な一言を言っちゃったもんだ                       平成29年9月19日   
   
   首にせよ
 その課長の名前は岡庭だという。そう言えば、岡庭一雄と園原資料館建設場所の発掘調査報告書について追求した折、横でメモ取りをしていたのを一括した記憶がある。ああ、あの男か、でも叔父の言うことを聞かないのは不自然だ、そう思ったから聞いてみた。
 あれは岡庭村長の腰巾着だからおい様が言えば言うこと聞くでしょう。 「馬鹿言え、あいつは操よ、孝志が門前屋に回せとあいつに言ったことを聞いたから怒りに行ったのよ。     平成29年9月21日   
   
   それは誰かの結婚式の日、迎えに来たバスの中で乗り合わせた時でした。
おめでたい日なのにご機嫌は斜めみたいです。叔父にとっては花桃は全て、この頃はまだ時雄君に管理を譲るとはしていませんでした。
 そこから話しが変わる
時間より早く着たせいか運転手も外でぷらぷらしており、後誰を待つのかさえ聞くひまもないくらい叔父は興奮しておりました。
話しは変わり、「井村とか云う奴は知っているか?デカイ事を言いやがって、キクイモなんか信用出来る筈がない」、ああ知っている。下條のそばの城を建設した時、伊藤村長が中田とかいう漬物屋の紹介で連れ込んできた。何も出来ない何もやらないのに企画したとして1,000万円も持って行った奴だ。企画も設計も章設計が全てやったんだけど、職員も首をかしげていたがブローカーだ。
「ああ、それだ、キクイモの加工をやれとか月川でお土産加工して売れとか、あんな口先だけの奴をなんで岡庭が連れ込んだのか分らん」                        平成29年9月23日   
   
   何で連れ込んだのか分っている
 話しは飛んでしまったので、先に「首にせよ!」を話します。
バスの中で二人して話し込んでいたその先に熊谷時雄が現れた。(なんで時雄が招かれたのか?)
叔父はキクイモの話を止め、先ほどの岡庭課長の話しを言い始めました。
「やい、岡庭って奴か、ここで交通整理している奴よ」、「ああ、岡庭課長かな」、「あいつはこうよ・・・」とつつらつつら話していたが、急に「あいつを首にせよ!あんな奴は阿智村には必要ない!」
 すごいことを言う
怒っても良いがもう少し分別しなきゃねえ まあ、あの時(岡庭村長と対峙したときメモを取り始めた)私も岡庭課長をどやしつけたから同じようなものではあるが   それより時雄君の応対の方が気になりました。 「まあまあ秀逸さ、あれもよかれと思って言ったんだと思うよ」 (ん?やはりかばっている。無理も無い、職員は時雄君の子分感覚なのだから)
「馬鹿言え、あんな者はそんなんじゃねえ、要らん首よ!」、「・・そんなに怒らんでも。俺の方からよく言っておくで」  
 まあ首には成らなかったが、それ止まりであったのかな  さて、話しはキクイモ・井村に戻します。
平成29年9月25日  

  
   ブローカー
 井村さん、この人もかなり胡散臭い。 井村コンサルタント?とか言ってたみたいだが、下條村の道の駅、そばの城事業においていきなり現れた人であります。
 下條村の伊藤村長がなぜこの様な男を必要としたのかはさておきまして、キクイモを阿智村に持ち込んだ張本人であります。
 岡庭村長は例の如く
岡庭村長に当然紹介した者が居るわけで、これが誰なのか?が分かれば流れは見えてくるのでは無いでしょうか。
 どなたかのコメントで盛んにキクイモの失敗を取り上げていましたが、岡庭一雄にとっては単なる村独自の農業生産対策事業であって取り立てて騒がれることでは無いと考えているでしょう。
職員も全くその通りで、「うまくいかない場合もある」とした、公務員感覚であろう。
 文句を言う人
キクイモ事業に実際参加し、農業生産収益を上げようと奮闘した住民がどうで有ったかがこの事業の裏を紐解く鍵となるでしょう。                          平成29年9月27日   
   
   百姓の考え方
 最近、ある人と社会について話したことがあります。行政や政治の失敗(不正や犯罪)は端から許してしまう傾向にあるのが根っからの百姓ではないかなあ とその人は言う。
確かにそうである。無関心と言えば聞こえは良いが、自分の手で体で労力を使い生産する人たちはその様なことに寛大である。
 百姓と言えば米作りを連想してしまう。年一回の勝負は取り返しが付かない。だからこそ空を見上げお天道様に話しかけるのだ。
 お天道様の下を歩けるのはこう言う人たちでは無いか。
百姓は米の出来が全てで有り、それを達成するために努力をする。単純に言えばそれしか考えない。
米作りのノウハウは単純に見えて詳細で有り、空模様、水加減、肥やし(肥料)加減によって一喜一憂するのである。                                    平成29年9月29日   
   
   世の中が見える人
 一つの事を成し得ている人は物事の流れに精通しています。それが農業であっても会社員であったにしても共通しているのではないでしょうか。
その人はなぜ「百姓は世の中の不合理を気にしないのでは」と、思われたのでしょう。
 実は私もその様に感じています。それは特に農業が中心な人達の事をみるとそう感じます。
端的に言えば、そんなことを考えている暇が無い、のかもしれませんし、行政に不正が有るなんて考えもしない性格から成るものかもしれません。
 TVは別の世界
ニュースで知らされる日本の出来事はダイレクトにお茶の間に入ってきます。大きな出来事で有れば大きな事ほど報道され、それが身近で起きていなければ面白おかしく見ることも有るでしょう。
身近ではそんな事は無いよ、その様な固定観念はどなたにも思い当たると思います。 平成29年10月1日   
   
   ニュースバリュー
 米作りをしていれば世の中のことはテレビや新聞で知れば十分です。 米作りをしていた人が議員に成ればどうでしょう。 行政の一方通行を覚えるだけで終わってしまいますよね。ましてそこに不正があったとしても見抜けないでしょうし、不正が明らかとなってもそれがなぜ不正なんだと理解するには困難を伴うことでしょう。それはなぜかと言えば「疑って掛かる」ことの経験が無いからであります。
 議員の役目
議員の役目は「疑って掛かる」ことにあると言っても過言では無いでしょう。
よく耳にする「福祉や教育の充実、より良い生活を求めて、暮らしやすく」など簡単に声にしますね。
この様に議員が口にする言葉に軽さがあるのは、物事の基点を捉えていないからであります。
 敵を知り、己を知れば百戦危うからず
兵法の教えですが、何も知らない者が何かを伝えようとするのは無理であります。
行政に不正は無いか?と目を凝らせと言っているのでは無く、「目を凝らせ!」と言っているのであります。
 そのものを見つめればそのものが見えてきます。そのものが見えればもっとよく見えるにはどうしたらよいか と考えることを「目を凝らす」と言うので有りましょう。        平成29年10月3日   
   
   議員が目を凝らす
 そこで良いものが見えなければ、それは不正では無く間違いなのではないでしょうか
行政というものは複雑かつ面倒なものである。ように見えますが、扱ってみますとまったくもって簡単なことだと分かることでしょう。
 それはそうであります。行政業務は税金を徴収し、税金の使途を明確にして書類に残すだけであります。 あとは、行政法に基づき各種の届け出、認可の代行を行います。
 まったくもって簡単なこと
この様な行政業務の何に議員は目を凝らせば良いのでしょうか。
間違いがあってはならぬとして目を凝らす議員が誰も居ないことにお気づきでしょうか。
議員達は端から間違いがないとして受け止めているからであります。
 金融機関
金融機関はお金の扱い業務ですよね、ですから金銭的な間違いは絶対にありません。それに併せ、法律に抵触することも絶対にありません。
 行政は税金という国のお金を扱っていますから、同じように間違いは絶対にありません。ですから、「お金の使い方」に議員は目を凝らさなければならないとされるのであります。 平成29年10月5日   
  
   言われなくても分かること
 そんなことは言われるまでも無い事だ。と仰る議員は何方かおられますか? 
阿智村には居ませんね  居ないから多くの不正と犯罪とおぼしきことが起きてしまったのであります。
 簡単なこと
私の公開質問状は不正を指摘しています。そして犯罪に成っているとした文書も添えております。
なのに、議員は公開質問状を見ることなく、そこに名指しされている大きな名前「岡庭一雄」に対して忖度をしてしまったのであります。
中には岡庭一雄と意を同じくした議員もいるでしょう。または、同じ不正を働いた者もいるでしょう。
この質問状を取り上げれば、答えれば、その事が露呈してしまうとして隠すことを選択し、岡庭一雄の指示に従って引き延ばすだけ引き延ばし、挙句の果ては議員改選においてそれを無きものとすることを狙いました。                                  平成29年10月7日   
   
   共産党の村
 村民の何名がこの事に気づいていたでしょうか。
岡庭一雄という共産党員を村長にした。その付けは今起きた分けではありません。いまから20年前にその付けは既に実を付けていたのであります。
 常識が無い村
いつからこの様な村に成ってしまったのか 少なくとも黒柳村長の時代ではない、また、山内村長で有ったからでもない。
一番の原因が、自民党吉田博美参議院議員に在ると皆さん知っているのに口に出さない。
 口に出せない阿智村民が常識が無い人達なのである。
常識が無いからいさめることが出来ない、常識が無いからおべっかを使い擦り寄ってしまう。
そんな議員ばかしであったからお粗末な者ばかしの議員となってしまったのだ。
 共産党議員だって良い
お粗末でなければ共産党の議員でも良いが、お粗末でない共産党議員は居ますか?居ましたか?
着々と共産党の村に成ってきた事は、村民の責任であります。
 職員組合が共産党配下と成っているのに、職員のほとんどが岡庭政治に染まってしまっているのに誰も声を上げない。阿智村の各種団体組織に、公民館や文化財に、共産党員がどんどん入り込んでいるのに誰も異を唱えない。                               平成29年10月9日
 これを「赤い村」「共産党の村」と言わずして、この言葉を揶揄として受け止めなくて何とする!   
   
   立ち上がった住民の声
 ブログを立ち上げ今日で一年と四ヶ月が過ぎました。 公開質問状は昨年の4月18日に提出しています。
 住民はなぜ立ち上がったのか
公開質問状の提出を受け、議員は何を考え何をしてきたのだろう。
質問状の内容においてそれに当たろうとした議員は誰も居ません。
 なぜ、当たろうとしなかったのか
質問状の内容に誰も心当たりはないのだろうか
 質問状は端から隠されていた
なぜ隠す必要があったのだろう  議員全員が大いに心当たりが有ったからではないのか  
  
   何もしない議員に疑問を持った
 ブログが広まるにつれ多くの村民が関心を寄せてくれました。 その内容に驚き、または事実の再確認をされた村民もいたことでしょう。                      平成29年10月11日   
   
   人ごと
 殆どの村民は岡庭一雄という共産党員を知っていた。それが阿智村の村長だったということも
熊谷時雄と二人して、行政も議会も牛耳ってきたと知っていた。そして震えていたことも思い出したのではなのいか  
  
   岡庭一雄は未だ村長
 公開質問状を提出する以前、岡庭一雄は阿智村独自のリニア社会環境アセスメントを作成していた。
そう、作成していたのだ。
 岡庭一雄は阿智村と契約を交わしているのだろうか?
この様に疑問を感じたのが始まりで有りました。 なぜこの様に疑問を感じたかと言えば、岡庭一雄と行き会ったからで有ります。
 その日、地域経営課の井原課長に用事があった。階段を上がり窓越しに見えたはげ頭、「この禿げえぇ」とはさすがに思いつかなかったが、それと同じような感情になったのはやぶさかでは無い。
 まだ岡庭が村長か?
日参しているとは聞いていたが、それは異様な姿に私は見えたのであります。
入り口を背にしていた。熊谷係長(二人)は入っていく私を見て何とも言えないような顔をしました。
 気まずい顔
岡庭一雄を裁判にかけた裏事情を知らない職員はいないだろう。しかし、岡庭が村長で有る限り正義は村長側にある。少なくともその様な態度を取らない限り、職員として上を目指せないのであったろう。
 村長でなくなっても、一度持ってしまった言い訳は顔に出るものではないか   平成29年10月13日   
  
   顔を見ない
 私には岡庭は映っていない。存在を感じないのであるから致し方ない しかし岡庭は私の顔を目を合わせようとはしない。
 立ち上がる係長と駆け寄る係長
何故岡庭がここに居るのかという事は分りすぎるくらい分っていたが、その光景はあまりにもそれを象徴しておりました。
腰を浮かせる係長は岡庭の顔を横眼で見ながら私に顔を向け、駆け寄る係長は「あ、課長に用事なんですよね。課長は今席をはずしているが呼んできます」と、気が付き過ぎるくらいの配慮をし出す。
岡庭も察したのだろう、振り返る時には言葉を発していました。
「久しぶりじゃないか・・」言葉に詰まるのは絞り出したからであろうが、照れ笑いの様な情けない顔は、二人の係長に二人の位置関係を感じさせるには十分であったでしょう。    平成29年10月15日   
   
   異様に感じた光景
 岡庭の顔が引きつっているように見えたのは私だけではなかったろう。
「あのう、課長を呼んできますが・・」 そう言いながら周りを見回し、「何なら下の(1階)住民談話室でお待ち頂ければ・・」  やはり気遣っているのが分かる。
 住民談話室
玄関を入った左側にそれらしきところが有るのは知っていた。 「いいですよ」そう受け答えしたが、私も助かりました。それは、あまりにも息苦しい空気を感じていたからでありました。
 ものの数分で井原課長が降りてきました。 挨拶ながらそれとなく話しかけました。
岡庭さんはいつもあのような感じなのかな? 「ん、ええ」 そう言ったのか、あんなんですよと言ったのかは覚えていないが、「あれはまだ村長のつもりでいるんだな」と振ってみた。
 苦笑いで返えされたが、私にはあの光景が異様に感じたのであります。
リニア社会環境アセスメントの作成について指示を出す岡庭一雄とそれを受ける二人の係長、それはまさしく村長と職員の関係そのままでありました。                 平成29年10月17日   
   
   この時、岡庭一雄は村長と契約を交わしていたのだろうか
 リニア社会環境アセスメントを村の金でやれ!  この様に熊谷村長に詰め寄った。
お粗末な議員どもは岡庭一雄の後押しをした。共産党員ならまだしもなぜ考えて判断しないのか?
 村民であればそう思うはずでありましょう。
阿智村独自の社会環境アセスメントと言う言葉に踊らされたのか(信毎と朝日くらい)この様なものが必要だと思っている村民は殆どいないと言うことが判断できないお粗末さである。
 動きが取れない村長に議員が賛成となればどうしようもないとしてそれは進められたと考えているが、岡庭と職員の姿を目の当たりにした時、その異様さは不審へと変わっていきました。
 当たり前が当たり前でないこと
その様な不審を抱いたことが公開質問状に繋がっていったことは確かなことであります。
この下りはリニアのコーナーで書き出していきますが、職員の対応について少し言わせてもらいます。
 岡庭一雄の村政は職員に意識改革を与えていたことは確かに感じます。それが村民ファーストであれば言うことは何も有りません。しかし、阿智村独自のリニア社会環境アセスメントを取り組むとしても、100% 岡庭一雄の指示に従っている姿は正常な姿であるとは私には思えませんでした。
岡庭村政での経験がそれを当たり前としてきたのでしょうが、私に見えた光景はとても当たり前の姿として捉えることは出来ませんでした。                       平成29年10月19日  
  
   何も言えないのか 考えがつかないのか それとも同じ捉え方をしているのか
一部の職員にとっては岡庭一雄がまだ村長なのでしょう。
 何も言えないのでは無く何も言う必要を感じていないのである。
岡庭一雄が企画した社会環境アセスメントならば、「岡庭一雄に従う」が義務であると信じて疑わない。
そうなってしまうと岡庭一雄の企画書(そんな物は無いが)通り協力することになります。
「これでは創作になってしまう」ようなことがあっても気がつかないのである。
 考えが付かないのではなく考えが無いのでありましょう。
本来の社会環境アセスメントであれば、開発と環境の保全を両立させるための査定と評価であって開発を後退させるべきものでは無い。
担当課長や職員はその様な知識すら無い中で岡庭一雄の指示だけに従っていた。
 同じ捉え方をしているのでありました。
税金を用いて行う作業を、この様な状況でまとめられることを行政における “不正” というのであります。この作業自体が始まりから不正行為(未必の故意)を行っているのでありました。平成29年10月21日  
  
   不正と気づかない愚かさ
 信じて疑うことの知らない者は責任の伴う作業をしてはいけません。何故ならば、責任を負える者は信じるために疑いを持たねば成らないからであります。
 民間であれば責任を取らされます。また、責任を取らなければならない立場においてこそ間違いを起こさないように成るものでありましょう。
 公務員の気楽さ
それは今に始まったわけではありませんが、責任を取る必要が無いとしたうがった見方が蔓延しているのかも知れません。
本来のうがった見方は責任のあり方を言うものでありましょうが、責任そのものを持ち合わせなくなった公務員が多くなっているのも事実ではないでしょうか。
 岡庭一雄が社会環境アセスメントをやるように決まったのだから彼の言うとおりやれば良い、としたことが責任を持ち合わせていない現れで有り、責任感があるとすれば、社会環境アセスメントはどう有るべきか?と考えることから始まり、社会環境アセスメントを作成するに当たりその費用対効果をどのようにしたら村民に知らしめることが出来るのか? と試行思考するものである。     平成29年10月23日  
  
   公務員の仕事
 そこまではやれない、やれる公務員はいない、やる必要が無い
費用対効果が出なければ、それは不良作業になってしまいますが、実際にそこまでの事を確認するまたは精査するような事は行われていません。
 不自然な状況
行政評価において費用対効果は必要不可欠な精査であることは紛うことはありませんが、実際にそれが行われているのか? と質すとしても答えられる状況に無いと考えます。
それだけ不自然な状況にあるのが阿智村行政であります。(飯田市議会もまったくそうです)
 本来、地方行政団体における費用対効果は行政の長が最も考えるべき事であり、住民もそれを期待して投票するのでしょうが、実際のところ不正の塊であるような行政の長と力ある議員が居るとすれば議会側の考えが含まれることが往々にあるのではないでしょうか。
 無理を通せば道理が引っ込む
不正や犯罪は得てしてこの様なところから生まれてしまいます。岡庭一雄や熊谷時雄が良い例でありましょう。                                  平成29年10月25日   
   
   岡庭共産党がなぜ熊谷村長を攻撃してきたのか といえば、まさしくこの事であります。
「何も出来ない村長だ!」は、口撃でありますが、何故この言葉を口にしなければならなかったのでしょうか?
 思うようにならない熊谷村長
世間では「熊谷村長は岡庭村長の塾生だ」岡庭一雄の配下だと見ておりました。少なくとも選挙戦がそうでありましたからね。
岡庭一雄が共産党だとは今更でありますが、岡庭一雄の塾生だとの言い方は熊谷秀樹氏も共産党だと思い込んだと言うことでありましょう。
 共産党員は共産党員と名乗らない
ごく最近、大物共産党員から聞いたことではあるが、「いじめられるから」と、「若い人(二世)は党員を名乗らなくなった」「選挙の時だけの党」と言い放ちました。
 嘆かわしい、とさえ口にしないのは諦めの心境からくるものでありましょう。   
   
   時代は確かに変わってきています。
世界感では共産主義否定が9割に届いたとか!?
ソビエトの崩壊は共産主義から民主化への踏み出しであったことは、あの中国ですら民主化への変革を余儀なくされてきました。これからはグローバルとした捉えかたによって個々の主観が人権とされていくのでしょうか。                                平成29年10月27日   
   
   我慢できない人達
 共産主義は平等であると教わった気がします。
その平等は我慢することで有り、一人がみんなの事を考えるものだと聞こえてきたような気がします。
岡庭一雄や熊谷時雄は何か一つでも我慢した事はあったのでしょうか。
 みんなの事を考えるでなく、人の上に立つことだけを目的とし、平等どころか自分に入る金だけを求めて来ていました。それも税金という “みんなの金” であります。
 売名行為においては攻撃的な新聞社と組み、それだけは共産党を利用してきた。
まあ、逆から言わせれば、共産党とはその程度の党に成り下がったということになりますね   
   本当に気づかないのか?
私の公開質問状はすでに長野県共産党にも届いているだろう。このブログも見ているとして考えても良いかと思う。
不正だ、と判断していないのであろうか? 長野県共産党は岡庭一雄が行ってきた行政を認めているのだろうか、確かに共産党員が村長に成ったのだから今まではあげ祭ったのであろうが、今回はどうなんでしょう。 何も言わない は、もう通用しないと思うが            平成29年10月29日   
   
   存続するために
 共産党などはさしてどうでも良いと思うが、政党として議席が有る限りは住民の付託に応えなければならい。
岡庭共産党で在ってもそれは然り、共産党の本質はプライベートで十分に満足してるのだからして議員で有れば議会規則により対応しなければ成らないこと。
市会議員や町村会議員が消費税云々、憲法九条などはおこがましい。まず手前で起きている重大な案件や事件において議員の役目を果たすことが先ではないのか。
 政党判断
政党議員は一般議員よりより多くの責任が有り、個の判断において重要案件に対応できない立場になっている。 それが共産党議員に出来ていないという事は、共産党などという政党は選挙のためだけの組織であって住民社会に貢献できる政党でなく社会の中では不要という事になってしまう。平成29年10月31日   
   
   岡庭一雄の亡霊
 阿智村公民館を使用して岡庭一雄の講演会を開催するという話が聞こえてきました。
コメントにもその様な話しが書かれておりましたが、実際は講演会では無く、職員党員が働きかけをした集まりであったようです。
岡庭一雄の現状において、村長選に対抗馬がたてられないとした焦りが生んだ集まりであったようですが、党員参加者数は個室でもスカスカであったようであります。
 熊谷時雄の講演会もそうであったように、岡庭共産党との色合いが明確となっているものと推察します。
 岡庭一雄の焦り
先日の「花桃街道整備事業橋の架け替えが一時中止となりました」は、岡庭一雄にも大きな衝撃であったことと推察いたします。                           平成29年11月2日   
  
   論より証拠
 岡庭ほどの頭であれば、花桃街道橋の架け替えが一時延期となった意味は十分承知しているでしょう。 一時中止は「橋の架け替えは中止された」との言い回しである事、その上「ブログが解決したら・・」と、県がブログの事を口にする意味も、「ブログに書き出されているすべての事を指している」とも判断しているからでありましょう。
 副村長が口にした
県が自治会に直接その話を伝えたことは、当然の事として阿智村には事前に伝えられていなければ成らない重要事項である。
それが阿智村に伝えられているからこそして、「県がそう言っている限り橋の賭けは一時中止で村ではどうしようもない」と、山口副村長は答えている。
気に成るのは、副村長がブログの件を口に出していないこと。それを口にしなければ「県がそう言っている・・」のそういっている理由と成らないはずであるから不思議な言い回しではないか。 平成29年11月4日   
   
   噂の噂
 あいまいな言い回しは言い訳であって責任者が口にすべき事ではありません。

県が仮にもブログのことを口にしたならば、そこに県の意思があったと推し量るべきではないでしょうか。
それを言うほどの状況にあると理事者側では理解すべきであり、実際にその様に理解していただいたと県側は判断したからこそ、智里西自治会役員全員(時雄君は不要)の前で発言しているのであります。
 住民の前で副村長はあいまいな発言をした。誰に気遣ったのだろう?と私は考えてしまいます。
あいまいな発言は噂を呼び込んでしまいます。噂は噂であっても中途半端な発言をしたことは事実、もしかしたら副村長の発言が一人歩きしてしまうおそれも “無きにしも非ず” であるかもしれません。  
  
   意味するもの
 県職員が公式な場で個人のブログを口にすることは、一般的にはあり得ないことではないでしょうか。
そのブログに書かれていることは “通常のことでは無い” と誰もが分かっていますから尚更です。
なぜ口にしなければならなかったのか? と考えれば、それは簡単なことかも知れません。平成29年11月6日   
   
  ブログの認知
 県がブログのことを口にしたことは確かにインパクトがありました。それは、公共機関で有るからですが、ブログに書かれていることを指しての意味合いは、中山間事業の橋の架け替えだけで無いと聞く人に捉えられるからであります。
 リニア社会環境アセスメントしかり、月川旅館も脱税も官製談合も、水道保証金の件も、そして飯田市の官製談合の件も補助金不正受給に成るのでは?の事も、全てを県は口にしたと考えても構わないと、ブログの解決と口にしたことになります。   
   
   刑事事件
 阿智村も飯田市も根本的な犯罪は補助金の不正受給で有ります。県であればその事が最大の理由で有り、最低限の解決しなければならない事項となっています。そしてそれらの解決には検察か警察の捜査が不可欠となり、最終的には告訴しなければ成りません。
 今回の県の発言はブログを認知したことの発信で有り、最終的な判断に向かう始まりだと、阿智村と飯田市に告げたことになるのでは無いでしょうか。                 平成29年11月8日  
  
   県がやるわけでは無い
 今回の橋の架け替えを中止したからと言って、事の解決を県がするわけではありません。また、不正の内容が「刑事犯罪となりますよ」などと言っているわけでもありません。
県は単に、「橋の架け替えを中止した」だけであります。
では、裏を返して考えた場合、「県が中止したと言うことは、県側にも中止せざるを得ない事情があったのだ」と、考えるべきでしょうね。
 行政はずるい
事は簡単でありまして、行政は機関でありますから行政が間違うことや責任取ることには成りませんね。
だとしたら、職員が責任取ることになるのでしょうか?
まあ、おそらくのこと、その様な結果になるのでしょうね。
ただ、やりようにおいてはもっとすごいことに発展していく可能性もあります。
 それはなんでしょう?
国家機構を基本として考えれば、案外に見えてくるものがあります。
県も市町村も同じ地方公共団体でありますが、果たして本当に同レベルの団体でありましょうや??
国の機構単位は県の次は市であり、町村は幾つかの寄り集まりを一つとして捉えていることをお気づきでしょうか。                               平成29年11月10日   
   
   県会議員
 飯田下伊那を例にとってもお分かりのように、下伊那郡には郡長が存在しておりません。
郡長がいないという事は町村においては直接県とやり取りできるからよろしいとお考えでしょうか?
現状においてはそうであるかもしれませんが、それであれば平成の大合併はなぜ行われたのか?という考えが浮かぶのではないでしょうか。
 道州制が施行されるのはそう遠い将来ではありません。自民党を政府としているのならば、確実にそれはやってきます。その時の単位は市でしかない事を肝に命じるべきだと思います。
現在、県会議員の選挙区再編による定数削減が検討されており、下伊那を一人にするか飯田下伊那を一つにするか検討されています。
県民(飯田下伊那)から見れば飯田下伊那を一つが妥当と考えるのではないでしょうか。
おそらくの事そうなっていくでしょう。それは、近い未来、飯田下伊那は飯田市に成るとする前兆ではないでしょうか。   
   
   リニア中央新幹線が開通する頃
 何のために飯田市にリニア駅を設置するのでしょうか? 

リニア中央新幹線 阿智村社会環境アセスメントの疑義

社会の形 ルールと法律の違い

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